小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い 作:形のない者
後日。
平日の放課後。小宮果穂は我が家に帰宅する。
「ただいまー!」
「おかえりなさーい」
小宮果穂は帰宅するなりランドセルを置いて宿題のプリントを取り出し、玄関に駆け戻る。
「おかあさーん! 今日もアルファさんのおうちに遊びに行ってくるねー! 宿題も向こうで終わらせてくるー!」
「またヒーロー番組を見に行くの? レッスンがない日はこのところ毎日じゃない。アルファさん迷惑がってない?」
「だいじょうぶ! ぜんぜん平気だって!」
小宮果穂は、ひとつだけ家族に隠し事がある。
合鍵を貰った話を、どうしても報告することができなかったのだ。
────それはちょっとなぁ?
────返してきなさい。
そんなようなことを言われるのが目に見えている。アルファの生い立ちを説明して説得すれば、もしかしたら理解は得られるかもしれないし、全然されないかもしれない。
いずれにせよ、もし合鍵が無くなれば、アルファと遊ぶ機会が減り、好きなヒーロー番組を見る機会も大きく失われる。そんな想像力を働かせた結果、あれこれと悩んでいるうちに合鍵を報告する機会を失っていた。つまりはヒーロー番組見たさの欲望に押し負けたわけだが、それ以上に小宮果穂は隠し事をしている自分に負い目を感じていた。
§
そして、いつものように家を飛び出した小宮果穂は、マンションの認証登録を突破してアルファ宅に到着。
「……おじゃましまーす……」
合鍵で入室。やはり誰もいない。薄暗闇の廊下は、いつもちょっとだけ怖い。だが
小宮果穂はクローゼットから箱を取り出し、ヒーローグッズを整理して、今日も今日とてコーディネートに精を出す。
「よいしょっと……わぁ! これ限定モノのアイテムだ! スッゴくスッゴく高いやつーっ!!」
しかしヒーローグッズを取り出すたび、ついついコーディネートを忘れて遊びほうけてしまう。
しばらくして「はっ!」と我に返った小宮果穂は、現在時刻を確認。リビングに駆け込んで、一話でも多く、まだ見ぬヒーロー番組を視聴する。
やがて扉がガチャリを音を立てて開かれる。アルファの帰宅である。
「ただいまー……ん? またも見知らぬ靴。柄とサイズ的にあいつか。靴を何足も持ってるなんて豪勢だなぁ……」
今日の中学校は六時限目まであったようで、小宮果穂より帰りが一時間も遅くなった。
「おかえりなさい、アルファさん! おじゃましていますっ!」
「おう。楽しんでいるようで何よりだ。でも、こうも頻繁に来て家族は心配してないのか? 友達との遊びもどうした」
「はいっ! お母さんから、むしろアルファさんにご迷惑が掛かっていないかって聞かれました! 学校のみんなとも公園で遊んでますよ!」
「そうなのか。まぁお前の家族には『合鍵を持たせてあるから心配は要らない』と言ってあるから、むしろこっちの心配をしてくれているわけか。なるほどな」
「────えっ?」
「ん? ……あぁ。もちろん最初は合鍵に関して苦言を呈されたが、警備会社を中心に安全面について説得していたら『アルファくんがそれでいいなら』という形で納得してくれた」
「…………」
「もちろん、ご家族は俺に果穂を任せたんであって、マンションに果穂を任せたわけじゃない。その点も踏まえた上で説得していたら、なんとか納得してくれてな。いやー、俺の交渉術も年々レベルアップしていると感じるよ。これもうご婦人が相手なら無双状態かもな?」
小宮果穂は漠然と思う。もしかしたらアルファは、恐ろしい人なのかもしれない。基本的に彼がやることに無理はなく、大抵のことは叶えてしまうのだ。その能力の高さは、なんというか、本当に自分より一個上なのかと疑ってしまうほどの高スペックである。
「なぁ。ソファ倒してくれないか?」
「あ、はいっ!」
小宮果穂はソファを大変形させてダブルベッドに替える。片側は小宮果穂が座って使い、もう片側はメガネを掛けたアルファがくつろいでいる。さらにアルファは、閉じたノートパソコンの上に解答用紙を敷き、西日を頼りに問題を解き始めた。すぐそばにはスマホも置いてあるが電源は切ってある。やがて最低限の自習を終えると、ノートパソコンとスマホを起動。スマホではアンケートサイトのアンケートに答えてせっせとポイントを稼ぎつつ、パソコンでは海外ボランティア系のサイトを開いて、なんと次の連休日にボランティアの登録申請を済ませていた。
「えっ! アルファさん……今なにしたんですか?」
「人のパソコンを覗くな」
「っ!! ご、ごめんなさ────」
「冗談だ。見ろと言っているような位置だもんな。気になるか?」
小宮果穂は頷くと、ソファの上を四つん這いで近付き、ノートパソコンの画面を覗き込む。そこには海外ボランティアの募集リストがズラリと並んでおり、主に中東やアフリカの名前が多かった。
「……アルファさん。今度の連休で、アフリカに行くんですか?」
「あぁ」
「この、り歴だと……三年前から毎年、ゴールデンウィークや夏休み、秋休みやクリスマスは、全部ボランティアのために海外に行っているんですね……! アジア、東南アジア……アフリカ……! スゴいですっ! ひんこんに苦しむ子供たちを助けに行っているんですね! やっぱりアルファさんは本当のヒーローです! カッコいいですーっ!!」
「……」
小宮果穂は瞳を輝かせているが、対するアルファは陰鬱そうにキーボードを打ち込んでいる。
「……あれ? アルファさん?」
「そんな殊勝なもんじゃねぇよ。助けになりたいっつー気持ちはあるが、本音の半分は得点稼ぎだ。大学見据えて前もって積んでんだよ。資本主義の徳ってやつを。これには釈迦も眉間にシワを寄せるかな? やらない善よりやる偽善ってか、片腹痛い」
「……?? ……────ボランティアに行ったら、何かもらえるんですか?」
「なに言ってんだ。ボランティアなんだから何も貰えないよ。むしろこっちが金を払っていくんだ」
「……? でも、アルファさんは……ビンボーなんですよね?」
「あぁ」
「なのに、お金を払って?」
「あぁ」
アルファは分かりやすい。答えたくないことは生返事で済ませる。
対する小宮果穂は、自分の身を削って誰かを助けに行くアルファさんはスゴい! と、正直な気持ちを伝えようと思ったが……何やら険しい顔をしているアルファを見て、口を閉ざしてしまう。しかし、ここで退いてしまってはアルファについて分からないことだらけだ。もしかしたら生返事で返されるかもしれないが、ここはそれでも勇気を出して聞いてみる。
「…………。……あのっアルファさん! どうしてビンボーなのにお金を払って、ボランティアに行くんですか? その……今の話、ちょっとよく、わからなくて……」
「要するに、内申を上げるためにボランティアに行ってるってこと。あと俺、英語の授業や英会話教室がどうにもダメだから、ボランティアで現地に行った方が会話術が身に付くんだよ。現地で好きな奴を作ると尚良し。ま、実益を兼ねた投資ってやつだ。といっても俺がボランティアに行ってる国は、ほとんど英語圏じゃないけど……おかげでフランス語やスペイン語ばっかり身について困るね……」
「…………つまり、困っている人を助けつつ、外国語を習いに行っているってことですか? それがナイシンを貯めることにもなって、大学に行く時に有利になる……?」
「ちょっと惜しいけど、まぁそういうこと」
「わぁ……! つまり一石二鳥ってやつですねっ! それでも困っている人を助けることは素晴らしいことです! スゴいですっ!!」
「……」
アルファは分かりやすい。褒められると黙り込む。やはりまだ慣れていないのか。それだけならまだしも、時々、褒められると苦しそうな顔をするのはなぜだろうかと、小宮果穂は首をひねる。
「……情けは人のためならず、巡り巡ってなんとやらとは言うが……打算での善行は、どうにも納得できねぇな。だからこればかりは、あまり褒めてくれるな」
「え……でも、理由はどうあれ、人を助けているんだから……褒められても、いいと思うんですけど……?」
「……────かもな。そう、なんだろうな。ってことは、これもプライドの問題ってことか。────つか、俺のことはいいからさ。お前は自分のことを楽しめよ。テレビ流しっぱじゃねぇか」
アルファは「しっしっ」と犬を追い払うように、小宮果穂がヒーロー番組に夢中になるよう勧める。
「巻き戻せるからだいじょうぶですっ! それにあたしは……アルファさんのことを知るのも楽しいですっ!」
「……そう軽々しく殺し文句を吐くな。お前いつか勘違いされて襲われるぞ」
「へ? かんちがい? おそわれるって……」
「まぁ俺は、お前のこと幼児として扱ってるから問題ないけど」
「えっ」
小宮果穂は硬直する。今のは冗談? 冗談ならすぐに冗談だと言ってくるはずだが、その気配もない。つまりこれは、たまによくある、アルファからのイジワルだ!
