布石なので許してください。
◆
「待っ──」
待って、と声をかけようとした。それ以前に、何度も待ってと言葉を吐いた。
違う、ともちゃんと言った。すべて違っていて、本当はカナコなんていう人はいないし、本当は一人でラブホテルにいただけなんだよ、と伝えたかった。
でも──。
「────」
扉は閉まって、そして私だけが取り残される。
すぐにでも追いかけたい気持ちになるけれど、服を着ていない状態で外に出ることなんてできるわけもない。だから、柚子に対して伸ばした手を押さえて、それから着替えなきゃ、と意識を変える。
──違うのに、本当に違うのに。
お姉ちゃんとラブホテル前であったとき、私はとても動揺していた。
もともと夕方くらいになったら帰るつもりだった。お姉ちゃんに向けてのネトラレボイスなんかを凝って作っていたら、いつの間にか夜になっていただけだ。
録っている要る最中に連絡がきた。どこかでリアル感を出そうと思って、なんとなく止まっているラブホテルの写真を撮ってみた。指先を唾液で濡らして、それからあからさまに柚子が動揺してくれるであろう写真を送り付けた。
……そうすれば、こっちのものだと思った。
お姉ちゃんなら、それから泣いて、それからごめんねって言ってくれるって。ちゃんと私との関係を考えてくれて、私と一緒に聖夜を過ごしてくれるって。
だって、そうじゃん。普通にそういう流れじゃん。……漫画だったら、だけど。
それで泣いているお姉ちゃんに録音を聞かせて、それからいろいろなところをいじってあげて、それからドッキリみたいにネタばらし。別に何もされてないよ、ちゃんとずっとカメラも撮っていたし、私は誰にも抱かれていない。柚子に一筋だよって。それで愛を確かめ合って、これからもずっと一緒にいようね、って。
そうなる、予定だったのに──。
『──うざいって言ってんの!!』
聞き覚えのある声で、そんな言葉が出た瞬間に聞こえてきた。
それは私に向けられたものではない。ホテル前で私を待っていたらしいお姉ちゃんがナンパされて、それをあしらったときに出た言葉。
それでも、お姉ちゃんがあんな風に声を荒げているのなんて初めて見た。
最初はびっくりしたけれど、いい兆候だなって。もしかしたら予定は変わるけれど、それでも私を愛してくれることには変わりないんだ、って安心した。ちょっと強く手を引っ張られて、それからホテルに連れ込まれて。今日はお姉ちゃんがタチなんだな、って心の中でほくそ笑んで、私はそのまま責められることに期待した。
一応、設定は壊さないように、要所でカナコという架空の人物を意識させるように、真に迫る質問は躱して黙ってみた。そうしたら怒ってくれて、噛んだり、抓ってくれたり。痛かったけれど、お姉ちゃんが愛してくれてるって自覚すると嬉しくて、それも気持ちよく感じてしまった。そして、それで感じている姿を見せれば、もっとお姉ちゃんも嬉しくなってくれるのかなって。
そう、思っていた。
でも──。
「──ちがうの、ちがうの、に……」
私の声は、もう届かない。
脳裏に過るのは、そのまま帰ってしまった柚子の姿。
最初は私を焦らすためにやっていることだと思ったのに、その声は演技とは言えないものになって、そしてそれから本当に出て行った。
何度も違う、と言ったのに聞いてくれなかった。流石にまずい、と思ったときには、もう柚子はここにいてくれなかった。
(──ちゃんと、話さなきゃ)
私はすぐに着替えて、それから携帯で柚子に連絡をする。
『ちがうんです』
『本当にちがうんです』
『ごめんなさい』
何度も電話をかけたけれど、それでも返信がくることはない。私が連絡した時にはすぐ既読がついていたのに、今は既読がつく気配もない。
『うそ』
『ぜんぶうそでした』
『ごめんなさい』
『おねえちゃん』
『私だけをみてほしくて』
『うそついちゃった』
『ほんとうにぜんぶうそです』
『ほんとうにごめんなさい』
