【小宮果穂とちょいワル男子のオトナ甘くてコドモ苦い】ぷらすえっくす! 作:形のない者
────アルファさんがいろはちゃんに変わってから、二ヵ月が経過した。
早朝のアルファ邸リビング。締め切られたカーテンの隙間から朝日が洩れる。薄暗い室内。ソファベッドの上で目を覚ましたいろはちゃんはおふとんを跳ね上げ、となりで眠る小宮果穂に小さな手を伸ばし、お腹を揺すって起こそうとする。
「おはよー! かほー! あさごは~ん!」
「────……ん……お、おはよっ……!」
「わんっ!」
ふたりの声を聞いてマメ丸も覚醒。毎日のように、いろはちゃんの『あさごはん!』という言葉に反応して目を覚ます。もはやいろはちゃんとの生活は、当たり前のものとなっていた。日常である。
────それまでに色々とあった。
小宮果穂は朝食を作る。まな板をトントン。フライパンをジュージュー。
その間、いろはちゃんとマメ丸はのんびりとボールで遊ぶ。いろはちゃんは投げて、マメ丸は追いかけて。マメ丸は拾わずに戻ってくることがあり、いろはちゃんがお願いすれば咥えて持ってくる。すると今度は逆をやろうと思ったのか、いろはちゃんはマメ丸にボールを投げるよう命令。むちゃぶりされたマメ丸は優しく吠える。
────色々とは、本当に色々だ。最近では、283の寮に泊まって大脱走したこと。プロデューサーさんの車に乗り込んで海に行き、大泣きしたこと。そのあとも色々な思い出をみんなで作っていった。
『いただきまーす!』
────でも、それも……
「……いろはちゃん。今日まで、楽しかった?」
「? うん! たのしかったー!」
小宮果穂の膝の上に乗って抱きかかえられるいろはちゃんは、頭上の顔を見上げて、にっこりと満面の笑みで万歳する。
その愛くるしさに胸が締め付けられた小宮果穂は、うれしさとさびしさが混じる変な気持ちをこらえるように、柔らかい子供のお腹をギュッと優しく抱きしめた。
「……そろそろ、お昼だね。この前お話したこと、覚えてる?」
「なんだっけー?」
「いろはちゃんが、元のおうちに帰れる頃!」
「! そうだった!」
時刻は、もうすぐお昼。
最後の一日は、ゆっくりと家の中でくつろぐと決めていた。
十年前バズーカの効力が切れるタイミングが二ヶ月後と言われても、きっかり60日後なのかどうなのか分からないため、誤差は当然あるものとして覚悟していた。それでもなんとなく、今日だとは思うのだ。昨日かもしれないと思ったけど、お昼を過ぎてもなんともなかった。ならば今日しかない。
今日は、あれから60日目だ。
「……おわかれ?」
「────!」
いろはちゃんは察している。先日から小宮果穂が、なぜかそわそわとしている姿を何度となく見てきた。
おうちに帰る。ばいばいする。イコール、もう会えなくなる?
そんな風に連想しても、おかしくはない。
なんとも賢く聡い子である。
「またこんど?」
「…………────」
また会える日は、来るのだろうか。
十年前バズーカを使えば、また会うことはできるだろう。改良してもらえば、五分だけアルファがいろはに切り替わる、などという芸当も可能だろう。だがそれは自分勝手な考えだ。
小宮果穂は、今まで言いたくなかった言葉を、心を鬼にして口に出す。
首を横に振って、小さな子供に残酷な事実を伝える。
「……ううん。たぶん、さよなら……かな?」
「──…………」
いろはちゃんはうつむいてしまった。
顔が見えない。抱き上げて方向転換。向き合う形で抱きかかえる。しかしいろはちゃんは顔を上げない。小宮果穂の両脇の衣服をギュッと掴み、谷間に顔をうずめてしまった。体が小刻みに震えている。
「っ……いろはちゃん……」
子供の正直な感情が、素直に実直に伝わってくる。ごまかしようのない激情を一所懸命こらえていることが手に取るように分かる。目に見えて実感する。
「────くぅん……」
ソファの横でおすわりするマメ丸は、いろはちゃんのひざにお手をして、鼻を近づけてちょんとくっつけて、ほっぺを舐めた。するといろはちゃんは、マメ丸の首に腕を回し、がっしり後ろ首をホールドしてぐいっと寄せつける。
「ないてないよっ!」
何も聞いていないのに、突然いろはちゃんは声を荒げる。
