アクマレコード 魔法少女ヒットマンDIAVOLO! 作:形のない者
夕方の河川敷。今日の学校は廃工場の殺人事件の話題で持ちきりだった。目撃者が黒江の兄であった噂がどこから漏れたのか、クラスメイトから質問攻めに遭った黒江だが、全て「私は何も知らない」の一言で乗り切った。
(……)
学校カバンの中には二本のクラブ。ポケットの中には三個のリングと説明書。
(……晴の炎は活性。雲の炎は増殖。霧の炎は構築……とりあえず三つは覚えた。でも具体的な用途までは想像がつかない……炎が出るようになれば、いくらでも試せるんだけど……)
今日は授業に身が入らなかった。日常を平易に過ごすより、非日常を生き抜くことの方が大切だと判断したからだ。死んでしまっては勉強も意味がない。それより教科書に隠れてイタリア語の説明書を解読することに努めた。機械翻訳では意味の理解に齟齬がある。だが原文を読めるようになればニュアンスが理解できるようになり造詣が深まる。実際、今回は説明書から“波動”“炎圧”“純度”といった知識が多く得られた。これは機械翻訳では正しく翻訳されず、よく分からなかった部分である。それも仕方ない。最近の機械翻訳は年々精度こそ高くなっているが、さすがに炎圧といった
「────ねぇ、そこのあなた。露悪的な顔で俯いて歩いているあなたよ。止まって」
「……?」
今日も橋の上で人に呼び止められる。先日のバジルに引き続き、橋の上では人に縁があるなと思いつつ黒江は振り返る。そこには藍髪藍眼の少女が腕を組んで立っていた。目つきが悪い。一瞬睨んでいるのかと錯覚する。だが張り詰めた空気は誤解が誤解でない可能性を黒江の脳裏によぎらせていた。
「……えっと、なんでしょうか……?」
「単刀直入に聞くわ。あなた、今からちょうど十二時間前の廃工場で何をしていたの?」
「────!」
黒江は動揺が表情に出ないよう平静を装うが、一瞬の硬直と視線の揺らぎ、虹彩の膨張を見て取られてしまう。
「やっぱり何か知っているのね。私は
「…………!」
長い髪をたくしあげて払った灰泡の指先。そこには銀色の指輪が煌めいていた。
(まずい……彼女は、魔法少女だ……)
黒江は、ずんずんと先行く灰泡に付いていかざるを得ず、人気のない路地裏に連れ込まれる。
天を仰げば夕焼けの一本線。薄暗き小路。狐色の空間。二人だけの舞台。
「……あ、あの……」
これ以上路地裏の奥深くに連れ込まれるのは流石にまずいと思った黒江は足を止めて呼びかける。
それでも歩き続ける灰泡は十メートル以上の距離を取った後、青いごみ箱を乱暴に蹴っ飛ばした。
「……!」
バサバサとゴミ袋が散乱し、ゴロゴロとゴミ箱が転がる。
途端、体を奮わせる灰泡はドスの効いた声色で問いかけた。
「チリとヌルのソウルジェムをどこにやった……」
「────!」
「廃工場で! 私の仲間が殺された! オマエ何か知ってんだろ!?」
「……っ!」
怒号に身を竦ませる黒江は、このあとの展開を予想して潤んだ瞳を振るわせる。
────殺される。
これは禁忌を犯した報いなのか。黒江はそっとポケットの中に手を忍ばせて三個のリングを右手に嵌めた。
「おかしいんだよ……無いんだよ……! 現場には二個のソウルジェムの破片が飛び散っていたはずだ……死体を目撃した集団に紛れて破片を回収していたが、全部集めきる前に早いだけが取り柄の邪魔な警察がきやがった。その時は仕方なく撤退して……日を改めて廃工場に戻った。今朝のことだ。するとどういうわけかソウルジェムの破片が綺麗さっぱり無くなっていた! これはどういうことだ!? おかしいだろぉ!!」
(……え? なに……? この人、まさか……)
黒江は違和感を覚える。彼女は仲間の死の真相を聞き出したいのかと思っていた。しかし違うようだ。どうやら彼女は仲間のソウルジェムの在り処を過剰に気にしている。それはなぜかと思考を巡らすが、灰泡の怒号に思考が竦んで中断された。
「警察や目撃者の野次馬が回収したのか!? いいや、そんなことはありえないね! 一般人が拾わないよう、アーティファクトの力で現場周辺の宝石系アイテムは見えないように細工しておいたんだから! それなのに無くなっている……! これはどう考えても、どっかのビチグソ魔法少女が持って行った以外にありえねぇだろうがァ!! なぜならあのアーティファクトは低級仕様だから、一般人にしか効果がない! 魔法少女には普通に見破られる!」
(……アーティ、ファクト……?)
聞き慣れない単語に疑問符が浮かぶ。だが考える暇がない。
振り返った灰泡の眼光に射抜かれた黒江は、蛇睨みに遭ったかのように全身が硬直する。
「だがアンタは魔法少女じゃない。アーティファクトを見破る力はない。ソウルジェムを見つけることは絶対に不可能だ。……しかしアンタが今からきっかり十二時間前、廃工場に行ったらしい事は、
(────ッ! キュゥべえ……!)
