【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
ある日の283事務所・早朝。
今日は海まで出かけてのお仕事がある。内容はドリームユニットでの水着ライブ。
L字型のソファで待機するユニットメンバーは、田中摩美々、和泉愛依、市川雛菜、郁田はるき。
そして今日も今日とて、いろはちゃんが遊びに来ていた。デスクには七草はづきが座っている。
いろはちゃんは暇そうにしており、四人を見渡す。田中摩美々と市川雛菜はスマホをいじっており、和泉愛依と郁田はるきはテレビを見ていた。
「ねーねー、まみー○○ぱんつ、あそぼー?」
「……愛依~。パ~ス」
「あはは~。りょうか~い! じゃ、いろはちゃん! うちと遊ぼっか~? こっちおいで~!」
「おひなさまは~?」
「あは~。この顔で~、遊びませ~ん!」
「いくたんは~?」
「ご、ごめん……! 今、テレビ、いいとこだから……! これが終わったら、遊ぼうね……!」
和泉愛依は幼子を抱き上げて、膝の上に乗せる。
面と向かって笑顔を近づけて、両方のもちもちほっぺをぷにぷに。脇腹をこしょこしょして騒ぎ出す。
§
やがて時間が来た。プロデューサーがバスのような車を出してくる頃だ。四人は指定の場所で拾ってもらうため事務所を後にしなければならない。いろはちゃんといえば、ソファの上で寝息を立てている。ぐでーっとした仰向けで口を開けたまま寝ていた。なんとも可愛い寝顔である。七草はづきは上階にいるようだが、すぐ降りてくるだろう。
四人は外出。プロデューサーの車に乗り込む。発車。
しばらくして高速道路に乗る。そのまま海まで一直線だ。
「どこにいくんだろーねー?」
「それはね~? 海に行くんだよ~いろはちゃ────」
笑顔で答えた和泉愛依は一転、のけぞって表情が凍りつく。
スマホをいじっていた田中摩美々も停止。郁田はるきと市川雛菜は席を立って、声のした方向を思わず確認した。
「うみー! はじめてー!」
そこには、のんきに最後尾の椅子に座る────
『────い……いろはちゃん!?』
「あは~! みんなまとめて、してやられちゃったね~?」
脱走名人のお子様がいた。市川雛菜はのんきに笑う。
一方、運転中のプロデューサーは気が気でなく問いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、みんな……! まさか、いろはちゃんが乗ってるのか……!?」
「は、はい~!」
「そうなんよ~! どど、どうしようプロデューサーぁ!?」
「……ソファで寝てたんじゃなかったの~?」
いろはちゃんは即答する。
「ねたふり!」
『……!?』
「でもでも~。雛菜たち、割と前の方に座ってたけど~。いつの間にそんな後ろの方に移動してたの~?」
「あしもとスルスル! とくいだよっ!」
どうやら四人が乗り込む時には背後にピッタリと張り付いていたようす。そして四人が着席する際に、全員分の死角を縫って、風も足音を発さず駆け抜けた。といったところか。ついでに七草はづきの監視もすり抜けてきたようす。これは歴戦の
「あは~! すご~い! 杜野さんみた~い!」
§
撮影所の浜辺に到着。
プロデューサーは各所へ挨拶に赴き、アイドル達は控え室に入る。そのため、いろはちゃんはアイドル側が連れていくことに。
しかし一斉に水着へ着替えたりすると、その間にいろはちゃんが脱走するかもしれない。田中摩美々が捕縛係を買って出て、いろはちゃんを抱っこしている間、ほか三人が素早く水着へ着替える。それが終われば三人がいろはちゃんの面倒を見て、その間に田中摩美々が着替えるのだが────なんと文字通り一瞬で水着に着替えて、周囲を驚かせる。というのも水着は、初めから服の下に着ていたのだ。
「ふふ~。みんな騙されたね~」
