※この作品はR-18です。

小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い   作:形のない者

7 / 10
pSSR【あたしの心のダークな人】小宮果穂

 

 ある日の正午。燦々ときらめく浜辺。藍色の海原を背景に、人魚姫のような衣装を身にまとうアイドル・小宮果穂は、プロモーションビデオの撮影をしていた。

 

 テーマは“深海を照らす黄金の人魚”────彼女の笑顔は、ある人を恋い慕う時、髪やウロコが黄金のように輝いて、深海の暗闇に一筋の光を灯す。

 

 そして被写体への注文は、好きな人を思い浮かべて、告白すること。

 

「────好きです!」

 

 それは親愛の言の葉。さらには勇気・知恵・頑張り・始まり・友情といった五色の想いが募り、波間を漂う人魚の歌姫は、恋い慕う相手に告白する。

 

 そこでカメラマンが笑った。

 

「おっ。いいね! でも今、放クラのメンバーを思い浮かべちゃったかな? はは!」

「え……! そういうの、分かっちゃうんですか……?」

「まぁね! 自分で言うのもなんだけど、この道十年のベテランだからさ! ただ、できれば異性の人がいいかなーって。……あ、こういうこと言うと、プロデューサーさんに怒られちゃうかな?」

 

 ふと話を振られたプロデューサーは、首を否と振る。

 

「あぁいえ、カメラマンさんのことは信頼していますから。特に他意はないことは承知しています」

「あらそう? じゃあ遠慮なく、もっと突っ込んだ注文をしてみようかな~?」

「はは……できれば、お手柔らかに……」

「できないの知ってるくせに~! ……あ、果穂ちゃん。どうかな?」

 

 異性の人で、恋をしている人。

 今のところ小宮果穂に、そのような人は存在しない。

 

「えっと……ちょっと、難しくて……」

「そっかー。自分の頭の中で、理想の王子様を作り上げて告白! ……なんてのは、ちょっとハードル高いかな?」

「うーん……やってみますっ!」

「いいね! 今のキメ顔、一枚撮ればよかった! 今回の撮影には関係ないけど! あとこれ動画用カメラだけど!」

 

 小宮果穂は想像する。異性の人を。

 次いでテーマを意識する。恋い慕う人を。

 

 海のさわめき。波のさざめき。人魚姫の朗らかな歌声。それは好きな人を呼ぶ歌声。人魚姫はどんな人に恋をしているのか、その顔を思い浮かべる。

 

 ふとテレビに砂嵐が走るように、黒い嵐が吹き荒れて、紫色の幻影が頭に浮かぶ。そのまま理想の人物を作り上げる。でもこれが中々むずかしい。そもそも理想の人物なんて、たくさんいるから困ってしまう。夏葉さん、千雪さん、美琴さん、はづきさん。大抵の大人の女性が理想なのだ。理想も多すぎると困ってしまう。人魚姫が恋い慕う相手は、ただひとりなのだから。なので、こういう時はやり方を変える。一旦戻って仕切り直し。

 

 紫色の幻影から、ジャスティスパープルを連想する。パープルといえば『男気の男』……そのカッコよさは『ちょこ先輩』と同じだ。しかしテーマは異性の人。ちょこ先輩は同性の人だ。ジャスティスパープルの正体は『ゆか先輩』という男の人だが、はたして人魚姫は、ゆか先輩にときめくだろうか? それには、そもそも“ときめき”とは何かを研究する必要がある。

 

 そんな時間はないため、今度は黒い嵐から、『大人の魅力』があるジャスティスブラックを連想……────いや、今回はヒーローから離れてみよう。今は人魚姫の撮影だ。それにちなんだことを考える。

 ────真っ黒な嵐から、嵐の海を連想する。疾風と雷鳴、土砂降りの雨と一面真っ白の霧。暗雲立ち込める大海原を豪快に突き進む難破船には、正義の心を忘れない幽霊船長が乗っている。元々その難破船は海賊船だったが、嵐に負けて座礁したことで多くの仲間を失い、船長はひとりぼっちになっていた。そして自分も死んでいることに気付いた幽霊船長は、悲しみのあまり深海に沈んでいったのだ。

 それから気の遠くなるような時間が流れたあと、幽霊船長は深海の奥に一筋の光を見つける。否、その光の方が幽霊船長を見つけたのかもしれない。光の歌声を聞いたことで、仲間たちとの楽しい冒険の日々を思い出した幽霊船長は、たとえひとりぼっちでも大海原に漕ぎ出し、困っている人を助けるために大冒険をする勇気と元気を取り戻した。

 

 嵐の海を駆る幽霊船長の難破船。絡みつく海藻で素顔が見えない幽霊船長は、腹の中が黒くて心の中が白いチグハグな性格をしている。つまり、ちょっとイジワルで、本当は優しいのだ。一方の人魚姫は、海面から顔を出して、いつも自分を置いて通り過ぎる難破船を、ついつい追いかけてしまう。どうして追いかけてしまうのか? それは、傷ついて悲しんで深海に沈みたくなるほど落ち込んでいるのに、それでも前に進もうとする幽霊船長のことが、放っておけないからなのかもしれない。

 そう、たとえばヒーロー番組で、いつも無茶をするレッドのことを心配する、戦いでは無力だけど心の支えとなるヒロインのように。それでも人魚姫は、戦いでも役に立てるように修行する、パワータイプでもあるのだ! そんな人魚姫は、ついに告白する。

 

 ────幽霊船長さん。あたしを仲間に入れてください。そして、いっしょに大冒険しましょう!

 

 ……でも幽霊船長は、人魚姫を危険な目に遭わせたくないから、その告白を断ってしまう。

 そして、きっとそうなるだろうと予想していた人魚姫は、もうひとつの告白だけは、絶対に受け入れてもらうことに決めていた。

 

「……好きです」

 

 その告白は、愁える表情で口ずさむ。

 

 それは小宮果穂にとって、まだまだ謎の多い言葉だった。LikeとLoveは、いったい何が違うのか。その恋の葉には、どんな想いを募らせればいいのか分からない。その愛の葉は、いつ弾けるのかも想像できない。拙くも淡い泡のような、Loveを意味した告白だった。

 

 ふいにスタジオが静まり返る。今の告白に息を呑まなかったスタッフは誰ひとりとしていない。プロデューサーに至ってはガッツポーズを取っていた。そしてカメラマンが感嘆の息を洩らす。

 

「────……あぁ……やっぱり僕はベテラン過ぎて、こういうのを引き出せちゃうんだよなー。でもなー!」

「……? 恐縮ですが、今の果穂の演技、すごく良かったと思うのですが……」

「そうなんだよプロデューサーさん。でも良すぎるんだよー。それっぽくていいけど、それっぽすぎるから正解なんだけど……ちょっとぎこちないのがいいんだけど! 初々しくていいけど、いつもの果穂ちゃんと少し違う感じもチャーミングで、新鮮で斬新でパーフェクトなんだけど────僕としては、それで行きたいんだけど……!」

「あ、あの? カメラマンさん?」

「企画の趣旨が“元気ハツラツ”で“黄色い恋”だからさ! 今のは“湿っぽい”で“黒から紫、さらに清めたら青い恋”なんだよ! だから、ごめんね果穂ちゃん! 次、行ってみよう! そうだな……今度はプロデューサーさんのことを思い浮かべてみて!」

 

「は、はい……っ!」

 

 小宮果穂はハッキリと鮮明に、プロデューサーさんの顔を思い浮かべることができる。プロデューサーさんは、いつもスゴくて、カッコよくて、優しくて、尊敬できて、信頼できて、理想の大人。ああなりたいと慕う気持ちは憧れだろうか。それとも、それが恋なのかな?

 

「────大好きですっ!」

 

 その告白は、満面の花咲く笑顔で叫んだ。

 

          §

 

 撮影が終了する。人魚姫の衣装から私服に着替えた小宮果穂は、全力疾走で砂浜を駆け抜けてプロデューサーのそばに戻ってくる。

 

「プロデューサーさんっ! 今日のあたしのお仕事はどうでしたかぁ!?」

「良かったぞ! カメラマンさんの大興奮ぶりからも、果穂は依頼人のオーダーを完璧にこなしたってことが分かる。よくやったな、すごいぞ!」

「~~~っ! えへへ……ありがとうございますっ!」

 

 ふいにプロデューサーは、照れくさそうに頬を掻く。

 

「でも……ちょっと恥ずかしいな。本当に俺を想像したのか?」

「はいっ! プロデューサーさんは理想の大人ですっ! スゴくてぇー、カッコよくてぇー、優しくて! 信頼できて、尊敬ですっ!」

「そ、そんなに持ち上げないでくれ! ……でも、そう思ってもらっているってのは、よく分かったし、伝わった。すごく嬉しいよ。ありがとな、果穂」

「えへへっ! もっと撫でてくださいっ!」

 

 プロデューサーは小宮果穂の頭にポンと手を置く。だがアイドルとの距離感を弁えるプロデューサーは、必要以上に触れることはしない。仕事一回で頭をひとなで。そうやって、まだまだ小学生の少女を可愛がって褒め伸ばす。やがてプロデューサーは、腕を組み首をかしげて青空を見上げた。

 

「ただ、ちょっと意外だったなー……」

「……?」

「あぁいや、果穂の仕事は完璧だったんだ。でも俺としては、二回目の演技の方が最高だったと思ってる。あれを見た時、今回の仕事を引き受けて良かったと心の底から思ったよ。果穂の新しい可能性を見つけたかもしれないと思って、ついガッツポーズもしちゃったからな!」

「そ、そうなんですか……?」

「あぁ! ……なぁ果穂。もしかして……誰か気になる人でもできたのか?」

「……! それは……」

 

 小宮果穂は思い煩う。頭にモヤが掛かる。幽霊船長。それは果たして完全な空想の産物なのか。それともプロデューサーが言うようにモデルがいるのか。

 

「あぁいや、すまん! 困らせるつもりはなかったんだ。それに無神経な質問だったな。すまん……!」

「あ、いえ……! ……────」

「えっと……そういえば、この辺りに美味しい店があるって智代子から教えてもらっていたのを思い出した。行ってみるか? …………果穂?」

 

 小宮果穂は研究のため考察する。

 

 撮影の時、小宮果穂は最初、ジャスティスパープルのことが頭に浮かんだ。ではパープルに恋をしているのかと言われると、それは違うだろうことが分かる。なぜならクラスメイトの恋バナによれば、恋というのは胸が痛くなったり、苦しくなったりするそうだ。それだけ聞くと“恋って本当にいいものなのかな?”と思ってしまうが……みんなは、なぜか大興奮して『わかるー!』と言っていた。どうやらみんなは、既に恋の経験があるらしい。

 しかし小宮果穂は、パープルのことを思っても、胸が痛くなったり苦しくなったりすることは全然ない。むしろパープルのカッコいいシーンを思い出してワクワクする。レッドの先輩キャラとして素敵だと思い、すぐにちょこ先輩のことを連想する。でも、ちょこ先輩は女の人だ。それに、ちょこ先輩のことを思っても、痛みも苦しみもない。むしろ、ずっと小宮果穂の心を楽しくさせてくれる存在だ。

 

(うーん……)

 

 では、はてさて、恋とは、なんぞや? 凛世さん風に言うなれば、それは中々に手強きもの。それでも小宮果穂は、考えることを諦めない。思えば家族以外で身近な男性といえばプロデューサーさんだ。目の前で首をかしげるプロデューサーさんを見上げて、その呆けた顔をジッと見つめる。そして胸に手を当ててみると────心の中がキラキラした。

 

「……か、果穂? 大丈夫か……?」

 

 一方のプロデューサーは、難しい顔をする小宮果穂が何かを考え込んで唸っているため、何を思うたか謝った。

 

「ご、ごめん! 本当に無神経だったよな! 無理に聞く気はないから、そこだけは勘違いしないでほし────」

「いえっ! むしろ知りたいですっ!」

「えっ!?」

 

 プロデューサーは思う。

 知りたい。ということは、小宮果穂はもしかして、自分にとって“気になる人”が誰なのかを考えていた、ということか。

 

「うーん……たしかカメラマンさんは、『黒』と『紫』……あと、『清めたら青』って言ってましたよね?」

「……そうだな? 今更だけど『清めたら青』って、どういう意味なんだろうな? あのカメラマンさん、昔から独特な表現をするからなぁ……」

「それは────もしかしたら、最初は真っ黒だったからだと思います! 幽霊船長は、全身に海藻が絡みついて真っ黒ですから!」

「……? 幽霊船長?」(もしかしてヒーロー番組に出てくるキャラの話かな……?)「果穂は……なんとなく分かるのか?」

「はいっ! 人魚姫の歌声で『黒』が清められたから『紫』になって……そして、もし人魚姫と幽霊船長が結ばれたら、その『紫』も『青』として清められるんですっ!」

「……!」(あぁ……! これ、もしかしなくても果穂が、撮影のキャラ作りのために想像していたストーリーの話か……! ……────あれ? そうなると果穂は、幽霊船長に告白しようとして、あの愁うような表情ができたってことか? ……そ、その幽霊船長、どういう人なんだろう……? 名前だけ聞くと、怪人みたいなキャラクターしか想像できないんだけど……き、気になる……!)

 

 プロデューサーは、担当アイドルのことをもっと知るために頭を悩ませ、

 小宮果穂は、恋について頭を悩ませる。

 

「パープル……紫……じゃあ、あたしが“気になる人”は、紫っぽい人?」

「……!」(果穂は……やっぱり恋について知ろうとしているのか。それなら俺も、何か手伝いたいな……)「紫っぽい人……それって、たとえばイメージカラーとか? 果穂の知り合いに、どこか紫っぽい人はいるか?」

「うーん……?」

 

 小宮果穂は思い付かないのか、首を横に振る。

 

「あ、でも! イメージカラーというのは、当たっているかもしれません! でも……“紫っぽい人”って、どういう人なんでしょう?」

「うーん。一般的に紫は“高貴”なイメージがあるそうだけど……果穂の考える紫は、また別かもしれないからなぁ……」

「それなら、プロデューサーさんが考える紫も、“高き”とは違うんですか?」

「俺の場合か? うーん……さっきの幽霊船長の話と組み合わせて想像すると────その紫っぽい人は、もうとっくに成熟しているのに、それでも変わろうと努力している人なのかもしれないな……」

「……それでも、変わろうと……」

 

          §

 

 その日の夜。

 小宮家の食卓には四人分の料理が並べられており、『いただきます』と合掌して夕飯を食べ始める。

 

 その時、小宮果穂はお昼の撮影を思い出して、唐突に訊いた。

 

「あ、そうだ! ねぇ! お兄ちゃんって、恋、したことある?」

「ぶふぅっ!?」

 

 小宮兄は驚きのあまり吹き出し、なぜか聞かれたわけでもない小宮父も胸を叩いて咳き込む。

 

「?」

 

 呆とする妹。

 対する小宮兄は口元を拭い、とうとうこの日が来たかと思いつつ泰然(ドン)と構える。

 

「なんだ……果穂もそんなことが気になる時期になったか」

「えっと……そうなのかな? ちょっと知りたいだけ!」

「ふーん? でも教えなーい」

「えぇ! なんで!」

「いや普通に恥ずいから。それより目の前の成功例に聞けよ」

「成功例?」

「父さんと母さんだよ。灯台下暗しかっつーの」

「! そっか! ふたりは結婚してるもんね! ねぇねぇお母さんお父さん! 恋ってなに!? どんな感じ?」

 

 ゴホゴホと咳き込む小宮父に代わり、そっと箸を置いた小宮母が答える。

 

「ふふっ。お母さんとお父さんの馴れ初め話は長いわよー?」

「! 聞かせてくれるの!?」

「ご飯を食べ終わったらね。……でも、やっぱり兄妹ね? お兄ちゃんも昔、同じことを聞いてきたのよ」

 

「ばっ! 母さん! いつ俺がそれ聞いたか言うなよ! 絶対だぞ!」

 

 小宮母は「はいはい」と言って箸を手に取る。

 一方の小宮父は、未だに咳き込んでいた。

 

 

 

          §

 

 

 

 後日。

 平日の放課後。夕暮れのアルファ邸にて。

 

 小宮果穂は、時に放クラのメンバーとレッスン室で切磋琢磨し、一緒に遊んで……時にクラスメイトとも遊び、時にひとりレッスン室で努力して────そうやって幾日もの順番を経て、ようやくアルファの家に遊びに来ることができた。

 

 久しぶりの薄暗いリビング。ふかふかのベッドソファ。夕闇の室内にて小宮果穂は、これからの楽しさに期待するあまり、弾力のあるソファの上で元気いっぱいに飛び跳ねていた。

 

「アルファさん! 今日はヒーローごっこしましょう!」

「またか? 俺たちだけだとヒーロー役とヴィラン役だけで、姫役がいないからバトルしかできないぞ」

「それでも楽しいのでオッケーですっ! ヒーローとヴィランの仁義なき戦い! いざ、決闘ですっ!」

「つってもなぁ……毎回同じパターンってのもアレだろ。なんか趣向を凝らそうぜ?」

「しゅこう?」

「工夫ってこと。たとえば……いつもジャスティスレッドと魔王の戦いじゃん。その配役、別の奴にしてみようぜ。隠れた名戦闘……ベストバウトを再現するとか」

「隠れた名戦闘……! もしかして、レッドVSブラックの回とかですか!? なんだかカッコいいですーっ! じゃあ……あたしは、どの色が似合うと思いますか?」

「お前はレッド一択だろ。アイドルのイメカラ的にも」

「でも、この前は黄金の人魚の役をやりました! ゴールドやイエローも行けると思います!」

「ふーん。そういやランドセルも黄色だよな。黄色好きなのか? じゃあイエローで。ゴールドはまたの機会にな。……で、俺は?」

 

 アルファは何色が似合うか。

 小宮果穂はヒーローポーズを決めながら即答した。

 

「当然、パープルですっ!! あ! でもブラックも似合っ────て……」

「……ん? 果穂?」

 

 ふいに小宮果穂は、大きく目を見開いて微動だにしなくなった。呆けるアルファの顔を、じっと見つめている。見つめたまま、どうすればいいのか分からなくなり、考えて考えて、どういうことか考えるあまり、身動きが取れない。

