アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
夕方の河川敷。ジョギングする老若男女、草野球の掛け声が飛ぶ。
学校が終わって帰路に就く黒江は、前方から整った顔立ちの外国人が歩いてくるのを目にする。
(誰だろう……この辺じゃ見かけない人だな。観光の人かな?)
だが特に興味はない。ただ顔立ちが端正だったから目に付いただけだ。視線を行き先に向けてすれ違う。
「黒江殿……ですね?」
黒江は数歩進んだあと、息を呑んで立ち止まる。
「……え?」
思わず振り返る。なぜ自分の名を知っているのか。呼んだのか。誰なのか。
「失礼いたした。拙者はバジルと申します。沢田殿……いえ、悪魔殿を捜しているのですが、今どこに居られるのか教えてくれると嬉しいでござる」
拙者。殿。ござる。なんとも古臭い言葉で喋る金髪青目の美少年を見て、黒江は困惑する。
「……あ、えっと……」
悪魔の所在。そんなもの知らない。ただそれを聞かれて思い出す。
(たしか神浜市に行くと言っていたような……でも、このよく分からない人にそんなこと教えてもいいのかな……)
黒江は訝しむ。それを察したバジルは事情を説明した。
「怪しまれるのも当然でござる。実は拙者、親方様からの命令で悪魔殿に助力するよう命ぜられているのですが、悪魔殿は優しい人柄ゆえ拙者を巻き込むまいと助力を頑なに拒み、いつも拙者を置いて次の街へ飛んでいってしまうのでござる。そうしてかれこれ一年の月日が流れており……今も追いかけっこのいたちごっこを繰り返している真っ只中なんです」
「……はぁ……」
「それで……黒江殿は
「────えっ!?」
悪魔契約。黒江にとってその言葉は“魔法少女を辞められる魔法”であると同時に“肉体関係を結んだ暗喩”であることを強く意識している。つまり彼女にとって悪魔契約の有無を聞かれることは、突然見知らぬ人から「エッチなことしたんですね?」と聞かれることと同義なのだ。
赤面する黒江は、その時点で答えも同然だと思い至り、俯いて背を向けて早歩きで帰る。
「あっ……! 黒江殿?!」
「悪魔なんて人は知らないです。ついてこないでください」
†
夜。自室で勉強を終えた黒江は溜息をつき、疲れた様子で背中からベッドに倒れる。
「はぁ……」
ふと脳裏をよぎるは先刻の美少年。たしかバジルと名乗った悪魔の友人らしき存在。
(……バジルさんには悪いけど、もう魔法少女の世界には関わりたくない……)
黒江は就寝準備に入る。そのとき窓からコンコンと音が鳴った。
(────え?)
窓はカーテンで覆われている。おそるおそる窓から距離を取ると、不意にくぐもった声が響いた。
「黒江殿。こんなところまで申し訳ございません」
「……!?」
「拙者はどうしても悪魔殿の下に馳せ参じたいのでござる。どうか、どうか教えていただけてはもらえないでござろうか……」
「…………」
そのために家の屋根を登って窓の外まで来たと。なんという行動力だろうかと呆れた黒江は、こんなことされては身が持たないためカーテンを開き、窓を開け、正直に告げることにした。
「悪魔さんなら神浜市に向かうと言ってた」
「……! おお、黒江殿! ありがとうでござる! この恩はいつか必ずや!」
「いや……もう来なければそれでいいから……」
黒江は重いため息をつく。
その時だった。不意にゆらりとふらついたバジルは片膝をつき、口の中でガキッと飴玉を砕いたような音が鳴る。そして額から炎を──悪魔のような炎を、しかし色はオレンジではなくブルーを──灯したバジルは、その炎を手に移して首筋を焼き始めた。
「えっ……!? な、何してるの……!!」
「────、……っ」
正気を取り戻したバジルは苦い顔で痛みに耐える。
そして腰に提げた武器・ブーメランを取り出して臨戦態勢に入った。
「魔女の口づけでござる。すぐに死ぬ気の炎で焼き、浄化したから問題ないでござるが、危うく操られるところだった……」
「────!」
魔女。その名を耳にした黒江の全身が恐怖のあまり硬直する。
「黒江殿は問題ないでござるか? ……あ、額に悪魔殿の口づけが浮かび上がっているでござる。魔女避けの印を受けたのでござるね。ではすぐに戸締りをしっかりと。拙者は魔女退治に向かうでござる」
黒江の額に浮かび上がる紋様は、魔女の口づけを拒絶しているのか明滅している。
対するバジルは颯爽と飛び降り、周囲を警戒……というよりも見回していた。
(魔女……でも私には関係のないこと……きっとほかの誰かがなんとかしてくれる……だから私には関係ない……っ!)
