【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
夕暮れの寮。玄関前。
有栖川夏葉の高級車が停車。桑山千雪といろはちゃんが降りる。
「ばいばいまめー!」
「ワンワン!」
いろはちゃんは、助手席に座るマメ丸に手を振る。
マメ丸も、窓に鼻と前足を当てて、しばしの別れを告げる。
「千雪。またあした」
「ええ。送迎、本当に助かるわ。ありがとう、夏葉ちゃん!」
笑顔で応えた有栖川夏葉は、マメ丸を送るため発車。
桑山千雪は、いろはちゃんを抱っこしながら寮に帰る。
「ただいま~」
「おじゃましまー!」
「! ふふっ……たしかにいろはちゃんは、おじゃましますぅ~だね?」
「だねー?」
微笑む桑山千雪と真顔のいろはちゃんは、お互いに見つめ合って首をかしげる。
するといろはちゃんは、一拍遅れてほにゃっとした笑顔を見せた。その笑顔を見た人は、なんとも胸がくすぐられる心地となる。
(わぁ……どうしよう……たべちゃいたいくらい、すっごくかわいい、なぁ……)
桑山千雪は思わず目を奪われる。
おそらく将来は、とびっきり可愛らしい少女に育つのだろう。そのように夢想する。
§
「ただいま~」
「ただまー!」
桑山千雪と──抱っこされる──いろはちゃんはリビングに入る。
すると食卓では、杜野凛世と西城樹里が談笑していた。
「! おふたりとも……おかえりなさいませ……」
「おかえりー千雪さん。いろはちゃんも来たかー。はは、元気だな~!」
桑山千雪は、いろはちゃんをそっと床に下ろして立たせる。
「あのね。これからお風呂を沸かそうと思ってるの。そのあいだ、いろはちゃんと遊んでくれる?」
「はい……もちろんでございます……」
「そのために待ってたわけだしな。じゃあまずは自己紹介だ! あ、でも千雪さん。風呂掃除とかは……?」
「私ひとりで大丈夫よ。ありがとね、樹里ちゃん、凛世ちゃん♪」
にこやかに微笑む桑山千雪は手を振って廊下の奥に進む。
手を振り返すいろはちゃんたち。さっそく西城樹里と杜野凛世は席を立ち、赤ん坊の前に正座して向かい合った。
「今日からよろしく! アタシの名前は西城樹里!」
「杜野凛世で……ございます……」
「いろははいろはー! 三歳! ──じゃあーねー、あのね~?」
いろはちゃんは小首をかしげて腰を左右に揺らす。そわそわとしながら考え事。
「おっ。もしかして……?」
「はい……これは、お話にあった……」
ふたりは事務所の仲間たちから事前に聞いて知っていた。
いろはちゃんは、あだ名決めが好きであることを。
「さいちゃん! おじょーちゃん? じゅっちゃん! じゅりちゃん! じゅり! じゅえりー? どっちがいーい?」
「え~? 呼び捨てでいい……んだけど……かといって好きに呼べって言うと、後が怖そうだなぁ!」
「もりのくまさん! もりちゃん! りのりの! りんちゃん! ぜっちゃん!」
「凛世は……ふふ……なんでも構いません……どれも、素敵なあだ名ゆえ……」
§
数分後。
食卓の椅子に並んで座る三人は談笑中。そこへ寮組が揃って帰宅してくる。
「ただいま~! 遅くなったばい! 今すぐ夕飯作るけんね~!」
「買い物がえりで~す。咲耶ちゃん、荷物多めに持ってくれてありがと~」
「ふふ。お姫様ふたりのエスコートができたのなら、この上ない喜びさ」
「おかえりー」
「おかえりなさいませ……」
「おかえりー!」
いろはちゃんも真似して出迎える。
「!! そうたい! 今日は可愛いお客様が! うちもあいさつ~!」
「あ~! やっぱり間近で見るとかわいい~!」
「これはこれは……とても可愛らしいお姫様もいたものだ」
「うちは月岡恋鐘!」
「あたしは鈴木羽那だよ~!」
「私は白瀬咲耶……けど、いきなり三人の名前を覚えられるかな……?」
いろはちゃんは胸を張る。
「できるよ!」
「おぉ!? それはすごかね~! じゃあうちの名前は~?」
「……──なんだっけっ!?」
いろはちゃんは心の底から驚いた様子で叫ぶ。
屈託のない笑い声が食卓に響く。
「いろはちゃーん。お風呂できたよ~? ──あ、みんな。おかえりなさ~い!」
「千雪~ただいま~これからいろはちゃんとお風呂と? ならちょうど上がる頃に夕飯を合わせておくばい!」
「わぁ~ほんとに? ありがと~! じゃ、いろはちゃん。お姉ちゃんと行こっか? お風呂に入りましょう?」
「おー!」
いろはちゃんは椅子から降りようとする。すかさず西城樹里は落ちた時のため、体に触れるか触れないかの距離に両手を置きながら見守る。なんとか着地したいろはちゃんは、とたとたと歩いて桑山千雪に手を差し伸べる。手をつないで廊下に向かう。
「ちゆちゃんとおふろ?」
「そうだよ~?」
「いっしょ~?」
「いっしょ!」
「なんで? いろはひとりではいれるよ!」
「すごいね! じゃあお姉ちゃんも一緒に入っていーい?」
