【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
あれから一週間が経過した。
小宮果穂といろはちゃんの同棲生活としては、それなりに安定した生活を送れている。
小宮果穂のスケジュール帳。
朝は、家事(料理に洗濯物干しにetc)と育児(食事に着替えにetc)とマメ丸のお世話。そして登校。
日中は、学校生活。そしていろはちゃんが家に居る場合は、見守りカメラと通話による食事作法の指示出し。果穂の調理の仕方のおかげで、あれから二度と、のどに詰まらせることは無くなった。しかし万が一が怖い。その時はマメ丸がなんとかしてくれるようだが、はたして本当になんとかしてくれるのだろうか。
放課後は、買い出し(晩ご飯と、あしたの朝食や昼食etc)。そしてお仕事(レッスンに営業にetc)
夕方は、家事(風呂に掃除にetc)と育児(おやつに着替えにetc)。そしてマメ丸のお世話と宿題。
夜は、家事(料理に洗濯にetc)と育児(食事に遊びに絵本の読み聞かせや寝付かせにetc)。そしてマメ丸の遊びを受け入れながらレポート書き。
深夜は、お仕事が長引いて帰りが遅くなった場合、夕方にやることが潰れるため予定を前倒しする。つまり夕方にやるべきことを夜にやり、夜にやるべきことを深夜にやる。終いには疲れ果てた状態で就寝。泥のように眠る。
一方、いろはちゃんの日課といえば。
朝は、果穂のご飯を食べて、マメ丸とお散歩。
昼は、果穂から持たせられたお小遣いで好きな物を買って食べて、マメ丸と色々な所に行く。
夕方は、マンションに帰る。果穂はお仕事のせいで居ない時があるため、その時は留守番する。
夜は、果穂のご飯を食べて、果穂やマメ丸と遊ぶ。そして気づいたら寝ており、気づいたら朝になってる。
小宮果穂の努力──大量の付箋とメモ書きが貼られた育児本の読み込み──の甲斐あって、いろはちゃんは平和で安全な日々を過ごせている。……毎日の単独行動以外は。
そこはマメ丸の出番である。たとえば小宮果穂の見守りがない状態で、いろはちゃんがコンビニ等で買った食べ物をよく噛まず丸呑みにしようとしたら、すかさずマメ丸が真剣な吠え方で止めに入る。服を噛んで引っ張り合うことにも随分と慣れた。いろはちゃんの暴走を食い止めることは、すでにお手の物である。
さらにマメ丸は、いろはちゃんの食事中、周囲の通行人に自らの可愛さをアピールすることで寄り集まってもらう。そして仮に、いろはちゃんが喉を詰まらせて咳き込んだら、その人達がすぐに助けてくれるような環境を作り上げることにも慣れた。大抵は若い女子学生が集まってきて──マメ丸がポーチから取り出しておいたペットボトルの水を──のどが詰まったいろはちゃんに飲ませてくれる。それは非常にありがたい手助けである。
§
休日の街中。
快晴の公園。
「よっほっ!」
芹沢あさひは道なき道を進んでおり、蛇がいる雑木林から川沿いの遊歩道に出る。
すると、犬を連れた小さな子のオリジナルの歌が聴こえてきた。
「まーめあーなーほった!」
「ワフ!」
「のーぐそーしった!」
「ワフッ!?」
「いーぬなーきねーこなーきとーいれーなっき!」
「ワン!」
「みーちわーかーらーんくって、かーわやーなっく!」
「ワンッ!」
「……うんこしたいです。そこでしてもいいですか」
「ワフッ!?」
長いこと公園の遊歩道をぐるぐる回り続けていると思ったら、まさかトイレを探していたのか。そして迷宮のような遊歩道から出る方法が分からず迷子になっていたのか。マメ丸は周囲を見渡して出口を探す。木陰で
その時、芹沢あさひが声を掛けた。
「きみ、トイレ行きたいの?」
「? うん!」
「ここのトイレはたしか……あっちにあったはず! ついてきて!」