自らの体を抱くように縮こまって膝をついた黒江は震えている。
そこで近隣住民が夜遅くだというのに次々と玄関から出てきて、虚ろな瞳でどこかへ向かい出す。
(みんな……魔女に操られているの……? どうしよう……このままじゃみんな……でも私にはもう戦える手段が……)
そこで黒江は目を疑う。自宅の玄関が開いて光が漏れる。まさかと思った時には止めるのが遅かった。ふらふらと生気のない顔で黒江の母親と父親、そして兄が出て行く光景を目にする。家族の首筋には魔女の口づけ。
「────ッ!!」
脱兎のごとく駆け出した黒江はタオルを巻いて階段を駆け下り、廊下を走って玄関の扉を体当りするように開ける。
「待って! お母さん! お父さん! お兄ちゃん! 行っちゃダメーッ!!」
母の腕を取り、父の腕を取り、なんとか引っ張って食い止める。両親は引っ張られる腕を振りほどこうとはしないが、その代わり前へ前へと進もうとする。その間に兄は集団に紛れて先へ行ってしまう。
(ど、どうしよう……どうしよう……! どうすれば……っ!)
次の瞬間、早業の手刀が繰り出された。
バタバタと倒れた黒江の両親。その傍らにはバジルが立っていた。
「しばらく気絶するだけなので大丈夫でござる。さ、早く家の中に運び入れて」
「……! で、でも……まだお兄ちゃんが……」
「むっ。では急いで追いかけるでござるよ!」
ふと周囲を見れば、黒江の両親と同じように近隣住民の人々が手刀で気絶させられていた。それでも全員を気絶させるには時間が掛かったのか、ほんの数人が魔女に操られて去ってしまった。
駆け出すバジル。そのあとを追うように走り出す黒江。すぐに魔女の口づけに操られる集団を発見したが、バジルは物陰に隠れて様子を窺う。そこに追いついた黒江は何をしているのかと問いかけた。
「はぁ、はぁ……な、なんで……隠れてるんですか……?」
「拙者は魔女の居所を掴むことができません。なのでこうして様子を窺っているのでござる」
「えっ……それって、つまり……」
「彼らには申し訳ないでござるが、必ず助ける。しばらくの辛抱でござる」
バジルは傀儡集団の尾行を開始。その後ろに黒江も付いていこうとしたが、なぜか足が動かない。
(っ……な、なんで……なんで、足が……)
────怖い。数日前まで常に感じていた恐怖が克明に蘇る。
それはなぜか。今の会話で気付いてしまったからだ。
傀儡集団を見守るように魔女の使い魔らしき存在が前方に立つ。
その傍らを
(あの人は魔女と使い魔が
魔女の口づけを受けた人だけを助ければいい。なんて、事はそう単純じゃない。魔女の食事を邪魔すれば当然、魔女とその使い魔は怒って襲ってくる。最悪、魔女結界に囚われて閉じ込められる。魔女や使い魔の姿が見えない人間が、その状態で生き残れるはずがない。ましてや勝つなんてありえない。いったい彼は何を考えているのか。
────バジルは戦闘で役に立たない。
それは元魔法少女の目から見て明らかな事実だった。故に足が止まる。少しは頼りになる存在と思っていたが、その実、絶望的なことをしようとしていた。そして黒江は自らの醜悪さに気付く。魔女戦闘は全てバジルに託し、自分は兄だけでも助けて逃げようとしていた。
(だって……だって、しょうがないじゃん……私は戦えない……だから……)
魔女の使い魔が消え去る。途端、全身が脱力した。もはや何に縋っているのかも分からない思いで歩き出し、徐々にスピードが上がって息せき切って走り出す。それは強迫観念に近い衝動だった。
(それでも……この事態をなんとかできるかもしれないのは、私だけ……お兄ちゃんだけなら、一人だけなら、魔女も許してくれるかもしれない……)
────じゃあほかの人は?