「ん~。いいよ!」
「わぁ~ありがと~! じゃあ
「……??」
いろはちゃんは小首をかしげる。なにかがおかしい。
「ねえね、ちゅーちゃん!」
「! ……なーに~?」
「かんでないよ! ちゆちゃんっていったんだよ!」
「……! ふふ……うん! それで、どうしたのかなぁ?」
「…………なんだっけ?」
ひとつ言ったらひとつ忘れる。
赤ん坊の記憶力はそんなものである。
微笑ましい会話をしつつ、桑山千雪といろはちゃんは風呂場に入る。
その行方を見守った月岡恋鐘は、さっそく腕まくりして調理に力を入れる。今回は一人分料理を多めに作らないといけないため、西城樹里と杜野凛世も手伝うと言い、白瀬咲耶と鈴木羽那は仕事帰りで疲れているため部屋で休むといいと伝える。それに感謝して、一足先に部屋へ戻ろうとした────その時。
「きゃ~!?」
風呂場から悲鳴。誰よりも先んじて白瀬咲耶が駆け出すと、風呂場から桑山千雪が出てきた。廊下の中央でばったりと行き交う。
「千雪!? どうしたんだい……?」
「さ、咲耶ちゃ~ん! みんな~! い、いろはちゃんが……いろはちゃんが~!」
「ど、どうした! 千雪さん!?」
「いろはちゃんがどうしたと~!?」
「……ちらっ??」
洗面所から廊下に顔だけ出したいろはちゃんは、いったいどうしたのかと訝しむ。全裸なのか上半身はハダカだった。
桑山千雪は胸を押さえて深呼吸。予想外の事態に思ったより驚いてしまった。思い込みとは怖いものだ。そんなに驚くようなことでもなかったはずなのに。それはそれとしてこの驚きをみんなと共有せねば冷静でいられない。
「お……」
『……お?』
「お……女の子じゃ、なかったの~!」
『……────!?』
その時、いろはちゃんはピンと来て、何かを思い出したのか叫んだ。
「だからいったじゃん!」
「聞いてないよぉ~ぅ!」
「……そうだったっけ?」
いろはちゃんは「あれ~?」と小首をかしげた。
§
少しして落ち着いた桑山千雪は、膝立ちでいろはちゃんと向かい合う。
「ごめんね? てっきり女の子だと思い込んじゃってて……」
「きにするな。よくまちがえる」
西城樹里が翻訳する。
「よく間違え
「いろはさんは……見目が整っているゆえ……とても中性的な面立ちに、見えましょう……」
「服装もベージュ系だからより一層、という感じだね。むしろ男の子だと気づくほうが稀なレベルじゃないかな?」
「は~。まるで宝塚みたいやね!」
「性別はその逆だけどね~? でも可愛いのはいいことだよね!」
鈴木羽那が無邪気に微笑むと、いろはちゃんは挙手して訴える。
「いろははかっこいいがいい! よくやった、のつぎにすき! でもかわいいのはほめられるからすきー。でもかっこいいのがすきー!」
どうやらいろはちゃんにとって『かわいい』や『かっこいい』は『よくやった』という褒め言葉と似た認識になるようす。
「して……千雪さん……凛世には弟がおります……時たま世話係を任されることもあり……お風呂なども折りよく……故に、その……」
「わ……凛世ちゃん、ありがとう……! でも大丈夫! 自分に任された仕事はきっちりこなします! あ、でも、男の子をお風呂に入れる時の注意事項とかあれば、ぜひ聞きたいなって……!」
「ふふ……では……これは性別を問いませんが……子は、当たり前のように溺れに行きますので、重々ご注意をば……」
「そ、それは……目を離すな、ってことだよね……!? 知識としては理解してるつもりなんだけど……分かった。本当に視界から一瞬でも消えないように気をつけるね!」
§
食卓に座っていると、風呂場からくぐもった声が響いてくる。
『いないない~……ばあ!』
『わぁ! びっくりしちゃった♪』
この応酬を何回も繰り返している。疾うに十回は突破しただろうか。飽きもせずいろはちゃんは桑山千雪を驚かせに行く。そうやってキャッキャと笑い合う声が響き、寮の中が賑やかに華やぐ。
合わせて台所から漂う夕飯の香り。鍋物なのか、昆布つゆの匂いが廊下まで広がっていく。
やがて風呂上がりのいろはちゃんが、バスタオル一枚で突撃してきた。
「────あ! いろはちゃ~ん! 逃げられた~!」
「……なに!?」
桑山千雪の声を聞いて、エプロン姿の西城樹里がおたま片手に振り返る。すると香りをたどってきたのか、濡れ髪のいろはちゃんが現れた。
「ごはん!」
「
「はい……」
西城樹里はいろはちゃんを抱っこして風呂場に連れて行く。桑山千雪に着替えさせられたいろはちゃんは、再びふたりの隙を突いて脱走を企てた。
「あ、おい! くっ──うまいこと脇の下を抜かれた……! 凛世ー!」
「承知……」
ふかふかの羊の着ぐるみに身を包むいろはちゃんは、鍋をかき回す月岡恋鐘の足元に接近。すかさず杜野凛世が両脇を抱き上げる。
「ふふ……御一緒に、料理の完成を待ちましょう……」
