小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い 作:形のない者
ある日の金曜日の放課後。
ランドセルを背負う小宮果穂に、クラスメイトの女子が声を掛ける。
「ねぇ果穂ちゃん! 明日の土曜と日曜、一緒に遊ばない?」
「うん! ──あ、でも、日曜はアルファさんと遊ぼうかな……?」
「そっか。じゃあ土曜ね! ……でも、またテレビを見に行くの? 飽きない?」
「ぜんぜん! でもね、テレビばかりじゃないよ! この前は、いっしょに映画を見に行ったんだ!」
「え?」
「ショッピングモールに小さな映画館があってね? アルファさんが連れて行ってくれて、昔のヒーロー映画を見たの!」
「…………」
「……? どうしたの?」
クラスメイトの女子は、思ったことをそのままツッコむ。
「それ、デートじゃないの?」
「──……え?」
小宮果穂は目を点にする。まったく予想外のことを言われた。
「ちがうの? じゃあ果穂ちゃんはその人のこと、そういう目で見てないってこと?」
「……うん……」
「ならデートじゃないか。でも、その人はどう思って果穂ちゃんを誘ったんだろね」
「それは……お礼がしたいからって……」
「お礼? ふぅん……なら大丈夫かな? 果穂ちゃんのこと、女の子として意識してないのかも」
「……女の子……」
「ほら、私この前、下心に気をつけてって言ったじゃん? だから……いい男友達ができて、良かったね!」
一度男女で映画館に行って何も無かったなら、互いに脈なし判定。そう思うのは小六の想像力の限界か。小宮果穂の身を案じていたクラスメイトの女子は安心したのか、無邪気な笑顔で「バイバイ」と手を振り、教室から立ち去る。
「……………………」
小宮果穂は、以前から苦手にしていることがある。それはクラスメイトの女子がよく話題に出す“恋バナ”というやつだ。小宮果穂はなんとか周りに馴染もうとして、溶け込むべく参加するが……正直よくわからなくて、全然なにもわからないまま、恋バナというものは終わってしまう。周りの女子だけが盛り上がって、小宮果穂だけがおいてけぼり。
(だから────そんなんだから……)
────俺は、お前のこと幼児として扱ってるから────
(……そんなことを、言われちゃうのかな……)
§
後日。
日曜早朝の住宅街。小宮果穂とマメ丸は日課のお散歩をしていた。
「今日はいい天気だね、マメ丸!」
「ワンッ!」
────カコン、バサッ。
その音は、新聞紙をポストに投函する時の音色。小宮果穂は音のした方向を見やると、なんとそこには自転車に跨るアルファがいた。
「え、アルファさん!?」
「ワン?」
「────おう、果穂か。おはよう」
「お、おはようございます……」
「ワン!」
「そいつがマメ丸か。よろしく。……散歩コースなのか? 家から遠いところまで歩くんだな」
「あ、はい! マメ丸は、お散歩が大好きですから!」
「ワンワン!」
「そうか。んじゃな」
アルファは自転車を漕ごうとする。そこで小宮果穂は一つだけ問いかけた。
「あの、新聞配達のアルバイト、していたんですね……!」
「そりゃあな。思いつくことは全て試したって言ったろ? 特にこれは小二の頃から毎日やってるぜ」
「そうなんですね……! それじゃあ今まで、あたしとマメ丸とアルファさんは、どこかですれ違っていたかもしれません!」
「それはどうかな? 年が変わるたび違う街に配属されるから……まぁでもたしかに、一回くらいはすれ違ってそうだよな」
「えへへ! ……あ、お引き止めしてすみません! お仕事がんばってください!」
「言われるまでもない」
§
朝方。お散歩を終えた小宮果穂とマメ丸は帰宅する。
それから小宮果穂は自室にこもり、様々な衣類を体に当てて、小さな鏡と向き合っていた。
「うーん……」
「ワフ?」
「う~~~ん……うぅ~~~~~~~~~~ん……?」
「ワフゥ……?」
小宮果穂が小首をかしげると、それと同じだけマメ丸も小首をかしげる。
「ワン!」
「え? マメ丸は、この服がいいと思うの?」
「ワンワン!」
「そっか! ありがと! じゃあこれにするね!」
小宮果穂は、チョコレートのように茶色い洋服に着替える。それは“ドルチェチョッコラータ”という名のドレスだった。バレンタインデーに因んだアパレル関係の仕事で、先方が放クラのメンバーそれぞれに合ったデザインとして裁縫した洋服である。そして小宮果穂は当然、自分のために制作された“sweet jewel*小宮果穂モデル”の“ドルチェチョッコラータ”を、撮影終了後に記念として頂いていた。
家の中でも着てみて、小宮父に写真を撮ってもらったことも記憶に新しい。そのため、これを着るのは今回で三度目となる。
────可愛いよー! ちょっとお姉さんな感じだね!
────こちらは……シック……と申しましょうか……。
初めて試作服を着た時、園田智代子と杜野凛世から言われた感想を思い出す。
「えへへ……っ! ──“ちょっとお姉さん”で……大人っぽい“シック”……!」
小宮果穂は階段を駆け降りて台所に向かう。
それにマメ丸も付いて行く。
「お母さーん! このお洋服どうー? “大人っぽいシック”ー!」
「ワン、ワン!」
「お洋服? ……って、それ、お仕事で貰ったドレスじゃない。まさか、それを着て外に出かけるつもりなの? ちょっと派手すぎじゃないかしら……?」
「え、そうかな……?」
「クゥン……」
たしかに西城樹里は、
────普段着じゃないもんな。
と言っていた覚えがある。
しかし有栖川夏葉は、
────服って自分のために着るものだもの。
と言っていた覚えがある。
そしてドレスというのは“正装”という意味だ。なので今回は、きちんとした洋服を着て挑戦したい。
「……お散歩から帰るなり部屋にこもって何をしているのかと思ったら……着ていく服を選んでいたの? 珍しいわね……」
「あ、あのね! その……ちょっとだけ、いつもとは違う服がいいなー……って思って!」
「ワフ?」
小宮母は思う。
(そのお洋服は、
「……果穂は、どうしてそう思ったの?」
「えっと……」(アルファさんが子供扱い……じゃなくて、それよりひどい幼児扱いしてくるから……)「その……」
「ワン!」(もっとハッキリ言うんだ果穂!)
「……とりあえずお母さんは、その服やめた方がいいと思うわ? きっと周りの人、びっくりしちゃうから。……────もし果穂が、夜の海や夜景が綺麗なレストランとかに行くって話なら……お母さん、何も気にせず安心して、手放しで送り出せるけど……だってそのドレス、それくらいしっかりした正装だから……ね?」
この娘のことだ。その衣装を着て、日中の児童公園に遊びに行ったり、お昼のショッピングモールに遊びに行ったり……場所と服装が一切合致しないことに、あまり頓着しないことは、想像に難くない。故に娘が“それを着てどこに行きたいのか”知りたいのだが……なぜか、はぐらかしてくる。母親としては、娘が恥をかくような真似は回避させてあげたいが、娘の隠し事を無理に聞き出すような真似もしたくないため、さてどうしたものかと考えあぐねる。どうやら育児における試練が、また一つ舞い降りてきたらしい。
「…………」
「あ、果穂……」
小宮果穂は何も言わず、自室に駆け戻る。見るに、何か不機嫌になったわけではない。
その後ろ姿を見つめる小宮母は、ぽつりと呟いた。
「果穂も────何か変わろうとしているのかしら……」
そして間を置かず、娘とマメ丸はバタバタと階段を駆け降りてきた。
「お母さーん! これはー?」
「ワフー!」
「……これはも何も、それいつもの服装じゃない」
「えっ……」
「ワフ?」
小宮果穂は“カッコいい洋服”を選んできたつもりだが、母親からすれば何も変わっていないらしい。どうやら自分のセンスでは、うまくファッションができないようだ。それもまた悔しいことだが、今は悔しがっている場合ではない。小宮果穂は、どうすればよいのか考える。いつものではダメだ。いつもと違うものを求めている。腕を組んで悩み、知らずのうちに首をひねって、そのうち体も横に傾いていく。
すると小宮母から助言が飛んだ。
「……いつもと違う感じにしたいなら、何かアクセサリーでも付けてみたら? 髪型を変えるのもいいかもね」
「! そっかぁ……! アクセサリー! 髪型! シュシュとか、ポニーテールとか!?」
「そうねぇ……でもまずは、どんな感じになりたいのか……お母さんは知りたいわね?」
小宮母は、自然と探りを入れる。
「えっとね! 子供っぽくないものがいいの! たとえば“シック”とか!」
「やけに“シック”を推すわね……」
どうやら小宮果穂にとって、“シック”とは“大人っぽい”とイコールの様子。
それさえ分かれば、娘が求めているものが見えてくる。
(とにかく大人っぽいものがいいのね……)「じゃあちょっとこっちに来て。お母さんのドレッサーを使いましょう」
「え、いいの!?」
「いいも何も、お母さんは『ようやくか』って気分よ? だって果穂、全然お母さんのドレッサーに興味を示さないんだもの。果穂がお化粧やファッションに興味を示すの、いったいいつになるのかなー? なんて、楽しみにしてたけど……ふふっ。意外と早かったわね?」
「え、お化粧もしてくれるの?」
「なーに? 髪を結ってアクセするだけだと思ってた? せっかくの機会なんだもの。お母さん遊んじゃうわ!」
「えぇ!? あ、あまり時間かけないでね……?」
「あら。何か用事でもあるの?」
「うん! 今日はアルファさんと、朝からショッピングモールに行くんだ!」
「────」
小宮母は目を丸くして口をあんぐりと開ける。まさかとは思うが、もしかしたらとは思わなくもない。
「……? どうしたの、お母さん?」
「────……お母さんもまだまだね。てっきり放クラのお姉さんたちか、クラスメイトの女友達に影響を受けたのかと思ってたけど……これは、たとえお母さんの気のせいだとしても────俄然、手が抜けなくなってきたわね……!」
「えぇっ! な、なんでぇ~!?」
小宮母は腕まくり。ドレッサーから金色の髪留め・両耳用のパール風イヤリング、クローゼットから白ベージュのドレスなどを引っ張り出す。そうして娘の服装をコーディネート。しかし途中で(ちょっとやりすぎたわね)と我に返り、最終的には大人すぎず子供すぎず、無難な範囲で落ち着くことにした。
「ふぅ! これで決まりね! どう、果穂?」
「……えっと……ん~……なんか……」
小宮果穂は鏡の前で服装を確認するが、どうにもしっくりこないと言いたげな顔で困っている。
「……これなら、さっきのベージュ色のドレスの方が良かった! 夏葉さんみたいなドレス!」
