【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
放課後の街角。友達と別れ道で解散。
小宮果穂はいつも通り、プチパレスの家路に就く。
いつもの歩道を走って走って。
いつもの曲がり角に急ブレーキで滑り込み、キキーッと声に出す。
いつもの住宅街に入ると、プチパレスの屋根が石塀の先に見えてきた。
石塀と石塀の間には、敷地に入るための門がある。
その手前で急ブレーキを決め、バッと面を上げて門を潜ろうとした刹那。
「……!?」
眼前に、鹿が立っていた。否、よく見ると鹿ではない。
小宮果穂の身長を優に超す2メートル大のシカ型ポケモン。
枝分かれした角の先から、夏らしい緑色の葉っぱを大量に茂らせている。
そんなシカがベージュ色のお尻を見せて、茶色い尻尾を振り、すまし顔の首だけ振り返って、小宮果穂を見つめていた。
「…………っ!」
「…………────」
シカ型のポケモンは、何もしてこない小宮果穂から視線を外すと、なに食わぬ顔で敷地の奥に進み、そばだつ大樹に寄り添い、四肢を折ってゆったりと地面に座り込んだ。
「えっ……」
小宮果穂は懸念する。
それは一時的な休憩場所として選んだのか、それともこのまま居座るつもりなのか。
呆然とする中、まず何をするべきか考え始め、そうだと閃く。
まずはポケモン図鑑だ。スマホを開いてアプリを起動。
「えーっと、えーっと……」
カメラを起動。そーっと近づく。
目を伏せて寝ていたシカ型ポケモンは首だけ起こすと、歩み寄ってくる小宮果穂をジッと見つめた。
「! な、何もしないよ……!」
不用意に近づきすぎるのは危険かもしれない。
シカが警戒した地点で立ち止まった小宮果穂は、近くの木の枝を拾って足元に線を引く。
それからズーム機能を使って、シカ型ポケモンをカメラに収めた。
解析を完了したポケモン図鑑が解説を始める。
『 メブキジカ(なつのすがた) きせつポケモン 』
『 タイプ:ノーマル・くさ 高さ1.9m 重さ92.5kg 』
『 ツノにしげる枝葉が分厚く大きいほど見事とされる 』
『 葉っぱから紅茶が作られ、産地によって味が異なる 』
「メブキジカ! ……いったい、どこから来たんだろう……?」
ともあれ小宮果穂はチェインを開き、プチパレスの住人に一斉送信した。
『プチパレスにメブキジカが来ました!
みなさん、気をつけてください!!!』
§
小一時間後。夕暮れの街中。
天川駅で軽くひと仕事終えた花海咲季・月村手毬・藤田ことねの三人は、共にプチパレスまでの帰路に就いていた。仕事終わりが慌ただしかったためか、住人たる二人はチェインに気づいていない様子。
「……って、なんで手毬まで付いてくるのよ」
「い、いけない? 私だけ仲間外れにしないでよ……」
「なら手毬も住めば~?」
「あら、それは名案ね! 手毬ったらカロリー気にしてるくせに我慢できないとき多いから、この花海咲季が監督してあげてもいいって常々思ってたのよ~!」
「は、はぁ? そんなの必要ないしっ。自分ひとりでちゃんとできるからっ! 馬鹿にしないでよ!」
三人は石塀を曲がって門を潜る。
玄関の引き戸へ向かう途中、大樹周辺をうろついていたメブキジカとバッタリ遭遇した。
『え゛────────』
三人は硬直。思わず目を見張る。
