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「台風だってさ」と蜜柑は言った。
彼女はいつも私が勉強をしていることを理解して、そのために残っている家事をすすんで取り組んでくれる。以前まではいつも無愛想な態度をとって、あからさまに不機嫌な態度をとっていたのに、今ではそんな様子は少しずつ隠れているような気がする。
そうなんだ、と返した。いや、ただ元から知っていた情報だったので、それ以上に何か言葉を紡ぐのも無粋だと思った。知らなかった、とか返事をしても会話が広がることはないだろうし、きっとそんなものでいいのだろうと、私は思ってしまったのだ。
九月の中旬、まだ暑さが残り続けている時期に、私はまだ夏だぞ、ということを誇示するように、世間の空気は秋に染まってはくれない。茹だる湿気もそこそこにまとわりついてくるし、外に出るだけで少しばかり汗ばんでしまうほど、秋という季節は遠いらしい。
両親は結婚記念日、ということで沖縄へと旅行に出ていて、家に残されているのは私と妹の蜜柑だけ。当初、両親は家族全員で行く、というふうに計画を立てていたらしいけれど、試験が近い私であったり、両親を気遣って二人にしてあげたい(という思惑があるかもしれない)のか、蜜柑は私と一緒に残っていった。
そんな最中だ、台風がやってきたのは。
もともとは二泊三日という短い期間ではあったものの、それが台風によって延長されたらしい。今朝、父から連絡が来ていたことで、私は天気の情報を詳しく知った。
「……台風かー」
私は気だるさを身にまといながら、ぼうっとしてそう呟いた。両親の仲が睦まじいことは心の底から歓迎するべきだし、それに対して不満を抱くことはない。なんなら、私のことや、蜜柑のことは気にしないで、二人水入らずでたくさんデートに行ってもいいと思う。
私は居間に並べている勉強するための教材を視界に入れながら、はあ、とため息をついた。
──でも、この状況はあまりよろしくない。
なんでこんなことを思ってしまうのか、ということを心の中で表現するのならば、両親が旅行に出ている数日間、変な夢を見てしまいがちなのだ。それは私の無意識がそうさせているのかもわからないし、心の中の願望が歪んで顕現したのかはわからない。ともかくとして、変な夢を見てしまう時期が、これからも長引いてしまう、というのがなんとも心の中で不安として積み重なっていく。
……その夢とは──。
『や、やばい。もうすぐ、いくかも』
『お、おねぇちゃん……』
『ひもひい、ひもひいよぉ……』
『──んくっ……』
──妹である蜜柑と情事に励む夢なのだ。
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「コーヒー、今日も飲むよね?」
背筋がピクリと反応してしまう。その声が私に向けてのものだということに一瞬気が付くことができなくて、ひゃい、と変な返事をしてしまう。声をかけてきた蜜柑は首をかしげていて、不審そうな視線を私へとむけていた。
「え、ええと。じゃ、じゃあ、貰おうかな。毎日ありがとうね……」
こんな夢を見ていることを、そして変なことを考えてしまっていることを蜜柑には悟られたくはない。
どうしてそんな夢を見ているのかはわからない。いつも両親が私と蜜柑を比較している中で、私は蜜柑に負担をかけまい、と頑張って毎日を過ごしていた。だけど、そのたびに蜜柑は私に対して強くあたる、というか、不愛想になっていった。それでも、彼女なりに苦しい気持ちを抱えているのだろう、と思うと、不思議と彼女がより私の中で大きくなっていくのを実感していく。それが拡大解釈されて、夢の中で、……ええと、その。破廉恥な行為へと励む行為につながっていったのだろうか。
……女同士で? しかも、実の姉妹で?