「────むっ! な゛ん゛で゛そ゛ん゛な゛こ゛と゛言゛う゛ん゛で゛す゛か゛ぁ゛っ゛!゛!゛?゛?゛」
「ははっ! うるせぇ! 近所迷惑だ!」
小宮果穂は思う。アルファは時に、まるでお兄ちゃんが妹の自分をからかってくる時のようにイジワルしてくる。でも何かを教えてもらう時は父親のようで、博識なところは凛世さんや夏葉さんのようで。優しくされる時は母親や樹里ちゃんのようで。カッコいい時はプロデューサーさんやちょこ先輩のようで。そして普段は“ゆいがどくそん”の空手パイロットアルファみたいで────
「あ、そろそろ名シーン来るぞ」
「!」
そして小宮果穂よりもヒーローものに詳しい。全てのDVDを既に二回以上は見ているかのような記憶力には驚くばかり。
「────────…………」
やがて小宮果穂は名シーンを見終わると、アルファに問いかける。
「あの……なんでアルファさんは、そんなにヒーローものに詳しいんですか? いつもこのディスクを見てるんですか?」
「あぁ。独り暮らしは死ぬほど寂しいからな。平日の夕方と休日は“流し見”してるんだ。だからかな、覚えているわけじゃないぜ。なんかもう体に染み付いて、いつどのシーンが来るのか頭の中で音声が再生されるんだ。脳内再生余裕ってやつ」
「……っ……」
それはスゴい! と言いたいが……同時に、なんだかすごく寂しいと思えてしまって、小宮果穂は言葉に詰まる。
「……その、それならアルファさんは……ヒーローもの以外は、特に見ないんですか?」
「ヒーローものが好きだからな。それ以外は別にいい」
「……じゃあ……なんで、そんなにヒーローものが好きなんですか?」
「お前はどうなんだよ」
好きなものに理由はない。だが強いて言うなら────
「あたしは……誰かを助けるヒーローが、カッコいいから大好きですっ!」
「そうか。俺の場合は……ヒーローが心の救いになったから好きだ。ほら、俺と似た設定のヒーローが昔いたろ?」
「────っ!! それは、もしかして両親を失って戦闘用に改造された、ミナシゴヒーローですかぁ……!?」
「そうそう。よく知ってんな。名前のダサさから相当古いって分かるだろ? 両親が事故って死んだ時、いじけて深夜まで起きてたら、ちょうど深夜枠で再放送されててさぁ……あれ見て“俺もやってやろう”って思えたんだ。勇気を貰って奮起できた。あれがなかったら今頃、たぶん惰性で生きてたんだろうなぁ……」
小宮果穂は押し黙る。静かにアルファの話に耳を傾ける。
「演出も臭くてさ。『画面の前の君も頑張れ!』って暑苦しく叫んでくるんだよな! でもさ。よくよく考えてみれば、親戚連中はそんなこと一言も言ってくれなかった。そんなこと言ってくれたのはミナシゴヒーローが初めてだった。そして一念発起さ。助けてくれって弁護士に突撃したんだ。そしたらその弁護士も『一緒に頑張ろう!』って言ってくれた。そうやって血縁者じゃない奴らから勇気と根性を貰った時はさー……状況に流されるんじゃなく、頼りになる大人を自力で捜さなきゃいけないんだと悟ったよ。まぁそういうのもあって、俺はフィクションでもノンフィクションでもヒーローを尊敬────えぇえええええええっ!!?」
アルファは驚天動地の心地となる。
なんと話を聞いていた小宮果穂は瞳を潤ませており、目が赤くなるまでこすってしまっており、鼻水を何度もすすっては大粒の涙を流していた。
「お、おいおい……そんな、なんか孤児のドキュメンタリー番組を見てワイプで泣く女優じゃねぇんだから……」
「あ、あたし……泣゛い゛て゛ま゛せ゛ん゛っ゛!!」
「────……はは! そうかい。んじゃ、この話はこれで終わりな?」
アルファは思う。別に同情されたくて話していたわけじゃなかった。単にヒーロー談議の延長線上で、つい自分語りをしてしまった。その内容が、小宮果穂の心には少しキツイものがあったのだろう。アルファは内心反省する。
「……ん? もうこんな時間か。もう日が暮れるから帰れ」
「…………」
「──果穂?」
ふいに小宮果穂は、懐から一枚のチケットを取りだした。
「あの……やっぱり、これ……受け取ってください! お母さんに頼んで買ってもらったんですっ!」
「? なんだこれ。ドームの入場チケット? ヒーローショーか! ありがとう、遠慮なく貰っとくよ」
小宮果穂はアルファの家に来て、その家庭環境を知ってから、密かに計画していたことがある。
「きっと────」
「?」
「きっと、そのヒーローショーは……アルファさんに元気を分けて、明るく笑顔にさせてくれますっ! このあたしが、保証しますっ!!」
「────お前、何を……」
「ぜったいですっ! だから見ててくださいっ! ジャスティスⅤより、新しいヒーローがいるんですっ!!」
「…………なんだ? いっちょまえに俺を元気づけようとしてんのか? もともと元気だっつの。親がいないだけで暗かったら、世のジジババどもはどうなるってんだ。まったく!」
アルファは口では皮肉を言うが、その口元は緩んでおり、小宮果穂から貰ったチケットを大事そうにしまう。
「ぜったいに! 来てくださいねっ!!」
「分かった。絶対行くって。ありがとさん」
「……ぜったいですよっ!!」
「──っ!? ……あぁ。絶対だ。約束する」
§
後日。
昼間のドーム会場。そこにやってきたアルファは、時計台の針を確認して疑問に思う。
(真昼間にヒーローショー? 子供の腹が減るから、あまりこういう時間帯にはやらないはずだが……このあたりはそうじゃないのかな? 昼飯時にはヒーローショーやらないとか、実は俺んとこだけのローカルルールだったりする?)
そしてアルファは、会場に集まる客層を見て、怪訝そうに首をひねる。
(んー? なんか客層ちがくね? 子供もいるけど……幼児が極端に少ない……つか二十歳以上が過半数を占めてないか? なんか女子高生も多いし……どうなってんだ? もしかしてこのチケット、ヒーローショーのやつじゃないのか?)
てっきりヒーローショーだと思い込んでいたアルファは、チケットに書かれている情報をろくに検索せず、そのまま丸腰で会場に来ていた。
(やべっ。あいつ俺に何を渡したんだ? ヒーローショー以外の見せ物だとすると、なんかやっておかなきゃいけないルールとかあんじゃねぇの? つっても、もう調べてるヒマねぇな……まぁいっか。なるようになれだ。突撃するか。もしかすると比較的、大人向けのヒーローショーなのかもしれないし)
楽観的に考えるアルファは会場に入る。そこでポツポツと異物を見つけた。
五色、いや六色のペンライト。赤、桃、黄、青、緑……そして橙。さらに少女の写真が貼られたうちわ。応援のようなメッセージが描かれたタオル。応援旗などなど。
(……?)
アルファはチケットの情報だけを頼りに、指定されたエリアに到着。
舞台の上がよく見える場所で鉄柵に身を預け、静かに佇んで会場の様子を見守る。
そして開演の時が来た。
全天消灯。暗闇の中、舞台から五色の光が爆発し、五人の少女が舞台袖から現れる。
(は? これ、もしかして────俗に言う、アイドルってやつじゃね?)
困惑するアルファに、さらなる追撃が飛ぶ。
『みなさーん! 今日は来てくれてー! ありがとうございまーすっ!!』
(────え……このクソでかい、うるせぇ声は────)
『あたしはー! 放課後クライマックスガールズの、ヒーローアイドル! 小宮果穂でーすっ!!』
(────っッ!?)
