小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い 作:形のない者
夕方の事務所。小宮果穂は階段を登りながら苦悩していた。
(……どうしよう……)
なぜ逃げ出してしまったのか。感情の置き所が分からなくなり、泣き出したいままに走り出してしまった。
扉を叩いて、いつものリビングに入室。目の前に誰か立っている。帰るところだったのか向かってくる。道を空ける。
「……おはよう」
「────あ、円香さん……おはようございます……」
「…………」
小宮果穂はいつになく意気消沈した様子でソファに座る。
事務所の中でカタカタと鳴り続けるキーボードの音色。その真横に立った樋口円香は小声で呟いた。
「すごいですねミスター前向きは。画面だけ見て、その向こうの女の子に気付きもしないとか、仕事熱心で何よりです」
「……え? 円香……?」
プロデューサーが振り返った時には、既に樋口円香は事務所を出ていた。
「な、なんだ? ──……あれ、果穂!? 来てたのか! すまん、気付かなかった。あれ、でも今日はお休みのはずじゃ……?」
プロデューサーは思う。もしや樋口円香は、小宮果穂について皮肉を言っていたのかもしれない。だがそれには一体どんな意味があるのか。
小宮果穂はソファに座って虚空を見つめていた。何か考え事をしている様子。それが変というわけではないが、いつもの元気がない。深く悩んでいるようだ。それを他者に気取られないよう気丈に振舞っているが、経験の浅さの所為か……その緊張しきったごまかしは、見る人が見ればまったく機能していない。
「……果穂。何か飲み物でも飲むか?」
「……あ、はい!」
プロデューサーは台所に立ち、コップにジュースを注ぐ。それを小宮果穂に差し出すが、今のプロデューサーに出来ることは限られている。
(まずいな……これから行かなきゃならない仕事があるんだけど……今の果穂を放っておくのは……)「……なぁ果穂。これから俺は外回りの仕事があるんだけど……すぐ戻るからさ。留守番頼めるか?」
「……はい。任せてください!」
「そうか。じゃあ任せたぞ!」
プロデューサーはリビングを後にして廊下を渡る。そして玄関扉のドアノブを回した時、扉の先から園田智代子と西城樹里の話し声が聞こえてきた。
(智代子! 樹里! ナイスタイミングだ!)「ふたりとも、よく来た!」
「わ、びっくりした! お、おはようございます、プロデューサーさん……?」
「急になんだよ……今から外回りか? いってらっしゃい」
「あぁ、行ってきます。……で、だ。果穂のこと、代わりに頼む!」
『……果穂のこと?』
プロデューサーは小声で「ふたりにも留守を任せたぞ!」と告げると、階段を下りて外出する。その駆け足は、急いで仕事を終わらせて帰ってくる勢いだ。対する園田智代子と西城樹里は、いったいどういうことか互いの目を見合わせる。
「? なんだろう……でも奥に果穂がいるってことだよね?」
「そうだな。とりあえず行ってみようぜ」
廊下を渡った園田智代子と西城樹里はリビングに入室。ソファに座る小宮果穂を発見。
「おはよう、果穂!」
「果穂、おはよう。……あれ、でもそういや果穂は、今日お休みじゃなかったか……?」
園田智代子と西城樹里は普段通り振る舞うが、ふたりは部屋に入って小宮果穂の姿を見た瞬間、彼女の異変に気付いておりアイコンタクトを交わしていた。
(これは……樹里ちゃん!)
(あぁ……果穂の奴、なんか落ち込んでるっていうか……)
ふいに小宮果穂が面を上げる。助けを求めるような視線が突き刺さり、ふたりは動揺する。やはり何かあったのだ。園田智代子と西城樹里は目を逸らさず、まっすぐと小宮果穂の瞳を見つめ返す。
「────…………樹里ちゃん……ちょこ先輩……その、少しお時間……あります、でしょう、か────」
そして小宮果穂は全てを言い終わる前に、溜め込んだ
「えっ! 果穂────」
「お、おい……!」
小宮果穂は一切の瞬きをせず、ポロポロと大粒の涙をこぼす。こぼし続ける。鼻をすするような前兆もなかった。なんの脈絡もない落涙に驚いた園田智代子と西城樹里は、大慌てて少女のそばに寄り添い、涙に濡れぬようスカートの膝下にハンカチを敷いて、鼻水を拭くためのティッシュ箱を捜索する。そして少女の背中をさすり、なだめて落ち着かせ、ゆっくりと話ができる状態になるまで根気強く待ち続ける。
一方の小宮果穂も、自分がいきなり泣き出していることに、ひどく驚いている様子。本人も“泣く”前兆が無かったことに混乱しているようだった。
「あれ……なんで……あたし……」
「ととととりあえず落ち着いて! 何があったのか話してごらん!?」
「いやまずちょこが落ち着け! あとアタシもだ! で、これはティッシュじゃないキッチンペーパーじゃねぇか!?」
コントのようなてんやわんやからしばらく。小宮果穂の傍らには、先程とは打って変わって毅然とした園田智代子が寄り添っている。西城樹里はソファの下で座っており、小宮果穂を慈しむような目で見上げていた。
「それで、果穂……何があったのか、聞かせてくれる?」
「もし話したくないなら、それでいい。でも言いたいことは言ったほうが、絶対に気が楽になるってのは保証しとく」
「ちょこ先輩……樹里ちゃん……ありがとう、ございます……」
小宮果穂は切り出す。
「あたし……どうすればいいのか、わからなくなって……」
『…………』
小宮果穂は、ぽつぽつと語り始める。涙ぐんだ声色で説明する。
アルファという同好の士と遊びたかったこと。学校の友達みんなと遊びたかったこと。どちらかを選べなかったこと。それならみんなで遊べばいいと閃いたこと。でもそんな自分のわがままのせいで、アルファさんに無理をさせてしまったかもしれないこと。
「……