頭上に掛かる大きな影と木漏れ日。メブキジカの鋭い目つきとしばし見つめ合う。瞳の奥の黒は吸い込まれそうな幽玄さだ。ついつい目を離せない。
「…………────」
対するメブキジカは外敵ではないと判断したらしく、素知らぬ顔で大樹に戻っていった。
取り残された三人は、メブキジカの茶色い尻尾に注視しながら、徐々に後ずさる。
やがて月村手毬が泣いた。花海咲季の背後に隠れる。
「ひっ────ほ、ほんとに、ば、馬鹿が出たぁ……っ!!」『タベナイデェ…! オイシクナイヨォ…!!』
「ちょ、手毬! 失礼でしょ……! あとわたしを盾にするのやめなさい!?」
「馬は出てねぇよ出たのは鹿だよ! ──いや正確にはメブキジカだよっ?!」
てんやわんやとする三人。
そこへ更なる帰宅者が現れた。
§
一方その頃。学校が終わり、電車に乗って、待ち合わせ場所に到着。
お互いの就業時間と電車の時刻を組み合わせると、偶然にもちょうど同じタイミングで到着する。
そのまま三人で帰路に就く。満開の笑顔でおしゃべりして、駄弁って駄弁って歩いて歩いて。
バスに乗車。しばし揺られて。プチパレス最寄りのバス停にて下車。
プチパレスの屋根を確認しながら、石塀に沿って門を潜る。
「わっぷ!?」
突然、風野灯織の顔面が何かにぶつかった。
柔らかい毛布のような感触と肉厚の弾力。バランスを崩して尻餅を搗く。
「ほわっ……灯織ちゃん!」
「だ、大丈夫!? ひお────」
突然の事態に仰天していた櫻木真乃と八宮めぐるは、彼女が何とぶつかったのか即座に理解する。
曲がり角で門を潜る瞬間、ぬるりと横から現れた大きな体。
────ツノに木の葉を茂らせた、シカ型のポケモンである。
「…………」
メブキジカは、ただ鋭い目つきで見下ろすのみ。
鋭いと言っても表情に色はなく、ただ堂々としているのみ。
だからこそ、そこにどんな感情が隠されているのか人間側には分からず、ただビビるのみ。
『…………────』
「──……っ!」
呼吸を忘我した三人のうち、八宮めぐるが動いた。
彼女はすぐさま風野灯織の手を取って腰あたりの服を掴み強引に助け起こして、ズザザザっと砂地をすり足でカニ歩き。疾く大型ポケモンから距離を取る。
それから一歩出遅れた櫻木真乃も、そっと後退を開始。
二手に分かれてしまったが、とにかく大型ポケモンから距離を取る。
「…………、……、……────」
最初は三人の動向を視線で追っていたメブキジカは、しかし興味を失ったのか視線を合わせなくなり、大樹のもとに向かっていく。
そこでイルミネは、ようやく呼吸を思い出した。
「……ほわっ……」
「──び、びっくりしたぁぁ……」
「ほ……ほんとにね! あ、あたし、灯織が蹴られちゃうかと思って、絶体絶命かと思ったよぉ……!!」
「ほわっ……!」
「ひっ……蹴られ……こ、怖いこと言わないでよ、めぐる……っ!」
「あっ! ご、ごめんねっ!? でもでも、その可能性はあったでしょ~!?」
てんやわんやとする三人は、おそるおそるメブキジカのほうに視線をやる。
そこには大樹が立つ。──だけのはずが、今では物珍しいものが増えていた。
『……???』
大樹周辺の地面には、木の棒で土を抉って引いたような線が描かれており、まるでメブキジカの縄張りを示しているかのようだ。
縄張りの手前には一枚の看板が立て掛けられており、それには『メブキジカのおうち』と記されている。まるで小学生が描いたような文字だ。
────おーい……っ!
