【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
それはいつのころだろうか。小宮果穂にとって、小学最後の夏休みか、中学最初の夏休みか。
いつも通りの一日。代わり映えしない薄暗いリビング。たくさんのヒーロー番組が目の前で流れていく。ふかふかのソファに座って、熱い展開に拳を握り、エンディング、気づけば大口を開けていた。のどが渇く。ソファから飛び上がって、床にヒーロー着地。しゅたたっと声に出して走り、台所に向かう。
「あれ?」
水道の蛇口に取り付けられた、見覚えのない器械を発見。新しい浄水器だ。前は四角い銀色の浄水器だったのに、今は水筒の形のような白い浄水器に変わっている。新しいものに買い換えて取り付けたようだ。こぐま柄のコップを手に取り、新しい浄水器の味をたしかめてみる。
「────……ぷはぁ! おいしい!」
とても澄んだ水だ。新品であることも美味しい理由なのだろうか。
「あ、やべっ。買い忘れた」
突としてアルファがつぶやく。食卓でパソコン作業をしていた彼は、何かの忘れ物を思い出した様子。席を立ってソファの後ろを横切る。廊下の手前で立ち止まると、台所に向けて首だけ振り返ってきた。
「果穂。ちょっと買い物に行ってくる。五分くらいで戻ってくるから、お留守番よろしくな」
「はいっ!」
「……あ、それと。俺、浄水器を買い換えてさ。前の浄水器は業者に返さなきゃいけなくて、それは玄関先に手紙付きで置いてある」
先刻、小宮果穂が遊びに来た時、玄関先に半透明のビニール袋で包まれた謎の置き物があった。それの正体が判明して納得する。メモ用紙に『返品します。お世話になりました』と書いてあったので、落とし物ではないのだろうとは思っていたが、なるほど。小宮果穂はうなずく。
「で、そろそろ業者が来る時間帯なんだ。本当は一時間後に来る予定なんだけど、早めに来るかもしれない。もし呼び鈴が鳴ったら、ロビーのゲートを開けてくれ。あとは勝手に回収して帰ってくれる」
「わかりました! これはミッション……ですね!」
「はは。そうだな。ちなみに応接はしなくていいぞ。もし玄関先で呼び鈴を鳴らされても無視しろ」
「え? どうしてですか……?」
「ワンチャン危ないから」
あぶない。どういう意味だろう。ふと疑問に思っている間に、アルファはすたすたと廊下の奥に行ってしまい、サンダルを履いて外出。扉がバタンと閉まり、二つの施錠音、少し静かなリビングとなった。小宮果穂は浄水をごくごくと飲んで水分補給を完了。お手洗いを済ませて、いざソファにジャンプで着地。ヒーロー番組の続きを見るとしよう。
────ピンポーン。
「あ……」
ちょうどリモコンを手に取ったタイミングで呼び鈴が鳴った。急いでリモコンを置いて席を立ち、インターホンの来客映像を確認。どこをどう見ても水道屋さんだ。通話ボタンを押して「はーい」と返事をし、速やかにゲートの開閉ボタンを押す。
『ありがとうございます~』
会釈した水道屋さんはゲートを通って見えなくなる。通話を切って画面が暗くなる。あとはアルファの言う通り、勝手に玄関先の浄水器を持ち帰ってくれるため、何もしなくて良いのだろう。小宮果穂はスマホを取り出してチェインを開き、アルファ宛てに『浄水器を回収する人が来ました!』と送信する。
────ピンポーン。
再びの呼び鈴。小宮果穂は顔を上げてインターホンの来客映像を確認すると、そこは一階のロビー前ではなく、玄関前の景色が映っていた。水道屋さんの手元には、ビニール袋に包まれた浄水器がある。
「……? どうしたんだろう?」
こてん。と首をかしげる小宮果穂は、アルファの言葉を思い出す。
────応接はしなくていい。玄関先の呼び鈴を鳴らされても無視しろ。ワンチャン危ないから。
その意味を考える。おそらくアルファは不審者について気を付けろと言いたいのだ。しかし水道屋さんは大丈夫なように思える。来客映像には、困ったような顔をしている水道屋さんが映っているため、きっと何かあったのだ。すると玄関扉越しに、くぐもった声が響いてくる。
『すみませーん……! 回収業者ですけども、浄水器のパーツが、ひとつ足りないようで……!』
「……!」
それは困った。大変だ。小宮果穂はとたとたと廊下を渡り、一応ドアロックは掛けたまま扉を開く。
「……えっと……」
「あ、お手紙ありがとうございます~。こちらの浄水器を回収しに来たんですけれど、どうもパーツが足りないようで……もしよろしければ、台所を見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ……」
思考が回る。人の家でお留守番をしている最中なのに、知らない人を家の中に入れて良いものか。きっとダメだろう。アルファは五分で帰ると言っていた。それまで待っていてもらおうか。しかしチェインに返信がない。既読もついていない。どうしよう。水道屋さんも困った顔をしている。助けなければ!