 

「……────」

「……おい、マジでどうした? 急に電源落ちて目ぇかっぴらいたままヒーローポーズで爆睡とか、腹よじれて死ぬからやめろよ?」

 

 冗談を言ったアルファは自分で笑い、座卓で自習を続ける。

 対する小宮果穂は混乱していた。

 

(黒から紫、清めたら青……アルファさんは、今はパープルで、前ならブラックだった────あれ、なんだか、似てる……)

 

 それだけの話。だけど、それだけじゃない。

 

「……果穂?」

 

 明らかに小宮果穂の様子がおかしい。アルファは席を立って近付こうとする。

 

「っ!」

 

 すると小宮果穂は驚いたようにのけぞって、たたらを踏み足を滑らせた。

 

「わっ!」

「あぶな──っ!?」

 

 背中から転んだ小宮果穂は、幸運にもソファの上に倒れて尻餅を搗く。

 

『…………』

 

 騒然から沈黙へ。お互い、転んだ理由は気付いている。

 今、明らかに小宮果穂は、アルファから逃げようとした。

 

「……あ、えと……」

「…………気をつけろよ」

 

 とりあえずアルファは座卓に戻る。心配で気になるが、小宮果穂は混乱している様子。その原因が自分にあるのなら、下手に動くわけにはいかない。さらなる混乱を招かないためにも無関心を装う。今の今まで普通に会話していたのに、急に押し黙って自習に集中するというのは、なかなか不自然な動きではあるが、是非もない。

 対する小宮果穂は、アルファに失礼な態度を取ってしまったことを謝罪する余裕もなく、ひたすら思考に没頭していた。

 

「……………………」

「……」

 

 座卓と紙の上でシャーペンが走る音。それだけが夕闇のリビングに響く。

 

(あぁくそ、集中できねぇ。──なんだ? また俺なにかしたのか? 何を言った? 二の轍は踏まないよう注意してたつもりなんだが……ひとまずは情報収集か。それが済むまでは動かん。それに俺も落ち着く必要がある。だって距離を取られたの、割とショックだったし……)

 

 アルファは心身を切り替えて自習を進める。大学レベルの問題集を一読して数分足らずで解き明かし、あとは正解を書き込むだけ。速筆術を用いることで時間を無駄に浪費せず記入。かくして自習を済ませたアルファは、それだけではない疲弊の溜め息をついて立ち上がる。

 次の瞬間、ずっとソファで女の子座りをしていた小宮果穂が両肩をはね上げた。

 

「っ!!」

「────おい。さすがに二回目は傷つくぞ? もう既に致命傷だ。──お前、さっきも俺から逃げたよな? まぁいいけどさ……え、なに? 俺の体にゴキブリとか這い回ってた? ……いや、なんか自分で言ってて怖くなってきたぞ……マジでいないよな? な?」

 

 アルファは身の回りを確認するが、特になんともない。次いで、もしやヒーロー番組のホラー回で登場する神話生物を窓の外に見たのかと思って振り返るが、やはり────ただひたすら西日が眩しいだけ。ほかにも室内を一通り見渡すが、小宮果穂が度肝を抜かすようなものは何もない。

 

「んだよ。やっぱ俺が問題なのか? だが身に覚えがありすぎる。文句があれば言ってくれ。なるべく早めに解決した方が身のためだぞー」

 

 アルファは台所に退散して水を飲む。

 対する小宮果穂は俯きながら、目の前を通り過ぎるアルファの横顔や背中を、ずっと目で追いかけていた。

 

「────……アルファさんは……幽霊船長、なんですか?」

「は? ……怪人の話か? でもそんなヴィランいたっけ?」

 

 リビングに戻ってきたアルファは、おそるおそるソファに近付いて背もたれに寄りかかる。

 小宮果穂は、もう驚かない。だが緊張しているのか、その目は大きく見開かれたままで、やや呼吸が荒く、頬が火照っていた。

 

「熱でも出したか?」

「え?」

「おでこ、触ってもいいか?」

「……え。……っ!」

 

 小宮果穂はうろたえるが、うなずきも嫌がりもしなかった。

 アルファは額に手をかざす。触れてみるが、特に熱くはない。だが小宮果穂の顔は、みるみる紅潮していった。

 

「……────。……ホントお前おかしいぞ。なんか重大な忘れ物とか思い出したか? なんかやらかしたとか」

 

 小宮果穂は目をつむり、ちがうと言いたげに首を横に振る。

 

「じゃあなんだよ。長く一緒に居ればいるほど分からなくなっていくなお前は。まぁそれだけ成長・変化しているってことか。良くも悪くも」

 

 アルファは溜め息をついて廊下の奥に立ち去る。

 その姿が見えなくなった小宮果穂は慌てて立ち上がり、ソファを乗り越えて廊下を覗き込む。アルファは自室に入っていった。小宮果穂はすぐに追いかけて廊下を小走り。ヒーロー部屋に入ろうとすると────

 

「なに?」

「!?」

 

 ────待ち構えていたアルファが、突として曲がり角の死角から顔を出してきた。

 

「なんか俺に対してビビってると思ったから距離を取ってやったのに、追いかけてくるとは何事?」

「っ……!」

 

 小宮果穂は考えていた。

 なぜアルファと幽霊船長が似ていると思っただけで、こんなにもドギマギするのだろう。

 なぜアルファの一挙一動に目を奪われて、驚いて転んで、逃げようとしちゃったのだろう。

 

 小宮果穂は思う。

 もし、これが“恋”だと言うのなら。自分がアルファに恋をしているのなら。この“なぜ”が“恋”の証拠なのだろうか? それはいったい何を意味していて、どういうことになっちゃうのだろうか? はっきり言って、よく分からない。どうすればいいのかも、分からない。何がしたいのかも、分からない。

 とにかく体がびっくりして、すっごく心もびっくりして、うまくしゃべれなくて、困ったことに相手の顔ばかり見つめてしまう。明らかに自分がおかしくなったことだけは理解しているのに、それ以外の何もかもが理解できない。

 

 そもそも本当に、これは“恋”なのだろうか?

 そもそも“恋”とは何かも分からない。今のところ胸は、痛くも苦しくもない。

 

 ────ただ、ずっと、ドキドキしてる。

 心臓の鼓動が耳の奥を打ち鳴らす。痛いほどに、ガンガンと脈打っている。

 

「なぁ果穂。今までお前はさ……俺に関する問題が発生したら、周りの奴に相談して、解決策を模索してたろ? でも、そろそろ腹を割って話す段階に入ってもいいと思うんだ」

「……?」

「いや、最初からそうするべきではあったんだけどさ……色々な意味でめんどかったし、俺の話ばっか聞いて見識が狭くなっても困るから、野放しにしていたんだ。でも今は結構、仲良くなったと思うから────」(交番の件で、ちょっと信じられるようになったし……それで俺の悪癖化した試し行動も、ちょっぴりだけど収まってきた、と思うし……)「────だから俺のこと、何か思うところがあったら、直接言ってくれると……その、助かる。プラス嬉しい。なるべく善処するからさ……口が悪いところ以外は。いや、それが一番の原因なんだろうけどさぁ……っ!!」

「…………」

 

 アルファは困ったように頭を掻き毟る。自分でも“口の悪さ”ばかりは、どうしようもないのだ。

 対する小宮果穂は、にっちもさっちもいかない状態から脱出するため、やり方を変えることにした。

 

「……なんで、口が悪いのは……『ゼンショ』しないんですか……?」

「! ……それは……」

 

 小宮果穂は気持ちを切り替えるため、恋の考察は取りやめて、別の話題を口に出す。そうすれば今このように、まともにアルファと向かい合って、おしゃべりすることができるようになった。

 対するアルファは苦虫を噛み潰したような顔をしている。雀百まで踊り忘れずとは言うが、それを言い訳にはしたくない。

 

(────難題だなぁ……)

 

 というのもアルファは、天涯孤独の身となった時から、ひとつの生存術として自然と身につけたことがある。

 それは“試し行動”という概念。

 

 両親からの愛情を一身に受けて育ったアルファは、ある日、事故によって両親を喪い、天国から地獄へ転落、親戚中をたらい回しにされた。ある家では暴力を受け、ある家では育児放棄され、ある家ではありえない価値観を押し付けられ、ある家では搾取を受け……最終的には全ての家から、自身の遺産を巡る紛争に駆り出され────典型的な虐待は一通り経験した。そして人間というものに見切りをつけた。

 しかし、ある弁護士との出会いで、ひと握りの人間は信頼できることを知った。それからである。

 

 ヒトの人間性を試す手っ取り早い方法は、わざと意地悪をすることだ。その意地悪に対する反応で、相手の人間性のほとんどが白日のもとに晒される。

 たとえば意地悪をした際、きちんと叱りつけてくれる人には愛があり、余裕がある。さらに、その意地悪がなんでダメなのか、その説明も添えてくれる人には知恵がある。知恵と余裕があるということは、いざという時に頼れることを意味している。

 反対に、意地悪された怒りを只々当てつけるだけの人は、他人ではなく自分のことしか考えていないため、他人を思いやる愛がなく、なぜ意地悪されたのか考える知能もなく、つまり視野が狭く、なにより余裕がない。それでは、いざという時に頼れない上、知能がないため役に立たないことを意味している。

 

 そうしてアルファは“信頼できる人間”と“信頼できない人間”を見つけ出して区別し、賢く立ち回って幼少期を生き抜いてきた。もし生まれつき察しが良く、動物の気持ちに敏感で、聡明かつ利発でなければ……この手法を発見して編み出すことができず、おそらく今頃は自殺でもして土に還っていたことだろう。

 

 とどのつまりアルファの“口の悪さ”は、その試し行動の一環である。

 

 もっと言えば────

 その“試し行動”も、小学校高学年になる頃には習熟していた。自らの能力の高さに嫉妬していじめてくるクラスメイトから逃れるためには、どの賢人教師に頼り、どの汚職教師に頼ってはいけないか、アルファは誰よりも熟知していた。

 さらに、その熟練度は一種の特技として機能し、情報屋として多くのクラスメイトの相談窓口として役に立ったこともある。というのもアルファは、悩める子羊を最適な相談者へと確実に教え導くことができた。それほどアルファは、対人関係に鋭く、人を見る目には聡くなっていたのだ。

 そうして善人悪人、あるいは善悪を知らない純粋無垢のクラスメイトから、多くの篤い信望を集めた。それは小五の頃に就職した会社でも同じことだった。全く同じ方法で学校と会社、クラスメイトと仕事仲間、双方に自らの信望と居場所を勝ち取り、人間関係に邪魔されない環境を構築した上で、一生懸命に勉強と仕事へ取り組んだ。

 

 それも中学生となり、周囲の環境が一変。

 たとえ善人ばかりに囲まれても……習慣(クセ)というものは、すぐに抜けきるわけではない。

 

 アルファも莫迦ではないため、自己診断により、自らがサバイバーズギルト・心的外傷・試し行動などを患っていることは理解している。かかりつけの医師やカウンセラーからも、その点について指摘されて治療を受けている。

 特に試し行動に関しては、速やかな治療を試みられている。なぜならアルファは人の気持ちを察する力が強いからこそ、試(・)し(・)行(・)動(・)を(・)す(・)る(・)こ(・)と(・)で(・)相(・)手(・)が(・)傷(・)つ(・)い(・)た(・)こ(・)と(・)を(・)察(・)し(・)、(・)我(・)が(・)事(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)傷(・)つ(・)い(・)て(・)し(・)ま(・)う(・)弊(・)害(・)が存在する。それにより神経症(ノイローゼ)の気配があることも診断・報告された。

 

 しかしアルファは、そのような病名の群れに囚われない。治す気もない。それすら含めて自分自身と定義しており、これからを生き抜くのだと覚悟している。なぜなら立ち止まってはいられない。四人分の働きをしなければならない。────ある意味ではサバイバーズギルトの所為(おかげ)で、彼は今を生きることができている。

 だからこそ繰り返すように、自他へ言い聞かせている。

 彼は、それを治せば“己は死ぬ”と定義している。故に、それすら含めて自分自身なのだと定義したのだ。覚悟とは、そういう意味である。

 

「────それは、俺が“わがまま”だからだな!」

「……!」

 

 かくしてアルファは、自らの半生を、たった一言に集約させた。言い訳は不要。故に端的に片付けた。小宮果穂を含む周囲の人々には心の底から申し訳なく思うが、自分が自身として生きるためには────在るがままにありたい。そのように伝える。

 

「……ダメかな?」

 

 アルファは頭を掻いて視線を逸らす。

 小宮果穂は首を横に振った。

 

『…………』

 

 再びの沈黙。

 小宮果穂は、気を抜けばアルファの顔をじっと見つめてしまうため、なんとか別の話を考える。

 

「……──あ、あのっ……この前、あたし、アルファさんをいじめっ子から、助けることができましたよね……?」

「おう」

「そのあと、おうちに帰って思ったんです。これでもう、アルファさんは安全だって。きっと大丈夫だって」

「……おう」

「なんでかっていうと……あたしたちが揃えば、無敵だからです! 何があってもお互いを助け合えるようになったので、最強のコンビになりました! もうどこにでも遊びに行けますっ! アルファさんの家に置いてあるヒーロー番組は、まだまだ見足りないですけど……あたし、もっとアルファさんと、いろんなところに行きたいですっ!」

 

 小宮果穂は懇願するように、アルファの瞳をまっすぐと見つめる。するとアルファも、ようやく目の前に立つ少女の顔を、まっすぐと見つめ返してきた。

 

「────っ……」

 

 そうすると不思議なことに、今度は小宮果穂が視線を下げる。アルファの顔を直視することができなくなり、視線のやり場に迷って困る。

 そこで思う。アルファと顔を合わせたくない? ということは、まさか自分はアルファさんのことをキライになってしまったのか。しかしアルファに対して、全然イヤな気持ちは湧いてこない。やっぱり、なにがなんだか、さっぱり分からない。

 

「……おう、そうだな。ただ……お前、露骨に話題を逸らすなぁ……逸らし方へたくそか。なんで俺から逃げたんだ?」

「ど、どこに、行きたいですかっ!?」

「別にどこでも。あ、栃木とかどう? 秩父とか。ヒーローの聖地巡りしようぜ!」

「……っ! 行きたいですーっ! あ、でも、そこって、遠いですか……?」

「京都や海外よりは断然近いだろ。日帰りで行けるし。──あ、そうだ、新幹線乗ろうぜ。お前と遊びに行けるなら、少しくらいは奮発するよ」

「新幹線……! 乗りたいですーっ!」

 

 小宮果穂は瞳を輝かせて飛び跳ねる。頭の中が遠足でいっぱいになったことで、いつもの調子が戻ってきたようだ。

 そのことを見て察したアルファは安堵し、リビングのソファに戻る。その後ろを追いかける少女は鼻歌を歌っている。

 

 ソファに落ち着くふたり。

 アルファは“ヒーローごっこはもういいのか”とは聞かない。また硬直されても困るため、好きなようにさせる。

 小宮果穂はリモコンを手に取って録画の再生ボタンを────押さない。代わりに視線を下げて、別のことに興味が移った。

 

「……あのっ。テレビの下の棚に入っている“黒いの”って……見たことがあります。甜花さんのおうちで見ました。ゲーム機……ですか?」

「あぁ、そうだけど。昔、どうしてもやりたいゲームが一本だけあって……初めての給料で買ったはいいものの、勉強に仕事にと忙しくて、結局クリアしてないんだよなぁ……」

「それって、どんなゲームですか? アルファさんは、どんなゲームが好きなんでしょう? あたし、てっきりアルファさんは、ヒーローもののゲームも全部買ってるものだと思ってました。だってアルファさんの部屋には、すごく高いヒーローグッズが、たくさんありましたから……なんでですか?」

「なんだ? 俺がゲームも買ってれば、お前は無料で遊ばせてもらえたのに────ってか?」

「ふぇっ!? あ、え、そ、そんなつもりじゃ……! あ、あたし、本当に、そんな────」

「あぁ悪い悪い。冗談だって。お前がそんな奴じゃないことは分かってるよ。ただの皮肉だ受け流せ」

 

 危うく小宮果穂を泣かせてしまうところだった。

 アルファは(やっぱ全然善処できねぇ……)と自らの口の悪さに呆れつつ、あることを思う。

 

(つか、なんか急に質問が多くなったな……質問攻めだ。しかもヒーローもの以外に興味が移るのも珍しい……いや、後半は全部ヒーロー関係の質問だったけど。……俺のこと知ろうとしてんのか? なんだかなぁ……)

 

 おもむろに棚の戸を開いたアルファは、ゲーム機のコンセントを繋ぎ、コントローラーとディスク入りパッケージを取り出す。パッケージの表紙には、重厚なロボットが写実的に描かれており、なにやらダークでハードな香りがする。

 

「あ、まて。そういやレーティングは……12歳以上か。ならギリ大丈夫だな。それにお前ホラー耐性あるし」

「12歳以上……! あたし、今まで全年齢対象のゲームしかやったことがないので、なんだかワクワクします! ……あれ? でも、そのゲーム、いつ買ったんですか?」

「小五。10歳か11歳の時だな」

「……!? や、やっぱり……アルファさんは、ワルです! ちょいワルですーっ!!」

「はは。幻滅したか?」

 

 テレビの入力切替を録画機器からゲーム機に移行する。突としてスピーカーから鈍重な機体の駆動音が響き、砲煙弾雨の戦場が轟然と画面に映し出される。そして白い機体の背部に大型のブースターが接続され、噴射。大陸間を高速移動し、切り離す(パージする)。白い機体は巨大なライフルを両手に持って巨大要塞に突撃し、数多のロボットを撃ち抜いていく。しかし被弾。白い機体は地上に着陸し────左腕そのものを切り離(パージ)して、身の丈を越す規格外武装を装着。機体のメインカメラに激しいノイズ(色ずれ)が迸り、甚大で膨大なエラーを吐き出す。それでも白い機体は強引に武装を稼動させ、巨大要塞を一撃で屠らんと飛び上がったところで────画面は暗転。スタートメニューが映る。

 