「え? でも、あれお母さん、やりすぎちゃったと思って反省してやめたのよ? それにドレスだと外で動きにくいし……歩き慣れていないものを着て行って転んだら危ないから……。それに果穂、自分で『ちょっとだけいつもと違う服』って注文つけてたじゃない。その条件はクリアしてると思うんだけど?」
「そうだけど……うーん……」
「……もうちょっと冒険したい感じ?」
「……うんっ!」
しかしこれ以上の冒険は、それこそ振り出しに戻る。あまりドレスに寄り過ぎると、日中のショッピングモールに行くには、やや豪華すぎる衣装となる。アルファもびっくりしてしまうだろう。それについて説得しようにも、おそらく娘は納得するのが難しいだろう。美的センスが
「────あっ! じゃあ、やっぱり最初のやつは!? “シック”! あれならさっきのドレスより、裾が長くないし、ミニスカだから膝より上だよ! 走っても転ばない!」
「……うーん……あの服は……もし果穂が、これから舞踏会に行くというのなら、お母さんも納得するんだけど……」
「武闘会?」
「…………」
小宮母は難しい顔をする。今どうにかして説得しなければ、このままでは娘は豪勢すぎるドレスを着て場違いな場所へ出かけてしまう。小宮果穂は周囲の視線を気にしないというワケでもない。おそらく着て行ったあと、少し後悔するのが目に見えている。そして後悔した時には、もはや後戻りできない状況に陥っているはず。それだけは避けなければならない。
「……ねぇ、果穂────」
「よしっ! やっぱり“シック”にしてくる! お母さん、ありがとね!」
「……! ちょ、ちょっと待って、果穂────! 今の果穂の服、写真で撮りたいわ」
「? いいよ! でも早くしてね!」
小宮母は時間を稼ぐ。スマホはポケットにあるが、リビングから取ってくると言って移動中に思案。戻ってきて娘のドレス姿を撮影。その時、そもそもの疑問に思い至った。
「ねぇ、果穂。どうして果穂は、いつもと違う服で行きたいの?」
「……!」
「それ、お母さんには言いにくいこと?」
「……う、ううん……! ただ……ちょっとだけ……どうしても────アルファさんを、見返したくてっ!」
「……えぇ!?」
見返す。およそ小宮果穂の口からは出そうにない言葉が出てきた。何かのヒーロー番組の台詞を引用してきたわけでもなさそうだ。いったい今はどういう状況なのだろうと、小宮母は思案する。
「そう……なら、無理して凄い服を着ていく必要はないんじゃない? 今の服を写真で撮って、アルファさんに送ってみたら? ────見返すって意味が、よく分からないけど……単に驚かせたいだけなら、写真で見せるだけでもいいはずでしょ?」
「あ、そっか!」
「……ついでに“シックな服”も、撮って送るといいわ。それで今日、着ていく服、どっちがいいか聞いてみなさい」
「わかったー!」
小宮果穂は自室に駆け戻る。
それを見送った小宮母は、鼻から息を吐いてソファに腰を下ろした。
前もって着ていく服をアルファに伝えていれば、きっとアルファの方からもフォローが飛ぶはずだ。
そして、どうしても娘が“シック”を着て行きたいというのであれば、それが度を過ぎない範囲なら、自由にさせてやりたいつもりである。ただし娘が何も分かっていないまま、いたずらに行動して失敗するのを、ただ黙って見過ごすわけにはいかない。自主性の尊重と放任は異なる。そのため、ある程度の軌道修正が図れたことを確認した小宮母は、困ったように微笑んだ。
「まったく、まだまだ手のかかる子なんだから……」
§
自室に戻った小宮果穂は、“母親がコーディネートした服装”と“シックの服”を撮影し、チェインのメッセに添付した。そして『今日着ていく服、どっちがいいと思いますか?』と追記し、母親に言われた通り送信する。
すぐに既読が付いた。
「……………………」
なかなか返信が返ってこない。もう出立までの時間が迫っている。既読無視されたわけではないだろう。小宮果穂は待ち続ける。そして一分後、なんとアルファから通話が掛かってきた。
「あ、はい! もしもし?」
『お前なに考えてんだ?』
アルファの困惑するような声。
その意味が分からない小宮果穂は、自信満々のキメ顔で言う。
「ちょっと大人っぽい感じに挑戦してみましたっ!」
『……あの茶色いドレス、どう考えてもアイドルの仕事で着たやつだろ……ライブ衣装ってやつ? なんかバレンタイン感あるよな』
「はいっ! それがどうかしましたか……?」
『……え?』
アルファは絶句する。
『なに? マジでアレを着て俺の横に並ぶつもりだったの? さすがに普段着じゃないってことくらいは分かるよな? 周りからの視線ゴツくなるぞ? 夜の街かアキバを歩くならまだしも……なんかの仮装大会かハロウィンかコスプレかと思われるわ!』
「それは……はいっ……実はちょっと思ってました……でも────これ、大人っぽいですよね!?」
小宮果穂は目的が先行している。羞恥心よりも、いかにアルファの幼児評価を覆すかに焦点が置かれている。その短絡的な発想を知られれば、それこそ幼児評価が高まるということに、小宮果穂は気付かない。
『……────お前は、どっちを着て行きたいんだ?』
「それはぁ……やっぱり“シック”ですっ!」
『……たとえ、周りから視線を集めても? もしかしたら、ちょっと嫌な思いをするかもしれないぞ?』
「……イヤな……?」
「たとえば通りすがりの誰かになんか言われるとか、それはないにしてもクスクス笑われるとか……いやでもショッピングモールは色々な人がいるし、ギリギリ自然に溶け込め────はしないだろうけど、まぁ、ギリギリセウトってところか……?」
『それでも……あたしは、着て行きたいですっ!』
「……だがまて。その前に俺が恥ずかしいんだが?」
『だいじょうぶですっ! アルファさんはオシャレさんです! アルファさんの私服は、いつも凝っててカッコいいので、ちょうどいいと思います!』
(俺の立場はちゃんと考えられるんだよなぁ……)『んじゃあ……その服を着ていくこと、家族は知っているのか?』
「はいっ! ……お母さんは『やめた方がいい』って言ってましたけど……」
『まぁだろうな。……でも、それでもお前は、何か考えがあって……その服を、どうしても着たいんだよな?』
「はいっ!」
アルファは黙り込む。すると電話越しにガサガサと衣擦れの音がした。
「……アルファさん?」
『ちょっと遅れる。集合時刻を五分か十分ほど遅らせよう。あらかじめ言っておくが、俺はどうなっても知らないからな』
「……! はい……! ありがとうございますっ!」
§
朝方のショッピングモール。
待ち合わせ場所の噴水広場にて、シックなドレスを着る小宮果穂は佇んでいた。
「────…………」
ほとんどの人がラフな恰好で行き交う中、ひとりの少女が正装で佇立する。その状況を俯瞰できぬはずもなし。さすがの小宮果穂も察してきた。周囲の人からチラチラと視線を感じる。今更ながら、ほんの少しだけ、後悔してきたかもしれない。
小宮果穂は、よく周囲を意識して気配りができる子だ。その年頃にしては空気を読む力があり、周りのことによく気がつく。だが、その“しっかり者の性格”に反して“天真爛漫な性格”もある。そのためか齢十二にしては、やや幼い側面がある。
そして今回、その幼さが、自らを俯瞰できない失態として表れていた。
「…………っ────」
「やっぱちょっと後悔してんじゃねぇか。だからお前は“大人幼児”なんだよ。大人っぽい幼児」
「────! アルファさん! って、あれ……そのスーツ姿は……!」
アルファは黒いスーツを身にまとって現れた。自宅から走ってきたのか額に汗が滲んでいる。右手には紙袋を提げており、ハンカチで額の汗を拭い取る。
「まったく……ただのモール巡りのはずが、おかしなことになってきた。このスーツで歩いて知人と出くわしたくねぇなぁ……どうか中学の奴らや、今までナンパしてきた女どもと会いませんように……っ!」
アルファは真剣に合掌して祈願する。
「……あのっ。どうして、アルファさん……いつもの服じゃなくて、そのスーツで……」
「あぁ? なんでもいいだろ。お前は好きな服を着てきた。なら俺も好きな服を着てくる。道理だろ。────それより行くぞ。スーツとドレスが並んで歩きゃ、それはもう“ただの金持ち”だ」
「──……っ!」
事ここに至り、小宮果穂は悟った。今しがた小宮果穂は自分の背伸びで、やや恥ずかしい思いをしていた。それを見越していたアルファは、小宮果穂にそんな思いをさせまいと、シックな服に似合う大人っぽいスーツ姿で来てくれた。
「……っ……」
完敗である。またも気を遣われてしまった。フォローされてしまった。小宮果穂は、どうにも空回りしている。
(……何を考えてその服を着てきたのか。それが分かるまでは、余計な発言は迂闊か……)
アルファは頭を掻く。何を言うこともなく、目的地まで歩いていく。
その後ろを歩く小宮果穂は俯いていた。
ふたりはエスカレーターに乗って二階に移動。通路を歩いて別の広場に到着。そこはヒーローショーや音楽ライブなどが定期的に催されている場所。以前、小宮果穂とアルファが邂逅した場所でもある。日曜はヒーローショーの日であるため、今日はこれを目的のひとつに、ふたりは待ち合わせしていた。
ふいに面を上げた小宮果穂は、周囲を見渡して混乱する。
「……あれ? アルファさん。ヒーローショーは一階ですよ?」
「今日は二階から見ようぜ」
ショッピングモールは吹き抜け構造。二階のテラスから一階のヒーローショーを見下ろすことができる。
アルファは柵の手前にあるソファに座り、小宮果穂は柵の前で地上を見下ろす。
「前のめりになって落ちるなよ」
なぜヒーローショーを上から見るのか。小宮果穂はその真意に気付かない。
それよりショーが始まった。マイクを持ったお姉さんが観客席に語りかけて、盛大なBGMが鳴り始める。
「────……!」
小宮果穂は夢中になってヒーローショーを見下ろす。柵の縁を両手で掴んで、いつもとは違う俯瞰視点で舞台を眺める。その口は半開きで、瞳はキラキラと輝いていた。
やがて怪人が登場。お姉さんが攫われる。幼児たちは懸命にヒーローを呼ぶ。すると小宮果穂は、大きく息を吸い込んで────
「レッドー! お姉さんを助けてあげてーっ!!」
「っ!?」
アルファは左右を気にして、大多数の衆目を集めたことを知る。
対する小宮果穂はそれに構わず、否、気付かず────必死にヒーローを呼びかける。
(あぁ~~~~っ! そうだった! 果穂はそういう奴だった! ったく、せっかく観客席の中で浮かないよう、ファッションコーナーのある二階に避難してきたってのに……! そんなに大声で叫ぶんなら、まだ観客席に居たほうがよかったじゃねぇか! あーもう、知らない人のふり、知らない人のふり……!)
