【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
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芹沢あさひは俯かない。
天を仰ぐが、空は觀ていない。
青は視界に入らず、ただ『無』を見つめていた。
「……」
車道を行き交う鉄塊。
歩道を往来する雑踏。
街の一角にそびえる一棟のビル。
その上層は変哲もない壁の並び。
「…………」
角度が悪い。ビルの真下からでは、ビルの上層壁を視認しづらい。
一歩、下がる。雑踏の音が遠ざかる。
また一歩、後ずさる。後ろ耳から耳へと過ぎ去る鉄塊の音が背後に近づく。
最期に、一歩、見えた、車道に飛び出す────
「危ない!」
鼓膜をつんざくクラクションが鳴り響く。
背後に爆風のような衝撃波を感じた直後、高速の鉄塊が目に見えない気体を帯びて背中を横切った。
芹沢あさひは硬直する。あと少しで車に轢かれていた。
轢かれたら、どうなるのだろう。
体が撥ねて、跳んで、地にびしゃっと落ちて、地を転がる。
それで終わり。なんとも儚い命だ。
「あぶないじゃないか! だいじょうぶか……?」
先ほど呼び止めてくれた鬼気迫る声の人は、青い警備員の服装をしていた。
「このビルの警備員の人っすか?」
「────え? ……あ、ああ……そうだけど……」
「なら、あれ見てほしいんすけど。上……
「……、────────」
芹沢あさひは応答を待つ。
冷や汗を垂らす警備員は一回視線を逸らして落とすと、しかめっ面を作って指さした。
「……勘弁してほしい」
「?」
「この前もそうやって轢かれた人がいた。迷惑なんだ」
「……」
「スマホを出しなさい。君の家族に連絡して、二度とここに近づかないよう注意してもらう」
「! ……────」
「あ、こら!」
芹沢あさひは駆け出した。
すると背後から、鬼気迫る声が飛び込んでくる。
「窓を開けるんだ……っ!」
§
芹沢あさひは孤独じゃない。
何かを────連れてきた。
「…………」
283事務所前の歩道。一階はペットショップ。お姉さんが働いている。外壁の一部に路地裏のような奥行きがあり、一瞬くらいそこを通れば、屋内の二階三階へと通じる内部階段が続く。そこが事務所。二階はリビングや会議室、三階は社長室や倉庫などがある。
二階に上がる。靴を脱いでスリッパを履き、廊下を渡ってリビングに入る。
腕を組んで考え中。あのセリフの意味を考えることに集中して、それ以外のセリフは脳に入らない。
「おっ。あさひ、おはよう」
「…………」
「……あさひ? 何か悩み事か……?」
「────窓を開ける……」
「え?」
「どういうことなんすかね? プロデューサーさん」
「……えっと……」
プロデューサーは困惑する。
ふとソファから聞き馴染みのある溜め息。振り返ると────
「冬優子ちゃん!」
嬉々も一転。
「冬優子ちゃ────、……………………」
パソコン画面で、エラーのポップアップが大量に申告されるように。
おびただしい疑問が、芹沢あさひの脳内を喰らい尽くす。
L字型ソファに黛冬優子が姿勢よく座ってスマホをいじっている。
日常風景。それは問題ない。問題はその奥。
ソファと棚の空間。七草はづきがよく寝ている床。そこも問題ない。
小宮果穂が黄色いランドセルを置く棚。そこも問題はない。
問題は、黄色いテープで『283』と記されていた窓。
覚えている。ずっと確かに、そこにあったのに。
本来窓があるべき箇所が、
屋内は天井照明で暗くない。だが窓から射し込む昼の日光が存在しない。
黛冬優子は普段通り過ごしている。でも窓を背後にしてるから気づいていないのかも。
ならプロデューサーはどうか。彼は常に窓と向き合って仕事している。違和感には気づくはず。
「…………冬優子ちゃん。プロデューサーさん。なんで窓を壁に変えたんすか?」
「────はぁ?」
「窓……? すまん、あさひ。何を言ってるんだ?」
「いつ工事したんすか? ……そこの窓がないんすよ。そこ、壁が────。……何が見えるっすか?」
「何って……今日も綺麗な青空じゃない」
「ああ、いい天気だよな!」
「……………………」
妙な圧迫感を覚える。
黛冬優子の背後に壁がある。
棚がない。黄色いランドセルがない。ソファの後ろを通れる空間がない。
振り返る。部屋が狭くなっていた。プロデューサーの居た場所に白い壁がある。
プロデューサーの姿が見えない。彼の体半分は白壁の中に埋まっていた。そして今、全身が飲み込まれた。
「────えっ」
ふと黛冬優子が言う。
「あ、そうだ。アンタに話があるの忘れてた。ほら、リスケの件。愛依とも話したんだけど────」
すると白壁の中からくぐもった声が返ってくる。
「アア、そレのこトカ。あさヒも聞イテくレ」
プロデューサーの声がくぐもって聴こえてくる。
芹沢あさひは咄嗟に振り返ると、黛冬優子の体の後ろ半分が黒い壁にめり込んでいた。
「! っ!?」
すかさず芹沢あさひは飛び出した。
座卓を飛び越えて黛冬優子の腕を引っ張り上げようとする。
「冬優子ちゃん!」
「っ!? ちょ、なに?! 急に危ないでしょ……!」
「早く! こっちきてっ!」
黛冬優子の顔面が黒い壁に吸い込まれていく。
引っ張っている黛冬優子の腕だけが、生きたまま抵抗を続けていた。
突として芹沢あさひの頭上に打撃。
「っ……!?」
白い天井が落ちてきた。壁のポスターを上から喰らっていく降下天井。
壁の中からくぐもった声が反響する。
背後の白壁からは男らしき声、前方の黒壁からは女らしき声。
(────ふたりは壁の中にいても大丈夫? わたしは壁に取り込まれない。このままじゃ閉じ込められる────)
本能が視線をいざなう。
廊下側の扉。やけに空間がひらけている。天井が落ちて扉の開閉を阻害することはない。白い壁の侵食が間に合っていない。ならば、まだ逃げられる。
すると黛冬優子の手首が『いい加減、放しなさいっ!』と言いたげに強く振るわれた。
「冬優子ちゃん!」
手首が黒壁の中に消える。手は壁なんてないかのように自由に動いていた。
不意に高速の鉄塊が迫る。芹沢あさひの右半身に激突。
「ッ────!?」
白壁が殴りかかってきた。
悲鳴にもならない苦悶の声を上げて、撥ねられ、跳んで、扉にバタンとぶつかって、床に落ちる。
蝶番が軋む音。左肘に把手が食い込んで激痛。それよりも背中が痛い。
(っ……痛い、苦しい……ッ!)