撮影所に向かう。浜辺の手前に設けられたセットは、自動車の修理屋さんのようなステージである。
そこでプロデューサーが戻ってきた。アイドル達はこれから歌って踊るため、いろはちゃんの面倒はプロデューサーが見ることに。脱走しないよう肩車して、あとは二人で成り行きを見守るだけ。
すると空模様が怪しくなってきた。快晴の青空だったのが、山あいの方面から灰色の雲が流れてきている。風も強くなってきた。これでは一曲か二曲を踊り終わった時には雨が降り出すかもしれない。今回の撮影は晴れの時でなければいけないため、監督は無理を押してアイドルにお願いする。
「一発で撮影が成功しないと、望むものが撮れない。それでもやってくれますか?」
相談する時間はない。アイドル達は一発撮りのつもりで成功させてみせると約束する。
整列。市川雛菜、和泉愛依、田中摩美々、郁田はるき。
曲が流れ出し、アイドル達は歌って踊りだした。
♪~愛しき日々~♪
§
完璧なステージだった。見事に一発で撮影が終了する。
プロデューサーはほうぼうへ挨拶に回る。その間、休憩中のアイドル達がいろはちゃんの面倒を見ることに。
まさかの一発で撮り終わったため、予定と比べて大幅に短縮された工程。プロデューサーによれば、余った時間は自由に使ってもらって良いとのこと。であれば、海の撮影で水着。これで泳がない選択肢はない。
無いのだが────
「プロデューサ~……予定的に、泳ぐ時間はないかもって言ってたよね~?」
「でも摩美々ちゃん! 一発で撮り終わったんだよ!? うちらで泳ぎに行かない~?」
「ん~。今にも降り出しそうな中でもいいなら、って感じですけどね~?」
「雛菜ちゃんの言うように、だんだん寒くなってきたから、あまり全身浸かっちゃうと風邪引いちゃうかも~……」
────山岳と街の方面から、黒っぽい灰色の雲がどんよりと近づいてくる。上空は風が強いのか、かなり速いスピードで雲が海側に向かって広がるように移動していることが目に見えてわかる。
「ま、波打ち際で遊ぶ程度なら~って感じぃ~?」
「じゃあ行こ行こっ! 雨降ったら退散ってことで~!」
「……? なんか静かすぎない~? 郁田さん、いろはちゃんは~?」
「ちゃんと手をつないでるよ~」
四人は視線を下げる。そこには、郁田はるきの脚にしがみついているいろはちゃんが立っていた。じっと波しぶきを見つめており、なんだか縮こまっているように見える。
「……? どうしたの~?」
「…………」
田中摩美々の声は聞こえていないようす。
いろはちゃんは、さらにギュッとして、しがみつく力を強める。郁田はるきは閃いた。
「ぁ~……もしかして、海、はじめてって言ってたから……
「こわくないよっ!」
急に張り切って大声を出した。意地を張っているように見受けられる。
どうやら打ち寄せる波が怖いようだ。
「あは~。どうします~?」
「え~? いろはちゃん、海、怖いん~?」
ざあざあと泡を喚き立てる波しぶき。引いたかと思えば、襲うように寄ってくる。水平の怪物。
「ん~……こわくないよっ!」
いろはちゃんは勇気を出して突撃。
「あ、ちょ……まって~! いろはちゃ~ん!」
和泉愛依が追いかけて、一拍遅れて田中摩美々・市川雛菜・郁田はるきが後に続く。
いろはちゃんは波打ち際まで走ってきた。すると波が引いていく。胸を張って勝利を確信。
次の瞬間、予想通りの逆襲が寄ってきた。
砂の世界を怒涛のごとく呑み込んでいく水平のガツガツモンスター。
「ニャ゛アアアア゛アアアア゛アアーーーー゛ーー!!」
涙目で振り返る。脱兎のごとく逃げようかと思った瞬間、砂に足を取られて絶望。こけて絶望。両手をつく。手のひらが砂だらけ。それだけならまだいい。足首と両膝と手首を呑み込んでいく濁流。全身に鳥肌が立って絶叫。甲高い悲鳴。目の前から心配そうに走ってきて手を伸ばしてくるめいちゃ。その後ろにまみちゃんとひなちゃといくたんの姿。