アルファは恥ずかしさのあまり額と両目を覆い、小宮果穂の天真爛漫ぶりに口角が釣り上がる。
「行けー! レッドー! そこだー! がんばれ────っ!!」
大人っぽいシックなドレスに似合わぬ言動。まるで小宮果穂のために仕立てたかのごとく似合っており、とても可愛らしいのだが……あいにくとひとたび口を開けば、その“大人っぽさ”は遥か彼方に吹き飛んでしまう。
「……ははっ」
アルファは、そのおかしさに思わず失笑。小宮果穂とは異なり、そこまで熱心に応援せず、声援も掛けないが……ニヤつきながら頬杖をつき、ガラスの柵越しにヒーローショーを眺めていた。
§
一時間後。ヒーローショーも終わり、小宮果穂は汗ばむ顔でソファに座り、傍らのアルファに話しかける。
「アルファさん! ヒーローショー、楽しかったですねっ!」
「あぁ。まぁ俺は、ちょっと恥ずかしくもあったがな……」
「え? なんでですか?」
「そりゃ、大人っぽい服を着てるのに、二階からひとりヒーローショーに全力な奴がいたら、どうしても視線を集めるだろうが。でも、それをやめろと言っているわけじゃない。むしろお前の美点だ。だから気にするな。こっちの問題だ」
「……! ……そう、ですか……すみません……」
「…………」
アルファは思う。なぜ謝るのか? アルファの立場になってモノを考えられなかったことを悔いて謝ったのなら理解できる。だが、どうにもそれだけではないような気がした。
「……────次は、どこ行く? 気になった店を回っていくか? それか、おもちゃ屋に直行?」
「…………アルファさんの行きたいところで、いいですよ?」
「なに変なところで気を遣おうとしてんだ。まぁいいけど……んじゃ、中古のおもちゃ屋に行くか。安いのがあったらヒーローグッズを買って、またお前に飾り付けてもらおうかな」
「…………」
小宮果穂は俯いている。今日は一喜一憂だ。服選びで大人っぽいシックな服を着て喜んで、アルファにフォローされて落ち込んで、ヒーローショーで楽しんで、どうにもうまくいかないことに落ち込んで。
「正直に言うと気分が悪い」
「────……へ?」
「遊びに来たのに、いつまで浮かない顔してんだ。何を考えてのか教えてほしい。だが、もし俺に話すことでお前の心が軋むなら……無理強いはしない。ほかの奴に相談しろ。つか、どうせまた俺のことなんだろ? 身に覚えはないが、毎度迷惑を掛ける……」
「……ごめ、んなさい……」
小宮果穂の瞳が潤む。
対するアルファは、紙袋を押し付けた。
「……これ、は?」
「この中には、俺が小六だった頃の体操着がジャージ付きで入ってる。ちょっとブカブカかもしれないが、お前の身長に合うはずだ。俺は中学のジャージを持ってきた。着替えたかったら、いつでも言ってくれ」
「────!」
小宮果穂の表情が固まる。肩は震えて、前髪が目を隠し、一粒────落涙。もはやそれはトドメの一撃だ。何もかもが圧し潰される。
対するアルファは、すかさず少女の手を取って歩き出し、人気の少ない通路に移動した。
「今ので分かった。俺はそこまで大人じゃないはずだが────お前にとっては充分大人に見えていて、なぜか俺に追い付きたがっている。だが今までのお前は、ここまで露骨な背伸びをすることはなかった。そこでお前の性格を考えると、なんでもかんでも言われたことを額面通りに受け取る純粋さがあるから……また誰かに何か言われたか? まぁ、その“誰か”は、どう考えても“俺”か……口、めっちゃ悪いもんなぁ……ごめんよ……」
アルファは二枚目のハンカチを取り出すと、そっと小宮果穂のほほにつたう涙を拭き取る。
「まぁ治すつもりはないが。ただ、もし治れば、俺はダークヒーローからライトヒーローに転身できるかもな」
そんな退屈な冗談を言っても、小宮果穂の琴線には響かない。アルファは相変わらず、泣いている女の子を笑顔にする方法を知らない。そんな自らの不器用さに胸の奥が軋む。
「……アルファさんは……」
涙を呑み込む小宮果穂は、ようやく口を開く。
「アルファさんは、あたしに……着替えてほしいですか……?」
「いや? 可愛いからそのままでいてほしい」
「……!」
「なんか新鮮な感じだし、悪くない気分だ。可愛い
「……
小宮果穂は、こてんと首をかしげる。
対するアルファは困惑していた。
「は? なんでそこで驚く? つか『可愛い』って言ったのに、そっちはノーリアクションかよ。まったく、お前はさぁ……」
「あ……いえ! 『かわいい』って言ってくれるの
「そうか。まぁ、そこは、さすがにな?」
アルファは思う。やはり小宮果穂は、バグり散らかしている少女だと。
そして、なぜ女の子と言われて驚いたのか分からない。
「──……あのさ。そんなに大人っぽいことがしたいなら、俺と社交ダンスでも踊るか?」
「え? 社交ダンスって……アルファさん、踊れるんですか!?」
「まぁ、ご令嬢のナンパには必須だからな。スタンダードもラテンも行けるぞ。技量としては二流レベルだけどな。簡単な踊りなら、ダンスのダの字も知らない奴をリードすることもできる。簡単にプロの踊りを味わえるぞ。……だがそれも、お前の“成長したい気持ち”を痛めつけちまうか? アイドルだからダンスレッスンは積んでるだろうが、社交ダンスはまた少し違うからな……最初は結局、俺にリードされることになる。だってお前は、ただ大人っぽいことをしたいんじゃなくて、真の意味で大人に近付きたいんだもんな?」
「! はいっ!」
小宮果穂は跳ぶようにうなずく。
「ま、ゆーて最初は誰しも初心者だ。もし社交ダンスを習いたければ、少しくらい家で教えてやるよ」
「……!」
「んじゃ行くか。お前の挑戦は今日失敗に終わったかもしれないが、まだまだ一日は長い。そのうち俺が困ることになるかもしれない。そんときに助けてくれ。特に俺が困ることはなくても、じゃんじゃん俺から何かを盗み取るなり、反面教師にするといい。つまり俺から学べってことだ。……俺としては、なんか下手なことできなくなるから、身が引き締まる思いになるけどな?」
そこで小宮果穂は、あることに気付く。
「! それって……“やり方を変える”ってことですよね!?」
「ん? ……シックな服を着て大人になるっつーやり方は失敗したから、次は俺から学ぶやり方に変えるってことか? まぁ……そういう思考回路の切り替え方は、賢い生き方だと思う。本当に俺から学んでいいものかというのは置いといて」
アルファは過去を振り返るように、苦い経験を語る。
「同じ考え方じゃ、失敗を引きずるだけだからなー。二の轍を踏むことにもなるし。でも考え方・やり方を変えれば、次の成功を追い求めることができる。ポジティブってのは考え無しって意味じゃない。切り替えが早い、もしくは切り替えができるって意味だと思ってる。辞書的には違うけどな?」
「ポジティブは……切り替えること……」
「いや、あくまで俺の成功体験からくる考え方だからな? 自分の性格に合わない考え方をしても成功しねぇよ。……つか、切り替えなんて既に、お前の得意分野だと思うんだが? こんな俺に対して積極的にズカズカ仲良くなりにきた。大人になりたいのは結構だが、世の中には“変えなくてもいいやり方”もあると思うぜ? お前の“無垢”なところは、俗に言う“大人”とはなんら矛盾しない。何事も両立するもんだ。現に“しっかり者の小宮果穂”と“天真爛漫な小宮果穂”は両立しているわけだし?」
「……っ!」
小宮果穂は思う。
かつて園田智代子から教えてもらった“やり方を変える”こと。
そしてアルファからは“変えなくてもいいやり方がある”ことを教えてもらった。
「……やっぱりアルファさんたちはスゴいですっ! あたしがダメだったところを全部指摘してくれました!」
「……急にどうした?」
小宮果穂は焦っていたのだ。今日の自分は暴走していた。それは薄々わかっていた。それでも、どうすればいいのか分からないから、思い付いたことは全て試そうと考えていた。仕事をしたいアルファのように。その結果、少し恥ずかしい思いをして、また泣くところだった。つまり、これはやり方が良くなかったのだ。
「あたし……無理せず、いつものあたしらしいやり方で、大人を目指していこうと思いますっ!」
「そうか。よく分からんが、気持ちが晴れたのなら良かった」
気持ちが晴れた。そう言われた小宮果穂は目を丸くする。
思えばいつの間にか、心がスッキリしていたのだ。それはなぜだろうと首をひねる。
「あれ……? アルファさん! あたし、なんだかおかしいですっ!」
「な、なにが……?」
もう面倒事はよしてくれ。そう言いたげにアルファは耳を傾ける。
「あたし、どうして急に……心がパァーって晴れたんでしょう?」
「知るか。……どこらへんで晴れたのか思い出してみれば?」
「どこらへん……」
小宮果穂は目を閉じて腕を組み、うーんと唸って思い出す。
────可愛い
そこで小宮果穂は、当初の目的を思い出した。
「はっ! そうでした! あたし、アルファさんを見返したかったんですっ!」
「……そりゃまたなんで?」
「だって! うぅ……アルファさんが、あんなこと言うからです! でも、もう解決しました! 満足ですっ!!」
「いや、だから何が……?」
小宮果穂はニコッと微笑んで、両手でガッツポーズを取る。
「だってアルファさんは、あたしのことを『幼児』じゃなくて、きちんと『女の子』って言ってくれましたから!」
「……、────っ!!」
刹那、アルファは、全てを察した。
「おま────もしかして、それ……ずっと気にして……? だからこんなバ……こんな服を着てきたのか?」
「今『バカ』って言いかけましたーっ! ひどいですーっ!!」
「いや、まぁ……おぉ、もう……これが、自業自得ってやつかぁ……」
アルファは逃げるように中古屋へ向かう。
なんせ自分が冷やかした結果、それを小宮果穂が気にして落ち込んで、最終的に自分が尻拭いをした。これほど滑稽なことがあるだろうか。
「あ、待ってください! アルファさーん!」
「待つわけねぇだろ。自分の馬鹿さ加減から逃げてんだよー!」
アルファは早歩きで追いかけてくる少女を引き離し、おもちゃ屋に足を踏み入れる。一転、小宮果穂の注意はアルファから、陳列されるヒーローグッズに移って注がれた。棚の下にしゃがんで剣やベルトといったおもちゃを手に取り、瞳を輝かせて「わぁ……っ!」と満面の笑みが咲く。
(……やっぱりガキじゃねぇか)
小宮果穂の気を紛らわすことに成功したアルファは内心失笑する。
「アルファさん! これ見てください! このおもちゃ、あたしが生まれる前のものですよ!」
「おう、たしかに……音は鳴るか?」
「うーん……電池は入ってないみたいです!」
「なら店員に電池を入れていいか聞いてみるか? 俺、家から乾電池を持ってきてるんだ」
「わぁ……! やっぱりアルファさんは『ヨウイシュウトウ』ですね! あたし、このおもちゃの音、聞いてみたいですっ!」
「じゃあ試してみるか。俺もここはよく利用してるから、馴染みの店員がいればたぶん大丈夫だ」
§
昼前。
中古のおもちゃ屋を楽しんだアルファと小宮果穂は、雑談しながらショッピングモールを巡る。毎日彩りを変える様々な商品や展示物は見て回るだけでも楽しく、さながら商いの博物館。
しかし楽しい時間は、そう長く続かない。
アルファは人混みの奥でカリスマ的なオーラを放つ美女を見つけ、ギョッとした。
(────っ! あの人はたしか……やべっ!)