「ナイスばい凛世~! そいにしても元気な男の子やね~! よー走り回る!」
「はい……事務所の皆さんから、聞いていた通りです……」
「ば~り脱走の天才やけん! こいは気をつけんと、寮から逃げられてしまうかもしれんね!」
冗談っぽく笑い合う杜野凛世と月岡恋鐘。いろはちゃんは、腕まくりして鍋をかき混ぜる月岡恋鐘の顔をボーッと見つめ続ける。
「…………しょくどうのおばちゃん?」
「!? う、うちは月岡恋鐘たい! そいにまだおばちゃんじゃなかとよ~!!」
「……しょくどうによくいる、しょくどうのおばちゃん?」
「かぁーーーー!」
「……からす?」
いろはちゃんは混乱している。どうやら幼稚園の食堂のおばちゃんにしか見えないようす。老婆と若者の見分けもまだつきにくいのか──割烹着で判断しているのか、どうなのか──カラスの鳴き声も相まって不思議そうに小首をかしげていた。
「ふふ……恋鐘さんは、お姉さんです……」
「……しょくどうのおねえちゃん?」
「! そう! おばちゃんじゃないなら、そいでもよかとよ! 凛世、ありがと~!」
不意にいろはちゃんは恒例の挨拶を始める。
「ツッキー。こがねちゃん。がねちゃん! どっちがいーい?」
「こがねでよか!」
「がーねっと」
「ふぇ!? き、急に宝石ば持ち出してきたけん! この子
「はい……ふふ、
「ねえどっちー?」
「う、う~~~~ん……しょいなか、そいでもよかよ! ……ばってん着飾りすぎるけん……ふつうに恋鐘よかー!」
「じゃあ、おばちゃん」
「かーーっ! せからしか~!! 上げて落とすばやめんね~!?」
月岡恋鐘のオーバーリアクションが面白くて仕方ないのか、いろはちゃんは無邪気に笑って、杜野凛世の首元に抱きつく。もちもちのほっぺが凛世のほっぺに当たって柔らかい衝突を起こし、それを目にした恋鐘は思わず胸がキュンとした。
「か……かぁ~! いたずら小僧でムカつくんに、見てるときれかでかわいか~! いっちょん憎めん! こいは反則ばい! どうにかならんと? 凛世~!」
「ふふ。それは、いささか厳しいかと……赤子は、それだけで反則……でございます……」
そこへ白瀬咲耶がやってきた。
「凛世の言う通りだ。この可愛さには抗いがたい。──ところでいろはちゃん。私のあだ名も決めてくれないかな? 改めて、名前は白瀬咲耶だ」
「しらちゃん!」
「ふふ。それはとても可愛らしいね」
「らっせちゃん? さくちゃん! さくや! どれがいーい?」
「悩ましい問いかけだ……どれも好ましい……いろはちゃんが呼びたい名前は無いのかい?」
「らっせちゃん!」
「おや。なんだかラッコみたいで可愛いね。たまにはそういうのもあり、かな……?」
そこへ鈴木羽那が現れる。
「あ、咲耶ちゃんずるーい! あたしも混ぜて~!」
「どちらさま!」
「鈴木羽那でーす!」
「すずちゃん! ……ずっきーに? はーちゃん! はなちゃん!」
「じゃあ……ズッキーニ以外がいいな~? はーちゃんでいいよ!」
「じゃあ、ずっきーに?」
「あ~? いけない子なんだ~? あまりお姉ちゃんをいじめちゃダメだよ~?」
鈴木羽那は注意の人差し指を伸ばし、いろはちゃんの鼻先にちょんと当てる。
ニコッと微笑み合う眉目秀麗の少女と赤子。それだけでふしぎと兄弟姉妹に見えた。
「約束ね!」
「たぶんね!」
「あ、譲らないんだ~?」
「はなちゃん!」
「も~。なーに? 素直じゃないんだから~!」
眉の上げ下げが忙しい鈴木羽那はそわそわとする。杜野凛世に目配せ。
「ねえ凛世ちゃん。抱っこの仕方、教えてもらってもいいかな?」
「! はい……ぜひ……」
「わぁ~やった~! いろはちゃんも、はーちゃんに抱っこされてくれるかな~?」
「いいよー?」
§
夜の六時頃。
鈴木羽那に抱っこされるいろはちゃんは、目新しい寮の中を一通り探検した。そして月岡恋鐘の「ご飯できたばーい!」という声に誘われて、食卓に移動。待ち望んでいた夕飯時がやってきた。
「おなかすいたー!」
「ふっふ~ん! いまご飯をよそうけん! 席に就いて前掛け付けて、まっとって~!」
食卓に揃えられた豪勢な料理。今日は腕によりをかけて作った。
加えて別途、三歳児が食べやすい料理も心がけて作ってある。
「そいじゃ、みんな両手を合わせて~?」
『────いただきまーす!』
§
夜の八時ごろ。
一同は杜野凛世の部屋に集まって遊んでいた。
「たんたん! きぐるみさんじゅうし! いろははひつじさん!」
「あはは! あたしはライオンさんだ! たべちゃうぞ~!」
「凛世は、ペンギンさんでございます……」
羊の着ぐるみとペンギンの着ぐるみは一緒に部屋の隅に逃げる。対するライオンの着ぐるみはゆっくりと追いかけてきて詰め寄る。やがてライオンは、ペンギンを後ろから抱きついて床に抑え込んでしまった。そうして丸くなってしまった青い着ぐるみ。次は羊の着ぐるみも覆い被さられて丸められてしまう。