それは今にも泣き出しそうな涙声だった。そのことに気づいたいろはちゃんは、我慢できない自分が悔しくなってきたのか、どうなのか。おえつが始まり、鼻水をすすり始めた。
そうして小宮果穂の胸元が、熱く熱く濡れていく。
「……いろはちゃん。お母さんとお父さんに会えるんだよ? ごめんね……今まで寂しい思いをさせちゃって……でも、もうだいじょうぶ! きちんといろはちゃんの居場所に帰してあげるから!」
「いやーだぁー!」
「……っ!?」
「っ────びぇえええええええええん……!!」
「えっ……!」
それからは号泣である。何度も頭を撫でて抱きしめて言葉をかけて、ハンカチで顔を拭いてティッシュで鼻水を拭って、あやしてもあやしても涙は止まらない。大口を開けて暴れるように泣きじゃくる。
数分後。
やがて泣くことに疲れたのか、いろはちゃんは泣き腫れた目でうつらうつらとするように、急に静まった。
「…………いろはちゃん。おうちに帰る準備、できた?」
「…………まだぁ……」
ならばと小宮果穂は周囲を見渡す。
いろはちゃんは遠い世界から旅行しに来たようなものだ。それならお土産が必要だ。元の世界に帰っても、あまり寂しくならないように。
では形が残るものはどうだろう。それだといつまでも残って、寂しい気持ちが永遠に続いてしまうかもしれない。
それなら食べ物はどうだろう。食べたら消えるものは、無くなったら寂しいけど、残り続けるものではない。しかしすぐ消えてしまうのも寂しすぎる。ある程度は長持ちするものがいい。
アメはどうだろうか。いや、ひとりで食べるとのどを詰まらせる。グミも同じだ。
ポテチは早めに食べないと乾燥などして味を失う。せんべいは硬すぎる。
やはりクッキーが定番だろうか。
「おなかすいたぁ……」
「! じゃあ……」
小宮果穂はいろはちゃんを抱っこしたまま台所に向かう。調理する気はない。作っている最中に、食べている最中に、突然“ボフン”と煙が立って、いろはちゃんが元の世界に戻ってしまうかもしれない。いつ戻ってもいいように、いつも一緒がいい。
棚を見やると、ジャスティスⅤが表紙を飾っているインスタント食品のパッケージを発見。
「ぉ~……」
これを電子レンジに入れれば、あとはご飯の上にかけるだけで、カレーライスなどが完成する。いつも忙しいヒーローの必需品である。学業と仕事に疲れて料理する気がない時は、よくこれにお世話になったものだ。
それはそれとして、何か正解を見つけたような気がする。
「……そうだ! これにしよう!!」
急いで玄関に走ってポーチを取り出し、そういえばと思い出して外靴を回収。
台所に戻ってインスタント食品を取り上げ、ポーチの中に詰め込む。
「……?」
いろはちゃんは、ご飯を作らず何をしているのか、と言いたげに様子を見守る。
小宮果穂はソファベッドに戻り、いろはちゃんを立たせて、靴を履かせる。
「? そふぁのうえ~」
「う、うん! でも今だけは、特別! ほんとはダメだよ!」
最後に、いろはちゃんの肩にポーチを掛けて、完成だ。
「いろはちゃん! これ、お土産ね!」
「────、……!!」
意図を理解したいろはちゃんは、潤む瞳で小宮果穂を見据える。
本当にお別れなのか。意地悪なことを言っているわけではないのか。
本当に受け入れなければいけないのか。お別れを。さようならを。言わなければいけないのか。
ポーチのショルダーベルトを強く握り締めたいろはちゃんは、ひたすら文句があるような顔つきで、ほっぺをぷっくりと膨らませながら────静かに、何度も、こくこくとうなずいた。
「えへへ……またいつか……会おうね? いろはちゃん!」
「……うん……ばいばい……?」
「うん! ……────ばいばい。大好きだよ、いろはちゃん!」
「……! いろはも……! いろはもかほ、まめ、みんな、だいすきぃいいいいい────!!」
§
いろはちゃんのあらん限りの叫びと万歳が上がった次の瞬間。
突として爆発音が鳴った。
白い煙がモクモクと広がる。
お別れは、あまりにも突然だった。
そして再会も、この上なく突然だった。
「げほっげほっ────い、いろはちゃ……じゃない! あ、あ……アルファ、さん……!?」
白い煙の中のどこかに、十年前から戻ってきたアルファさんがいるはずだ。