「……! あ、あのあと、白いロボットは、どうなったんでしょう……?」

「さてな。クリアすれば分かるさ」

「あと……ぜんぜんヒーローものじゃ、なかったですね……?」

「俺だってコ○コロだけじゃなく、ジ○ンプを読みたい時もある。趣味の変わり目というか、趣味が増えたんだ」

「趣味が増えた……じゃあアルファさんは、ロボットものも好きなんですね! ──あ、それなら納得ですっ! 使(・)い(・)古(・)さ(・)れ(・)た(・)ケ(・)ー(・)ス(・)に入っていたDVDに出てくるヒーロー番組は、全部、巨大ロボットに乗るものでしたぁっ!!」

「あー……そういうので何度も見てるってバレるのかぁ……何度も開け閉めしてるからケースの閉じ具合が甘いとか? ちょっと恥ずいなぁ……まぁでもそういうことだ。──お前さっき、なんでゲームはまったくないのかって聞いたが、俺が節約してること忘れてない? マージでめちゃくちゃ悩んだんだぜ? あれこれと考えて優先順位を付けた結果、ゲームよりフィギュア、ヒーローもののゲームよりロボットもののゲーム……だから俺んちには、あまりゲームがないわけだ」

「……────それって……ゲームしてると、勉強や仕事の時間がなくなるから……ですか?」

「お、正解。本当は血涙が出るほどゲームしたいが、背に腹はかえられねぇからなぁ……」

 

 ふいに小宮果穂は俯くと、何かを閃いたのか、傍らに座るアルファの胸元を見ながら言う。

 

「あの、それじゃあ……あたしとこうしている時は、どうですか?」

「ん? どういうことだ?」

「えっと……今はアルファさん、自習も終わったので、こうしてあたしがゲームするのを見守ってくれてます……なら、その時間を使って……あたしとゲーム、しませんか……?」

「……それは、願ってもないことだけど────これ、ひとり用のゲームだぞ?」

「あ、じゃあ、今度! いっしょに、ゲーム屋さんに行きましょう! あたしも、お小遣いが足りなくて、ヒーローもののゲーム買えなくて……お兄ちゃんが持ってるゲーム機とは、機種が違うことも多かったので、なかなか手が出しづらくて……だから!」

「おう。それはいい提案だ。楽しみにしてるよ」

「~~っ!」

 

 小宮果穂は嬉しそうに微笑む。

 その時、長時間スタートメニューを放置していたことで、特殊なムービーが流れ始めた。

 

『……!?』

 

 それは、燃え上がる黒い鳥のような機体が、全てを焼き尽くす闘争の物語。

 

 そうして夕闇のリビングは、ゲームの雰囲気に引っ張られて、物々しい感じに様変わりする。小宮果穂はコントローラーの操作方法をアルファから教わり、チュートリアルを終えることで、いざ敵のロボット軍団を殲滅するため一騎当千を演じる。

 

「っ! 敵の巨大兵器が来る! あぶないっ! ジャスティスバズーカで相殺! そしてトドメのジャスティスミサイル!」

「ははっ! これとヒーローものを混ぜ合わせる発想は無かったわ! 自由な発想だな。いいぞ、もっとやれ!」

 

          §

 

 一時間後。

 ゲームは一日一時間。というものに従う気はないが、アルファは五分ほどの休憩を勧める。慣れないゲームを遊んだことで、小宮果穂の顔色に少しの疲れを見て取ったからだ。

 

「────へっくしゅ!」

「! 寒いのか? 掃除は日中ヘルパーさんがやってくれてるから、ハウスダストのたぐいは少ないはずだが……」

「……いえっ! 家に帰ったときアイスを食べたので、それのせいかもしれません!」

「そうか。いつも公園で遊んでるから体はあったまるもんな。今日はヒーローごっこもしなかったし、ずっと座ってゲームしてたから、体が冷めちまったのかもしれない」

「なるほど……!」

「あと季節の変わり目でもあるし……ちょっと待ってろ」

 

 アルファは白湯を注いでくる。

 お礼を言った小宮果穂は、ちょっと熱かったのでフーフーと、少し冷ましてから飲む。

 

「あちっ!」

「冷水もあるぞ。しばらく口に含んで転がせ。舌がやけどしないように」

 

 もう少し息を吹きかけた小宮果穂は、白湯を飲み干して体の芯からあったまる。するとアルファは突として、小宮果穂の首と腹部に、何枚ものタオルをテキパキと巻き始めた。どこを巻けば体が暖まるのか知っているようで、あっという間に小宮果穂は、暑くもなく寒くもない、適切な温度に身を安らげる。

 

「! えへへ……っ。ありがとうございます!」

「……」

 

 最後にアルファは腰を浮かして座る位置をずらし、互いの肩がそっと触れ合うかどうかの瀬戸際まで距離を詰める。

 

「っ!?」

 

 さらにアルファは、小宮果穂の首に巻いたタオルの余りを手に取ると、それを自分の首に巻きつけた。

 

「っ……アルファ、さん……?」

「嫌なら嫌と言えばいい」

「! い、いえっ! ちょっと驚いちゃっただけですっ! イヤじゃ、ありません!」

「…………」

 

 小宮果穂はコントローラーを手に取る。だが先程より操作がぎこちない。ミスプレイを連発し、いとも容易く敵軍に囲まれて蜂の巣にされ、倒されてしまった。ゲームオーバーである。

 

「あっ……負けちゃいましたぁ……」

「……────なぁ果穂。なんで“二人マフラー”をするのか、気にならないのか?」

「え?」

「これは俺の独りよがりの気持ちだ。お前とはこうしていたい。なんで俺がそうしたいのか分からないなら、それでいい。……少しお前の将来が心配になるがな」

「……」

 

 アルファの視線は、ずっとテレビ画面に向かっている。あるいは虚空を見つめているのかもしれない。

 ふいに雲が晴れて西日が射し込む。小宮果穂の全身が夕陽を遮り、アルファの横顔にさらなる陰を作る。

 その横顔を、なぜかよく見ていた(痛)くて。サングラスを頭の上にずらした小宮果穂は、すっかりゲームのことを忘れており、ただじっと見つめていた。

 

 その意味するところを、アルファが察していないわけがなかった。

 最初に逃げられた時から、距離を取られた時から。だとしても、本人が分(・)か(・)っ(・)て(・)い(・)な(・)い(・)なら、やはりそれは勘違いなのだ。

 

「二人マフラーをする理由は、いくつかある。一つ目は、俺から逃げた罰だボケ。アレは少し傷ついて堪えた」

「! あ、それは、さっきのは……ご、ごめんなさい……っ!」

「でもその分、俺も口が災いして、お前の心を痛めつけてきた。おあいこと言うには、あまりにもこっちの余罪が多すぎるけど」

「……」

「二つ目は、さっき言った通り、俺の独りよがり、ただのわがままだ。……なぜか知りたいか?」

 

 小宮果穂は、ちょっと悩んでうなずいた。

 

「自分で言うのもなんだが、俺は結構、頑張ってると思うんだ。未明に配達、朝方に中学校、昼間に色々、夕方に自習、夜に色々、深夜に色々……“色々”は“R‐18”が多いので、詳細は伏せておく」

「……あーる?」

「ところで果穂はさ。自分が頑張ったら何が欲しいと思う?」

「? あたしは……褒めてほしいですっ!」

「そうか。でも俺は、今まで誰にも褒められなかった」

「!」

 

 アルファは褒められることが苦手。

 そのことを小宮果穂は思い出す。

 

「────それは……アルファさんが、ずっとひとりぼっちだったから……ですか?」

「そうだな。でもそれはあくまで“俺が褒められた感じがしない”って話だ。昔から能力の高さを評価されることはままあったが、俺は生意気で欲深い奴でさ。『この程度のことで褒められても嬉しくない』『もっと大きな仕事ができたら、その時こそ褒めてほしい』と思うような奴でさ。せっかく褒めてくれた相手に失礼だよな。でも本心なんだ。一般的には強欲で傲慢な欲望だが、個人的には切実な欲求でもある。こればっかりはどうしても嘘がつけない、どうしようもない正直な気持ち────」

「……」

「だから俺は、本当の意味で欲しがっていた“褒められる”ことは、大人になって大きな仕事ができるようになるまで、きっと無いんだろうなぁって思ってる。──でも、そういう奴はさ。だんだん小さな幸せを喜ぶことができなくなって、そもそも小さな幸せを見つけることすらできなくなる、つまらなくて退屈な人間になってしまう。そう思うんだ。俺は色々な物を見聞きしていく内に、それに気付くようになっていった。だから俺は、そんな退屈な人間になりかかるたび『積小為大』って言葉を思い出すようにしてる。──つーわけで俺は、そんな退屈な人間にならないよう変なプライドは捨てて、小さな仕事と侮る新聞配達をやっているわけなんだけど……それでも俺は、この“わがままな気持ち(プライド)”を捨てきれなくて。これを捨てたら、も(・)う(・)そ(・)れ(・)は(・)俺(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)、みたいな? つまり変えなくてもいいやり方ってやつだな、これは。本当に変えなくていいのかは甚だ疑問だが、在るがままにあるためには、是非もない必要経費っつーか。まぁ、この考え方は一種の負け犬根性でもあると思うんだけどな。そう指摘されたら、やっぱ一理はあると思うだろうし」

「…………」

 

 小宮果穂は真剣な表情で聞いている。アルファの小難しい話を理解するため思考をフル回転させるが、ぶっちゃけ、よく分からなかった。仕方ないので分からないことは一旦置いておき、分かったことについて話し合おうと思う。本当は質問したいことが山ほどあったが、それではアルファの話をたびたび遮ってしまう。そのため気になったことは頑張って覚えておき、宿題として家に持ち帰る。覚えていることは検索したり、周りの人に聞いたりして、勉強する。なので今は、アルファとの会話を優先する。

 

「えっと……さっきのことわざ、聞いたことがあって……たしか、えっと……に────二宮金次郎!」

「正解。千里の道も一歩より。俺の場合は、書類偽造で仕事に着手するより、成人するまでの一日一日を踏みしめていけってことだな。ま、それはそれとして“千里の抜け道”も探し続けるけど。死ぬ気でやれば中国大返しはできるもんさ」

「……」

 

 閑話休題。アルファは小難しい話を打ち切り、“褒め”の話に戻る。

 

「んで、そんな俺はやがて『頑張った報酬が欲しい』と思うようになった。誰かに小さなことを褒められても満足できない。納得できない。そんな壊れた心をなんとか満足させるべく────俺は、何をしたと思う?」

「……なにを、ですか……?」

「答えはもう見せている。今この状況だ」

「え?」

「“二人マフラー”をしている。これは俺の“欲望”だ。それは言い換えれば“報酬”にもなる。それは“色々”なことにも言える。……俺が美女を口説き落とすのは、何もタダ飯にありつきたいだけじゃない。こちとら常人の四倍は働こうとしてんだ。その分の報酬は欲しいと思うのが、健全な人間じゃないか?」

「……」

「俺だって人間だ。男だ。人並み以上に────四人分程度の欲がある」

「……? 女の人を『クドキオトス』ことで、ご飯を奢ってもらうだけじゃなくて……ほかにも何か、あるんですか……?」

「分からないなら、それでいい」

「……どうして、ですか?」

「ちょっと大人な話だからさ。俺たちにはまだまだ早すぎる。でも俺はワルだから、このゲームのレーティングを破ったことがあるように、年齢制限を無視したんだ。────それとも果穂は、俺と一緒にワルなこと、してみたいか?」

 

 小宮果穂は首を横に振る。

 

「それでいい。即答なところも素晴らしい。とても心地よい人間性だ」

「……。?」

「で、今、果穂は何を考えている?」

「……あたしは────」

 

 小宮果穂は懸命に考える。

 以前アルファは『褒められることに慣れてない』『褒められた経験が少ない』と言っていた。その理由が、今の話で明らかとなった。先ほど本人が言ったように、アルファは『大きな仕事をしたことで褒められないと、褒められた気分にならない』のである。ならばと小宮果穂は、アルファの心を充足させてあげたいと考える。だが、それは既に果たしているらしい。二人マフラーをすることでアルファが“満足”するなら、ぜひそうしてあげたい。そのように思った。

 

「あたしは────今こうしているように、ふたりで同じタオルを分け合って、アルファさんを支えたいと思ってますっ!」

「……! お、お前なぁ……」

「あれ? ダメ、ですか……?」

「ダメっつーか、なんつーか……あぁもう! おバカは気楽でいいなぁ!?」

「っ!? ぁ……なんで、そんなこと、言うんですか……? ────あ、でも────」

 

 バカと言われた小宮果穂はしゅんとするが、すぐにあることを思い出す。

 

「もしかして、今の────あたしのこと『こいつおもしれぇな』って思ってたんですか?」

「いや全然ちがう。見当違いにも程がある」

「っ!?」

 

 話が違う。なら本当にバカにされたのかと俯いてしまう。

 それを横目で確認したアルファは、苦々しい面持ちでソファの背もたれに頬杖をつき、歯噛みしながらそっぽを向いた。

 

「ッ……ったく。今のは“照れ隠し”だ……お前が殺し文句を吐くから……あーくそっ。これ傍から見たらガキ相手にDVじゃねぇか……」

「照れ隠し……? そうだったんですか?」

「あぁそうだよ。まったく、俺(・)を(・)支(・)え(・)る(・)だとぉ? そんなことを言われた瞬間、俺の胸の中はブワーッ! って総毛立ったわ。マジでやめろよな……ブワーッ! だぞ、ブワーッ!!」

「で、でも……あたし、本当に……!」

「分かってる。その気持ちは嬉しいよ。ありがとな」

 

 それからアルファは目元を覆い、深い溜め息をついた。

 

「この話のオチとして、俺のスタンスを明言しよう。──俺は、お前の無垢なところを傷つけたくない。だが傷ついてもいいと思っている。もちろん進んで傷つけようとは思わない。要するに、誰しも傷は避けられないものだが、どうせ避けられないのなら自然な成り行きで傷ついていくのが一番いいと、俺は思っている」

「……??」

「具体的にどういうことかって? な(・)る(・)よ(・)う(・)に(・)し(・)か(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)ってことさ」

 

 

 

          §

 

 

 

 翌日。

 放課後の事務所。学校帰りにそのまま直行してきた小宮果穂は、ソファで団欒する園田智代子と杜野凛世を前にして改まる。

 

「おっはようございまーす! あ、ちょこ先輩! 凛世さん! ──突然ですが、ご相談がありますっ!」

「ん!? なにかな果穂!」

「どうぞ、果穂さん……凛世は、どのような相談にも乗りましょう……」

「えへへ、ありがとうございます! では、『タントウチョクニュウ』に、お聞きしますっ!」

 

 小宮果穂はキラキラと輝く期待の眼差しで問いかけた。

 

「恋って、なんですか!?」

『!?!?』

 

 次の瞬間、台所でスポドリを飲んでいた西城樹里と有栖川夏葉がむせて咳き込んだ。特に西城樹里はアイドルのヒナだった頃のことを思い出し、またその話題かと焦る。

 一方の園田智代子と杜野凛世は、互いの顔を見てアイコンタクトを取った。

 

「おぉ……ついに果穂も、恋愛が気になる時期が来たってこと……!?」

「百聞は一見に如かず……こちら、凛世がお勧めする、少女漫画でございます……まずは、ご一読をば……」

「あ、その少女漫画! 以前、ちょこ先輩から借りて読んだことがあります!」

「そうなんだよ凛世ちゃん! たしかあの時は『友達の恋バナを理解したい』って相談だったかな? でも……改めて聞くけど、果穂は、その少女漫画を読んで、どこが一番面白かった?」

 

 小宮果穂は思い出す。

 

「誘拐されたヒロインを、主人公が助け出すシーンです! あれはこの先どうなるんだろうって思って、ドキドキワクワクしました!」

「ちなみに……ヒロインを救い出したあとは、主人公が告白して、ふたりは結ばれるんだけど……その時、果穂はどう思った?」

「『良かったね!』って思いましたーっ!」

「これなんだよ凛世ちゃーん! 『まつげが長い』って時よりは、いい感じだと思うんだけど~!」

 

 園田智代子は、どうすればよいのかと助けを求める。

 

「……なるほど……これは、難題です……」

「そう! 難題! 難題なの! ──果穂は、それを読んで『胸キュン』しなかったんだよね?」

「はいっ!」

 

 小宮果穂は、園田智代子の問いかけの意味を理解していないらしく、自信満々に返事した。

 

「うぐぅ……!」

「…………」

 

 無論、苦笑いする園田智代子と驚いている杜野凛世を見れば、期待されていた反応と違うことを言ってしまったのだと察することはできる。では、何が正解だったのか? それが分からない小宮果穂は、本当に何も分かっていない微笑みのまま、こてんと首をかしげる。

 しかし、すぐに以前の記憶を掘り起こし、友達の恋バナから『好きな人に胸キュンするのが恋』という話を思い出した。

 

「あっ……! でも、あたしはそれを読んで、『胸キュン』しなくちゃ、いけなかったんですよね……?」

「うーん……! 無理に胸キュンしてほしいわけではないんだけど……! あぁ、もし果穂が漫画を読んで『きゅんきゅん』していれば、私は流し目で『それが恋だよ果穂……!』って、お姉さんらしくカッコつけられたのにー! ──というわけで私は、果穂の相談に乗れても、解決してあげることができませんでした……そんな前科があります……助けて凛世ちゃん! 台所から覗いてきてなぜか出てこない樹里ちゃんと夏葉ちゃんも!」

 

 呼ばれて出てきた西城樹里は苦笑い。一方の有栖川夏葉は真剣な表情で毅然と立つ。

 

「いや、んなこと言われても……」

「ねぇ果穂。智代子と凛世には以前、同じことを言った覚えがあるのだけれど……こんな言葉があるのよ」

 

 ────まことの恋とは、誰もが口にするが実際に見たものは一人もいない。まるで幽霊のようなものである。

   ラ・ロシュフコー

 

「だからね果穂。恋とは曖昧なもので────」

 

 次の瞬間、小宮果穂は、ありったけの気づきを得て叫んだ。

 

「幽霊ぃ────っ!!」

『っ!?!?』

 

 突然の小宮果穂の雄叫び。

 面食らった四人は何事かと硬直する。

 

「幽霊……幽霊船長……! やっぱり、あたし、もしかして────『恋』、してるってことですかー!?」

『……────っ!!??』

 

 さらなる小宮果穂の衝撃発言で、再び面食らった四人は混迷を極める。

 

「ま……まって果穂! もも、もしかして……好きな人ができたのー!?」

「わかりませんっ!」

「えぇ~!? ど、どういうことぉ~……!?」

 

「果穂さん……いったい、どのような人を……お慕いに、なられたのでしょうか……?」

「えっと……もしかしたら、あたしの勘違いかもしれないので……ちょっとだけ、名前を言っちゃうのは恥かしいです……っ! ごめんなさい……!」

「……さりとて恥じらいは、恋の予感……ともすれば、果穂さんは本当に……」

 

「いっ……いや! 凛世! まだだ! まだ、その答えに辿り着くには、早い……っ! ──かもしれないっ! ……な、なぁ果穂……えっと、その……いや、無理には聞かねぇけど……そいつがどういう奴なのかだけは、ちょっと聞いときたいっつーか……────そ、そう! じゃないと、乗れる相談にも乗れねぇっつーか……!」

 

 しどろもどろの西城樹里は、内心でもあたふたとしていた。

 

(ごめん、果穂! 別にそんなことはないんだけど……やっぱ、気になる……! もし果穂に悪い虫がついてたらって考えると……なんか、変な使命感みたいなのが、こう……ふつふつと湧いてきちまう……!)

