アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
天使の階段。雨音。アスファルトの香ばしい匂いが鼻につく。雑踏。パトカーのサイレン。
自分が目を覚ましたことに気付くまで数秒。黒江は背中が痛いことに気付いて、死んだような目で冷たい地面をまさぐる。手についたのは一つの小箱。バジルの懐から転がり落ちた謎の
黒江は物陰に隠れている。夜の暗がりでどういう場所か分からなかったが、朝雲を突き抜ける薄明かりで分かった。鬱蒼と生い茂る背の高い雑草に隠された、もう使われていない排水溝だ。虫が多く棲んでいそうな場所だから早く脱出したいが、もはや虫なんてどうでもよくなるくらいの心地でもあった。
(外は人が多い……たぶんおまわりさんだ……出て行ったら事情聴取とか受けるんだろうな……病院には行きたいけど面倒だ……このまま排水溝を進んでいけば裏手に出られるかもしれない……とにかく今は物音を立てず、ゆっくりと進もう……)
痛む体を堪えて身を起こし、バジルの小箱を腰に取り付ける。そのままハイハイするように排水溝を伝っていき、左に曲がり、進み、また左に曲がると、ぴたりと人の気配がなくなった。雑草から顔を出すと、眼前には傾斜の高い小山と雑木林。
(ここ……北町の山林だ……昔、家族でピクニックに行ったな……途中まで登れば山道に着くはずだから、そのまま下山して家に帰ろう……)
ずぶ濡れの体でくしゃみ。誰かに聞かれてないかとおっかなびっくりした黒江は急いで山を登る。山道に出て石畳の階段を下りていく。途中に観光名物の大岩があることを思い出した黒江だが、そんな気分ではなく下を向いたまま歩いていく。だが、視界の端、大岩の上に────見忘れるはずもない、白い小動物を目にして我を失いかけた。寒さに震える体は、その意味合いを怒りのそれに変じさせる。なぜこのタイミングで現れた? まさか、まさか、まさかとは思うが────
「────…………なに? まさかこれも計画通りなの?」
「計画なんてしてないけど、まぁ概ね予想通りの展開かな」
黒江は苦渋に満ちた顔で歯を食いしばり、キュゥべえの赤い虚無の瞳を睨めつける。
その意気には多分な殺意が含まれていた。
「なんでよ。なんで現れるの? 予想できたのなら、なんで何もしなかったの!?」
「なぜって……止める理由がないよ。彼女たちが魔女化するなら、そのエネルギーを回収するだけさ」
「でもあの二人は死んだよ? 死んだんだよ!?」
「それでも公益にはなったさ。二人の魔法少女を殺したせいで、紅晴結菜の絶望はより深まった。そんな彼女が魔女化してごらん。今回死亡した二人のエネルギーよりも、さらに効率のいいエネルギーが回収できる」
「じゃあなに? あなたは弱小魔法少女の魔女化よりも、強い魔法少女の魔女化のために、あの子たちを見殺しにしたってこと? やっぱり悪魔だよ……キュゥべえはとんでもない悪魔だっ!!」
「…………悪魔ねぇ。君たちは決まって同じようなことを言う。先行投資という言葉を知ってるかい? ボクらにとって魔法少女の魔女化以外の死を見届けるのは、ほかの魔法少女の魔女化を見据えた投資になるんだよ」
「話が噛み合わないね……ほんと最低だよ……」
「どこがだい? 最大の利益を得られる方法じゃないか」
「命の話をしてるのっ!! 彼女たちには自分の人生があった! それをあなたは……っ!」
「……見殺しにしたと? あいにくだけどボクはそこまで万能じゃない。紅晴結菜の動向は掴みにくくてね。あの二人に警告するのが少し遅れてしまったんだ」
「遅れた? ハッ……何を……ゴキブリみたいに、どこにでも! いくらでも居るくせに……っ!!」
「……個体の死を嘆く典型的な人間の反応だね。君たちの話は要領を得ない。そんなに怒って何がしたいんだい? ボクを怒ってもどうしようもないだろうに。合理性に欠けるよ。理解に苦しむ」
「っ────!」
黒江は石畳を踏み蹴って立ち去る。
「ところで、バジリコンが落とした物を大事に抱えているけど……それ、気になっているのかい?」
「…………」
「それは拾わない方がいい。魔法少女の世界から逃げ出した君には荷が重すぎる代物だ。これは警告だよ」
「……、────」
振り返った黒江は、キュゥべえの中身を見据えるように睨みつけた。
「あなたの思惑通りにはならない。キュゥべえがそう言うなら、これはきっと大事なものなんだね。そして私に拾われたくない物なんだ。そうでしょ?」