『あたしたちの歌とダンスで、みなさんに勇気と元気を分けてあげちゃいますっ! えへへっ!』
アルファは絶句していた。目の前で何が起きているのか分からず、ただ呆然と輝ける舞台を俯瞰する。
『それでは聞いてください! ……せーのっ。『ビーチブレイバー』……!!!!!』
それは波打つような旋律。熱く滾るような絶唱。
ファンの声援も合わさり、絶好調のライブの中────
それを見守るアルファは、不意に思い出す。
────アイドル。仕事。プロデューサー。
点と点が線でつながり、今までの疑問がきれいに氷解されていく。
「────は……ははっ! すげぇ……マジですげぇよ……おまえ────果穂……!」
そしてアルファは、涙を流した。
(でも────ごめん────俺────お前に────こんな、スゲェこと、してもらったのに────)
その涙に込められた感情は、決して感動のたぐいではなく、とても醜いものなのだと自覚する。
(俺────果穂が、うらやましいよ────)
§
翌日。
夕暮れの放課後。中学校の相談室。
そこにはアルファと校長先生がソファに座り、面と向かって話していた。
「うん。君の能力の高さなら、かなりランクが上の高校に行けるだろう。確定だと太鼓判を押してもいい。もしここが海外なら、明日から大学一年生くらいには飛び級できるレベルだよ」
「なら、飛び級してもいいじゃないっすか」
「────」
「この国でも飛び級の事例は少ないけどありますでしょう? もったいつけないで答えてくださいよ。もう答えは読めていますけど」
「……そうだね。ごめん。なんとか諸大学には掛け合ってみたんだが……あまり、反応が芳しくなくて……」
「っ……」
アルファは握りこぶしを作り、肩をわなわなと震わせる。
「……君は『自分の実力を出し切りたい』と、常日頃から口にしていたね。現に海外へ足を運んでボランティア活動をして、貧困に苦しむ子達の救助率を5パーセントも引き上げた。これは本当に凄いことだよ! 偉業だ。表彰式では『一人で四人分の働きを見せてくれた』と絶賛されたし、日本の新聞でも一面を飾ったね。少年ナイチンゲール、なんて書かれてさ」
「めっちゃ端っこの切れ端ですけどね。つっても名声は求めていません。名声はあくまで手段だ。ボランティアで実績を残したのも、全ては飛び級を認めてもらうため。諸大学に振り向いてもらうためです。心の底から、ガキどもを助けようと思ってやったわけじゃない……」
「いいや。それでも君は、とてもとても優しい子だよ。だからそんなふうに言わないでくれ。それに僕の方こそ……力になれなくて、本当に申し訳ない……」
「いえ。俺のなんかのために突っ走ってくれて、本当にありがとうございます……っ!!」
アルファはソファの上で、まるで土下座でもするように、折り目正しく頭を下げる。
「……君にとっては、この学校の授業は大層退屈だろう。テストでは百点満点を出せるはずなのに、周りの友人に気を遣って、わざと問題、間違えてる」
「……」
「最初、君から『テスト用紙を二枚ください』と頼まれた時は、どういう意味かと勘繰ったよ。
「……」
「それで君の小学校時代を調べてみたらどうだい。あまりに優秀すぎたことで、クラスメイトから
「まぁ、はい。出る杭は打たれると言いますし」
「じゃあ、あの時の腫れたほっぺたも? 君は『転んだ時のケガです』と、保険の先生に報告したようだけど……たしか君の小学校時代の生徒で、ここに進学してきたのは君だけだよね? となると別の中学校の子に殴られたってこと? じゃあ、まだ因縁は続いているのかい?」
アルファは淡白に答える。
「まぁ……俺を殴った奴は、どっかの御曹司みたいで……どれだけ努力して結果を出しても、周りからは親の七光りだから当然、あの親の血統だから当然、としか評価されなかったみたいで。つまり俺と同じで“正当な評価を貰えなかった子供”なんすよ、あの御曹司は。で、それに追い打ちをかけるように、貴族の御曹司より優れた平民の俺が、ぽっと出のように現れたわけで。必然、周囲からは『平民より劣る貴族』だとか揶揄されて……倫理観中世かよってレベルの精神的虐待を受けたらしく……だからっすかね。もう歪みに歪んで、俺に嫉妬してるんです。俺の異常すぎる優秀さを妬んで、周りから認められている俺を嫉んで……。そんなわけで、俺をのけものにしていたのは、その御曹司と、そいつに従うしかなかったクラスメイトくらいなもんで────ま、それも疾うに過ぎた話ですよ」
「……はは。なんだか参っちゃうなぁ……」
「はい?」
「いや、精神的に成熟している……というか、すごく達観しているなって。もし僕だったら、たとえ相手にどんな事情があったとしても、自分を殴っていじめてくる奴のことを、そこまで慮ることはできないよ。……やっぱり君は、優しい子だ。優しすぎて心配になっちゃうよ」
「別に心配する必要はないですよ。暴力に訴えてくるなら社会的に抹殺します。もし非行どころか犯罪に走るなら、首を絞めて一分くらい窒息させて脳障害を引き起こして救命措置を施して、寝たきりの体と心にすればいい。それが衆生のためだ」
校長先生は絶句する。表情は固まっており、冷や汗が滲んでいた。
「ってのは冗談ですよ? ホントです。……いやマジで冗談ですからね? 最後の一言はゲームのセリフですし。そりゃ俺だって頭の中で、嫌いな奴を何度か殺しますよ。現実では絶対にやらないですけど」
「……君の言葉は時々、冗談には聞こえない時があるからなぁ……スゴ味があるというか、なんというか……」
「ハハハ。校長も冗談がお上手なようで」
アルファの目は真っ黒で、まったく笑っていない。
「……えっと、そういえば君、“仕事の件”は、どうなったんだい?」
「色々な人にわがままを言って奔走してもらったんですけど……やっぱ中学生の就職とバイトは無理そうっす。ガキが働ける国があるかどうかも調べましたけど、やっぱ新聞配達やら牛乳配達やらばかりで、さして日本と変わらないし……。ガキが貧困に喘ぐ国の場合は、そもそもが止むに止まれぬ事情があって働くしかない子がいるだけっすから、そんなところに俺が行ったら、せっかくのガキどもの働き口を奪ってしまって餓死させることになる。殺人と変わらない重罪っすよ。──だから結局、ボランティアで我慢して、大人になるのを待つしかない。そういう答えになりました。つまり振り出しに戻ったってことですね」
「そうか……歯がゆいね……ボランティア活動では、我慢できないのかい?」
「はい。ガキの身分だと、簡単なことしかさせてもらえませんから」
「……じゃあ、あと二年とちょっとか……高校生になるのが待ち遠しいね?」
「はい。でも────あ、ちょっと愚痴いいっすか?」
「もちろん」
アルファは眉間にシワを寄せて悪態をつく。
「なんで特例でもいいのに認めてくれないんすかね? 本人が働きたいって言ってんのに。俺、どの会社に所属しても、一年半には実績を挙げますよ?」
「────それは……ちょっとブラックジョークが過ぎやしないかい?」
何がブラックジョークなのか。
その理由をアルファは、深々と反省しながら懺悔する。
「すみません調子に乗りました。────もう二度と、親に恵まれた背丈を利用して年齢を偽り書類を偽造して“就職”なんてしません。あの頃は法律も知らない小五のバカ野郎だったんです……。もし小五だとバレても罰せられるのは自分だけだと思ってたけど……まさか“たとえ未成年を雇用していたことを企業側が知らなくても、罰せられるのは未成年側じゃなくて企業側”だとは、露ほども知らなくて……」
「ホントだよ! そんなことをしでかした君が、うちの学校に来ると知った時は、どんな子なのかと先生、最初ビビっちゃった。でも、いざ蓋を開けてみれば、どの子よりもしっかりした優しい子だったから……そういう意味でも先生、本当に驚いちゃったよ」
「マジで申し訳ないです……迷惑かけた企業側も『君のおかげで赤字だった会社が軌道に乗り上げた。もし成人したら、ぜひ我社で雇わせてほしい』と言われていて……なんか、めちゃくちゃ許してくれて……スゲェ優しくて……俺、その企業に“未成年を雇った前科”っつー汚点を残しちゃったのに……俺からしたら、雇ってくれた恩を仇で返しちゃったのに……。────だから、あれからは法律を破らない範囲で努力して、生活費を浮かせて稼いでいます」
ふいに校長先生は、眉間をピクリと言わせる。
「────法律を……
「────あ。今のは語弊がありました。あれからは真っ当に生きています」
「えぇ? ほんとかなぁ?」
「……」
「いや黙るのやめて?」
「ハハ」
アルファは呵呵と笑う。その失笑は『冗談です』という意味か。
校長先生は冷や汗を流し、黒い冗談だと思うことにした。
「うん……また君と話せて良かった。あ、でも最後に。最近、交友関係とかはどうだい?」
「別の学校なんすけど、趣味の合う友達がひとりできました」
「そうか! それはよかった……本当に……。──それじゃあ、そろそろ終わりにしようか。引き止めて悪かったね。長話、疲れたろう」
「いえいえ。こちらこそ目をかけてくださってありがとうございます。では、俺はこれで────」
§
西日が反射する高層住宅街。
我が家に帰宅したアルファは、玄関先で可愛らしいスニーカーを発見する。小宮果穂のものだろう。
「ただいまー」
彼の『ただいま』は、常に“家そのもの”に向けられている。一種のアニミズム信仰であることは理解しており、そのうち家そのものが自我を持って返事をしてこないかと期待している。もしそうでなくて、返事をしてきた相手がたとえ幽霊だとしても、同居人が増えればどのみち嬉しいため、ぜひ友達になりたい。などという空想を描きつつ、実際に返事はないのだが、それで構わない。