即座にアルファは逃走の準備に入る。
「おい果穂! 知ってる顔を見つけた! もし覚えられてたら困る! 俺は逃げるぞ!」
「え? あ、まって! アルファさん……!」
いきなりの方向転換。逃げ出すアルファに追いつこうとした小宮果穂は、けつまずいて転びそうになる。
「あっ────ぶないっ!」
咄嗟にアルファは手を出し、小宮果穂の体を支える。そして安堵の嘆息。なぜ嘆くのかといえば、小宮果穂を助けることで逃げ遅れたからにほかならない。既に三メートル圏内まで、王子様のような容姿端麗の美女が歩いてきていた。
しかし背中を向けていれば気付かれない。アルファは完全に気配を殺して、何もない壁際を見つめている。
(俺は今“無”だ……どうか気付かれませんように……)
「……────……」
一方の小宮果穂といえば、アルファの体と固い壁に挟まれていた。その顔は無表情だが、やや目を丸くしている。知らず息を止めており、アルファの黒いスーツと白い襟元が間近に映る。ふと見上げると、真顔で念仏を唱えるアルファが拝めた。真っ黒な目は、まるで死んだ魚のようだ。
それから小宮果穂は、息を止めていたせいか急に苦しくなったので、そっと逃げるようにアルファと壁の間から脱出した。圧迫されていたわけではないが、ふぅと息を吐いて胸をなで下ろす。そして、なぜか視線が泳ぐ。
やがて美女は、小宮果穂を見つけてにこやかに声を掛けた。
「────おや? 果穂じゃないか!」
「え? あ、咲耶さんっ!」
(!?)
ふたりの前に現れたのは白瀬咲耶。人懐っこい笑みを浮かべて小宮果穂とハイタッチする。
「今日は随分と可愛らしい服を着ているね。何かのお仕事かい?」
「いえ! 今日はプライベートな日ですっ!」
「おや。ならそれは勝負服と言ったところかな?」
「はい! そうなんです! アルファさんに“女の子”として見られたくて!」
「……。アルファさん?」
「あ、えっと、紹介しますね! こちら、あたしの友達で、同好の士の、アルファさんですっ!」
アルファは半ば観念して振り返る。その一方で、相手が覚えていない可能性にも賭けていた。
「おや。ボーイフレンドかい? 果穂も隅に置けな────」
しかし賭けには負けたらしい。
白瀬咲耶の眉間がピクリと反応する。何かを思い出したように、アルファの顔をじっと見据えた。
「────えぇっと……たしかあなたとは、どこかで……」
(あぁくそっ。スーツでバレたなこりゃ。着てこなかったら初対面で通せたのに……!)
「……そうだ、思い出したよ! あれは去年の寒い夜だった……私が人肌恋しさに震えている時、そっと熱い缶コーヒーを差し出してくれて、情熱的に口説いてきた────」
「いや人違いです」
「────ふふっ。己の失態を恥じているのかな? なに、気にする必要はないさ。私は特になんとも思っていなかったよ。……あなたは会話の中で、私が高校生だと気付くと、謝り倒して逃げてしまった。そこから考えるに……成人した女性しか狙っていなかったのかな?」
「…………」
とうとうアルファは観念した。
一方の小宮果穂は心の底から驚く。
「えっ────咲耶さんとアルファさんは、お知り合いだったんですかぁ!?」
「そうだね。一夜の一期一会で、小一時間ほど口説かれただけの間柄だが……私は口説かれるよりも口説く方が好きだから、申し訳ないが断らせてもらった。しかしこの人は、なかなか諦めず食い下がってきてね? あの口八丁手八丁は、私も見習うべきものがあった。なにせ断るつもりしかなかったのに、一切の不快感を覚えなかったのだから! あれは今でも鮮明に思い出せる饒舌ぶりだったよ。とても楽しい会話のひと時だった」
「わぁ……っ! おふたりは、大人な出会い方をしていたんですね……!」
「果穂はそう思うかい? あぁでも────懐かしさに気を取られていたが、これはなかなかに異色の組み合わせだ。あなたと果穂は、いったいどういうご関係なのかな? ひとたび会話を交わした手前、どうにもあなたを悪くは思えないんだが────」
さりげなく白瀬咲耶は、小宮果穂を庇うように前に出る。
それと全く同じタイミングで、アルファは自らの生徒手帳を差し出した。
「……これは?」
「あんた、まだ俺のことを“大人”だと思ってるだろ」
白瀬咲耶は目を丸くして生徒手帳を受け取ると、中身を検めて目を見開き、口をあんぐりと開けた。
「なっ────これは……はは、驚いたよ……! いや、本当に言葉が出ない……だが、この手帳が偽物という感じもしない……これはとても驚くべきことだが、あなたは────私よりも、随分と年下だったんだね? てっきり十は上かと……」
「まぁ……そう見えていたのなら、俺の変装技術は伊達じゃなかったってことだな」
そこで小宮果穂が、アルファのフォローに入る。
「あ────あのっ! 咲耶さん! アルファさんは、あたしが中学校の体験入学に行った時にお世話になって……! それから同じ特撮好きとして仲良くなって、同好の士になったんですっ!」
「そうだったのか……それは果穂にとって、さぞや嬉しい出会いだっただろう。────しかし、ひとつ気になることがある。アルファくん。なぜあなたはその年齢で、夜の街に繰り出していたんだい? その目的も大概だったが……」
アルファが弁解しようとすると、なぜか小宮果穂が割って入って代弁する。
「そ、それは────アルファさんは貧乏で節約したいので、女性を『クドキオトス』ことでタダ飯にありつこうと────むがっ!?」
「そんなことを公衆の面前で叫ぶな! 俺を社会的に殺す気か!? お前やっぱ意味分かってないで言ってるだろ……!」
「むにっ……ご、ごめんなさい……っ!!」
小宮果穂の口を塞いだアルファは周囲の目を気にする。
対する白瀬咲耶は、目を点にして状況を静観していた。
「ぷはっ! ……あ、あの、咲耶さん……アルファさんのこと、本当はいい人だって、信じてくれますか……? アルファさんはダークヒーローだけど、ちゃんとしたヒーローでもあるんですっ!」
「ダークヒーロー……あぁ、もちろんだとも。あの果穂がここまで気を許す相手だ。性根が悪人だとは思えない。ただ……正直な感想を言わせてもらえば、純粋無垢の女神である果穂には少々、あなたという人間は猛毒が過ぎる男の子だと思うのだがね?」
「そんなの俺が一番よく分かってる。で、俺からしても、あんたとこいつが知り合いなのは、それなりに異色の組み合わせなんだが?」
「……! あの、アルファさん! あたしと咲耶さんは────」
その時、小宮果穂のお腹が“ぐぅ”と鳴った。
「……おや。愛らしい女神が献上品をお求めのようだ」
「そのキザったらしい言い回し。俺も参考にさせてもらったよ。ハァ……同じアイドルか……なんつー巡り合わせだ……これも何かの縁か。ファミレス行くか?」
「それは私も誘っているのかい?」
「あんた、まだ俺のこと見定めてる最中だろ。誘わなくても付いてくるのが見え見えだ。だからこっちは、同じ釜の飯を食って信頼を勝ち取ることにした。どうだ? 乗るか?」
「ふむ。それはいい提案だ。食事中の会話は、その人の本質を抗いようもなく表すものだからね。……そうとなれば遠慮なく、あなたと果穂の間にお邪魔させてもらうとしよう。果穂も、それでいいかな? せっかくのデートに水を差すことになってしまうが……」
「俺は先に行く」
アルファは足早に立ち去る。
対する小宮果穂は、それでふたりが仲良しになれるならと快諾した。
「えっと……そういうことなら、あたしからもぜひ! 三人でお昼ですねっ!」
「ふふっ。ありがとう。でも果穂のボーイフレンドは、二人きりの時間を邪魔されてご立腹のようだ」
「そんなんじゃねーよ!」
「あ、待ってくださーい! アルファさーん!」
「ふふ……今日は久しぶりの寂しいオフの日になるかと思っていたが、なんだか楽しいことになりそうだ……!」
§
正午のファミリーレストラン。
頬杖をついてそっぽを向くアルファの前方には、一生懸命メニューから一品だけ料理を選ぼうとする小宮果穂と、ニコニコとした笑みを絶やさず二人を見守る白瀬咲耶がいた。三人は食卓を囲んで座っており、小宮果穂を中心に会話が進んでいる。
(ぐっ……気まずい……)
「うーん……ハンバーグ……でも、お子様ランチは……」
「ふふ……」
入店して既に十分が経過。ウェイトレスが注文を聞きに来る。
「お客様。ご注文はお決まりでしょうか?」
「俺はお子様ランチで」
「なら私も同じものを」
「えっ!? ……っ! ……!!」
小宮果穂は、堂々とお子様ランチを頼んだアルファと白瀬咲耶を見て困惑する。
対するウェイトレスも少し驚いているが、アルファの威圧感ある風格と、白瀬咲耶のニコニコとした笑顔のオーラに気圧されてしまう。
「果穂。お前は?」
「なんでも好きなものを頼むといい。何も遠慮する必要はないよ」
「あ……じゃあ、その……、っ────は、ハンバーグで……!」
「あ、はい……では、お飲み物は……?」
「果穂はどうする?」
「好きなものを頼みたまえ」
「え、えっと……オレンジジュースで……!」
「オレンジジュースですね。ほかのお客様は……?」
「以上です」
「ウェイトレスさん。もしあなたが許してくれるなら、あなたのための飲み物を差し入れたいのだが……」
「さ、咲耶さん! ウェイトレスさんが困ってますよ!」
困惑するウェイトレス。そこでアルファが「すみませんが早くしてくれます?」と圧を掛けた。その所為かお陰か、白瀬咲耶の口説きを振り切ったウェイトレスは、注文を再確認して会釈し、足早に去っていく。
「おや。ウェイトレスさんが怖がっていたじゃないか」
「そちらも困らせていたじゃないですか」
「……あ、あの! アルファさんは……お子様ランチ、好きなんですか……?」
アルファと白瀬咲耶の、にこやかな対決。
穏やかではない雰囲気を感じ取った小宮果穂は話を逸らす。
「悪いか?」
「い、いえ……!」
「つか、俺の方も意外だったぞ。お子様ランチ頼めばジャスティスⅤのフィギュアがランダムで一つ付いてくるのに。なんで頼まなかった? まさかもう全種類揃えてんのか? それともお子様ランチはもう卒業した感じ?」
「……!」
小宮果穂はモジモジとしている。やがて勇気を出して切り出した。
「あの……あたし、背が高いから……よく高校生に間違われるので……お子様ランチを頼むと、変な顔をされて……」
「……なるほど。そういうことか。ゆーて正々堂々、威風堂々。貫禄に物言わせて頼めば押し切れるぞ」
「ふふっ。先程もアルファくんはオーラで威圧していたね。果穂もいずれできるようになるさ。死神の役だってこなしたのだからね。もちろん威圧なんてことをするのは、お行儀的によろしくない。けれど私たちは好きなものを食べる権利がある。説得すれば分かってくれるさ」
「……あ、あたしも、おふたりのように、できるでしょうか……!?」
「今ここで練習してみれば? お子様ランチじゃ量が少ないから、果穂が頼んだの分けて食べればちょうどいいだろ。まぁ店側にとっちゃ経済的に打撃だがな」
「ふふっ。大抵のファミレスは、お子様ランチ以外の商品で元を取るようだからね」
「……?」
「だったら元取れる高値のおもちゃ付き大人様ランチを用意すりゃいいだけの話だろ。こっちはアイテム目当てで来てんだ。客のニーズを満たしつつ稼げっての。……いや、それ既にやって自滅した店があるのかもしれねぇけど」
「それは思い切った戦略だね。そして随分と客層が変わりそうな商売でもある。あなたは面白い考え方をするね」