それが
「びぇえええ゛えええええ゛ええええええ゛えええ────────!!」
すかさず和泉愛依がバチャバチャと水音を立てて、ギャン泣きを始めたいろはちゃんを抱き上げた。体重が軽いせいか、ほんのちょっと波に攫われかけただけだが、小さな子からすれば溜まったものではないだろう。一瞬の浮遊感と大海に力強く引っ張られていく感覚。並大抵の恐怖ではなかったはず。
「お~怖かったね~! もうだいじょうぶだよ~! お姉ちゃんがいるからね~!」
くしゃくしゃの顔で号泣する幼子は、和泉愛依の背中をギュッと抱きしめて肩幅に顔をうずめる。その周囲で心配そうに見守る三人。
ざあざあと喚き散らす波しぶき。びえびえと泣き喚くいろはちゃん。
この場にいては恐怖を煽るだけだ。
速やかにアイドル達は波打際から距離を取る。
和泉愛依は絶え間なくいろはちゃんに声をかけ続けて背中をさすり、頭を撫でて安心を促す。
それでもいろはちゃんの大号泣は止まらない。
「……」田中摩美々はどんな言葉をかければ良いか分からず無言が続く。
「自分から突っ込んだのに~」
「海、トラウマになってないかなぁ~……?」
和泉愛依は小刻みに身を揺すってあやす。いろはちゃんの視界に海を入れないよう気をつけて歩く。
だんだんと泣き止んできた。鼻をすする音。洗い場で顔と手を洗う。すると涙目ながら落ち着いてきた。
「…………もう、ないてな゛いよ゛っ゛!!」
いろはちゃんは、明らかに
「そっか~!」
「……ふふ~」田中摩美々は目をつむり、安堵の表情で微笑む。
「あは~!」
「泣いてないねぇ~」
泣き止んで良かった。
それはそれとして、いろはちゃんは気になるものを発見する。
「……あれなに~……?」
「ん? どれどれ~?」
いろはちゃんは街方面の道路側を指さす。
そこには、ざあざあと降る土砂降りの雨が見えた。しかし彼女たちの頭上には何も降ってきていない。
「──えっ? なになに!? どういう現象~?!」
「お……珍し~。雨の境目~」
「雛菜、小さい頃こういうことあった~!」
「これはいわゆる、
彼女達から見れば、さながらカーテン越しに街を見るようなもの。白糸のような篠突く雨に視界が遮られて、まるで雨が降っている場所が別世界のように感じられる。
「へぇ~! ……ん~? な~んかよ~く見てると……少しずつこっち来てない~?」
「ふふ~……そのうち摩美々たちは~。雨の中に入りまぁす……」
「雛菜、境目に行ってみたーい!」
「あ、まってぇ~」
いろはちゃんはもぞもぞとして降りようとする。和泉愛依はそっと下ろし、手をつないで同行。
雨の境目が砂浜に移動してきた。市川雛菜は両手を水平に伸ばし、ちょうど雨の境目に入ってみる。
「あは~! 見て~! 雛菜、右が濡れてるのに、左が濡れてない~!」
「右だけ風邪引いちゃうかも~?」
「へ~? それもなんかおもしろそ~!」
郁田はるきは手を差し出す。風が吹いて雨が散ってくることもあるが、垂直に降る雨はかざした手のひらだけを濡らしていく。
「わぁ~すご~い!」
いろはちゃんは首を曲げて大空を見上げる。曇天と快晴の境界線。街は雨が降っているのに、浜辺は何もない。なんとも不思議な光景。だが海の件で怯えぐせが付いているのか、雨の境界線に触れる気が起きない。おそるおそる境界線ギリギリを攻めつつも後退していく。
「あ、いろはちゃん。後ろ気をつけてね~。また転んじゃうよ~?」
和泉愛依は、後ろ歩きするいろはちゃんの背後を守る。
そうやって雨の境界線で遊んでいると────数分と経たず、砂浜の九割が土砂降りの雨に覆われた。
「あは~びしょ濡れ~!」
「海じゃなくて雨でびしょ濡れとか~。まぁ体がベトベトしないからいいけど~」
「このまま逃げたら、わたしたち海の中に入っちゃうねぇ~」