『……っ?』
不意にイルミネは、遠くから小さく呼びかけてくるような声を聞き取った。
耳を澄ませて辺りを見渡すと、プチパレスの邸宅と石塀の間にある
「早くこっち来て! ここは安全よ!」
「私たちメブキジカに食べられるんだ……」
「いやメブキジカは草食だから! それより管理人を呼ばないとさ……」
「ほわ……っ。リイリスのみんな……大丈夫だった……?」
「ま、真乃……山で鹿と会った時は、どうすれば……──はっ! ……ま、まさか、クマとか、いないよね……?」
「クマ! ……リングマとか……?」
八宮めぐるの一言で、風野灯織と月村手毬の顔が青ざめる。
そこで櫻木真乃が言った。
「えっと……街に出た場合は、また話が別だから……」
「櫻木さんは山に詳しいの?」
「ほわっ……咲季ちゃん……と、登山が、趣味だから……」
「あらそうなの! 素敵な趣味ね!」
その時、キーンと言う声が聞こえてきた。
ジェット機のような速さの
『────果穂ちゃん……!?』
建物の隙間に隠れていた六人は慌てて飛び出し、小宮果穂に待ったを掛けようとする。
その間に笑顔の小宮果穂は、メブキジカの手前に小皿を置いた。そのまま後ろ歩きで下がっていく。
『────…………』
見つめ合う小宮果穂とメブキジカ。
滝のようなぼのぼの汗を流す六人。
そこへ更なる人物が現れた。
波乱の幕開けである。
「超全速力でただいまーっ!! ふぅ────メブキジカが出たってホントかー? 果穂~」
§
メブキジカは大樹を見上げる。
立派な木の幹。壮大な枝葉。憩いの木漏れ日。肌をこすりつけてニオイも付けた。マーキングは万全。ここを縄張りとする。
目の前に人間の大人……否、赤毛の子供が現れた。だが賢い。特に何かする気はなかったが……子供は不用意に近づくことはせず、こちらが危険な存在の可能性を想定した上で、木の枝で境界線を引いてきた。その境界線の位置は検討の余地があるものの、まぁまぁそれなりに納得できる範囲である。
人間の領域を侵犯したのだ。ある程度は折り合いを付けなければ蹂躙されて追放される。全ての人間と争うのは愚かなことだ。今は子供が引いた狭い境界線とは言え、それだけの縄張りが手に入れば良しとする。
子供は大きな建物に入ると、何やら木材を持ってきて、境界線の上に看板を立てた。『メブキジカのおうち!』などと言っていた。人語は介さないため理解できなかったが、おそらく縄張りの象徴を向こうから用意してくれたのだろうと推察する。
やがて子供は人の多い場所へ駆け去った。その後、六人の人間が訪れては慌てふためき、メブキジカでは侵入できない狭い道に隠れ潜んだ。襲撃の気配はないため折衝する。こちらは決して人間を害さない。故にあちらも
ふと子供が帰ってきた。こちらと目を合わせてから境界線を跨ぎ、様子見する速度で近づいてきた。目を細めたところで立ち止まり、食べ物を置いて疾く立ち去った。ニオイを嗅ぐ。安全に食べられるものだ。友好の証として受け取りたいが、それにはまだ早い。
────私はまだ、この領域で最も強いオスとの儀礼的競争を行っていない。
────すなわち、順位付け。あるいは、縄張り争い。
「超全速力でただいまーっ! ふぅ────メブキジカが出たってホントかー? 果穂~」
人間の男が現れる。彼だろうか。
子供は無垢な瞳で振り返る。そこには信頼と尊敬の色が込められていた。であれば彼がやはり────
「
「おー。……あー……なるほど?」
男は苦笑しつつ柔軟体操を始める。腕まくりをしたが、すぐに袖を戻した。素肌を晒すのは防御力の低下につながる。
どうやら彼はメブキジカの瞳を見ただけで、これから何が起きるのか把握したらしい。
「青のプロデューサー! 住人として手伝えることはないかしら? なんでも協力するわよ!」
「早く追い払った方がいいんじゃ……」『ナンカ ズット コッチ ミテルヨー! コワイヨー!』
「とりま業者に電話します~?」
「ほわっ……わたしも、お手伝いできることがあるなら、がんばります……っ!」
「ことねさんの言う通り、業者に連絡して対処してもらったほうが……あ、でも、もしかしたら誰かのポケモンかもしれない……」
「それなら早く帰さなきゃ! どうしよう管理人さん!」
六人の少女は物陰からわらわらと出てきた。皆、頼りにする視線を向けている。
それが意味することは了解した。
────つまり、この領域のボスは……。
「あの、すみません。まだチェイン見てないんすか? 速攻で送信してから走ってきたんすけど……ともあれ果穂、俺のメッセ読み上げながら観戦しててくれ。──全員、危険なので下がっているように。あ、警察は呼ばなくていいです。業者も不要ですよ」
『っ……?』
「これはいわゆる、自然の掟ってやつですから」
男は女の集団から離れてひらけた場所に移動する。庭の中央だ。
メブキジカも大樹の根元からすっくと立ち上がり、自らの角や体の大きさを誇示しながら歩み始める。
