【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
放課後の大型ショッピングモール。
小宮果穂は下校路から、まっすぐと本屋に直行した。
本棚のコーナーから『育児』のタイトルを探す。よさげな本を手に取って読んでみる。すると、考えてみれば当たり前だが……言われるまで全然気にしていなかったこと・まったく知らなかったこと・絶対やってはいけないタブーなこと……それら全ての情報が新鮮であり、小宮果穂の脳内に知識として吸収されていく。
(────────……………………)
矢継ぎ早に繰り出される情報の洪水。
その全てを瞬く間に処理していく立ち姿は真剣そのもの。
極限まで研ぎ澄ませた集中力は、傍から見ている方が驚いてしまい、気安く声を掛けられない。
(…………────よし、これを買おう! 二百万円から少し持ってきたから、お金は全然ある……! ほかの本も一応見ておくけど……いま読んだ本がいっぱい色んなこと書いてあって良さそうだった……そこそこのところで切り上げて、次は小児用のアイテムをたくさん買わないと……持ちきれないものは即日配達で送ってもらうことにして……)
「……か、果穂ちゃん!」
「……──!?」
ふいに、まおちゃんの声が聞こえてきた。
小宮果穂は、おっかなびっくりと振り返る。
「果穂ちゃん……育児の本なんか読んで、どうしたの?」
「ま、まおちゃん……!」
どうしてここにいるのか。
問いかける前に、まおちゃんは答える。
「果穂ちゃん。今日は様子が変だったから……心配で、尾行しちゃった……ごめんね?」
そんな。謝ることではない。小宮果穂は首を横に振る。むしろ心配をかけたこちらのほうが申し訳ないと、小宮果穂はうつむいてしまう。
「あ、のさ……! 私、果穂ちゃんの友達でしょ……?」
「……!」
「だから、困ってることがあったら、相談、してほしいなって……」
「…………」
持つべきものは友。それはどのヒーローのセリフだったか。
小宮果穂は、突然のアルファの幼児化に際して焦燥のあまり、基本的なことが頭から抜け落ちていたようだ。
「……まおちゃん……ちゃんと、聞いてくれる……?」
「……! うん! もちろんだよ!」
ならばと小宮果穂は、ひとまず優先順位を決める。
「じゃあ……このあと、時間ある?」
「うん!」
「あたし、これからたくさん買い物しなくちゃいけなくて……」
「手伝うよ!」
「ほんと? 話は、そのあとになっちゃうけど……」
「少しくらい門限が遅れても、私は大丈夫!」
「……ありがと! それじゃあ、手伝って!」
§
小宮果穂とまおちゃんは大型ショッピングモールを駆け回り、大量の手提げ袋を手にして帰路に就く。
夕暮れのオフィス街。アルファのマンション。
小宮果穂とまおちゃんはエントランスに入る。
「ここが……あのアルファさんのおうちなの? アイドル・天道唯我の……?」
「うん! 今回は緊急事態だから、たぶんアルファさんも許してくれるはず! 入って入って!」
アルファ邸の玄関前に到着。鍵を開けようとした小宮果穂は、玄関扉が微妙に開かれているのを発見して首をひねる。真下を見れば、リコーダーが挟まっていた。いろはちゃんの脱走の痕跡だろう。まったくどうやったらこんなことができるのか。
「え……果穂ちゃん……これなに?」
「わかんないけど……お掃除の仕事が増えたみたい……」
小宮果穂は辟易としつつ扉を開ける。すると目の前に、食卓の椅子が横転していた。小宮果穂の替えの洋服やらなにやらが散乱している。
「────……うぅ……」
「か、果穂ちゃん……!」
お気に入りの洋服がぐちゃぐちゃだ。汚れているだけならまだしも、いったいなにをしたのか破れかけているものもある。ともあれ今は、大量の手提げ袋をリビングに運ばなければいけない。
小宮果穂とまおちゃんは窓際に荷物を下ろす。
それからソファベッドに落ち着いて訳を話したいところだが────
「いろはちゃんは……今どこだろ……」