それは生きている証拠だ。今にも死にそうだ証拠だ。
激痛に膝が震え、思考は明滅、よろめく体。
前方三メートルに白壁。
自動車のようなエンジン音が、壁の中から鳴り響く。
再び突撃してくる気配を、芹沢あさひは直感した。
(来る……!)
左腕は死んでいる。振り返りざまに右手で把手をひね────ることができなかった。
「っ……!?」
扉は開かない。把手は微動だにしない。
何をどうしても開かないと言いたげに鎮座している。
扉は開閉の役割を放棄するどころか、扉の姿をしただけの壁画のようにも感じられた。
背後からタイヤがキュルキュル回りだす。
アクセル全開。前進開始の音。
振り返る。鼻先一寸に白壁。
最期に考えたことは。
────壁と壁に挟まれた人間は、どうなるのか。
§
芹沢あさひは普通じゃない。
「いい加減、放しなさいっ!」
黛冬優子は強引に振りほどく。
耳にモスキート音。屋内に蚊が飛んでいた。
蚊は芹沢あさひの腕に降り立とうと迫る。
次の瞬間、芹沢あさひの体が吹っ飛んだ。
「────へ?」
華奢な体が扉に激突。蝶番が軋む音。
明らかに背中を強打した。口から唾液が迸る。床に落ちる八の字の震え脚。睨む先は虚空の面。
「────ち、ちが……ふゆ、そんな……」
「あさひ!?」
青ざめた黛冬優子は、自分が芹沢あさひを数メートルも吹っ飛ばしたのかと混乱する。
顔面蒼白のプロデューサーは席を蹴り立ち、動揺、やがて高速で駆けつける。
芹沢あさひはプロデューサーから逃げるように背を向いて把手をガチャガチャと鳴らす。
開かない扉。芹沢あさひは焦燥の顔で振り返る。
プロデューサーが手を伸ばす。
その指先が芹沢あさひの左肩に触れた途端。
轟音。蝶番が割れる音。
木製の扉が破砕されて、芹沢あさひが廊下側に吹き飛んだ。
「────えっ────あ……ああ……あさひっ!? ち、ちが、お、俺が、突き飛ばし……?!」
「っ────」
黛冬優子は理解する。プロデューサーは指先が触れただけだ。突き飛ばしてはいない。
それは自分も同じだと保証する。確かにちょっと強引に振り払ったけど、ありえない。
それだけで人体が数メートルも吹き飛ぶなんて、現実にありえるわけがないのだから。
「カハッ……」
『……っ!!』
芹沢あさひは床の上でのたうち回る。
左腕を抑えながら、何度も床を蹴ってプロデューサーから距離を取る。
吐血。少量の血が服を汚した。
「!! あさひ────!」
芹沢あさひは、口から数滴の血を垂らす。
衝撃で口の中を切ったのか、それとも内臓を損傷したのか。
玄関扉が開く。
杜野凛世と田中摩美々が現れた。
「お邪魔いたします……」
「……ん? あさひ、そんなところでどう────」
芹沢あさひは最後の体力気力を振り絞って、痛みをこらえながら飛び上がった。
頭突きするように外へ転がり込む。危うく杜野凛世と田中摩美々を巻き込んで転ぶところだった。
「……!」
「ちょ、あぶな────」
芹沢あさひは、何かに追われるように階段を駆け下りる。
「あ、あさひ────っ!?」
プロデューサーは慌てて追いかけたが、玄関前で立ち止まった。
芹沢あさひの容態が心配だ。すぐ救急車を手配したいが逃げられてしまった。そして、あらぬ誤解を与えてしまったかもしれないと苦心する。
「……プロデューサーさま……いったい……」
「なんかー。血の気が引いた顔してますけどー」
「────…………」
杜野凛世と田中摩美々は、床に散らばる木片に気づく。
やがて破砕された扉を目にし、ひたすら困惑を示した。
§
芹沢あさひは躊躇しない。
壁なんてない街中をひた走る。
(わからない……壁が……窓……あの警備員────)
目的地のビルが見えてきた。
上層には相変わらず窓がない。
左側にショーウインドウ。
右側に白いガードレール。
駆け抜ける左半身に突然、激しい衝撃が与えられた。
歩道からガードレールを越えて、儚い体が車道に投げ出される。
「──っ……?!」
アスファルトに膝を擦りむいて転がった。
背後から迫る連続クラクション。
ショーウインドウが黒壁に変わっており、ガードレールを破壊して迫り来る。
(服屋の窓が壁に変わった!
立ち上がる暇がないと察した芹沢あさひは車道の中央線に転がり込む。
凸型に伸びる黒壁が迫り、片側車線を塞いだ。
クラクションを鳴らしていた市内バスが、せり出した黒壁に激突する。
ガラスが割れたような破砕音が鳴り響き、車道に黒い破片が散乱した。
芹沢あさひは走り出す。
車道の中央線に沿ってバスと併走。
(壁の近くにいると攻撃される……なら壁のない場所に────)
そう思った途端、バスの窓が黒い壁に変質する。
更に緑色の車体の側面がせり出してきた。
芹沢あさひは咄嗟に頭を下げる。高速で頭上を通過した緑壁の殴打。
「っ!?」
次の瞬間には背中を持っていかれる衝撃を味わった。
せり出した緑壁は椅子の形をかたどって、芹沢あさひの尻を掬ったのだ。
さながらサイドカーのよう。
されどサイドカーは徐々にバスから離れていき、反対車線に飛び出す。
(────────)
前方から倍速で迫るパトカー。向かう速度と来る速度の合力。
腕掛けに力を入れて椅子の上に立った芹沢あさひは、咄嗟に跳躍した。
パトカーとサイドカーの激突。
ガラスが砕けたような轟音が鳴り響き、緑色のサイドカーだった何かが車道に散乱する。
芹沢あさひは赤いサイレンの上に着地。
屋根を転がって赤色灯を掴み、なんとか慣性を殺そうとする。
さもなければ車道に転がり落ちて、後続の車に弾かれて死ぬ。
「ぐっ……!」
何度もトランクを蹴って、間一髪、車道に落ちる死を回避。
落ちていれば後続のトラックに引き潰されていた。
風がそよぐ。芹沢あさひの白髪をたなびかせる。
(ビルが……遠ざかっていく……)
パトカーの屋根にうつ伏せる芹沢あさひは、左腕に激痛。
「ッ……!」
全身の体力は限界。
左半身は死んでいたのに、かなり無茶をした。
赤色灯を掴む右手も握力が尽きそうだ。そろそろ転げ落ちる。
前方に赤信号。止まったら降りよう。
そう考えた矢先、パトカーは赤信号を無視した。
「……!」
パトカーは更に速度を上げて爆走する。
車体の窓が、黒い壁に塗り変わっていく。
(────────でも……)
芹沢あさひの側面に壁は存在しない。
パトカーは芹沢あさひの床に位置している。故に、何も起きない。
(……黒く、なっただけ……何も、してこない……壁……壁なんだ……壁が攻撃してくる……だけど、どうしたら……)
芹沢あさひは助けを求める。
(冬優子ちゃん……愛依ちゃん……プロデューサーさん……)
パトカーはハンドルを切った。
急旋回。
(っ────!!)