過去の幻影がまとわりつく。白いフードを着た少女が黒江の罪を指摘し、死地へ追いやろうとする。
(それは……だって、どうしようもないじゃん……っ!)
やがて廃工場に辿り着いた。バジルの姿を見つけた黒江は足音を立てず背後に接近。彼が覗き込む工場の中を見渡す。
(……! お兄ちゃん……!)
そこには黒江の兄がいてバケツを持っていた。数種類の液体洗剤を持つ人々も集まってきている。
「まずい……! あれは親方様が教えてくれた、混ぜるな危険の代物……!」
バジルは飛び出してブーメランを投擲。洗剤の容器を切り飛ばし、バケツすら両断する。旋回して戻ってくるブーメランをキャッチしたバジルは、不意に屋根の上から気配を感じて身を隠す。
穴が空いた屋根から二人組の魔法少女が舞い降りる。かたや白いフードを被った魔法少女、かたや初めて見る魔法少女。そのうち一人には見覚えがあった。白いフードの方は、かつて黒江が見捨てた新米魔法少女だ。
(あの子は、もしかして……! 顔はあまり良く覚えてないけど、たぶんきっとそうだ……よかった、生きてたんだ……)
────ふつふつと罪悪感が降り積もる。
かつて新米魔法少女が魔女の戦いで苦戦していた。やっとの思いで倒したが、充分に成長して魔女になっていない、ただの巨大な使い魔だったのかグリーフシードを落とさず、その新米魔法少女のソウルジェムは半分ほど濁りが溜まっていた。そんなところで顔を合わせた黒江は、申し訳なさそうにグリーフシードの手持ちがあるかと聞かれた時、自分も余裕がないことから懐のグリーフシードを隠して「ない」と嘘をついた。それきり彼女とは合わずじまい。
(あの時のことを謝りたい……でも、魔法少女の運命から逃げ出した私を見たら、彼女はどう思うだろう……悪魔契約のことは、悪魔さんから他言無用だと言われた……やっぱり、ここで顔を合わせるのは色々とまずい気がする……)
黒江は距離を取って物陰に身を隠す。バジルの位置では魔女結界の展開に巻き込まれると判断したからだ。そして予想通り、廃工場の中の空間が歪む。咄嗟に駆け出したバジルと、魔女の口づけを受けた人々、二人組の魔法少女が忽然と消え去る。魔女結界に囚われたのだ。
それを物陰から見ていた黒江は両手を握って祈りを捧げる。兄の無事を。みんなの無事を。
何も出来ない自分を赦してほしいと、ギュッと目を閉じて泣くように祈り続けた。
†
数分後。廃工場内の空間位相が元に戻る。まとまって気絶している人々。その傍らにバジルが屈み込む。どうやら二人組の魔法少女が魔女と戦っている間、バジルは一般人を食べようとする使い魔を撃退していたようだ。
「……?」
そこで黒江は不思議なものを目にした。廃工場の夜空に陰る満月。その手前に長い髪をなびかせる美しい少女が立っている。その額には角が生えており、その手には棍棒を携えて、まるで“鬼”のような眼光で廃工場の中を睨んでいる。
(──……っ!)