「わー! らっせ! たすけてー!」
「咲耶さん……お助けを~……」
助けを呼ぶ声が上がった瞬間、扉が大きく開け放たれた。
「────赤ずきん白瀬咲耶、颯爽と参上! ライオンによって丸くなっちゃった人をハサミで助けるために来た!」
「な、なんだとぉ……! 赤ずきん咲耶め、そうはさせないぞ!」
ライオンと赤ずきんの戦いが始まる。ハサミで「シャキン! シャキン!」と戦い、ライオンは「が……ガオー! ガオー!」と戦い、やがて決着は────ライオンの勝利に終わった。赤ずきんは「ぐわあー!」と丸められてしまった。
「ええ~!? 赤ずきんが負けちゃったばーい! どど、どうすると~?!」
寝台の上から観客の悲鳴が上がる。やがて丸い状態の羊とペンギンと赤ずきんは、丸くなったままピョコピョコうさぎ跳びのように歩き出し、寝台の前に並んでこう言った。
『────お
「…………っ────ぷ、ふふ……!」
観客の鈴木羽那、撃沈。
観客の月岡恋鐘は目を丸くして「?」と呆けており、
観客の桑山千雪は余裕そうな笑みで笑いかけていた。
最後にライオン役の西城樹里が、やや赤らみながら締める。
「あー……こほん! 脚本と演出は、全部いろはちゃんでお送りしましたっ……!」
「いろはのえいが!」
丸まった状態から万歳! と立ち上がったいろはちゃんは、自信満々に両手を挙げてニコッとする。
両側に座る杜野凛世は頭を撫でてやり、白瀬咲耶はくすくすと微笑んでから俳優のごとく観客に向けてお辞儀した。
「ふふふっ……! 面白かったよ~いろはちゃん! お話を作るの上手だね~?」
「ライオンを倒す流れじゃなかったと!? ん~! よーわからんけど、みんなかわいいからオーケーたい!」
「ほんと~♪ 咲耶ちゃんまでお団子にされちゃったのは、びっくりしちゃった……!」
「らいおんはね! ほんとはいいこだからね! たおしちゃだめなんだよ! みんなでなでなでしたらたおせるんだよ! いいこになる! ほんとのたおしかた! やってみてね!」
物語の結末は観客に投げるスタイルなのか。
いの一番に鈴木羽那が立ち上がり、西城樹里の頭を「なでなで~!」と撫でてあげた。
「っ……!」
「! うちも撫でていい子に戻すたーい!」
「私も~♪」
「や、ちょ……まった、みんな! ~~~~~~っ!!」
西城樹里は羞恥のあまり小刻みに身を震わせながら、月岡恋鐘と桑山千雪のナデナデ攻撃を甘んじて受け入れる。
「しゃがめじゅっちゃん!」
「な、なんだよぉ~も~!」
いろはちゃんの指示通り正座した西城樹里に対し、今度はいろはちゃんと杜野凛世と白瀬咲耶が三重ナデナデ攻撃。
(ぐうううぅ……! これ、何かの拷問かよぉ~! こんな続編は聞いてないぞ~!?)
撫でられることに恥ずかしがる西城樹里を見てアイドル達は微笑み、いろはちゃんは純粋に自分の世界に没頭していた。
「じゃーライオンいいこいいこになったから、いっしょにおひるねしようね!」
「──……えぇっ!?」
§
夜の九時ごろ。
寝台の上では、いろはちゃんのとなりに西城樹里が添い寝していた。
「────すやぁ────」
わざわざ自分は寝ていますよ、と口で伝えているいろはちゃん。
それに気づかない西城樹里は、仰向けに寝る三歳児の体をポンポンとたたいてさすっていた。子守唄は要らないらしい。寝る時だけは手の掛からない赤ん坊である。
(うおあ~……おなか、まるいなぁ……! ぽんぽこしてる……赤ん坊ってこんな感じなんだ……つかなんか、全身、熱すぎないか? これはいわゆる子供体温……ってやつだよな? たしか体温計は……ちゃんと検索しとこう……)
西城樹里はそっとベッドから離れて、棚から体温計を取り出し熱を測り、スマホで検索。年齢と比べて平均的な値と分かると一安心。
(さて……どうしよっかな~……)
寝るには早すぎる時間帯。だが普通に過ごしていたら物音で起こしてしまうかもしれない。明日のために必要な準備は、なるべく静かに手早く済ませておく。いつもはのんびりと過ごしている時間は、今日だけいろはちゃんとの睡眠に当てることにした。
(……っと、まった。果穂の言いつけはきちんと守るべきだよな……)
小宮果穂の教えを思い出した西城樹里は一計を案じる。まずは扉と窓の鍵を施錠。窓の鍵には、うるさめの鈴を掛けておく。さらに鍵部分にガムテープを貼っておき、剥がす際にビリビリよく鳴るようにしておく。そして扉の鍵は棚の最上段(子供の手の届かない位置……)にしまっておき、それでも椅子を使うかもしれないので、登れるようなものはなるべく遠ざけておく。引きずる音で起きるようにしておく。
(……ま、こんなもんか。ちょっとやりすぎな気がするけど……果穂の話だと、マジで油断してると次の日の朝にいなくなってるようだし……はは、ほんとにそんなことあるのかな……?)