「そして時系列的に、アンタが廃工場から立ち去った後、私が廃工場に訪れたわけだが……ソウルジェムの破片が無くなっていた。これはあまりに
灰泡は探るように黒江を睨む。
「……あの、えっと、確かに私は、廃工場に行きました……。っ……でも、────行った、だけで……」
黒江は迷う。苦しい嘘をついたかもしれない。だが言い逃れることができれば、この場を切り抜けられる。
ならば、ポケットに忍ばせた手、その指に嵌めた三個のリングは外すべきか。見る人が見ればソウルジェムの破片を加工した代物だと見抜けるはずだ。バレているのなら見抜かれても問題ないと戦闘を覚悟したが、まだバレていないのなら指輪を取り出すのは得策ではない。
「……おい。なんでポケットに手を突っ込んでんだ?」
「……!」
判断が遅かった。片手だけポケットに突っ込んでいれば当然怪しまれる。
「…………おい。ポケットから手を出せ。隠しても意味ねぇんだよ。もうテメェが犯人だってのは分かってんだ。回収屋にとってソウルジェムのカケラは喉から手が出るほど欲しい代物なんだよ。分かったらさっさと返せ……私がプッツンと切れないうちにな……」
回収屋。また新たな単語が出てくるが、ともかく黒江は進退窮まる状況に陥ったことを把握する。
(もし素直にポケットから手を出せば? リングを見られれば、それがソウルジェムの加工品であることは、おそらく一発で見抜かれる……! そして、なぜソウルジェムのカケラを加工しているのかと問い詰められる……当然、人の魂を弄ったとして怒られる……いや、怒られるだけじゃ済まない……確実に殺される……ッ!!)
だからと言って指示に従わず反抗すれば敵対は避けられない。逡巡する黒江。
それを見た灰泡は何を勘違いしたのか、目元を覆って呆れたように説得を始めた。
「あーあー。分かるよ。どうやったかは知らないけど、綺麗な宝石を見つけて拾っちゃったんだよな? でもそれ仲間の形見なんだよ。お願いだから返してくれないか? それ綺麗な宝石に見えるけど、高値で売れるモノじゃないんだ。あいつら魔力係数が高くないから、売っても安物の宝石として買い取られるだけだよ。百円にもなりゃしねぇ。ゲーセンで取れるおもちゃの宝石並みだ」
黒江は思考を高速回転させる。魔法少女という言葉に反応してはいけない。魔力係数なんて論外だ。極力、一般人の知識量を念頭に置いて、どう受け答えればいいのか考える。
「……人違いだと、思います」
「……あ?」
「私は、宝石なんて知りません。廃工場には興味本位で立ち寄っただけで……だから、すみません」
リングを外してポケットから右手を取り出し、深々と頭を下げる。これは博打だ。リングが無ければ魔法少女に太刀打ちできない。だが炎を灯せるかどうかも分からない現状でリングを嵌めていても意味は薄いと考えた。
汗が止まらない。人生で初めて叩いた大嘘。バレたら戦闘……殺し合いは避けられない。心臓がバクバクと高鳴り、血管がドクドクと脈打ち、耳の奥が熱くて痛くて、キンキンと耳鳴りが止まらない。
「…………」
右手とポケットに視線を感じる。相手はどう出る。どうする。どうすればいい。何もしないのが正解なのか。
「…………────そうか。わりぃ。邪魔したな」
トコトコと歩く灰泡は、頭を下げ続ける黒江のそばを横切って立ち去る。
ポツポツと雫が垂れる。額から汗が滴って地面に弾けた。喉元から込み上げる生暖かい空気を吐き出す。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
おそるそおる背後を振り返る。瞬間、
「ひぃ!?」
「だがよ。何か知ってるのは間違いないだろ? あんたは一般人だ。アーティファクトによる隠蔽工作を見抜けるはずがない。ずっとその矛盾が気になっていた……その矛盾を解決する為には、やっぱ犯人は魔法少女である必要がある。それでひとつ聞くが、オマエ以外に誰か来たか? 十二時間前の廃工場に……」
「……い、いえ……私が行った時は、誰も……」
「…………、……………………そっか。何か分かったらSNSでハッシュタグに“魔法少女”って付けて発信してくれ」
「……は、はい……」
もう魔法少女ではない事が功を奏したのか。
最悪の状況の中で幸運を拾った黒江は、立ち去る灰泡の背中が見えなくなるまで佇立していた。
(……危なかった。もしポケットの中の
黒江はポケットに手を突っ込む。そこで妙な違和感を覚えた。
(……あれ? あれ……?)
三個あるはずのリングが二個しかない。雲と霧はある。晴だけがない。まさか落としたのか。いやそれはありえない。頭を下げるまで三個あったことは確認済み。落としたのならカランコロンと跳ねた音が鳴るはずだ。
(ど、どういうこと……?)