洗面所で手洗いうがい洗顔を済ませ、リビングに向かう。
「はっ……! おかえりなさいっ! アルファさん!」
「おう」
小宮果穂はヒーロー番組に夢中だったのか、アルファの帰宅に気付かなかったようだ。そして彼女の『おかえり』は、特にアルファの中で響いてこない。それは当たり前のものになってきたからだろうか。それとも感動する心を、既に喪失しているからだろうか。
「あの……アルファさん! あたしのライブ、どうでしたかぁっ!?」
小宮果穂は瞳を輝かせている。体をひねってウズウズとしている。何かを期待している。
その全ての感情を、アルファは手に取るように察することができる。
「────…………すごかった。マジで」
「……っ!」
「お前、アイドルだったんだな」
「はいっ! そうなんですっ! ヒーローアイドル、ですっ!!」
アルファはにこやかに返すが、ほんの一瞬、顔に陰が差す。だがそれもすぐに隠し通す。
「ありがとな、果穂。勇気と元気、バッチリ分けてもらえたよ。それはほかの人たちもそうだろうな。偉業だよ、ほんとに」
「~~~っ!! “いぎょう”……! あたし、ヒーローらしかったですかっ!?」
「あぁ。最高のヒーローだ」
「わぁ……! ありがとうございますっ!!」
誰よりもヒーローらしいアルファに褒められるからこそ嬉しいものがある。小宮果穂はそのように思っている。
対するアルファは、ノートパソコンもスマホも解答用紙も脇に置いて、変形前のソファに座る。
「……あれ? 今日は何もしないんですか? いつもあたしがテレビを見ている横で、勉強したりネットしたり、いろいろしてたのに……」
「あぁ。気にすんな。今日は、なんか……落ち着きたい気分なんだ」
「そうなんですか? なら、やっと一緒にテレビを見れますね! 実はアルファさんと一緒に観たい番組を溜めていたんです!」
「なんだ。それならそうと早く言ってくれれば良かったのに」
「えへへっ……いそがしそうだったので、じゃましたらダメかな? って!」
「そうか。悪いな。気遣いありがとう」
アルファと小宮果穂はソファに並んで落ち着いて、ヒーロー番組を見始める。
────ヒーロー。
それはアルファにとって、自分に『
────小宮果穂。
それはアルファにとって、自分に『子供でも仕事できる可能性』を見せてくれたヒーロー。
やがて番組が終了する。それは気を失っていたのかと思うほど、あっという間の時の流れだった。
「面白かったですね! アルファ────さん…………?」
「…………あぁ────」
アルファは、小宮果穂の言葉に応えるため声を出した瞬間、自分の喉が震えていることに気付いた。刹那、今まで気付いていなかった全身の感覚が襲いかかる。頭の中がゴチャゴチャしている。目頭が熱い。鼻の奥が熱い。喉が引き攣るように痛い。胸の奥が沸騰している。腸が煮えくり返っている。膝の上に熱湯がポツポツと滴っている。脚が貧乏ゆすりのように小刻みに震えている。
「え……なんで、アルファさん、泣いて……? 今の回、そんなに感動するようなところは、どこも……」
アルファは大粒の涙を落とし続ける。なんの脈絡もない滝のような落涙。なぜ自分が泣いているのか分からないアルファは理由を考える。そのワケは、きっと世の不条理に対する憤りと羨望を綯い交ぜにしたからだろう。怒濤のごとし絶望が押し寄せて、心の防波堤が決壊した。ならば感情がこぼれるのは当然のこと。それは津波となって止むことを知らず、全てが流されるまでは終わることがない濁流。故に無理して我慢することはしない。年相応に荒ぶる激情は、理性と教養で抑制し、周りに迷惑をかけない水量で丁寧に
「……わりぃ。なんか、ストレスとかが、溜まっちまってたみたいだ……」
「……!」
「雰囲気、ぶち壊して、ごめん……ただ、ちょっとだけ、俺の話、聞いてくれるかな……今度は、オブラートに、包まないからさ……」
「……はいっ。あたしに任せてください! アルファさんは、いつもあたしを助けてくれました。だから今度は、あたしがアルファさんを助ける番ですっ!」
「はは。俺と会ってから、泣いて謝ってばかりだった奴が、よく言うぜ……」
「そ、それは……! 運勢が大凶だったんですっ! でも、正義と仲間のパワーで大吉に変えましたっ!! 今のあたしなら、もう失敗しません! だってあたしには、頼りになる仲間が付いてますから! だから今のあたしは無敵ですっ!」
ならばとアルファは、ポツポツと語りだす。
「俺さ────ちょっと心が折れかけてるわ……。お前は、俺のことを考えてチケットくれたのに……感謝するべきなのに……褒めて、やりたいのに……マジでごめん……。俺、あのライブ見てから……勇気も、元気も、ちょっと減っちまった……」
「────え……?」
「お前のせいじゃない。お前はなんにも悪くない。ただ、ちょっとだけ、お互いの相性が悪かった。それだけなんだ……」
「…………」
「もう、学んだよな? 自分は悪くないのに、自分のワガママを通してしまったことで、責任を感じてしまう……その苦しみから、逃れるためには……自罰を、解決するためには……自分を、許す必要がある……。もう、今のお前なら、それができるよな……?」
アルファは泣きながらも、小宮果穂のメンタル面を心配する。既に難しい問題を経験済みである少女なら、もう同じことで潰れることはないはずだと、青年は信じている。
「さて、どうしようかな……ちょっと話が難しすぎて、お前には分からないかもな……でも、待ってろ……なんとか、話を、簡潔に、まとめるから────」
鼻をすするアルファは、涙声で語りだす。
混乱している小宮果穂に対して、なぜ自分が泣いてしまったのかを説明する。
「両親は事故で死んだ。その事故には幼い俺も巻き込まれていた。薄闇の中、頭から血を流す両親は、俺に手を伸ばして遺言を残した。『生きて……』『ママとパパの分まで生きろよ……』それからレスキュー隊が到着して、俺は助かった。唯一の生還者だった。俺だけが助かったんだ」
「……っ!」
独りだけ生き残った罪悪感。それについて誰からも責められず、自責の念が心身を苛む。
小宮果穂は、驚き、俯いていく。
「俺は子供心に決めた。両親の遺言を果たしたいと。そのためには三人分の働きを見せなければと。でも親戚連中の横暴で心が砕けそうになった。どいつもこいつも遺産遺産。面倒なガキはあっちにくれてやる、こっちに押し付けてやる。ああもう糞くらえだ。そんなときヒーローに出会って“無垢の殻”を破った。折れかけた心が熱い鉄で打たれて鍛え直された……あるいは、そのとき全身火だるまにでもなって狂っちまったのかもしれねぇ。……それから必死に努力した。学業も社会も勉強して、大人の世界に食らいついた。早く大人になって仕事したかった」
「……」
それがサバイバーズギルトであることは、既に自覚している。かくして身を焦がすほど燃え上がる自罰的な大情熱は、誰であっても止められない。止まることを知るはずがない。
小宮果穂は、真剣に耳を傾ける。
「小学五年生の頃。俺は周りから大人レベルに優秀だと認められた。その後、衝撃の真実を知った。なんでも俺がショックを受けすぎないよう、精神的に成熟するまで黙っていたようだ。なんと俺の母親は、事故のとき妊娠していた。つまり、あの事故で死んだのは二人じゃなくて、三人だったんだ」
「……!」
いや、もしかしたら双子だったかも。そんな可能性も捨てきれない。もし自分のもとに弟妹が生き残っていたら……そんなことは毎日のように考えてしまう。
小宮果穂は、今にも泣きそうになるほど沈んだ顔になる。
「俺は四人分の働きたい気持ちが暴走して、本当にバカなことをした。法律で子供は働けない。なのに俺は、自分の背が高いことを利用して、年齢を偽り、書類を偽造して、みんなを騙して、学校に通いながら会社に就職した。一年半後、傾いた会社を救済したヒーローと讃えられたが、あるとき小学六年生だとバレてドチャクソに叱られた」
「……!!」
それは、いわゆる黒歴史。まだまだ青臭かった子供時代の思い出。
小宮果穂は、驚いて混乱し、右往左往とする。
「死ぬほど反省した。でも働きたい気持ちは変わらない。だから、やり方を変えることにした。まずは忍耐を学ぶ。バイトできる年齢は高校生からだ。成人すれば好きなだけ仕事ができる。だからちょっとの我慢だ、ほんの数年待てばいいだけの話だ、そうやって自分を押さえ込んできたが……それでもやっぱ、待つのはキツイ……。とにかく何かをしたかった。そこで、さらにやり方を変えた。俺は待つあいだ、知識と金を貯めることにした」
「……! ……」
独りで答えに辿り着く能力。努力の方向性を見極める才覚。それは天賦の才と言ってもいい。
小宮果穂は、そこに“いつでも全力”という放クラのモットーと、似たものを感じていた。苦難や窮地を乗り越えるために、やり方を変えてみる……という点もそうだ。知恵と工夫。それは努力の証。
「知識の貯蓄は、本の立ち読みや海外のボランティア活動で。金稼ぎは、アンケートサイトやポイントサイトで。生活費を浮かせるためにはブレーカーを落として光熱費を削減したり……スーツを着て大人のフリをして夜の街に繰り出して、裕福そうな美女をナンパして口説き落としてヒモになって日々タダ飯を食わしてもらったり……法の範囲内で、考えつく限りのできることは、なんでも試してきた」
「……!! …………」
考えつく限りとは、文字通りの意味である。すなわち芸能界。年齢を問わぬ職業といえば、真っ先に白羽の矢が立つ産業だ。それでも面接では落ち続けた。執念だけでは超えられない壁もあるのだと知った。
小宮果穂は、かなり危なっかしい話を聞いて驚く。前代未聞だ。それでも真剣にぶつかるため、真摯に話を聞き続ける。