 

 対する小宮果穂は、樹里ちゃんになら伝えてもいいのかな、と思い始めていた。

 

「は……! で、ですよね……! すみませんっ! ……あたし、みなさんを困らせたくないので、ちゃんと言いますっ! ……あと、その人は、みなさんも知っている人ですっ!」

「えっ!? い、言うのか!? や、でも、本当に嫌なら言わなくていいんだぞ! 今のはその、アタシのわがままだからさ! ────って、まてまて! アタシたちも知ってるって、どういうことだ!?」

 

「……どうやら私、年長者としてお手本にならなきゃと思うあまり、空回りしていたみたいね。──いいわ果穂! あなたの好きなように相談してきなさい! 何がどうなっても、果穂のことは私たちが、全力でぶつかってフォローするわ!」

「ありがとうございます夏葉さんっ!! ────えへへっ……やっぱり放課後クライマックスガールズは、みんなが揃えば最強で無敵ですっ! ひとりで考えてもむずかしくって、気づいたら自分の部屋で落ち込んじゃっていたんですけど……みなさんに相談しようと思って正解でしたっ! 元気爆発で話せちゃいますっ! スゴいですっ! やっぱり仲間の力は偉大なんですねっ!」

 

 小宮果穂は嬉しさ爆発で飛び跳ねる。

 それから背筋を伸ばし、キリっとした顔つきで佇んだ。

 

「それでは────発表しますっ!」

『……!!!!』

 

 四人は固唾を呑んで見守る。その中には心の準備が間に合わない者がいた。西城樹里と有栖川夏葉である。

 

「あたしが気になっている人はぁ……」

『────……っッ……!!??』

 

 にこにこと身を揺らす小宮果穂とは対照的に、四人は徐々に身を寄せ合って心臓が止まりそうになる。

 

「────ズバリ! アルファさんですっ!!」

 

 それは、一瞬の。

『……』

 静寂。

 

「はっ!」

「なんと……」

「あっ!」

「あら……」

 

 アルファという名前に聞き覚えがある四人は、なるほどその人かと一斉に思い出した。

 その様子を確認した小宮果穂は、照れくさそうに身をくねくねと折り曲げる。

 

「えへへ……言っちゃいました……っ」

 

 にまにまとする小宮果穂は、全身を左右に揺らし、視線を泳がせて恥じらう。

 その振る舞いは、まさしく恋する乙女のようで────

 

「まって! ごめんね果穂! ちょっと整理させて! たしかアルファさんって────」園田智代子はいち早い状況理解のため早口でまくしたてる。「────果穂が体験入学で知り合った中学一年生で、同じヒーロー好きとして趣味が合って、なかなか予定が合わないことに業を煮やした果穂が無理やり遊びに誘ったと思い込んだことでアルファさんに嫌われたんじゃないかと焦って悩んで泣いちゃって、さらにアルファさんが不良三人組にいじめられた時に果穂が助けてあげられなかったことを悔やんだ相手で、だけどついこの前アルファさんがまたいじめられた時に助け出すことができて名誉挽回汚名返上して互いの絆が深まったであろう────私たちは名前しか知らない、例のアルファさんその人で、いいのかなっ!?」

「はいっ! スゴいです、ちょこ先輩! あたしとアルファさんの『なれそめ』を、一息で説明しちゃいましたーっ!」

 

「……して、果穂さんは、いつ……その人を、お慕いになられと……お気づきに……?」

「昨日の放課後ですっ! あたし、この前の撮影で“紫っぽい人”が気になるのかも? って分かって、それで昨日アルファさんとヒーローごっこしようと思って配役を決める時に、アルファさんはジャスティスパープルが似合うなって気付いて、その時になんかおかしくなって、もしかしたらこれが恋……!? って思ったんですーっ!」

 

 小宮果穂は瞳を輝かせて、舌足らずの口を回す。

 

「ちょ、タンマ! タンマだ、果穂! ひとまず落ち着いて、今の話をもう一度聞かせてほしい! 詳しい説明を求む!」

「はっ! すみません! テンション高かったですよね……! ────すぅ、はぁ……深呼吸したので落ち着きましたー! 昨日のこと、もっとちゃんと説明しますねっ!」

 

「……果穂が、恋……なんだか感慨深いわ……いつの間にか成長して……私だって、そういうのは未経験なのにね……ふふっ!」

「えっ……!? な、なんで夏葉さん、泣いてるんですか……!?」

「嬉し泣きだから気にしないでちょうだい。勝手に年長者の気分に浸っているだけよ」

 

 妹分の成長を見た有栖川夏葉は目元を拭い、一粒の感涙を中指に塗る。

 

 それから小宮果穂はソファに誘導され、四人に囲まれながら、今までの出来事を説明した。

 

 人魚姫の撮影。独特な表現をするベテランカメラマン。プロデューサーとの恋に関する研究。気になる人のイメージカラーは“黒から紫、清めたら青”────その後、恋について両親に質問したところ、ふたりの馴れ初め話を聞いた。ちなみにその時も『お母さんとお父さんが結ばれて良かった!』と思ったとのこと。胸キュンについては、完全に頭の中に無かったらしい。

 

 そしてアルファをヒーローに例えると、“レッドの先輩で男気の男”という部分でジャスティスパープルが似合うと思ったこと。ちょいワルで“背中で語ることが多い、大人の魅力”がある部分はジャスティスブラックが似合うと思ったこと。さらに頭が良くて“分せき力がスゴい”部分はジャスティスブルーが似合うと思ったこと。その符号に気づいた瞬間、なぜか体が変になって、転んだり、頭が回らなくなったり、耳の奥が痛かったり────さらに、突然いつもと違うことがしたくなった。アルファの第二の趣味であるロボットゲームを遊んだら落ち着いてきて、たくさんお話した。そして家に帰ったあと、ベッドの上で『今日のおかしかったこと』を考えていたら────いつの間にか寝てしまい、気づけば今朝になっていたこと。そして、ひとりで考えても埒が明かないため、仲間に相談しようと閃いたこと。

 

「────ということですっ! あ、それと……この話は、放クラだけの『ないしょ』です! 『秘密』にしててください……!」

『……!』

 

 話を聞いていた四人は、ひたすら呆然とする。開いた口が塞がらないとは、このことか。無論ネガティブな意味ではない。小宮果穂の純粋無垢・天真爛漫・元気爆発ぶりと比べて、今の湿っぽい話が、どうにも噛み合わない気がして(ギャップがありすぎて)……まだ全てを受け入れることができないだけである。

 しかし、すぐに万事を了解して切り出したのは、意外と特攻好き(パワータイプ)の園田智代子であった。

 

「……あのさ。私の結論を言ってもいいかな?」

「凛世も……」

「いや、まだ早いだろ!? 果穂は……まだ自分の気持ちを自覚していないんだろ? だから『恋とは何か』って相談してきたんだ。つまり、そのアルファって奴は……まだ果穂にとって『気になる人』だ! まだ『恋している人』かは分からない! だろ、夏葉……!?」

「そうね……これは、あらゆる情報を集めて精査して、果穂とアルファさんの関係を調査する必要があるわ……! 議論のテーマは当然『果穂は本当にアルファさんに恋をしているのか』よ! きっとそれは幽霊の存在を議論するが如く曖昧で、まさに雲を掴むような話となり、答えの見つからない命題に苦しみ、史上最難関のディスカッションになることは目に見えているけど────それでも、やるわよーっ! なんたって果穂の頼みだもの! 私も、まだまだ恋愛に関しては素人同然! 道なき道を勉強中なのだから……これを機に本腰を入れて、みんなと一緒に『恋』について研究してみようかしら!」

「わぁ……! ありがとうございますーっ!」

 

 際限なく騒がしさが増していく事務所。さっそく話し合いをしようと場所を変えようとする放クラたち。

 その時、リビングの奥に通じる廊下の扉が、なるべく音を立てないように開かれた。

 

『!?』

 

 そして小宮果穂を除く四人は、もうひとりの存在について、すっかり忘れていたことを思い出す。

 

「──……! あはは……さすがにバレてしまったか。すまない。どうにも顔を出す機会を逃してしまってね……」

「わぁっ! 咲耶さん……!?」

 

 リビングに置いた荷物を回収し、抜き足差し足で脱出しようとしていた白瀬咲耶は、見つかってしまったことで潔く降参。困り果てた顔で現れる。そして小宮果穂に対し、折り目正しく謝罪した。

 

「すまない果穂。心から謝罪する。私は『女の子の秘めたる想い』を盗み聞きしてしまった。言い訳をする気はない。放課後クライマックスガールズだけの『秘密』を、おおよそ全て聞いてしまったんだ。本当になんと言えばいいか……申し訳ない……」

「い、いえ! 謝らないでください! 事務所はみなさんのものなんですから、ほかの人がいるかもって、考えるべきだったのに……あたしが考えなしでした! ごめんなさい! どうか気にしないでください……っ!」

 

 四人も慌てて謝罪する。

 

「そ、それを言うなら、私たちもだよー! ごめんね咲耶ちゃん! ずっと洗面所から出られなかったよね!?」

「失念……深く、お詫びを……申し訳ございません……」

「わ、悪い、咲耶……完っ全に忘れてた……」

「ごめんなさい……」

 

「いや、途中からでも、私が勇気を出して顔を出すべきだったんだ。どうか、そのような顔をしないでほしい。全ては私の不徳の致すところ。……そして、これのお詫びになるかどうかは分からないが……もしよければ、図らずも秘密を共有してしまった者として、果穂には私を人質に取ってほしい」

「……へっ!? 人質……?」

 

 いったいどういうことかと、放クラは視線を交わす。

 

「あなたたちは、私という罪人を罰する者として、私から情報を抜き出してほしいということさ。アルファ……あの人についての情報は、果穂に次いで詳しいつもりだからね」

 

 その台詞に放クラはびっくりする。

 

「えっ!? 咲耶ちゃん、アルファさんと会ったことあるの!? というか、知り合いな感じ!?」

「これは……心強い味方を、見つけました……」

「マジか……ど、どんな奴なんだ?」

「ぜひ聞かせてほしいわ! 果穂の話も当然聞くけど、第三者からの客観的な意見があれば、もっとテーマを深掘りできるわ!」

「でも……あたし、咲耶さんに悪いことしちゃったのに……相談にまで乗ってもらうなんて……本当にいいんでしょうか?」

 

「当然だとも。──それにね、果穂。白状すると、もしかしたら私は……あえて『秘密』を盗み聞きしたのかもしれない」

 

 小宮果穂は「えっ!?」と驚く。それはどういうことだろうか。

 

「果穂が恋をしていると耳にしたとき、ふいに“ダークヒーロー”の話が脳裏をよぎったんだ。それで少し心配になってしまってね。そしたら案の定さ。つまり果穂にお節介を焼きたい気持ちが、私をドアの向こうで踏みとどまらせることになった。そう考えると私は、なんて罪深いことをしたのだろう。だが、たとえ罪を犯し、果穂に嫌われようと、私は果穂を守りたい。そういう感情が芽生えてきたのも事実だ。……そんな私を、どうか裁いてほしい。私を人質に取るか、私を追放するか。もし追放を選ぶなら、私は誓ってこのことを誰にも言わないと約束し、ここを立ち去ろう」

「……?!」

 

 小宮果穂は、そのもってまわった言い回しの半分も理解できなかった。しかし、とりあえず白瀬咲耶を追放なんてしたくない。相談に乗ってもらうことは嬉しいことだし、彼女もそれを望んでいることは、なんとなく察していた。

 

「えっと……よく、分からないんですけど……咲耶さんも恋の相談に乗ってくれるなら、あたしは嬉しいです!」

「ふふっ。ありがとう」

 

 その一方で、四人は“白瀬咲耶のもってまわった言い回し”の中身を、充分に理解していた。

 ふいに西城樹里が、小声で問いかける。

 

(おい、咲耶……なんかよく分かんないこと言って果穂をけむにまいたあたり……もしかしてそのアルファって奴、咲耶から見てちょっとヤバイ奴なのか? ダークヒーローとか言ってたし……)

(まぁ……危険な香りのする男子という意味では、あながち間違いではないと思う。それについてもあなたたちに話しておきたいと思って、こうして強引に立ち入らせてもらったというわけさ。……果穂には少々、申し訳ないけどね)

 

 西城樹里は、なるほどとうなずく。

 そして白瀬咲耶は、当たり前のように場を仕切り始めた。

 

「さて────たしかテーマは『果穂が恋をしているのか』だったね。そのためにはアルファという人物の人となりを知る必要があるだろう。ただし私は果(・)穂(・)の(・)人(・)質(・)だ。まずは私が知っている情報を果穂と共有し、その上で果穂が“話したくない”と思う内容があるなら、私は口を閉ざす。たとえ放クラの四人であっても口外しない。そして、果穂への質問で私に思い至ることがあった場合、その情報を果穂と共有し、果穂が“答えたくない”と判断したなら、私はそれに従うよ」

「……はぁ!? お、おい咲耶! アンタ、さっき言ったことと矛盾して────!」

 

 小宮果穂は首をひねる。白瀬咲耶と西城樹里は、いったい何を話しているのだろう。園田智代子も不安そうに、しかし真剣な表情で見守っている。杜野凛世も静かに目つきを鋭くしており、有栖川夏葉に至っては少し怖い顔をしていた。

 対する白瀬咲耶は、毅然と返す。

 

「樹里。私は盗み聞きをしてしまったことを本当に反省しているんだ。だから私は、果穂の恋路を応援する側に立つ。それがフェアだと思うからね。なぜなら私の知っていることを全て話せば、あなたたちがどんな反応を示し、どちらの側に立ってしまうかは……ある程度の予想がつくからだ」

『……っ!!!!』

 

 そんな話を聞いてしまえば、四人はアルファに対する認識を少し改めることになる。

 一方の小宮果穂も、さすがに話の流れが分かってきた。 

 

(……あれ? 今の話って、どういうことなんだろう……咲耶さんは、あたしの恋を応援してくれるけど……放クラのみなさんは、応援してくれるかどうか分からなくて……だから咲耶さんが応援してくれるのは、あたしにとってフェアになる……? んん……それって、つまり……咲耶さんは、アルファさんのことを、やっぱりよく思ってなくて……だから、きっと放クラのみなさんも、同じ思いになるかもしれなくて……だから……)

 

「……まぁ、今の発言は、フェアではなかったけどね。過干渉であることは理解している。だけど無視もできなかった。許されるつもりはない。すまない、果穂」

「────!」

 

 そこで小宮果穂も、ようやく気付いた。

 放クラの四人の顔色が心配に満ちていく。白瀬咲耶もいつもの決め顔と異なり、妙に真剣な表情だ。

 

(…………)

 

 たしかにアルファは、世間一般的に、あまりよろしくない人かもしれない。ならば悪い人なのか? そう問われれば断じてノーだ。きちんと良い人である。だが清廉潔白ではない。

 ヒーロー番組で得た知識(セリフ)を引用すれば、いわゆる『悪党ではあるが悪人ではない、悪の敵、ダークヒーロー』と言えるだろう。つまり白でもないが、黒でもない。かつては黒であったが、今は紫で、そろそろ青くなる……はず。しかしそれは小宮果穂の視点の話。大抵の人間は、彼を『灰色のような男』と答えるだろう。つまるところ、少女漫画で得た知識(セリフ)を引用すれば、アルファは『ちょいワル』なのである。

 

          §

 

 小宮果穂の相談が始まって五分後。チョコレートより甘くなるはずの恋の悩みは、なぜかほろ苦い雰囲気になりつつあった。

 

「えっと────ごめんなさい、樹里ちゃん! それも言えません! それはアルファさんの“プライバシー”に関わることなので!」

「こ、これもか!? ただアルファさんが夜なにをしてるのか聞いただけだぞ!? 性格とか、いつも何やってんのかとか……果穂とそれ以外の人を、どう扱っているのかとか……」

「いいところなら、たくさん答えられるんですけど……ちょっとイジワルなところもたくさんあって……たとえば、年齢制げ────あっ! な、なんでもないです……っ!」

 

 年齢制限。アルファがゲームのレーティングを無視したことを言いかけたのか。その点を考えるに、どうも小宮果穂は、悪の基準が低い。それは世間を知らないためか。テレビの中の悪役(ヴィラン)が、どれほど悪い奴なのかは知っていても……現実の悪人というものについては、うまく想像できないようだ。

 

 そこで白瀬咲耶が歩み寄るように問いかける。

 

「果穂。その話、私には聞かせてくれるかな? 私はあの人の善悪を既に知っている。ならばプライバシーの侵害には当たらないはずだ。きっとアルファくんも許してくれる」

「そうですか? では……お耳を貸してください!」

「ふふ。果穂の吐息はくすぐったいね」

 