経済や商売の話は、小宮果穂にはよく分からないが……とにかく勇気を出して呼び鈴を鳴らす。
すると、先程とは別のウェイトレスが駆けつけてきた。
「あ、あの! 追加で────あたしも、お子様ランチをお願いしますっ!」
「……! 分かりました。お子様ランチですね? ……ですが、その、失礼ですが年齢は────」
すかさずアルファは生徒手帳を取り出すと、机の上に軽く叩きつける。
それに驚いたウェイトレスは会釈すると、注文を再確認して立ち去った。
「おやおや。やはりダークヒーローの名は伊達じゃないようだね。あなたは人を萎縮させる天才だ」
「知るか。こっちは年齢制限が無いこと確認して来てんだ。その上で年齢を聞いてくるなら横暴ってもんだ」
「……す、すみません……あたしのオーラが、足りなかったばっかりに……」
「果穂が謝ることじゃないさ。今のはアルファくんの、ただのお節介だよ」
「そうだぞ。つかお前……前から思ってたけど、なんか俺に対して謝りグセが付いてないか?」
「…………」
「それは……もしかしたらあなたの言動が原因じゃないかな?」
「まぁそれが五割だとして、こいつの“ヒーロー以外での自信のなさ”も、一因だとは思うんですけどねぇ……」
アルファと白瀬咲耶の視線が交差する。アルファは剣呑を避けて視線を逸らし、白瀬咲耶は仲良くしたいと言いたげにニコニコと微笑む。その駆け引きをするような微妙な雰囲気の流れを察した小宮果穂は、咄嗟に話題を切り替えた。
「あ────あのっ! 咲耶さんは、アイドルをやる前に、モデルをやっていたんですっ!」
(気を遣われたか……)「ほう?」
「急にどうしたんだい? 果穂」
「えっと……それについて以前から考えていたんですけど……アルファさんも、アイドルやモデルに、挑戦してみたらどうでしょうか!?」
「そんなこと言われるまでもなく、遥か昔にオーディションへ応募したりしたさ。まぁ全部落ちたがな」
「おや。あなたのようなミステリアスで魅力ある人物を落とすとは、見る目がない……」
「落ちた……そうでしたか……で、でも、今なら、どうですか? 咲耶さんも、こう言っていますし……」
アルファは斜め上の天井を見上げて思案する。
「別にアイドルやモデルを下に見ているわけじゃないが……俺はもう少し大きなことがしたい。仮にアイドルをやるなら、なんつーの? ソロでもいいが、ユニット? 二人組から五十人組規模まであるそうじゃないか。それなら俺は一人分で四人分は頑張りたい。果穂の放課後なんちゃらを見習うなら、まぁ仲間はあと一人くらい欲しいかもな。それで実質五人分だ」
「ふむ?」
「放課後クライマックスガールズですっ! ……それなら応募してみますか? もしかしてアルファさんも、283に来たり!?」
「いや、アイドルに関しては全くの無知だが、さすがに事務所の中で男女が混合することはないってのは分かるぞ? ファンへの要らぬ誤解とか、スキャンダルとか避けたいだろうし……」
「たしかに283プロダクションは、女性アイドルしか居ないね。アルファくんの言う通り、応募や所属するなら別のプロダクションになりそうだ」
「……! 女性と男性は事務所が別……言われてみれば、たしかに……?」
「つか、なんか俺が応募する流れになってるけど……高校生になったら外国に飛ぶのは確定なんだから、そんな不安定な職には就けねぇよ。今みたいに地道に稼いだ方が確実に益になる」
「なんと。海外で活躍する展望があるのかい? その年で大したものだ。確かにあなたの瞳は、今ここではない遥か先を見据えている。そんな輝きをしているよ」
「わぁ……! 咲耶さんは、相手の目を見ただけでそういうことが分かるんですか!? もしかして、咲耶さんもエスパー!?」
「おい、果穂がなんか変な方向に信じたぞ」
「ふふ……あながちウソでもないさ。これでも人を見る目はある方だよ?」
(はっ……! もしかしてこれは、アルファさんと咲耶さんの、エスパー対決……!?)
「そんなに目を輝かせて期待されても困る」
「ふふっ……果穂は本当に可愛らしいね?」
やがて料理が運ばれてきた。三人は手を合わせると団欒の食事を始める。
§
昼食後。
ファミリーレストランを出た先で、アルファと小宮果穂は、白瀬咲耶と別れる。
「ありがとう。ご馳走になった。私はここらへんでお暇するよ」
「咲耶さん! またいっしょに食べましょう!」
「いいのか? まだ心配そうだが……つか、どっちかってーと寂しそうだが」
「これ以上は、ふたりの世界を邪魔できないからね。たしかに人肌恋しさはあるが、私だって空気は読むさ。果穂のこと、よろしく頼んだよ。果穂もアルファくんのことは、よく見ておくことだ」
「? はいっ!」
「あーはいはい。じゃあな」
白瀬咲耶は一抹の寂しさも感じさせない、満面の笑顔で手を振り見送る。
対するアルファは足早に立ち去り、小宮果穂は相手が見えなくなるまで手を振り続けた。
§
昼過ぎのショッピングモールにて、ふたりは散策を続ける。
そして小宮果穂は、通路の一角に陳列されたジャスティスレッドのグッズを見つけて、それに引き寄せられるように、つい駆け寄った。
「あ、おい!」(それは子供を引き付けるための餌で────)
アルファが呼び止めようとするが間に合わない。
ふいに温和そうな女性が待ってましたと言わんばかりに出てきて、小宮果穂に謎めいた商品を紹介する。
「あら~どうもー! こちらの商品にご興味がお有りでしょうか~?」
「え? いえ……あたし、そこのジャスティスレッドに……」
よくよく見れば、棚に並べられているヒーローグッズは、全て値札が付いていない置き物だと分かる。売り物ではない。そして値札が付いているものは、よく分からない電子機器ばかり。
「おい、もう行くぞ。ここに用はない」
「あら~カップルでしたか! お似合いですね!」
「え? いえ、あの、あたしたちは────」
「あー。ちなみに俺ら、何歳に見えます?」
「そりゃあもう! スーツとドレスでバッチリ決めて! とてもカッコイイし、カワイイですよ! 社会人、もしくは大学生さんですか?」
次の瞬間、アルファは吹き抜けの空間を響かせるほどの大声で呵呵大笑した。
「はっはっはっ! おい聞いたか!? お前とうとう社会人に間違われたぞ! しかも大学生だってさ!」
アルファは大げさに手を打ち叩いて膝を叩いて笑い転げる。
それに驚いたセールスの女性は、混乱しつつ取り繕った。
「あ、あら? もしかして、高校生さんでしたか?」
「ふはっはっ! 残念っ! あと一回外したら立ち去りますね! さぁ当ててごらんなさい!」
「……!? じゃあ、背の高い中学生ですか?」
「────おい、言ってやれ」
アルファは目配せする。
小宮果穂は何がなんだかまったく分からないが、ただ純粋に相手の誤解を解くためハッキリと答えた。
「あたしは小学六年生ですっ!」
「!?」
「あっははははははは! 背丈が高くてドレス着てると、マジで大きく間違われるんだな! いやぁ面白い。愉快適悦。んじゃ、そういうことで────残念でした!」
アルファは深々と会釈すると、小宮果穂の背中を強く押して、疾くその場から退散する。
「あ、あの? アルファさん? そんなに強く背中を押さないでください……」
「バカ。ありゃ客引きだ。長居してたら言葉巧みに変なもん無理やり売りつけられて大金を払わされるぞ」
「えっ!? あ……そういえばお母さんが言ってました! 話しかけて物を売ってくる人からは、とにかく逃げて買うなって!」
「まったく、ヒーローグッズに吸い寄せられやがって……光に群がる蛾かっつーの」
小宮果穂はしゅんとする。何もそこまで言わなくてもいいじゃないかと。
「……あのっ! なんでアルファさんは、そんなに口が悪いんですか!?」
「さぁな。環境と性根が悪かったんじゃないの?」
と言いつつアルファは、実際の症状を自覚している。試し行動が悪癖化しているのだ。
対する小宮果穂は、勇気を出して抗議しても、今のように軽くあしらわれる。それでも頃合を見計らって、再び詰め寄った。
「その……アルファさんは、本気で悪く思って、そういうことを言っているわけじゃないんですよね……? たとえば、ヒニク幹部みたいに……」
「まぁそうだな。ダチ公に嫌味を言う時は大抵、心の中で『こいつおもしれぇな』って笑ってる時だ。……だとしても俺の言葉で相手が傷つくなら、それはどんな理由があっても悪いことだ。現にお前は困ってる」
「……」
それが分かっているなら、どうして口が悪いままなのだろうか。やめるつもりはないのだろうか。やはりアルファは悪い人なのだろうか。
「……うぅ……アルファさんは時々、いい人なのか、イヤな人なのか、分からなくなります……」
「自他ともに認めるほど外見が良くて性格が悪くて、且つ他人から『性根は善い』とか言われる人間は、まず間違いなくロクでもないってのは忠告しておく。そして、そんな奴にめげずにアタックする物好きも、大抵は報われないと言っておこう」
「……?」
今の皮肉は遠回しだったのか、小宮果穂には効果がない。
「……でも、アルファさんは、元からダークヒーローじゃなかったんですよね?」
「だったらなんだ? この前もダークヒーローがどうたらと言っていたが……人を変えようとするのは、基本的に傲慢だってことも覚えておけよ」
「……!」
「お前は、いったい俺の何に期待しているのか分からないけど……ただの同好の士でいいじゃねぇか。お前がそれとなく踏み込んでくると、その分だけ俺もどうすりゃいいのか分からなくなって不機嫌になっちまう。どんな奴とも仲良くなれると思うのは結構だけど、人には適切な距離感があるってことも、ちょっとは知ってほしいなって思う。言うなれば心の間合いってやつだな」
「……適切な、距離。心の、間合い……」
「でもまぁ、そういうの……今までお前が住んでいた世界じゃ、あまり深刻に考えなくていいものだったんだろうなぁ……まるで妖精の国だ。悪意ってやつを知ら無さ過ぎる。こちとら幼少期は生きるため必死に無垢の殻を破ったっていうのに……ほんっと世の中は広いよなぁ。色々な奴がいる。羨ましいこった」
「…………」
それからふたりは押し黙り、ショッピングモールの空中廊下を渡って別棟に移る。
§
やがて小宮果穂は、聞き覚えのある声を耳にした。
「これ、なんなんすかね? なんで口のところに紙が入ってるんすか? これじゃティッシュ取れないっすよ。取ってもいいっすか?」
「はい、いいですよ。そちらのティッシュに入っている紙は、クジ引き券なんですよ」
「! クジ引き! そういうことだったんすね! あ、紙に『クジ引き二回』って書いてある! ティッシュ配りのお姉さん、教えてくれてどうもありがとうっす!」
「ふふっ。どういたしまして。ではさっそく、クジ引きいたしますか?」
「するっす!」
元気いっぱいでクジ引きに挑戦している少女は、芹沢あさひ。透明な箱の中に突風が吹いて紙切れのクジが舞う。その箱に手を突っ込んだ芹沢あさひは、楽しそうに笑いながら二枚掴み取った。
「取れたっす!」
「G賞とE賞ですね。ではこちらをどうぞ。おめでとうございます!」
「…………ティッシュを貰ってクジ引きしたら、またティッシュを貰ったっす。でも、もうひとつは割引券! あははっ! ありがとうっす!」
芹沢あさひはお礼を言うと、すぐに駆け去ろうとする。
その様子を見計らって、小宮果穂が呼びかけた。
「あさひさーん!」