「え……」
小宮果穂は後悔する。なぜ連絡手段を持たせなかったのか。色々と後手に回りすぎている。猛省しても、何かあれば遅い。しかしマメ丸がいるなら、必ず暗くなる前には帰ってくるはずだ。そう信じる。そのためにもマンションのエントランスに降りて、彼らの帰りを待つ。
ロビーに設けられたソファ。
そこに座って、いろはちゃんとマメ丸の帰りを待ちながら、小宮果穂はまおちゃんに語り始めた。
────とうてい信じてもらえないであろう、十年前バズーカによる
§
日没間近のマンションロビー。
小宮果穂は全てを語った。これで信じてもらえないようなら、家族に話したとて同じことだろう。そのように見切りを付けようとする。
「──……その、果穂ちゃん……」
「……」
「つまり、今日のお昼、校庭に現れた男の子が……アルファさんの十年前の姿ってこと……?」
こくり、とうなずく。
この目で見たのだ。心霊写真も撮ったことがある。たとえサンタはこの世に居なくても、この世にふしぎなことはあるものなのだ。
「ただいまー! あけろー!」
『……!!』
小宮果穂は振り返る。
そこにはゲートの前で立ち往生する、いろはちゃんとマメ丸が帰ってきていた。
「いろはちゃん! マメ丸!」
小宮果穂は駆け寄ってゲートを開く。ついでに手っ取り早くファミリー登録も済ませておく。大型ショッピングモールで合鍵も作ってきた。ただしいろはちゃんの身長では、ロビーの鍵を差す場所に手が届かない。五階の玄関手前に台座は用意したものの、ロビーに台座を置くわけにもいかない。そのためロビーに関しては声紋認証機能が役に立つだろう。小宮果穂は、いろはちゃんを抱っこする。
「なにー?」
「この機械に合言葉を言うの。するとゲートが開くんだよ!」
「ふーん? じゃあ……『あけてー!』……これでいい?」
「試してみて?」
いろはちゃんは「あけてー!」と叫ぶ。すると声紋認証が反応してゲートが開いた。これは便利だ。
「そしてだれだ」
「え! あ……まお、と言います……果穂ちゃんの友達で……」
「いろはちゃん! さんさい! おとこのこ!」
いろはちゃんは元気いっぱいに手を挙げて自己紹介する。
あまりのかわいさに、思わずまおちゃんは目を潤ませて口元を手で覆った。
§
日没間近のアルファ邸リビング。
一日中お散歩しまくったいろはちゃんは、ベッドソファの上で爆睡中。マメ丸は鼻と舌が渇きまくっていたのか、浴びるように水を舐め飲んでいる。
小宮果穂とまおちゃんは協力して、いろはちゃんが散らかしたものを片付けて、入ってはいけないところに柵を取り付けたり施錠したり、玄関扉を開けやすいように台座を置いたり、小宮果穂の設計通りに模様替えする。また、マメ丸用のケージもようやく展開して、二度といろはちゃんがドッグフードを口に入れることがないように策を凝らす。さらに、いろはちゃんが簡単に食べ物や水を飲めるような準備も済ませた。
(……ん? 食べ物……?)
お昼ご飯とおやつは、長持ちするアルファ手製のパック弁当を低い位置に置いておいた。中身も細かく刻んである。マメ丸のドッグフードも隠すように置いていた。マメ丸なら見つけられる場所である。それらは今もまだ最初の位置に置きっぱなしだった。
さて、朝から脱走していたいろはちゃんは、はたしてお昼に何を食べたのか。まさか何も食べていないのか。
「いろはちゃん!?」
小宮果穂は戦々恐々と呼びかける。
しかし当のいろはちゃんは爆睡中。やはり三歳児をひとりで長時間放置するのは現実的ではないのだ。当初の予定では、お昼に学校を抜け出してアルファ邸に帰り、いろはちゃんにお昼ご飯を食べさせてから、再び学校に走り戻るつもりでいた。
今日はいろはちゃんが脱走したため、その予定は崩れたが……仮に予定取りにやろうとしても、やはり現実的な方法ではないだろう。勝手に学校を抜け出せば問題になるし、周りに迷惑がかかる。ならばいっそ──アルファを/いろはちゃんを──どこかにあずけたほうが現実的なのだ。
