いつもこはるさんが配信をしている、寝室だ。
身体を起こそうと思ったけど、けだるさと頭痛によって阻まれた。
多分こはるさんにあの後運ばれたのだろう……厚意で舞い込んだこの状況であるのに、その親切を裏切るように香りを楽しんでいる自分に嫌悪感を抱きつつ、少しずつ、頭が冴えてくる。状況をつかめてくると次第に、事の異質さに気がついてくる。
憧れの配信者の、配信部屋に横になっている…… いつも画面越しに見ていた、あの子の部屋、いつも配信をしてる__オナニーをしてるベッドの上にいるのだ。
この状況で心に浮かぶのは、怖れであった。
視聴者とファンという関係を壊してしまうほど今自分はこはるさんと関係を持ち始めてしまっている。彼女の活動に何か支障をきたしてしまったらどうしよう、他の純粋に応援してるファンの人がみたらどう思うだろう、といった、不安ばかりが浮かんでしまうのであった。きっと、俺のほかにもこはるさんの配信で救われている人間がいる。この人の迷惑だけにはなりたくない。自分なんかがこはるさんの足を引っ張りたくない。なんだか背中のあたりからじんわりと嫌な汗をかき始めているのが分かった。これが体調が悪いのが原因なのかわからなかったけど、とにかく取り返しのつかないことをしている感覚に襲われて、今すぐベッドから退かなければな、と思った。重い腰をあげる。
コンコン! 小気味いいノックの音がする。
「体調の方はどうですか? まだ気分悪かったりしますか? あ、お水飲みます?」
こはるさんが入ってきた。矢継ぎ早に水を差しだされる。多分こはるさんの私物のコップに注がれた、水…… 好きな女性配信者の私物をつかってしまうのは気が引けた。
「すみません、今体になにか入れるとどうなるかわからないので、遠慮しておきます。ありがとうございます」そう伝えゆっくりと体を起こす。
「むむ、そうですか でももし何か必要でしたらいろいろ買ってくるので、遠慮なくいってくださいね」とコップをベッドサイドテーブルに置く。
「体調は、今のところ大丈夫そうですし、横になったおかげでだいぶ気が楽になりました。ご迷惑おかけして、ほんと、すみません」といって、身を起こそうとした。できるだけ心配させるまいと、表情を動かさないようにした(割れんばかりに頭が痛くて、歯をすごい食いしばってしまった)。制止するこはるさんの声に、大丈夫ですから、とだけ相槌だけ返し、起き上がる。ベッドから足をだしちょうど腰かける体勢まで体を持ってこれたが、やはり無理していたのか頭がぼーっとしてくる。時間をかけると立ち上がれないなと察し、そのまま勢いで立ち上がった。
瞬間感じたことのない位の立ち眩みに襲われた。脚に力を入れることができず倒れるばかりか目の前が真っ暗になってしまって何も見えなかった。耳を刺すような耳鳴りがして全く音が聞こえてこない。体感覚が取り戻せず、今自分がどうなっているのかわからなかった。口が動いてるのかどうかわからなかったけど反射的に「ごめんなさい!」と謝っていた気がする。自分が情けなくて仕方がなかった。
ゆっくりと体に感覚が戻ってくる。
こはるさんは、俺の下敷きになっていた。
幸い、ベッドに倒れこむ形となっていたのでこはるさんに影響はなさそうだった。
「大丈夫ですか!」
耳に聞こえる言葉はそのような言葉であった。
こはるさんは必死に俺の背中をトントンと叩き、声をかけ続けてくれていた。
急いで、体を起こす。もう立ち上がろうという気力は湧いてこなくて、そのままベッドの端に腰かける体勢となった。もう……とんでもないことをしでかしてしまったと思って、こはるさんのほうは向けなかった。
なんでこんなに俺に優しくしてくれるんだろう……
疑問の方が勝った。疑問は不安になる。何か目的があって優しくしているのではないだろうか……
とりあえず、退出は諦め、こはるさんに理由を尋ねようと思った。
「こはるさん」