「そのアルファって奴は、ホントは“無理してた”ってわけじゃないんだろ? それとも、それが果穂を気遣ってのウソだと思ってるのか? そうじゃないなら、そんな気にすることじゃ……」
小宮果穂は、ちがうのだと言いたげに首を否と振る。そして話を続けようとする。
ふたりは静かに耳を傾けた。それは小一時間にも及ぶ、要領を得ない話となる。しかし園田智代子と西城樹里は、頭をフル回転させながら最後まで聞き届けて、十二歳の少女が懺悔した話を、簡潔にまとめ上げた。
アルファさんは周りを気遣えるスゴい人。それなのに自分は、とてもワガママなことをしてしまった。
どちらも遊べる時間が午前だけという話だったから、みんなで遊べばいいと思った。でもアルファさんは途中で予定が空いて、実は午後でも良かった。つまり午前は友達と遊んで、午後はアルファさんと遊べば良かった。
それに気付くと、昨日の自分の言動を思い返すようになった。そして、だんだんと申し訳なくなってきた。
学校の友達やアルファさんに電話して、みんなで一緒に遊びたいと説得した。でもそれは、自分がそうしたかっただけで、みんなはそうしたくなかったのかもしれない。自分がしたことは──悪いことだとは分かってたけど無理やり押し通した──小さなわがままだと思ってたけど、本当は──自分が思ってる以上に無理やりだったスゴく悪いことで──誰かを困らせる大きなわがままだったのかもしれない。
つまるところ小宮果穂は、自分のことしか考えてない。周りを自分の都合のいいように動かしてしまった。そのせいでアルファさんに
アルファさんは、陽射しを避けるため適度にベンチを替えたり、水分補給を促してくれたり、自分が悩んでたら解決のヒントを出してくれる、プロデューサーさんみたいにスゴい人で、ちょこ先輩みたいにカッコいい人で、樹里ちゃんみたいに優しい人なのに。
まだまだ自分は子供で、本当に申し訳ないことをしてしまった。さらに、自分の謝りたい気持ちが見抜かれそうになったから、全力で逃げ出してしまった。
「────なんで果穂は、逃げ出しちゃったの?」
「……まずは……あたしの、中で……よく、考えたいって、思って……でも、なんで、逃げちゃったのかは……わかんない、です……」
「…………」
「────そっかぁ……そういうことが、あったんだねぇ……」
「……あ、あたしは……みんなに、ごめんなさいって、言いたい、です……」
「……果穂は、何も悪いことしてないだろ。謝られたって、みんな“なんで?”って驚くと思う」
「────そうなんだよねっ。私もそう思うよ?」
「……でも、あ、あたしは……っ!」
自罰的な泣き顔の小宮果穂に対し、西城樹里はズバッと切り込むように断言した。
「果穂は、誰にも責められてない! ただ、自分で自分を責めちまってるんだ!」
「────まぁ、端的に言うと、そうなるよね? となると、あとは自分をどう許すか、という話になります。でもその前に……まずは樹里ちゃんの言ってることが本当かどうか確かめたい? それならアルファさんに電話してみるのも一つの手だよね! ほんとは無理してた? って。……果穂は、今どうしたい?」
「っ…………逃げちゃったこと、アルファさんに……謝りたいです……そして、どう思ってたのか……話しても、いいんでしょうか……?」
「……アタシは、大丈夫だと思う。そのアルファって人も、きちんと果穂の言うこと聞いて、分かってくれるさ」
「────果穂は責任感が強いから、自分の至らない点を責めてるだけなんじゃないかな~って思うんだよね。『自分のことしか考えてない』とか『自分の都合のいいように』とか、まさにそれ! って感じ。本当に悪い人は、そんなこと考えないと思うから。……だから、果穂がこうやって自分の思いを口に出せているなら、きっとアルファさんも分かってくれるよ! こんなイイ子な果穂が嫌われるなんて、ありえないもん!」
小宮果穂は、初めて目元を拭う。西城樹里は、少女の崩れた前髪を整えながら話しかける。
「逃げ出しちゃったのは、さ。アタシが思う果穂の気持ちだから、全然正解から遠いかもしんねーけど……『これ以上、自分の恥ずかしいところを見られたくなかったから』……とか。それで今は、不安に駆られている真っ最中……とかだと思うんだよな~」
「────なるほど?」
「や、チョコ、これはアタシの勝手な想像だからな!? ……果穂が本当はどう思ってるのか分からないけど、自分でも自分が分からないって言うなら、何かのヒントにはなるかもって思って言ってるだけだからな!? あんま真に受けんなよ……?」
「────それでも助かるよね。それで樹里ちゃん? もっと果穂の気持ちを探してやってはくれませんかな?」
「……じゃあ……もし、果穂がそのアルファさんって人に『失礼を働きたくない』『カッコつけたい』とか思ってるなら、なおさら自分の至らなさとか、恥ずかしさとか、そういうのに我慢できなくなって、穴にでも入りたくなったんじゃねーかなーって……いや、これはアタシの場合の話、かな……」
「────だそうですが。果穂は、今の私たちの見解を聞いて、自分の心の整理はついてきた? 何か答えになるヒントとか……見つけ出せそう?」
小宮果穂は、少し悩ましそうに首をひねる。
すると園田智代子は優しく微笑んで、身も蓋もないことを言い出した。
「時間は掛かるかもだけど……もうあとは、今の果穂の気持ちを打ち明けて、アルファさんに謝ればいいと思うな? アルファさんは(話を聞く限り)そもそも怒ってないと思うし、もし怒っていても許してくれるよ! 許してくれなかったら、私も一緒に謝る! その前に、もっと具体的な話を聞かないといけないけどね? それで、あとは果穂が自分を許せるかどうかに懸かっているけど、そこはもう……気合い?」
「いやそこで根性論かよ!?」