 小宮果穂はこしょこしょと、白瀬咲耶の耳に、アルファがロボットゲームの年齢制限を破っていた話を聞かせる。

 

「────! ふふ……それはいけない。だが、なんとも可愛らしい罪だね……」

「あぁ! 言っちゃダメです、咲耶さん……っ!」

 

 その様子を見守っていた西城樹里は、どこか悔しそうに歯噛みする。

 

「ぐっ……アタシたちには話せなくて、咲耶には話すのか……。うおお……! アタシたちの知る果穂が……なんだか遠くに……とおく、に────がくっ……!」

「あぁ! 樹里ちゃんが!? 知らぬ間に恥じらいを覚えていた果穂の変わりっぷりについていけず、とうとうダウンしちゃった!」

「乙女は……秘密をアクセサリーにすると、申します……つまり果穂さんも、乙女になった、ということでございましょう……」

「凛世の言う通りだわ。私も樹里と同じで、なんでもかんでも話してくれなくなった果穂に、ちょっとだけショックを隠しきれないけど……でも、今までの果穂だって、可愛らしい隠し事の一つや二つはあるわよね……そうよね……そんなこと、当たり前だって、分かっていたはずなんだけどね……」

 

 泰然自若の園田智代子と杜野凛世、ダウンした西城樹里と俯く有栖川夏葉。

 一方の小宮果穂はそれを見て慌てており、ふと白瀬咲耶が提案する。

 

「ふむ。これでは話が進まないね。少々趣(・)向(・)を凝らす必要がありそうだ」

「は! 『しゅこう』……! 工夫ってことですね!」

「あぁそうだとも。果穂は難しい言葉を知ってるね」

「えへへっ! アルファさんから教えてもらいました! ほかにもたくさんの言葉を教えてもらっているんですよ!」

「そうなのかい? あの人から多大な影響を受けているんだね。しかし放クラのお姉さんたちは、果穂の急激な成長に、心が追いつかないでいる様子だ。それに話の発端は『果穂が恋をしているかどうか』だったはずが、いつの間にか『アルファの人間性について』の議論に、論点がすり替わってしまっている。────あぁ、皆まで言わずとも分かっているよ。それは私の登場と胡乱な発言のせいだ。そこで一計を案じてみせよう。この混沌とした状況を即時解決に導くべく、私から提案がある。しかもその提案は『果穂が恋をしているかどうか』と『アルファの人間性について』の二種類を、一挙両得で知ることができる方法かもしれない。どうか聞いてほしい」

「! 本当に、そんな方法が……?」

 

 そんな魔法のような方法があるのか。そこで小宮果穂以外の四人が察した。白瀬咲耶の自信満々な微笑から推察するに……どうやら白瀬咲耶はもとより、その一挙両得な作戦を放クラに伝えるべく、この輪の中に入ってきたようだ。

 

「あぁ、だが……もったいぶるわけではないが、その提案を話す前に。──果穂は『恋』を、どういうものだと認識しているのかな? あくまで知識の上で、という話で構わない」

「えっと……? 恋とは、『胸キュン』することですっ! 相手を見て心の中が『きゅんきゅん』したら、それが『恋』だそうです!」

「……なるほど。では、恋をしたら……その人は、どうなってしまう?」

「え? ……どうなって……、……ど、どうなってしまうんでしょう……!?」

「ふふ。答えてくれてありがとう。大体の果穂の認識のレベルは把握できた。────では、果穂が『胸キュン』するかどうか試して、アルファの人間性を確かめる方法……その知恵を授けようか」

 

 白瀬咲耶は満面の笑みで発表する。

 

「それは────『果穂がアルファにハグする』ことさ!」

『────っ!!!??』

「そのために果穂には、『壁そっ……』や『あごクイッ』など、様々な口説き方を伝授しよう。それで果穂が胸キュンすれば恋だということが確定する。さもなくば、まだ恋には至っていない想いか、はたまた気のせいか……答えを急ぐ必要はないが、何かしらの回答につながると断言しよう。さらに、こんな魅力的な乙女に迫られて、それを無下にする男は、世にひとりとしていまい。つまりアルファが果穂に対し、どのような“出方・対応”をするのか……ぜひ観察しようじゃないか」

 

 それを聞いた園田智代子は、焦ったように問い返す。

 

「えっ、えぇ!? 観察って……まさか、果穂とアルファさんの、ハグやあれこれを……私たちが遠巻きに見守るってことぉ!? そ、それはさすがに、果穂やアルファさんに悪くないかな? 背徳感がバリバリなんだけど……!?」

「たしかに智代子の言う通りだ。私もこのような提案をするのは心苦しい。だが目には目、歯には歯という。ダークヒーローが相手なら、私は果穂を守り手助けするため、暗黒面にも堕ちてみせよう」

 

 すると小宮果穂は驚いたように叫ぶ。

 

「えっ! 咲耶さん、悪者になっちゃうんですか……? それはダメですっ! 私が正義の道に連れ戻します!」

「ふふっ。それは嬉しいが……こうでもしなければ、あの人を見極めることは不可能だと思っている。──無論、ひとりの乙女の大切にしたい想いに……これほどの人が口出しすることは、多くの賛否があると思う。だが、相手が相手だ。私は果穂を悲しませることになっても、真実を追求する『覚悟』を、してきているつもりだよ」

「……! 『覚悟』……」

 

 白瀬咲耶は、まっすぐと少女の瞳を見据える。

 

「果穂も覚悟はあるのかな? あの人と最も付き合いが長いのは果穂だ。果穂と比べて、あの人のことをよく知りもしない私が、ここまで警戒していることについて……内心では、とてもじゃないが穏やかではないだろう。気分が悪いと言い切ってもらってもいい。むしろそうするべきだ。しかし果穂自身、ここまで私たちが心配するのも当然だと……心のどこかでは、よく分かっているんじゃないかな?」

「っ……それは────」

 

 小宮果穂は、つい白瀬咲耶のまっすぐな視線から、目を逸らしそうになってしまう。

 

「だから果穂は、アルファくんについて、放クラのメンバーに一から十まで話さない。おそらく人には話せないようなアルファの秘密まで知ってしまっているからだろう。そのため果穂は、あの人を社会的に守ろうとしている。……この推理は、間違っているかな?」

 

 ふいに園田智代子が、白瀬咲耶の“圧(オーラ)”を止めようと動く。その言い分は、ちょっと違うと思ったからだ。明らかに自分の意見をゴリ押し、小宮果穂を押し込もうとしている。しかし、すんでのところで思いとどまった。先ほど白瀬咲耶は『覚悟をしてきた』と言っていた。ならば、その意を汲む必要もある。園田智代子にとって一番大事なものが小宮果穂だからこそ、それを止めることは正解だし、それを止めないことも正解だった。

 

「──……ちがい、ません……」

「そうか。そして、私が最も恐れていること。それは、恋は盲目という点だ。果穂は、もしかしたら悪い男に恋をしているのかもしれない。そして、恋をしている相手の悪い部分から目を背けているのかもしれない。そのせいで、いつか悪い目に遭って痛い思いをしないかどうか……私は、この身と心が引き裂かれそうなほど心配なんだ」

「…………」

「ならば私は、最後まで悪役を演じよう。誰の手も汚させない。汚れるのは、嫌われるのは、私だけで充分だ。それが私の覚悟だよ。────だから智代子も、今、私を止めようとしないでくれたこと、心の底から礼を言う」

 

「……!」

 

「────さて、果穂は……アルファくんに『恋』をしているのかどうか、確かめる覚悟はあるかな? もしそれが恋だと分かれば、果穂はどうなってしまうか分からない。恋とはきっと逃れがたいもので、身を滅ぼす可能性さえ秘めた劇物と聞く。その一方で、もしそれが恋ではないと分かれば、それはそれで、あの人と交友を続ける懸念は残るが……ひとまず私は、果穂を信じて見守ろう。──あぁ。これは果穂にとって、とてもズルい問いかけだとは理解している。その上で、果穂の答えを聞かせてほしい」

「……あたしは……」

 

 小宮果穂は思い悩む、なんだかおおごとになってきた。

 場の流れは、完全に白瀬咲耶が掌握している。圧倒的なカリスマ性を、ここぞとばかりに使って、全体を支配している。

 

「……樹里ちゃん……」

「っ……!」

 

 それは助けを求めるような視線。小宮果穂も、白瀬咲耶の手口が横暴だとは、なんとなく察しているのだろう。

 対する西城樹里も、難しい問題に直面して思い悩む。果穂のことは大事だが、大事だからこそ、咲耶の言い分も無視できない。アルファという人間が気になる。彼のことを知るべきだ。そのためには、やはり白瀬咲耶が提案した作戦を受けるべきなのか?

 

「ちょこ先輩……」

「果穂……」

 

 園田智代子は思う。果穂の話は信じているが、咲耶の話も信じたい。果穂はアルファを信頼しているが、咲耶はアルファを警戒している。大事な仲間と友達の意見が、完全に食い違っている。こういう時は、どうすればいいのか。そんなもの、園田智代子としては最初から決まっていた。

 

「凛世さん……」

「……果穂さん……。……凛世は、心の赴くままに、果穂さんが笑顔でいることを、望みます……果穂さんが、どのような選択をなされようと……凛世は、果穂さんを支えることを、約束いたします……」

 

「……夏葉さん……」

「……果穂。私も、果穂の好きなようにしたらいいと思っているわ。あなたが信じた人なら、きっと大丈夫だもの。それでも不安なら、咲耶の言い分に乗っかって『試してみる』のも、一つだと思うわ。どちらを選んでも悪いということはないのよ。最終的には果穂の気持ちが大事なんだから」

 

 それでも小宮果穂は俯いている。そもそも白瀬咲耶の言いたいことを、まだよく理解できていない。何を覚悟すればいいのかも分からない。とりあえず身が縮むほど分かっていることは、自分とアルファが一緒にいることを、きっと多くの人が反対しているのだろうな、という不安感。

 

「────果穂!」

 

 その時、園田智代子が立ち上がった。

 

「えっと……正直、私も不安なんだけど……きっと果穂、混乱しているだろうから……話をまとめます! ──まず果穂は、アルファさんのことを大切な友人と思っています。そして今は、アルファさんのことが恋愛的な意味で好きなのかもしれない、という話になっています。そこには誰も異論ありません! それで咲耶ちゃんは、その先の話をしていて……なんでかは知らないけど、アルファさんのことをめちゃくちゃ警戒しています!」

「!」

「ちなみに私は、果穂の『アルファさんは信頼できる人』という話を信じてるよ! だって仲間だから! でも咲耶ちゃんの話を聞いていると、私も『もしかしたらアルファさんは、果穂を傷つけてしまう危ない人なのかな……?』と、ちよっと……いや、かなり! 心配になっちゃってます!」

「……!」

「だから私は今、こう思っています。『アルファさんがどういう人なのか、自分の目で確かめたい』────!」

「────!」

「だって果穂は大切な仲間なんだもん! アルファさんが特になんともない人なら、ここまで大騒ぎはしない。でも咲耶ちゃんがここまで言うってことは、それなりに見極めなきゃいけない人なのかな? とも思います! だから────」

 

 園田智代子は、白瀬咲耶のカリスマによって支配されていた場を、次の一言でひっくり返す。

 

「果穂は咲耶ちゃんの提案を断ってもいい! 果穂が断るなら、私たちもそれを受け入れる。そして別の方法を考えよう! 私は普通にアルファさんと一回、お話してみたいな? それに咲耶ちゃんは、私たちに“警告”をしてきただけで、本気で一挙両得の作戦をしたいわけじゃないだろうから!」

「……!」

 

 白瀬咲耶は驚いて観念する。そして(智代子には敵わないな)と反省した。

 

(本当に“警告”したいだけなら、果穂の相談のあとで、樹里・夏葉・凛世・智代子に、内密の相談を持ちかければ良かっただけの話だ。おそらく智代子は、私を悪役にさせまいと気を遣ったのだろう。そして、そんな気遣いを回されてしまったということは……私自身、思いのほか焦って動揺していたのかもしれない……多少、過保護が過ぎたようだ……アルファの危険性について警鐘を鳴らすことを最優先とするべく、気付かぬうちに勇み足となっていた……)

 

 園田智代子は問いかける。

 

「それで果穂は、どうしたい?」

「────……あたしは……咲耶さんの言いたいことも、よく分かるので……咲耶さんの作戦、やってみたいと思います……! アルファさんには、申し訳ないですけど……みなさんに、こんなに心配させてしまっているのも、どうにかしたいと思っているので……」

「ででで、でも果穂! なんだかツラそうだよ!?」

「それは、あたしが、まだ……『覚悟』が、ないからで……」

 

 小宮果穂は俯く。

 それを目にした西城樹里・杜野凛世・有栖川夏葉は、互いの顔を見合わせ、それぞれの見解を述べた。

 

「果穂。アタシたちの言い分も聞いてくれ。アタシは正直……不安だよ。ただの恋の相談かと思ったら、咲耶も果穂も、アルファが『いいやつだけど、いいやつでもない』ってことを否定しないんだから……いったいどういうことなんだーってのは、めっちゃ思ってる。つまり果穂が心配だ。でも、チョコの言う通り、そんな無理矢理な確かめ方をしなくてもいいと思ってる。いつか話した、別のやり方だってあるんだから。……それでも果穂が、どうしても何か考えがあって、その作戦をやりたいっていうなら……それが果穂の『覚悟』なら……アタシは応援するッ!」

 

「凛世は……ただ、果穂さんが思う……正義の赴くままに、と……」

 

「果穂はヒーローアイドル。でもその前に、ひとりの女の子。この話は一旦、家に持ち帰ってもいいのよ? そして果穂は、ヒーローとして、アイドルとして、なによりひとりの女の子として……アルファさんと、どう向き合うのか……心配する私たちに、どう向き合うのか……決めてくるといいわ。────私は、果穂のやり方を信じてる。その後のフォローも欠かさないと約束するわ」

 

 そこで園田智代子が付け加えた。

 

「もちろん咲耶ちゃんの取り越し苦労? な可能性もあると思うわけで……実はそんなに重大に考えなくてもいいのかなー? なんてことも、私は思っちゃってます……ごめんね、咲耶ちゃん!」

「いや……樹里をはじめとして、智代子たちの言う通りだ。私の取り越し苦労なら、それでよし。そうでなければ、みんなでこの問題を解決したいと考えている。……ところで果穂。たしかあの人は、こう言っていたね。──『ヒーロー以外のことになると自信がなくなる』と……ならば今こそ、その『殻』を破る時ではないのかな?」

 

「────っ!!」

 

 アルファは“無垢の殻”を破った。

 それなら小宮果穂は、何を破る?

 

 ────傷つけたくないが、傷ついてもいいと思っている。

 ────傷つけようとは思わないが、傷ついていくのはいい。

 

 それはどういう意味か。未だに分からない。脳裏をよぎった言葉も、すぐに忘れ去る。

 忘れてしまうのは、よく分からないからで。分からないことは、実はすごくイヤなことで。

 だから小宮果穂は、この“わがまま”が許されるかどうか、よく考えてから決断した。

 

「────……あたし、アルファさんのことを『理解』したいと、思ってます……」

『……』

「だから、この選択をしたら、アルファさんは許してくれないかもしれないけど……」

 

 小宮果穂は覚悟した。自らの心を知り、仲間の不安を取り除くべく────

 自らの心を占めるダークなあの人を知るために……自らのダークな部分に、意図して片足を突っ込んだ。

 

 

 

          §

 

 

 

 後日。

 休日の街中。昼前の公園。緑あふれる生垣の裏手に五人の影。

 一方の小宮果穂は、東屋の柱に背中を預けて土を蹴る。

 

「……恋って、悪いことなのかなぁ……?」

 

 ふとしたつぶやき。それは以前の騒動を思い出したことで、心からこぼれでた純粋な疑問。

 

「なんだ? 今度は恋に悩んでんのか?」

「わぁっ!?」

 

 小宮果穂の背後から、アルファの声。

 びっくりした少女は逃げようとして前のめりとなり、危うく転びそうになった。

 

「驚きすぎだろ。足音聞こえなかったのか」

「あ、アルファさん! こ、こんにちは……!」

「おう。こんちは。……で、ヒーローごっこやるんじゃなかったのか? そんな顔でもなさそうだから……もしかしてヒーローごっこと偽って俺を呼び出して、なんか相談事するつもりだったとか? さっきの独り言を聞く限り」

「っ……!?」

 

 小宮果穂はおっかなびっくりする。

(ば、バレてる……!)

 対するアルファは、小馬鹿にするように鼻で笑った。

 

「ふっ……分かりやす。まぁ、なんだ。知っての通り、こちとら恋愛経験は豊富だ。序盤までの関係性しか築いたことはないが、裏を返せばそこまでの導きはできると自負している。とりま『褒めろ』……どんな軽いことでもいい。それで大抵の男は陥落する」

「……!?」

 

 どうやらアルファは勘違いしているようだ。小宮果穂に別(・)の(・)好きな人ができたと思っている。

 

「……なんだ? 違うのか?」

「! えっと……その……!」

 

 小宮果穂は思う。下手に取り繕えばバレるかもしれない。──何が? ──恋をしているかもしれないことが? ──まだ恋とも分からないのに? ──恋をしているかどうか確認するために呼び出したのに?