「カホでいいです 本名カホなので……♡」
間髪入れずに話をねじ込まれてしまって面食らった。なんてコミュ力なんだろう。
こはるさん(カホさん、名前は覚えたがまだ呼べるほどの関係値でないと思う)は、語尾に♡がつくようなかわいらしい話し方をする。たしか、俺と同じ歳だけど(プロフが本当なら)背も少し低めで、こう……すごいかわいらしい人だなと思わされる。
とは思うんだけれど、どうしても危機感のなさや距離感に内心穏やかでなくなってしまう。1ファンとして「ネットの人には本名教えない方が良いです」とつい一言伝えたくなってしまうが、自分もこはるさんに本名を明かしているし、なんならネットのアカウントも全部教えていた。 俺の方が危機感はないかもしれないが、それらは自身の安全性を担保するためのいわば人質みたいなものであった。自己開示の一種ではない。ないが……
あと話し方がすごいかわいい。どうしよう、誰にでもこんな話し方してたら…… 少し苦手かもしれない。
いろいろ考え込みたくなってしまうが、こらえる。悪い癖だ。ここはこはるさんに合わせておこう。
「……カホさん」
「はい!」
「どうして……ここまで、その、優しくしてくれるのでしょうか」
あなたの活動を脅かすかもしれない1視聴者にすぎない私に。
こはるさんは少し考える素振りを見せた後で
「私だって、ファンの人とこんなに私的に交流するののダメさとか、わかってはいますよ でも、私がそうしたいと思ったから、ジャイロ熊さんとこうしているわけで」
「ま~」
言いよどむ。ま~、なんだろう。
「めっちゃ簡単に言えば」
「言えば??」
「ちょうどいいかな、って思ったんです」
「…… ちょうどいいとは?」
「わ、私、普段エッチな写真投稿するときも動画とる時も一人なんです!」
こはるさんは普段のエロ自撮りも配信も全部一人で撮影している、はずである。ほかの人が出て来ることはほぼなく、たまに活動者の女の子とコスプレ画像をあげていたり撮影を手伝ってもらったりしている(多分。手しか見えないのでよくわからないが、ネイルをしていて多分女性だろうなとおもったことがある。その女性? にブラを脱がされ、乳首をあらわにされる動画がある。好きな動画だ)くらいである。
今までの彼女の活動スタイルはガチ恋的なファンに対しても良い影響を与えていたように感じるが……
「そしたらですね、限界があるんですよ 表現に! 撮れる画角とかにも制限ありますし……
ですから、手伝ってほしいんです!」
「……?」
「最近マンネリ? ではないのですが、やっぱりずっと同じ形態なので、ファンのみんなにちゃんと楽しんでもらえてるかな~とか、不安になることもあるんですね、それで、もしジャイロ熊さんさえよければ、配信のテストに付き合っていただきたいんです!」
青天の霹靂とでも言おうか、あまりの突飛な提案に驚いた。当惑した顔しか返せなかったと思うが、それをみてこはるさんは話を続ける。
「ええと、ジャイロ熊さんは知ってらっしゃると思うのですが、たまに配信者のお友達に手伝ってもらって動画とか撮ってもらったりはしてるんです。でもやっぱり会ってお話をするとなるとどっちかが移動しなきゃなんで、結構大変で…… もしジャイロ熊さんが手伝ってくれるなら楽だな~と思ったんです! それに……」
少し表現を考える時間をとって、続けた。
「それに、すっごく嬉しかったので」
「ジャイロ熊さん、頻繁にリプしてくれるし、配信も全部見てくれてるし、感想ツイートも毎回ポジティブに書いてくれてて、「今日も元気もらえました!」とか律儀に応援し続けてくれているのが嬉しくて……R18の限定配信も見てくれているのは知っていたから、こんなに真面目な人もえっちな配信見るんだな~wって思ってたんです。だから、前はファンサービスの一環だ! と思って連絡したんです」
それは、俺が吐いてしまった日の__