「だって自分を許せるかどうかって難しくない!?」
「まぁ、そりゃあ……そうだけどよ……」
ふと小宮果穂が、不思議そうに問いかける。
「おふたりも……むずかしいんですか……? 自分を、ゆるすこと……」
「! うん。難しいよ? 自分を許す方法の正解なんて、私にはちょっと答えられないかなぁ……でも、私は私なりの対処法は持ってるつもりなので! ただ自分にしか効き目がないから、ほかの人に手当してあげられないのが残念だけど……!」
それを聞いた西城樹里がツッコむ。
「へぇ……まさかそれ、一日反省会として、チョコ頬張るだけだったりしないよな?」
「失敬な! それもあるけど、もっと乙女チックなやつもあります!」
「……チョコはなんつーか、ストレス太りとかしそうだよな……いや、しないか」
園田智代子と西城樹里の漫才。それも小宮果穂が落ち着けば一区切り。
「……果穂はさ。今すっごく苦しい気持ちなんでしょ? しかも、それがなんでなのか、分からないんだよね?」
「はい……」
「それはさ……きっと『もっともっと成長したい~!』……って、果穂の心が叫んでるからだと思うんだ。あくまで私の想像によれば、ですが!」
「……成長、ですか?」
「うん! 果穂はいつだって前に進もうとしてるからね! 果穂の背中をずっと見てきた私が言うんだから、そこだけは間違いないって自信があるな! まぁ逆を言うと根拠はそれくらいなんだけど……まぁ、それはともあれ。──人の体って、成長期に入ると成長痛を起こすでしょ? それって心も同じことになる時もあると思うんだよね。わがままは子供の特権だけど、果穂は
「……乗り越えたかたが?」
「うん。大人だってわがままを言いたい時はあるし、言える状況だったらどんどん言ってもいいと、私は思ってる。だって、わがままがいけない世界なんて、すごくつらいでしょ? 自由がない。だから、わがままを辞める必要なんてない。誰かを困らせるわがままがいけないのであって、わがまま自体がダメなわけじゃない。私はそう思うな?」
「────────」
「もし果穂の苦しみがひどいなら、それはもしかしたら、乗り越えかたがまずいのかもしれない。って、私は思うな! 正解とか間違いとかの話じゃなくて。今の状況に合った
「…………」
その話について、西城樹里が詰める。
「そのチョコ理論で行くと……今の果穂は“わがまま自体をやめようとしてる”から、“苦しくて泣いている”んだよな? だから、その乗り越えかたは、ちょっとよろしくない。……アタシだったら“反省したからこんなわがままは二度とやらない!”って決める。そうすりゃ“スッキリする”と思う。──もちろん、わがまま自体はやめない。だってチョコの言う通り、わがままをやめたら、色々とツライだろうからなー。──いやまぁ確かに、わがままの内容にもよるけどな? それでも果穂のわがままなんて、大体“可愛いお願い”くらいなもんだろ。そんな、みんなが怒るほどひどいもんじゃないって。少なくとも今回の話を聞く限り、そんなひどいわがままだとは全然思えなかったし」
「……────」
小宮果穂は思索に耽る。その表情は泣き顔というより、どこか吹っ切れた印象を持った。
それを見てひとまず安堵した園田智代子と西城樹里は伸びをして、かたや小宮果穂の衣服を心配し、かたや立ち上がって台所に向かう。
「いっぱい話したねー! もう喉カラカラだけど、果穂はそれプラス号泣だったから、服とかスカートが濡れちゃってるよー! あ、水分は大丈夫!? 脱水症状起こさない!?」
「スポドリ持ってくるよ。たしか冷蔵庫にあったはず」
「ありがとう樹里ちゃん!」
西城樹里からスポドリを受け取った小宮果穂は、涙を拭ってゴクゴクと飲み干し、「ぷはぁ!」と生き返った心地で心機一転。
「────っ! ちょこ先輩! 樹里ちゃん! ありがとうございますっ!! あたし、せっかく出来た友達に、ぜったいぜーったい、きらわれたくなくて……自分のこと、責めすぎてたみたいです……ご迷惑おかけして、ごめんなさいっ!」
「そんな! でも、いつもの果穂が戻ってきたみたいで良かったよー!」
「あぁ。目を開けたまま涙がポロポロと落ちた時は、ビビったからなぁ~……」
「えへへ……すみません……でも、たぶんもうだいじょーぶですっ! あたし、今の気持ち、今すぐアルファさんに伝えて、謝ってきます! そうしたら……この胸の痛みも、消えますか……?」
「それは、アルファさんの返答だったり、果穂次第としか言い様がないかな……? でも、もし果穂がそれでも自分を許せなくても、私たちが付いてるから大丈夫!」
「そうだぜ果穂! 怖がっても何も始まらねぇ。怖いだろうけど勇気を込めて、バッチリ決めてこい!」
「~~っ! はいっ! じゃあ、さっそく電話してきますねっ!」
小宮果穂はスマホ片手に、事務所の屋上に駆け出す。
その様子を見送った園田智代子と西城樹里は、ドッと疲れたように安堵の溜め息を吐いてソファに倒れた。
「ふわぁ~……な、なんとかどうにかなりそうで、よかったぁ……」
「いやぁ~~~~~……ほんとになぁ~~~~……」
「ど、どうにか、なったよね……!? 大丈夫かなぁ果穂……私、何か変なこと言ってないよね……!? なんか偉そうなことベラベラ言ってなかった!?」
「いや……大丈夫じゃねーかぁ? それより、お疲れ、チョコ。アタシだけじゃ正直ヤバかった。やっぱチョコはすげーな!」
「えーなになに!? 私は全然……! それより樹里ちゃんの方こそお疲れだよ!」
「はは。じゃあお互いにお疲れだな。……果穂も、まだまだ成長途中で、不安定になる時期もあるだろうからさ。アタシたちがしっかりしねぇとな。……いや、まさにその時期でもあるアタシたちが、偉そうに言えることじゃねぇんだけど!」
「そこは樹里ちゃん! 年の功ということで!!