本能的な身震い。それは小動物が肉食動物を目にして覚える極度のストレスに似ている。
アレはヤバイ。何かがマズイ。黒江の防衛本能が警鐘を鳴らす。アレは決して関わってはいけない存在だと。
廃工場の屋根から飛び降りた“鬼”は棍棒を一閃。轟々と光って鳴り響く
「ひっ────!?」
悲鳴に次ぐ怒号。口論とは思えない絶叫がこだまする。白いフードの魔法少女が逃げるように廃工場を飛び出した。次の瞬間、そのフードを掴んだ“鬼”は、容赦なく棍棒を頭蓋に叩きつけて息の根を止める。謝りたかった彼女の顔は、割れたスイカのように。鮮血を浴びてなおも黄金のように輝く“鬼”は口角を引き攣り、死体の手から固く握り締めていたグリーフシードを奪い取った。
「な────なにを────何をしているんだ、お前はぁっ!!」
温厚な性格のバジルからは想像だにできない激しい怒号が飛ぶ。
「《
バジルは全身に雨の炎を纏って突貫する。しかし生物の中で圧倒的な頂きに座す“鬼”にとって、たかが低級超戦士の全身全霊を込めた一撃は痛くも痒くもない。雷光を纏う棍棒の振り払いで片腕を殴られたバジルは苦悶の声を上げて吹き飛ばされ、隣の廃工場の壁に激突。ガラガラと音を立てて崩壊するガレキの中に埋もれてしまう。
(────、……な……何が……何が、起きてるの……?)
背中が冷たい。汗が止まらない。鼓動がうるさい。呼吸が荒い。視界が霞む。涙が止まらない。圧倒的な恐怖。それ以外に形容のしようがない激情。生存本能はとにかく息を潜めることを、喉を絞ることで推奨する。
「ぐっ……!」
「あなた、魔法少女じゃないわねぇ……端正な顔立ちだから一瞬、女かと見間違えたわぁ……」
頭から血を流し、片腕があらぬ方向に曲がっているバジルは、それでも立ち上がる。
「……額から青い炎を出しているなんて、変わった趣向ねぇ……」
「き、貴様……なぜ、あの子たちを殺した……ッ!!」
「……そんなの、グリーフシードが欲しかったからに決まっているじゃない……見て、もうこんなに穢れが蓄積している……危なかったのよぉ……危うく魔女化するところだったわぁ……」
「っ……! だからって、殺すなんて……!」
“鬼”は煩わしそうに睨む。彼女に人間的な情を訴えかけるのは無謀だ。あまりにも冷たい視線で射抜かれたバジルは血の気が引く。だが恐怖に抗おうとブーメランを固く握り締めたバジルは、片腕が折れているにも関わらず腰を落として戦闘態勢を取る。
(そんな……! このままじゃ殺されるのに……なんで……っ!?)