芹沢あさひの案内で、小さな子もとい、いろはちゃんは、坂を登って遊歩道から広い敷地に出る。木々の途中に公衆便所を発見。
「ありがとう! ヒモもってて」
「え?」
いろはちゃんはマメ丸のリードを芹沢あさひの靴の前に置くと、公衆便所の中に走り去る。
ふたりきりで取り残された芹沢あさひとマメ丸。ふたりの視線が合う。
「……」
「……ワフ」
「……あのさ。もしかして、マメ丸だよね?」
「! ワン!」
「やっぱりそうなの? この前見たスカーフと同じだったからさ。……果穂ちゃんは?」
「ワンッ!」
「……? あの子はだれなの?」
「ワフゥ……」
「…………なに言ってるのか全然わからないや! あははっ!」
しばし待っていると、いろはちゃんが出てきた。小宮果穂が裁縫をして、ポケットに縫い付けたゴムひも付きハンカチで濡れた手を拭い、ハンカチをポケットにしまう。だが、しまいきれておらず、ポケットからハンカチが落ちてしまう。しかしゴムひも付きなので、腰からブラブラとぶら下がるだけで、おとしものにはならない。紛失防止用のゴムひもである。
「ハンカチ、ちゃんとしまえてないよ」
「!」
いろはちゃんはハンカチをしまい直す。
「うん! それでバッチリ!」
「ありがとうござまーしたー」
「どういたしまして」
いろはちゃんは深々と頭を下げる。芹沢あさひからリードを返してもらう。
「あじゃじゃっしたー」
「ワンッワンッ!」
「ん? …………まめもうんちか」
「ワンッ!」
ならばと、いろはちゃんは黄色いポーチから紙を取り出す。小宮果穂に教えられた通りに「どうぞー」と広げる。すると紙の上に座ったマメ丸は
「ちゃんとフンの始末できるんだ。すごいね」
「でしょー? いろはねー。まめのうんちトイレになげたらねー。かほにダメっていわれてねー。なんでなのー? なら。トイレおこっちゃうからってねー。トイレにごめんなさいしてねー。……そんなかんじ! わすれた!」
「??」
要領を得ない言葉の羅列に、芹沢あさひは首をひねる。
というのも、いろはちゃんが言いたかったことは、
時は一週間前。いろはちゃんは大脱走した際、共に散歩していたマメ丸のフンをどのように始末したのか? 小宮果穂は気になっていると、マメ丸は帰宅するまでトイレを我慢していたことが発覚する。というのもマメ丸は、野糞を掃除しないことは悪いことであると、果穂の行動から見て学んでいた。つまり生き物の野糞が人間社会にとってマナー違反であることを理解している。賢すぎる犬である。ともあれトイレを我慢するのは体に悪い。そのため小宮果穂は、いろはちゃんに“マメ丸のトイレの仕方”を教えようとした。
最初は静かに聴いていたいろはちゃんは、予想外なことに突然、なんとマメ丸のフンを手づかみで持っていき、アルファ邸のトイレの中にぶち込もうとした。
たしかにうんちはトイレの中でするものだが、人と犬とではトイレの仕方が異なる。もっと言えば、人間用のトイレに犬猫のフンを流すと排水管が詰まりやすい。ついでに、バイキンたくさんの汚いフンを手づかみするのもやめてほしい。だが、そのようなことを説明しても、まだ三歳児のいろはちゃんには分からない。分からないとは、理屈が通用しないということ。理屈が通用しないということは、当然いろはちゃんはその
そもそもいろはちゃんは、人と犬の区別すら若干曖昧なようす。しかも無機物であるトイレに対して「トイレがうんちたべるからオッケー!」とまで自信満々に言う始末。
これに小宮果穂は「どうしよう……」と悩んでいると、トイレの壁に取り付けられている壁リモコンを発見して閃いた。「そうだ!」と天啓を得た小宮果穂は、いろはちゃんの“トイレも生き物だと思っている”という認識を逆手に取る。
「犬のフンをトイレに入れちゃうと、トイレが怒っちゃうよ!」
