正午・エンナカムイ迎賓館廊下
アンジュの様子を見に、ルルティエが用意してくれた昼餉の膳を抱え、彼女が療養する迎賓館へと足を向けていた。
「最近は、お一人で起き上がれるようになられたんです。普通のお食事も、少しずつ食べられるようになられました」
隣を歩くルルティエが控えめに、けれど嬉しそうに報告してくれる。
「それは何よりだ。ルルティエ殿の看病があってのことだろう。感謝する」
「わ、わたしはそんな、大したことは……」
謙遜する彼女をよそに、ふと目を細める。
帝都を追われ、このエンナカムイに移ってからも、ルルティエを含めた隠密の仲間たちは変わらず力を貸してくれていた。
その理由は人それぞれ。
ヤマトの民らしく帝や皇女さんへの忠義であったり、はたまた『オシュトル』や『ハク』への義理だったり、あるいは単に面白そうだから、など。最後はどこまでが本心か定かではないが。
——だから、クオンが國に帰ったのも、致し方のないことなのだ。
彼女には帰るべき場所があり、ここに留まる理由はなかった。ただ、それだけのこと。
それでいい。トゥスクル出身の彼女が、他国の政争という火中の栗を拾うために、わざわざ命を張る理由などないのだから。
(……やめよう。今さら、詮無きことだ)
何はともあれ、有り難いことにクオン以外の皆はここで戦うことを選んでくれた。ならば『オシュトル』の立場としては、信頼に足る人材が残ったことを、ただ歓迎すべきなのだ。
「そうだ、ルルティエ殿。前に約束した褒賞の件だが……もし望みの物が浮かんだならば、気兼ねなく言ってほしい。可能な限り、要望に応えると約束しよう」
「あ…ありがとう、ございます。早く決めないと、ですよね」
アンジュが復権した暁には、それぞれ望む褒賞を取らせると約束していた。
といっても、今はまだ空手形に過ぎない。それでも残った彼らの献身に対し、誠意を尽くしたかった。
現在進行形で最大級の不義理を働いている身で何を、とは思うが。
「ええと、その……すみません。今は、まだ何も……」
しかし、ルルティエは未だ希望を口にしていなかった。
曰く、今は何も思い浮かばず、ここで皆の役に立てるだけで十分なのだと。
最近の彼女は、以前よりも積極的に働いてくれている。だが一方で、体を動かしていなければ落ち着かないと言った様子も見てとれ、どこか危うくもあった。
そんな状態で返答を急かすべきではなかったか。
『ハクはもう少しヒトを見定める術を身につけないと、この先困ったことになるよ』
脳裏に響く
その通りだ。少し焦りすぎたな。
「済まぬ。必要なことだと思い促したが、其方の心情を思えば不躾であった。お許し願いたい」
「い、いえっ! わたしが何も浮かばないだけですから……!」
きっと、急激な事変に心が追いついていないのだろう。それでもアンジュの傍付きとして、これ以上ないほど働いてくれているのだ。いつか必ず報いてやりたい。
「わたしが、欲しかったものは……」
ぽつりと消え入りそうな呟きを漏らし、ルルティエは言葉を紡ぐのをやめた。
何を言いかけたのかは分からない。だが、俯き気味で横を歩く彼女の、寂しげな横顔を見て——ふと、胸が締めつけられた。
『帰らなくちゃ……』
なぜなら、あの時のクオンと、まったく同じ表情をしていたから。
(……女々しいな。『オシュトル』らしくもない)
つい先ほど仕方ないと割り切ったはずなのに、彼女の面影に少し触れた途端にこれだ。未練がましいにもほどがある。
仮に、もしルルティエがここを去ると言い出したとしても、『オシュトル』に出来るのは、条件を提示することだけなのに。
『とっても……とっても楽しかった……』
それ以上強く彼女たちを引き留めるなど。
『オシュトル』には出来ない。出来なかった。
『……さよなら』
耳の奥がずきずきと疼き、日に日に耳鳴りが強くなっていく。
いっそ冷酷に便利な駒として扱うことも、彼女の身を案じて故郷へ送り出すことも出来ない。自分はどこまでも矛盾していて、中途半端だ。
兄貴やウコンなら、どうしただろうか。
『俺らは皆、湿っぽいのは苦手なもんでな』
記憶の中の男が、いつも通り豪快に笑う。
そう、だったな。
「某は……そうだな。全て片付いたら、何も気にせず皆と酒が呑みたい」
「え?」
口から出たのは、ほんのささやかな願望。
「褒賞の話だ。高い酒や肴は要らぬ。ただ気楽に、したい事をする。それもまた、立派な望みと言えるであろう」
思えばあの二人も、自らの欲望には割と正直だった気がする。
それに比べて、ルルティエのなんと無欲な事か。ちょっとは見習ってほしいものだ。
「どうせ賜るのは、まだ随分と先の話になる。この忙しい時分に、慌てて答えを出す必要はない。たとえ願いが明確でなくとも、枕元で未来にささやかな楽しみが待っていると考え、それを明日の活力とする。今はそれで充分だろう」