困惑する女どもはさておき、赤毛の少女はスマホを開いて内容を述べる。
「えっと────」
§
『みなさん落ち着いてください。夏のメブキジカの対策と解説です。
庭の端っこの大樹に居座っているとのことですが……対策として、声を荒げず、静かに距離を取り、決して驚かせないように。プチパレスを出入りする際は、ゆっくりとした動作でお願いします。窓や戸を閉めて屋内から観察してください。ただし真上を取ると警戒して“わざ”を繰り出すかもしれないのでご注意を。また、食べ物を与えたり、追い払おうとしてはいけません。
死にます。人間が』
「えっ────あたし、ご飯あげちゃいましたーっ!!」
『次に解説です。シカ類は一般的に薄明薄暮性(クレプスキュラ)であり、つまり朝夕に活発化します。大樹の下は日陰のため涼しく安全な休息場所となり、落ち葉や草が生えやすく植物資源が豊富のため、食事と休息が同時に行えます。合理的ですね。更に石塀との兼ね合いで捕食者からの良い隠れ場所にもなるでしょう。とことん合理的ですね。
また、基本シカ類は群れで行動しますが、繁殖期や縄張り主張の際は、単独で目立つ場所に居座ることがあります。もし強い匂いや甘い香りがする場合は、確定でマーキングしています。つまり居座るとは文字通り、そこに住もうとしている可能性があります。伴侶が見つかるまでの間かは分かりませんが』
男はいつでも掛かってこいと言いたげに仁王立つ。
メブキジカはツノを屈めると、牛のように前足を蹴って土を抉り始める。いつでも突進できる気配だ。
『この辺りは都市と丘陵が多い地域なので、野生動物が集まりやすい。そして訓化……つまり人間の活動を見慣れており、危険が少ないと判断したので侵入してきました。とどのつまり、迷子とかではない限り、メブキジカにとっては森の中に居る時とそう変わらない原理的な行動を取ります。
すなわち、オスなら縄張り争い。メスならオス探し。
よって、そのメブキジカがオスの場合。あなたがプチパレスのリーダー格と判断されてしまったら、決闘を申し込まれる恐れがあります。ご注意を!』
不意に男はつぶやく。
「帰んなきゃ良かった」
メブキジカは駆け出した。枝葉の緑角に、草タイプエネルギーが充填されて鮮やかに瑞々しく光り輝く。
一同は絶句。その中で金髪と赤髪の少女たちが叫んだ。
「ぷ、プロデューサぁ!! 来ますっ! メブキジカのウッドホーンだァ────ッッ!!!」
「躱しなさい!! 青のプロデューサー────っ!!」
「ア────アルファさーんっ!!?」
激突の直前。
男は半身ひねりつつ斜め上に跳んだ。回避と迎撃を兼ねた廻し蹴りが、メブキジカの側頭部に直撃する。更に半回転した男の靴裏が、メブキジカの前足の肩に直撃した。
対するメブキジカは二度蹴りを喰らう中でウッドホーンを突き上げた。一度目の蹴りで命中率が下がり、二度目の蹴りで土を踏み外して転ばされる。
それでも男は無事でいられまい。ウッドホーンの衝撃波を至近距離で浴びた男はきりきり舞いのように吹き飛ばされて石塀に背中を強打した。唾液を吐いて昏倒寸前。もはや動けない。
メブキジカも肩の痛みで踏み込みが甘くなり横転。地を滑って石塀にウッドホーンが激突し、爆発。爆風が周囲を薙ぎ、黒い爆煙が広がる。
絶句する一同。
爆煙が徐々に晴れゆく中、瞳孔を開ききっていた花海咲季が我に返り、藤田ことねと叫び合う。
「ことね! ポケモンは!?」
「っ!! へ、部屋に置いてきたままだ!」
「じゃあ早く取りに────!」
「あ、あたしも……!!」
一同はプチパレス内に駆け込み、自室からモンスターボールを取ってくる。
二階に住む花海咲季と八宮めぐるは窓を開けて跳び出し、ポケモンを繰り出して着地を任せた。
玄関から部屋が近い小宮果穂も同時に到着。
爆煙の中、
趨勢はオスのほうに傾いている。
頭から血を流す男は交渉を始めた。
「なぁ。ここらで分けにしないか? 人間は法的に土地の権利ってもんがあるから、テメェがどんだけ暴れようが、ここは俺の居場所で確定だ。が、ンなもん低知性の動物様には
男は指差す。
「ここは男同士の
遅れて櫻木真乃と風野灯織、月村手毬と藤田ことねが到着。
一斉にポケモンを繰り出そうとするが、八宮めぐるがそれを制した。
「まって────たぶん、次の一撃で……終わる……」
『……えっ────?』
困惑する一同の中、
(青のプロデューサーはポケモンを出せばいいのに出さない。そんな非合理はありえない。なら考えられることは、ポケモンを
メブキジカは、男の問いかけの意味を察してか知らずか。
────無論。
────最強は我独り。
そう言いたげに首を下げ、角を尖らせ、必殺の角度を決め、土を蹴り始めた。
「フゥゥ……、────じゃ、殺ろうか」
ポケモンは怖い生き物だ。
人間の道理は通用しない。
故に古代の人間は大層苦労したろう。
その時、決まってやる必勝法といえば。
(────音が近い。来るッ!!