「なんだそれ。もうおばあちゃんにでもなったつもりかよ!」
屈託なく笑い合う園田智代子と西城樹里。
やがてふたりの視線は、小宮果穂が立ち去った屋上への道に注がれる。
「……気になる」
「いや、けど、盗み聞きは良くないだろ……」
「そうだけどぉ! シンプルに心配でぇ!」
「まぁ、果穂なら大丈夫だろ……」
「……あ、ところで樹里ちゃん?」
「ん?」
「果穂が話していた“アルファさん”って……
「……」
「それとも本当に名前がアルファさん?」
「……そこは、さすがに前者じゃねーか? もし後者なら……果穂に外国人の友達ができた、とか?」
§
一方その頃。事務所の屋上にて。
茜色の夕焼けに染まる街並みを背景に、小宮果穂はスマホを耳に当てる。通話相手はアルファさん。放クラの先輩ふたりが簡潔にまとめた話を打ち明けて、小宮果穂は意を決して謝罪する。
「────というわけなんですっ! だから急に逃げ出しちゃって……本当に、ごめんなさいっ!!」
『おう。許す。つか、そもそも怒ってねぇし、無理もしてねぇ。一ミリも』
「────! あ、ありがとう、ございます……!」
『ただ、ひとついいか?』
「っ! はい……!」
『俺からしたら、なんでそんなことで自分を責めてんのかが、よく分からないんだよなー』
「! それは……」
『いや、今の話を聞いたんだから、ちゃんと分かってるよ。……誰も責めてこないから、自分で自分を責めるしかなかったんだよな』
「…………」
アルファは、小宮果穂の気持ちを、端的に自分の言葉でまとめてみる。
『自分の思いつきで周りを巻き込んで、それに少し罪悪感を抱いていたら、
「……っ!!」
突として放たれたアルファの暴言に、小宮果穂はおっかなびっくりするほかない。
(や、やっぱり、怒ってる……!?)「あ、あの……あ、あたし……自分のことしか、考えて、なくて……アルファさんが、無理してるかもってことも、考えることが、できなくて……」
『話が振り出しに戻ってる。俺は許すって言ったろ? だが俺が許したところで、今みたいにお前はお前を許せてない。だからここからは、お前の心の問題を解決しよう』
「……え?」
『いいか。お前の“わがままをしちゃった”という問題点は、既にそのちょこ先輩が解決してくれたようだから……俺は、お前が傷ついた『俺が無理してるかもしれない』っつー言葉について解決しようと思う』
「────」
アルファは滔々と語る。
『例えばの話。俺が腕立て伏せ百回をすることになった。傍から見て俺は苦しそうに見える。で、それを『無理している』と表現する奴が現れた。でも俺はそもそもなんで腕立て百回をしている? 答えてみろ』
「え? えっと……それは……誰かに、腕立てしなさいって、言われたから……? あたしが、お願いした時みたいに……」
『半分正解、半分間違い。たしかに腕立ては誰かに勧められたかもしれないが、強制はされていない。俺は嫌なら辞める権利がある。俺はやりたいことをやるためには腕立て百回が必要だと勧められたから、それはなんて素晴らしい提案だと思ってやり始めたんだ。つまり好きでやっていることに『無理』もクソもねぇだろう』
「……」
『それともお前はあれか? ヒーロー番組で悲しい回があった時、胸が痛くなって泣いたとする。それを見た他人から『無理しないで観るのやめたら?』って言われたらどうよ。どう思う』
「……それは、なんか、ちがうなって、思います……だってあたしは、泣いても笑っても、ヒーロー番組を見たくて見てるから……」
『そういうこった。というわけで俺は無理してません。無理してるように見えても好きでやっています。それを他人からとやかく言われる筋合いはない。あと、お前のやり方が横暴だとも思ってません。なぜなら俺の方がもっと横暴なことしてるから。自分の惨めさに苛立った挙句、感情に身を任せてお前をビビらせるほどの語気で話してる。これを八つ当たりと言わずなんと言う。お前の自分勝手な罪深さと比べたら、俺の方がよっぽど身勝手すぎて地獄行きだよ』
「……!」
『要するに、お前が逃げ出した原因は俺にあるから、俺の方が悪いって話』
「えっ? いえ、そんなことは……!」
『それが分かっても分からなくても、さっさと次の根本に移りたいと思います』
「────次?」
『お前は諸々のストレスが溜まってる。学業、用事、対人関係、周辺環境、天真爛漫な性格ゆえの経験不足からくる不器用さ、肉体疲労、頭脳疲労、精神疲労、その他もろもろ盛りだくさん。あとホルモンバランスの乱れで精神的に不安定になる思春期という若者特攻の病魔。それらストレスの蓄積が、今回の『果穂ちゃんのせいで嫌われたくない人が無理してんじゃない?』と『問題はお前にある。お前のせいで誰かが割を食った』のダブルパンチで爆発した。でも、その“ちょこ先輩と樹里ちゃん”とやらのおかげで、爆速でメンタルがリカバリーを果たした。これはただそれだけのこと。状況終了。今日はたらふく食って縄跳び百回ほど運動して抱き枕でも抱いて涼しくして寝ろ。お大事に』
「え、あ、え────!?」
────ブツッ。ツー、ツー……。
通話が途切れた。アルファはとんでもない早口の後に、小宮果穂の理解を置き去りにして消えてしまった。
「……切れちゃった……」
と思いきや、ピロンピロンとメッセの音が鳴る。
《言い忘れた》
《腕立て百回は楽しかった》
その意味は、もしや公園でみんなと遊んだことだろうか。
────ピロン。と再び音が鳴る。
《それ以外にあるか?》
その新着メッセージを目にした直後、小宮果穂は驚きのあまり叫んだ。
「やっぱりアルファさんは────エスパーっ!?」
§
後日。
放課後。夕方の公園。茜色の陽射しがビルに遮られて寒風が吹きすさぶ。その公園は小宮果穂とアルファが再会を果たした場所。タコのようなドーム状の滑り台が今日も佇む。そこから遠くにはブランコがあり、周囲の柵には腰掛けるアルファがスマホをいじって佇立していた。そこに駆け込んでくる女の子は小宮果穂。
「アルファさん! こ、こんばんはっ!」
「おう。久しぶり。……まず、先日の件はすまなかった」
アルファは折り目正しく頭を下げる。
「えっ!?」