「! その声は────果穂ちゃんだ!」
互いに駆け寄った二人の少女は、好奇心いっぱいの笑みで話し合う。
「あさひさん、何してたんですか?」
「クジ引き! 果穂ちゃんは仕事? ドレスかっこいいね!」
「あたしはオフです! 褒めてくれてありがとうございますっ!」
そこにアルファが歩いて追いつく。
(……うわぁ。マジかぁ……)
すると芹沢あさひの興味が、アルファに向いた。
「? 果穂ちゃん、この人だれ?」
「あ、この人はアルファさんです! あたしの友達ですっ!」
「────……あれ? どこかで会ったっすか?」
「えっ!? ま、まさか、あさひさんも……アルファさんに『クドキオト』────んむっ!?」
アルファは、そっと小宮果穂の口を塞いだ。
対する芹沢あさひは記憶を掘り起こして────唐突に思い出す。
「……、────あっ! 思い出した! 去年の体験入学で、わたしが案内した『話の分かる人』だ!」
「そんな覚え方っすか……。つか、よく覚えてましたね。今の俺、スーツ姿なのに」
「記憶力はいいほうだから!」
「あさひさんの場合は、瞬間記憶の方だと思うんすけど……」
「じゃあ話が分かる人だから? わたしあの頃、話が通じる人がいて嬉しかったんだ!」
「……そうっすか……でも今は恵まれているようでなによりです」
アルファと芹沢あさひの砕けた会話。
対する小宮果穂は、困惑しつつ考える。
「……!? えっと、あさひさんは中学二年生で……アルファさんは中学一年生だから……そっか! 去年は二人とも────」
小宮果穂と同じように、小六のアルファと中一の芹沢あさひは、中学校の体験入学で出会っていたようだ。
「あははっ! 今はすごく楽しい場所にいるんだ! でもほんと久しぶり! また背がぐんと伸びた?」
「そうっすね。……また自由奔放に走り回ってるんすか? 俺、体験入学に行ったはずなのに、なぜか青空の雲を数えさせられた経験が未だにわけわかんなくて……もうなんか、たまに夢で見るんすけど……」
「……!? あさひさん、ちゃんと学校、案内してあげなかったんですか……?」
「したよ! だから学校の屋上から見える変な雲の形を観察した!」
「……まぁ……『ここの学校の屋上は雰囲気的にイイ場所』っていうのを教えてくれようとしていたのは、なんとなく分かりましたけど……」
「……!」
「ほら、やっぱり話が分かる! ねぇ果穂ちゃん! いっしょに遊ぼう! あと『話が分かる』だから……『ハナワカ』も来て! ほらっ!」
「なんすかその略称はっ!? 俺の名前は……って、ちょ、ぐいぐい引っ張るのやめ────」
芹沢あさひは、ハナワカもといアルファの腕を引っ張って駆け出そうとする。
次の瞬間、小宮果穂は咄嗟に、アルファのもう片方の腕をギュッと掴んで引き戻した。
「うわっと!?」
「イッタっ!?」
「────!? あ、ご、ごめんなさい……っ!!」(あれ? あたし、なんで、急に引っ張ったり────)
芹沢あさひは何が起きたのか知るため振り返り、小宮果穂が引き戻したことを見て取って不思議そうに腕を組む。
「──……ふむ? あ……そういうことか! 果穂ちゃん、ハナワカをわたしに取られると思って、ちょっと嫉妬したんだ! だって果穂ちゃん、いつもよりすっごくオシャレしてきてる! 大人っぽい! もしかしてデート中だった? わたし邪魔かな……?」
「……!?」
小宮果穂は首を横に振る。邪魔なんてとんでもない。そして『嫉妬』という言葉の意味に思い悩む。
「いや、普通に遊びに来ただけですけど。少なくともデートではない。だってデートは恋人がするものでしょ?」
「あれ? そうなんだ……うーん……おかしいなぁ……絶対そうだと思ったんだけどな~……じゃあなんで引っ張ったの?」
「それは……あたしも、ちょっと、わかんなくて……。あの、アルファさん! 急に引っ張ったりして、ごめんなさい……!」
「別にいいよ。この人の行動にはホント驚かされるからな。お前もびっくりしたんだろ」
「えー。ちゃんと遊びに行こうって前置きしたのにぃ……」
「…………」
「前置きしてからの行動が早すぎるんすよ。ほぼ言い終わる前に引っ張ってたじゃないっすか……。──で、どうする? お前が望むなら、俺はあさひさんと行動してもいいけど」
アルファは呆れたように言うと、次の瞬間には場を取り仕切る。それは芹沢あさひのペースに巻き込まれないためだ。
(この人、マジで何しでかすか分かんないから、めちゃくちゃ怖いんだよなぁ……でも果穂は会えて嬉しそうだし……ハァ……なんか胃が痛くなってきた……つか、果穂とこの人はどういう関係なんだ? まさか、またアイドル同士なんてワケないし……)
そして小宮果穂は返答する。
「あたし……あさひさんとも遊びたいですっ!」
「じゃあ決まりだね! 今度はあっちに行こっ! 面白そうなものがあったんだ!」
(くっ……やっぱりそうなるのか……! メンタル面でのガキが増えた……保護者としての胃痛が増す気がする……いや俺だって年齢的にはガキなんだけどなぁ!?)
さっそく芹沢あさひと小宮果穂は、笑顔で人混みの中に駆け出す。
「だから走るなぁー! 周りに迷惑だろ! ぶつかったらどうすんだ! 衝動的に動かないでくれ! ……くださいっ!」
『!?』
†
それからというものの、芹沢あさひが先走って、小宮果穂が追いかける。そしてアルファは、主に芹沢あさひの興味の行き先に振り回されて、駆け足で追随し、疲れたように溜め息の数が増えていく。そうしてあちこち駆けずり回った挙句、今度の興味はショッピングモールを練り歩く着ぐるみに留まった。
「あははっ! この着ぐるみ、体格が逆三角形で面白いっす! 中の人は暑くないんすか? それとも意外と快適だったりするんすか?」
「あさひさん! スーツアクターさんは重労働と聞きました! それでもみんなを笑顔にするために頑張っているんです! カッコいいですーっ!」
「……ピィー!」
「あははっ! 鳥だった!」
「飛べるんですかっ!?」
「────ユメピィー! ウエピィー!」
「……夢?」
「上……?」
芹沢あさひと小宮果穂は天井を仰ぐ。吹き抜け構造のため二階・三階・四階・五階と視線が昇っていき、やがて天井のネットに『今ならプラネタリウムで夢心地なイベントが楽しめる!!』というデカデカとした広告を見つけた。
「わぁ! 鳥さん、教えてくれてありがとうっす!」
「ありがとうございます! あさひさん、行きましょう! アルファさんも!」
「へいへい。行きますよっと」
三人はプラネタリウムに駆け込む。そこでアルファは値段の高さに苦々しい表情となったが……芹沢あさひと小宮果穂は、既にお金を支払って入場していた。アルファは仕方なく溜め息をついて、財布の口を緩める。
かくして入場。芹沢あさひ、小宮果穂、アルファの順番で並び座る。ちょうど開演時刻だったのかプラネタリウムが開始。解説役のお姉さんが眠くなるような声で星座などを解説する。その時、芹沢あさひが突拍子もなく問いかけた。
「あの! 質問いいっすか? その星座ってなんで────」
すかさずアルファが止めに入る。
「ちょ、あさひさん! 上映中は声だし禁止って、壁のあちこちに書いてありましたよね!?」
「え? そうだったの? お姉さん、ごめんなさいっす!」
お姉さんは『いいですよ』と笑って許してくれる。アルファは溜め息。
一方、小宮果穂は思う。プラネタリウムの静かな環境で、今までワクワクしていた心が落ち着いたせいか、沸々と疑問が沸いてきた。そしてアルファに小声で話しかける。
「……あの、アルファさん……」
「なんだ?」
「…………いえ、すみません。ちょっと呼んだだけです」
「? そうか。いやしかし
その時、ようやく小宮果穂は、長い事なんとなくとしか思っていなかった疑問について確信した。
(そういえば、アルファさんは……あたしのことは『お前』って呼ぶことが多くて……ほかの人のことは『名前』で呼ぶ……)
それが“なぜ”かは分からない。そしてその“なぜ”は、主に二つ……否、三つあった。
一つ目の“なぜ”は、どうしてアルファは小宮果穂のことを名前で呼んでくれないのか。
二つ目の“なぜ”は、どうしてそのことで、ちょっとだけ胸がキュッと引き締まるのか。
三つ目の“なぜ”は、今まで『お前呼び』なんて然して気にしていなかったのに、どうして今更そんなことが気になりだしたのか。
(────……むぅ……)
小宮果穂は、ほっぺたをぷっくりと膨らませて考え込む。
しかし考えても考えても、頭にモヤが掛かったように答えが見いだせない。それは知識や想像力が足りないせいか。ならばどうすればよいのか。歯がゆいばかりだ。
やがて十五分のプラネタリウムが終了する。芹沢あさひは、既に別のことを考えているのか席を立って一目散に駆け去ろうとした。
咄嗟にアルファは、芹沢あさひの服の裾を軽く引っ張って足止めする。
「うわっ! なんで引っ張る!」
「だから暗い中で走らないでくださいって何度言えば……まだ照明が全部ついてないでしょ。階段で転んだら絆創膏っすよ」
「…………。あさひさん! 次はどこに行きますか?」
「んー。そろそろモールを出て駅前とかに行きたいな!」
「じゃあ、ここまでっすね。俺たちモールに用があるんで」
「……!」
アルファは小宮果穂を連れ歩く場合、自宅とショッピングモールを行動範囲とすることに決めている。不良三人組と遭遇してしまい、絡まれることを避けるためだ。
「そうなんだ。分かった! またね、果穂ちゃん! ハナワカ!」
「あ……はいっ! また遊びましょう、あさひさん!」
芹沢あさひは階段に気をつけて「よっほっ!」と二段飛びし、プラネタリウムから立ち去る。それは気をつけているとは言わない、とアルファは内心ツッコミつつ、ようやく芹沢あさひから解放されたことに安堵していた。
「……でも、あの……アルファさん! 駅前も、人は多いと思うんですけど……?」
「人が多いからと言って安全とは限らない。それに、ああいう奴らは駅前にたむろしてるもんだろ。偏見だけど。つまり、なるべく遭遇の機会を減らすに越したことはないってこと。あと、いざって時に周りの人が助けてくれる保証もない。モールを選んでいるのは、定期的に警備員が巡回しているからだ。駅前は、そういう警備員が少ないから行かない」
「あ……そっか……勉強になりますっ!」
「……! はは、おう。そうやってどんどん、人の考え方を学んでいけ。対岸の火事に他山の石あり。人のふり見て我がふり直せってな」
「対岸の火事は聞いたことあります! でも『たざんのいし』は……」
「よその山にある粗野な石でも、自分という宝石を磨くことはできる。要は、他人の悪から自らの善を育てよ、的な? 厳密には違うか。また辞書を読み直すかぁ……」
「あたしも、おうちに帰ったら調べてみますっ! ……実は、アルファさんの言ったことで覚えているものは、家に帰ったらスマホで検索して調べてるんですよ!」
「マジかよ!? ……お、俺、何か変なこと言ってないよな……?」
アルファは戦々恐々としつつ、小宮果穂と共にプラネタリウムを出る。
「ところで疲れてないか?」
「! あたしは平気です! まだまだ全力で遊べます!」
「そうか。でも俺は少し疲れちまった……昔ナンパした奴には出会っちまうし、先輩にも連れ回されたし……」
「あ……ですよねっ。アルファさんは、きっと気が気じゃなかったですよね?」
「つーわけで悪いけど、ここらで解散しないか?」
「え! …………」
「……?
