アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
黒地にカラフルな水玉模様のテント。中は二人の人間が横になれる程度の広さ。
悪魔は寝袋の上で仰向けとなり、両腕を後頭部に置いて姿勢を楽にする。
百江なぎさはランプのスイッチを操作して『全灯』『消灯』『常夜灯』のうち三つ目のボタンを押し込む。
橙色の薄明かりがテントの中をほのかに温める。視線。熱烈な視線を悪魔は感じる。
そして百江なぎさは夜這いした。悪魔の上に全身を乗っけて、両手両足をパタパタと振り歓喜と羞恥を表現する。
「悪魔。なぎさは許さないのです」
「……何が」
「責任を取れという話なのです!」
「……なんの」
「こんな恥ずかしいことを教えてしまった、悪魔の所業についてなのです!」
「……なるほど」
「マミにバレたら粛清ものなのです! 姉妹が同じ男性を好きになる少女漫画レベルのドロドロ修羅場なのです!」
「そうなのか」
悪魔は素っ気なく返事する。
それに百江なぎさは両頬を膨らまして、悪魔の体の上でモゾモゾと動き、仰向けになる。
「いや痛い。痛いって……人の体の上で動くな」
「…………」
百江なぎさは目を閉じて思い出す。
「……なぎさは、あの刺激的な夜を忘れたことは一度もないのです。毎晩思い出してしまうのです」
「……」
「クマ吉は? こういう夜に思い出すことはないのですか?」
「オレか? オレは……もう数え切れないくらい体験しているからな……今更そんな────
「クマ吉はドンファンなのです……乙女との
「なんだそれ。あと食夜ってなんだ。変な言葉を作るな」
「恥じらうなぎさなりのオブラートな表現なのです……」
「いや直球じゃねぇか」
百江なぎさは寝返りを打ってうつ伏せになる。
「いやだから痛いって……」
「…………」
百江なぎさは求めている。そう悪魔は直感した。
「……お前まだ小学生だろうが」
「そんな小学生に手を出したのはクマ吉なのです」
「ただの取引の結果だろう……好き好んで手を出したわけじゃない……」
「……。…………────なぎさは、もう怖くないのです。全部、受け止められるのです」
百江なぎさは待っている。待ち望んでいる。
「……」
「魔力供給にもなるのです。なぎさの魔力を食べれば明日は元気120%なのです」
「…………」
「……あと、あと……」
「────いや、いい。そんな言い訳はしない」
悪魔は小さな体を抱き寄せて、余った手のひらで頭を撫でる。
対する百江なぎさは真っ赤になって瞳孔を開ききった。
「っ~~~~~!!?」
「オレも堕ちたな……。ほら、お前がお望みの“大人の恋愛”ってやつだぜ?」
唇を喰むように合わせて、小さくなめらかな股に、太くたくましい片脚を入れ込む。
絡み合う二本の糸。蛇のように波打つ肉体。薄暗く狭い室内に漂う色香。静寂の闇に響く喘ぎ声。
完全に幼女を手玉に取る悪魔は片手間に回想する。
肌を合わせて悦ぶ乙女の過去に想いを馳せて────
†
由来は両親の馴れ初め。二人は海辺で出逢ったのだという。
母親は普通の有名人。父親は普通の仕事人。
けれど何かの歯車が狂って母親は入院し、そこから母親は精神的におかしくなっていった。
百江なぎさは母親から虐待を受けていた。謂われのない理由で殴られ、突き飛ばされる。会話を試みても、すぐに話が通じなくなる。大人しくしているのに。感謝しているのに。言動の全てを悪く受け取られてしまい、殴られ、突き飛ばされ、お前も私を責めるのかと叱られる。
母親は普通の有名人。父親は普通の仕事人。
母親の下から次々と人が去り、最後は父親も面会に来なくなって、とうとう母親は独りになった。
ある日、お話できる白い小動物が現れた。名前はキュゥべえ。一つだけなんでも願いを叶えてくれる。その代わり魔法少女になって悪い魔女を倒さなければならない。最初は信じなかった。そんなうまい話があるわけない。もしこれが絵本なら、最後はバッドエンドで終わるはず。
けれど本物の魔法少女や魔女と出会い、魔法は空想上の存在ではなく、本当に現実に存在することを理解した。
しかし魔法少女になる気はない。なぜなら魔法少女は人助けの仕事だ。誰もなぎさのことは助けてくれないのに、なぜなぎさは誰かを助けなければならないのか。そして、もしなぎさの気が向かず、誰かを助けなかったら、なぎさはその誰かを見殺しにしたことになる。なぎさは人殺しになりたくない。それに、なぎさは魔法少女が下手っぴかもしれない。誰かを助けようと思ってもうまくいかず、結局失敗して誰かを死なせてしまう。百江なぎさは役立たずなのだ。
はたしてそうだろうか?