「あはは~! それどっちにしろ濡れるやつじゃーん!」
その時、四人は直感する。重大なことを思い出す。
────雨と海に挟まれる。
いろはちゃんは海を怖がっていた。そのせいか雨の境目にも怯えていた。そして
前門の雨、後門の波しぶき。
『────!!!!』
四人が気づいた時には、もう遅い。咄嗟にいろはちゃんの方を見やる。
「お~……」
いろはちゃんは雨の境目に気を取られており、すぐ背後に打ち寄せる波打ち際に気づいていない。あと一歩後退すれば、次の波で完全に気づいてしまう。
「……やばっ」田中摩美々は覚悟する。
「っ~~! い、いろはちゃん! 抱っこしよっか~!!」和泉愛依は慌てて駆けつけようとする。
「あ~……ムリっぽそ~……」市川雛菜は眉をひそめて憐憫。
「い、いろはちゃん……!」郁田はるきは何ができるわけでもないが、とにかく駆け出した。
雨の境目から逃げていくいろはちゃんは無邪気に笑っている。どうやら慣れてきたようだ。
ふいに誰かが足を掴んできた。ぐぐいっと後ろに引っ張られる。
「……?」
誰かに呼ばれた感じがした。すぐ下を見ると、そこには黒っぽく濡れた砂場。
────嫌な予感がする。
ぞぞぞっと背筋に悪寒が走って身の毛がよだつ。おそるおそる振り返ると────
ざっぱーん、と勢いよく打ち寄せる青と白と黒の波しぶき。
「ニャ゛アアアアア゛────!?」
慌てて逃げ出す。すると眼前に、無尽蔵の白槍が降り注ぐ。
全身がビクッと反応してのけぞる。えびぞりで躱した。
瞬間、自分の置かれた状況を客観的に理解して絶望する。
前から迫る雨。
後ろから襲う波。
終わった────
「びぇええええええええ゛えええええ────!!!!!」
豪雨を浴びて、
両足首を引っ張られたいろはちゃんは、胸と腹がビターンと砂浜に倒れ込む。そこへ泣きっ面に蜂が刺しまくってくる。背中を突くように踏みまくる
「あぁ! まってーいろはちゃん! ──やっば!! 体重軽いからフッツーに波にさらわれてる~!!」
引いていく波によって、五センチほど引きずられただろうか。再び打ち寄せる波が引いていくことで、さらに数センチ体が引っ張られて絶望が極まる中、和泉愛依が救出した。
「ごめんね~! もう大丈夫だから~!」
「愛依ちゃん! 急いで控え室に……!」
郁田はるきは自分の麦わら帽子を脱いで、いろはちゃんの頭にかぶせる。これで雨の怖さは少し消えるはず。さっそく和泉愛依と共に走り出す。田中摩美々と市川雛菜は先導して、片付け中のスタッフを邪魔しないよう、さりとて道を開けてもらい、最短ルートを作り出した。
「ありがとーはるきちゃん! 摩美々ちゃんに雛菜ちゃんも! はいはい、いろはちゃーん! もう控え室に~? 着いたぁ~!」
「────ぐすっ……ひぐっ……」
この数分間で二回も大号泣してしまった。
そんないろはちゃんは、もう泣く体力が残っていないのか。しゃくり上げながら落ちかかるまぶた。
『あ……』
なんと泣いたまま眠ってしまった。忙しい子である。
「電源切れちゃったかな~?」
「……まぁ……怖い思いをしなくなるなら、いいんじゃない~? ……悪夢とか、見ないといいけど~……」
「そしたら起こす~!」
「そうだね~。うなされてたら、すぐに起こしてあげよう……!」
そのためにも、みんなで見守らなければ。
やがてプロデューサーが戻ってくる。アイドル達は体を拭いて私服に着替えてバスに乗り込み、いざ事務所への帰路に就く。その間、いろはちゃんは幸運にもうなされることなく、健やかな寝息を立てていた。和泉愛依の膝を枕にしてよく眠っており、たまにほかの三人が様子を見に来る。
その後、事務所で目を覚ましたいろはちゃんは、四人からお菓子やジュースを分けてもらって、満面の笑みでおやつの時間を楽しむ。どうやら、すっかり海の恐怖は忘れているようだった。
§