オスは駆け出す。枝葉のウッドホーンが光り輝いて迫る。
男は動けない。背中をやられた人間は微動だにできない。
男の背後には、崩れ落ちた石塀がある。背中を強打した際に大きく砕け散っていた。
そこ目がけて────アスファルトを切りつけるタイヤのスキール音が轟いた。
────クラクションが鳴り響く。
メブキジカは視界が激しく揺れ動く。一秒後に男の胴体を突き上げてトドメを刺していたはずなのに。
石塀爆砕。現れるポルシェの顔面。ひび割れた窓ガラスと折れたウインカーの向こうに美女の慧眼。
その後、既に宙を舞っていたのは、メブキジカのほうだった。
すかさずメブキジカは空中で身をひねり、不発に終わったウッドホーンの草タイプエネルギーを放出するため力の行き先を枝葉に転換。咆哮を上げながら地上に向かってリーフストームを繰り出す。
庭の中央をスリップして停止したデコボコの車体。
その扉を蹴破って飛び出し前転した橙髪の美女は、細くも鍛えられた腕の先から紅白の球体を華麗に放り投げた。
「ムックル! ────“命懸け”────!!」
飛び出したる小鳥は神風の如く、暴威の葉嵐に特攻した。
地上に激突したリーフストームは金属の車体を捻るように圧砕していく。
そのような向かい風に負けず、たくましい翼を羽ばたかせて、落下するメブキジカの胴体に渾身の頭突きをぶちかました。
メブキジカは白目を剥く。ムックルも目を回した。二者は落下していく。すかさず橙髪の美女はモンスターボールを掲げてムックルを収納。メブキジカだけ地面に激突し、たわむ胴体が大地に沈み込んだ。
が、なおもメブキジカは四肢を震わせながら立ち上がろうとする。
『っ……!!?』
一同はおののく。メブキジカの闘争心が侮れない。彼は鋭い眼差しで、新たなる強敵・有栖川夏葉を睨めつけていた。
が、その一方で。とても気楽な顔で安堵の呼吸を吐いた男がいた。
「ハァァ~……有栖川さん。助かりました。本当にありがとうございます……」
「……! え、ええ……間に合って良かったわ……間一髪だったわね……!」
「ちなみに石塀をブチ抜いた理由をうかがっても?」
「そ、それはっだって!! プチパレスから爆音と爆煙が上がったから心配になって! それに石塀が見えたと思ったら少し崩れていて、今にもメブキジカがあなたを襲いそうなんだもの! そんなの赤信号の手前から見えちゃったら────信号が青になった瞬間、アクセル全開にするしかないでしょう!?」
「ははは! いえいえ責めてはいませんよ。
メブキジカは訝しむ。
リーダー格の男は、明らかに美女に尊敬と信頼の視線を送っていた。
────ならば、彼女がこの縄張りのリーダー格なのか?
「それは違うぜメブキジカ」
「……!」
「たしかに俺はこの中で武力最強だ。が、年長者は敬うもんだろう? つまりリーダーが複数いるんだ。面白い文化だろう? でもそっちだって森の賢者とかは敬うはずだ。森に棲む伝説級のポケモンとかさ? それならここでもそうしようぜ! このプチパレスは例えるなら、ひとつの森なんだ。それともテメェは大樹一本のヌシどころか────傲慢に、森の支配者にでもなりたいのか?」
「…………、…………」
不意に小宮果穂が駆け出す。
男と美女の傍らに辿り着き、臨戦態勢でメブキジカを見据える。手元にはポケモンを収めているボール。だが不思議なことに繰り出す気配がない。
────それは無謀な蛮勇か。それとも。
────あくまで最終手段にしている?