「公園でトドメを刺した件と、この前の通話で口調が荒かったこと。……未熟を言い訳にはしたくないが、実質未熟だからさ。まぁなんだ。お互い焦らず、一緒に成長していこう」
「……!! そ、それを言うなら……あたしもっ! 急に逃げ出して、すみませんでした……! あの時は頭の中がいっぱいになっちゃって……あんなことするつもりじゃなかったのに、気付いたら走っていて……アルファさんから、逃げちゃって……」
「衝動的な感じ? やっぱ俺ら、まだまだガキだな!」
「……!」
アルファは他人事のように笑う。だがそれは冗談めかして自他の拙さを軽視しているわけではない。笑みに反して悔しがっていることは、同じ気持ちである小宮果穂には簡単に見透かすことができた。
『…………』
両者はただ面と向かって佇むばかり。時間で言うと数秒が過ぎる。
やがてふたりは同時に切り出した。
「あのさ」「あの……!」
アルファと小宮果穂は口をつぐむ。
「……なんだ?」
「あ、いえ……そちらからどうぞ!」
「んじゃ遠慮なく。今日はヒーロー談議じゃなくて、ほかの話をしようぜ。というのも俺の話を聞いてくれよ」
「……!」
「昨日の今日で、お前から『会いたいです』ときた。どうせ互いにヒーロー談議する気分でもない。……いや、いざ話し始めたら普通に盛り上がるだろうけどさ。かといってケジメは必要だと思うんだ。つっても重く捉える必要はない。こういうのは自然な感じの軽めでいいんだよ、軽めで。つーわけで、ちょっと腹を割ろうと思う。お互いの事を軽く知ろうぜってことだ。親睦会と思えばいい」
ベンチのあるところまで歩いたアルファは腰を下ろす。
その傍らに小宮果穂もちょこんと座って、目のやり場に困り、自分の靴を見下ろした。
「俺さぁ……、……」
なにやらアルファは言い淀む。小宮果穂は話し始めるのを待ち続けるが、あまりに沈黙が長いため横を見る。そこには苦々しい面持ちで眉をひそめるアルファの横顔。なんだかツラそうだ。いったい何を話そうとしたのかは分からないが、これ以上アルファに嫌なことはさせたくない。そう思った小宮果穂は、ありのままの気持ちを伝える。
「あの、無理をする必要は……」
「あー。気を遣われたかぁ……」
突然アルファは崩れ落ちた。土の上で四つん這いとなり、目に見えて落ち込んでいる。といっても、ややオーバーリアクション気味。しかし純粋な少女は、どうしようと慌てて困惑する。
「えっ! アルファさん……?」
アルファが起き上がる気配はない。ただ時間だけが過ぎていく。ならば自分の方から話そうと、小宮果穂は決心した。
「あの、それなら……あたしの話を、聞いてくれますか?」
その言葉を待っていたかのようにアルファが起き上がると、何も言わずベンチに座り直す。
小宮果穂は語った。それは先日、園田智代子と西城樹里に打ち明けた話を、もっと深く掘り下げた上で簡潔にまとめたもの。
学校に通っていること。お仕事もしていること。そのため、なかなか友達と遊べる時間がないこと。同じく、アルファさんも忙しそうであまり話せないこと。そして、ようやくアルファと遊べると思いきや、友達とも遊べるようになった。どちらと遊ぶか決めきれず、悩んでいるうちにダブルブッキング。どうしようと焦り、切羽詰まった時、ふいに自分勝手な第三の選択肢を閃いた。行動力を爆発させて、遊ぶ約束をしていた友達全員に電話して、アルファの仲間入りについて説得して許可を得た。
「でも、ちょっと強引なことしちゃったかなって、寝る前に思って……」
「…………」
「それで、友達から『なんでアルファさんを連れてきたの?』って聞かれた時……やっぱり強引なことをしていて、みんなを困らせちゃっていたのかなって、思ったら……」
その後の顛末は知っての通り。先日はアルファに通話で謝罪した。同じく学校の友達にも『実のところ、どう思っていたか』を聞いてみた。すると『なんで果穂ちゃんが謝るのか分からない』『全然怒ってない』『気にしてないよ』『またあのお兄ちゃんと遊ぼうね』と返された。なんだか自分だけ空回りしていたようで、少しだけ心がスッキリ晴れやかになった。
それでも、少しだけ心が曇ってモヤモヤしている部分もあった。きっとそれは樹里ちゃんの言うように『誰も責めてくれないから、自分で自分を責めている』のかもしれないと思った。ワガママなことをしてしまったのを、すごく気にしていたんだなと改めて気付いた。
「だから……ごめんなさいっ!」
アルファは頭を掻く。
「その“ごめんなさい”は、いったい何に対しての“ごめんなさい”なんだろうな?」
「……! それは、たぶん、ちょこ先輩によると……“成長したいあたし”に対しての“ごめんなさい”なんだと思います!」
アルファは解決に安堵するような吐息をつくと、赤みかかる夕空を見上げた。
「なんかやっぱ、すごく難しい問題に直面していたんだな」
「はい……」
「話してくれてありがとう。この前の通話より話がまとまっていたから分かりやすかった。あれからまた煮詰めたのか?」
「はいっ! ……自分の気持ちが分からないままなのは、イヤだったので……だから、何度も何度も、何がダメだったのか考えて……」
「……そうか。えらいな。それは結構すごいことだ」
ふとしたアルファの褒め言葉。
それに小宮果穂は自然と笑みをこぼす。だが、ふいに小首をかしげると、小宮果穂は“考える人”のように、口の下に曲げた指を持ってきた。
「……? あれ……」
「どうした?」
「あ、えっと……その、なんであたし、アルファさんを呼んだんだろう? と思って……」
「誰でもいいから話す相手が欲しかったんじゃね? 鏡に向かって今の話をしても虚しいだけだろ」
「……そ、そうなのかな……?」
小宮果穂は訝しむ。
自分で自分を責めている、そんな自分を“もう責めなくていいよ”と許すために、この話を誰かに打ち明けたいと思った。でも、その相手にアルファを選んだ理由が分からない。話を聞いてもらいたいだけなら、家族やプロデューサー、放クラや事務所のみんなでも良かったはず。わざわざ忙しいアルファの時間を割いてもらう必要はあったのか。それとも本当は、アルファにこそ謝りたかったのか。しかしアルファからは、先日の電話で既に許しを得ている。ならば、なぜ────?