「えっと、どういうパーツなんですか?」
「あ、丸いパーツなんですけど……わかりますか?」
「探してみます! ちょっとだけ、まっててください!」
小宮果穂はたたたっと台所に駆け戻る。一分ほど目につくところは探してみたが、パーツらしきものは見当たらない。アルファの家の浄水器は、いつも使っていたが細かい部分は知らない。こうなったら仕方がない。専門家に診てもらうしかないだろう。きっとアルファも許してくれる。
小宮果穂は玄関に駆け戻り、ドアロックを解除して扉を開ける。
「すみません、見つかりませんでした……」
「あ、そうですか……では、申し訳ないのですが、台所を拝見させてもよろしいでしょうか……?」
「あ、はい! どうぞ、こちらです!」
小宮果穂は、玄関と廊下の電気をつける。人を家に上げるのだ。暗いままでは足元が危ない。モノがないためつまずく物もないのだが、かといって節電と言っている場合ではない。失礼だ。アルファも人を家に上げる時は電気を点けていた。ただし小宮果穂は例外である。小宮果穂はアルファの倹約家ぶりに理解を示している。もちろん暗いところでテレビを見ると目が悪くなるため、愛用のサングラスは今もバッチリ決まっており、掛けていることを忘れるほど馴染んでいる。
小宮果穂はリビングと台所の電気をつけて、水道屋さんを台所に案内する。水道屋さんは台所に入ると、新しい浄水器を見つめた。
「あー……もう新しいものを付けているんですね」
「……」
「えっと……パーツは……」
「……」
水道屋さんは辺りを見回すと、ふいに手元のビニール袋を見下ろして、何かに気づいたような顔をする。
「あ、すみません。袋の中にパーツ、きちんとありました」
「え?」
水道屋さんが指さしたパーツは、大きなリングだった。小宮果穂は、わずかな疑問を抱く。それほどの大きさのパーツを見逃すことなんてあるのだろうか。もしかしたら、おっちょこちょいさんなのかもしれない。
「お手数おかけしました。申し訳ございません……」
「あ、いえ! パーツ、見つかって良かったですっ!」
「……!」
小宮果穂は満面の笑みを浮かべて喜ぶと、水道屋さんは面食らった顔をして、粛々とお辞儀する。そのまま台所を出て玄関で靴を履き、外に出て振り返り、もう一度お辞儀をした。
「ありがとうございました」
「はい! ありがとうございました!」
きちんと返事をする。自重でばたりと閉められる扉。小宮果穂は鍵を掛けるため、靴を履いて大理石の上を歩く。すると玄関先の廊下で声が反響した。先ほどの水道屋さんと、アルファの声だ。
『あ。こんにちは~』
『こんにちは~……』
アルファは間延びした声を出す。それはアルファらしからぬ元気のない声だ。疑問の声色とも言える。位置的に自分の家から水道屋さんが出てきたのだ。少し驚くのは当然と言える。そして小宮果穂は思う。約束という約束はしていないが、応接に出なくていいという言葉に従わなかった。お留守番をしていたのに、人の家に勝手に客を上げた件についても、きちんと謝罪しなければならない。
アルファによってガチャリと扉が開けられる。アルファは施錠音がしなかったため、小宮果穂が鍵を掛ける前と見抜いて扉を開けたが、ビンゴだった。アルファの目の前でもじもじとする小宮果穂。彼女の心情を見抜いたアルファは、説明を求める。
「お前、水道屋さんを家に入れたのか?」
「っ……ごめんなさい……!」
「や、別にいいんだけどよ。悪い人じゃなさそうだし。ただ、なんで家に入れたんだ?」
「えっと、ひとつだけパーツが見つからないようで……あたしが台所を探したんですけど、見つからなくて……それで、仕方なく水道屋さんに探してもらおうと思って……」
「なるほど」
アルファは腰に手を当てて鼻で笑う。全ての合点が行った。ともあれ小宮果穂が無事なら問題ない。
「お前、騙されたな」
「……へ?」
小宮果穂は呆けた顔をする。アルファは「はは!」と笑って施錠、サンダルを脱いで廊下を渡り、洗面所で手洗いうがい。透明なグラスに浄水を注いでごくごくと飲み干す。外は暑かった。五分の外出でも汗だくだ。
その間も小宮果穂は、アルファの背後でオロオロとしていた。騙されたとはどういう意味だろう。悪い人には見えなかった。アルファも悪い人じゃなさそうだと言っていた。理解したいのに理解できない。アルファはいったい何を見抜いたというのか。真相を知りたくてたまらない。
「ぷはぁ! 生き返るぅ! この浄水器は新鮮だなァ!」