 

「────……そ、そのっ! ……『恋』って、なんですか!?」

 

 小宮果穂は咄嗟に話題を逸らす。しかもその手際は『恋をしているのか探りつつアルファを試す』という真実の中に『恋の相談』という別の事実を混ぜてうそぶく手法である。真実の中に虚実を織り交ぜる話術は、直接アルファから習ったわけではないが……期せずしてアルファと似たようなことをしていた。それは小宮果穂の中で開花した、ほんのちょっぴりオトナでビターでダークな部分。

 

「……俺も分からん。だが恋愛のバイブルは持ってるぞ。──クラスメイトの女子どもが、その手の話題で相談してくることが多くてな……知らんうちに評判になっちまったもんで、件数が増えて面倒になったから、こうしてマニュアルを作ったんだ」

 

 アルファはスマホを開く。無料の漫画アプリを開いて、とある恋愛漫画を閲覧し、小宮果穂に手渡す。

 

「この恋愛漫画、一話完結型だから読みやすい。その上、昔の人が遺した恋愛に関する名言の引用を多用していて、それを元にストーリーを作っているから────必然的に含蓄がある。無料分だけを読むなら三十分くらいで読み終わるはずだ。手っ取り早くそれで“恋”について知った気になれ、マセガキが」

「……!」

「ただし前もって読み方を指南しておく。──格言の意味をそのまま信じるな。格言には自分なりの考え方で反論しろ。それがお前を熟成させる。自分の人生観や世界観を俯瞰することができ、新たな信念を構築して更新することができる筈だ」

 

 小宮果穂は困惑する。本当はこれから白瀬咲耶直伝の口説き落としで、アルファにアタックし、自分が胸キュンするかどうか試す予定だった。そしてアタックされたアルファが、どんな反応を見せるのか確かめて、仲間たちの不安を払う予定でもあった。しかし話の流れ的に、小宮果穂がアタックするチャンスがことごとく潰されている。

 しかし諦めない。いつかどこかでチャンスが巡ってくるはずだ。ここで動揺していては、本当に作戦が失敗する。今は反撃の機会を待つのだ!

 

 ひとまず小宮果穂はベンチに座り、恋愛漫画(のバイブル)を読むことにした。

 一方のアルファといえば、柱に背中を預けて、なにやら気難しそうな顔で佇んでいる。

 

「…………」

 

 第一話。

 春の季節。男女の出会い。一目惚れ。男女は時に笑い時に泣く。喜々とした想いもあったが、同時に散々な想いもした。そうやって徐々に男女は成長していき、恋とはそういうものであることを学んでいく。それは20ページにも満たない激動の大恋愛。

 

 ────恋の始まりは晴れたり曇ったりの4月のようだ。

   ウィリアム・シェイクスピア

 

 その話を読んだ小宮果穂は連想して思い出す。

 最初はアルファさんと出会ってヒーロー談義で笑い合っていたが、あるときアルファさんに失礼を働いてしまって泣いたことがある。その後、仲直りして笑い合っていたが……あるときアルファさんを泣かせてしまったこともあった。

 

 そして小宮果穂は、第一話を読んだ感想を伝える。

 

「……でも、あたし……恋をしていなくても、笑ったり泣いたりします! いつもは仲間のみんなと笑い合っていますけど、ちょこ先輩のことで泣いたこともありました! 晴れたり曇ったりが、そういう喜びと悲しみ? を意味するなら……私の『恋』は、別に『友情』でもいいと思います!」

 

 対するアルファは、肯定も否定もせず、自らの見解を述べた。

 

「そうか。それは漫画と格言の内容を前提にした見解だな。俺の見解は、その格言の出典を前提にしている。────というのも、その格言は女の悲鳴だ。女の中に喜びなんてどこにもない。自分に恋した男どもが、自分の何気ない言動に対して、勝手に一喜一憂して、楽しんだり、悲しんだり、躍(おど)けたり、狂ったりする。

 残念なことに男どもは、誰ひとりとして女のことなんざ気にしていない。女の美しい容姿に見とれているだけで、女の心を見ようとしていない。女を楽しませようともしていない。男どもは女を使い潰すことで、自分の人生をエンジョイしているだけなんだよ。

 故に女は、そんな男どもの滑稽な場面に悩み、その不満を空に向かって叫び散らかした。さながら『恋の始まりは晴れたり曇ったりの4月のようだ』と……俺は、そのように聴こえたね。

 また、現代の学園もので喩えるなら、始業式が春なら卒業式も春だよな。莫迦な男どもと出会い、愚物な男どもとおさらばする、歓喜に満ちあふれた女の絶叫。三年に及ぶ逃亡の勝利宣言。

 ────過激な解釈だが、どうもその言葉の出典となった『ヴェローナの二紳士』を思うと……俺は自分の人生観と照らし合わせて、そのように感じてしまう。故に女には、ぜひ幸せを掴んでほしいと、勝手ながら祈ってしまう。まぁ、その女が本当は何をどう考えていたのか……それは俺には、あずかり知らぬことだが」

 

「────…………」

 

 小宮果穂は考える。アルファの言葉を理解したくて考える。考えて考えて……それでも使う言葉や言い回しが小難しくて、すぐに頭が疲れ切ってしまう。知識力の差に絶望する。

 

「で、別の話になるが────『私(・)の(・)恋(・)は、別に友情でもいい』……なるほど、そういうことか」

「? ────……あぁっ!?」

 

 小宮果穂はしまったと口を塞ぐ。だがもう遅い。いや、まだ“誰に対して恋をしているのか”は口に出していないはずだ。もっと言えば、そもそも恋をしているのかどうかすら分からない。恋をすると何が起きるのかも分からない。だからこうして知見を得ようとしているのだ。自分で分からないことが、相手にバレてしまう筈もない。そのように小宮果穂は考える。

 

「お前は『自分が恋をしているのかどうか』を知りたいのか。だから恋とは何かを聞いてきた」

「!!」

「なら尚更だ。早く次の話を読めよ。それで分かることもあるだろう」

「っ……は、はい……」

 

 小宮果穂は思う。やはりアルファはエスパーだ。もしかしたら既に、自分の考え事が全て見透かされているのではないか? そんな予感もしてくる。

 対するアルファは、小宮果穂の顔を見ようとしない。そのせいで観察が不足し、小宮果穂の心を見抜くことができていない。今の小宮果穂は、明らかに赤ら顔であったというのに。一度でも振り返ってその赤面を見れば、瞬間、話の流れから、それが誰に向けられた、どのような思いの込められた表情であるかを、疾く見抜いて結論づけることができたのに。アルファは、自らの嫉妬を懲らしめることに夢中で、小宮果穂の頬の熱さに気づかない。アルファに向ける熱さに気づかない。

 

 その一方で、とある五人は気づいていた。ひと目で看破した。皮肉な話である。

 小宮果穂の気持ちが『恋心』なのかどうかを確かめるため、今回の作戦を決行し……その『答え』を誰よりも早く知るべき人物は、小宮果穂その人であるはずだったのに────皮肉にも、その結果を見守る五人の傍観者が、小宮果穂の赤ら顔を見たことで……小宮果穂の気持ちが『恋心』なのかどうか、先んじて見抜くことになっていた。

 緑あふれる生垣の裏手に身を潜める西城樹里、杜野凛世、園田智代子、有栖川夏葉、白瀬咲耶の五人は、ひそひそ話で『答え』合わせをする。

 

(っ────お、おい……今の、見たか……? あれって……)

(はい……果穂さんの、火照るような、あの表情は……まさしく……)

(~~~~っ! 果穂ぉ……!! 男の人に対して、あんなに“しおらしい”感じの果穂は……今まで見たことないよぉ!)

(どうやら思ったより早く答えは出たようね。果穂本人は……まだ気付いていないのでしょうけど……あぁ、鏡を持って来れば良かったわ。……自分の顔がどうなっているのかなんて、案外自分では分からないものなのかもね……)

(ふむ。やはり私の勘は当たっていたようだ。しかし二つの課題は、未だクリアされていない。さて、どうなることやら……)

 

 二つの課題。一つ目は恋心の確認。二つ目はアルファの人間性の確認。

 一つ目の課題に関しては、既に答えは出ている。だが、それを傍観者だけが知っていても意味はない。当人である小宮果穂が知ることに意味がある。あとで小宮果穂に『それは恋だよ』と伝えてもいいが、それで解決する課題と思えない。すぐに三つ目の課題として『恋をしたけど、それは何を意味するのか』という議論にシフトするはずだ。しかし、それは今回の目的ではないため、胸算用はここで打ち切る。

 二つ目の課題に関しては、まだ答えは出ていない。小宮果穂はアルファにアタックすらしていない。五人の傍観者は、首を長くして機会を待つ。

 

「……よ、読みます……!」

「あぁ」

 

 第二話。

 黒い少女と赤い少年が出会った。

 一度目は趣味の恋に落ちる。共通の趣味から仲良くなり、結婚して楽しく往生した。それから男女は輪廻転生して、再び黒い少女と赤い少年の二人は出会った。

 今度は虚栄の恋に落ちる。互いの職種から金持ち同士であると喜んで仲良くなり、結婚して裕福に往生した。そして、また輪廻転生し、また再会を果たす。

 三度目は肉体の恋に落ちる。互いの夜の相性が良いことに喜んで貪るように結婚したが、なぜか離婚してしまい、別々の家庭を持って幸せに往生した。また輪廻転生して再会を果たす。

 四度目は情熱の恋に落ちる。大恋愛したが破局。前世と同じく別の人と結婚して幸せに往生。その間際、真実の愛に気がついて────輪廻の輪から外れた。

 最後の一コマは、黒と赤の天使が描かれていた。ふたりは恋愛の解脱を果たしたのか、自由なる無空へと羽ばたいていく。

 

 ────恋には四つの種類がある。情熱の恋、趣味の恋、肉体の恋、虚栄の恋。

   スタンダール。小説『赤と黒』

 

「…………」

 

 小宮果穂は『赤』と『黒』に着目する。自分のアイドルとしてのイメージカラーはレッドだ。そしてアルファさんは今でこそパープルに変わったと思うが、最初はブラックだったと思っている。そこに自分たちの共通点を、ついつい見出そうとする。しかし果穂は、それが無理筋なこじつけだと気付かない。なぜアルファがブラックからパープルに変化したと思うのか、その謎にも迫らない。盲いた少女は恋(とは何か)に耽る。それが『恋であったらいいな』と言いたげに。

 

「果穂。読み終わったなら、反論は?」

「……あ、えと……その、特には……それより疑問があって……『虚栄』ってなんでしょう?」

「うわべ。見栄。強がりとか、自慢とか、衒いとか、気取ってるとか。中身の伴わない外面がいいだけのもの。例を挙げると、心は汚いくせに顔だけ良くしてモテようとする人間とか、そういうの。────それより反論しろ」

「……でも……」

 

 アルファは、一向に小宮果穂が反論しないことから、しびれを切らして言い立てる。

 

「────7月、ナポレオン・ボナパルトは失脚し、フランスの栄光は不確かに翳る。まるで4月の春のように。三日天下ならぬ三ヶ月の天下? これこそ虚飾だろ。三ヶ月も時流を読み違えた腐敗王朝の衆愚政治はオルレアンの朝に滅び去る運命(サダメ)にある。王権者は趣味と褥を共にし、小市民は叛逆の熱気に狂奔する。下剋上とは、いつの世も更なる下層から打ち上げられて爆発する、大砲に繋がれた導火線だ、即ち革命とは逆光する花火のようなもの。一瞬で消えて、また以前の姿に巻き戻る。深い夜の闇の中に。往々にして季節違いの出来事は波乱の風物詩である。だが王政者とはかくもそれに気付かない。歴史は覆せると囁く傲慢の悪魔、その甘言に怯えつつも耳を貸すことをやめられないからだ」

「────…………」

 

 またもアルファは、小難しいことを並べ立てる。夏葉さんや凛世さんなら、何を言っているのか理解できるのだろうか。やはり自分は、まだまだお子様なのだろうか。小宮果穂はしゅんとする。

 

「今から厨二病みたいなことを言うが、今まで俺はお前の知力に合わせて話していた。本来の俺の頭の中はこんなもんだ。賢い女としか話が合わない。もちろんいつもこんな調子で話すわけじゃないけど。ナンパする時くらいかな、こういう言い回しを好むのは。知識人の教養遊びとでも言おうか。くだらん自慢だよ。まさに虚栄だ」

「っ……────」

 

 やはり、おこちゃまなのか。

 小宮果穂は、いよいよ俯いた面を上げられなくなってくる。

 

 そしてトドメとばかりに、アルファは語りだす。

 

「正直お前は、俺が撮り溜めてあるヒーロー番組やヒーローグッズが目当てで遊びに来ている。俺を目的にして遊びに来ているわけじゃない」

「────。!?」

「仮定の話だ。もしもの話。もし、お前が、俺に、恋とやらをしているなら────それは趣味の恋だ。自分の宝物をいっぱい持っている相手を手放したくないだけの強欲。それは恋とは言わない。趣味に恋しているだけだ」

「……っ!!」

「更に想像を重ねる。もはや妄想の域だ。もし、お前が、俺に、恋をしているのかどうか気になっているなら────それは虚栄の恋だ。自らが恋に悩んでいることを周囲にアピールすることで、趣味の恋であることを隠し、自らのメンツを保とうとしている」

「……っ!」

「肉体の恋は、まだないだろう。だが想像してみる。もし、俺が、お前を、襲えば────お前は押し負ける。そして心身ともに俺のものになる。快楽に落ちようが憎悪を漲らせようが、どのみち俺に夢中になることには変わらない。そうなれば俺は、飽きたゲームを中古屋に売るように、お前をドブに捨てるだろう。風俗で働かせて貢がせるのもいいな」

「……?」

「情熱の恋? 片腹痛い。だが想像してみよう。俺もお前も破滅する。俺はお前を手放したくなくて海外に行く夢を諦める。お前は熱愛報道のスキャンダルにでもなってアイドルを引退せざるを得なくなる。人生の落ち目。その時こそ支えあうべきだが、恋ではパワー不足だ。そこに愛がなければ必ず破局する。仮に愛があっても破局しやすい。俺は責任を取るなどと言って蒸発、夢の海外を目指し、どっかで野垂れ死ぬか割とそつなく成功する。お前はブラック会社のOLにでもなって陰険なババァどもにいじめられて、高嶺の毒の花すぎた初恋をいつまでも引きずって、まずまずの生涯を終える」

「…………」

「ちなみに猛毒の毒草として有名なトリカブトの花言葉は『騎士道』『人間嫌い』『復讐』『栄光』だ。騎士道を重んじるが愚者に失望し、そいつらを見返す栄光(プライド)を求めて海外に出ようとする。まるで俺みたいな花だ」

 

 アルファは一拍置く。それで小宮果穂が何も言わないため、仕方なく口を開いた。

 

「俺の話も参考にするか? 俺は肉体と虚栄の恋をしたことがある。裏を返せば、それしかしたことがない」

「……。……情熱の恋は、したことないんですか?」

「ある」

「え? でも今、肉体と虚栄の恋しか、したことないって……」

「あるが、すぐに諦めた。理性で勝って諦めることができた。情熱なんて夢の邪魔だ。身を滅ぼす未来しか想像できない。タダ飯にありつくはずが貢ぎそうになったことも何度かあった」

「……でも、じゃあ、どうやってみんなは『恋』をするんですか? 情熱以外は、なんだか悪そうな意味ばかりで……」

「言ったろ。格言をそのまま信じるな。格言には必ず反論しろ。反論できないってことは、単に頭が悪いか、そうであったらいいなっていう理想に逃げているだけだ。現実を見ようとしていない。恋は盲目という。まさに今のお前だな」

「……理想……」

「俺なりの答えを言おう。────五つ目の恋をすることだ」

「────!」

「それがどんな恋なのかは、その人のみぞ知る。少なくとも俺は────いや、やめておこう。自らの信念を他人に言ってもしょうがない。五つ目の恋は、誰にも質問せず、自分の頭だけで考えて、ひとつくらいは回答を打ち出してみせろ。さもなくばお前は一生莫迦なままだ」

 

 アルファは手のひらを差し出す。否、それはスマホを返せという合図だった。

 小宮果穂はスマホを返却。アルファはポケットにそれをしまうと、背中で柱を蹴って東屋の石畳から芝生の上に降り立つ。

 

「帰る」

「──えっ!?」

 

 慌てて飛び立った小宮果穂は、アルファの腕を引っ掴む。

 

「ま、まってくださいっ!」

「なんだ」

「その……ちょ、ちょっとこっちに……」

「…………」

 

 アルファは明らかに機嫌が悪い。だが小宮果穂の導きに従って移動する。

 そこで小宮果穂が、意を決して叫んだ。

 

「あ、あたしより先に進んでいいですよ! レディファーストです!」

「……いや、俺はレディじゃないんだが?」

 

 いったいどういうことか。どこで学んできた“セリフ”なのか。小宮果穂に誘導されたアルファは、再び東屋の柱に背中を預ける。そのとき小宮果穂の横顔を目にしたが、もう探る意欲も失せていたのか、興味を失おうとして、心の目を逸らしていた。

 

「えっと……ちょっとだけ、しゃがんでください! あ、あたしが、見下ろせるくらいに……」

「……?」

 

 アルファは膝を折り曲げる。ズルズルと柱を滑り落ちる。小宮果穂と同じ身長となり、目と目が一直線に合う。

 

「……っ!」

「……ん? 果穂?」

「も、もっと下ですっ!」

 

 小宮果穂の顔が赤い。当然だ。さすがの天真爛漫も、ここまで異性と距離が近ければ恥じらうこともあるだろう。そのようにアルファは思う。そしてアルファは言われた通り、かなり膝を折り曲げて、小宮果穂の胸の位置まで顔を下げる。そして、何かを企んでいる少女の顔を見上げて、ただ待機。アルファはずっと、目の前の少女の顔が赤らんでいる様子を目にしているのに……その心は拗ねたようにそっぽを向いているため、なぜ赤らんでいるのか、その真実に辿り着くことができない。

 

(えっと、たしか咲耶さんは────)

 

 ────壁ドンというものがある。自分の体で相手の体を壁際に追いやって、相手の顔の近くに手を押し付けて壁を叩くんだ。しかしそれは、こちらが相手を傷つけないという、確固たる信頼関係がなければ、ただ相手を怖がらせてしまうことがある。考えてみたまえ。自分の体に体当たりをされかかって、自分の顔の横に張り手をされたと想像すると分かりやすい。非常に危険で怖いだろう? 吊り橋効果とは言うが、大抵は嫌悪感しか抱かないさ。何をされてもいいというくらい、相手のことを惚れていなければね?