これに関しては破廉恥とかの問題ではないような気がする。倫理観の問題でしかないような気もしてくるし、それをいちいち真に受けている自分が馬鹿みたいだ。
そんなことを考えているとは露知らず、蜜柑は食洗を終わらせたあと、慣れた手つきをしてマグカップにお湯を注いでいく。インスタントでしかないコーヒーではあるけれど、それでも彼女が淹れてくれるというだけで、心なしか数倍ほど勉強に身が入るような気がしてくる。
「はい、どうぞ」
「……ありがと」
……というか、ここ最近の彼女は本当に優しい。今までのことなんてなんでもなかったかのように、妹として私にかかわってくれている。特に、両親が旅行に出かけているこの時期に、彼女はいつも以上のやさしさで私を気にかけてくれて……。
「……あっ」
私は、思いついたように声を出した。
ここ最近の優しさについてはともかくとして、彼女はこの期間、ずっと私にコーヒーを淹れてくれる。
『テスト勉強、来週だもんね』
彼女はそんなことを口に出しながら、ずっと私にコーヒーを淹れてくれている。テストでいい点数を出さなきゃな、と思う私はそれに感謝を示しながら、眠気を覚ますためにそのコーヒーを口にしたけれど……。
「ん?」
蜜柑が私の声に反応する。私はそれに対して、「いや、問題の解き方がわかっただけ」とへたくそな嘘をついてみる。嘘をついたことに少しだけ罪悪感を抱きながら、ずっと私の中で起こっている部分の辻褄が合うように、頭の中で整理をしてみる。
……コーヒーを飲み始めてから始まってない?
そんなことに気が付いた私は、今さらになって淹れてもらったコーヒーを怪しいものとして見てしまった。
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「柚子にお願いがあるんだけど」と蜜柑は言った。
私がついた嘘を特に気にしない、というように、彼女は少し困っているような表情で呟いている。疑心が私の中にあるけれど、それでも妹の困っていることには応えたい。
私は毅然とした態度で「どうしたの?」と聞いてみると、彼女は、うん、と頷いた。
「私も来週、テストがあるんだけどさ。どうしても数学が不安で……」
彼女の困りごとというのは、彼女も同様に控えている試験に向けてのことだった。
「勉強を頑張っている柚子に、しかもこんな時期に頼むのは本当によくないなって思うんだけど……」
「別にそれくらいならぜんぜんっ!」
私は彼女の申し訳なさそうな表情に対してそう返す。
いろいろな疑心はあるけれど、その疑心だって私がそう思いたいだけの代物かもしれない。なにより、困っている妹が目の前にいるのだ。それを無視して自分だけ勉強をするなんて、そんなの姉としてあってはいけない。なんなら、久しいと感じるほど、彼女から頼られるといったことは珍しい。そんな珍しさに、私も期待に応えてあげたくなる。
「ほんと?」
「ほんとほんと。それじゃあ蜜柑も一緒にここで勉強する?」
私が蜜柑の言葉に返すと、また彼女は少し困ったようにしながら。
「わ、私の部屋で一緒に勉強したいなぁ、って」
少し可愛い様子で、蜜柑はそう返してきた。
□
「それにしてもなんで部屋で?」と私は彼女に聞いた。
「リビングだと勉強しづらくない? 胡坐かいていてもなんか疲れちゃうし」
「それは確かにあるかも」
私が居間で勉強をしているのは、単純に蜜柑と話す場面が増えたらな、という気持ちからだったので、実際は自室で学習に励んだ方が集中できたりする。
けれど、実際に彼女とこうして一緒に勉強をするという流れができたのだから、居間で勉強した甲斐というのもあるなぁ、とぼんやり私は思っていた。
「ええと、それでさ。私が今やっている部分なんだけど──」
そうして彼女は蜜柑の部屋にある勉強椅子に座って、机の上に教材を広げていく。
なんだ、本当に勉強するんだ、と呆気ない気持ちになる。というのも、もしかしたら疑心のままに、彼女が何かをしてくるのではないか、というのがあったせいだ。あったせい、というか、勝手に自分がそう演出しているのだけど。