「……」
「なんで黙るの? ははっ……本当だ。悪魔契約で悪魔さんの記憶を見ちゃったから、キュゥべえがどういう時にどういう反応を示すのか、大体わかってきちゃった……悪魔さんはすごいよ。こんな異常な価値観を持つ宇宙生物と一年間も一緒に旅をして会話して……ほんと、呆れた……」
涙を拭うように拳を押しつける黒江は、くつくつと笑ったあと踵を返して帰路に就く。
「……黒江。一応聞いておくよ。ボクと再契約する気はないかい? 今回の一件で、いかに魔法少女が死に強いか実感できただろう。確かに君は今まで弱かった。けれど再契約すれば実力は二倍以上に────」
「黙って」
「……それが君の願いかい?」
「────っ!? ちがうっ!!」
雨の森に甲高い怒号が響く。白い悪魔を相手に口を開くのは愚者の真似事だ。彼と渡り合えるほどの舌鋒がなければ自殺行為に等しい。そう理解した黒江は怒りに震える体を堪えて押し黙り、疲弊しきった足取りで小一時間の帰路に着いた。
呼び鈴を鳴らす。乱暴に開かれた扉から母親と父親が焦った形相で出てきた。バスタオル一枚、下水の汚泥だらけ、傷だらけの黒江を見て、両親は泣きながら娘を抱擁する。
「……お兄ちゃんは?」
「警察署よ。大丈夫。なんでも殺人事件の目撃者だから、お話を聞きたいんですって」
「黒江……今までどこにいたんだ? お父さんは心配で心配で……目が覚めたら、そこの道でなぜかお母さんと倒れてて……家に戻ったらお前とお兄ちゃんがいなくて……」
「……うん。ごめん。……ごめんけど、何も聞かないで……私は大丈夫だから……」
「何を言うの。この傷どうしたの?」
「その箱はなんだ?」
「……二人と同じだよ。目が覚めたら倒れてて……。どうせガス会社のガスで集団幻覚を見たとか、そういうのでしょ?」
悪魔の記憶を覗いて知ったこと。
それは大抵の魔法事件がガス会社の仕業にされていたこと。
「え? えぇ……おまわりさんは、そう言っていたけど……」
「な、なんで知ってるんだ……?」
「別に。……ねぇ、お風呂に入りたいんだけど。風邪引くかも」
「あぁ……そうね……おかえり……朝食はできてるわ……」
「おかえり、黒江……ゆっくり休むんだぞ……」
帰宅して濡れた靴を脱ぎ、衣服を絞り、渡されたタオルで髪を優しく拭き、洗面所に直行。シャワーを浴びて冷えた身体を温める。風呂から上がって母親からリビングに勧められるが、朝食を食べる気にはならず、自室に戻って着替えを済ませる。倒れるようにベッドに伏して────そのまま天国の安らぎを得たかのように、黒江の張り詰めた心はようやくの安息を得た。
†
昼頃。仮眠を取った黒江は頭痛を感じつつ起床する。ストレス性の頭痛だろう。魔法少女時代には時々あったことだ。
「…………」
黒江は机の前に立って謎の小箱を検める。箱を開くと裏側に説明書が付属しており、中身は精巧な自動機械らしきものが確認できる。説明書は外国語で記されており、スペルの特徴からイタリア語であると予想。スマホのカメラ機能を立ち上げて説明書を
「……《
黒江は説明書を読み上げる。
「砕かれたソウルジェムを加工して、死ぬ気の炎を灯すリングを作る……」
つまり魔法少女の魂のカケラを使って指輪を作成する。なんて悪趣味かと最初は思ったが、あの人の死に真剣に怒ったバジルという少年が、人骨を指輪にするような趣味を持つだろうかと訝しむ。
(そういえば悪魔さんのハーフソウルリングは、ソウルジェムを半分に分割したものだけど……あれとはまた違うみたい……)
材料は砕かれたソウルジェム。そこで黒江は二人の魔法少女の死体を思い出す。
場所は廃工場。警察によって死体は持ち去られても、ソウルジェムのカケラは残っているかもしれない。いや、警察のことだ。重要な現場の証拠として持ち去っている可能性が高い。
(それでも、あの“鬼”に激しく割られて破片が飛び散ったし……少しくらいは残っているかもしれない……)
そこで黒江は気付く。なぜ自分はリングを作ろうとしているのかと。
(……死ぬ気の炎。悪魔さんやバジルさんが使っていた不思議な炎……たしか悪魔さんの記憶では、大空・大地・大海・宇宙の四つのシリーズがあって、それぞれに特徴的な性質が基本と熟練で二つあって……波動という才能と覚悟があればリングに火を灯すことができて……)
それを使えば魔法を使えない今の自分でも、なんとか身を守れる程度の武器にはなるかもしれない。