辺りを探してみるがどこにも見つからない。
(……仕方ない。とにかく今は急いで家に帰るべきだ。あまり外に長居したくない……)
震える黒江は小走りで帰宅した。
†
夜更け。黒江は寝台の上でぬいぐるみを抱え、仰向けになっていた。
(灰泡さん……チリさん……ヌルさん……彼女たちは三人でチームを組んで活動していたのかな……あの白い子の名前はどっちだろう……)
黒江は深い罪悪感に襲われる。
(ソウルジェムのカケラはその人の形見……だから本当は返すべき……そんなこと分かってる。人の魂をリングにするなんて非常識だ。でも……もう魔法少女じゃない私は、せめてリングがないと何もできない……だから仕方ない、なんて口が裂けても言えないけど……、…………────)
考えることに疲れた黒江は端末のスイッチを押して消灯する。月光がカーテンを透けて寝室を照らす。明日が怖い。また灰泡に詰め寄られたら今度こそボロが出そうだ。けれど嘘をついた手前、謝罪しても許してはもらえないだろう。そもそも白状すればリングを加工した件についても明かさなければならない。人の魂を踏み躙った代価。それは命で払うしかない。つまり殺される。
(…………。……どうか、このまま、何事もなく……リングを使うことも、魔女に襲われることもなく……平和な毎日を……)
その祈りは、白い悪魔によって台無しにされた。
カーテンの奥に光る赤い両目。特徴的な影のフォルム。
「大変だ、黒江!」
「────っッ!?」
聞き覚えのある声を耳にして飛び起きた黒江はカーテンから距離を取り、この白い悪魔は何のために現れたのかと考える。
「いいかい、黒江。すぐに身を隠した方がいい! ソウルジェムの真実を知った灰泡が、怒り心頭で話を聞かない! このままだと腹いせに君を付け狙うかもだ!」
「──……は?」
いったい何がどうしてそうなったのか。
そして黒江は、あまりにもわざとらしい演技に呆れてものも言えない。
「……ふざけないで。何を他人事のように振舞ってるの? 私が犯人だと教えたのはあなたでしょう? キュゥべえ……」
「僕は聞かれたから答えただけさ」
「……何をしたの」
「灰泡はアーティファクトを使って君の晴のリングを盗み、僕に聞いてきたんだ。“これは何か”ってね。それに一から十まで答えたら“知らなかった”“騙したな”“あの女の居場所を教えろ”と、わけのわからないことをまくし立てて半狂乱状態に陥ったんだ」
「……、…………たぶん灰泡さんは、ソウルジェムが魂であることを知らなかったんだね……そして魂を加工した私に嫌悪感を抱き、さらに嘘をついた私に激怒している……」
「理解が早いね。意外と冷静な理由を聞いてもいいかな?」
「……」
「……まぁいいや。それに怒るだけで済めばいいけどね。彼女はあと数分でここに到着する。早く逃げた方がいいよ」
「私の住所まで教えたの?」
黒江はクラブの入ったカバンを背負い、雲系リングと霧系リングを指に嵌めて家を出る。
(そうだ……こうなることは予想できたはずだ……キュゥべえの目的を考えれば簡単に……私は大バカだ……)
キュゥべえが黒江に付きまとう理由。それは再契約にほかならない。悪魔契約を交わした少女は、再契約時、魔力係数が増大する。つまり魔女化する際の相転移エネルギーの熱量が増える。より多くのエネルギーを回収したいキュゥべえにとって、悪魔契約を交わした少女は、ぜひ再契約したい存在のはずだ。
(つまりキュゥべえは、私を命の危険に晒すことで────
月夜の住宅街を駆け抜ける。もう魔法少女ではないため魔力パターンの感知で見つかる恐れはない。だがはたしてどこまで逃げればいいのか。住所はバレている。行くあてなんてない。こうして外に逃げ出した以上、どこにも安住の地なんて存在しない。
「はぁ、はぁ……!」
隠れることができる場所を探して公園に入ると公衆便所を見つけた。そこへ向かって一直線に走る。────が、不意に背後の木々がガサガサと木の葉を散らし、月光を遮って黒江の頭上に影を作った。
「きゃっ!?」
頭髪を鷲掴みにされて地面に叩き付けられる。
痛みと恐怖で肉体が縮み上がる。だがリングを嵌めた右手だけは、強く強く握り締めた。
「見つけたぞ……オイ、さっきはよくも大嘘こいてくれやがったな……あぁ!?」
「っ……ご、ごめんなさい……でも、このリングは、私の命を守るために大切なもので……がぁ!?」
「そりゃこっちも同じことだぁっ!! 調整屋にソウルジェムのカケラを売ればグリーフシードや金が手に入る……だから私は回収屋として働いてたってのに……なんだよ! 魔女になるって……! お前もキュゥべえも調整屋も、それを知ってて私に黙ってたのか!? あァ!? そうなんだな!? よくも……よくも澄まし顔で人を騙せるな……! このクズどもがァ!!」
「ぐっ……!」
頭髪が強引に引っ張られる。腰を踏まれて背筋が伸びきる。何度も何度も地面に顔面を叩き付けられる。精一杯抵抗して顔の前に腕を敷き地面との激突を避けるが、既に満身創痍。圧倒的な
「そうだ……オマエ、どういうわけか魔法少女
「っ……それは……」
────また命の恩人を売るのか。
黒江の瞳に映る白い少女の幻影が罪を問う。
「……ッ。教えま、せん……」
「あぁ? ブチ殺されたいのか!!」
「がっ……!?」
腰を踏み付けられて右手を強引に開かれる。
(リングが、奪われる……!)