「……その、何度も同じ話で謝って、すみません……」
「それは別にいいんじゃね? 分からないから納得できなくて反復練習する。勉強だって同じだろ」
「……!」
「レッドも“ヒーローの修行は地道な繰り返しが基本”って言ってたしな」
「……そっか。そういうこと……だったのかなぁ?」
小宮果穂は自分を許すことができた様子。だが、また別の分からないことが浮上したらしく、お悩み中。
一方のアルファは咳払い。どことなく決意を秘めた顔をして、きっちり小宮果穂の呆とした横顔を見据えた。
「さて、こんなにお前が頑張って赤裸々に話してくれたんだ。それならこっちも何か話さないとな」
「!」
「さっき言い淀んだのはな? その……失礼を承知で言うが、“これを小学生に話すのかぁ”……と思ってたんだ」
「?」
「学年で考えるのは失礼と分かってんだけど……まぁ、これもプライドってやつかな」
「……プライド?」
「だって、中学生が小学生に弱音を吐くとか、カッコ悪いだろ?」
「……そう、なんですか?」
「そう思う奴もココに居るって話だ。……世の中にはな? 持っていて良いプライドと、それ別に要らなくない? ってプライドの、二種類があってな。俺は逞しく生き抜くために“要らないプライド”はくだらないものとしてなるべく多く捨ててきたけど……捨てても捨てても新しく湧いてくるんだよなぁ。で、今もまた捨てるべきプライドが発生中。今こうやってウダウダ言ってるのが、まさにソレだな」
「……?」
「で、今しがた対処法を閃いた。いろいろ考えたが、やっぱコレしかない」
「?」
「中学生の男子は、今から小学生の女子に話すんじゃない。────同好の士であるダチ公に話すんだ」
「……! はいっ! あたし、同好の士として、アルファさんの相談に乗ります!」
アルファは「そう言うと思った」と笑うと、気恥ずかしそうに頬を掻く。
「まぁ相談って感じでもないんだけどな。ただ話を聞いてくれるだけでいいんだ」
「はい!」
(……とは言ったものの、なんだかやる気満々だな……)
小宮果穂は両腕を持ち上げて、ばっちこいと言いたげに目を輝かせている。
対するアルファは、真横から振り撒かれる眩しさに耐えて、重い口を開いた。
「……俺さ。褒められることに、あまり慣れていないんだ」
「──え?」
「最初会った時、お前すっげぇ褒めてきたじゃん? ことあるごとに“スッゴいですーっ!”って」
「……!! あ、えっと、その……っ」
「いちいち謝ろうとするな。苦言を呈しているわけじゃない。褒められるのは素直に嬉しいよ。ただ慣れてないから苦手ってだけの話だ。それ以外に他意はない。つまり褒めるのをやめろって言っているわけではない。かといって、もっと褒めてくれと言っているわけでもない。そこんところは誤解しないでほしい。これは、単に、俺の苦手なものの話だ」
「…………はいっ」
アルファの行き届いた心配りの台詞は、傍らの少女の懸念を全て払拭した。
すると小宮果穂は安堵のあと、生まれた余裕から疑問が生じる。
「……でも、あの……なんで、苦手なんですか? 褒められて嬉しいなら、苦手にはならないと、思うんですけど……」
「単に経験がないんだ。まだ少ない」
「経験……」
「ただまぁ中学に上がってからは黄金時代でな。今の学校はマジでイイ奴ばかりで……心が洗われるようだった。というかマジでキレイさっぱり洗われた。俺、もしかして異世界に来ちまったのか? ってくらいの環境の激変っぷりでさ。やっぱり世界は広いんだなーって……そんなこと世界地図で見て知っていたはずなのに、世の広さを全然体験していなかったことに気付いて……やっぱり驚いた」
「…………」
「井の中の蛙がなんとやらって話だ。小学校の頃は暗黒時代だったからな。今の俺は恵まれているよ。嫉妬なしに実力を評価してくれる環境の、なんと居心地の良いことか……」
「…………」
アルファはわざとなのか、身の上話をぼかして語る。そしてベンチから跳ねるように飛び降りて離れると、小宮果穂の“話を理解しようとして熟考する真剣な表情”を見て、申し訳なさそうに笑う。
「う~ん……」
「……ははっ! デリケートな話だからオブラートに包んだだけだ。わざと曖昧に話したってこと。だからそう真剣に受け取る必要はない。話を聞いてくれてありがとな。それだけで少し気が楽になった」
「え……あたし、何も分からなかったんですけど……それでも、良かったんですか……?」
「あぁ。ちょっと話すだけで救われる奴もいるのさ。だから礼を言った。……あ、別にお前が相談相手に力不足とは思ってないぜ。これもやっぱりプライドの問題かな。……というより、ガチの話を聞かせて暗い顔をさせたくないってのが本音か」
「……」
天真爛漫と無知蒙昧は異なる。さすがの小宮果穂も、そこまで愚鈍ではない。
時代の黄金と暗黒。そのワードのニュアンスだけで、なんとなくアルファの半生が紐解けるような気がする。だが具体的に何があったのか想像することは難しい。その想像力の足りなさが、アルファと自分の差なのかと、小宮果穂は歯がゆく思う。
そんな少女の心中を察したのか、青年は話を逸らす。
「あ、そうだ。ちょっと気になってることがあるんだけど」
「?」
「お前の話を邪魔しないよう、あとで聞こうと思ってたんだが────お前さ。『仕事してる』って言ってたじゃん? それってどういう────」
小宮果穂の“仕事”について、アルファが問おうとした時。
「────っ!」
公園の端っこに視線をやっていたアルファは急に怖い顔をして、ベンチから小宮果穂の腕を引っ張り、強引に立ち上がらせた。
「うわぁ……! な、なんですか!?」
「果穂。不審者だ。今すぐ俺の後ろ側に走れ。人が多い道路側に逃げろよ」
「……え?」
「早く行け! 俺とつるんでると思われるな!」
「……っ!?」
威圧されるように叱咤された小宮果穂は、言われるがままに駆け出した。急なことで驚いて息が上がる。混乱する頭で必死に考える。
(ふ……不審者? でも、それなら、なんで、アルファさんは……逃げないの? アルファさんも、逃げないと……!)
小宮果穂は立ち止まる。きびすを返そうとするが、年上のアルファからは“逃げろ”と言われた。それには従う必要がある。逡巡する小宮果穂はどうしようかと周囲を見渡した。すると公園の隅に建つドーム状の遊具が映る。ドームの中は真っ暗だ。その中に隠れていれば不審者に見つかることはないだろう。既に公園の端っこまで走っていた小宮果穂は振り返り、タコさんのようなドームの中に駆け込んだ。そしてドームに空いた小さな穴から外を見守る。
公園の中央を歩くアルファを発見。
その向かい側からは、学生服を着たガラの悪い三人組が歩いてくる。そして────突然アルファが蹴られて、顔を殴られて、手のひらで肩を突き飛ばされた。
(……っ!?)