「!?」
小宮果穂は壁リモコンを背中に隠しながら、ウォシュレットのスイッチを押す。するとトイレはひとりでに動き出したかのように見えて、まるで怒ったように水を噴き上げるなり、いろはちゃんの頭に大量の水を浴びせ掛けた。
いろはちゃんは「にゃー!」と叫んで逃げ出す。小宮果穂はウォシュレットの電源を切る。その後、おずおずと戻ってきたいろはちゃんは、壁から体の半分だけ乗り出して、しばしトイレを観察。静かになったトイレを見つめるいろはちゃんは、小宮果穂の顔をチラリと見上げる。小宮果穂は二回うなずくと、いろはちゃんはトイレに近づき、便座を撫でて「ごめんね」と謝った。
そうしていろはちゃんは、未だ手に持っているフンをリビングに持ち帰る。そしてなんと自分から「まめのといれのしかたおしえてー」と小宮果穂にお願いした。これに「っ~~……!!」と感激した小宮果穂は、ふしぎなことに
かくしていろはちゃんは、マメ丸のトイレの仕方を覚えたのである。
といっても今回は、丸めた紙をビニール袋に入れる工程をすっ飛ばしてしまったが……昨日は、きちんとビニール袋に入れることは出来ていた。たまに忘れてしまい、ポーチの中が汚くなってしまう程度である。
「まぁいっか。ばいばーい!」
「…………」
背伸びして大手を振ったいろはちゃんは、マメ丸が赴くままに先に行かせて、散歩を再開。
一方の芹沢あさひは興味を持ったのか付いていき、併行していろはちゃんの顔を覗き込む。
「?」
「……」
いろはちゃんは、とてとて、と体を左右に揺らしながら歩いている。わざと揺らしているわけではなく、単純に歩き方がたどたどしいのである。まだ三歳児の体が
一方の芹沢あさひは、それを心配したのかどうなのか。普通に歩くと簡単に追い越せてしまうため、一歩一歩ゆっくりと大股で歩いて、相手との歩行速度を合わせる。
「ちかれた」
突然いろはちゃんは歩道のど真ん中で座り込む。首のリードを引っ張られたマメ丸は振り返り、慣れたように周囲を警戒。三歳児の体力は少ない。すぐに歩き疲れてしまう。そのたび今みたいに座り込む。場合によっては横断歩道のど真ん中で座り込むことがあるため、その時はマメ丸がいろはちゃんを引きずるようにして、なんとか歩道まで引っ張っていく。
そして今回は歩道とはいえ、やはりというか、なぜか道のど真ん中で座り込んだ。スピードの速い自転車が通る時もある。基本的に避けてくれるとはいえ、大変危険なことに変わりはない。少し脇道に逸れるだけで芝生が広がる広大な敷地に出るため、マメ丸はそちらのほうに歩き出し、リードを噛んでいろはちゃんを引っ張っていく。
「んー……なにー?」
「ワンッ!」
リードに引っ張られたいろはちゃんは、ハイハイしてアスファルトの道を横断。そこだけ切り取ると、まったくどちらが散歩させているのか分からなくなる。
「!」
いろはちゃんは芝生に入るなり地面の柔らかさを実感して、気持ちが良いのか寝転んだ。そのまま「ごろごろー」と何回も寝転がって、芝生の上をゴロゴロと転がっていく。ふと、あるところで寝転がることにも疲れると、仰向けで目をつむり、健やかな寝息を立て始める。なんと眠り始めてしまった。
マメ丸は周囲を観察。危険は少ないと判断するなり、いろはちゃんのすぐそばで丸くなって添い寝する。ただし耳はピンと立てており、なにかあればすぐにでも、いろはちゃんを守れるようにしていた。
「…………」
その真横でしゃがみこむ芹沢あさひは人差し指を伸ばし、眠るいろはちゃんのほっぺたをつんつんと突っつく。
「ほっぺた柔らかい!」
予想外のやわらかさ。もっとずっと突っついてみたい。
そしてちょっかいを出したのに、三歳児はぴくりとも反応しない。驚いたことに爆睡である。
(……そんなにひなたぼっこ、気持ちいいのかな?)