ここで殺されるか、リングを明け渡すか。悪魔についての情報を渡せば生きて帰れるかもしれない。そんな考えが脳裏に充満する。
(そうだ……そうだよ……そもそも私が、こんな馬鹿なことしなければ……)
キュゥべえに反抗したいからといって、そんなことをしなければ。
「……!?」
突然、抵抗しなくなった黒江。
それに驚いた灰泡は、すかさず右手に嵌められた雲系リングを奪い取る。霧系リングを取らなかったのは、まず雲系リングを観察するためだ。灰泡にリングの価値は分からない。それに黒江が抵抗したところで、どのみち手首を折ればリングは簡単に回収できる。その慢心が黒江を一時的に助けていた。
「ようやく教えてくれる気になったか? 悪魔について教えてもらえばテメェみたいなクズに用はない」
「っ……ごめんなさい……」
「謝るんじゃなくて教えろ! 今すぐッ!」
黒江は身を起こそうとする。地面に這い蹲って、腰に置かれた足を持ち上げ、徐々に抵抗の力を増していく。
「……悪魔さんのことと、霧のリングだけは……おねがい、します……」
「…………は?」
灰泡は、地面に這い蹲ってもがき苦しむ少女が何を言っているのか理解できなかった。
(────譲れないもの。たとえ、それがどんなに惨めで、汚れていて、嘘吐きで、真っ黒で、醜悪でも……)
霧系リングの宝石が小刻みに振動する。その鳴動は微弱すぎて誰も気付かない。
「……なに? ふざけんなよ。諦めたかと思ったらつまんねぇ意地を張りやがって……アァアアアああムカつくなぁああ!? フゥゥゥ~……つーかさ……もうダメだ……もうダメなんだよ……そうさ、そうだ……そもそも願い事なんか無かったことにできねぇだろ……そしたらアイツラ生き返っちまうじゃねぇか……それにキュゥべえの言うことがどこまで本当なのか……あーあ……嘘つきのオマエの言うことも信用できないし……もうダメだ……なぁ見てくれよコレ……もう十個目だ……どんだけソウルジェムの穢れを吸っても蓄積が止まんねぇんだよ……」
「……!!」
灰泡のソウルジェムはその九割が濁っていた。魔女化まで秒読み。急いで彼女から離れなければどうなるか分からない。灰泡の懐から十個のグリーフシードが地に撒かれる。同時に黄色と紫色のソウルジェムのカケラがジャラジャラと音を鳴らしてばらまかれた。
「もうこんなの私にはなんの意味もねぇ……殺して殺して殺して殺して、最後に自分で自分を殺す結果になるたぁ……つくづく最低の人生だったぜ……」
「……っ! まって。おねがい、話を聞いて! 助かりたいんでしょ? 私が悪魔さんと相談してみる……連絡先、知ってるから……あなたに紹介する……! だから思いとどまって……!」
「嘘ついたテメェをどうやって信用しろと!? 思いとどまってどうにかなるなら、ここまで濁ってねぇんだよ! 焦ってんだよこっちは!」
「っ……!」
灰泡の絶望は加速している。言葉を掛けようにも彼女の背景や事情が見えないため何が効果的で何が地雷になるか分からない。
(……!)
そこで黒江は気付いた。
(私を踏みつける力が弱い……これなら思いっきり立ち上がれば不意を突ける……じゃあ、その隙に逃げる……? どうやって……?)
魔法少女の身体能力から逃れることは不可能だ。
(でも、このままじゃ彼女は魔女化する。近くにいれば巻き込まれる……っ!)
「……グァッ!?」
突然、灰泡が胸を抑える。魔女化の兆候だろうか。激痛に顔を歪める。
次の瞬間、黒江は体をバネのように弾ませて全力で駆け出した。
「────ッ! なん、だと……!? オイ、待て……待てや、クソガァアアアアアア!!」
「……っ!!」
距離を取った所で振り返る。そこで黒江は目を見開いた。灰泡は投擲モーションに入っている。苦痛でその場から動けないが、せめて黒江だけでも殺すつもりなのか。血走った眼から明確な殺意を感じ取った黒江は、彼女の右手に握り締められたソレの回避手段を本能的に選び取る。
「死ねやァアッッ!!」
音速に至る豪速球。それは紫色がキラリと光る指輪。
肉眼では捉えきれない速度。一秒後の死を確信する。
(────私、ここで死ぬの────?)