「それでも俺は、もっと何かがしたかった。なんでもいいから四人分の働きに見合うデッカい仕事がしたかった。だからカネ払ってまで海外ボランティアに行くようになった。知識の貯蓄や内申なんてのは全部、後付けの理由だ。とにかく俺は、なにかしないとダメだったんだ……」
「……────っ」
夕闇の中、西日が射して逆光を作るアルファの姿は、全身が焼け焦げた骸が哂っているように見えた。
小宮果穂は、
「はは……カネ払ってまで仕事したいとか、明らかに変だよな?」
「っ……そんな、ことは……」
「……まだ話は終わってないが、ここで一旦、要約する。つまるところ俺という人間は、大人になるまで我慢できない、ただのクソガキなんだよ。──んで、泣いた訳は……俺より年下のくせに働いている果穂を見て、すっごく羨ましくて、めっちゃ悔しかったんだ……」
かくしてアルファは全てを吐露した。気付けば涙は降り止んでいる。それでも目尻に溜まる水が残っていた。それを出し尽くすため自由落下に身を任せる。なればこそ、語り尽くす。
「それと……ここからは、ただの愚痴だ。軽く聞き流してくれ。────嗚呼、俺は仕事がしたい。両親の遺言に早く応えてやりたい。アイドルのお前みたいに、憧れのヒーローみたいに、がんばってがんばって、誰でもいいから笑顔にしたい。両親と弟妹の分まで、生きて生きて一生懸命に人生を謳歌しなきゃ駄目なんだ。だってのに俺は、なんでそれをすることが許されない? こんなのおかしいだろ。なんで頑張りたいことが法律で禁止されているんだ? なんでガキが働いちゃダメなんだ。本人がやりたいって言ってんだから別にいいだろ。特例くらい認めてもいいだろうに。俺だけが異常なんてのは、とっくの昔から分かってんだよ。絶対に世のため人のためになってやることができるんだから、さっさと俺に仕事をさせてくれよ────」
「……っ!」
それは静かな声色だったが、今までの言葉の中で、最も熱のこもった怨嗟だった。
怨み辛み、怒り嘆き、それら全てを吐き出したアルファは、最後に冗談を口にする。
「そして、これはもう笑い話なんだが────俺は闇金を借りて海外逃亡して借金を踏み倒し、海外の大学に通うつもりだった」
「!?」
「さすがに“就職の件”で反省したから、その計画は中止した。もしそんなことしたら、今まで俺を育ててくれた周りの人に、恩を仇で返すことになる。だから、それだけは、どれだけ暴走しようが、できなかった」
「…………」
そしてアルファは口を閉ざす。もうこれ以上、何かを語りたいことはない。そう言いたげに瞳を閉じて、泣き疲れたように安らいでいた。
小宮果穂は、ぶつけられた大きなものを受け止めるべく、何かを言おうとするが……あまりにも大きすぎて、何も言えなくなる。
「────アルファさん……」
「……聞いてくれて、ありがとう。いやぁ、マジでバカな奴だろ? 危険人物と感じたら遠慮なくそう思え。事実だ。あと今の話を聞いて怖いと感じたら、ごめんな? 怖がらせちまって。でもそれは正常な判断だ。悪く思う必要はない」
「っ……そんな、こと……」
「あぁ、それとさ。もう、ここに来たくないと思ったら、それで構わないから」
「──っ!? そんなこと、ないですっ!!」
アルファの察する力は脅威的だ。それもまた恐るべき努力で積み上げたものなのだろうか。人間観察の粋を極めたものなのだろうか。
たしかに小宮果穂は、今の話を聞いて身が竦んでいた。強烈で激烈な意志が宿る言の葉を真横から受け止めたのだ。今まで見たことがない人間に対して、何かしらの恐怖を感じるのも無理はない。だが、それでも、恐怖の種類が違う。どちらかといえば、感じていたものは畏怖に近かった。
「あたしは、アルファさんの力になりたいですっ! だって、友達だからっ!」
「……────」
「でも、あたしじゃ……ぜんぜん、力に、なれそうに、なくて……」
小宮果穂は苦悩する。予想を遥かに上回る衝撃的な悩み事だった。それに対して何をどうすればいいのかまったくもって分からない。処理と理解が追いつかない。言葉に詰まって俯くことしかできない。
「……悪い。困らせちゃったな。でもまぁ、これでプラマイゼロだ。気にするな」
「……どういう、ことですか?」
「お前たちのライブでテンション上がって、お前が俺より先に仕事してることに羨んでテンションがた落ちしたが……こうしてお前が話を聞いてくれたおかげで、俺のテンションは平常に戻った。ありがとよ」
「……! ……でもっ……!」
「おいおい、もう忘れたのか? 言っただろ。
「────っ!!」
どうやら小宮果穂は、またも気を遣われてしまったようだ。さすがに二度目ともなれば察するに容易い。
たしかに悩み事というのは、誰かに話すだけでも気が楽になることはあるだろう。それは小宮果穂も経験して知っている。それでも相談者の本音は、やはり問題を解決したいはず。しかし、すぐに解決できない問題について相談された相手は、どうにか解決してあげたいが、やはり難しくて困ってしまう。だからこそアルファは、相手に言い聞かせるように、その決まり文句を言い続けるのだろう。
「……アルファさんは、ズルいです……」
「────え、なにが?」
いつでもどこでもアルファは、相手へのフォローを忘れない。とても悪くてスゴく怖い時もあるけど、とても立派でスゴく優しい。
だからこそ小宮果穂は、どうしても自分の存在を小さく感じてしまう。そんな時がある。
「……おいおい。なんか良くない表情だ。それは俺が苦手とするものだぞ」
「……?」
「お前さ、もしかして……俺に、追いつこうとしてる?」
「──!」
小宮果穂は、アルファと年齢が一個しか違わない。つまり彼はヒーローのような先輩だ。だから、なのだろうか。“せっさたくま”したいと、いつからか、あるいは始めから────漠然と思っていたのかもしれない。レッドがライバルであるブラックに挑むように、そんなふうに見ていたのかもしれない。
「……まぁ、別にいいけど。じゃあなんだ? お互いにお互いを羨んでいたってことか? だとしたら嬉しいね。嫉妬じゃないぶん、俺としても気が楽でいい。……だからまぁ、以前にも言ったが────こんな俺でも、まだまだケツの青いガキなんだからさ。お前もそう焦ることはねぇってこと。一緒にゆっくりマイペースに成長していこうぜ。俺のことは人生最大の反面教師にでもするといい」
「……────」
アルファはソファから立ち上がると、涸れた喉を潤すため台所に赴き、水分補給する。
一方、ただ黙って俯く小宮果穂は、広いソファの上で、難しい顔をし続けていた。
§
翌日の事務所。
黄昏の街を遠望できる屋上には、鉄柵に身を預けて遠い目をしている小宮果穂の姿があった。
「……………………」
何を考えているのか。
その場に居合わせていた樋口円香は、気にならないといえば嘘になるが、向こうから話しかけてこない限り気にしない。余計なお節介は避けたいし、面倒事は避けたい。
それに
だから何? という話だが、後から来た樋口円香は、自由に過ごさせてもらう。
「……………………」
「…………」
思えば、この前も小宮果穂は、思い詰めたような顔をして事務所に来ていた。その時はレッスンの時間があったため、デスクワークに夢中だったプロデューサーをけしかけた。あの人は彼女の悩みを解決できなかったのだろうか。そのあと樋口円香は、事務所に向かう途中だった園田智代子・西城樹里とすれ違ったため、きっと問題なく解決したものと思っていたのだが……。
いや、もしかしたら、また別の問題にぶつかって悩んでいるのかもしれない。彼女の顔を見れば分かる。前回は自分を追い詰めるような顔色だったが、今回は他人を思いやるような顔色をしている。……まさか、恋でもしたのだろうか。なぜそう思うか? 誰かに思いを馳せる時の乙女の顔というものは、どうにも────
「…………────? は……!」
「……」
小宮果穂は見つけた。全然気付かなかった。いつの間にそこにいたのだろうか。
樋口円香は見つかった。自分はここで小一時間ほど寛いでいたが、この小学生はここで何時間を過ごしていたのだろうか。
「……おはようございます、円香さん!」
「うん。おはよう」
淡白に返した樋口円香は、一瞥して問いかける。
「なにか『たそがれ』てたの?」
「……!」
「最近、険しい顔をしているあなたを見かけることが多いから」
「あっ……」
「迷惑がってるわけじゃない。誰かに相談してみたら。優しい人、周りに多いでしょ」
小宮果穂は押し黙る。
その様子を見た樋口円香は、自らの尺度ではあるが、少女の想いを察しようとする。
「気軽に相談できない感じ?」
「え……!」
「分かりやす」
「……っ!」
小宮果穂は反応に困る。
「それ、ひとりで解決できる問題なの」
「……ちょっと、難しい、かもです……」
ならばと樋口円香は、懐から糖分の多い飴玉を二つ取り出した。
「食べる? 疲れた頭には糖分が最適って言うでしょ」
「わぁ……! そうなんですか? ありがとうございますっ!」
小宮果穂はニコニコと飴玉を頬張る。
樋口円香も釣られて微笑む。それも一瞬だけ。
『…………』
小宮果穂は二つの飴玉を舐めて、両方の頬を膨らませる。
それを目にした樋口円香は、無表情から一瞬だけ、再び微笑んでみせた。
ゆったりとした空間が流れる。
口の中に飴がなくなった小宮果穂は、スマホをいじる樋口円香に声を掛ける。
「あのっ……円香さん、お時間ありますでしょうか?」
「……なに?」
「えっと……円香さんは、優しい人です! だから、相談しても……いいですか?」
「…………私は」
何かを言おうとした樋口円香は、すんでのところで取りやめる。
「そんな殊勝な人間じゃないけど。話なら、聞くだけ聞く」
「! ありがとうございますっ!」
「でも期待しないで。あまり助けにはなれないと思う」
「いえっ!