小宮果穂は両手を伸ばして広げて探す。体のどこかに当たればいい。でも段々と白い煙が腹立たしくなってくる。そのうち両腕をブンブンと振り回し、白い煙を払いのけるために使い出す。
「アルファさーん!」
「────ああはいはい爆速理解────まったまった、ラーメンこぼす……」
「っっ……ッッッ……!!??」
白い煙が晴れる。
ソファベッドの上には、旅館で見るような浴衣を着たアルファがあぐらをかいていた。
右手にはお箸、左手にはどんぶり。味噌ラーメンの匂いが徐々に漂い始める。
『……………………』
二ヶ月ぶりの再会。
お互い、今までどこで何をしていたのか、気になって仕方がない。
だが、今はそれよりも。
久しぶりの顔を見て、どうしても。
「……っ────!!」
「! お、おい……」
今度は小宮果穂の番が来た。潤む瞳。しゃくり上げる顔ばせ。
号泣を始めるのに、秒数は要らなかった。
飛び込んで抱きしめるのに、何も遠慮は無かった。
「だからタンマだっての! ソファにラーメンこぼすから! ちょ……果穂────」
「ア゛ぁああ゛ルファさぁ゛ああああああ゛ああああああ゛ああああああ゛んんん゛……!!」
「────……応。ただいま! ……元気にしてたか? 十年前の俺と、今までのお前は」
「う゛ぅ゛ぅ゛……────は゛い゛っ゛……はいっ!!」
泣きじゃくる顔面をアルファのお腹に押し当てて、小宮果穂は戸惑いを叫ぶ。
「どうすれば……! さびしいのに、うれしくて……っ! いろはちゃんがぁ……! アルファさんがぁ……!」
「ははっ。まぁ、なんだ……今ごろ俺は、泣き叫びつつも両親と再会して、果穂と同じことを思っているさ。そして三歳児だ。そのうちすぐ忘れる。あれは夢だったかな? とも思わない。そういうもんだ。赤ん坊の記憶力ってのは。なんせ物心が付くか付かないかの頃だからなぁ……」
いつもの理屈っぽい喋り方。そのくせ相手の心に寄り添う言葉選び。
懐かしい感覚。もう二度と抱きしめて離さない。
「ぐぅ……!」
それはそれとして、ひとりやけに余裕の表情でいるのは悔しい。そっちは泣いて喜んではくれないのか。
「そりゃ泣くほど喜んでるさ。顔にはもう出ないだけで。俺の涙腺を壊したければ……や、もう感動の涙は枯れてたか……」
「────っ?」
「ともかく! ────ただいま」
「……!」
小宮果穂は抱きつきの姿勢から離れて立ち上がり、目元をゴシゴシと袖で拭って、赤く腫れた目元でアルファを正面から見据える。
「────おかえりなさい! アルファさん!!」
「応! じゃ、まぁ……とりま、この二ヶ月間なにがあったのか……詳しく話を聞かせてもらおうか」
「はい! たっくさんあります……! 語りきれないくらい、たっくさんたっくさん、たーーーーーっくさん……!」
「そんなにか!? なら一度に聞くのは無理そうだな……少しずつ聞かせてもらうとするよ」
「えへへ……はい! 楽しみにしてますね! アルファさん!」
小宮果穂はお母さん編・完
「────ところで、アルファさんは……何も覚えていないんですか?」
「……三歳の頃の記憶ってことか?」
「はいっ。でも……考えたら考えるほど、なんだかよく分からなくなってきて……あ、頭がパンクしそうです……! あたし、本当はずっと前に、アルファさんと──いろはちゃんと──出会っていたんでしょうか!?」
「……世の中には便利な言葉がある。多世界解釈ってやつだ。パラレルワールドとも言う。知ってるか?」
「? いえっ……あっでも! ヒーロー番組を見ていると、たまに出てくる言葉です……!」
「要は、超似てるけど別の世界ってことだ。俺が行った過去の世界は、今ここにいる世界と、ほんの少しだけ歴史が異なっていた」
「え……! そうなんですかぁ?!」
「ああ。たとえば織田信長を本能寺で殺したのは最上義光って確定してた。──俺たちの世界からしたら意味わかんねぇだろ? ちゃんと博物館にれっきとした
「────っ!!」
「そうだったらいいなってくらいの話だ。なんせ歴史が違うわけだからな。そのあとの歴史も違うものになるのは……割と夢のある話だろう?」
「──……はいっ! いろはちゃんには、これからもずーっと! 幸せに生きていてほしいですっ!!」
それからもアルファと小宮果穂は、お互いの世界で何があったのか。
夜を明かす勢いで語り合った────
§