黒江は“鬼”との遭遇で考えが変わった。平穏な日常は、ただ在るだけじゃ壊される。元魔法少女という肩書きがある以上、またああいう手合いに襲われないとも限らない。ならばせめて身を守る手段が欲しい。今のままでは象と蟻だ。何もできず踏み潰されて殺される。だが死ぬ気の炎という猛毒があれば、蟻でも象に一矢報いることはできるかもしれない。
黒江は夜を待った。黄色と黒の
その向こう側に輝ける魂のカケラが有ることを祈って。
†4月10日
草木も眠る丑三つ時。一日中降りしきる豪雨の中、一旦傘を閉じてテープの下を潜った黒江は、廃工場にやって来ていた。再び傘を差して地面をよく見る。見渡せる範囲の地面は、鑑識が全て調べ上げてしまったのか、死体の白線と血痕しか見つからない。探すなら雑草の中だ。傘を閉じて鬱蒼と生い茂る草木をかき分けることも厭わない。
「……君は、自分が何をやろうとしているのか分かっているのかい?」
雨の音に紛れて、キュゥべえの声が嫌によく響く。
「人間は異様に魂の在り方にこだわる。けれど君は違うのかい? 死ぬ気の炎を灯すリングは、人間の魂を原石として、ショップで売られているダイヤモンドのようにそれを削り、整え、作る代物だ。これを知った人間は大抵“人間の魂を弄んでいる”と叫ぶ者が多い。そのためリングは裏社会……特にマフィア界隈でしか使われることがない秘密の兵器として知られている」
あちこち探す中で、不意に白線を踏んでいたことに気付いた黒江は、名も知らぬ死者に黙祷して、ガレキの山を漁る。
「君は魔女との戦いを恐れて魔法少女を辞めた。それなのにマフィアの世界に足を踏み入れるのかい? 君の行動原理が分からないな」
「……簡単だよ。私は何もできない。もし魔法少女を続けていたら、あの二人のように突然、意味も分からず死んでいたんだと思う。つまり私は、目の前で死んだ人たちを通して、客観的に自分の弱さと汚さが見えたから……」
「それは答えになってないよ。紅晴結菜に殺されなかったのは偶然さ。君は動機を結果論で後付けするのかい?」
「……よくわからない。ただ、あなたの思惑通りにはならないように動くつもりではある」
「要は嫌がらせってわけか」
「幼稚なのは理解してる。でも……たとえどんなにつまらない理由だとしても、今はそれが私を突き動かす行動原理」
嫌がらせのために執念を燃やすとは、なんて嫌な女なんだと黒江は自嘲する。そうやって勝手に絶望して魔女化していた可能性も考えると、やはり魔法少女をやめて正解だったとつくづく確信する。
「……バジリコンの居場所を知りたいかい?」
「誰なの、それ」
「通称バジル。彼の正式名称さ」
「そうだったんだ。でも知ったところで私にはどうしようもない。もう二度と関わらないで」
「ボクからしたら、君の方から関わってきたんだけどね。……それより昨晩のように、また君の家族が魔女に襲われたらどうするつもりだい? やっぱり魔法少女になった方がいいんじゃないかな」
「ふざけないで。その時は死ぬ気で家族だけでも助ける」
「……魔女とは戦わないのかい? そっちの方が根本的な解決になると思うんだけど」
「自分のこと棚に上げないでよ。魔女を不法投棄しているくせに。あなたが地球から去ってくれた方が、よっぽど人類のためだ」
「……愚にも付かぬ話だ」
キュゥべえは目を閉じて溜息をつく。あえて人間らしい表情の反応を見せたのはどういう意図があるのか。悪魔は直感して分かるのだろうが、黒江にはただ煽っているようにしか見えない。彼らには感情がないのだから、自らの感情を満たすための行動は不要であるはずなのに、キュゥべえの呆れるような表情が癪に障る。
「なぜ君たちはそこまで個体の感情を重視して世界を語るのだろうね。大抵の知的生命体は環境汚染の代わりに宇宙への飛躍を目指す。惑星の自然崩壊と知性の宇宙旅行どちらが早いかを競うんだ。ところがこの惑星の知性生命は個人の感情を正義と掲げて争うばかり。ボクらが洞穴から出してあげてから三百万年が経過しても未だ月に一度至った程度……この発展の遅さには流石に呆れてモノも言えないよ。けれどボクらにはその愚かしさこそが恋しい。なぜならこの惑星が、宇宙の公益に最も貢献していると言っても過言ではないからだ。皮肉な話だとは思わないかい?」
無視を決め込む黒江は一つ一つガレキをどかす。バジルを鬼から助け出す力はない。そんな勇気もない。魔女を倒すことも同様だ。しかし死ぬ気の炎があれば、昨晩バジルが炎で魔女の口づけを焼いたように、リングさえあれば魔女の口づけを受けた人の目を覚まさせることができる。