ふとした名前呼び。
ハッとした小宮果穂は、衝動的に手が伸びて、黒いスーツの袖を掴む。
「あ、あの!」
「?」
「あたし……もっと────もっと……いっしょに、いたい……です……」
小宮果穂は見上げる。青年の瞳を。
アルファは息を忘れる。少女の潤んだ上目遣いに。
「だって、アルファさんとは……あと三年しか、いっしょに遊べないから……」
「────……っ。あー……んじゃ、俺んち来るか? いつもみたいにソファでゆったり寛ごうぜ?」
「! はいっ! ありがとうございますっ!」
その言葉で小宮果穂は、いつもの元気ハツラツな表情に戻る。
対するアルファは、あることに疑問を感じていた。
(──なんだ? 今の顔……俺が変なフィルターを掛けてるだけか? 俺の直感が正しいとしたら、今こいつ俺のこと……ちょっと異性として意識したことになるんだが……。──まぁ、体はもう高校生みたいなもんだし? だから俺としては、ずっと幼児扱いで理性を保ってきたわけなんだけど……。──もちろん、男の脳みそ的によくある勘違いの可能性も高い。この純粋無垢と天真爛漫が合体した塊のような奴が、俺なんかに色恋沙汰を起こすとは思いにくい。つまり今のは、俺がホルモン的フィルターを掛けていたってことで片付けるべきか。──ただし経験則も無視できない。今のは明らかに“恋の波動”とやらを感じたんだが……。──ふむ。なら逆を考えてみようか? もし、もしもだ。百歩譲って、もし俺がこいつに恋をしている、あるいは下品な感情を抱いているとするなら……まぁ、それならそれで、別にいいか)
アルファは、自分のあらゆる感情を客観的に推察して、理性的に合理的に、彼我の心理と真理を突き詰める。
(俺がこいつをどう思っていようが、俺の将来は変わらない。それより、いずれにしても果穂のほうが問題で心配だ。俺が惚れていようが、こいつが惚れていようが、果穂の将来に迷惑を掛けることはしたくない。となれば、可及的速やかに野郎の本能を抑える必要があるわけで────)
男の家に、異性として魅力的な少女が来訪する。
さらに薄暗い部屋の中、ソファでふたりっきり。
今までアルファは、小宮果穂の性格が幼すぎることで毒気を抜かれて、特になんとも思っていなかったが……今日は少し“ヤバイ”かもしれない。アルファは小宮果穂の上目遣いを受けたことで、このあと悶々とする気持ちが胸焼けを起こすかもしれない。
「まったく、中坊ってのは猿だな。厄介な時期だ。たしか女は三十代くらいがピークだったか」
「え?」
「いや独り言。同時に警告でもある。でも、そんなのお前に
「? ??」
「……なぁ。ちょっと薬局に寄ってもいい?」
「? はい。何を買うんですか?」
「大げさかもしれんが、胃痛に効く薬と、鎮静剤。ちなみにタイヤの主原料は家に置いてある」
「……??????????」
§
夕暮れのアルファ邸。西日が差すリビングのソファでは、ジャージ姿の小宮果穂が健やかな寝息を立てていた。
「ん?」
アルファは風呂場で部屋着に着替えている間、ソファに倒れている小宮果穂を発見する。
「!」
様々な憶測が脳内を飛び交いつつ、静かに駆け寄って安否を確認。やはり、ただ寝ているだけだと分かって、ホッと胸をなでおろす。今日は朝から昼過ぎまでモールを歩き回ったので疲れたのだろう。本人はまだまだ遊び足りないと言っていたが、アルファも疲れるほど歩き回ったのだ。それなのに小宮果穂は疲れていないというのはおかしい。
(そういや、女を連れてあんなに歩き回ったのは初めてだな……いや、途中から連れ回されたの間違いか。主にあさひ先輩のせいで。……まぁヒールじゃないってのもあるのかもしれないが、俺の方が先にバテるって……ほんとガキは元気が有り余ってんなぁ……)
そんな小宮果穂も、電源が落ちたようにお休みモード。
アルファはしばらく寝かせてやろうと思いつつ、時計の針を確認する。
「……って、おい。もう帰る時間じゃん。……果穂ー? 起きろー。すまないが起きてくれー」
肩を揺すって起こそうとするが、小宮果穂は深い眠りに落ちているのか、一向に起きる気配がない。
「……さて、こういう時、どうすればいいのか」
経験不足な状況に見舞われる。アルファは、とりあえず小宮母に連絡を入れて事情を説明。共に悩んだ結果、小宮母から『特に問題ない場合、果穂が起きるまで待ってあげてくれないかしら』とお願いされる。ただし、この熟睡ぶりだと、完全に日が落ちて夜になっても眠ったままかもしれない。小宮母は『さすがに夕飯前には帰ってきてほしいけど……』と呟く。ならばとアルファは、小宮兄に迎えに来てもらう旨を提案。小宮果穂をおぶって夜の道を歩くのは少し危ないかもしれないが、途中で彼女も起きるだろうと楽観的に話す。
『ごめんなさいねぇ。今日はちょうど果穂のお兄ちゃん、学校の用事で帰りが遅くなるのよ……』
「えっ」
『でも、アルファさんに果穂をおぶってもらうのも大変だろうし……これは夕飯までには帰れないかしら。仕方ないわね』
「いや、その……」
アルファは言いあぐねる。できれば早く帰ってほしい、と。特に他意はない。夜は勉強に検索、小銭稼ぎのアンケートなどで忙しいのだ。今夜くらいは別に良いだろうという思いもあるが、その油断が大敵である。小宮果穂が家にいるのが嫌なわけではない。ただ真っ暗闇の中で少女と二人きりというのは、どうも。────いつもは他意なぞ存在しない。しかし今日だけは、他意があってしまうのだ。
「……じゃあ、俺が連れ帰ってもいいですか?」
『え? いいの? でも大丈夫? ほら、果穂────』
「あぁいや、皆までは。体は鍛えてますから。軽いもんすよ」
小宮果穂の体格が大きいからといって、体重まで口に出させるのは失礼に値する。
そのためアルファは先んじて察して制した。
『そう……でもやっぱり悪いわ。あ、もしかして夜に用事があったりする?』
「まぁ……そんなところですかね」
『ごめんなさいね。果穂が迷惑かけて』
「いえいえ。このくらい造作もないですよ」
『じゃあ、お願いできるかしら?』
「はい。任せてください」
話はまとまった。アルファは通話を切る。だが背負って送るのは最終手段だ。アルファは諦めず、もう一度小宮果穂の肩を揺すって起こしにかかる。
「おい果穂。もう帰る時間だぞ。夕飯遅れたら明日に響くんじゃないか?」
「────────」
「……ば、爆睡、だと……?」
アルファは窓の外を眺める。まだ西日は沈んでいない。今すぐ小宮果穂を背負って家に届ければ、夜道を歩く危険性は避けられる。もちろん小宮果穂が起きるまで待つのが最善だ。帰り道は家まで送ってやればいいだけの話。だがこの時のアルファは、どうしても“小宮果穂をとにかく家から追い出す”という思考に囚われて、その目的ばかりが先行していた。
「はぁ……仕方ない。酔っぱらいの美女を背負ったことは何度かあるが……こんなの初めてだ。おい、果穂────」
アルファはしゃがみこんで、小宮果穂の寝顔を見つめる。そこで視線が、つい胸元に向く。そしてアルファは、致命的な失策に気付いた。
(あれ? まった。俺、スッゲェ馬鹿な判断してない?)