一秒が間延びして永遠に感じる。脳裏をよぎる走馬灯。
それは何も選び取ったことがない人生の中で、自ら“再起”を図ろうと踏み切った一夜の思い出。
(────死ぬ直前に思い出すのが、男の人に体を売ったことって……本当に私って最低な人間だな────)
彼は言った。譲れないものが一つあれば人は強くなれると。
だがそんなことはなかった。何もない自分に譲れないものなんてない。矜持や覚悟、そのような誇りや勇気もない。
有るのはただ、意地汚い生存本能。
生き抜く為なら、どんな手を尽くしてでも生き残る最低の根性。
(覚悟が炎を灯す……なら私は、せめて家族だけでも守りたい……!)
(私はもう、魔法少女にはならない……っ!)
(────嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤだっ!!)
リングが鳴動する。
(嫌だ……死にたくない……生きたい……私は……ッ!)
その醜い本心が、黒江の
目に映るはひらひらと舞う木の葉。
藍色の炎がボウッと燃え上がり風に揺らめく。それは質量のない気体のはず。だが急速的に固体として葉っぱのような形を成していき──青い閃光──轟音を立ち上げて激突。──そのとき悪魔の後ろ姿が見えた気がしたが────黒江の喉笛を貫通するはずだった音速の投擲物体は、通過した空間に
「────ふぐっッ!!?」
いったい何が起きたのか。黒江はまばたきの合間に発生した出来事を推理する。
土壇場で灯った霧の炎が
それから尻餅を搗いて地面を一回転した黒江は、転がった時にぶつけた頭と鼻、衝撃波によって皮膚が切れた額から血を流す。レンガによって擦りむいた腕と脚のケガの具合を気にしている余裕はない。そう意気込んだ黒江は土まみれの体の痛みをこらえ、歯を食いしばって夜空を見上げた。
(今、悪魔さんが目の前に居たような────いや、それより! ────雲のリングは……っ!)
必死に
(あった……っ!)
紫色の指輪はカランと音を鳴らして地面を跳ねる。駆け出す黒江。クラブを落としてそれを拾い上げた瞬間、勢い余って木の幹にぶつかった黒江は、灰泡の第二の投擲モーションが目に映った。
(怖い。恐いよ。もう戦いなんか嫌だ。殺し合いなんかゴメンだ。でも生きる為には殺るしかない。それが嫌だから魔法少女をやめたのに……なんでよ神様。なんであなたは、私に
運命にムカつきながら雲系リングを装着。雲の炎がボワッと勢いよく燃え盛り、落としたクラブに炎が燃え移る。
次の瞬間、灰泡が何かを投げた。
「これでも喰らえェエエエエエ!」
「────ッ!」
爆発的に数を増やしていくクラブ。一個だったそれは十個、二十個に数を増やし、黒江はクラブの山に埋もれる。その中へ突っ込んだ黄色の弾丸。音の衝撃波が数十個のクラブを吹き飛ばす。
「────!?」
だがクラブの山の中に埋もれたはずの黒江の姿がどこにもない。黄色の弾丸もとい晴系リングは地面を穿ちつつ滑走、爆音を鳴らしつつ木の根に激突した。
「どこだ!! どこに消えやがった!?」
「────っ!」
今だと駆け出した黒江は、先ほどぶつかった樹木の陰に隠れていた。増殖するクラブが体を覆って灰泡の死角となった瞬間、木陰に飛び込んだのである。その直後、黄色の弾丸は投げ込まれた。間一髪、黒江の脚を掠って飛んでいったソレを求めるため、黒江は片脚を引きずって懸命に走り続ける。
「……~~っ! てんめぇええええええ!! コケにしやがってぇええええ!!」
激昂した灰泡は全身の激痛を意に介さず追跡を開始。
対する黒江は破壊された木の根の土を掘って晴系リングを探す。背後からは灰泡の荒い息遣い。
(彼女は魔女化の兆候のせいか動きが鈍ってる……! 晴の炎の活性があれば傷も治癒できるし運動能力も上がる……! 逃げ切れる……!)
土を掘る爪が痛くとも我慢。やがてキラリと光る黄色の指輪を見つけた黒江は、それを右手に嵌めた。が────炎が灯らない。
(……っ! そんな、まさか……私には、
「うおおおおおおおおおお!!」
灰泡の腕が乱暴に振るわれる。それは一本の樹木を撃砕し、折れた幹より上が轟音を上げて倒れていく。ほかの樹木と激突してバキボキと木の枝が折れていく音が鳴り響き、鳥は泣き喚いて小動物は逃げ出し、落下した樹木の重みで地面が激震する。
「……っ!」
雲と霧。増殖と構築。カバンの中に入ったもう一本のクラブ。この手札で逃げ切るにはどうすればいいのか。
咄嗟に木陰へ隠れた黒江は必死に思索を凝らす。
(急げ、打開策を閃け、じゃないと殺される! 霧、雲、構築、増殖……考えろ、考えろ考えろ考えろ────!!)