「よろしいの……でしょうか」
せっかくの臨時ボーナスなのだ。使い道をジメジメ思い悩むなど勿体無い。
きっとオシュトルだって、こう答えるだろう。
まあ、ちと威厳には欠けるかもしれんが。
「構わぬ。望みを決めるのはルルティエなのだから、どれだけ悩んでも良いのだ。某も、皆も咎めはせぬとも」
「…………はいっ」
少し間を置いて返ってきた声は、先ほどよりずっと力強かった。
それを聞けただけで、もう叶いもしない望みを口にした甲斐があったというものだ。
* * *
アンジュの部屋
「お昼はお好きなものをたっぷりご用意しました。アンジュさま、どうぞ焦らず、ごゆるりとお召し上がりくださいね」
「ぅ……」
今の彼女にとって、意思疎通の手段は身振り手振りのみ。
かつての天真爛漫な皇女さんとも、あの懐っこい『チィちゃん』とも違う、痛々しいほどに意思を感じられぬ童女がそこにはいた。
幸い五体は無事だが、高熱続きのせいで未だにぐったり寝込む日々。
何より毒に焼かれた喉は、あの喧しくも愛らしい声を奪われたままだ。
なぜ。なぜこの子がこんな目に。
こみ上げる憤りに奥歯を噛み締めるが、決して表情には出さない。
周りの者が辛い顔をすれば、きっとこの子は更に傷ついてしまうから。
「姫殿下、こちらをどうぞ」
某は匙を手に取り、アンジュの口元へ食事を運ぶ。
少し前までは心の問題もあり、何も口にできない時期すらあった。だが今は、こうして差し出された食事をひとつひとつ、確かめるように嚥下してくれている。
元来、皇女さんはクオンに負けず劣らずの健啖家。これでも本調子にはほど遠いくらいだ。
父の訃報、帝都を脱した際の混乱、そして信頼していた臣下たちの謀反。幼い彼女の背に、あまりに重い絶望が一度にのしかかったのだ。アンジュは十分よくやっている。
本当は彼女にも、そして皆にも……もっと、時間が必要なのだ。
「ふふ。そのように焦らずとも、膳は逃げたりはしませぬ」
「…………!」
「オ、オシュトルさま……」
「ん?」
気づけば、皇女さんが顔を真っ赤にして俯いていた。隣で見守っていたルルティエも、どこか狼狽えたようにこちらを見ている。
はて。食い意地を指摘されたと思って、恥ずかしくなったのだろうか。このくらいの歳の子が気にする必要もないだろうに。
「これは失礼を。御身の壮健ぶりを拝見できたことがあまりに嬉しく、つい口が滑ってしまいました」
本音半分、宥める気持ち半分で謝ると、アンジュは照れたように顔をほころばせた。やれやれ、危ない危ない。
「それでは、某はこれにて。ルルティエ殿、姫殿下を任せても良いか」
「承知いたしました。いってらっしゃいませ、オシュトル様」
アンジュがなんとか膳を平らげたのを確認し、その後の世話をルルティエに託す。
ひとまず快方に向かっている姿を見られて良かった。あとは、自分の仕事をするだけだ。
「……ぁゆ、ぅおぅ」
「姫殿下?」
席を立とうとした刹那、アンジュに不意に袖を引かれた。
その淋しげな瞳を見て——そうだった、と己の失念を悟る。
「姫殿下の為、微力を尽くして参ります。どうぞ、今は安心してお休みを」
「……」
そう言ってアンジュの頭をそっと撫でると、アンジュは安心したように目を細め、へにゃりと微笑をたたえてうなずいた。
いつぞや、つい彼女の髪に触れて以降、顔を合わせるたびにこの行為が慣例化している。
主従の間柄でいかがなものかと思うが、この安らかな顔を見せられては、イヤとは言えない。
(やっぱり、チィちゃんと似て――いや、違う)
この子はアンジュだ。
間違えてはいけない。
チィちゃんは、思い出の中に。失われた『ハク』という男の中にのみ存在する。いない者の影を、今を生きる者に求めてはならない。
感傷に浸るのも程々にせねば。
オシュトルとの約束は、アンジュを守り抜くこと。
それ以外に甘い夢など、見ている暇はないのだから。
オシュトルの解像度は高いくせに、公的な場でのオシュトルのフリをすると途端にボロを出しまくるハクトル好き。
人類:作中時系列より過去、地上は人類の住める環境で無くなり、人類は地下のシェルターでの生活を余儀なくされた。高度に発達した技術によって地表は蘇ったが、その頃には人類は管理された空間でしか生きられなくなっていた。結果として彼らは滅び、不死のタタリとして世界を彷徨っている。デコイは人類に無条件で惹きつけられる。インチキテクノロジーでケモ耳美少女人工生命を生み出した異常者たちにバンザイ。
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