────どこまでも対話を望んでいるのか。
メブキジカは、赤毛の少女の瞳を見つめ返す。
彼女の双眸からは強い勇気を感じる。
それと同様に。
美女の双眸からは堅い知恵を感じる。
男の相貌からは底知れぬ力を感じる。
「…………────」
三者三様のリーダー格。
そのどれもが手を取り合っている。
────なるほど。
────人間が手強い理由。
────理解した。得心がいく。
やがてメブキジカは首と背筋を伸ばしきって、大きな体を見せつけた。
§
大きな背中を誇示する姿勢に対し、アルファ以外の一同は臨戦態勢を取った。
が、不意にメブキジカは何食わぬ顔で大樹の下に戻る。
今の戦闘で負った傷を癒すためか光合成を始めた。
戦う意志は、もうなさそうだ。
「ハァ~ッ!! 終わった終わった~! 共生締結完了ぉっ! 果穂! 一応ポケモン協会に報告! 草タイプのエリートトレーナーが共生の仕方の講義に来るからその説明会を住人全員のスケジュールに合わせて予約! よろしくな!」
「────っ!? あ……はいっ! 代理人として、きっちりやりますっ……!!」
「んじゃ解散! で、だれか救急車呼んでください! 俺もう死にそうですぅ……!! 立ってるのもやっとなワケ!」
そう言いながら元気に叫ぶアルファは地に寝そべる。
かなり背中を痛めたようで、以降無言で眠りに就いた。
§
後日。
休日のプチパレス。朝方。
「いや~。最初はどうなることかと思ったけどさぁ────」
藤田ことねは二階の窓から、柵に囲まれた大樹の根元を見下ろす。
そこではいろはちゃんとマメ丸が、メブキジカの枝葉の緑角に乗っていた。
その近くでは、月村手毬が心配そうにオロオロしながら見守っている。
「おー! たかいたかーい!」
「ワンワンッ!」
「ちょ、あまり動かないで……メブキジカも焦ってるから……マメ丸もそんな興奮しないで……落ちちゃうから……」
メブキジカは、いろはちゃんが人間の幼子であり、マメ丸がポケモンよりかよわい生き物であることを理解しているようで、間違っても落とさないよう細心の注意を払ってあやし、遊んでやっている。
「────なんか仲良くなれて何よりだわ~。だろ? 咲季~」
「そうね……でも草タイプのエリートトレーナーさんによれば、秋のメブキジカは気性が荒くなるから接近自体が禁物よ! いろはちゃんはまだ三歳だから言っても聞かないでしょうし、秋の間、大樹の周りに作った柵を乗り越えないよう注意しとかないと!」
「だな~。でもさー。ぶっちゃけ捕まえた方が安全なんだよな~。でもそうしたら、たしかに飼育費とか掛かるしぃ? だから共生できればそれが一番ってーのは、そりゃそうなんだけど……。──だからって、うちの元
「本当よ! てっきりモンボが無いのかと思ってたら、ちゃんとポケットの中に入れてたって聞いた時は愕然としたわ!」
それは今でもプチパレスの語り草。
管理人たるアルファ曰く。
────あれは男同士の決闘だった。
────タイマンでこそ意味がある。
────最終的に周りの力には頼ったけど、最初だけはせめてもの礼儀としてタイマンに応じてやらなければ、メブキジカが集団の力を認めることは決してなかった。
────それはそれとして私も13歳の男の子なので。
────男はプライドを優先する生き物なのです。つまりタイマンで闘ってみたかったのです。どこまでやれるのか試したかったのです。
────まぁご覧の通り、たったの一撃でこてんぱんにやられましたけどネ!