アスファルトにタイヤ痕を刻んで百八十度旋回。
芹沢あさひは屋根から滑って外に投げ出される。
鉄柵を越え、並木の間をすり抜け、砂地を転がった。
「ぐっ……!」
青空を仰ぐ。仰向けで大の字になる。
喘鳴。理解不能の状況に考察が捗る。
ここは公園。四方に障害物は存在しない。
漆黒のパトカーの扉が開き、車体はつゆのように消え去った。
降りてきた青い警備服の人物は、コンビニ袋を提げて芹沢あさひの横に立つ。
『…………』
芹沢あさひは霞む視界で見上げる。尋ねたいことがある。
しかし言葉は吐けず、代わりに血を吐き出す。
警備員は袋を落とした。
彼は振り返って立ち去る。その背中は幽霊のように揺らめいて消え去った。
(……………………)
芹沢あさひは目を閉じる。
しばしの眠りを得るために。
§
芹沢あさひは眠らない。
夕方に目を覚まして以降、茜色に染まりゆく空を眺めて考察を続けていた。
袋の中はお弁当箱と難読漢字問題集だった。
公園の中央で弁当箱を食べながら、こんな時なのに問題集を読む。気になったのだから仕方がない。
ちなみに一度ベンチに座ろうとしたら、木の幹やベンチの側面がせり出してきたので慌てて距離を取った。そのため今は砂地にあぐらをかいて、行儀悪く食べている。
(……そろそろ家に帰らないと。でも家に帰ったら、たぶんまた壁に攻撃される……)
右手だけで割り箸を割るのは意外と大変だった。
しかし知恵を使えば、咥えながら割れた。
そのため、よーく考えれば、きっと黒い壁も攻略できる。
(スマホ……プロデューサーさんや冬優子ちゃんからの履歴がすごい……愛依ちゃんからもある。でも……三人は巻き込めない)
かといって独りで解決することは難しい。
左肩の激痛は既に飽和しており、なんだか痛みを感じなくなってきた。病院に行くべきだ。
しかし壁のない場所に医者など居ようはずもない。
連絡先をスワイプしていく。
(…………あ、いた)
すぐに電話を掛ける。
夕空を仰ぎながら、右耳にスマホを掛けて仲間を呼ぶ。
「────ハナワカ? ちょっと助けてほしい!」
§
芹沢あさひは泣かない。
「痛い……ッ!!」
「左肩が脱臼してますね。もう戻したので大丈夫ですよ。でもしばらく動かさないでください。まだ外れやすいので。包帯で固定しますね」
激痛のあまり、目尻に涙が溜まる。
飽和した痛みが消えていき、思考が鮮明になっていく。
公園の外の小ビルの屋上から先に見える、例のビルの上層部。
「…………どうやってあそこに行けばいいんだろう」
「俺が行きます。先輩はひらけた空間で待機しててください」
「……わたしの話、信じてくれるの?」
「たとえ嘘
全然面白くなさそうな顔で言われる。
心底面倒がっている時の表情だ。
「……本当に?」
「俺は例の物が嫌いという話、覚えていますか?」
「……幽霊のこと?」
「名前を出さないでください。……なぜ嫌いなのか、考えてくれたことはありますか?」
「……?」
「
「……────!」
芹沢あさひは目を見張る。
ハナワカは辟易した顔でため息をつき、包帯を巻き終わった。
「ゲームで言うなら、俺は前作主人公の立ち位置っすね。ぜひ便利屋として使ってください。ところでアドバイスがあります」
「……なに?」
「社野さんと田中さんを図書館に向かわせて『窓のない怪談』について調べてもらうといい」
「…………」
「嫌なら俺が勝手に連絡します」
ハナワカはスマホを耳に当てる。
「果穂? 今どこにいる? ……なら近いな。今から何も聞かず言われた通りのことしてくれ。いいか?」
「──っ! ダメだよ、ハナワカ……! 果穂ちゃんは巻き込めない!」
「……ああ、そうだ。あさひ先輩もいる。ヒーローの出番だ。──よし、いいか? まずは『自分の頭より高いモノを見るな』……次に『〇〇番地の古書店を回って話を聞け』……聞くべきものは『窓が無い話』と『黒い壁の話』だ。そして『仕事が終わるまで俺以外からの電話は、ひとりにつき二回だけ無視しろ』────では、調査情報をまとめて俺と先輩のメールに送信してくれ。死ぬかもしれんからすぐにな!」
ハナワカは通話を切る。
更に別のところに掛けた。
「篠澤さん? 今お手すきですか? ……では早急な代理調査を依頼します。今すぐネットで『窓が無い話』と『黒い壁の話』の怪談を調べてください。最初は都内限定。次点で日本全国。最後に世界全体。整理した情報をまとめて送ってください。果穂経由で芹沢あさひにも通達お願いします。……ええまあ一言で言うと、事件に巻き込まれています。命に関わるので全力で仕事してください」
「……!」
ハナワカは通話を切った。
また別の人に掛ける。
「────283プロデューサーさん? 芹沢あさひを預かってます。杜野凛世と田中摩美々の連絡先を教えてください。そして彼女たちに『芹沢あさひを助けたいなら殺し合いの覚悟を持ってください』と伝言してください。……残念ながらそちらの話を聞く余裕はありません。猶予もです。今言った要件をいち早く済ませてください。さもなくば俺とあさひ先輩の命はありません。賢明かつ迅速な判断と行動をよろしくお願い申し上げます」
ハナワカは早口でまくしたてると通話を切った。
「先輩。腕の調子はいかがです?」
「! …………動く」
「でもまだカクついてますね。もっと休みましょう。戦う鋭気を養ってください。これから封神するんですから」
「……ほうしん?」
ハナワカはあぐらをかく。
「日本の怪異は理不尽な存在が多い。神仏や魔縁も同様です。魔性や瘴気なんて言うまでもない。あいつらは融通が効かない上、命を持たないし、由来は多すぎる。しかも横紙破りが大好きで、こっちのルールを無視してそっちのルールを押し付けてくる。さらに何度殺しても蘇る。基本的に意思疎通不可だし、相互理解も不能。あいつらはいつだって正体不明。どれだけ突き止めても根源には辿り着けない。そんな意味わからんオンパレードでパプリカ喰わせてくる地獄冥途の痴呆どもだ」