百江なぎさは独り暮らしだ。母親は入院中。父親は深夜に帰宅。父親は家事をあまりやってくれず、それでも頑張ってくれているが、仕事が忙しいせいで疲れが溜まり、だんだん家事をしてくれる回数が減って──それはなぎさの家事が上手くなったからかもしれないが──なぎさが起床すると、必ず台所には空き缶が置いてあった。今まではちゃんとゴミ箱に捨てていたのに。
朝ご飯も、昼ご飯も、おやつも、夜ご飯も。全部自分で仕度する。掃除も、洗濯も、お小遣いの管理も。宿題も、風邪薬も、買い出しも、故障品の修理も。そんなだから人との交流なんてできなかった。友人と遊ぶ? 学校の行事? 町内会の活動? 母親を支えるので精一杯だった百江なぎさに、そこまでの余裕はなかった。体力も精神力も残ってはいなかった。いつ理性が吹き飛んで、本能が牙を剥いてもおかしくなかった。そんな様子を微塵も見せなかったのは、ひとえに百江なぎさが我慢強く、欲がなかったからだ。
だからだろうか。百江なぎさは気付いてしまった。
母親は大変だ。いつもこんな量の家事をこなしていたのか。それを身を以て知ったことで、母親への感謝の念がさらに強くなった。
加えて、そんなに大変な家事を当たり前にこなせるようになった百江なぎさは、もう大人も同然だ。
そう、気付いてしまったんだ。百江なぎさは愚かではなかった。同年代の子供と比較すれば、それなりに賢い部類だった。
母親はおかしくなった。その理由は分からない。知識が足りない子供の自分では知ったふうな口は利けない。会話しようにも、思ったことを素直に言うことができない。なぜなら最も口にしたいことは「昔のお母さんに戻ってほしい」という言葉だから。でもそれだけは言ってはならない。そんなことを言ってしまえば、まるで今の母親がおかしいという言い方になる。母親のことを思い、気遣う。
百江なぎさは母親のことが好きだった。
父親がいなくても、友達がいなくても、あの優しい母親がいればそれだけで良かったのだ。
ある日、空き缶が床や食卓に転がっていた。
ある日、学校の先生に体の痣を見られた。ありのままを話すと虐待を疑われた。自分が失敗したせいで怒られて叩かれたということにした。実際その通りだ。もっと自分がうまく母親と話すことができれば、殴られたり突き飛ばされたりすることはないはずだ。……では、なぜ自分は母親と満足に会話ができないのか。
ある日、クラスメイトの男子が怒っていた。自分なら出来ると思ってチャレンジしようとしたら、それを両親に止められたらしい。「お前はまだ子供だから無理だ」と言われたことに、そのクラスメイトは怒っていた。その話を聞いていた女の子が言った。「早く大人になりたいよね」
……百江なぎさは気付いたんだ。母親と話が通じないのは、自分が子供として見られているからだ。つまり頼りなく見られているからだ。でも今の自分は頼りないだろうか? 母親のように家事はできる。もう自分は大人も同然だ。でも足りない。それでは足りないんだ。全部の家事が出来る程度では、きっと母親は「もう私は必要ないって言いたいのね」と悪く受け取ってしまう。そうならないために、もっと証がほしい。“大人の証”を……。
────百江なぎさに望みができた。
大人になりたい。大人になれば出来ることが増える。問題の解決策を探れる。
しかし望みは増大し、欲望は拡張した。
我慢をやめたい。好きに生きたい。つまり自由でありたい。
一つだけ願いを叶えられると知った今、それをどう使うかで未来が変わると確信した。絶対に成功させる。かつての幸せを取り戻すと決意した。
するとキラキラと輝き、メラメラと燃える、とても不思議な感情が芽生える。
……魔法少女はそれだけで超人だ。殴れば殺してしまうし、突き飛ばせば殺してしまう。
やがてギラギラと沈み、メラメラと燃え上がる、とても悪い感情が芽生える。
……母親が一番好きなことを叶えてあげて恩を着せたい。自分の力を思い知らせて見直してもらいたい。今までの理不尽を後悔させてやりたい。そうすれば解決だ。そうすればきっとまた愛してもらえる。元の幸せな自分の環境に戻れる。
今までは暗い気持ちでいっぱいだった。
だからバッドエンドの絵本を読むのが好きだった。善人も悪人も等しく辛い目に遭い、でも最後は「おしまい」の一言で締め括られる。その終わり方に救われた。いつも心が洗われるように救われていた。
そう、いつか“おしまい”は来る。どんなに辛い目に遭っていても、いつか必ず“おしまい”は来るのだ。そしていつもその“おしまい”を作るのは大人だ。自分が大好きな“おしまい”は、大人にしか作れない……。
ならば大人になればいい。
では“大人の証”とはなんだ?