────やっぱりポケモンは
とのことであり。
「だからってフツーやるかぁ!? もう……色々とさぁ?! 全治一ヶ月の大怪我を負うしさぁ……まぁ一週間で完治したけど……」
「もしかしたら青のプロデューサーは、人間の姿をしたポケモンなのかしら……」
「それがありえるのが恐ろしいところ……」
ふたりは真面目にドン引きしながら冗談を言い合う。
一方の小宮果穂とイルミネは、庭の掃き掃除をしていた。
「しゅん……」
「ほわっ……どうしたの? 果穂ちゃん……?」
「ああ……たぶん、あのことを思い出したのかな……」
「え? 灯織、何か知ってるのー?」
小宮果穂はメブキジカの件で、あとあと気づいたことがある。
アルファのメッセによれば、そして草タイプのエリートトレーナーさんによれば。
たしかにメブキジカは縄張りを得るため、リーダー格と判断した者に決闘を申し込む事があるという。ただしこれはポケモン全般に言えることだ。
そこで小宮果穂は思った。
────あれ?
────じゃあ、あたしって……。
────
その後、メブキジカと仲良くなり触れ合えるようになってくると、その疑問は確信に変わった。
というのもメブキジカは────
いろはちゃんに対しては赤子と理解してあやす。
有栖川夏葉をはじめとする大人組に対してはつっけんどんな態度だが、少しは撫でることを許す。
小宮果穂に対しては子供と理解しているのか大人しくしており、彼女からのポケモンフーズならよく食べる。
そして女子高生組に対しては、小宮果穂と有栖川夏葉における中間の態度を取り、多少つっけんどんな態度でポケモンフーズは与えられてもあまり口にしない。だが撫でることは多少許す。
つまり小宮果穂は、リーダー格とは思われておらず、子供扱いされているのだ。
子供扱い自体は、実際に子供なので大いに結構なのだが。それはそれとして────
「あたし、プチパレスの代理人なのにぃ……」
「ほわっ……! そ、そっか……そういう……」
「いつか、メブキジカに理解してもらえるといいね」
「なるほど! でも毎日代理人を頑張ってるんだから、メブキジカもちゃんとそれを見ててくれてるよ!」
八宮めぐるの言う通り、小宮果穂は気づいていない。
メブキジカは相手の年齢を察して態度を変えるが、リーダー格の判定はまた別にあることを。
「…………」
小宮果穂の横顔をジッと見つめるメブキジカは、いろはちゃんとマメ丸を地面に下ろして、そっと立ち上がる。
「わ、ど、どうしたの……? ──あ、そっか。また呼ぶんだね……?」
月村手毬は、いろはちゃんとマメ丸を連れて柵を出る。
いざメブキジカは、かぶりを振って角の枝葉からガサガサと音を鳴らした。そこから“甘い香り”が広がる。芳醇な匂いであるが、後を引く青臭い匂いも混ざっていた。
『────────っ!』
良い香りだ。
プチパレス全体に、やがては住宅街一帯に、人々がリラックスできて、ポケモンたちが好む、甘くも青臭い香りが漂っていく。
夏の香りである。人によっては青春を想起するだろう。
たくさんの小鳥ポケモンが集まり、都会に住まう小動物ポケモンが集まってくる。
草タイプのポケモンが集まり癒されて、様々なポケモンが集まって嗅ぎにくる。
しかし、その中に同族の気配はない────今日までは。
アスファルトを蹴り弾く軽妙な音。
夏のメブキジカ特有の青臭い香りを突き止めて駆けつけてきた。
ぴょこんと門を潜ってきた二匹のポケモンは、鮮やかな緑色の体毛を持つシカ型ポケモン。
「あっ────」
小宮果穂はポケモン図鑑をかざす。
「────シキジカ! の、
月村手毬は柵を開けて、二匹のシキジカを迎え入れる。
メブキジカとシキジカたちは鼻先を合わせて挨拶しているようだった。
「……もしかして、これから恋愛して、結婚! するんでしょうか……!?」
小宮果穂の純朴な問いかけ。
イルミネとリイリスはどう答えたものかと赤らむ。
メブキジカの傍らに、シキジカたちが寄り添う。
基本的にシカ類は一夫多妻制である。メブキジカやシキジカも例外ではないのかもしれない。
彼らは仲睦まじく鳴き声を上げて、樹下の木漏れ日を共にする。
仲間が増えて嬉しいのか、いつも凛々しかったメブキジカの顔が若干和らいでいる。
そのことに気がついた小宮果穂たちは、自然と穏やかな笑みが洩れていた。
§