(疑ってごめんね)
蜜柑に対して申し訳ない気持ちになりながら、私は蜜柑が広げた教材に手を伸ばして、一緒に勉強をすることにした。
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居間から持ってきていたコーヒーはすでに冷めてしまっていた。
勉強をしている最中、蜜柑が何度も、大丈夫? と声をかけてくる。実際、喉が渇いた感覚を覚えていたけれど、それでもコーヒーに手を付けることには抵抗があった。
「せっかく蜜柑と一緒に入れるんだから、コーヒーに時間は使ってられないなーって」
「なにそれ」
蜜柑はくすくすと笑いながら、そうして参考書の問題に取り組んでいく。確かに彼女は数学が苦手らしく、ところどころで計算ミスをしている。計算ミス、というかケアレスミスというか。そういったところを私が柔らかめに指摘をして、それを彼女が修正する。その流れの繰り返しだった。
そんな中であっても、彼女は私に声をかけてくる。
「私に遠慮しないで飲んでいいんだよ?」
流石にそろそろ断りづらくなってしまって、私は震えた声で、うん、と返す。彼女はそれににっこりと笑顔を浮かべる様子に、私はコーヒーを飲むふりをした。
ここ最近のことを振り返る。
いつも彼女に淹れてもらっているコーヒーを飲んでから、重たい眠気が来てしまうのだ。それについては気のせいではないと思う。この疑いを抱いてしまうのも仕方がないと思う。コーヒーってカフェインが入っているわけだし、それで眠くなる、ということはないはずだ。だからこそ、目の前にあるコーヒーに手を付ける勇気がないのだが。
でも、ここでコーヒーを飲んだのならば、眠るふりとかをした方がいいのでは、という気持ちになる。もしここでコーヒーを飲んで、私に何かしらのアクションがなければ、蜜柑は私を疑うかもしれない。……蜜柑が私が疑っているような行為をしているのであれば、の話ではあるけれど。
流石に飲んですぐに眠気が来る、ということはないはずだ。だから、しばらく勉強を済ませて、きりがいいところで私はアクションを起こそうと思った。
□
「ちょっとベッド借りてもいい?」と私は寝ぼけるような声でそう呟いた。
実際には眠くはない。蜜柑が淹れてくれたコーヒーを体の中に取り込んでいないのだから、眠くなるはずはない。時間帯としては夜ではあるけれど、それでも眠気がやってくることはない。遅くまで勉強をしている日常を送っているのだから、眠たくなどない。
「あ、うん」と蜜柑はそれに返した。彼女はうーん、とうねりながら参考書の問題を見続けている。証明の問題は確かに面倒くさいよね、と心の中で共感をしながら、そうして私は彼女のベッドの方に横になっていく。
──もし、蜜柑が私を辱めるようなことをしていたらどうしよう。
ここまで全部私の妄想かもしれないし、そうじゃないかもしれない。執拗に彼女は私にコーヒーを飲ませようとしていたし、飲んだふりをした後、彼女はにっこりと笑顔を浮かべていた。それが純粋に私のためを思っての笑顔だとしたら心が痛いけれど、ここで立ち止まるというわけにもいかない。
ふう、とベッドの上に寝っ転がってから、私はあからさまな溜息を吐いた。溜息というよりかは、決意のための息込みという具合ではあるが。
しばらくは呆然と過ごしてみた。勉強机に向かっている蜜柑の姿を見て、そうであってほしくないなぁ、とか、いろいろ考えてみる。
彼女は必死に勉強をしている。こんなに純粋な彼女が、……その、私に対して変な行為をするとは思えない。
そろそろタイミングとしてはちょうどいいだろう。そんな具合で、私はそれらしい寝息を吐き出してみる。
すぅ……。ふぅ……。
自分でやっていて馬鹿らしいな、と心底思ってしまう。これで何もなかったのなら、すべて私が変な気持ちを蜜柑に抱いている、ということじゃないか。
──でも。
「──寝た、のかな?」
そんなくすぐるような彼女の声に、私は疑心を確信に変えることしかできなかった。