それは最初から分かっている。
では、なぜ自分が面倒を見ることにこだわるのか。
「…………」
ただのわがままである。
いろはちゃんの要望に応えたいというのは言い訳だ。
本当のところは、小宮果穂が自分自身で成し遂げたいことがあるだけ。
「……────」
小宮果穂は、ヤンデレ期の時に考えていた計画のひとつを、ついに実行に移す。
────360°見守りカメラ。
それは今日ショッピングモールで買ってきた。スマホと連携して、相手からの応答許可なしに自動で通話が接続する。スマホでアプリを導入すれば、いつでもどこでも部屋の中を見守ることができる。数台購入したため、リビング・台所・和室・廊下・ヒーロー部屋などに設置した。
さらに出前サイトにも登録を完了。アルファさんの金庫から『これは緊急用な?』と教えられていたデビットカードも借り受けた。すでに銀行で百万円を振込済み。いろはちゃんが台座に立ってドアを開けられるなら、支払いは小宮果穂が済ませているため、あとはいろはちゃんが商品を受け取るだけ。ただしそのままでは食べられない。食べる時は必ず、見守りカメラを通した小宮果穂の指示に従うこと。
今日は一日中、そのようなことを考えていた。
しかし、いろはちゃんは一筋縄ではいかない。どうやらまったく別のサバイバルを始めているようす。
「いろはちゃん。起きて……! 今日のお昼はどうしたの?」
「────……んー? 公園でばっちゃにもらったー。おにぎりー」
「……人から貰ったの? スゴいね……そういうところは、やっぱりアルファさんだ……」
タダ飯にありつく才能は、三歳児の頃から光っていたのか。折り紙つきである。
「じゃあ、マメ丸のは?」
「いぬかってるひとがくれたー。えさー」
「……そうなんだ。ありがとね!」
その割には、マメ丸に水は与えられなかったようだ。
やはり、まだまだ三歳児。至らない点は数多くある。
「ねえ、果穂ちゃん……」
「まおちゃん?」
「やっぱり、ムリがあるよ……本当に大丈夫かな? みんなに秘密にして……」
「それは……」
「二ヶ月間も、三歳の子の面倒を見れるの? 平日は学校があるし……ひとりにするのはあぶないよ……いくらマメ丸がいても……」
「…………うん────」
その時、いろはちゃんがむくりと起き上がる。
「いろはのは、しんぱいいらない。なんとかなる。いつものこと」
「え……?」
「いろはちゃん、いつものことって……?」
「いつもおうちばいばいして、ぼうけんしてた。そしたらなぜなの、おまわりさんにつかまる!」
「……え。それって……何回も捜索願を、出されてるって、ことじゃ……?」
「ア、アルファさん……じゃなくて、いろはちゃん……そんなに、脱走が好きだったの……?」
なぜおまわりさんを嫌がるのか、今の会話で見えてきた気がする。
この子は、根っからのフリーダムだ。自分が居なくなることで、周りにどれだけの心配と迷惑を掛けるのかを、まだ理解していない。それも無理からぬこと。ここまで行動力がある三歳児のほうがおかしいのだ。
「……なんか、さっきは私、ああ言ったけど……この子なら、ひとりでも二ヶ月間、サバイバルできそうだね……」
「……そうだね……だって、アルファさんだもん……」
アルファだから。という謎の理論。
しかし不思議にも、謎の説得力がある。
神童や麒麟児は、何歳であっても破天荒なのか。
「わかればよろしい」
いろはちゃんは説得が成功したと判断したのか、その場でぐったりと横になった。再びの爆睡である。
§
夕飯時のアルファ邸リビング。まおちゃんは帰宅した。
小宮果穂はエプロンに着替えながら、マメ丸とじゃれあういろはちゃんに問いかける。
「いろはちゃん! 夜ご飯、なに食べたい~?」
「なんでも~いつもの~」
「いつものって~?」
「ごはん! みそしる! はんばーぐ! キャベツ! トマト! さいきんミルク! ピーマンはなしー!」
「え~? 好き嫌いしちゃうの~?」
小宮果穂は台所に立って、三歳児の必要カロリーに注意した夕食を作り始める。