致命的な失策は、主に二つある。
一つ目は、夕方に街道を出歩けば、不良三人組と遭遇する可能性。
二つ目は、小宮果穂を背負うということは、背中に豊満な感触がある可能性。
「いや、さすがにそう何度も遭遇することはないだろう。それに……そうだ! お姫様抱っこすればいいだけの話だし!」
一つ目に関しては楽観的にならざるを得ないが、二つ目に関しては名案を閃いた。
さらにアルファは、第三の選択肢を閃く。台所からフライパンとおたまを持ってきて、けたたましくカンカンガンガンと鳴らしまくる。
「俺は心を鬼にする! それにこれ人生で一度はやってみたかった! さぁ起きろ果穂! なんで俺がこんなことで四苦八苦しなきゃいけないんだ!」
「────────、……────」
「……うそ、だろ……この轟音で起きないとか……どんだけ深い眠りだよ……寝る子は育つってか……?」
最後の切り札も防がれた。もはやアルファに選択肢はない。ほかの方法も閃かない。
「くそっ……俺だって疲れてんのに……」
アルファはスマホのライトを点けて右手に持ち、左の手首には紙袋の把手の紐を通す。提げた紙袋には小宮果穂のドレスが入っている。その点においてもアルファは耐え切れないでいた。
「あぁくそぅ」
鍛えた両腕で小宮果穂の体を抱き上げる。少し揺らしても全く起きる気配がない。むしろアルファの衣服をギュッと掴んできた。
「はぁ……」
溜め息ひとつ。家を出る。下降するエレベーター。マンションを出る。広めの歩道。右手にはビル群。左手には一定間隔で街路樹と花壇、ベンチとゴミ箱が並列し、繰り返される。道路方面では自動車が行き交っており、さらに左方には同様のビル群が並び立つ。
────そして、宿命は突然に。
ロマンスの休日は一変して、タイタニックばりの悲劇が訪れる。
(……────おいおい、冗談だろ……)
前方に交番。そこから不良三人組が出てくる。運の悪いことに、こちらに向かってくる。まだアルファには気付いていない。何かしでかして警察官に叱られたのか、不良三人組は不機嫌そうで、交番から死角になる位置でゴミ箱を蹴り飛ばした。が、そのゴミ箱はじめんと接続するタイプであり、思わぬ堅固さに痛がった不良少年は悲鳴を上げる。といっても交番の目視では死角が存在するが、軒先の監視カメラを含めれば交番周辺に死角なんてものは存在しない。今の器物損壊罪の行為はバッチリ録画されていることだろう。
(────────)
その点もアホだな。などと考えている余裕はない。思考が爆速で回転する。今さら後ろに逃げても、アルファの後ろ姿は覚えられているため気付かれる。それに小宮果穂を抱いたままでは走れないし、走ったところで重くて追い付かれる。とうとうアルファと不良三人組の目と目が合う。例の御曹司は憂さ晴らしする相手を見つけたようなしたり顔で近寄ってくる。アルファは近くのベンチに小宮果穂を下ろして寝かせると、自ら不良たちの下に歩いて行く。
対面。アルファは胸ぐらを掴まれる。無言で睨み据える。
「おうおう、今日も女連れかよ! このヤリチン野郎が!」
「お前にとっては『こんばんは』が『
「その口の利き方マジでやめろよ? マジでぶっ飛ばすぞ?」
「以前、俺のこと突き飛ばしたことお忘れで? ちょっと前のことも覚えられねぇ鳥頭なのか?」
アルファの左肩が突き飛ばされる。公園の土とは違い、歩道はレンガ道なので、倒れたらそれなりに痛い。なので足腰に力を入れて、たたらを踏み耐え忍ぶ。だが倒れないよう耐えると相手は激昂するもので。どうしても自らの力を誇示したくて、何度も何度も突き飛ばし、執拗に倒そうとしてくる。
「おいマジでふざけんなよ? おれたち知ってんだぜ? お前が夜の街で女ナンパしてラブホに消えてんの」
「知ってるよ。お前ら夜遊びが多いもんな。同類だ。で? その程度の情報が脅しになると思うとか……おこちゃま過ぎて哀れに思え────」
拳が飛ぶ。それをひょいっと躱したアルファは、無言で姿勢を直して佇立する。
「っ……!? テメェ────舐めんなぁッ!! 殴り返してこいよ、この根性無しがァッ!!」
「親の七光りで悩む自分の問題から逃げてる本当の根性無しには言われたくないなぁ……」
「ッッ……!!? テメェ、マジ────殺すッ!!」
顔面に拳が飛んでくるが、アルファは目を伏せて回避行動を取る。実直さが裏目に出る直線的な攻撃は、目で見てから避けるまでもない。
(さて、どうして場を収めたものか……さっさと気付けよ、おまわりさん……)
アルファと御曹司は踊るように交差を繰り返す。主に御曹司が翻弄されており、彼の攻撃はアルファに掠りもしない。
「自慢じゃないけどさぁ? こちとらボランティアの一環で兵隊訓練も受けてるんだよねぇ。まぁ教えてもらったのは銃の撃ち方だけで、格闘戦については完全に自前なんですけど。だからありがとね? 俺を鍛えてくれて。野生の猿や蛇が攻撃してきた時に、それを避ける時の反応が素晴らしいって、やたらと褒められるからさぁ!」
「クッソがぁ……!!」
煽るアルファ。激昂して叫ぶ御曹司。
口喧嘩に発展すれば、その騒々しさに気付いて、交番から警察官が顔を出してくるかもしれない。
「チッ────てめぇら! こいつ抑えろ!」
「……!」
しかし、いよいよ戦闘が本格化する気配。三人同時には相手できない。殴ればケガをさせてしまう。慰謝料はきっと高く請求される。またタコ殴りにされるしかないのか。体は鍛えているため急所を避ければ問題はない。だが、もし小宮果穂に手を出してきた場合は、軽い肉体障害と精神的殺害も視野に入れる。それを決意した上で、アルファは降参するように両手を挙げた。
「ほら、好きにしろよ。寄って集っていたぶるしか能のねぇ惰弱どもが」
アルファに殺到する不良三人組。
────その時だった。
ヒーローアイドルは、ダークヒーローのピンチを救うべく、地を駆ける。
────PPPPPPPPPPPPPPPPPPPP!!!!!
けたたましい防犯ブザーの音が鳴り響く。
それは、ようやく君に見せられる英雄譚。
『……ッ!?』
突然ビル群に反響して大きく轟く防犯ブザーの響音。耳を劈いて脳髄を掻き回すような音は、不意打ちのような威力があり、アルファと不良三人組の動きが数瞬硬直する。
そしてアルファの挙げていた片手が、真横を颯爽と駆け抜けた赤毛の少女によって引っ張られる。
「あ────」
アルファを引っ張って懸命に、必死に走るヒーローは、不良三人組を突破して、急いで交番に駆け込んで大声を張り上げる。
「た、助けてください……っ!! あたしの友達が、いじめられていますっ! それで、追いかけられています……!!」
「────────」
アルファは来た道を振り返る。そこには途中まで追い掛けてきていた不良三人組が「やべっ!」などと叫んでおり、踵を返して脱兎の如く逃げていく。交番からおまわりさんが飛び出して、自転車に飛び乗り、不良三人組を追いかける。もうひとりのおまわりさんは、小宮果穂とアルファを守るように交番の中へ招き入れて、固く扉を閉めた。
「大丈夫だったかい? 何があったのか説明できるかな?」
「は、はいっ! ──あ、いえ、あたしはその、ベンチで寝ちゃってて、途中から起きて気付いたんですけど────」
アルファが茫然自失と佇む中、小宮果穂は理路整然と目撃した状況を説明する。
「……そうか。よくわかった。えぇっと、念のため確認するけど……小宮果穂ちゃんは、小学六年生でいいんだよね?」
「はいっ!」
「素晴らしい。しっかりしているね!」
「……っ! えへへっ……ありがとうございますっ!」
おまわりさんは、アルファの頭を撫でる。
「君も怖かったろう。お茶でも飲むかい? 大丈夫?」
「────あ……いえ、お構いなく……それより俺は、この子を家まで送らなきゃいけなくて……彼女のご家族に、無事に送るよう、約束してて……」
「そういうことなら、僕と一緒に行こうか。おまわりさんと三人なら怖くないだろう?」
「……はい。よろしくお願いします。疫病神の俺じゃあ、
アルファは頭を下げる。
すると小宮果穂が首を横に振って言った。
「アルファさんは“ヤクビョウガミ”なんかじゃありません! まだまだ未熟なあたしのことを教え導く。師匠系ヒーローのような、ちょっとダークなだけの先輩ヒーローですっ!」
「────……それなら果穂は、俺のことを助けてくれたヒーローだな」
「……っ!!」
「ありがとう、助かった。そして、ごめん。こうなったのは俺の判断ミスだ」
「アルファさん……それでも、あたしはアルファさんを助けることができて良かったです! これで名誉挽回! 汚名返上! ですっ! ……ですよね?」
「あぁ、そうだな。……以前とは見違えた。ほんと、いつの間にか成長したな、果穂」
「~~~っ! えへへ……っ!」
それから小宮果穂とアルファは、おまわりさんと共に帰路に就く。
日没の市街地。小宮宅の門前に到着。アルファは、小宮果穂に紙袋を手渡す。
「それではアルファさん! また今度も遊びましょう! ジャージは洗濯して返しますね!」
「あぁ。またな、果穂」
小宮果穂は眠たげに目をこすりながら、微笑んで玄関の扉を開けて帰宅する。
それを見送ったアルファは来た道を戻り、それに付いて行くおまわりさんが言った。
「それじゃあ交番に戻るけどいいかな? こっちも話のすり合わせのために、あの三人組と何があったのか聞き取りしたいんだけど」
「あ、はい。大丈夫です。それに、おまわりさんがいれば……たぶん今回で説得できて、あの御曹司も前に進むことができるようになると思います」
「……君、殴りかかられていじめられたっていうのに、随分と穏やかな顔をするんだね?」
「メンタル幼稚園児にぺちぺち叩かれて憤るほどガキじゃありませんから」
「ははは! ────その憎まれ口は、交番ではやめてね? また喧嘩になっちゃうよ?」
「分かっています。俺にとって憎まれ口は手段ですから。……ところで果穂のご家族に、今回の件を報告するのは、また後日ですか?」
「そうなるね。まずは君を送り届けるのが先決だから」
「お手間をおかけします」
「いやいや! 僕たちはこれが仕事だからさ! ……うん、でも、ありがとう!」
§
翌朝。
小宮宅におまわりさんが訪問して、小宮母に昨晩の出来事を報告していた。
「え────そんなことが?」
「あれ? 娘さん、ご家族に何も説明しなかったんですか?」
「は、はい……私は、まったく、寝耳に水で……ちょ、ちょっと果穂? どういうこと?」
小宮母は、傍らでニマニマとする娘を問い詰める。
「ヒーローは、自分の活躍をひけらかさないんですっ!」
「こら! だからって家族にはちゃんと話しなさいっ!」
「ひゃ!? ご、ごめんなさいぃ……!」
本気で叱られた小宮果穂は驚いて、しゅんと落ち込む。
それを見たおまわりさんはつい笑ってしまい、ふと小宮母の怖い顔を見て姿勢を正す。
「まったくもう……昨日帰ってきた時、やけに上機嫌だと思ったら……」
「ははは……あ、いじめられていた少年は、夜遅くまで聞き取り調査に同行してもらっていて……きっと近いうちに、こちらに謝罪しに来ると思います。彼、娘さんを二回も巻き込んでしまったことを深く悔いていた様子だったので」
「あら……分かりました。それについては任せてください」
「はい。それと、両者の学校側にも、この件は報告済みです。あと、娘さんはアイドルだそうで……既にプロデューサーさんというかたにも報告を済ませています。────このあたりで僕らの報告は以上ですかね。災難でしたでしょう。お疲れ様です」
「いえ……こちらこそ。子供たちを守ってくださって、本当にありがとうございます」
「はは、これが仕事ですから。それでは、どうも!」
おまわりさんは帽子を脱いで会釈し、爽やかな笑顔で自転車に跨って走り出す。
「……っ! おまわりさん、カッコよかったですーっ!」
「こーら。ちゃんと反省してる?」
「! は、反省してます……」
「もう……」
ふいに小宮母は、娘の体をぎゅっと抱きしめる。
「…………!」
そのぬくもりは愛情の証。そして心配の伝達。小宮果穂は叱られた意味を理解して反省する。
小宮母は(伝わったかしら?)と判断すると、いつもの調子で家に戻り、家族のための朝食を作り始めた。
§