「…………」
「しかし、ただひとつだけ撃退の方法があります」
「!」
「それは────『まつること』────古来から日本人が得意としてきた、怪異に対する唯一の必勝法ですよ。中華圏では封神と言うそうです。原義からしてニュアンスは少し異なりますが。ま、何はともあれ、かの太公望の
ハナワカのスマホが何度も振動する。
芹沢あさひのスマホも振動し始めた。
「──あ……果穂ちゃんからだ!」
「まずは探索。怪異退治の定石ですよ。じゃ、俺は最寄りの寺社に行ってきまーす」
「え、ハナワカ……!」
§
────小宮果穂からの情報。
古書店の老人店主の話。
『昔、あそこのビルの下には『閉じ家』が在った』
『お祓いの『窓札』を貼らぬ家がそう呼ばれた』
『閉じ家に長居すると人が減る』
『減らなかった人は、窓がない、黒い壁、と口々に言って狂う』
『窓札の詳細は知らない』
『人が減るとは神隠しのこと。つまり具体的なことは何も知らない。ただ『人が減る』らしい』
────篠澤広からの情報。
オカルト掲示板に『窓のない部屋』のスレが立っていた。
そこには『休館の配管図』の画像データが貼られている。
スレ主は語る。
『外にあるはずの窓が、外側からも内側からも見え無い』
『外から見える窓列と内部フロアの光の配置が一致しない』
『調べに行ったら黒い壁があった』
『塗装は白でお願いしていたのに』
『窓も作り忘れるなんてことあるか?』
『相当馬鹿な施工業者だったんだろう。たとえば外に出るための扉を作り忘れたり、階段まで床材を敷いて帰り道を塞いじまって、それを泣く泣く取り壊すとか……知り合いの施工業者からたまによく聞くし』
数年前から更新が途絶えている個人ブログに施工失敗例の非難記事があった。
『休館の配管図と現行避難地図を重ねると、特定フロアに『異常な壁の厚み』が見つかる』
『異常な壁の厚みは、休館の窓枠をひとつだけ潰している』
────プロデューサーからの情報。
杜野凛世と田中摩美々のメールアドレス(本人達から承諾済み)
────ハナワカからの情報。
最寄りの神社の神主の話。
『佐伯真理 23歳 編集アシスタント 冷静かつ好奇心旺盛 言葉より現場保存を優先する信念』
『黒い壁について神主に質問した直後、車に跳ねられて死亡』
『
『そとな うちな さかい めのくち』
『あらば ゆうめいこおもて』
『しなば むめいはんにゃ』
最寄りの寺の住職の話。
『藤堂隼人 35歳 廃墟探検サークル主催者 元刑事 怪異伝承に詳しい』
『都市構造の読み解きに詳しく、なぜか施工について住職に質問した翌日、交通事故で死亡』
『死亡時、なぜか警備員の扮装をしていた』
§
芹沢あさひは待たない。
難読漢字の問題集を読み込んでいた。今は地名の問題集に挑戦中。
やがて夕暮れの公園にハナワカが戻ってくる。
あぐらをかく芹沢あさひの前に座り込んだ。
「解決の糸口を掴みました」
「! ほんと……!? すごい、ハナワカ!」
「ただしワンミスで死ぬ状況です。覚悟はいいですか?」
「────!」
芹沢あさひは一旦考えてからうなずく。
「虫追塚とは、おそらく農業関係の地名の祭事神でしょう。害虫祓いの墓前だと推測できます。軽く検索しましたが東北をはじめとする日本全国でした。まぁそこは割とどうでもよく。ここで『与える歌』を紐解きます。歌詞の意味は恐らく『外側の名前 内側の名前 内外の境界 認識して覚える事と語り継ぐ事』『それがあれば有名で小面の美人』『それがなければ無名で般若の怨霊』────ここで窓に連想で繋げてみます。内外の境界は窓っぽいですよね? まぁ現に窓かどうかは然したる問題ではなく。結論ありきで計画を練りますね」
ハナワカは結論を語る。
「神とは知られなければ生きていけない。人の信仰あってこその神なれば。すなわち中には、忘れ去られた神は無名となり般若となる。思い出して欲しくて怪異と化す。だが神なんて禍福もたらす疫病神。居ても居なくても人間様の世界が平穏ならば、
「……………………」
「休館の配管図の空白部分は、先輩の身長なら通れます。俺には通れない。マンホールから行けば例のビルの電気室に登れる。上層に辿り着けば怪異の本体がいる。名札を貼れば鎮魂するかもしれないが、まぁ無理ですネ!」
「……なんで?」
「たかがひとりふたりに知られて満足する神と思うてか? ビルをぶっ倒して街ごと破壊したほうが知名度は得られる。つまり暴走する。恐らく先輩もその場で殺す。俺は怪異に詳しいので、名を与えた神に『我のかんなぎになれ』などとスカウトされるかもしれませんが、まぁ受ける気はない。受けたら神様合戦が始まっちまいますので。それこそ関東平野がまるごと吹っ飛ぶ。やっこさんごとネ!」
「……」
「どうします? 今後一生、ひらけた空間で暮らし続けます? 壁のない生活は自由なようで不自由すぎる」
「……────」
「なんせ夜に布団すら被れない。布団が壁となって圧殺する」
「下水道に行ったらもっとひどいよ?」
「だから走り続ける必要がある。追いつかれる前に。
「……でも、名前を与えて封神したら、もっとひどいことになるかもしれないんでしょ?」
「はい。ですので────どうします?」
太陽が沈み込んだ。
暗がりの中、公園の街灯が点いていく。
「最後にヒント────あげますね?」
§
芹沢あさひとハナワカは、公園のマンホールを開けて下水道に降りる。
スマホのライトを使って道を照らす。
(……静かだ。壁は黒くない。ハナワカの言う通りだ……壁が襲って来る気配がない。なんで?)
ビル方面に進む。
(事務所の窓が黒い壁になっていた。……窓。そういえばバスは……窓、どうだったっけ? 緑の壁に殴られたのは覚えてるけど……バスの窓も黒くなっていたのかな?)