「そこに隠れてるのはわかってんだ……ブチ殺してやるよ……私だけ死ぬなんて我慢ならねぇ! ムカつく奴は全部消してきたんだ! テメェも同じように消してやるッ!!」
黒江の頭上で樹木の幹が爆発する。豪快な音を発して開けられた風穴の中には灰泡の拳が突き出していた。
「っ……!」
黒江は怯え竦んだ足腰を叩いて走り出す。
(構築……そういえばさっき葉っぱを見たら霧の炎が葉っぱに変わった。見たものが作られる? いや違う……悪魔さんのバトルグローブは構築によって作られたものだ……だからきっと
黒江は走りながら霧の炎を灯して、黒い布のような物を想像する。霧の炎は黒い布を象るが、それは途中で綻びが生じてしまい、霧のように消えてしまった。
(……! あまり大きな物は作れない……!? ────じゃあ、これならどうだ……!)
黒江は木陰に入る。灰泡の死角となる位置だ。しかし木の陰に隠れた瞬間を見られている。
「テメェ鬼ごっこ下手くそかぁ!? 隠れる場所を見られてたら意味ねぇだろうがよぉ~!!」
その通りだ。ならばと一斉に
「……!?」
目を疑う灰泡は焦ったように駆け出し、先程まで黒江が隠れていた木陰を覗く。そこには誰もいない。
「なんだ……何をした……!? さっきの増殖したクラブと言い、なんで魔法少女でもないのに魔力を使えんだよ!」
魔力ではない。死ぬ気の炎だ。黒江は生き残るため死ぬ気で策を打った。
「────クソォオオオオ! どこだぁ……どこにいやがるぅ……魔法少女の聴覚を舐めんじゃねぇぞ……四つの影は動きが止まった。近くでじっとしているはずだ……ぜってぇに見つけて八つ裂きにしてやるぅううううう!!」
もはや灰泡は正気の沙汰ではなかった。充血した眼から血を流し、鼻血を吹き出し、全身の関節から折れたような音を鳴らしながら瘴気に侵されていく。それは魔女化の兆候。ゴホゴホと咳き込んで吐血。大量の血が地面に広がるも、灰泡は諦めず殺害対象を探し続ける。
(────……っ……────)
その様子をじっと息を潜めて眺めている人物がいた。
「クソッ! どこだ!? どこにいやがる!? 出てこいクソナード! 粉みじんに切り裂いてやる! クソガァアアアアアア────!!」
黒江は動いていない。先ほどの木陰に入ってから微動だにしていない。
(さっき彼女が見た四つの影は、私の“制服の上着”を構築したものだ。本当は私の“後ろ姿”を構築したかったけど、私の炎の量じゃあ少ない面積の構築……つまり上着の構築が限界だった。そこで閃いた。……
最初に一枚の上着を構築した。それを増殖によって八枚に増やした。そのうち四枚を構築によって後ろ髪やスカート、靴に作り直した。ゼロから構築するより、既にあるものを作り変える方が、必要な炎の量が少なく済むことをそれで学んだ。
(どうやら私は霧の波動より、雲の波動の方が強いらしい。いや……それを断定するのはまだ早い。構築より増殖の方が
ともあれ黒江は、自らの後ろ姿を模した四つの分身を解き放った。それは森の闇に消えると同時に消滅したが、かく乱作戦は成功。
(その後すぐ、私は霧の炎で体を覆った。想像したのは木の根っこ……さっき彼女に覗かれた時はドキッとしたけど、私の姿が本当に見えていないみたいだった……。そこで学びを得たことは、構築で作れる面積は小さくても、炎だけで自分の体を覆う分には量が足りるという事だ。反対に雲の炎で自分を覆うには少し足りない。つまり炎量だけなら霧の方が強い……? もしかしたら雲系リングの精製度が低いから足りなかったのかな……でも雲も霧も、どっちも精製度はEランクだ。たぶん死ぬ気の炎は属性ごとに、もっと細かいパラメーターがある……? やっぱりまだまだ分からないことだらけだ。あとで実験して色々と確かめないと……)
黒江は心臓がはちきれそうな隠れんぼから精神的に耐えるため、淡々と死ぬ気の炎に関心を移そうと思考を続ける。ただ黙って隠れ続けるほど辛いものはない。目を背けたくなるその後の惨状を思えばなおさらだ。
「……グッ……アガッ……!? イ、イヤ、だ……! わ、たし、まだ……死にタく、ナイ……!」
(────……っッ!!)