小宮果穂は衝撃的な光景を目にして、心臓がキュッと引き締まり、鼓動がバクバクと耳を打つ。アルファが────倒れた。尻餅をついたアルファはすぐに起き上がり、切れた口の端から垂れる血を手の甲で拭い取る。そして鋭い眼光を不良三人組に向けながら立ち上がった。さらに毅然と言い返す。
「で、気は済んだか? 中学生にもなってガキの頃の繰り返しとは学ばない奴だ。お前がそこまで低脳だとは思わなかったよ。失望した」
「……ッ!! この、減らず口が……!」
三人組の不良少年は、アルファとは異なる中学校の制服を着ている。話を聞くに小学校の頃は同級生で、今は別々の中学校に通っているのだろうか。三人組の中で最もアルファを目の敵にしている少年は、なんと生唾を吐いてアルファの制服を汚し、土を蹴ってアルファの靴とズボンの裾を汚した。
(……! ……なんで……あんなこと……するんだろ……)
小宮果穂はショックを受けて縮こまる。
反対にアルファは軽蔑の表情を崩さず、静かに睨み据えていた。
「アァ!? なんか言えやッ!!」
「……え、なに? 反応が欲しかったの? かまってちゃんかよ」
アルファは鼻で笑う。対する不良少年は腕を振り上げた。アルファの首がガクッと急激に反り返る。────
(────どうしよう────アルファさん────助けないとっ────いけないのにっ────なのに、あたし、なんで────)
小宮果穂は震えていた。
反対にアルファは腕を組み、不動明王も頷くほどの堂々たる仁王立ちをかます。
「……おい。マジで殺すぞ?」
「自分から豚箱に行きたいとは物好きな奴だ」
不良少年は激昂した。アルファの胸ぐらを掴み上げ、言葉にならない怒号を張り上げる。
(ひっ……!?)
とどろく恫喝。思わず小宮果穂は心の中で悲鳴を上げる。
「……。えっと、今のって……負け犬の遠吠え?」
「チィッ!!」
おちゃらけて笑うアルファ。
対する不良少年は掴み上げた襟元を突き飛ばすように手放し、わざとアルファの肩にぶつかってすれ違う。もはやアルファのことなんて興味ないと言いたげに公園から立ち去る。
(────────────────)
小宮果穂は、どうかそのまま帰ってくれと祈る。嵐が過ぎ去るのを願う。
しかしアルファは、最後の最後に反撃した。
「なぁお前ら。『巌窟王』って知ってるか?」
(……っ! なんで、アルファさん────)
黙っていれば去っていたかもしれないのに。
不良三人組は立ち止まり、首だけ振り返る。
「────あ? なに言ってんだコイツ。知るかよ、死ね」
「なんすかね、がんくつ王って?」
「どっかの王様の話じゃないっすかねぇ?」
「なるほど。知性は低いし教養も低いときた。救いようがねぇな」
「はっ! 殴り返してもこねぇ弱虫が吠えてやがる!」
「アハハ!」
「ダッセェ!」
不良三人組は嘲笑っているが、彼らは
(────────…………)
小宮果穂は状況を見守る。
不良三人組が公園から出て行っても、アルファは佇立したまま微動だにしない。と思いきや振り返り、不良三人組が視界から消えたことを確認すると、土がついた上着を脱ぎながら水飲み場に向かう。その横顔は────上半分は泣きそうで、下半分はニヤケていた。それは強がりの微笑みだと、小宮果穂は察していた。
(────なんで────あたし────あたし────っ!!)
アルファは汚れた制服を洗い終えると、クタクタの様子でブランコに戻る。そして周囲に誰もいないことを確認し、風にかき消されることを望む大声を叫んだ。
「あーあーっ! 運が悪いっ! この近くに住んでんのか? いや違うな……たぶん会いに来たんだ。わざわざ遠くからご苦労さんッ!! あーくそがっ! 俺の人生、めんどくせぇ雑魚に絡まれたなぁー! これだから妬み嫉みは嫌いなんだ! ハァァァ…………」
アルファは俯きながらスマホをいじる。チェインを開いて、小宮果穂にメッセを送る。
『不審者は去った。でも危険だから今日はそのまま帰れ』
アルファは溜め息をつく。ふと前方に人の気配。子供の両足と可愛らしい靴が見える。もしや大柄な自分がいるせいで、怖くてブランコを使えないのかもしれない。咄嗟にアルファは立ち上がり、ブランコから立ち去る。
「悪い。ブランコ使っていいぞ」
その返答は────すすり泣くような鼻声だった。
「……──え?」
アルファは面を上げて振り返る。そこには、しゃくり上げるように泣く小宮果穂が立っていた。
「えっ……お前、まさか……逃げろって言ったのに……。ずっと、見てたのか?」
「っ……! ご、ごめ、なさ……おまわり、さん……よばな、きゃって、おもって、たのに……あたし、こわくて……うごけ、なくて……っ!」
「……!」
小宮果穂は全身を震わせて号泣する。その顔は涙と鼻水でクシャクシャだ。
アルファはスマホをしまって駆け寄り、何度も両目をこする少女の前で、何もできず立ち尽くす。
「…………────びっくりしたよな。怖かったよな。変なの見せて、ごめんな……?」
小宮果穂は首を横に振る。必死に振り続ける。アルファが謝る必要なんてない。謝るなら自分の方だ。なぜなら自分はヒーローとして、成すべきことを成せなかった。
「あ、あたし……ヒーロー、みたいに、なり、たいって、おもって、たのにっ……! アルファ、さんの、こと、たすけ、られなく、て……っ!!」
「……」
「お、おまわり、さんも……おとな、の、ひとも……よべ、なく、て……っ! ぼうはん、ブザー、もって、たのにっ……! もってるの、きづい、たの……ぜんぶ、おわって、からでっ……!!」
「……果穂」
「あ、あるふぁ、さんは、あたしのこと……“にげろ”、って……ひーろー、みたいに、たすけて、くれ、たのに……っ!!」
「────果穂」
アルファは膝をつき、ポロポロと流れ落ちる涙まみれの俯き顔を、そっと見上げる。
「悔しかったな。でも仕方ない。今回ばかりは仕方なかったんだ。そう思え。誰だって最初は怖いもんだ。だから次は絶対に失敗しないよう頑張るんだ。人はそうやって成長していく。……その様子だと、本物の人の──剣呑な──殴り合いを見たのは、これが初めてだったんだろ? それでいきなり適切に動けっていうほうが無茶ってもんだ」