殺されるからこそ抗うのだ。バジルは逃走の手立てを思索する。だが幾通りもの作戦を考えた末で無理だと悟る。魔法少女の運動能力から逃げ切ることは至難の業だ。それでも諦めることなぞできない。自分には任務がある。それを遂行するまで死んでも死にきれない。
「……なぜ私があなたを生かしているのか……わかるかしらぁ……?」
「……?」
「悪魔はどこにいるの」
「────!」
「知っているんでしょう? 今、悪魔が、どこにいるのかぁ……。魔法少女の世界に男子が足を踏み入れるなんて、そうそうないことよぉ……それで、その反応……やっぱり彼のことを知っているのねぇ……額から炎を出す辺り、絶対に関わりがあると思ったわぁ……グリーフシードを求めるだけのつもりが、まさかの収穫ねぇ……」
「ぐっ……! な、なぜ、おぬしが、その名を……!」
「答えなさい。でなきゃ……たとえ情報を引き出せなくても殺すわぁ……あなたが死んだと知ったら、悪魔はなんて顔をするのかしらねぇ……」
月光を浴びた妖艶な鬼は、薄気味悪い笑みを浮かべる。そして自らのソウルジェムをグリーフシードで浄化した鬼は、いよいよバジルに向かって歩きだした。
「っ……!」
戦慄が場を支配する。誰も動けない。鬼以外は棒立ちで狩られる存在でしかない。
その中でただ一人、頭をカチ割られたはずの白い魔法少女はソウルジェムに魔力を回して頭部の損傷を回復していたのか、血だらけの体を引きずって這い蹲り、鬼の足首を弱々しく掴んだ。
「……?」
「かえ、して……わた、しは……もらって、ばかり……」
「…………」
「ハイちゃん、から、わけて、もらえて、いな、かったら……ハイ、ちゃんが、いっしょに、たたかって、くれ、なかった、ら……きっと、わたしは、いまごろ……だか、ら……」
「……グリーフシードを返してほしいって? 恩返しをしたいって? 残念ね。ソウルジェムが砕かれた魔法少女は死んじゃうのよぉ……そのハイちゃんという子は、首を切り飛ばされたショックでソウルジェムが割れたわぁ……でもあなたは生き汚いのねぇ……女の子がしちゃいけない顔の造形になっても、恩返しのために生き足掻くなんて……とても素敵なことだと思うわぁ……だから、あなたが好きな子のところに、すぐ行かせてあげる……」
「────ッ! 待て、やめろ────!!」
バジルの静止の声より早く奮われた棍棒は一切の躊躇なく、白い魔法少女の頭部を叩き潰した。
「────」
しかし死を理解する前に頭部を破壊されて思考が停止した影響か、ソウルジェムが割れることはなかった。それを見つけた鬼は、もう一度棍棒を奮ってソウルジェムを壊そうとする。
「《
膨大な青い炎を纏うブーメランの投擲。それを魔力を込めた掌で軽々と弾き飛ばした鬼は、
「────ッ!?」
ブーメランの影に仕込まれていた二本のブーメランの存在に気付かず、胴体を両断された。
(──やった……!?)
「くっ……!」
黒江の歓喜に対して、バジルは失態の悲痛を表情に浮かべる。
「残像よぉ……」
「ぐぁあああ!?」
黄色の魔力。活性効果。脚力を活性化させたのか残像ができるほどの速さでバジルの背後に回っていた鬼は、その頭を鷲掴んで何度も何度もアスファルトの地面に叩きつける。飛び散る血糊。弾ける歯。
「さぁ! 吐きなさい! 悪魔は今どこにいるの!? 吐け! 吐けぇ!!」
蹴り飛ばされたバジルは宙を舞い、跳躍した鬼の棍棒の一撃を受けて地面に叩き付けられる。
「ガハッ……!!?」
ゴポッと泡が立つような音が出てバジルは血を吐き出す。鬼は腹部を踏みつけてねじ切るように足を回し、じろりと足元に転がるソウルジェムを見つけた。それは白い魔法少女の魂の結晶。
「答えなさい。でなきゃコレを割るわぁ……」
「ぐぅっ……! お、教えてなるものか……拙者は、沢田殿を裏切ら────ガァアアアア!!?」
パリン、と割れる。人質としての価値がないと判断した瞬間、鬼は情け容赦なくソウルジェムを踏み割った。
「魔力が回転していた……とことん生き汚いのねぇ……どこかの悪魔に似ているわぁ……しぶとくて、あざとくて、憎らしい……起きてこられたら面倒だから殺したわぁ……人質の価値もないと分かったし……さて、気分はどうかしらぁ……」
「ぐっ……うっ……すまぬ……すまぬ……ッ!!」
バジルは助けられなかった白い魔法少女に謝罪する。
刹那、その頭に拳骨を入れて気絶させた鬼は、額から炎が消えたバジルを肩に抱えて
(──っッッ!!!?)