 

 ────だから私は、初対面の相手には『壁そっ……』をしている。たまたま相手が偶然壁際に、あるいは、もしかしたら私のオーラに押されて壁際に後退した時、とてもゆっくり、カメレオンがのっそりと歩くように、自然に溶け込み、相手の頭の斜め上に、そっと手を置くんだ。ポイントは相手の顔には、自分の顔を近付けること。ここで注意点。顔と顔の距離感を見誤ってはいけない。人にはパーソナルスペースというものがあるからね。それを侵略する以上、ここだけは侵されると困る・怒るというスペースだけは、侵略しないよう仕掛けるんだ。そして最後は、決め顔さ。

 

「────むっ!」

「────、……」

 

 意気込んだ小宮果穂は、白瀬咲耶のような爽やかさを意識して微笑み、白瀬咲耶(師匠)に言われた通り柱の右上に手のひらを付ける。アルファと顔が近い。小宮果穂の顔が赤らんでいく。

 対するアルファは真っ黒になっていく目で、じっと少女を見定めるように眺めていた。

 

 ────そして相手が不快感を抱いていないようなら、あるいは陥落したと判断すれば『あごをクイッ』とする。これは距離感を錯覚させてスキンシップを許させる必要があるんだけど……果穂とあの人の仲なら嫌がられることはないだろう。押せ押せでいいと思うよ!

 

 小宮果穂は、アルファのあごに触れようとする。人差し指のつま先が触れただけで、小宮果穂の左手は痺れたようにびくりとはねる。指先の感覚が鋭敏になる。それでも頑張って人差し指と親指の感触に震えながら、アルファの頭をもたげさせた。

 

「っ……ど、どう、ですか……?」

「雑念が多すぎて色気がない。零点」

「っ!?」

「俺を使って色気を試すとは度胸あるな。しかも断りもなく」

「! あ、ごめんなさい……っ!」

「いちいち謝るな。お前は謝罪の恋がしたいのか?」

「……! っ……」

「お前が俺の何に気を使っているのかは分からないが、お前がまだまだ未熟なのは俺も分かっている。だからお前の未熟な部分を見つけた程度で、俺がお前を嫌いになることは絶対に有り得ない」

「────!」

「……まぁ、それはお前が、俺に謝罪の恋をしていた場合に言うべき言葉ってだけの話だが。……もう帰ってもいいか。頼りになるお姉さん方(がた)がいるんだろう。恋はそいつらに相談しろ。俺は力になりたくない」

「え……? な、なりたくないって……なんで、ですか……?」

「俺は嫉妬の恋だけはしたくないんだ。まだ愛で身を引いた方が精神衛生上よろしい。いずれにせよ自分勝手な都合だ。……どうせ伝わらない(効かない)捨て台詞だが」

 

 アルファは険しい顔つきで吐き捨てると、小宮果穂の脇の下を潜り抜け、ぴょんと二回跳んで大きく距離を取る。そのまま公園から足早に立ち去っていく。

 

「あっ……」

 

 小宮果穂は無意識に追い掛けようと手を伸ばし、足を一歩踏み出すが……いつもより歩くスピードが早いアルファの背中に違和感を覚えた。それが得体の知れない恐怖の悪寒として背筋に這い登る。

 

(っ────アルファ、さん……?)

 

 まるで、そのまま嵐の海の向こうに消え去ってしまうような、激しい予感。

 

 ────ヒーロー以外で自信がない。

 ────今こそ殻を破る時。

 ────今日だけダークになってアルファを知りたい。理解したい。

 

 気づけば小宮果穂は駆け出していた。アルファが公園を出る瞬間、その背中にハグしようかと考えるが────結局、その右手を巻き取って、アルファの右腕に抱き着いた。

 

「────っ!?」

 

 アルファの右肘に、柔和で豊満な感触が当てつけられる。

 

「うおぉい!?」

「わぁ!?」

 

 驚いたアルファは、咄嗟に柔らかな感触から逃れようとして腕を振り払う。その力が強かったのか、小宮果穂は投げ飛ばされる形となり、前のめりに転んでしまった。

 

「っ!」

「──いたっ……」

 

 そんなつもりはなかったとアルファは青ざめる。

 小宮果穂は、どうして投げ飛ばされたのか分からず困惑していた。

 

(あ、あいつ────!!)

(まってくれ樹里!)

(樹里ちゃん! もう少し様子を見よ!? 私からもお願い!)

(……! 動きました……屈み込み……果穂さんと、何か会話を……)

(後ろ姿だけで、よく顔が見えないわね。でも、あの後ろ姿……どこかで見たような……?)

 

 小宮果穂は起き上がって座り込む。

 足を抱えていることからケガしたのかと思ったアルファは焦って駆け寄り、少女の前に屈み込む。そして小宮果穂が膝小僧を擦りむいたことを見て取った。

 

「……悪い。今のはその……理由はあとで話す。水飲み場に行って傷口を洗い流そう。立てるか?」

「あ、はい……」

 

 アルファに連れられた小宮果穂は、擦りむいた膝を水で洗い流す。

 そしてアルファは、ポケットから絆創膏を取り出すと、屈んで少女の脚を掴んだ。

 

「!? っ……!」

「? ……痛いか。ちょっと我慢しろ。一瞬だ」

 

 それは違う。擦りむいた箇所は確かに痛いが、アルファに脚を掴まれたことに小宮果穂は驚いた。絆創膏が膝に貼られる。

 それからアルファは屈んだまま何かを考え込んでいる様子で、自分の脚に肘を置いて頭を掻いた。次いで、羞恥心を吐き捨てるように溜め息をつく。

 

「……ハァ。あぁもう言うぞ? 後悔すんなよ。今後同じことが起きないよう注意してくれ。俺も気をつける。────さっきは……お前の胸が当たったんだよ」

「……! あ……そ、そういうことだったんですね……っ! ごめんなさい……! そこまで、考えてなくて……」

「いや、俺もごめん。驚いて振り払おうとしたら、思いのほか吹っ飛ばしちまって……お前、意外と軽いんだな?」

「そうですか? アルファさんの力が強いんだと思います! あたし、びゅーんって飛ばされてびっくりしました! すごいですっ!」

「……はは。お前はそういう奴だよな」

「でもアルファさん。いつも絆創膏を持ち歩いているんですか?」

「まぁそうだが……今日はヒーローごっこの予定だったろ。転んでケガした時に備えて多めに持ってきてたんだよ」

 

 アルファは屈んだ状態から立ち上がる。すると、アルファと小宮果穂の衣服が擦れ合うほど近い距離となった。

 静寂、見つめ合い、紅潮する。

 

『……っ!?』

 

 咄嗟にそっぽを向くアルファ。明らかに距離感を見誤った。先ほど小宮果穂が“壁ドン”まがいのことをしてきたせいだろうか。知らず知らず無意識のうちに、『あぁ、そんなに距離が近くてもいいんだな』と、思うようになっていたのかもしれない。

 対する小宮果穂は、頬を火照らせていた。頭の中は疑問符がいっぱいで、顔にもハテナマークを描きながら、瞳がウルウルと潤みながらキラキラと輝いている。それは明らかに、胸キュンが限界突破した、乙女の表情。

 

 刹那、その様子を見守っていた傍観者のひとりが、声にならない叫びをあげた。

 

(っっっ~~~~~~ッ!! かっ────果穂ォ……ッッッ!!!)

(智代子さんが……胸キュンして……昏倒……今しばらく……次なるページを、開けなくなりました……南無……)

(…………、……果穂……)

(アルファさんは、子供のケガの扱いに慣れているわね。それに絆創膏を持ち歩いているのは加点じゃない? 一応、智代子にも聞いてみたいけど……どうやら今は、話せる状態じゃないようね……)

(あの人は誰に対しても誠実だよ。ただ唯一の問題として『夜の素行』がある。それが何かは……ふふ。私は果穂の人質なのでね)

 

 アルファはその場から離れようとする。

 その背中を目で追う小宮果穂は、突として胸の奥が引き締まった。

 

「……っ?」

「……? 果穂?」

 

 背後の少女の雰囲気に異変を感じたアルファは振り返る。

 対する小宮果穂は胸を抑えると、その場に屈んでうずくまってしまった。

 

「!? ど────どうした? 胸が痛いのか? なんか苦しいのか?」

 

 ストレス・自律神経の乱れ・なんか変なもんでも食った……などなど、アルファの脳内は高速回転する。

 

「────っ……い、いえ……。……なんでも、ありません……?」

 

 胸の奥が引き締まったのは、ほんの一瞬のことだった。

 小宮果穂は何事もなく立ち上がる。だが、不思議と面を上げることができなかった。

 

「……なんか不安だな。とりま家に帰って、様子が変だってことを家族に報告しろ」

「…………」

 

 

 

 その時、誰も予想できないタイミングで────自由奔放が、襲来した。

 

 

 

「あー! あははっ! 果穂ちゃんとハナワカだー!」

『……!?』

 

 芹沢あさひの笑い声が公園に響く。彼女は全力疾走で公園を横断すると、アルファの背中に────

 

「ドーン!」

「いや、ちょ! あさ────ぐっ!?」

 

 ────飛び込んで、抱き着いた。

 

 咄嗟にアルファは足腰に力を入れて、芹沢あさひの突撃を受け入れる準備を寸前で完了。激突と同時にこらえて、一緒に地面に倒れないよう細心の注意を払いつつ、バランスをコントロールする。

 

「……!」(あさひさん、全身でハグしちゃった……!)

 

 さすがは中学二年生。そう思う小宮果穂は、目を丸くして感心する。だが、また突として胸の奥が引き締まり、それもすぐに掻き消えた。小宮果穂は混乱する。

 

「あははっ! ハナワカは頑丈だね!」

「いや普通に怒りますよ?」

『……!!』

 

 いつになく真顔のアルファは振り返り、芹沢あさひに説教を始める。

 

 不意打ちで人にぶつかってはいけないこと。倒れたら二人ともケガすること。さらに小宮果穂とぶつかって玉突き事故になっていた可能性についても言及。あとハグは背中に柔和で豊満な感触が……とは言わないでおく。というより言えない。それは小宮果穂との仲だから言えたことである。芹沢あさひ相手に言えば、それはただのセクハラだ。

 

「────というわけです。異論はありますでしょうか」

「ない。ごめんなさい」

 

 芹沢あさひは淡白に返事するが、アルファから理路整然と“突撃してはダメな条件”を説明されたため、きちんと内容を理解して反省している様子。

 それを見て取ったアルファは、複雑な心境で頭を抱えた。

 

「分かればよろしいです。つか────ハァ……なんで年上相手に、マジの説教をしなきゃいけないんだ……?」

 

 その場面を見ていた園田智代子は突然、疑似的な気絶状態から起き上がり、恋愛バトルの実況解説を始めた。

 

(あぁっと! ここで対抗馬ぁ! 果穂が全身ハグできなかったところに、あさひちゃんが全身ハグをかましたー!)

(智代子さんが……恋のライバル登場の予感に……怒髪衝天と言わんばかりに、興奮しております……)

(そりゃあもう! あ、ちなみに冬優子ちゃんの話によれば、あさひちゃんは常識がきちんとあるはずなので、簡単には赤の他人に体を許さないはずですが……裏を返せば、それほどアルファさんを気に入っているという証拠なのかぁ!? もしかして果穂に強力なライバル出現!? 私はどっちを応援すればいいのー! まぁ当然、果穂なんですけどね! あさひちゃんにはゴメンだけど! しかし実況解説をするにあたり贔屓は持ち込みません! さぁ誰がどう動く? ──あぁーっと! ここであさひちゃん! 説教が終わったばかりだというのに、もう心機一転してアルファさんと果穂を遊びに誘う! アルファさんは頑なに断って帰らんとする! ならばとあさひちゃんは果穂と遊ぼうとしている! おっとこれは実況開始一分足らずで、もうドキドキ大作戦は終了してしまうのかーっ!!)

 

 テンション爆上げの園田智代子はさておき。

 ほかの四人は、冷静に状況を観察する。

 

(! あ、おい……あいつ、本当に帰ったぞ……)

(……では……ここらが……潮時かと……)

(あら、果穂、遊びを断ったのかしら? あさひが走って公園を出ていくわ。少し落ち込んだ様子だったけど、すぐ何かに興味が移って笑顔になったわね。あれなら大丈夫そうかしら)

(ではここでお別れだ。果穂のことは放クラに任せよう。それが適任だからね。私は少し野暮用があるので席を外す。しばらくしたら戻ってくる。じゃ────)

(え、咲耶ちゃん!? どこに行くのー!?)

 

 白瀬咲耶は単独行動を開始。園田智代子の問いにも答えず、足早にどこかへ駆けていく。

 そして園田智代子・杜野凛世・西城樹里・有栖川夏葉の四人は、とりあえず生垣から顔を出して、小宮果穂のもとに駆け寄った。

 

「おーい! 果穂ー! お疲れ様ー!」

「お疲れ様で……ございます……」

「果穂! ど、どうだった……? 胸キュ……ど、ドキドキとかしたか!?」

「アルファさん。ぱっと見、悪い人には見えなかったわね? けど……少し陰のある少年という感じもしたわ。よく言えば男らしい、悪く言えば強面?」

「……! みなさんっ!」

 

 公園の中央に放クラが集合する。

 そして、さっそく二つの課題について議論を始めた。

 

「たしかに顔はちょっと怖かったけど、容姿はかっこよかったね! なんか、男の中の男って感じ!」

「まぁ……立ち居振る舞いを見れば、なんかそんな悪い人って感じはしなかったな……つか、なに話してたんだ?」

「……っ! そ、それはぁ……内緒ですっ!」

 

 西城樹里の問いに対して、小宮果穂はごまかす。

 

「……! ならば……致し方ありません……恋とは、秘めたるもの……己と汝だけの、淡い思い出を……そう容易く分け与えることなど、どうしてできましょうか……」

「そ、そういうものなの? 凛世? どうしてもと言うなら、詳しくは聞かないけど……せめて話題となった題材だけでも聞かせてくれるとありがたいわ……それに、あまり果穂に秘密主義になられると、少し参ってしまうわね……いえ、それは私の勝手な都合なのだけど……」

 

 有栖川夏葉は、しゅんとしてヘコむ。

 その顔色を見て察した小宮果穂は、ならばと即答した。無論、細かい点は伏せておく。

 

「えっと、恋の話になって……恋愛漫画を見せてもらって、シェイクスピア? という昔の人の格言のお話をしてぇ……アルファさんが帰ろうとしたので、ハグに挑戦したんですけど……その────」

 

 西城樹里が問いかける。

 

「吹っ飛ばされたんだろ? あれ、何があったんだ? これだけは絶対に答えてほしい」

「果穂! 私わかるよ! きっと果穂の豊満なそれに当たって、相手はびっくりしちゃったんだよね!?」

「……はて……?」

「なるほど。それはこちらの配慮不足だったわね」

「あ、はいっ! それでびっくりさせちゃって、振り払おうとしたら思いのほか、あたしが吹き飛んでしまったんですっ!」

「……! ……そう、か……そういうことなら、まぁ……。でも、なんか途中から不機嫌だったよな?」

「あ、それは私も気になってた! 果穂がスマホを渡されて、その恋愛漫画を読み始めたあたりからだよね?」

「……そういえば……果穂さん……なぜ、お相手と……恋のお話に……?」

「それもそうね。果穂、それは聞いてもいいかしら?」

「それは……私が『恋って悪いことなのかな?』って独り言を呟いたら、それを聞かれてしまってて……」

「……! や、別に悪いことじゃ……」

 

 西城樹里がフォローしようとした瞬間、園田智代子がおっかなびっくりと慌て始めた。

 

「────っ!! ちょっとまって! その話については、あとにしない!? 私、今……良くないことを閃いちゃったかも……! もも、もしかして、ちょっとまずい状況なんじゃない……!?」

「……! 恋の話……乙女の恋愛相談……殿方の不機嫌……これは、少女漫画の定番にして王道……、……もしや、果穂さんと、アルファさんは……『すれ違い』を、してしまっているのでは……?」

「……? ────! もしかして、そういうこと!? なんてことかしら! つまり……智代子と凛世は、こう言いたいのね? 『アルファさんは果穂に、ほかに好きな人がいると思って、それでも恋愛のアドバイスをした』と……!」

「え? え?」

「お、おい……もしそれが本当なら、その誤解は早く解いた方がいいんじゃ……」

「で、でも! それならその前に、まず果穂の気持ちを確認しなきゃ……!」

「果穂さんは……自らのお心に、なにか気付きを、得られましたでしょうか……」

「ぜひ聞かせてちょうだい! 尤も、私たちは答えを見つけてしまっているようなものだけど!」

 

 四人は見守るように返事を待つ。

 対する小宮果穂は、色々と悩んだ末、ひとまずの想いを結論づけてみた。

 

「……あっ……あの、あたし────!」

 

          §

 

 一方その頃。公園からほど近い道路にて。

 帰路に就くアルファの後方から、白瀬咲耶が息せき切って走ってくる。

 

「アルファくん!」

「!」

「ふぅ……やっと追いついた」

「……どうも。なんのご用で?」

「いやね? 話すと長くなるため、単刀直入に言わせてもらう。……実は、先ほどの公園の出来事。一から十まで『果穂を守り隊』が、観察させてもらっていたんだ」

「────そういうことかよっ!? 道理で果穂の様子がおかしいと思ったわ! あ、じゃあ、壁ドンまがいのアレとかも……おまっ……あんたの入れ知恵だな!?」

「ははっ! やはり凄まじいほど頭の回転が早いね! 話が早くて助かるよ。しかし果穂たちを責めないでほしい。全ては私の咎にある。なにせ、あの子たち……放クラの輪に割り込んで、強引に今回の話を進めたのは、私だからね」

「……詳細を説明する気は?」

「ないね。でもあなたなら想像がつくだろう?」

「まぁな。俺みたいな人間を友人にしていることに、周りの人たちが不安がって不審がったんだろう」

「そう仕向けたのは、全面的に私なのだがね」

「遅かれ早かれの問題だ。それにさ────あの正義感の強い果穂が、あんたにそんな汚名を着せると、本気で思ってんのか?」

「──!」

「……まぁ、そういうことにしてやるよ。今回の件は、あんたのせいだ。そうしてほしいんだろ」

「……これは困ったな。あなたが誠実であることは知っていたが……ここまで義理堅いとは、予想外だった」

 