人は意外と、異常を目に焼き付けていないものだ。
(……窓。窓に注意する……下水道や地下室に窓は無い。でもビルの廊下に出たら要注意。周りは窓だらけだ。エレベーターに窓はあるかな?)
ジグザグと続く下水道。
(階段なら窓はない、と思う。でも体力は温存しておきたい。だって窓があると、たぶん普通の壁も使って攻撃してくる……)
目的地のハシゴに到着。
(……
「ねぇハナワカ」
「その洞察で合っていると思いますよ。そのまま進んでください」
「──……ハナワカは、本当はもう全部、分かってるの?」
「はい。ですが、真実は当人が行き着かなければ意味がない。そのため全てを明かすことはできません。ともすればそれは先輩の
「…………そうなんだ」
ハシゴを登ってマンホールのフタを開けると室内に出た。
おそらくビルの一階か地下室だろう。発電機や計測器が並んでいる。
「ここから先は別行動ですね。先輩と別ルートで登ります」
「なんで?」
「……先輩が扉に吹っ飛ばされて、駆けつけないプロデューサーは居ないと思うんすよ」
「?」
「かといって先輩と同じ視点を持つのも一側面においては合理的ではない。俺は俺で窓のある空間では先輩に近づかないようにします。おそらく先輩も、俺のことを認識できなくなるかもしれない。先輩が目に入ったら常に歌でも歌ってますから、もしも『逃げる壁』が存在したら、それは
「…………────」
「準備はいいですか? 俺はいつでもいいですよ」
芹沢あさひは扉の把手に手を掛けている。
「……無事でいてね」
「こっちのセリフ~」
扉を開けた。
廊下に飛び出す。
左右に続く廊下。どちらの最奥にも窓。
右側の廊下にエレベーター。左側の廊下に階段へ続く案内板。
芹沢あさひは右に走る。ハナワカは左に走った。
耳元にモスキート音が過ぎ去る。
(────っ?)
芹沢あさひは振り返った。
そこにはハナワカがいて、左廊下が続いていたはずなのに、今は黒い壁で封鎖されている。
(道を潰された!)
右廊下の最奥からも、車道の景色が見える窓が黒い壁に塗り代わり、みるみると前進を開始。迫り来る。
芹沢あさひはエレベーターのボタンを押した。
十階からの降下。ほかのボタンも全部押す。ほとんどは十五階より上からの降下だった。
黒壁が迫る。
エレベーターが飲み込まれてしまえば一巻の終わり。冷や汗が垂れる。
────チン、と音が鳴り、ドアが開いた。
中に鏡はあっても窓はない。飛び込んで最上階のボタンを押す。
(…………)
階層表示の電子パネルを見つめる。今は十階。最上階は五十階だ。
ふと耳元にモスキート音。
(────、……?)
背後からの威圧感を覚えて振り返る。
芹沢あさひの全身に影が掛かる。
カマキリのような虫がいた。
人間サイズの怪物として。
黒い複眼が見下ろす。
(これ────)
振り上げられる鎌。
袈裟斬りにされた扉。
カマキリの足元に滑り込んだ芹沢あさひは間一髪、首を狩る斬撃を躱していた。
暴風が室内に吹き荒れる。破壊された扉の先では、黒壁や照明灯が上から下に高速で過ぎ去っていた。
(っ……!)
飛び上がるカマキリは頭部を天井に激突させつつ、鎌を振り下ろして刺突する。
床を転がって回避した芹沢あさひは無謀を悟った。
狭い室内で巨大な鎌を相手にすることは難しい。次は躱しきれない。
(なら────!)
芹沢あさひは決断した。破壊された扉から外へ跳び出す。
昇降機の箱から羽ばたいた体は自由落下を開始。
壁の出っ張りを掴んで張り付く。眼前に鋼鉄の扉の裏側。
頭上を見上げると、飛び降りた昇降機が登り続けていた。
(エレベーターの裏側ってこうなってるんだ……じゃなくて!)
壁の出っ張りに足を引っ掛ける。
姿勢を安定させ、鋼扉の隙間に爪と指を突き刺す。
なんとか扉を開こうと試すが、筋力がない。
不意に頭上から斬撃音。
背後に乱舞するロープが落下していく。
轟音。
上昇していったエレベーターが、四方の壁への激突を繰り返しながら落ちてきた。
(っ! あのカマキリ────エレベーターのロープを切った!)
渾身の力を込めて、鋼鉄の扉をこじ開けんとする。
「くっ────!!」
五秒後には鉄塊の箱に押し潰されて圧死している絶望的状況。
脳裏によぎるハナワカのヒント。
────最後にヒント、あげますね?
────
────今回の事件の原因は、言霊の習合にあると見ました。
故に芹沢あさひは博打に出た。
言霊とは何か。ハナワカに聞いたら『言葉遊び』だと返された。
(
「この怪異の名前は!
鋼鉄の昇降機が頭上に迫り来る。
背後からモスキート音。
(────)
激発。
火花を散らして四角い轟音が過ぎ去る。
地上に着弾した昇降機は爆発。
炎上。
黒い煙が立ち昇ってくる。
「────────こほっこほっ!」
死を覚悟していた芹沢あさひは、むせたことで自らの生存を確信。
しかし、なぜ助かったのか分からない。
「……あれ?」
鋼鉄の扉が、正方形に切り取られていた。
カマキリの鎌より鋭くはないが、鈍くもない。
どちらかといえば、あらかじめそういう
その枠に手をかけて、その枠に頭から全身を通し、這いずって廊下に転がり込む。
「ぷはぁ……! 死んだかと思った……」
しかし廊下にも窓はあるだろう。休憩している暇はない。
速やかに起き上がり、立ち上がり、ふらつきながら走り出し、階段を目指す。
§
芹沢あさひは怯えない。
階層を駆け上がるたび、背後からバッタの大群が増殖していく。
サイズは通常のバッタサイズ。
しかし数が揃えば、黒い壁よりおぞましい。
(ここは三十階……あと二十階!)
下層から黒い壁が迫り来る。
だが壁の中からくぐもった歌声が響いてきた。
(歌! たぶんハナワカが登ってきてる……! たぶんわたしには気づいてない? バッタの群れにも気づいてなさそう……)
バッタの群れは体に飛びついて、芹沢あさひの皮膚を噛みちぎる。
「っ……!」
芹沢あさひが攻撃されるたび、耳元でモスキート音が鳴る。
すると、ちぎっては投げ、ちぎっては投げるるように、バッタが一匹ずつ叩き潰されていく。
それは先程から続く怪現象。何かが芹沢あさひを守っている。
「……もしかして、マドナちゃん……? さっきエレベーターから守ってくれたのも、マドナちゃんなの……?」
不可視の怪現象は、ひたすらバッタを叩き潰していく。
その速度。まるで四本の腕があるかのよう。
秒間四回、同時にバッタを潰している事実から姿を夢想した。
四十階に到着。
上階に鎌が光る。
(────!)
