アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
浴室から出てきた悪魔はバスローブを着ていた。
その姿を見た黒江は、心臓がキュッと縮み上がって緊張する。
「……どうする? 悪魔契約、それでも受けるか?」
「…………」
黒江は俯く。そこで悪魔の両手に装着されているリングのことを思い出し、それを見つめた。
「……そのリングは、魔法少女のソウルジェムだったんですね……」
「あぁ。悪魔契約・第二書の産物だな。────まったく……三人の女の子を救うはずが、いつの間にか六人の命を背負っちまってる。こんな状態じゃ死んでも死にきれねぇ。……絶対に死ねないし、死にづれぇよ」
(……三人の、女の子……?)
悪魔はダブルベッドに移動する。そこでバスローブを脱いだ。
「────ッ!?」
「悪いな。傷だらけで」
悪魔の裸。それを目にした黒江は二つの意味で驚いて恐怖した。男性の全裸を目にして羞恥心に苛まれたのもそうだが……そんなことより問題なのは、その傷痕だらけの体である。肩部の咬み傷、手足の火傷、両腕の擦り傷、胸部の刺し傷と弾痕、腹部の裂傷、背中の爪痕、両脚の刀痕など……それは古傷から生傷まで。死闘に次ぐ死闘をくぐり抜けた激闘の残痕が、悪魔という人間が歩んだ戦場の出来事を物静かに語っていた。
「な……なんで、そんな……」
「見苦しいなら幻術で隠す。と言いたいが、今は魔力が足りない。少し魔力を譲渡してくれれば隠せるが……」
「…………」
「……黒江?」
驚愕の瞳で目を離せないでいた黒江は、もうひとつの事実に気付く。
それは
「……すごい、ガリガリですね……」
「あぁ。これか。実は週に一度しか食事を摂っていないんだ」
「……え?」
「栄養は魔力で補っているから問題ない。筋肉も増殖の性質を持つ魔力で補っている」
「……なんで……そんなことを……?」
「細胞分裂回数を抑えて長生きするためだ。……それより儀式に入ろう。さっさと脱いでベッドに入れ」
「────!」
一瞬ためらった黒江だが、やがて意を決して椅子から立ち上がる。
「おいキュゥべえ。ちょっと席を外してくれ」
「それは出来ない相談だ。いつも言っているだろう。ボクは君を監視するために普段の任務から外されて、ここに派遣されているんだ。その役目を放棄することはできない」
「淫獣が」
「それは心外だな。興味のない人間の交尾をわざわざ見ていなければならないボクの身にもなっておくれよ」
そこで黒江が驚いた。
「えっ……ま、まさかキュゥべえに見られながら、その……するんですか……?」
「何か問題あるかい?」
キュゥべえは首をかしげる。それに悪魔は声を張って言い返した。
「大アリだ。人間には羞恥心という感情があることくらい理解しているだろう。譲歩してくれ」
「譲歩だって? ……ふむ。仕方ない。分かった。なら距離を取るよ。遠い壁際から見ているだけなら問題ないだろう?」
「大アリだ。この部屋から出て行け」
「なんだい。そっちこそ譲歩してくれよ。ボクには大事な仕事があると言ったろう」
「なら曲がり角の先にいろ。オレたちの視界に入るな。それがこちらの最大限の譲歩だ。あと音を出すなよ。それと緊急事態以外は話し掛けてくるな」
「うーむ……わかったよ。まったく、君はいつもボクをそばに侍らせるくせに、こういう時は強く突き放す……基準が理解できないよ」
「だったらもっと人間の羞恥心について勉強しろ。わけがわからないままで済ませるなイン……キュゥべえ」
「済ませてなんていないよ。ちゃんと分析して理解しているとも。その上でわけがわからないんだ」
「だろうな。こちらも完全なる相互理解は求めていない。だが此方の要求は呑むべきだ。いつも言っているだろう?