大人の証。それは有無を言わさぬ暴力だ。母親からそれを学んだのだから間違ってはいないだろう。
もちろん倫理的に間違っていることは理解している。だからこの理論を通すのは
キラキラと輝く気持ちは、自ら幸せを掴み取る勇気だ。
メラメラと燃える気持ちは、対等になりたい競争心だ。
ギラギラと沈む気持ちは、今までしてやられた報復心だ。
メラメラと燃え上がる気持ちは、全てが満たされたと確信した幸福な心だ。
────百江なぎさは願いを叶えた。
願い事は「母親にとって、この世で一番美味しいチーズケーキが欲しい」というものだ。
最初は「母親の病気を治す」という願いを考えていた。でもそれじゃダメだ。恩を着せなければ。自分のおかげで母親は救われたのだと証明し、見直してもらって、見返さなければ。それでも母親が殴ったり突き飛ばしてくるなら考えがある。徹底抗戦だ。徹底的にやり返す。魔法少女に叶う人間は居ない。そうすれば母親は痣のできた頬をさすって後悔するだろう。自分より強い娘に逆らう意欲を失うだろう。そうすれば解決だ。そうすれば────きっと────また────…………。
しかしそうはならなかった。
────百江なぎさの
母親は惨殺された。百江なぎさの目の前で。
母親にとって、この世で一番美味しいチーズケーキを食べさせる前に。
百江なぎさは全てを失った。
これでは恩を着せることができない。これでは見直してもらうことができない。これでは見返すこともできない。これでは感謝もされない。これでは幸せな環境を取り戻すことができない。これでは大好きな母親と一緒に居ることができない。
母親は死ぬまでの間、意識があった。ただ血を流しすぎて目が見えなかった。けど耳は聴こえていた。
「なぎさ……そこにいるの? お願い、なぎさ、返事をして……返事をして、なぎさ……」
返事をして、なぎさ。返事をして、なぎさ。返事をして、なぎさ。
その言葉を、その吐息が、事切れるまで、どれだけ繰り返しただろうか。
百江なぎさは返事をしなかった。その間、彼女は何を想っていたのだろうか。
悪い感情を直感する。目の前で母親が死ぬというのに、そこには悲喜交々があった。確かに愉悦があった。
母親が完全に息を引き取ったのを見届けたあと、百江なぎさはこう言った。
「……いい気味なのです。最期になぎさの大切さに気付いても……もう……もう……遅い、のです……」
百江なぎさは母親のことが好きだった。母親もなぎさのことが好きだった。これはそういう話だ。
泣き喚く百江なぎさを抱き締めて、巴マミの家に連れ帰った。
その後、百江なぎさは悪魔契約を希望した。
願い事が無駄になった今、願い事を叶え直したいと。今度は自分の為の願いを叶えると。
────百江なぎさは
願い事は「自由でありたい」……それは“独りで生きていく立派な大人”を意味しているように思えた。
「まるで子供が背伸びしたような願いだ」
「あら、可愛らしくていいじゃない」
「アタシも気に入ったぜ。やっぱり自分の為に生きなくちゃな」
それに関する正しさは人それぞれだ。
だからこそ、彼女が無理をしているのではないかと、悪魔は日々心配になる。
†