「……それは、今のあなたにも当てはまるの」
「う~ん……それは、話してみないと、わからないかもですっ……」
「そう。……物は試しって言うし、吐くだけ吐いてみたら」
「はいっ!」
小宮果穂は、物は試しで話してみる。
その前に、アルファのプライバシーについて考える。
「────……その、他人の悩みなので、『オブラート』に包んでもいいでしょうか? そのせいで、『ようりょうをえない』、ちょっとよく分からない話になっちゃうかもしれないんですけど……」
「構わない。話すだけでも救われるなら、こっちが理解してなくても大丈夫な場合があるってことでしょ。それに賭けてみれば」
「……! はい! そうしてみます! じゃあ────」
樋口円香はスマホを閉じて、小宮果穂の顔を横目で見据える。
「あるところに、男の子がいました!」
「まさかの昔話風?」
「えへへ……っ。──その男の子は『テンガイコドク』でした。事故で家族が亡くなっちゃって……その男の子だけが生き残ったんです……」
「……──」
「それから男の子は、がんばって、がんばって……イジワルな親セキの人やクラスメイトに負けないよう、がんばりすぎなくらい、がんばって……それで、まだ子供なのに、大人と同じように働けるくらい、スゴい人になったんです!」
「…………」
「でも男の子には、重大な悩みがあって……それは、未成年が働けないことですっ!」
「……? その男の子は、働きたいの?」
「はい……死んだ家族の分まで働きたいと言ってて……そのためにダークなことをしちゃって……あ、今は反省しているんですけど……! でも、まだ働くことを諦めきれなくて……バイトができる年齢になるまで待ちきれなくて……だから、その男の子は、お金を払って海外にボランティア活動をしに行くほど、お仕事をすることに────えっと……」
「執着?」
「……! はい……! すごく『シュウチャク』していて……それで、なんか……その話をしている時の、男の子が、なんというか……」
小宮果穂は、どことなく怯えている。同時に男の子に対して心配そうに慮っており、それなのに何もできない己の無力感に打ちひしがれている。
そのような印象を受けた樋口円香は、なんとなく思ったことを口に出す。
「強迫観念、自責の念。あと、サバイバーズギルト」
「……ふぇ?」
「事故や災害に遭って自分だけ生き残った人は、それに罪悪感を抱いてしまう。そういう実例がある」
「……! も、もしかしたら……!」
「それかもしれない? 手元にスマホあるでしょ。調べてみたら。それで思い当たる節があるなら、まぁそういうことなんでしょ。知らないけど」
「……────ま、円香さん!」
「?」
「ありがとうございます! あたし、その男の子を支えられるようになるために、がんばって勉強しますっ!」
「そう。応援してる」
「! えへへ……っ」
§
後日。
放課後の教室。小宮果穂は帰ろうとすると、クラスメイトの女子に呼び止められる。
「果穂ちゃん。今日は私の家で遊ばない?」
「あ……ごめん! この前みんなと遊んだから……今日はアルファさんのところに行きたいんだ! 誘ってくれてありがとう!」
「そうなんだ。分かった。じゃあまた今度ね! ……でも、あの中学生の人と、いつもなにして遊んでるの?」
「あ、それはね! アルファさん、今までの特撮番組を、ぜーんぶ録画してるんだ! それを見せてもらってるの! ほかにも部屋にヒーローグッズがいっぱいあってね! あとヒーローごっこもよくするんだよ!」
「……え? それって、つまり……中学生の男の人の家に、果穂ちゃんひとりで行ってるってこと?」
「? うん……そうだよ?」
クラスメイトの女子は、やや訝しむような、次いで心配するような表情となる。
「……果穂ちゃん。何もされてないよね?」
「え、なんで? アルファさんは……何もしないよ?」
「……それならいいけど。だってほら、私たち、もう小六だし……来年は中学生でしょ? 女の子なら、男の人のこととか、もうちょっと気をつけておいた方がいいと思うんだ」
「……そう……なの?」
「…………だって、下心とかあったら、怖いじゃん。男子とか、スカートめくりしてくる奴、まだいるし」
沈黙。それは長く、どことなく気まずそうな無音が訪れる。
その静けさを破ったのは、ランドセルを背負い直したクラスメイトの女子だった。
「……私は、注意したからね。本当にいい人ならいいけど……もし何かあったら言ってね。じゃ」
「あ……うん……で、でもっ! アルファさんは、本当にいい人だよ?」
「いい人でも、本心は分からないじゃん」
「……!」
§
夕暮れの住宅街。通学路の帰り道をとぼとぼと歩いていた小宮果穂は、スマホのバイブレーションとチェインの通知音に気付く。スマホを手に取ると、アルファのメッセがポップアップされていた。
『たしか今日は仕事がないから遊びに来るって言ってたよな? 今日は俺の家じゃなくてショッピングモールで遊ばないか。人が多いから安全だろうし、前に俺の話を聞いてくれた謝礼がしたい。待ち合わせ場所は中央の噴水広場。俺はもう向かってる』
────何もされてない?
────下心とかあったら怖いじゃん
ふと脳裏によぎる友人の忠告。それでもアルファへの信頼が揺らぐことはない。今まで何もなかったし、いつも優しくしてくれる。つまり、スゴくいい人だ。
────いい人でも、本心は分からないじゃん。
(…………)
たしかに、この前のアルファの悩み事を聞いた時は、そんなことを考えていたのかと面食らった。思えば小宮果穂は、それまでアルファのことを何も知らなかった。もしかしたらほかにも、まだまだ知らないことがたくさんあるのかもしれない。
だがそれを言うなら、小宮果穂はプロデューサーや放クラのみんなのことを、何から何まで知っているわけではない。それでもみんなとは絶対とも言える信頼関係がある。それは今までの積み重ねのおかげだ。そして、それを言うならアルファも同じことで、今までの積み重ねで信頼関係が構築されている。
(だから……だいじょうぶ……!)