「……ふむ。君のその発言は、いつも不可解だ……」
────地球の代わりはいる。だがその認識が地球の代わりを無くす。
魔法少女やインキュベーターの真実を知らない黒江の手前、主語を外して口にしたセリフ。それは悪魔がキュゥべえに対して、普段から飽きるほど口を酸っぱくして言い続けているセリフである。しかしキュゥべえは、その言葉の意味を理解できていない。悪魔もわざと詳細は伏せている。そしてもし、この言葉の意味を真にキュゥべえが理解できた時……おそらく人類とインキュベーターの関係性は劇的な変化を迎えていることだろう。
一方、悪魔とキュゥべえの口喧嘩を戸惑いつつ見守っていた黒江は、最後の悪魔のセリフに並々ならぬ憎悪が込められていることをなんとなく察した。それほど悪魔の顔つきは険しく、今にもキュゥべえを殺してしまいかねない気配が隠されることなく放たれていたのだ。しかし黒江は、なぜ悪魔がキュゥべえに対して、それほどの怒りを抱いているのか理解できない。
ただ推し量れることは、二人の間にはきっと何かがあったということだけである。
「…………っ」
キュゥべえがドア近くの廊下に移動して視界から消えたことを確認した黒江は、制服の上着を脱ぎ、白いTシャツをあらわにする。みるみる紅潮していく顔色。対する悪魔は腕を組んで佇立していたが、あるところで目を閉じる。彼なりの配慮である。
「……ところで、黒江。避妊については聞かなくていいのか?」
「あっ……そうですね。それについては、どうするんですか?」
「分解の性質を持つ魔力によって、オレの精子の機能を喪失させる。その方法で構わないか?」
「えっと……はい。……そうすれば、妊娠する心配はないんですよね……?」
「あぁ。約束する」
衣擦れの音。シーツが擦れる音。
「…………、…………、……。────もう、目を開けてもいいですよ……」
悪魔は目を開けると、そこにはシーツで裸を隠した黒江が立っていた。彼女は膝から順にダブルベッドへ乗り上げて、悪魔の視線に生肌が入らないよう細心の注意を払いつつ、枕元に辿り着く。そしてゆっくりと寝そべり、仰向けになって、鼻の上までシーツで隠した。額が熱いのか、血流が良くなったのか、ほのかにおでこの赤みが増していく。
「────」
悪魔は額に炎を灯す。そしてダブルベッドに這い上がり、シーツを挟んだ黒江の体へ覆いかぶさるように寝そべった。
「……っ」
「安心しろ。この炎は魔力のイメージだ。熱くないし、燃え移らない」
「……そういうことじゃ、なくて……」
ただし攻撃に使おうと思えば、熱くなるし物体に燃え移る。しかしあえてそれを言う必要もない。無駄に怖がらせるだけである。
「怖いなら目を瞑れ。次に何をしてほしいのか教えてほしいなら頷け」
「……っ……」
黒江はうなずいた。
「唇へキスをする。悪魔の口付けだ。魔女の口付けとは異なり、叛逆魔法を他者に掛けるために必要な儀式だ」
悪魔の口付け。それは口付けした部位によって、対象者にもたらす効果が異なる魔法である。唇へのキスは“愛の証明”を意味しており、その効果は恋愛証明。悪魔契約には必須と言える魔法である。
「んむっ……!!」
「おい。唇を丸めたらキスにならないだろう」
「……っ。だ、だって……これ、ちょっと、やっぱ、恥ずかし……」
「いまさら何を言ってるんだ」
黒江の体は震えている。それは怯えに近い。
「────まぁ……そうだよな。普通は嫌だし怖い。よく知らない男と寝るなんて地獄だろう。それが当然の反応だ。本当はもっと時間を掛けるべきなんだ」
「……じゃあ、なんで急かすんですか……明日には、次の街に行っているかもしれないとか……」
「……それはオレに目的があるからだ。オレは別に、黒江みたいな魔法少女を救うために旅をしているわけじゃない。ただ救える力を持っているから、縁があればこうして手を差し伸べるだけで……本当は自分の目的のために生き急ぎたい」
「……それって、ノブレス・オブリージュ……とかいうやつですか?」
「ん? ……そんな殊勝なもんじゃない。ただ……初めて黒江と出会った時、
「────っ!」
黒江の瞳が潤み出す。それは屈辱に近い涙だった。
「……どうして泣き出す? 怖いというより……悔しがってるのか?」
「っ……な、泣いてません……!」
黒江の声は震えていた。
「……あの、時間が、無いんですよね……」
「あぁ。仲良くなる時間が用意できない」
「……なら、せめて話しましょう。私、もっと悪魔さんのことが知りたいです。せめて、せめて友達になれば……よく知らない男の人じゃ、ないですから……」
「…………そうだな」
悪魔は接近する。黒江と顔の距離が近くなる。
「オレの目的は、ある固有魔法を手にすることだ」
「……固有魔法? それは……何か貴重なものとか?」
「いや、レア度で言ったらそうでもない。ただ、ある程度の質の高さが必要なんだ。派生魔法や修得魔法では、固有魔法と比べて初期性能が落ちる。魔力係数が高い魔法少女の固有魔法でないと、オレの魔法は完成しない」
「……それで、その魔法とは?」
「────秘密だ」
ちょっと意地悪な顔をして、悪魔はからかってみた。