芹沢あさひは直感の赴くままに横っ飛び。
黒緑色の細い巨体が、鋼鉄の階段を切り裂いて羽ばたき降りた。
「来たな……」
巨大カマキリの再来。黒い複眼が恨みがましく睨んでくる。
だが止まれば背後のバッタ軍団に食い尽くされる。
黒い壁も下層から迫ってきている。
芹沢あさひは止まれない。
「勝負だ────!」
狭い室内。回避は不可能。
階段は一部が切り落とされている。跳躍しなければ進めない。
だが跳べば軌道を読まれて切り伏せられる。
だからこそ、カマキリの攻撃の軌道が読める。
「守って! マドナちゃん!」
芹沢あさひは床を蹴り上げて跳躍、両足を馬車馬のように働かせて数秒の壁走り。
その胴体を両断せんとする巨鎌が、不可視の四撃と激発した。
轟音。跳ね返った鎌。芹沢あさひは鎌を蹴って跳躍する。
途中で途切れている階段を飛び越えて、一階上の階段に手を掛けた。
「っ……!」
後方真下で剣戟音。
音速の鎌に対して、高速の四打が迎え撃っている。
「ハァ、ハァ……!」
芹沢あさひは身を乗り上げて段差に転がり込む。喘鳴。
両手両腕両膝両足が悲鳴を上げている。
それでも
残り九階を駆け上がる。
(虫の怪異と窓の怪異……怪異は二つあった!)
残り四階のところで、眼前に黒い壁。
おそらく上階の窓から侵食してきたのだろう。
「っ────!」
その黒壁の中からくぐもった声が二つ聴こえる。歌ではない。
黒壁は一気に迫ってくる。
芹沢あさひは駆け戻り、四十六階の廊下に飛び込んだ。
(────)
異常な光景を目にする。
本来は鈍色の廊下が続くはずのビル内。
しかし芹沢あさひの目には、おどろおどろしい黒色の廊下に見えていた。
更に障害物が多い。廊下の中央にジグザグの配管が天井と床に接続している。
背後から迫る黒壁。芹沢あさひはアスレチックを始めた。
頭を下げての小ジャンプで配管を回避し、左右に避けてのスライディングで無数の配管を回避していく。
おびただしい数の配管を躱し続けて、とにかく駆け抜ける。
(この配管の並び……休館の配管図のデータと同じだ。あれの並びが延々と繰り返されている……)
ならば途中からは作業と化す。
並びが同じであれば体に配管の位置を覚えさせて、全く同じ軌道で走れば良い。
すると背後を振り返る余裕ができる。
相変わらず黒壁は迫っており、その奥からくぐもった声が響いている。かたや女性の声が二つ、かたや男性の歌声。ほかには、大きな斬撃音や四回同時の打撃音などが鳴り響く。
(こうなったら……逃げ回りながら、全部の部屋を見て回る!)
配管を飛び躱しながら扉を開け放っていく。
がらんどうのオフィスエリアばかり。
それらしき空間は存在しない。
やがて前方からも黒壁が迫る。
(挟まれた! いや────わたしがこの階の廊下を一周した! まずい……っ!!)
次の瞬間、黒壁の一部が異空間に圧縮されて破砕した。
破砕の直後、爆発するような轟音が鳴る。
黒い壁にくり抜かれた正方形の孔。
まるで切り抜かれたような、しかし最初から設けられた枠のような形には、見覚えがある。
エレベーターの扉を開けてくれた、正方形の穴と同じ形だ。
(────マドナちゃん!)
芹沢あさひは理解した。
故に、
それは異空間への侵入を意味する。
上層であれば、芹沢あさひの探し物は存在した。
決まりきった場所に御神体は存在しない。
神の本拠へ赴くためには、神手ずからの招きが必要だった。
「!」
一回転して起き上がった芹沢あさひは、異常な空間を網膜に焼き付ける。
一面の黒壁。天井も床も泥のように黒く沈んでいる暗さ。だが暗黒ではない。
照明のたぐいは皆無で、窓なんか一つもないのに、空間の端から端までよく見通せる大広間。何もない、がらんどうの、真っ暗な大空間だった。
ふと嗅覚に刺激。
立ち込める異臭は、なぜか田園風景を想起させた。
その時、芹沢あさひの背後にて、二つの足音が降り立つ。
「っ────これは……」
「え……どーいう……」
聞き馴染みのある声。
振り返ると、杜野凛世は古い日本刀を持っていた。
田中摩美々は名札とマジックペンを持っている。
「凛世ちゃん! 摩美々ちゃん! なんでここに!? まさかハナワカが呼んだの?!」
「! あさひさん……?」
「何言ってんのー? さんざん摩美々たちから逃げまくったのに……」
「……?」
次の瞬間、ハナワカが空間に現れて降り立つ。
「うっわ
「ハナワカ!」
「それと、なんかよくわかんないものに取り憑かれたみたいっすけど……もしかして名前、名づけちゃいましたか?」
「死ぬとこだったから!」
「なら是非もなし。良い神で何よりでしたね。悪い神様ならとっくに取り殺されてましたよ。じゃ────最終決戦です。推理パート披露します?」
§
芹沢あさひは分からない。
だからこそ解明する。
前方の空間にて、巨大カマキリがゆらりと出現。
杜野凛世と田中摩美々は、明らかな怪物を目にして恐怖し、後ずさる。
だが芹沢あさひは自ら前に進み出て、敵の正体を暴き出した。
「虫追塚……害虫祓いの神……でもバッタは農作物の害虫って言われてる。つまり今は害虫そのものの神……人を容赦なく殺す神。それが、どうしてかは分かんないけど……わたしを守ってくれた『窓の無い神様』に取り憑いた!」
「その理由は?」 ハナワカが合いの手を打つ。
「山陰地方の難読地名に『
異空間が叫びを上げる。
カマキリの背後から青い警備服の人物が現れた。
「────!」
「正解だよ。よくここまで悪霊化した
「なんでっすか!」
「虫追は人間の魂を消化して羽虫の配下に変生させている。今まで君を襲っていた羽虫の正体さ。そして僕も現在進行形で消化されつつある。まだ死んだばかりだから人間の姿を保てているが、そのうち自我を失って羽虫の仲間入りだ。現に今さっき体の主導権も奪われた。ま、君を助けるために裏切りまくったから仕方がないね」
「……!」
「でも自由に喋ることはまだできる。だから教えるよ。僕は拳銃を所持している。弾数は8発。ベレッタM85Fだ」
それはありがたい情報だ。
ハナワカは構えを取る。
「先輩はカマキリを頼みます。やり方は……もう分かるっすよね?」
「うん! ……凛世ちゃん。一回でもいいから、カマキリの攻撃を防いでほしいっす! そして摩美々ちゃんはその名札に『マドナ』って書いて、わたしに付いてきて! わたしが『窓を開ける』……! そして開けた窓に名札を貼り付ける! そうすれば────きっと、全てが終わる!!」
『っ────!?』
杜野凛世と田中摩美々は事態を掴めず動揺する。
カマキリが羽ばたいた。
それは音速の突進。誰も反応できない速度。
だというのに杜野凛世は抜刀を間に合わせた。
剣戟の音色。着物が破けて切れ端が宙を舞う。
脱兎の如く駆け出す芹沢あさひ。
田中摩美々は訳も分からず追走。
遠方では銃撃と格闘の音。
ハナワカが警備員を食い止めている。
(休館の配管図────厚みのある異常な間取り────ひとつの窓を食い込んだ特異点!)