電話をかけては、それでも返ってこない連絡に、更にメッセージを重ねていく。
録音したファイルを送ろうとした。撮っていたカメラのデータも送ろうとした。ファイルサイズが大きくて送れなかった。それに苛立ちながら、それでも片手間に謝罪と本当のことを打ち込みながら、脱がされた衣服を着こんでいく。でも、慌てているせいで裏表を間違えてしまった。けれど、今はそんなことさえどうでもよかった。
『ねえ』
『電話でて』
『電話出てください』
『お願いします』
打ち込んで、それから外に出ようとする。けれど、なぜか扉には鍵がかかっていて、外に出ることができない。
「なんで、なんでっ。お姉ちゃんはさっき出てたのにっ」
慌てているせいで、三度目の利用なのに清算することを失念してしまっていた。それを思い出した後、焦りながらお金を払って、そうして急いで外へと出て行く。
──まだ、大丈夫。
何度も心の中でそう呟く。思い込むように意識をして、急ぎ足でホテル前へと向かう。
──そうだよ、大丈夫。
お姉ちゃんは優しいから、本当はホテル前で私を待ってくれているはずだ。それで、慌てて出てきた私に対して、悪戯っぽい笑みで、焦った? とか聞いてくれる、はず。
頭の中、そうあってほしいと願いを込めて空想する。エレベーターに乗り込めばカップルに訝しい目で見つめられるけれど、それを無視して一階を押す。早く柚子に会うために。
──ホテル前で、待ってくれていますように。
そんな私の願いが、届くことはなかった。
◇
はあ、はあ、と息を切らしながら走っている。吐き出す息は白に染まって、それが視界を邪魔していく。
──どこ、どこにいるの、お姉ちゃん……。
ホテル前に、柚子はいなかった。
道を行き交っていたのは、クリスマスに便乗しているカップルのそれぞれ。たまに話しかけてくる男の群れもあったけれど、それを無言でやり過ごしながら、私は柚子の姿を探していた。
最初はホテルの近辺を探してみた。ホテルの前で待つのって危ないし、コンビニで温まっていることを期待した。……いなかった。相変わらず既読がつくことはなく、電話をかけても意味はない。
そんなタイミングで携帯の電池がゼロに近づいていく。なんでホテルで充電しなかったの、と自らの行いに憤りを抱きながら、黒くなった画面をポケットにしまい込む。今は柚子を探すことを第一にして。
もしかしたら家に帰っているかもしれない。そう思って家へと足を運ばせる。運動は苦手で、走るたびに苦しい感覚が続いたけれど、そんな痛みさえどうでもいい。早く柚子に会いたい、謝りたい。それだけが私の本当の気持ちだった。
口の中に血のような味が広がる。それくらいまで限界に走ったのはいつぶりなのだろう。
(それくらい頑張って走ってるんだから、お家にいてよ……)
そんな勝手な気持ちを自覚しながらも、そうであってほしいことを願い続ける。願いの中で、今度こそちゃんと謝ること、伝えるならその順序とか、適切に柚子を納得させられるように。
私が一人でいた証拠は用意しているから、謝った後はそれを一緒に見よう。そうじゃないと、いつまでも疑いって拭えないものだし。……本当はそれを見せたりしながら、柚子の身体を触りたかったけれど、そんなのは二の次でいい。今はちゃんと誤解を解くのと謝罪だけが必要だと思う。
(だから、いて、家にいてください)
充電の切れた携帯を鬱陶しく思いながら、私は何とか家に辿り着くことができた。
◇
「なんでいないのよ……」
そうして自宅に帰ってきたはいいものの、お姉ちゃんは帰ってきていないようだった。
玄関にあってほしかった柚子の靴はないし、そもそも家には電灯のひとつも点いていない。
あがったリビングに飾られている時計を見れば、もう夜も深くなる時間帯。そんな時間でも柚子が帰ってきていないことは私に不安を募らせて仕方がない。
『──ぜんぶ、終わり』
「や、やだ……」