ならば試してみよう。
芹沢あさひは大の字となって、服に付く汚れを気にせず、芝生の上に寝転んだ。
§
一時間後。
公園の芝生の上で、芹沢あさひは「────ハッ!」と目を覚ます。予想外の心地よさに熟睡してしまった。
腹部に圧迫感。芹沢あさひのお腹を枕にしていたいろはちゃんは、すぐとなりに添い寝するマメ丸を抱きしめながら、ヨダレを垂らして静かに寝ている。
芹沢あさひの起床。彼女のお腹の上から膝の上に転げ落ちたいろはちゃんはびっくりして目を覚ます。目をこすって周囲を見渡す。となりでは目を覚まして立ち上がるマメ丸。背後に温かいもの。振り返ると、白髪少女が真顔でこちらを見下ろしている。いろはちゃんは手を挙げて挨拶した。
「おはよう!」
「……! ……おはよう。でも、もうこんにちはで、こんばんはになるよ?」
青空が夕焼けに染まりつつある昼下がり。
いろはちゃんは立ち上がると、白髪少女の背後に回り、服を掴んで背中をよじ登る。
「わ、ちょ……なに?」
芹沢あさひは体を柔らかく前に倒して、三歳児のよじ登りを助ける。
「かたぐるまー!」
「……! ……肩車したいの?」
いろはちゃんは白髪少女の後ろ首に落ち着く。操縦桿となる頭のおでこを両手で抱きかかえて、両足をぶらぶら。白髪にあごを乗せて、こぶしを向こう側に突き出す。
「ゴー!」
「え~」
芹沢あさひは仕方がないと言いたげに、マメ丸のリードを拾いながら「よっこいしょ」と立ち上がる。三歳児の背中に手を回し、転げ落ちないようにしっかりと支える。
「どこに行くの?」
「どこでも~」
「じゃあ、わたしの好きにしていい?」
「いいよ~」
§
夕方。午後三時の都会。
街を練り歩く芹沢あさひは、いろはちゃんを肩車しながらマメ丸を連れ回していた。いろはちゃんは事あるごとに「ゴー! ゴー!」と出発進行の指示を出すものの、具体的な目的地は無いようす。もしや走れと言っているのだろうか。それは少し危ないため、さすがの芹沢あさひも言うことは聞けない。マメ丸も当てのない旅をしているようす。ならばと芹沢あさひもいつもどおり、目についた道や面白そうな建築物を選び、流浪の旅を続けていく。
夕暮れ。午後四時の公園。
なぜか大量の泥団子を作っていた芹沢あさひといろはちゃんは、それに満足したのか、それとも別のことに興味が移ったのか、山のような泥団子をあっさりと捨て置き、別の場所へと流れていく。
日没間近。午後五時の住宅街。
路地裏で行われる猫の集会に参加していた芹沢あさひは、ふとあることに気がついた。
「あ、そうだ! もう帰る時間だよ。ねえ……あれ? そういえば名前、聞いてなかったっけ?」
「いろはちゃんさんさい!」
「わたしは芹沢あさひ! いろはちゃんのおうちはどこ?」
「しらーん」
「え~? 困ったなぁ……」
「こまらない。いろはおうちかえれるよ!」
「そうなの? まぁマメ丸がいるし、大丈夫か!」
マメ丸は
そして猫の集会も終了したのか、十数匹の猫たちは解散していく。それに合わせて芹沢あさひも「よっこいしょ」と座り込み、いろはちゃんを肩車から下ろした。マメ丸のリードも返す。
「じゃあね! 楽しかったよ!」
「ばいばーい! いろはもー!」
芹沢あさひは走り去る。
一方のいろはちゃんは、再び当てのない旅を始めようとした。するとマメ丸が先導して家路に就く。いろはちゃんが別の道に曲がろうとするたび、ぐいぐいとリードを噛んでは引っ張り、三歳児の自由奔放な道行きを軌道修正していく。
そうしてマメ丸は、いつものように。
新たな家たるアルファのマンションを目指していった。
§