 アルファは眉間にシワを寄せて頭を掻く。

 頭を掻くのは、アルファにとって困っていることの表れだ。気恥ずかしさを隠すための手癖とも言える。

 

「あー……となると、俺の悪行は全て知れ渡ったってことでいいのか? あんたは俺のナンパくらいしか知らないはずだが……それでもその話題だけで、俺のお里が知れるってもんだ。それに俺は色々と、つかほとんど、果穂に打ち明けちまってるからなぁ……」

「いや。それは少し違う。果穂は黙秘権を行使しているよ。もちろん私もね」

「なぜだ? 果穂が黙秘するのは分かるが……いや、普通に話してしまう可能性も高いと踏んでいたから、いつかこうなるとは思っていた。だが────あんたが黙る必要はないだろ」

「他人の恋路を踏み荒らすほど、悪に落ちることはしたくなかったのでね。……たしかにあなたは、危険な香りのする男だ。しかし悪党であっても悪人ではない。果穂のことは大切にしてくれている。それは傍から見ても分かることだ。……だから私は、果穂の人を見る目を信じることにした。同じ事務所の仲間として、同じアイドルとして、ひとりの友人として……あなたに対する評価を周りから贔屓目なしに指摘されることで、果穂がどのように感じるのか……それを、どうしても確認したかった。果穂の将来のためにもね」

「……随分と嫌な役回りを買って出たんだな。つか────悪いことしてる時点で悪人だとは思いますけどね」

「その理屈で行くなら、自らの利益のためだけに善行を成す偽善者も、全て善人になってしまうよ」

「ならそれでいいじゃないですか。悪党の善人さん?」

「……! おや。これは痛いところを突かれてしまった」

「誘導しただけですよ。本気じゃないです。……それに、俺の素行を知る人物としての行動としては、そうして当然の展開だとは思っていますから」

「いや、ほかにもやりようはあった。しかし今回はあなたに習って、ダークヒーローをやってみた」

「それまたなんで」

「あなたの善性に懸けたのさ。だってほら、さっきあなたは……『随分と嫌な役回りを買って出た』と、言ってくれたじゃないか」

「────っ! いや、あれは────」

「私の立場を思って心配してくれたんだろう? それで、これは厚かましいお願いだとは承知しているが────もし、本当に私のことを慮ってくれるなら……どうか今後、周りの人を暗黒面に堕とすような真似は、謹んでもらいたい」

「お、鬼かアンタは……絶対に敵に回したくないタイプじゃねぇか……自己犠牲の精神が強すぎだろ……」

「あぁ、そうとも。なぜなら今の私は、誰かさんに似て、ダークヒーローだからね」

 

 アルファは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 対する白瀬咲耶は、にっこりと笑顔を向けた。

 

「笑顔は威嚇の意味があるってな」

「それは心外だ。私は本当にひどい人には毅然と対峙する人間だよ」

「言い合うと終わらねぇな。話を戻す。ひとつ気になることがあるんだが……あいつ、俺に恋の相談をしてきたんだ」

「……え?」

「それも、そっちの差し金か?」

「────……それは、本人に聞いてみるといい」

「あー恋してんのな。そうかよ」

「まってくれ。結論を急がないでほしい。……私から言ってしまうのは、少し違うと思うのでね……」

「……? 分かった。また今度、果穂に聞いてみる」

「そうしてくれると助かるよ」

「……────」

「……おや?」

 

 ふいにアルファはきびすを返す。白瀬咲耶の横を通り過ぎると、まっすぐ公園に戻っていった。

 

          §

 

 舞台は戻り、日中の公園にて。

 

「……あっ……あの、あたし────!」

 

 小宮果穂は、先ほどの水飲み場で、一気に距離が近くなった時のことを思い出す。思い出すだけで、ほんのりほっぺが火照り、瞳はきめ細やかな輝きを放つ。それはまるで、燦々と照りつける海のさざ波が光を反射して、ガラスの破片のようにきらめくように。

 かくして乙女は、限られた言の葉を駆使し、自らの心情を語りだす。

 

「さっき、水飲み場で、アルファさんと近くなった時……『胸キュン』はしませんでしたけど……なんだか、胸の奥が引き締まるような感じがして────でも、それはイヤな? 感じではなくて! 急に心臓の音がドキドキって聞こえてきて……あたし、ずっと……ずっと、あ(・)あ(・)し(・)て(・)い(・)た(・)い(・)な(・)って、思いました!」

 

 刹那、園田智代子は──お姉さんらしさはどこへやら──会心の一撃が入ったように叫んだ。

 

「それは恋だよ果穂! それが! 恋なんだよ! 果穂ぉ……っ!!」

「わぁ……! そっかぁ……! これが……『恋』なんだぁ……!」

 

 長い悩みから解放された小宮果穂は、ひとつ大人の階段を登ったことを知って喜び、瞳を輝かせる。

 そして、これが恋だと言うのであれば。今までのよく分からなかった自分の言動────アルファに対して何度も謝り倒してしまったり、急に腕を引っ張ったり、逃げてしまったり────それらも全て、恋のせいということで説明できるのか。それは早計かもしれないが、本当のところはどうなのか、その答えは少しずつ知っていけばいい。

 

「あとは、その恋を実らせたい……恋した相手と結ばれたいと思えば、それはもう確実に恋だよ~っ!」

「結ばれる……レッドとヒロインみたいに、恋人になるってことですか? それとも、お母さんとお父さんみたいに結婚するってことですか? でも……アイドルって、恋人を作ったり、結婚できるんですか?」

 

『……!!!!』

 

「その、恋について調べていたら、ネットで検索したとき『アイドルは恋愛禁止』とか、『アイドルだって恋愛してもいい』とか、『カップルチャンネル』『カップルユニット』とか……そういう記事を読んだことがありますっ!」

 

 有栖川夏葉は微笑む。

 

「ふふっ……果穂はその好奇心旺盛さ故か、時々核心を突いてくるわね。でも果穂がそんなことを調べていたなんて、それだけアルファさんにご執心ということかしら」

「……! そ、そういうことに、なるんでしょうか……? えへへ……っ」

 

 ふいに園田智代子・西城樹里・杜野凛世は、互いの顔を見合わせる。

 

「アイドルは恋愛できるか……うーん……それについて分かりやすく果穂に説明するためには、ちょっとまとめるのに時間が掛かるかもね……?」

「じゃ、アタシは凛世にパス。この手の話題はアイドル優等生に任せようぜ。……あ、別にアタシが、この手の話題に苦手ってわけじゃないからな……? いや、得意でもないけどよ……」

「ふふ……はい……では……────凛世も、まだまだ恋愛に関しては、修業中の身ですが……凛世は、プロデューサー様も、ファンの皆様も、同じくらい大切に想っております……故に、双方の想いを想い、アイドルとして、ひとりの女子(おなご)として……我が世の春を謳歌邁進していくことが……いずれ、かわたれの、幸せを得ることに……つながりましょう……」

 

「~~~っ! なんだか凛世さん、スッゴくカッコいいですーっ! ────あたし、分かりました! あたしも凛世さんみたいに、恋をしている人も、ファンのみなさんも、すっごくすっごーく! 大切にしていきますっ! ……あれ? でも、それは当たり前のことで……? ぐ、具体的に、何をどうすれば、大切にすることになるんでしょうか……!?」

 

 それについて有栖川夏葉が答える。というよりも、応える。

 

「うふふっ。そうね……明確な回答を用意するのは難しいわ。だからどうしても精神的な話に帰結してしまうわね」

「まぁ、こればっかりはね……!? アイドルにとって永遠の命題といっても過言ではないと言いますか……!」

「それはな……でも凛世は、やっぱスゲェなぁ……自分の考えをしっかりと持ってんのは、素直にカッコいいと思う」

「いえ……凛世は、ただ……我が儘な、だけなのでございます……ふふっ……」

「わぁ……! なぜか凛世さんの背中から光が見えます! 優等生の光ですっ!」

 

 どんな話題でも姦しいほど盛り上がる放課後クライマックスガールズ。

 その和気藹々とした会話を続ける五人の背後から、突として少年の低い声が飛んできた。

 

「団体でデバガメご苦労様です」

『────ひゃあああっ!?』

 

 一体いつの間に、輪を作って話し込んでいた五人の死角を突いて接近していたのか。そこには仏頂面のアルファが立っていた。

 その後ろには、困ったようにニコニコとほほえむ白瀬咲耶も立っている。

 

「うわぁああ!? あ、あなたはアルファさん……!? デバガメがバレた! どどど、どう謝罪すれば……!」

「? 樹里ちゃん! 今アルファさんとちょこ先輩が言った『デバガメ』って、なんですか?」

「えっ!? そ、それは……おい、凛世……!」

「はい……この場合は……『覗き見』とだけ……申しておきましょう……」

「咲耶……あなた、アルファさんを連れ戻しに行っていたの?」

「いや、すまない。今一度、アルファくんの人間性を確かめるため追い掛けたのだが……まさか返す刀で単騎のまま突撃してくるとは思わなくてね……正直、甘く見ていたよ……」

 

 次の瞬間、園田智代子は地に膝をつけ、爆速の土下座を披露した。

 

「あの! アルファさん! 誠に! 誠に申し訳ございませんでしたー……っ!!」

「……」(双方に抵抗感のない爆速の土下座……さらに高速謝罪の声も透き通っていて誠意を感じる……なんか、俺よりレベルが上の処世術を感じる……この人、まだ高校生だよな? 何者なんだろう……)

「いや、まったく本当に……! 今回の私たちは、アルファさんに足を向けて寝られないと言いますか……とても悪いことをしたということは重々承知の上で行なったデバガメであると白状いたしますというか……! いやー、なんか女の悪いところ出ちゃってるかなー? と思いつつ、どうしても背に腹はかえられぬイチモツがあったと言いますか……! ああいや、言い訳しても許されないことなので! ────試すようなことをしてしまい、本当にごめんなさいっ!!」

「……」(……芝居がかった言い回しはふざけていると受け取られがちだが、不思議とこの人の言葉は聞いていても不快感が湧いてこない。自分の誠実さを伝える言動を無意識に心得ているのかな? どういうカラクリなんだろう……この人の身の振り方は、是非とも参考にしたい)

 

 対するアルファは、デバガメ行為について、特になんとも思っていない。それよりも、なにやら不思議な才能を持つ園田智代子のほうに興味が向いており、人間観察に集中する。

 次いで、西城樹里も頭を下げた。

 

「まぁ……覗き見については、悪かった……ごめん。……でも、それとは別に、アタシはこう思う。そもそも『ダチのダチを不安にさせるな』……! もちろん自分の目で見る前に、前評判だけで判断はしないけど……果穂は、咲耶の前評判が事実だと認めたからさ。だから恋とか関係なしに、アタシは果穂に悪い虫が付くのが許せない。……言いたいのは、それだけ」

「樹里ちゃん……」

 

 小宮果穂は、西城樹里とアルファが一触即発と勘違いしてあたふたするが……特にふたりは喧嘩するつもりはない。

 

「果穂……悪いけど、こうしてちゃんと言っておかないと……大体、果穂を暴力事件に二回も巻き込んだんだ。まぁ……それについてはアルファさんも不可抗力だから、責めているわけじゃないけど……アタシとしてはそりゃあ、普通に果穂の友人として、果穂のことが心配になるだろ……」

 

 アルファはうんうんとうなずく。そして折り目正しくお辞儀した。

 

「全く以てその通りです。言い訳のしようもございません」

「っ!? いや、アタシは、その……謝ってほしかったわけじゃ……こっちもデバガメしちまったし……だから、その……」

 

 有栖川夏葉は察する。

 

「樹里は“お互い様”と言いたいのね。智代子のような謝罪は、私たち全員がするべきだし……それはそれとして樹里の意見も分かる。だから、ここは互いに筋を通すべきね。────アルファさん。試すようなことをしてごめんなさい……」

「申し訳……ございません……」

「私からも改めて謝ろう。申し訳なかった」

「あ、あたしも! いえ、あたしの方こそ、ごめんなさい……! あたしがお願いして、みなさんを巻き込んだんですっ!」

 

 怒涛の連続謝罪を受けたアルファは、何度もうなずいて「頭を上げてください」と言う。

 

「知ってる。……そもそも全然なんとも思ってないので気にしないでください。むしろ監視されて当然の人間だと自覚しています。……それで、少し、俺の話を聞いてくれますか」

 

 アルファは放クラの面々を一瞥し、その目を見て話す。

 

「私は、自分という人間が、あまりよくない存在であることを理解しています。だからこそ“昼”は誠実に真面目に、思いやりを持って人に尽くすよう努めています。ただし“夜”は、お察しの通り、素行が良いとは決して言えません。失礼を承知で詳細は省きますが、自分は仕事ができる年齢になるまで、この生き方を変えることはないでしょう。それについての面倒事を避けるため、もし果穂さんと距離を置いてほしいというのなら────残念ですが、それは聞(・)け(・)ま(・)せ(・)ん(・)」

『!?』

 

 そこは普通、聞くところではないのか? 別に聞いてほしいわけではないが、なんとも慇懃無礼の極みたる話を聞いて、放クラのお姉さん組は目を丸くする。一方の白瀬咲耶は、そう言うだろうと確信していたのか吹き出していた。

 

「まぁ、こういう人間ということで、ひとつ。──そして今の話は正直な気持ちです。聞くべきとは思っていますが、自分自身、果穂さんには何度も心を救われているため、これを手放すのは死ぬほどツライです。勝手な都合とは存じておりますが、存じているだけですね」

『!!?』

「もちろん果穂さんを面倒事に巻き込むまいと、常日頃から細心の注意を払っています。それでも既に暴力沙汰は二回あり、信用は地に落ちているでしょう。それでも自分は果穂さんと仲良くしたいと思っています。そのためにも、もう二度と彼女に危険を及ばさないことを約束します。──口約束なんか、なんの保証にもならないことは承知していますが……どうか、どうかそれでも────彼女と交友を続けることを、許してくれますでしょうか」

『…………』

 

 西城樹里が前のめりに口を出す。

 

「いや、許すもなにも、そんな権利、アタシたちには────」

 

 小宮果穂が誰と仲良くするのも小宮果穂の勝手。赤の他人がとやかく言えることではない。

 その旨を伝えようとした、次の瞬間。

 

 ────ふいにアルファは、と(・)び(・)っ(・)き(・)り(・)の(・)笑(・)っ(・)て(・)い(・)な(・)い(・)笑(・)顔(・)で、威圧した。

 

「まぁ────許してもらわなくても、こちらとしてはそんなこと、知ったこっちゃないんですけどね」

『──っ……!?!?』

「あ。何かしら会議がしたいなら、どうぞ。少し離れておきますので」

 

 アルファは今いる場所から離れる。

 刹那、おっかなびっくりしていた一同の中で、園田智代子が号令を張り上げた。

 

「ぜ……全員、集合────っ!! そして円陣っ!! 咲耶ちゃんも!」

「あ、ああ……」

 

 園田智代子、小宮果穂、西城樹里、杜野凛世、有栖川夏葉、白瀬咲耶の六人が、互いの背中に腕を回して円陣を作る。

 

「い……今のなに!? とても誠実な人だなーイケメンさんだなー……と思ってたら、急に裏の顔を満面の笑顔でお出しされたんだけど!? あと“昼”とか“夜”ってなに!? 意味深すぎる! もしかして果穂、ああいうミステリアスな人がタイプなの!?」

「ミステリアス……?」

「っ……びっくりしたぁ……アタシ、急にケンカを売られたのかと思った……威圧感ヤベェだろ、なんだアイツ……」

「……ちょいワルというものは……それだけで刺激的……非常に危険な、劇物であると……少女漫画にて、そのように……記されておりました……」

「それより今の顔……私たち、どこかで見なかったかしら? 喉元まで出かかっているのだけど……私の気のせいかしら……?」

「果穂。“ミステリアス”というのは、“不可解で不可思議で神秘的な人”という意味さ」

「あと色気もすごかったよね! しかも陰のある感じで、暗い雰囲気バリバリだから……果穂がダークヒーローって何度も言う意味が、ようやく分かった気がするよぉ……! ────っていうか、ちょっとまって! あの人、本当に中一なの!? 果穂と一個しか違わないってホント!? うちの弟と違いすぎない!? なんかもう全然、貫禄が大人のソレなんだけど……!!」

「あ、あのっ! それで、みなさんは……もしかして、あたしとアルファさんがいっしょにいるの……イヤだなって、思いましたか……?」

「いや……それは、なんつーかさ……。────まず、アタシのスタンスとしては、果穂の自主性を尊重したい。だから、もし果穂がアルファと付き合うことで、悪い意味で傷つくことがあった時は……まず果穂の話を聞く。そんで、それからどうするかは、ケースバイケース……って感じかな。つまり、その時の状況による。あーだから……」

「……凛世たちは、ただ……果穂さんの恋路が、平和理に実るのを……堅く信じ、見守るのみ、でございます……」

「樹里と凛世に全部言われちゃったわね。だから私も、右に同じくよ!」

「私も結局のところ、最終的にはその判断に至るしかないと思っていたからね。よって、右に同じくさ」

「わ、私も! 私も右に同じくだよー!」

「みなさん……! ──……あたしとアルファさんのこと、信じてくれて、ありがとうございますっ!!」

「ま、まぁ……それでも心配なのは変わらないっつーか……だから果穂! 何かあったらすぐに相談しろよな! 絶対だぞ! 場合によっちゃ、アタシも咲耶みたく、今回みたいにダークヒーローになって実力行使だかんな! 果穂に付く悪い虫は、アタシが全部、引っペがしてやる!」

「ふふっ……もし、そのような時が来たれば……凛世も、お供いたしましょう……いざ、鬼退治でございます……」

 

 小宮果穂は、アルファとの交流を認めてもらえたことが嬉しいのか、元気いっぱいに「はいっ!」と応えて飛び跳ねる。そして、そのことを報告しようと円陣を解き、仲間たちと公園を見渡すが────

 

 ────公園のどこにも、アルファの姿は見当たらなかった。

 

 そして一同は気づく。

 アルファとは、どこまでも人をおちゃくることが得意な御仁であると。

 

          §

 

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