西城樹里は振り返る。そこには健やかに眠るいろはちゃんの姿。
消灯。そっと傍らに添い寝して布団を掛ける。いろはちゃんは暑いのか、すぐ布団を跳ね除けて蹴飛ばした。
(はは! 風邪引くぞ~? ……でも、あったかそうな着ぐるみを着てるし、たぶん大丈夫か……でもタオルくらいは掛けせろよな~? ────よしっ! 跳ね除けない! それじゃ……)
「…………────おやすみ」
§
朝の四時頃。
白み始める空の光がカーテンの隙間から差し込み、薄暗い室内を淡く晴れ上げる。寮のとなりにそばだつ木々の緑から雀が飛び立ち、チュンチュンと朝の目覚めを鳴き合う。
(────……ん……)
覚醒。頭を掻きながら身を起こす。ぼんやりとした脳内で時計を確認。
(……よじ……まじかー。はやおき、しすぎたな~……なんでこんな時間に……────あ、そうか。いろはちゃんと一緒に寝て────)
手を這わせる。何も当たらない。
(?)
手を遠くまで這わせる。何も当たらない。
(……? ?!)
状況を理解できない。混乱する頭で下を見る。もっと広く這わせた手は寝台のはしっこに到着してしまった。西城樹里の上半身付近には誰もいない。脳内が急速冷凍。次いでグルグルと高速で回転していく。全身が冬のように寒く凍りついていく。特に背筋の肌寒さは、人生で一番感じたことがない悪寒だった。慌てて布団を跳ね上げる。そこにいればどれだけ安心したか。
「い────いろは、のやろう……!?」
奮起も込めて野郎と呼び捨て。寝台の下を確認。座卓の下を確認。床のどこにも寝転がっていない。どこかに潜り込んでいる可能性を考えていると────色々と部屋の内装が変わっていることに気づく。
(!? 棚の前に……なんで座卓があるんだ? あれじゃあ下の段が取れないだろ……ってそうじゃない! やっばい……! 全然気づかなかった……! あ、でも待て。さすがに鍵がどこにあるかは分からないだろう……えーっとたしか……)
寝ぼけ眼で頭を抱えて鍵の隠し場所を思い出す。
(たしか果穂が……『服のポッケにしまっておくと、気づかないうちに取られているのでダメです! いろはちゃんは怪盗なんです!』って言ってたから……そうだ! 棚の最上段に……!)
西城樹里は、自分が寝ぼけていたことに気づく。その棚の前に、なぜか座卓が移動されているのだ。どったんばったんと走り出して最上段の引き出しを開ける。どこを探しても鍵がない。
「なんでだ!? なんで鍵がここにあるって分かって────
小宮果穂は言っていた。『あまりの可愛さにコロっと騙されてしまうかもしれないので、注意です!』と。
西城樹里は次々と記憶を掘り起こす。そういえばと思い出して窓辺の鍵を確認。ガムテープと鈴は、少しいじられた後がある。しかし途中で諦めたのか、窓は固く閉ざされたまま。つまり窓からの逃走ルートはありえないとして潰してもいい。ならば考えたくはないが、やはり────
「廊下!」
────取っ手を回した扉は簡単に開いた。
背中がより一層冷えていく。青ざめた西城樹里は食卓のあるリビングまで全力疾走。一秒でも早く見つけなければ。正直侮っていた。
(いや反省会はあとだ……!)
扉を開け放ってフローリングを靴下で滑走。いつも何もなくて綺麗な食卓の上に異物発見。嗅覚も反応する。これは────カップラーメンの匂い!
「ちょ……給湯ポットもコンセントが……! マジでどうやったんだ!? うわぁ台所が水浸しじゃねぇか! や、やけどとかしてないよな……!? お────おーい! いろはちゃーん! 頼むから出てきてくれー! おねがいだからー! ……………………────」
顔面蒼白。それはそれとして、脳内を瞬時に捜索用に切り替える。推理の時間だ。
(よく周りを見ろ……必ず手がかりがあるはず……!)
食卓と台所は散乱していた。しらみつぶしに異変をリストアップする。
食卓の上にカップラーメンが置いてあり、中身は汁ごと完食済み。別の棚に置かれていたはずの給湯ポットが食卓の上に置かれている。その付近を指でなぞると、何も置かれていない箇所がギリギリ生暖かい気がする。小一時間前までは座っていそうな温度だった。ほかの食卓はキンキンに冷えているため、おそらく小一時間程度と直観する。
台所の上と下は水浸し。給湯ポットに水を入れるため苦労したのだろう。というのも食卓と台所の距離は1mほど。その間に椅子が置かれている。蛇口からコップに水を注ぎ、椅子を経由して上り下りを繰り返し、給湯ポットまで運んでいたのだろう。その証拠に給湯ポットと蛇口までの一直線にかけて、水があちこちにこぼれまくっていた。一応、近くに雑巾を見つけたので拭いたらしいが、それも自分が座るところだけしか拭いていない。
アツアツのカップラーメンを食べるのに二十分以上は掛かったはず。ゆうべの食事はさらに時間が掛かっていた。待て、長い麺を三歳児が噛みちぎることは可能だろうか? 咄嗟に台所の棚を引いて確認。調理用ハサミの置かれている位置がいつもと異なっていた。一応、水をかけて洗ったようだが、本当に水をかけただけで洗剤は使っておらず、びしょびしょのまま閉まったらしい。やや乾燥しかけの調理用ハサミが『ボクいろはちゃんのラーメンを切るお仕事したよ!』と言いたげにキランと光っている。
(あっぶないなぁ!?)