「ちょ……今のは教えてくれる流れだったじゃないですか……お互いを知るために話しているのに……」
「悪い。だが掛け合いは増やした方がいいと思ってな。それで、オレの探し物はなんだと思う?」
「……ヒントをください。でなきゃ当てられません」
「そうだな。うーん……ヒントは……何かを仕分けるために必要だ」
「仕分ける? ……整理の魔法、とか?」
「ブー。では第二ヒント。……オレは箱を作りたい」
「箱……箱? 箱……箱……はこ……」
「……ブー。時間切れ。では第三ヒント。オレは熱力学第二法則を破ろうとしている」
「……熱力学……なんです?」
「簡単に言い換えれば、オレは永久機関を作ろうとしている。そのためには何かを閉じ込めるモノが必要なんだ」
「……封印魔法?」
「惜しい。オレは実物が欲しいんだ。封印魔法だと霊的なものが多い」
「……もっとヒントをください」
「では最終ヒント。もうほぼ答えだ。それは……魔女が住んでいるところ」
「……魔女が住んでいるところ……って、もしかして御伽噺の魔女とかではなく……」
「あぁ。黒江がよく知っている魔女だ」
「────」
そこで黒江は、ようやく閃いた。
「────結界魔法?」
「正解。ご褒美に鼻と頬へのキスを贈呈しよう」
「え。ちょ、まっ────!?」
悪魔の唇が、黒江の鼻先とほっぺに柔らかく触れる。冷たい。あったかい。くすぐったい。黒江は赤面して硬直する。ちなみに鼻へのキスは“庇護”を意味しており、頬へのキスは“慈愛と嗟嘆”を意味している。
「……まぁ、魔女結界でも代用は可能だ。ただ襲って来る魔女が厄介だから、普通の結界魔法が欲しいんだ」
「っ~! ……そ、それで、結界魔法の使い手は、もう見当ついているんですか?」
「あぁ。キュゥべえに聞けば一発だ。最近、強力な結界魔法の使い手が神浜市という場所で確認された。明日にもそこへ行くつもりだ」
「隣町ですね。でもあんな大都市で、一人の魔法少女を見つけられるんですか……?」
「オレの目的はキュゥべえも協力的だから、すぐに見つかるはずだ。仮に問題があっても、なんとか見つけ出すさ」
「……見つけたら、どうするんですか?」
「オレの計画を説明して協力してもらう。おそらくそれが一番大変だろうな……できれば悪魔契約・第二書を結びたいんだが……普通なら全力で断られる」
「そうですね……それは難題です……。でも悪魔さん」
「?」
「その結界魔法で、何をするつもりなんですか?」
「────それは秘密だ」
「えっ。またですか……」
「というか、答えはもう言っている。それより……もうそろそろ慣れてきたんじゃないか?」
悪魔はぐいっと顔を近付ける。突然の急接近に目を見開いた黒江は、悪魔のまっすぐな目を見つめ返すことも逸らすこともできず、右往左往と目が泳ぐ。
「っ……」
「さて、意地悪はこの辺にして。まずは頭髪へキスをする。理由は契約のために必要な魔力を黒江から分けてもらうためだ」
頭髪へのキスは“愛情”を意味しており、その主な効果は魔力吸収。
サラサラとした黒い髪。それを指でさらった悪魔は魔法の口付けを交わす。
「……っ!?」
「まだ恥ずかしがるか。オレはもう吹っ切れたぞ?」
「ず、ずるいです……鉄橋の下では、あんなに顔を真っ赤にしていたのに……なんで今は、ちょっとノリノリなんですか……キモいですっ」
「ははっ。たしかになんでだろうな。まぁ初対面の女の子と関係を持とうと告白する側にもなってくれ、という感じなのかな」
「それなら、自分の切実な願いのために初対面の男の人と寝なければならない側にもなってください……という感じです」
「それなら黒江。一つ提案がある。オレは魅了の魔法を持っている。邪道だが、その魔法に掛かれば少しは乗り気になれる。どうする?」
「……そんなのがあるなら、いっそのこと掛けてほしいです……けど……それって、なんか……いいんですか……?」
「……? どういう意味だ?」
「いや、その……魅了魔法って、つまり私をメロメロにするって、ことですよね……? そんなウソっぱちの愛情で、愛の誓い……悪魔契約は遂行できるんでしょうか……?」
「ほう。いい着眼点だ。やっぱり女の子はそういうところが鋭いな。ロマンチストだ」
悪魔は頭を撫でる。それに黒江はびくりとして、シーツの中に逃げ隠れようとした。
「か、からかわないでください……でも、いい着眼点ってことは……」
「あぁ。魅了の魔法を使ってしまうと、悪魔契約の発動まで時間が掛かる。すると何がどうなるのか。互いの精力が尽き果てるまで抱き合っても、愛の誓いが証明されず、悪魔契約が発動しない可能性が出てくる」
「……なるほど。そんなデメリットが……じゃあ、もしそうなったら……」
「時を置くか、日を改めて、また抱き合う必要がある」
「嫌です。一発成功でお願いします」
「そう言うと思った。じゃあ耳への口付けは無しだな」
耳へのキスは“誘惑”を意味しており、その主な効果は魅了や快楽である。
「……なぁ黒江。このままだと夜が明けるぞ?」
「っ……そ、そんなこと言うなら、もっとリードしてくださいよ……」
「なんだ。強引にやっても良かったのか?」
「そ、そうは言ってません……!」
それならと、悪魔はシーツに手を掛けた。
†