灰泡の様子が急変する。突然の断末魔を上げて倒れた彼女は身を掻き毟り、キィンキィンと明滅音を発するソウルジェムは真っ黒に染め上がる。魔女化が始まった。黒江は耳を塞いで眼前の惨劇の直視を避ける。
「やぁ黒江」
「……っ!?」
いつの間にか黒江の前に現れていたキュゥべえは、白い尻尾を振って灰泡の悶絶をじっと見つめている。どうやらキュゥべえは一部始終を観察していたようで、黒江の姿は見えずとも、木陰の近くにいると予想して姿を現したようだ。
「そこにいるんだろう、黒江? このままだと灰泡の魔女化に巻き込まれて君は死んでしまう。魔女化の際に放出される瘴気は、生物が触れただけで絶命する致命的な毒素に等しい。でも魔法少女になれば生き残れる。瘴気を浴びた分、ソウルジェムに穢れが溜まるけどね」
灰泡は甲高い叫び声を上げて激痛に身をよじらせている。
それを見た黒江は立ち上がり、構築を解除。駆け出して灰泡からなるべく距離を取る。その傍らを併走するキュゥべえに対して、黒江は喉元から込み上げる悲嘆をぶちまけた。
「ふざけないで! あなたが干渉しなければ、私も灰泡さんも争わずに済んだ……彼女が絶望して魔女化することもなかった!!」
「僕は忠告したはずだよ。あのキットは君の手に余る代物だって。自分から面倒なことに首を突っ込んだのに、その言い草はおかしいよ」
「どこがおかしいの? 私がキットを拾ってソウルジェムのカケラを集めたからこうなったと言いたいの? ふざけないでよ! たとえあのとき私がキットを拾わなくても、どうせキュゥべえは魔女をけしかけて再契約を迫ってきた……! どっちでも同じことだよ! だってあなたが欲しいのは、希望と絶望の相転移エネルギーなんだから!」
「…………」
「……まただんまり。図星ってこと?」
魔法少女を辞められても、キュゥべえからは逃れられない。
キュゥべえがいる限り、魔女や魔法少女から追われる日々。
自ら蒔いた種とは言え、これは少々はじまりから理不尽すぎるのではないかと苦言を呈したい。
(形見を盗んだのは自業自得だ。罰せられることは覚悟していた。でもそれは決して大人しく断罪される覚悟ではない。二度と戦いたくない。怖い目に遭いたくない。でも世界は平穏を許さない。争わなければ勝ち取れない平和があることは、悪魔さんの過去を見て知っている)
「……ねぇ、キュゥべえ。灰泡さんはグリーフシードを幾つ持っているの?」
「それを聞いてどうするつもりだい?」
「いいから教えて。あなたの損にはならないから」
「……なるほどね。一個もないよ。そろそろ爆発が来るはずだ」
黒江は木陰に飛び込む。
次の瞬間、灰泡の絶叫と共にソウルジェムが割れて莫大な瘴気が放出された。木々が薙ぎ倒されていく。瘴気に当てられた木々が黒ずんで枯れていく。瘴気から身を守るため、黒江は霧の炎で体を覆いガードする。過ぎ去った爆風が戻ってくる。はためく衣服。鳴り止まぬ轟音。
「っ……くっ……」
衝撃から身を守るため頭を抱える黒江の閉じた両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私……見殺しにした。自分が生き残る為に、彼女を……何もできなかった……。もし私に力があれば、力づくでも和解の道を探れたのかな……?」
「それを願うかい?」
「バカ言わないでよ……」
灰泡のソウルジェム……否、グリーフシードから魔女が孵化した。それは辺りを見渡して何かを探すように浮遊する。
(……っ! まさか、まだ私を探してるの……!?)
黒江は霧の炎を灯し、構築効果によって木の根に擬態する。
公園を一周する魔女。二週する魔女。三週する魔女。
(いつまで……いつまで隠れていればいいの……?)
震える右手を、震える左手で抑えて、息を殺す。心を殺す。
(怖い……恐ろしい……見つかれば瞬殺……絶対に見つかってはいけない……ッ!!)