その後はどうしたのだろうか。カップラーメンを食べる際、茶色い汁がこぼれて服についたのか、玄関方面へポタポタと汁が続いている。しかし無駄だ。玄関方面の両扉はどれも施錠されている。鍵はいろはちゃんが絶対に見つけられない場所に隠してある。一応取っ手を引いて確認。固く施錠されており開かない。扉の窓越しに下駄箱を確認。いろはちゃんの靴が揃えられている。どうやら正攻法での突破は諦めた模様。ならばやはり家の中か。
「────はっくしゅん!」
もしかしたら杜野凛世の部屋に入って、布団の中に潜り込んで今ごろスヤスヤ寝ているのかもしれない。あるいは、ほかの住人の部屋か。それとも別の部屋を探索中か。しかし廊下側にカップラーメンの汁は落ちていない。道しるべはそちらを指し示していない。というより、なんだか寒くはないだろうか。何かを見逃している気がする。
────調理用のハサミが
薄暗い室内で? 消灯されたリビングで? どうやって光の反射が起こるというのか。
台所の小窓から差し込む朝日。いつもは換気扇があるためそちらを使っており、小窓を開ける機会なぞ一度もなかった。開けるとこんなに外の空気が入ってきて寒いのか。
「────いやいやいや。いやいやいやいやいや! あいだっ!?」
慌てて駆けつけようとしたら椅子に足をぶつけた。痛む足をケンケンしながら台所に駆け戻る。着ぐるみが汚れることも厭わず、水浸しの台所に登り、女子高生では通れない小窓の中になんとか頭だけ突っ込む。
目下、1.5mほど。正確には145cmといったところ。前方30cmには石塀。まさか、この高さから落ちたのか? そのまま大脱走したのか。ショーシャンクの空に飛び立ったのか。どんな行動力だ。
そして見つけた。道路側に続く砂利道の上に、いろはちゃんのポーチが落ちていた。ちゃんと外に出る時に持っていったらしい。だが何かに引っかかってビリビリに破いてしまったのか、ショルダーベルトがちぎれている。
しかし問題だ。ポーチの中にはスマホがあり、そのスマホにはGPSという発信機が付いている。それを落としたということは、つまり。今のいろはちゃんの居場所が不明だということ。
すかさず頭を引っ込めて小窓から脱出。自分の背丈では小窓から外に出ることは不可能。かといって正門は閉ざされている。開けるしかあるまい。外に捜しに行くしかあるまい。
「り……凛世ぇー! 恋鐘ぇー! みんなー! ほんとごめん……! 助けてくれ~!」
先に助けを呼ぶべきだった、と反省する西城樹里だが、寝起きの上に混乱していたのだ。仕方あるまい。
そうして早朝四時から、寮の中はてんやわんやの大騒動となった。
§
「ごめんなさい……! アタシが油断したから……!」
「そいより捜しに行くばい! 戻ってきたらばーりばり叱るけん!!」
「でもどこに行ったんだろう……?」鈴木羽那は首をひねる。
「凛世は……最寄りの公園へ……」
「なら私は子供が入り込みそうな小さな路地に入ろう」
「で、でも、まだ家の中にいる可能性はあるよね……?!」桑山千雪が言った。
「たしかに、ひょっこり
「ならあたし、商店街の方向に行くよ!」鈴木羽那は真剣な表情。
「そいやったらうちは残った方角に走るけん!」
「では……みなさま……健闘を祈ります……」
「行こう、樹里! 反省会は後だ! 樹里は寮の外周を頼む!」
「あ、ああ……わかった!」
「じゃあ私、一通り部屋を回ってくるね!」桑山千雪は走り出す。
桑山千雪は寮内の捜索。
外に出た鈴木羽那・月岡恋鐘・杜野凛世・白瀬咲耶はそれぞれの方角に走り出し、西城樹里はポーチを回収しに行く。
(……このポーチ、完全に冷えてる……まぁ野ざらしになってたんだから、そりゃそうだよな……中身はっと────あれ? …………いろはちゃんのスマホがない! ──ってことは、待てよ……!)