小宮果穂は急いで帰宅し、ランドセルを置いてショッピングモールに走った。
§
夕方のショッピングモールに到着。
雑踏の中、混雑する噴水広場にて、小宮果穂はアルファの姿を見つけた。
「アルファさん! こんにちは!」
「おう。こんにちは。んじゃ行くか」
「どこにですか!?」
「昔の小さな映画館」
ふたりはショッピングモールの端っこに移動。建物と建物とをつなぐ空中廊下を渡る。その先の壁際には、何も知らなければ気付かず通り過ぎてしまうほど、背の低い二枚扉があった。中に入ると薄暗闇。狭い廊下の壁には、古い映画のポスターが貼られている。
「わぁ……なんだか大人っぽい雰囲気です!」
「そうか? レトロじゃなくて?」
「それもありますっ!」
そこはオフィスビルの隅にぽつんと佇む映画好きの穴場。看板には『おとな1000円』『こども500円』と記されており、アルファは受付の老人に千円札を差し出す。
「こども二名で。これ俺の生徒手帳です。あと連れは小六です。確認取りますか?」
「いや、いいよ。いらっしゃい。観たい映画は?」
「これでお願いします」
アルファは受付に置いてある映画リストの一文を指さす。
すると頷いた老人は受付の奥に立ち去った。
「あの……アルファさん! お金なら、あたし、持ってますけど……」
「お礼なんだから奢らせてくれ。ほら行くぞ」
薄暗い通路を抜けて重い扉を開けると、そこには一軒家の壁ほどのスクリーンがあり、安物の椅子が三十席ほど列をなして並んでいた。小宮果穂とアルファは、スクリーンがよく見える位置に座る。ふいに照明が消えると、後方の壁に空いた孔からガーガーと音を立てる映写機の光が射し込み、フィルムが回って10から秒数を数える。
古い光。セピア調の映像。黒い縦線が断続的に入り、たびたび墨汁をこぼしたような濁点が映り込む。
小宮果穂は、自分たち以外に客がいないことを確認し、アルファに耳打ちした。
「あの……何を見せてくれるんですか……?」
「この前ここを通りかかったら、ポスターを見て驚いてな。まぁ見てれば分かる」
映画が始まる。音声は無音。荒野の断崖に戦隊が集い、ポーズを決めて背景が爆発。
刹那、小宮果穂は瞳を輝かせて、この映画がなんなのかを理解した。
「これは……! 初代ジャスティスⅤの映画です……っ!! とても古くて、どこのビデオ屋さんにもなくて……!」
「俺も観るのはこれが初めてだ。じっくり堪能しよう」
§
初代ジャスティスⅤの無声映画を堪能した小宮果穂は、映画館を出て開口一番、大はしゃぎでアルファに感動を伝えた。
「すっ────ごかったですーっ!! ものすごく面白かったです────っ!!」
「はは。あぁ。昔の映画なのに、めっちゃ演出が凝ってたな。初めての映画だから全力投球したのかな? でもちょっと流血表現とかあってエグかったな……普通にヒーローや怪人の首が飛んだし……そこらへん平気だったか? 確認していなくてすまん……」
「いえっ! ぜんぜん平気でしたー! 心配してくれてありがとうございます!」
「そうか。あと、結構ヤバめのホラー描写もあったけど……」
「それも平気でした! むしろドキドキして……またドキドキしたいですっ!」
「そうかぁ……そこらへんは意外と耐性あるんだな? やっぱバグってんなぁ……」
「?」
アルファは頭を掻いて歩き出す。
その真横に花咲く笑みの小宮果穂が追いついて並んで歩く。
ふたりは空中廊下を歩いていると、ふいにアルファが思い出したように言った。
「あ、そうだ。今度の連休、ちょっとアフリカに行ってくるから。その間も好きに出入りしていい。何かあったら室内インターホンの相談ボタンを押せば、管理人さんが出てきて対応してくれるから」
「はいっ! 海外ボランティア、がんばってくださいっ!」
「おう。お前もアイドル、がんばれよ」
「えへへっ! はいっ!」
その時、小宮果穂の視線が釘付けにされた。西日に焼かれた橙色の床。ガラスの向こうではビル群に沈む太陽。天井を仰げばガラスの向こうに赫々と光る、いわし雲の夕空。どこを切り取っても茜色のキラキラが燦々と瞳に映って仕方がない。
「わぁ……」
小宮果穂は立ち止まり、真っ赤な世界を見て身をひねる。
「……果穂?」
いったい何をしているのかとアルファは振り返る。
すると小宮果穂は、楽しいことを考えているのか、にこやかに微笑んだ。
「あたしは、日本でアイドルをがんばって、ファンの人達を笑顔にして……アルファさんは、海外でヒーローみたいにがんばって、たくさんの人を助けて……まるであたしたち、映画に出てきたダブルヒーローみたいですね!」
「────! ……お前さぁ。いや、いい。今のは俺特攻だから許す。ハァ……もう帰るぞー」
「はいっ!」
談笑の帰り道。小宮果穂の疑問とアルファの悪態は止まることを知らず、今日も今日とてぶつかり合う。
「ところで、なんでさっきため息をついたんですか?」
「分からないならそれでいい」
「教えてくれないんですか……?」
「……あーもう。羞恥心ってやつだよ。ああいうこと言われると素直に返せないんだ。変な対応したら恥ずかしがってるだけだと思え」
「そうだったんですか! アルファさんは素直じゃないんですね!」
「……今のが煽りに聞こえない俺も、相当毒されてんなぁ……」
「? ……あ! もしかして今のもシュウチシンですか!?」
「いや全然違う。あのな果穂、細かいことかもしれんが、さっきの『素直じゃないんですね』発言は下手すると誤解を生みかねないから気をつけたほうがいい。なぜかっていうとな────」
§
後日。
夕焼けの都会。アルファは疲労困憊といった様子で、空港から電車とバスを乗り継いで帰路に就いていた。
(ふぅ……まさかアフリカでガキどもの初等教育を務めたあと、いきなりインドシナ半島に飛ばされてシンプルな肉体労働を課されるとは思わなんだ……まぁ、仕事欲しさに上司に対して『もっと仕事よこせ。割り振り下手か(要約)』って煽ったのが原因なんだが……。でも、やりがいがあって楽しかったし、引っ張りだこなのも嬉しかったな……やっぱ俺、自分の能力を絞り尽くすレベルで、もっとバリバリ働きたい……あ、ただワーカーホリックでぶっ倒れることには重々留意して、と……仕事したさで仕事しすぎて仕事できなくなるとか、本末転倒すぎて愚物の極みだからなぁ)
────ふと、今もどこかの事務所で働いているプロデューサーがくしゃみをする。
アルファはバス停に降り立ち、キャリーケースを引いて歩道を歩く。目と鼻の先に懐かしのマンションが見えてきた。
すると真向かいの歩道から走ってくる少女を発見。逆光で顔がよく見えないが、黄色いランドセルを背負う大柄な少女は、アルファのマンションの正面玄関に入っていった。もしかしなくても小宮果穂だろう。
アルファは喜楽と疲弊が入り混じる溜め息をつくと、最後の体力を振り絞るべく意気込んで小走り。正面玄関に急ぐが、後一歩のところで間に合わず、ロビーに入るためのゲートが閉ざされた。
ゲートの向こう側では、小宮果穂が合鍵を使って先に進もうとしている。いま声を掛ければ内側から開けてくれるが、もはやアルファには声を出す体力も残されていなかった。満身創痍である。
(あ~……疲れすぎて声が出ない~……もういいや……果穂が上に行ってから開けてもらおう……
欠伸するアルファは再び溜め息をつき、荷物を降ろして小休憩。小宮果穂が一度でも後ろに振り返れば再会が叶うのだが、そんな一抹の期待をしても心労が溜まるだけなので期待しない。────だがアルファは、すぐに期待しなくて良かったと思うことになる。というのもこれから、なんとも可愛らしい場面を目撃するからだ。
「ファミリー登録で、顔認証……よしっ! これでもゲートは開くけどぉ……アルファさんにお願いして、あたしの声紋認証も登録したからぁ……えへへっ!」
電子パネルの前で試行錯誤する小宮果穂は、にやにやと微笑んで、くねくねと身をひねり────いざ、ヒーローの変身ポーズを取って、自分だけの合言葉を叫ぶ。
「むっ! ん~~~っ! やあやあ! 遠からん者は音に聞けっ! 近くば寄って目にも見よっ! この江戸っ子ヒーローが来たからには、俺の縄張りで好き勝手にはさせないぜっ! フラワー刑事! 変っ身っ!! さぁて、俺のカブキ道を切り開くぜっ!!」
『────声紋認証、承認完了。おかえりなさいませ、フラワー刑事様』
「おうよ!」
小宮果穂の声紋を認識した機械装置が承認判定を下し、廊下へ続くゲートが開く。
「とおっ! てやんでぇパンチ! べらぼうめぇキック! ────あははっ!」
開かれたゲートに向かって飛び上がり、
その一部始終を見ていたアルファは、なんとも胸をくすぐられる心地に浸りながら呟く。
(……なんだあいつ)「────かわいいかよ」
アルファは、あまりの可笑しみと愛らしさに吹き出す。
(そういや俺が海外に出かける直前、急に『声紋認証を登録したい』って言ってきたんだよな……声紋認証はセキュリティが甘いから、顔認証と併用するなら構わない……そう言って登録作業をしたが────いやまさか、ああいう遊び方をするために登録したがっていたとはな……! まったく、子供の発想には毎度のごとく驚かされる……。──つか、あれ他人に見られたら、めっちゃ恥ずかしくね? やっぱ幼児だな……あいつには
さて、そろそろ小宮果穂は部屋に入っただろうか。そのタイミングを見計らって、アルファはインターホンに部屋番号を入力し、呼び鈴を鳴らした。
もし小宮果穂の後を追い掛けても、このマンションにエレベーターは一個しかないため順番待ちをすることになるし、小宮果穂が開けて閉めた扉を、すぐにアルファが開けて閉めるというのも、なんだか滑稽な状況だ。故に出迎えを期待する。