その特異点に向かって、芹沢あさひはひた走る。
方角すら分からないため四択を強いられた。
(マドナちゃんの窓枠は、中央の窓から右隣の窓! 東西南北では東だった! だから右に駆け出したけど────)
芹沢あさひは、なんの変哲もない黒壁に到着。
窓の無い部分に手を当てて、そこにカーテンがあるものと夢想し、カーテンを開けるフリを行う。
後方から音速の翅音が飛び立つ。
「あ、あさひ……」
田中摩美々は何をしているのか問いかける。
すぐさま芹沢あさひは、窓の鍵を開けるフリ。続いて、大きく窓を開けるフリ。
「今っす、摩美々ちゃん!」
「っ! ────」
田中摩美々は『マドナ』の名札を黒壁に貼り付けた。
すると黒壁が切り開かれていき、黄金の光が射し込んでくる。
『────っッ!?』
夜だというのに、真昼より明るい光が芹沢あさひと田中摩美々を照らし出す。
すると異空間は軋みを上げて、巨大カマキリは光を避けて飛び去った。
恐るべき反応速度で黄金の光を躱した。
(光から逃げた? でも苦しんでるようには見えない──なんで? まさか間違ってた?)
そのときハナワカがキレ気味に叫んだ。
「オイぃ!? 横紙破りしやがったな……! 合ってたのに
方角の回転。
すなわち芹沢あさひは四分の一の確率で正解を引き当て、きちんと東の特異点に名札を貼り付けたのに。
虫追の怪異は、異空間の方角を知らないうちに回転させており、それを無効化したということか。
そのように芹沢あさひは考える。
「なら摩美々ちゃん! あと三つ名札を作って! 四方を揃えるっ! そうすれば何度回転させても無駄だ!」
芹沢あさひは諦めない。
何度でも死地に飛び込んで駆け出す。
「ちょ、あさひ……!」
光から外に出れば、必然カマキリは鋭い鎌を光らせて飛び込んでくる。
「マドナちゃん!」
芹沢あさひの一声で、不可視の窓枠が四本、カマキリと轟音の剣戟を交わした。
「あさひさん……!」
杜野凛世が駆け込んできて、芹沢あさひとすれ違う。
彼女からすれば理解不能で異常事態。されど役割に徹する覚悟。
「凛世……!」
「摩美々さん……ここは凛世にお任せを……チームまりあの鉄砲玉、その面目躍如でございます……」
「っ……この状況でフツー、そのノリできる~……? まぁやるしかないようだけどぉ~……」
不可視のマドナちゃんが打ち負ける。
カマキリは対象を変更。翅を広げ、音速で飛翔し、突貫した。
(────アルファさんのメールによれば、怪異はあさひさんを殺そうとしているとのこと……ならば、あなたは────)
杜野凛世は迎え撃つ。
「凛世の敵で、ございます────」
抜き放つは、ハナワカの指示でプチパレス101号室の押し入れから見つけ出した業物の名刀。
(いざ尋常に────
群青抜刀。
音速の首狩り鎌を凌駕する、技量の音速が金属音を巻き上げる。
轟然と連鎖する剣戟の向こう側では、芹沢あさひが窓を開ける
「これで二枚目! 次は三枚目────!」
「っ! あさひ、危ない……!」
「!?」
田中摩美々は観察していた。
さすがのハナワカでも、銃を持った相手と格闘して勝利することは難しい。
しかし青年は警備員と互角に渡り合っていた。
それでも危険であることには変わらない。
すると案の定、格闘の最中で放たれた流れ弾が凶弾と化して迫り来る。
それは芹沢あさひに命中しそうだった。
凶弾は音速だが、事前予測によって間に合う。
故に芹沢あさひの背中を突き飛ばし、凶弾は田中摩美々の肩口に着弾した。
「ヅっ────!!」
「摩美々ちゃん……!」
「ッ────行って!」
「っ!」
「早く……あさひ!」
田中摩美々から名札とマジックペンを押し付けられた芹沢あさひは、咄嗟に受け取って駆け出す。
「これで三枚目────!」
背後から巨大カマキリが迫る。
復活したマドナちゃんが迎撃し、轟音の剣戟ががなり散らす。
遠方では、うずくまる杜野凛世と田中摩美々。
一方の警備員は首が一周して倒れていた。
勝利したハナワカが握り拳を作って駆け込んでくる。
「先輩! 俺が三秒止めます!」
「────! 分かった……!」
芹沢あさひは光から躍り出る。残るは北の窓枠に名札を貼るだけ。
すかさずカマキリは音速飛翔。芹沢あさひの首を狙う。
「行かせないぜ!」
カマキリは、邪魔な素首を狩るため音速の鎌を振るった。
常に首を狩ることしか能がないなら、回避はたやすい。
姿勢をかがめて懐に潜り込んだハナワカは、カマキリの胴体に掌底を決める。
開いた手のひらには一発の銃弾。警備員を仕留めて奪った拳銃から取り出した火薬があった。
「怪異は触れると“熱い”って相場が決まってんだよ」
直後、カマキリが帯びる瘴気に熱せられた銃弾が起爆。
ハナワカの片手から鮮血が吹き飛ぶ。
同時、カマキリの細い胴体から亀裂が迸った。出足が鈍り、次の跳躍に数秒を要する。
その隙に芹沢あさひは到着。
目に見えないカーテンを開けて、あるはずがない鍵を開けて、存在しなかった窓を開ける。
そして『マドナ』と書いた名札を貼り付けた。
「これで自由だ────マドナちゃん……!」
窓から黄金の光が射し込んでくる。
それに当たる芹沢あさひの影は延びていき、やがて立ち上がっていった。
屹立する影は、芹沢あさひとは異なる少女の姿を象る。
遠方で巨大カマキリが羽ばたいた。
ハナワカは横転し、素首を狩る鎌の斬撃を回避。
ふと四方の窓から射し込む光が、異空間を照らしていく。
最初は公園の中央に追い込まれた芹沢あさひだったが。
今度はカマキリが異空間の中央に追い詰められていた。
叫びを上げる異空間。
轟然と震撼する黒壁が、黄金の光に当てられて脆くも崩れ去っていく。
「……これで終わりだ、虫追塚……マドナちゃんの居場所を返すんだ……! 今まで殺した人たちの魂も返せ……!!」
断末魔を上げる異空間。
黒い屋根が瓦礫となって崩れ始める。
同時に黄金の光が全員の体を覆い始めた。
それは人間には暖かく感じられる優しい光。
されど虫追塚にとっては、その身を焼く業火の光に相違ない。
巨大なカマキリは、最後に道連れにしようと翅を羽ばたかせる。
崩れ去る体を無理やり動かし、音速の鎌を奮った。
鋭利な切っ先は喉元に迫り────激突。
芹沢あさひが感じた衝撃は、泥団子を喉にぶつけられた程度の痛みだった。
もはや泥のように崩れていくなまくらの鎌は、光に灼かれて消えていく。
(っ────眩しい────! ────凛世ちゃん────摩美々ちゃん────ハナワカ────────マドナちゃん────────!)