「でも、軽率でした。その結果、ジャイロ熊さんのトラウマのこと、また思い出させてしまったみたいで、喜んでもらえると思ってたのが、とても恥ずかしくて」
話の内容と空気で、自分が彼女に与えた迷惑や自分の抱える罪悪感などは、この際どうでもいいちっぽけなことに思われて、壁の1点をじっと見つめているのはやめて、こはるさんの……カホさんの話す方を向いていた。どのような表情で、しぐさで、どんな思いをしているのか聞きとめる必要があると感じて、そうしていた。
カホさんはベッドの端にちょうど人二人分ほど開けて座っていて、カホさんも同じく壁側を向いて話していた。横顔にはなるが、少し俯き、反省している表情が読み取れた。この人が優しい性格なのは知っていたし、ファン想いの活動者であることも今までの活動の……誇張抜きにすべての活動から伝わってきていた。開放的で、外向的で、思慮深い、そんな彼女の姿勢に胸を打たれて応援したいと思ったんだったなと、思い出していた。
「だから、まずはこれを伝えるべきでしたね、すみません」
といって、立ち上がりこちらを向く。こちらも立ち上がろうとしたが「ジャイロ熊さんはそのままでいいですから!」と座らされた。
そして、深々と頭を下げて
「ご迷惑をおかけしました」
と告げたのだった。
「いえ、俺の方こそ、おかしかったんですよ、苦手意識があるなら最初から見なければよかった話なのに、それでも意地になって見続けてたというか、はは」
意地になって? そう、意地になっていた面もあるだろうな、と思った。自分の知らない1面を知っているファンの存在に少しだけコンプレックスを感じていたのだろうな。
でも、それだけじゃない。このままだと俺、こはるさんの配信を義務感や使命感的な、外的な理由で見続けていたことになってしまう。それはちょっと、違う。
「いや、でも」
なんとかして、言葉を続ける。伝えたいことを誤解がないように。
「でも確かに、こはるさんの配信から元気をもらっていたんです。トラウマも実際、こはるさんのおかげで軽くなったというか、配信越し、画面越しであれば見れるようになっていたし……」
そうだ、本来の原因は……。
「俺が、こはるさんに、話しかけたくて、我慢できなかったのが原因なんです 視聴者であれば、ファンであれば、適切な距離を置くのが最善だったのに」
俺は、あの時何を思ったんだろう。何を思ってあんなことしてしまったんだろう。
正直に、誠実に伝えなければ。
「特別な存在になれると勘違いしていたんです。こはるさんの配信で元気をもらっていて、トラウマも少しずつ良くなってきて、それで勝手に、一方向的に、元気を与えられているだけで満足だったはずなのに」
醜い自分を、正直に。
「千載一遇のチャンスだと、思ってしまったんです 浅はかで愚かなのは俺の方で、……カホさんが謝ることなんてないと、本気で、思っています」
「だから、顔をあげてください」
ぺらぺらと気持ちの悪い独白をしてしまったなと感じる。でもきっと伝えなくてはならないことを、嘘偽りなく伝えられた気がする。自分の評価を下げる発言をするというのは……誠実なことだとは思うけれど、それは態度でも示す必要があるよなぁと、自分を奮い立たせる。このままだと単に俺は自分の印象を誠実に見せたいだけの……良くない、人間になってしまう。
「俺はカホさんが考えるほど誠実な人間ではないし、だから手伝いはできません。もちろん嫌ということではなくて、これ以上深く関わるのはあまり良くないことだと思うので。でも俺の応援がしっかり届いているというのはすごく、励みになりました。これからも陰ながら応援させてください」
そう伝えて、立ち上がる。話し込んだおかげで眩暈はしなかった。
「引っ越してほしいとか、SNSすべて追跡させてほしいとか、もう配信を見ないでほしいとか……、今後カホさんがする要求には、すべて応えたいと思います」
「ご迷惑おかけしました」
深々と頭を下げる。