頭の中で繰り返されるのは、お姉ちゃんとの最後の会話。
あの言葉の雰囲気は冷たいものだった、本当に私との関係を終わらせることを示唆するような、そんな声音。
お姉ちゃんは、本当に私との関係をおしまいにしてしまうのだろうか。……だから家に帰ってこない、とか? 浮気……、って思ったけれど、そもそもちゃんと付き合っていたのかどうかさえもわからないのに浮気ってなんだろう。それともあれかな、私と会わないために家出をするとか……? その場合、誰のお家に止まるの? ……いや、お姉ちゃんは友達多いから、それくらい融通は利いちゃうのか。でも、家出だとして、私は両親になんて話せばいいのだろう。
「お願い、お願い……」
聖夜に両手を組んで、それらしいお願いをする。
きちんとお姉ちゃんに言葉を伝えられますように。今日の私の過ちが許されますように。そのためなら何でもするから、せめてお姉ちゃんが大丈夫でありますように。
本当に、本当にお願いします。
そんなことを願いながら、自室に戻って携帯を充電する。また外で探すことも考えたけれど、連絡手段を持たないまま外に出ても見つけられる自信は何一つなかったから、今はそうするしかない。
そんな静かすぎる夜の中、私は充電しながら携帯の画面を開いてみた。
まだ、既読はついていない。
「本当に、お願いします……」
私は再度謝罪を送信しながら、お姉ちゃんが帰ってくることを祈ることしかできなかった。
◆
──そして。
◆
自室にいたけれど、それでも物音が聞こえてくるように静かにしていた。
だから、すぐに気づいた。がちゃ、と階下から玄関の扉が開く音。
ばっ、と包まっていた毛布を体からはがして、一目散に部屋を出て階段を下りていく。その先にいるであろう柚子の姿に期待をして。
「お、お姉ちゃんっ!」
階段から降りる最中、その姿を玄関先で見た。
外の街灯のせいで、その姿は逆光でしか見えない。それでも、その背丈、そのシルエットはお姉ちゃんのもので間違いなかった。
「ど、どこ──」
──そうじゃない。今は、ちゃんと謝らなきゃ──。
そんな私の不安を噛み殺しながら、それでも帰ってきてくれたお姉ちゃんに、私は謝罪の言葉を紡ごうとする。
「ご、ごめんなさい。全部、私の所為だよね。私、お姉ちゃんに嘘ついてた。お姉ちゃんに構ってほしいというか、これからもお姉ちゃんが私一筋になってくれるように、変な嘘ついちゃった」
お姉ちゃんと同じ目線になるくらいに階段を下りて、そして相対する。
暗い世界で、その表情は見えない。
それでも言葉は紡ぐ。
今の私にはそれしかない。
「本当はね、カナコっていう人はいないんだよ。全部、全部嘘なの。お姉ちゃんに構ってほしくて、それで嘘ついちゃったの。……ちゃ、ちゃんと証拠だってあるよ。疑われたらいやだから、ホテルではずっとカメラも回しててね。それで、ちゃんと最後はドッキリだってわかるようになってる。だから、大丈夫。……大丈夫って言うか、ごめんなさい。本当に嫌な嘘をついて、本当にごめんなさ──」
「──遅いよ」
「──え」
それは、ひどく冷たくて、棒読みのように感情はない。
「なんで、最初から言ってくれなかったの」
「ええっと、そ、それはね? お姉ちゃんに私だけを──」
「──最初から言ってくれたら、こんなことにはならなかったのに」
冷たい。冷たい冷たい、冷たい。
「ご、ごめんなさい、本当にごめんなさい。でも、もう大丈夫──」
「──本当に、もう遅いよ」
はあ、と柚子のため息が聞こえる。
感情がひとつもこもっていない声。
顔が見えないから、どういう雰囲気なのかさえもわからない。
それでも声は聞こえる。
「わたし──」
言葉が、聞こえる。
聞こえてしまう──。
「──犯されちゃったよ」
──そんな最悪な言葉を。
私は、飲み込むことができなかった。
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