§
芹沢あさひは俯かない。
天を仰ぐが、空は觀ていない。
青は視界に入らず、ただ『窓』を見つめていた。
「……」
車道を行き交う鉄塊。
歩道を往来する雑踏。
街の一角にそびえる一棟のビル。
その上層は変哲のない壁の並び。
「…………」
角度が悪い。ビルの真下からでは、ビルの上層壁を視認しづらい。
一歩、下がる。雑踏の音が遠ざかる。
また一歩、後ずさる。後ろ耳から耳へと過ぎ去る鉄塊の音が背後に近づく。
最期に、一歩、見えた、車道に飛び出す────
「────」
鼓膜をつんざくクラクションが鳴り響く。
背後に爆風のような衝撃波を感じた直後、高速の鉄塊が目に見えない空気を帯びて背中を横切った。
芹沢あさひは硬直する。あと少しでバスに轢かれていた。
轢かれたら、どうなるのだろう。
体が撥ねて、跳んで、地にびしゃっと落ちて、地を転がる。
それで終わり。なんとも儚い存在だろう。
「────────?」
芹沢あさひは既視感を抱く。
だがそれも、足元の影と幼虫を見つけて気が変わった。
「……これ飼おう!」
§
283事務所。
芹沢あさひは今日も元気に遊びに来た。
「おはようっす! プロデューサーさん!」
「おう! おはよう、あさひ!」
芹沢あさひは、ソファに座る黛冬優子を発見する。
土の入った瓶を持って見せに行く。
「冬優子ちゃん! これ『冬優子ちゃん』っす!」
「…………もう慣れたからいいけど。いや良くないけど。……なんで虫にふゆの名前を付けるわけ?」
「え?」
名前を何にしようと考えていたら脳裏によぎったのが冬優子ちゃんだった。
ということは、あまり言いたくない気恥ずかしさがあるような、ないような。
「……なんとなくっす」
「あ、そう。……飼うと決めたなら、ちゃんと育てるのよ」
「わかってるっすよ」
やがて杜野凛世と田中摩美々がやってくる。
「おはようございます……」
「おはよ~」
「凛世ちゃん! 摩美々ちゃん! これ見てほしいっす! チームまりあの戦利品っすよ!」
「……戦利品……?」
「…………よくわかんないけどー。私、なんか変な夢を見たんだよね~。聞く~?」
「聞きたいっす! どんな夢見たんすか? 面白い夢っすか? どんな夢っすか!?」
田中摩美々は一言で片付ける。
「あさひに連れ回される夢~」
「……どこに連れ回されたんすか?」
「夜のビルとか~? 走りながら、ひたすら人の名前を書かされたような……」
「誰の名前っすか?」
「え~。そこまでは~。…………マ…………円香?」
「! じゃあ円香ちゃんも、摩美々ちゃんと同じ夢を見てるかもしれないっすよね? 次会ったら聞いてみるっす!」
「……いや、どういう理屈~……?」
後日、芹沢あさひはそれについて問いかけたところ。
樋口円香から「why?」と返された。
§
夕方。
芹沢あさひはプチパレスに遊びに来た。
「ハナワカ~! どこー?」
食堂に顔を出す。
そこにはオレンジジュースを飲み干すハナワカがいた。
「ハナワカ!」
「……なるほど。その様子だと記憶ないんすか」
「?」
「まぁいいんじゃないっすか? マドナちゃんの心くばりってやつっすよ」
「……マドナちゃん……」
芹沢あさひは眉を上げて腕を組み、深々と考え込む。
仮に心くばりだとしても疑問が残る。
「なんでわたしとハナワカ以外の記憶を消したんだろ?」
「────!」
ハナワカは硬直した。
芹沢あさひは普段通り、のんきに名前を呼んできて、何事も無かったかのように遊びにきた。故に何も覚えていないと誤解した。
現に小宮果穂と篠澤広に調査のお礼を言ったら不思議がられた。あれから283プロデューサーからの鬼電もない。そのため芹沢あさひも同様に記憶がない、と思い込んでしまった。
「……さあ? 先輩にだけは、覚えていてほしかったんじゃないっすか?」
「……無窓の怪異。マドナの神として?」
「はいっす。きっといつか恩返ししてくれるっすよ。神ってのはそこらへん律儀っすから」
「ほんと?」
「ま、もう恩返しは終わってるかもしれないっすけどね。交通事故の回避一回で加護が終わるとかザラなんで。ま、それだけでも十二分にありがたいんすけどネ! ただこっちが全然気づかない助け方をしてくるから、ありがたみが薄れて忘れ去られるのが神々の悪い癖~」
「…………────」
芹沢あさひは思い当たる節があり、徐々に目を見開く。
「なら、わたし────ちゃんと……」
芹沢あさひは、忘れない。
「覚えてるよ。マドナちゃんのこと!」
§