「でもっ……でも……っ!」
アルファは立ち上がる。そして、
「大丈夫だ。頭では分かっていても体がビビってた。それを経験したのなら、次はきっと後悔しない行動ができるはずだ。そうだろ? ……それとも果穂は、このくらいの失敗で、ヒーローになるのを諦めるのか?」
アルファの胸の中で、小宮果穂は首を横に振る。振り続ける。
「なら次に期待しているよ。挑戦だ。チャレンジだ。……それに俺は、ご覧の通り無事だ。互いに助かったな。でも次は無事じゃ済まないかもしれない。だから次はヒーローらしく行動できるように、お互い頑張ろうぜ。とりあえず今日は、お互い幸運だったことを喜ぼう」
「────……ひぐっ……うんっ……────」
嗚咽する小宮果穂は、次は絶対に助けると言いたげに力強く頷いた。
「あとさ。俺のこと“ヒーローみたい”って言ってくれたけど……俺は全然ヒーローじゃねぇよ。だってさ……」
アルファは泣き貰いでもしたのか。目に溜まる涙をこぼさないように、夜空の一番星を仰ぐ。
「────泣いている女の子を、笑顔にする方法が分からない。そんな奴、ヒーローとは呼べねぇだろ……?」
§
十分後。日没直後の公園は、電灯の明かりがあってもなお薄暗く、冷たい風が吹き付けて寒々しい。
アルファは最寄りの自販機から清涼飲料水を買ってきて、ベンチに座る小宮果穂に手渡す。あれから泣き止んでいた小宮果穂は水をゴクゴクと飲み干し、まだ引き攣る喉を抑えて一息つく。
「落ち着いたか?」
「っ、はい……お水、ありがとうございます……。それと、あたしを助けてくれて、ありが────」
「おいおい。水の件はともかく、最後のは違う。これは俺が謝るべき件だ。──巻き込んでごめん。あいつら俺の知り合いなんだ」
「……知り合い……。……あのっ────」
────もしかしてアルファさんは、今まであの不良三人組と喧嘩を繰り返していたのか。
そんな小宮果穂の質問を遮るように、アルファは言葉を挟む。
「落ち着いたならもう帰れ。あぁだが、まだあいつらがそこらでたむろしてるかもしれない。頼りになる迎えが欲しいな……家族はいるか? できれば強そうな兄とか」
「は、はい……いますっ……」
「ならそのお兄さんに電話しろ。そしてこう言うんだ。『公園で不良を見た。今は大丈夫だけど泣いちゃって怖くて動けない。迎えに来てほしい』……これで迎えに来ない奴は家族じゃねぇよ」
「え、えっと……とりあえず、連絡、してみます……っ!」
小宮果穂はスマホを取り出すと、その場で兄に電話する。
対するアルファは席を外して距離を取り、警戒のため公園を見渡した。
『もしもし?』
「……あ、お兄ちゃん? あ、あのね……お願いがあるの……ちょっと、迎えに来て、ほしいん、だけど……」
『え、なんで? あ、そうだ。母さん、お前の帰りが遅いって言ってたぞ。今どこにいるんだ?』
「あ……ちょっと遠い公園、で……ピンクの、大きなドームが、あるところ……」
『あぁ……あそこか! ……あのさ。なんか鼻声じゃね? それとも電波が悪いのか?』
「……! ……」
『……おい、果穂。まさか泣いたのか? 何があった。お兄ちゃんに話してみろ』
「あ……え、えっと……ふ、不良が、殴ってるの、見て……怖くて、泣いちゃって……動けなくはない、けど……ひとりで、帰れるけど……迎えがあった方が、危険じゃないって言われて……それで……あ、その、言われたっていうのは、アルファさんが────」
小宮果穂はまだ混乱しているのか、しどろもどろな説明となる。
一方、通話越しの小宮兄といえば、なにやらバタバタとしていた。
「……あれ? もしもし、お兄ちゃん……?」
『────っと待ってろ! すぐ行くから!』
「え? なんか……風の音がすごくて……お兄ちゃんの声、よく聞こえないよ……?」
先程まで通話越しにテレビの音が聞こえていたが、今はビュービューと吹く風の音や車の走行音が聞こえる。
『今は無事なのか!?』
「えっ……あ、うん……だいじょうぶ……アルファさんが、助けてくれたから……」
『は? アルファさん? まぁいい。話は後で聞く。あと五分、いや三分で着くから! 全力疾走で!!』
「……!」
アルファは、小宮果穂の様子を見て、彼女の安全が約束されたことを見て取ると、足早に公園から立ち去ろうとする。
「んじゃ、俺は帰る。今の説明不足の話で、俺がその不良と勘違いされて殴られるのはゴメンだからな」
「……え?」
「ん。さすがにお前のお兄さんは、そんな短絡的なことはしないか。まぁでも余計な誤解は避けたいだろ。本当はお前のご家族に『巻き込んで申し訳ない』と謝るべきなんだけど……やっぱ今日のところは帰るわ」
「え……アルファさん!」
そう言ってアルファは立ち去った。小宮果穂は慌てて呼び止めようとしたものの、アルファが立ち止まることはなかった。一度も振り返らず直進する様子は、まるでそのまま消え去ってしまうかのように────小宮果穂は感じた。
そして時を置かず、公園に大声が響く。
「────果穂ーっ!!」
「……! お兄ちゃん……!」
「ハァ、ハァ……お、思ったより、遠かった……昔は公園から公園へハシゴするなんざ当たり前だったんだけど……た、体力が……」
「で、でも……早かったね?」
「当たり前だ! 俺は果穂のお兄ちゃんだからな! お前を守るためなら、いつでも、いつだって全力さ!」
「……!!」
啖呵を切りつつ息も絶え絶えで両手を膝に付ける小宮兄は、公園一帯を見渡して人気がないことを確認する。不良とやらは見当たらないが、一般の通行人さえ見当たらないあたり、何か起きたら助けを呼べないということは容易に分かる。
「……もう遅いから、誰もいなくて治安が悪く見えるな……早く帰ろうぜ。俺いきなり突っ走って家を出ちゃったから、たぶん母さんびっくりしてるだろうな」
「う、うん……」
小宮兄を先頭に、その斜め後ろにぴったりと付く小宮果穂は、家路に就く。
ふいに小宮兄が妹の手をつなぎ、しっかりと握り締めて帰り道を急ぐ。
「……って、果穂。めっちゃ泣き腫れた目ーしてんなー。そんなに怖かったか? 何もされてないよな?」
「うん……」
「……家に帰ったら、何があったか、全部話せよ」
「……うんっ」
§