霧系リングの炎は、いつまで灯せるのか。
一時間が経過した頃。
黒江は疲労困憊といった様子で顔が青ざめていた。死ぬ気の炎の使いすぎである。
それでも未だに魔女は公園の周囲をぐるぐると移動していた。
(せめて……せめて今夜だけでも凌げば……きっと……)
魔女は生前のルーチンを模倣する。もし灰泡が夜に外を出歩いて朝に帰るタイプの活動を繰り返していたなら、魔女は夜明けと共に去るはずだ。もしそうでなければ黒江は見つかる。死ぬ気の炎は夜明けまでが限界だと悟る。死力を尽くして体力を振り絞って霧の炎を出し続ける。想像力を絶やさず木の根に擬態する。精神力の消費と心理的な摩耗が激しい。それでも命には代えられない。
(どうしよう……体の震えが止まらない……おねがい、私の体、あともう少しだけ持って……おねがい……っ)
……。
…………。
………………。
……………………。────。
どれくらいの時間が経過したのだろうか。夜明けが来た。魔女は日光に当てられると姿を消した。それから数分の時を隠れ続けていた黒江は構築を解き、およそ九時間ぶりの新鮮な酸素を吸い込む。
「────、────ハァ…………」
目の下に隈。一睡もできなかった。見つかれば死の隠れんぼ。黒江は生きていた喜びを噛み締めつつ、性懲りもなく目の前に現れたキュゥべえに怒りすら湧かず問い掛ける。疲弊しきったまぶたは落ちかかり、声量も消え入るように小さい。
「ねぇ、キュゥべえ……あの三人って、どういう関係だったの……?」
黒江はずっと気になっていた。もし彼女たちが友人なら、なぜあの時あの場所。廃工場に居なかったのだろうかと。単に時間の都合が合わなかったのだろうか。でも魔女との戦いは殺し合いなのだから、日常の都合なんて無視して駆けつけていれば、何かが変わったかもしれないのに。頻繁に連絡を取り合うような仲ではなかったのだろうか。そもそもつるんで行動を共にするような仲間ではなかったのかもしれない。
「二人組の方は、灰泡にたかられる存在だったね。リーダー的というか、暴君と言った方が近いかな。彼女は戦闘能力がない魔法少女だったから、新米魔法少女を捕まえて遣いに出すんだ。
「……遣い? まさかパシリってこと?」
「そうなるね。そしてグリーフシードを貰う代わり、魔法少女のいろはを教える。ただし長い事こき使えるように情報は小出しにするんだ。灰泡は調整屋と知り合いで情報を独占していたからね。力がない魔法少女の生存戦略としては間違ってないやり方だ」
「…………本当にそれだけ?」
黒江は人間の黒い部分を想像する。それは的中した。
「ただ彼女には欠点があった。
そこまで聞いた黒江は失笑。
「なんだ。まるでキュゥべえみたい。じゃあ今までのアレは、自分の手駒を失ったことに対する八つ当たりだったんだ。なんか罪悪感を持っちゃって損したな……見殺しにされても当然の人間じゃん……。ハハ……まぁ、それは私にも言えることだけど……」
しかし思う。不信感を抱いていたのはヌルという魔法少女だけ。ならばチリという魔法少女はバカ真面目に信じていたんだろうか。
「……ねぇキュゥべえ。チリさんって、どっちの魔法少女? 白いフードの子?」
「そうだよ」
黒江は目を見開くと、やおら寂しそうに目を伏せる。
「……じゃあ、さっきの魔女はどこに行ったの?」
「魔女は生前の行動を反復する。きっとあの魔女は別の魔女を従えるため、より魔女の多い土地へ飛んでいったはずだ。自分が生み出せる使い魔では満足できないあたり、人を襲うことは少ないだろうね」
もはや黒江は応える気力を持たなかった。体育座りで腕の中に顔を埋め、重い重い溜息をつく。
「さて、おめでとう黒江。この勝負は君の勝ちだ。正直驚いたよ。獅子に狙われる兎が逃げ延びるとはね。弱者には弱者なりの戦い方があることは知っていたけど、実に見事な逃走ぶりだった。それと同時に君の覚悟も見て取れたよ。殺されるような状況に陥って命乞いしても、君は決して再契約を望まなかった。本当に魔法少女になるつもりが無いようだね。こうなったら仕方ない。一人の女の子にかかずらっているほど暇じゃないんだ。ボクは行くよ。君との再契約は諦めると約束しよう」
手前勝手なことを吐いて踵を返すキュゥべえ。
「────待って」
それを呼び止めた黒江は、人を見殺しにした事から何かの
「なんだい? 魔法少女契約ならいつでも────」
黒江はリングに死ぬ気の炎を灯した。それは超高密度のエネルギーの塊。それをキュゥべえの体に当てて引火させた。
「……黒江、君は……」
轟轟と燃え上がるキュゥべえの全身はドロリと溶けていく。
「おやおや……どうやら一皮むけたようだね、くろ……え……」
キュゥべえの白い肉体は黒焦げて土に還る。
それを冷たい瞳で見下ろし蔑んだ黒江は、ぽつりと呟いた。
「小動物には小動物の戦い方がある……隠れ潜む・不意打ち……そういう卑怯なことをしなければ生き残れない。だから……ごめんね……みんな……。また、地獄で会おう……」
木立に寄りかかってなんとか立ち上がった黒江は、ふらふらと覚束無い足取りで帰路に就く。
「…………」
だが、まだやるべきことが残っていることを思い出した。今すぐ家に帰って家族に会いたい。シャワーを浴びたい。お風呂に入りたい。だがその前に役立つアイテムを、戦利品を回収しなければ。
灰泡が落としたチリとヌルのソウルジェムのカケラを回収。そこには十個のグリーフシードも転がっていたはずだが、どこにも見当たらない。どうやらキュゥべえがいつの間にか回収していたようだ。続けて灰泡の死体に近付き、辺りに散乱しているソウルジェムを探す。
「……! これは……!」
灰泡のソウルジェムは魔女化の爆発に巻き込まれて、おそらく加工できないほど粉々に砕け散っていた。一応、集められる分は集めるが、きっとリング精製キットは“細かすぎるため溶かして混ぜ合わせてもゴミにしかならない”と判定するだろう。それも確かめてみないと分からない事から回収を終える。そして人が来る前に退散。人通りの少ない道を選び、霧の構築で迷彩効果も期待しつつ家路に着いた。
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