昨日はカレーライスをまるごと食べてしまったため、少々カロリーを摂り過ぎた。ついでに歯磨きを忘れてしまったため、虫歯になる恐れがある。そのため歯磨きは先ほど済ませており、夕飯後も歯磨きをする必要がある。
「いろはのごはんをまつときねー。まてるんだよー」
「そうなんだ。えらいねっ!」
白飯に少量の水を入れてかき混ぜることで柔らかくする。
いろはちゃんは三歳児の平均
「おかあさんのごはんをまつときねー。まてるんだよー。すごいでしょ!」
「うん! スゴいよ!」
みそ汁を作る。そのままでは火傷するため、ボウルの中に冷水を入れて、その上にみそ汁の鍋を浸して温度を下げる。
その間、冷蔵ハンバーグをレンジでチンした。ホカホカのハンバーグを皿に移して、箸でブロック状に切る。三歳児の口に合うサイズになるまで入念に切ってほぐしていく。
「おとうさんのごはんをまつときねー。まてるんだよー」
「あ、お父さんもご飯を作るんだ?」
「? つくらないよー! おすしだけー」
「え? ……?? ────」
小宮果穂はズボンの後ろに、小児雑誌を丸めて突っ込んでいた。すぐにそれを取り出して『三歳児とのおしゃべり』というコーナーを読む。
三歳児ともなれば覚えて使う言葉も増えるが、なぜか同じ説明を繰り返すフシがある。少しだけ言葉を置き換えて、だらだらと話すクセがある。それは特に善し悪しの問題ではなく、三歳児特有の現象であり、四歳になれば自然と消えているもの、とのこと。
(つまり今のは“いろは”“おかあさん”“おとうさん”の単語だけを置き換えて、何か同じことを説明しようとしてたってこと? それともあまり意味はないのかな……ただおしゃべりしたかっただけ? う~ん……もしかして、ただ“待つ”ができるってことを言いたかっただけ? じゃあ、あたしは『お父さんもご飯を作れるんだ』って“話を広げた”けど……それはいろはちゃんからしたら、もしかして“話が遮られた”ことになるのかな……? どうだろ……まだよくわかんないや……)
小宮果穂は、いろはちゃんにとってなるべくストレスフリーな会話法を構築するため、頭を悩ませる。
まな板の上にキャベツとトマト。包丁で千切りとくし切り。それからさらに細かく刻む。
ちなみに三歳児は、その頃になると“おわんを持てる”と本に書いてあった。小児用のお皿に野菜を入れて、夕飯が完成する。
「いろはちゃーん。ご飯できたよー。手を洗ってきて~」
「わー!」
いろはちゃんは立ち上がると洗面所にとたとたと走る。マメ丸も付いていく。いろはちゃんは台座に乗って、ハンドルを上げて水を出す。ばしゃばしゃと手を洗って、タオルを探す。手の届く範囲にない。濡れた手で台座を降りて、マメ丸のスカーフで手を拭こうとする。
「ワフ!? ワンッ!」
「んー……」
マメ丸に逃げられてしまう。いろはちゃんは仕方なくつま先立ちをして、風呂場の扉に掛けてあるタオルで手を拭こうとした。しかし届かない。
「おいー!」
「……? どうしたの、いろはちゃん?」
怒ったいろはちゃんは、小宮果穂に文句を言いに行く。
「あのねー。……ん~……」
しかし、うまく言葉が出てこない。
するとマメ丸が代わりに伝えた。
「ワンッ!」
「? マメ丸、どうしたの? 洗面所で何かあった?」
「ワフッ!」
「……! タオルが届かなかったの? ごめんね、いろはちゃん!」
さっそく小宮果穂は洗面所に向かい、水洗い場のすぐとなりに清潔なタオルを置いた。しかし近くにタオルは掛けてある。どうやら三歳児の目線の高さでは、そのタオルを見つけられなかったようだ。
(そうか、目線の高さにも注意しないと……っ! ……『子供目線、大事』……)
小宮果穂はメモを取る。それからリビングに戻ると、食卓の椅子にいろはちゃんが立っており、小宮果穂のおぼんから箸を「かしてー」と取って、片手に箸、片手におわんを持って、椅子に座り、かきこむようにご飯を食べ始めた。
「え……!」(お箸、使えたんだ……!)