西城樹里はスマホを起動。小宮果穂と園田智代子に教えられてインストールしたアプリを起動。地図が開かれると、赤い光点が目立つように波を立てている。
「こ……これかぁ!? 急いでみんなに連絡を────や、まだホントにそこにいるか分かんないから……現場に急行!」
西城樹里は歩道側に飛び出すと、クラウチングスタートを切って駆け出した。風を切るように走り、早朝特有の針が刺すような冷たい空気の中を疾走していく。やがて目的地の公園に到着。一見、人の気配はない。どの遊具にも小さな影は見当たらない。なら砂場はどうか。駆けつけると────
「……いろはちゃん!?」
────砂場の上に、いろはちゃんが
傍らには一匹のカラスが羽を折りたたんで首をかしげている。西城樹里が近づくと鳴き声をあげて飛び去っていった。
「いろはちゃん! どうしたんだ!?」
西城樹里は慌てて抱き起こすと、いろはちゃんは眠たげな目をこすってゆっくりと見上げた。
「……? ……じゅっちゃん? おはよー!」
「────…………お、おはよう…………?」
脱力。腰の力が抜けた。
こちらはとてつもないほど肝が冷えたというのに、いろはちゃんはいつも通り朝の挨拶をかましてきた。
速やかにポケットからスマホを取り出し、チェインに一斉送信。
『見つけた。みんなGPSを見てくれ……』04:35
五秒後。次々と返信が来る。
『良かった~!』04:35
『盲点ばい!
ポーチ落としてたからてっきり!』04:35
『よくぞ見つけました
さすがです樹里さん』04:35
『怪我はないかい?』04:35
『様子はどう?』04:35
『ああ、大丈夫だ。のんきに
朝の挨拶かましてきやがったよ……』04:36
『うわぁ……まったく人騒がせなんだから~!
でもほんっっっっとによかった~!』04:36
『今そっち向かってる!』04:36
『凛世もです……』04:36
『ふぅ……ひとまず安心かな?』04:36
『また逃げられないように気をつけてね!』04:36
その気配はない。いろはちゃんは西城樹里の背後に回って、背中を登り始める。
「……って、アタシ、着ぐるみのまま外に出ちまった……だ、誰かに見つかると恥ずかしいな……早く帰ろう……」
「えー! すなあそびはー?」
「お前なぁ~……? 寮に帰ったら覚悟しとけよ~……?」
「……??」
呆けた顔。本当に何も分かっていない童顔。
これは叱っても、叱られている理由が分からず泣き出すに違いない。かといって叱らない理由もない。
────ひとりで外に出ると叱られる。
それさえ把握すれば、叱られることを嫌がり、外に出ることも減るだろう。
……減るはず、なのだが。
「果穂の話だと、全然懲りないみたいだけど……?」
「? いろはねー。おすなであそんでたけどねー。からすもあそびにきてねー! つかれたからねちゃってねー!」
「……カラスと遊んでたのか?」
西城樹里は「よっこいしょ」と、いろはちゃんを背負って立ち上がる。砂場に落ちていたいろはちゃんのスマホを回収。
「うん! カラスとでんわごっこしてね~? ぷるるるる、がしゃん! するとねー。かぁー! って鳴くからねー」
「そ、そうか……つまり、カラスが面倒見てくれてたのか……?」
西城樹里は空を仰ぐ。時計台の真上に一羽のカラスが留まっており、じっとこちらを見つめているような気がした。
「ばいばーい!」
「……! …………おーい! いろはちゃんのこと見ててくれてて、ありがとな~!」
「────カァ~~~~~~!」
黒いカラスは大声で鳴くと、バッサバッサと飛び去っていった。
「……かっこいいねー!」
いろはちゃんは瞳を輝かせる。
「……割とマジで、面倒を見てくれてたのかもしれないな……」
西城樹里は思う。
死ぬほど疲れた。生きた心地がしなかった。今もまだ心臓が震えている。
やがて公園の外から、ペンギンの着ぐるみを着て全力疾走する杜野凛世と、朝の寝間着姿のまま走る月岡恋鐘が駆けつけてきた。ふたりはしっかりといろはちゃんを抱き上げてホールド。
「なんでぇ~?」
いろはちゃんは嫌がるが、また逃げられても困る。確実に寮まで安全に連れ帰るため、アイドル達は三人がかりで脱走小僧を連行した。
§
早朝の寮では、月岡恋鐘の雷が落ち続ける。
「つーん」
「カァーーーーーーッ!! 無視するとは何事たい! ちゃんとこっち見んね! どれだけ心配したと思っちょるん!? もう二度とひとりでかってに外に出るばいけんとよ!! わかっちょるの!?」
「いろはひとりでおさんぽできるもーん」
「せからしかぁああああ!! 自動車ば跳ねられたり! 迷子になったり! 危険はいくらでもあると! そいこといっちょんわかっとらん子供……どころか赤ん坊が! 生意気に言うんじゃなか!」
「なにいってるのかわかんない。はかたべん?」
「長崎弁たい!! 標準語で叱ってほしいなら叱るば……叱るよ!!」
「おもしろいからほうげんでいいよ!」
「今は面白い話はしてな~~~~い!!」
「こっちのカラスはおかあさんみたい」
「なんの話ぃ!?」
気づけばいろはちゃんのペースである。
ひとまず落ち着くことを勧めるため、桑山千雪は冷水を差し出す。