「あ、あの! アルファさんっ!」
小宮果穂は急かす。アルファは笑ってうなずいた。
「そうだな。さて、どこから話したものか。一言で言えば、水道屋さんは嘘をついたんだ」
「ウソ……ですか?」
「あの人“パーツがない”って言ったんだって? 指先サイズの小さい部品なんてひとつもなかったぞ。全部手のひらサイズだ。それを見逃すはずがない」
「あ……」
小宮果穂は、先ほど抱いた疑問を思い出す。その時はおっちょこちょいな人なのかもと思っていた。しかし、なぜ嘘なんかつくのか。その理由が分からない。
「そりゃあ、他社製品を品定めするためだろうよ」
「……? 品定め……?」
「あくまで推測だけどな?」
小宮果穂はピンと来ない。
「アルファさん! 解説をお願いします!」
「俺は、今まで使っていたA社の浄水器を不要と判断して契約を解除した。そしてB社の浄水器に買い換えた。A社は気になっただろう。なぜ契約解除するのか? もしかしたら他社製品に買い換えたのかもしれない。B社だろうか、C社だろうか、DかEかFか? ライバル店なんていくらでもある。だからせめて、誰に寝取られ────コホン。どの会社に負けたのか調べたかった。つーわけで、さっきの水道屋さんの目的は────」
「……!! アルファさんが買い換えた浄水器が、どこの会社のものなのかを知るため……!?」
「そうかもしれないし、本当におっちょこちょいさんだったのかもしれない。これはそんな話だな」
小宮果穂は「ほへー」と口を半開きにする。アルファの洞察力には毎度驚かされる。たしかに、今にして思えば、水道屋さんが台所に入って、いの一番に確認したものは、新しい浄水器だった。そしてパーツを探す時間も少なすぎた。
「あと果穂お前。もしかしてパーツが見つかった時、満面の笑みで『よかったね!』とか言ったか?」
「? はい! 見つかってよかったですー! って!」
「なるほど。だから水道屋さんの顔から多少の罪悪感が漂っていたのか。果穂に嘘ついたことをちょっと気にしてたのかもな」
「! そうでしたか……」
「ま、それでも心を鬼して確かめたかったんだ。これも経営努力ってやつかな」
小宮果穂は、水道屋さんの仕事ぶりをヒーローものに置き換えてみる。そうすれば各段と分かりやすくなった。
「つまり……水道屋さんがついたウソは、自分のライバルに打ち勝つための作戦だったんですねっ!」
「お、そうだな! 嘘はつきたくないが、ライバルに負けるのはもっと嫌だ! ってところか」
「あたしもライバルには、ぜーーーーーーったいに負けたくありません! だから水道屋さんの気持ちも分かります!! これはA社がB社に勝つために必要なウソだったんですっ!」
小宮果穂はヒーローポーズを取る。どうやら似たような回を思い出しているようだ。
「そうだな。俺もそのくらいなら一瞬で見抜いて家に上げていただろう。だから、もう勝手に家にあげたことについては気にしなくていいぞ」
「!」
ふいにアルファはにこりと笑って、小宮果穂の頭をひとなでする。うれしいけど、最近は少しうれしくない時もある。なんだか子供扱いされているような気がするのだ。アルファとは対等でありたい。
「えへへ……」
しかし頭を撫でられることは素直に嬉しい。嬉しいものは嬉しいのだからどうしようもない。困ったことになった。小宮果穂はアルファに付いていき、二人で一緒にソファに座る。
「ところでアルファさん。どうして浄水器を買い換えたんですか?」
「半額級に安くて三倍長持ちして品質が良かったから」
「なるほど……」
それは買い換えるしかない。倹約家のアルファは、コンビニで買ってきたビニール袋を座卓に置く。ゴロゴロと何かが入っているようだ。こんなに物を買うとは珍しい。
「アルファさん。それなんですか? いったい何を買いに……」
「ゴム」
次の瞬間、小宮果穂の頭髪が、アホ毛のようにピンと立つ。夕焼けのせいか、やや染まるほっぺた。まったく、これだからアルファという男の子は困ったものだ。ビニール袋のゴテゴテ感を見るに、箱買いレベルで大量に買ってきた様子。彼の精力絶倫ぶりに耐えるためには、自分があと三人は欲しいところだ。否、本気を出されたら九人は欲しい。それでもいつかは、一人で受け止め切れるくらい成長してみせる。
「……もう! あたし、ヒーロー番組が見たいですっ!」
「それなら、この猛暑で汗水滴る首筋と薄濡れた肌着をどうにかしてくれ。無防備な