驚いている暇はない。このように小宮果穂は、まだまだいろはちゃんのことを知らない。そのため理解を深める必要がある。小宮果穂は育児雑誌に掲載されていた情報をもとに、いろはちゃんとの実験を始めた。
着席。
自分の食事は一旦さておき、色々と質問を投げかける。
「いろはちゃん。食べてる時にごめんね? ちょっとあたしと、お話してくれる?」
「いいよー!」
「じゃあ……キャベツって野菜だよね? じゃあトマトは?」
「……………………」
いろはちゃんは黙り込む。みそ汁をずずず、と飲んでいるが、目はじっと虚空を見つめているため、どうやら脳内は回転しているようす。
「…………やさい!」
「あ! 大正解っ!」
「ばんざーい!」
いろはちゃんは両手を突き出す。どうやら正解したらハイタッチする習慣があるようだ。小宮果穂はハイタッチに応じる。
「じゃあ、次の質問!」
「おうよ! どんとこいやー!」
「あたしのおぼんから、ご飯とハンバーグを、一口だけでいいから、食べさせてくれる?」
「…………????????」
いろはちゃんは、なにをいっているんだこいつは、という目つきで、呆と口を開ける。
「あ、じゃあ、あたしのおぼんから、ご飯を食べさせて?」
「はい!」
いろはちゃんは箸を伸ばすと、小宮果穂のおぼんの白い茶碗によそってある白米を箸でつまみ、────停止。
「……いろはちゃん?」
「…………??」
誰に食べさせるのか。自分か? 小宮果穂か?
忘れてしまったいろはちゃんは、自分の口元に運んで、ぱくりと食べてしまった。
「あ! ……あたしに食べさせてほしかったのに~」
「! しらーん!」
「そっか~。……ざんねん! じゃあ次! 高いの反対は?」
「やすい!」
低い、と答えるものと思っていたのだが。
「……そうだね! じゃあ、ほかには?」
「…………たかいのはんたいはやすい! やすいのはんたいはたかい! たかいのはんたいはひくい! ひくいのはんたいはでかい!」
「! じゃあ、でかいのはんたいは?」
「ちっちゃい!」
これはかなり賢いのでは?
小宮果穂はメモを取る。
(会話はできるけど、どこか独り言みたいな部分がある。でも本当に独り言ってわけじゃない。聞かせるために話している。まだ知らない言葉はたくさんあるけど、自分なりに近い言葉を引用することもできる? “ちっちゃい”とか。……で、あまり多くの指示を出すと、よくわからなくなる時がある。指示は一個ずつが確実。指示に使った単語が二個以上だと、途中で忘れちゃうのか、自分の解釈で答えを選ぼうとする。あと……)
「あいうえおはわかる?」
「わかる! あいうえお!」
「じゃあ、あいうえお、を……ゆ~~~~~~~っくり、言ってみて?」
「なんで?」
「おねがい!」
「……………………あ…………────? あ…………い…………────???」
「どうしたの?」
「いえん!」
「言えないの? じゃあ、今度は早口で言ってみて! ビュビューンって!」
「あいうえお!」
「お、言えたね! じゃ~あ~? 今度は、あいうえおの“あいう”だけ言ってみて?」
「あいうえお!」
「え~? ぜんぶ言っちゃったね~?」
「いっちゃったね~」
「じゃあ……今度は、あいうえおの“うえお”だけ言ってみて?」
「…………────??」
いろはちゃんは混乱する。言おうと思ってもむずかしい。
小宮果穂はメモを取る。
(スゴい……! 本に書いてあった通りだ……! いろはちゃんは、まだ言葉を“単語”で覚えているんだ……五十音表でいう“一音”として覚えているわけじゃない……だから、あいうえおは“あいうえお”っていう
三歳児ともなれば口が達者なように見えるが、他人の言葉を聞いてパッチワークのようにつなげているという印象を抱く。全ての三歳児がそうというわけではないのかもしれないが、少なくとも小宮果穂はいろはちゃんに限り、そのような印象を受けた。
「いろはちゃん、ありがと! 食べてる時にごめんね!」
「いーいーよー。このはんばーぐ、おいしいねー?」
「そう? また食べたい?」
「ううん。べつのたべたーい」
「そうなの? わかった! いろいろなものが食べたいの?」
「うん!」
「じゃあ、いろんなもの買ってくるね!」
いろはちゃんは、そこそこ器用に箸で食べ進めていく。
小宮果穂は両手で頬杖をつきながらはにかんでおり、目を細めて慈しむように、三歳児が食事をする様子を見守り続けていた。
§