「私は二度と魔法少女にはならない。普通の人間のままで、守れる人を守れるようになりたい」
譲れないもの。それは魂の在り方と魂の居場所。
黒江はガレキの山の中からキラリと光る輝きを見つける。それは黄色と紫色の宝石。雨に流されてアスファルトの窪みの中に溜まっていたようだ。警察が回収する前から、そこに集まっていたのだろう。
「……最後に二人きりになれたんだね」
寄り添いあうように水溜りに浮かぶ宝石のカケラを回収した黒江は帰路に就く。
†
そろそろ夜が明けるであろう時間帯に帰宅。家族を起こさないよう物音を立てず自室に戻り、リング精製キットを取り出す。
(……あの子たちの魂をいじる……)
それは禁断の所業だと葛藤する黒江だが、そうしなければ生き残れないと言い訳して謝罪する。
(ごめん……私は、こうするしかないから……)
波動測定器に全ての宝石を投入。自動的に波動ごとにより分けて、あまりに小さくて加工できないカケラは一旦ドロドロに融かして混ぜ合わせて固める工程がいる。ただしそうするとリングの精製度が低下すると説明書に書いてあった。また、なけなしの宝石のカケラでは四個のリングの精製が限界のようだ。起動スイッチを押せばガーガーと音が鳴り、自動的にリングを精製してくれる。
「……注意。原材料に使うソウルジェムの属性が霧属性でなくても、霧属性のリングが精製される確率が一定以上あります。なぜならキュゥべえとの契約は
説明書の豆知識コーナーなるものを読んだ黒江は首をかしげる。しばらくして精製キットから音が鳴り、三個のリングが完成した。どうやら四個目のリングは失敗して粉々に砕けたようだ。完成品の属性と精製度が電子画面に一覧表示される。
「……晴系リング精製度E……雲系リング精製度E……霧系リング精製度E……」
完成したリングは過熱されているせいで手では触れないほど熱い。冷却スイッチを押して冷やし、恐る恐る取り出して指に嵌める。
「……やっぱり、悪趣味だ。これが人の魂だと思うと、なんだか遣りきれない……」
ぞわぞわと悪寒が這い登る。それは穢らわしい物に触れる時の嫌悪感とは位置が異なり、穢らわしい自分に綺麗な宝石が付いていることが許せなくなる感覚に近い。
(……えっと……炎よ、出ろ……。…………)
指に嵌めたリングに変化はない。どうすれば死ぬ気の炎とやらを灯せるのか。黒江は説明書を読みあさる。
「……覚悟が炎を灯す……死ぬ気にならなければ炎は灯らない……。そんなこと言われたって、急に死ぬ気になんかなれないよ……」
覚悟。覚悟とは何か。抽象的な概念すぎて、黒江は困惑する。
そこで脳裏によぎったのは、悪魔の言葉だった。
────譲れないものが一つあれば、どんな奴でも強くなれる。
もし、それが“覚悟”なのだとしたら。
黒江にとって譲れないものとは何か。
(魔法少女にだけは絶対にならないこと……家族だけは守りたい気持ちは本物だってこと……そして────)
悲観的な黒江は自嘲する。
(────自分の安全の為なら、禁忌を犯してでも最善を尽くすこと)
一瞬、手指に熱気を感じた。覚悟とは何かを考えるため目を瞑っていたせいで、いま炎が灯っていたのか確認しそびれたが、ほんの少しの手応えは感じ取れた。
「ダメだ……これじゃあ役に立たない……思い通りに点けたり消したり、できるようにならないと……」
先は長そうだ。まだ自分がどの属性を使えるのかも分からない。説明書から霧属性が使えることは確定しており、黒江の魔法少女時代は紫色の魔力を使っていたため、おそらくそれと対応する雲属性を使えることはほぼ確定しているが、晴属性だけは使えるのかどうか分からない。
「……そうだ。捕らぬ狸の皮算用かもしれないけど、一応、武器を用意しておこう……」
悪魔はグローブ。バジルはブーメラン。ならば黒江は何が良いだろうか。クローゼットの中を漁ると、かつて入部していた体操部のクラブが二本出てきた。てっきり捨てたと思っていた懐かしのアイテムが出てきたことに、黒江は苦い表情を浮かべる。
「……魔法少女をやめたのに、まさかまた同じ武器を使うことになるなんて……」
しかし考えてみれば合理的だ。体操部の時から魔法少女をやめる時まで、思えば長いこと使ってきた武器だ。愛用とは言えないが、自分の手に馴染むことは間違いない。
かくして自衛の手段を一応手に入れた黒江は、今日の学校に登校するため急ぎ睡眠を取るのであった。
†