死。死。死ぬ。予感するは死の気配。
黒江が隠れている物陰の近く。そこに転がる魔法少女の生首を踏み潰した鬼の顔は暗くて見えない。見ることができない。もう吐き出そうだ。血の臭いが鼻の奥を突き刺して脳裏を抉る。必死に鼻と口を抑えて息を潜めるが、もう我慢ができない。
「…………どうして、こんなところに隠れているのかしらぁ……魔女の口づけを受けたのなら、廃工場の中で眠っていないとおかしいんじゃない……?」
(…………っ! おねがい……たすけて……だれか……!!)
「……魔力パターンは感じない。普通の人間……あるいは、
(────っッ!!)
「……ふふっ。あなたは悪魔契約を受けたのねぇ……なんでかしらぁ。なんでなのかしらぁ……二木市ではあれだけ拒んでいたのに……そこから逃げ出した数日後には普通に契約するとか……ちょっと節操ないんじゃない……? 悪魔ぁ……」
途端、なんの前兆もなく。
血に濡れた赤い腕が物陰に突っ込み、黒い髪を引きちぎるような勢いで黒江を引きずり出した。
「ひっ────いやぁあああああ!!?」
「ハエがうるさいわねぇ……さぁ教えなさい。悪魔はどこにいるのかしらぁ……?」
「ご、ごめんなさい! わ、わた、わたしは────」
爪を立てた平手打ちが黒江の頬を抉る。頭髪の付け根がジンジンと腫れ上がるように激痛。膝蹴りで腹を殴られて、そのままコンクリートの柱に顔を叩き付けられる。
「ぐっ……がはっ……ぎゃっ!!」
「ハエは言葉がわからないのかしらぁ……余計なことは言わず、さっさと教えなさぁい……」
「あ、ガッ……か、かみ、はま……」
「……? もっとハッキリと」
「────神浜、です……おねがい、たすけて、ください……っ!!」
鬼の腕から解放される。既に過呼吸に陥っていた黒江は視界が明滅する。生きた心地を幾度も確かめる為に痛みを忘我して目が回る。
「……騒がしくなってきたわねぇ……」
鬼はバジルを担いだまま跳び上がり、夜の闇に消えていく。そのときバジルの懐から小さな箱が物陰に転がり落ちた。
廃工場から人が出てくる。甲高い悲鳴。きっと首のない少女の死体を見つけたのだろう。
(────か、かく……かくれ、なきゃ……)
どうして隠れようとしたのか、その理由は分からない。ただ逃げなければと思ったのだ。
────何から? 罪から? 罰から? 命の恩人の居場所を吐いてしまった罪悪感から?
満身創痍の黒江は物陰に向かって身を投げるように転がる。死角となっているこの場所なら誰にも見つかることはない。災害のごとし鬼も去った。命があることを実感した黒江は目頭が熱くなり、かぼそい声ですするように泣き出す。
(なんで、こんな目に……ほっぺが痛い……ジンジンする……髪を引っ張られたから頭の付け根が痛い……蹴られたお腹も痛い……うまく、息ができない……怖くて、体が動かない……心臓が、ギュッとして痛い……)
魔法少女なら、魔力を回すだけで治った傷。痛覚を遮断するだけで味わうことがなかった苦痛。
(これが……生きてるって、ことなんだ……)
久しぶりに思い出した生の実感。身も心も生きるとはどういうことかをすっかり忘れていた。
(そうだ……普通の人間は、殴られただけで死ぬんだ……蹴られただけで痛いし、息ができないだけで辛い……でも魔法少女なら、そんなことじゃ痛みも感じないし……窒息もしない……あ、ははっ……これじゃ、どっちがマシか、わかんないや……)
黒江はおかしそうに笑うと、そのまま眠りに就くように、首をこてりと傾げて意識を失った。
†