その期待通り、数秒後、電子パネル越しに通話が繋がった。
『アルファさんっ!!』
「すまん。ちょっと疲れてな。開けてくれ」
『はい! わかりました! いま開けますねっ!』
ロビーのゲートが“ウィーン”と音を立てて開く。廊下に通じるゲートも小宮果穂の操作で開き、自動で降りてきたエレベーターに乗って、アルファは五階に上がる。自分の部屋番号が書いてある扉の前に立つと、鍵を取り出すまでもなく、内側からガチャリと音がして、小宮果穂が出迎えてくれた。
「おかえりなさい! アルファさん!」
「ただいま。はぁ……もうクタクタだぜ……」
「おつかれさまですっ! 何か飲み物でも飲みますか?」
「そうだなぁ……じゃあ、キンキンに冷えた綺麗な水を頼む……」
「わかりましたーっ! あ、荷物持ちます!」
小宮果穂は大荷物を受け取るとリビングまで運び、台所に駆け込んで冷水を用意する。
洗面所で手洗いうがい洗顔洗髪を済ませたアルファは、ボロボロの体でリビングに辿り着き、ばたりとソファに倒れる。
「え、アルファさん!?」
「……──気にすんな。普通に疲れてるだけだ」
小宮果穂は、綺麗な冷水入りのコップを置いたお盆を運び、座卓に並べる。
すかさず起き上がったアルファは一気飲み。ゴクゴクと一瞬で飲み干してしまった。
「────ぷはぁ! やっぱ日本の水なんだよなぁ! 向こうじゃマジで、水が汚いわ硬いわ柔いわなんのって! もう腹が下って仕方がねぇ!」
「え、そうなんですか?」
「そりゃあ、水は地形と地層の違いで水質が変わるし、人の体は遺伝子と住む土地の違いで体質が変わるからなぁ……日本人の
小宮果穂は興味深そうに二回うなずいて、アルファの愚痴とも解説とも付かない饒舌さに耳を傾ける。
「あー白米食いてぇ寿司食いてぇ……乳臭いシャリの上に生臭い魚を乗っけた寿司は、寿司は寿司でも“なれずし”なんだよ……俺は“握り寿司”が食いてぇんだ……いくら握り寿司の起源がインドシナ半島の“なれずし”にあるとはいえ、いっしょくたにしてくれんな……まるで違う食いもんなんだからよぉ……」
「え……日本のお寿司って、東南アジアがルーツだったんですかぁ!?」
「あぁ。中国の一部地域も含むらしい。そういうのは“なれずし”っつってな? それが日本に入ると製法が変わって、俺たちが知る“握り寿司”になったらしい」
「初めて知りました……!」
「んで、その“なれずし”ってのはな? 地域にもよるが、揚げ物みたいだったり、炒め物みたいだったり、まぁ色々だ。でも、それはもはや俺たちの知る“日本の寿司”とは全くの別物だろ? だから俺は認めん……
「わぁ……! 海外の料理……! あたし、その話をもっと聞きたいですーっ!」
未知の世界の話に興味津々の小宮果穂は、アルファの土産話についてあれやこれやと聞き出す。
そうこうしているうちに日も暮れてきた。ふと我に返った小宮果穂は、アルファに報告したい旨があったことを思い出す。
「はっ! もうこんな時間……! あのっ、アルファさん! 実は見てほしいものがあるんです!」
「なんだ?」
小宮果穂は期待に胸躍らせる様子で体をひねる。チラチラとアルファの自室方向を確認しているあたり、どうやらヒーロー部屋に連れて行きたいのだと分かる。それだけで何がしたいのか察したアルファは、少女のサプライズに驚くため、頭の中を空っぽにした。
「アルファさん、こっちに来てくださいっ!」
「どれ……」
小宮果穂はヒーロー部屋に駆け込む。
追いかけたアルファは、あまりにも見違えた自室の内装を見て、その黒い眼を見開いた。
「ヒーローがテーマのインテリアコーディネート! 完成しましたぁっ! どうですかぁ!?」
「────おぉ……これは、かっこいいなぁ……!」
部屋に入った途端、視界に飛び込むヒーローフィギュア達の正面ポーズ。種々様々のポスターも時系列とシリーズごとに分けられて飾られている。丁寧に揃えられたヒーローグッズも、照明の明かりに反射してキラキラと光り輝いており、まるで博物館のような装いを遂げていた。
「よくぞ、ここまで……マジでありがとな。めっちゃ嬉しい……」
「えへへっ! あたしもスッゴく楽しかったですっ! 模様替えの最中に新しいグッズを見つけると、つい遊んじゃってコーディネートが進まない時もありましたけど……アルファさんが海外で頑張っている間に、ガマンして進めて、ようやく完成させることができたんですーっ!」
「……そうか。ありがとう。これからもこの部屋は好きにしていいからな」
「はいっ! ありがとうございます!」
アルファは呆と自室を眺める。
「……これは、新たな日課になりそうだ」
「……日課?」
「家に帰ったら、この部屋の電気を点けて、気が済むまで眺めるんだ」
「……! それって、つまり……アルファさんの家が、少し明るくなる────ってことですよね!?」
「ん? あぁ……そうだな。そうだよ。…………お前が俺に“光”をくれたんだ」
「────っ!!」
小宮果穂の表情が嬉しそうに輝く。
「なら、なら……! アルファさんは────ダークヒーロー卒業に、一歩、近付いたんですよね!?」
「────ん? ダークヒーロー……?」
「……あっ!?」
小宮果穂は“しまった”といった様子で、自分の口を抑える。どうしようと慌てており、視線が泳いで動揺している。
「あ、その……! 今のは、悪い意味のつもりで言ったんじゃなくて────えっと……!」
「……」
「き、聞いてくださいっ! その、あたし、アルファさんのことは、最初からずっと、スゴくてカッコいいヒーローみたいな人だと思ってます! ただ、アルファさんの過去を知った時から……暗い顔をしていることが多い理由は、それだったんだって思って……それで勝手に、アルファさんのこと“ダークヒーローみたい”って思ってて……だから、今のは“悪いヒーロー”って意味じゃなくて、“暗いヒーロー”って意味で……っ!」
「…………」
「そ、それでも……『暗い』なんて言われるのは、イヤですよね……ごめんなさいっ! あの、もし、イヤな思いをしたなら────」
小宮果穂は俯く顔で弁解する。
対するアルファは、そこまで落ち込む必要はないと言いたげに飄々と振舞う。
「いや? 得心した。なるほどって思ったよ。俺も『陰のある男』って、よく言われるからな」
「……怒って、ないですか……?」
「あぁ。つか、ダークヒーローってカッコよくね? 厨二心に響いて、むしろ嬉しいんだが」
「……ホントですか?」
「あぁ。ホントだよ」
小宮果穂は、ほっと一息ついて安堵する。あらぬ誤解で相手を傷付けてしまうところだった。
「……でも、“中二病”って、なんですか……? アルファさんは、まだ中学一年生ですよね? 病って、どういう病気なんですか……?」
「────はっはっはっ! いつかそう言うと思っていたが、マジで言うとはな! ふはははは!」
「え? な、なんで笑うんですか? 教えてください!」
アルファは腹を抱えてリビングに戻る。
「あ、待ってください! アルファさーん!」
追いかける小宮果穂は、もしやその笑いはバカにしているのかと懸念して抗議する。
そして、いつもの掛け合い……アルファの悪態と小宮果穂の疑問が交差していった。
§
この季節の夕方は長い。その分だけ門限までの時間も増えて、いつもより少し長くアルファの家で遊ぶことができる。
アルファはソファの背もたれに後ろ首を乗っけて、全身の羽を伸ばして休憩中。
対する小宮果穂は、持ち込んだお菓子の袋を座卓の上に並べて、ふたり分のジュースを用意。テレビのリモコンを操作してヒーロー番組の視聴準備を済ませる。
「アルファさん! このおやつ、新発売だったから買ってきたんです! いっしょに食べましょう!」
「ん? おう、ありがとな」
「えへへっ……ソファでゆったりしながらぁ、おやつにー、ジュースにー、ヒーロー番組! あたしたち、贅沢三昧ですっ!! このあとちゃんと運動しないと、ちょこ先輩みたいに、夏葉さんに叱られちゃいそうです……!」
「はは。学業に仕事で二足の
「はいっ!」
アルファは背もたれから離れると、座卓の端に整理整頓された書類を確認する。それはアルファが海外に行って居ない間、ポストに投函されたものを座卓の上に運んでもらうよう、小宮果穂に頼んでいたものだ。その依頼通り、きちんと今までの投函物が揃えられている。
(……光熱費のお知らせ。やっぱ先月と比べて上がってるな……週に数回とはいえ、果穂が俺の家に入り浸るようになったからなぁ……)
アルファは、傍らに座る小宮果穂の横顔を見やる。サングラスを掛けて、おやつを口に持っていこうとして頬に当たってしまい、それでも熱心にヒーロー番組に夢中になっている。
(……お釣り、出すぎだな)
必要経費どころではない。アルファにとって、将来の貯金が少し減るより、隣に同好の士たる小宮果穂が居ることの方が、価値の付けられない価値があった。
(やっぱ……スゲェいいもんなんだよなぁ────“気のおけないダチ公”ってのは……)
中学生になるまで孤独だった毎日を思い出し、現状の環境に感謝する。
その時、アルファの袖がグイグイと引っ張られた。何事かと振り返ると、小宮果穂がテレビから目を離せない状態で、指だけつまんで服の袖を引っ張っていた。今まで気安く体に触れてくることはなかったが、どうも名シーンが来てテンションが上がっているらしい。それによる無意識の行動だろう。
「見てくださいアルファさん! なんだかスゴいことになりそうですっ! ヒーロー大集合で、魔王軍団と大バトルですーっ!!」
「お、マジか!」
小宮果穂からの信頼を実感する。だからこそ大切にしよう。
そう思う気持ちを、アルファは今一度強く、再認識した。
§