「! ありがとー千雪! ちょうど喉が渇いとったけん! ────んっんっぷはぁ! とにかくいろはちゃん! 外に出ちゃダメ! 理由は……危ないから! 迷子になるとよ!」
「スマホはもっていったよ!」
「スマホを持っていってもダメ! 車や自転車に弾かれたらどうするの! そいに……誘拐されることもあるかもしれん! とにかくダメばい!」
「ん~……はんろんできない」
「! 分かってくれたと!?」
「あのねー。それならねー。おかあさん、いろんなところにねー。なんきんじょー? つけててねー。はりがね? ぐるぐるまわしてね~。いすとかうごけなくてねー。ぼうも“たかとびきんし”でねー。だからいろはねー。そろそろあそびにいけなさそう!」
「いろはちゃんのお母ちゃんそこまでしちょると!? うぅ……そいばっかは、完全にこっちの認識が甘かったとしか言えんばい……想定以上やけん……でもそいことなら、うちらも同じようにするばい!」
「なんであそんじゃだめなの~?」
「危ないからぁっ! うちら心配するけん! 胸が張り裂けそうになったばい! いろはちゃんは、うちらの気持ちも考えてくれんと……?」
月岡恋鐘の泣き落とし戦法が炸裂する。
しかし三歳児といえば、他人の立場に立ってモノを考えることがまだできない知能年齢である。早くて四歳、平均で五歳、遅くとも七歳となれば、いわゆる『心の理論』『サリーのカゴ、アンのハコ』の問題に答えることができる。つまりその頃になってようやく、他人の気持ちを推し量る知的能力が身についてくると考えられている。
それはそれとして、いろはちゃんは早熟なのか。まだ三歳児だというのに、何か気づくことでもあったのか。
それとも他人の動きを覚えて、他人を気遣うような素振りを、何もわからないままただ真似ているだけなのか。
ともあれ、いろはちゃんの様子が少し変わった。
「ん~~~~~~…………」
何かを深く考え込んでいる。もしや外に出たい気持ちと、心配させたくない気持ちで葛藤しているのだろうか。
そこで西城樹里が言った。
「なぁ、いろはちゃん。外に出たいならさ。アタシでも誰でもいいから、ひと声かけてくれるだけでいいんだ……」
「じゃあよなかさんじからそとでてもいい?」
「えっ……いや……んんっ……それは……っ」
杜野凛世がつぶやく。
「赤子の朝は早い……」
「夜中の三時は早いってレベルか!?」
そこで白瀬咲耶が吹いてしまった。
「ふふっ────おっと、すまない! ──いろはちゃんと毎日を過ごすご両親は、本当に毎日が大変そうだな、と……想像してしまってね……」
「おとうさんねー。よなかのさんじはさすがにだめってねー。いうからねー。しかたないからねー。いろはおかあさんたたきおこすけどねー。ぜんぜんおきないからねー。ひとりでいく!」
だからといってダメなものはダメだと伝えるべく、鈴木羽那が「めっ!」とする。
「でもひとりで行っちゃダーメッ!」
「……はーちゃんとおさんぽ?」
「夜中の三時は一緒に寝ます!」
「じゃあいろはおそといく~!」
「そうはさせないように、こっちも色々準備しま~す!」
どうやら南京錠や針金を使った封じ込め作戦を実行する必要がありそうだ。
桑山千雪は苦笑する。
「でもお泊まりは昨日で終わりだから……また今度うちに泊まりに来たら、だね……!」
「はい……次こそは……リベンジを、果たしましょう……」
「そうだなぁ……」
「きをつけてね!」
ふいにいろはちゃんは注意する。
いったい何に気をつけるのだろうかと、一同は疑問符を浮かべた。
「おかあさんねー。いっぱいかぎがあるからねー。どれがどれだかわからなくてねー。いつもげんかんあかなくてねー。ようちえんのばすいっちゃうの!」
『……!!』
「だからおとうさんねー。いつもまどをつくって“しゅっしゃ”するの!」
『……っ!!』
それはあまりにもお労しい話である。
傍から見たらドタバタ家族コメディだが、それを現実でやられるほうからしたら、たまったものではない。
「ま……窓を作る……どがん状況と……??」
「あー……まさかとは思うけど、窓割ったりしてないよな……?」
「わるよ! ぱかって!」
「えぇ~~~~?! 割るのぉ……!? ──でも、たしかにお仕事は大事かぁ……」
ふしぎと鈴木羽那は納得する。
「おかあさんとおなじこという~」
「え~? そうなの~?」
次々と明らかにされる変わった家族の日常話。
気づけば叱咤の時間は終わっており、いろはちゃんの話に聞き入ってしまう。ふと思い出した月岡恋鐘が口を酸っぱくして何度も叱るが、いろはちゃんはそれを知ってか知らずかのらりくらりと躱していく。
「じゃあねー! いろはとしょうぶー!」
「カァーーーーッ! こがん言うこと聞かん子は初めて見たばい! 文字通りのきかん坊やけん! 反省の色がないのはよーく分かったばい! こうなったら脱獄不可能の寮にしちょるけん! 次会ったらばーりばり覚悟するばい! いろはちゃ~ん!」
「はーい!」
最後にいろはちゃんは、元気よく手を挙げて微笑んだ。
どうやら遊んでもらっているとしか思っていないようす。
『……………………』
西城樹里たちは、お互いの目を見つめ合う。
彼女たちはこの頭の痛い出来事に、ひたすら腕を組んで苦笑するほかなかった。
美しさの裏にはトゲがあるように。
可愛さの裏には、とんだ問題児が潜んでいた。
§