これは、オシュトルたちがエンナカムイへと逃れた後のこと。
帝の訃報と皇宮での動乱は帝都中へと波紋を拡げ、民草の狂騒を招いた。
天上たる帝がいてこその安寧。その絶対の拠り所を失った今、ヤマトはどこへ向かうのか。
民の不安と疑念が爆発する、まさにその直前。
「鎮まれい! 姫殿下の御前であるぞ!」
八柱将・ライコウの峻烈な怒声が、喧噪を切り裂いた。
ヤマト一の智慧者の登場。
彼が動く以上、場の風向きを変える策がこれだけな筈もなく。
「————聞くのじゃ、我が愛おしき民よ」
彼の隣には、帝唯一の後継者・天子アンジュの姿があった。
その身代を以って状況を一変させ、さらにその場でアンジュの即位を宣言した。
この國の新たな太陽として君臨する彼女を補佐するため、摂政の座に就いたのは勿論ライコウである。
中央の大多数の高官たちには、この拙速とも言える即位の
ヤマトの支配の中心が今、ライコウの元へ移ったことを。
それから暫く、新体制を盤石なものとするため、皇宮では幾度も合議の場が開かれた。
ここまですべてがライコウの掌の上。あらゆる事象が彼の描いた盤上の如く、思い通りの想定内。
そう。例えば、実質的支配者を前にした、高官たちの反応すらも。
『ライコウ様ならば間違いなどありますまい』
『貴方様になら、我らは喜んでお仕えしましょうぞ』
『今後も是非、我が家門とよしなに願えれば……』
『『『全ては、ヤマトの安寧のために』』』
揃いも揃って、口を開けばみな同じ。
ライコウに異を唱える者など、ただの一人もいなかった。
官吏たちは媚びるべき上位者へ熱烈な
残ったのは怜悧なまなざしで空座を見つめる、現朝廷の実質的頂点のみ。
「安寧のため、か。安寧に沈溺したまま、息の仕方すら忘れては遅いと言うに。ここに至りてもなお宮廷の序列に固執するか。豚共め」
盤上を支配する男は現状を鑑み、大層不満げであった。
あえてその理由を挙げるならば、帝都屈指の有力者の集まるあの場において、彼を
「立場を持たぬならば、媚びるのも許そう。無力であれば、
強い力にすがる瞳。揺り籠の中で安心し、弛みきった口元。彼らは先帝の影響下からまるで抜け出せていない。
まったく、扱いやすいことこの上ない。
「大国を統べる人材がこの程度とは。使える駒がこうも限られては、あの御方もさぞや苦労されてきたのだろう。いや、あるいはそれすらも愛でただろうか」
ここに至り、彼はようやく先帝の心中の一端を理解した気がした。
「……して、あちらの豚はもう動いたか」
ライコウが背後に問いかけると、控えていた影が応じた。
「はい。報告によれば、エンナカムイへの進軍の準備を始めたとの事です。如何いたしますか」
「放っておけ。どうせ血筋以外、さしたる使い道のない男よ。その唯一の取り柄、最後に活かしてもらおうではないか」
ライコウの側に侍る従者の中にすら、彼と同じ視座を持つ者は
「俺はつくづく人材に恵まれぬらしい。……いや、その逆か」
その声色に混じるのは、変わらぬ現状に対する怒りか、孤独に対する寂寥か。
思索を終えて場を去る前に、聖賢は吐き捨てるように一人ごちる。
「構うものか。いよいよヤマトの門出の時が来たのだ。どんな手を使おうとも、俺は未来を切り開く」
* * *
「帝都にて、アンジュ姫殿下を名乗る者が帝の御名を継ぎ、内々に継承の儀式を済ませたとのことです」
オウギからもたらされたその報せは、エンナカムイ城の朝議の場を大いに揺るがせた。
「うん……? どういう事だ? 姫殿下は今、このエンナカムイにおられるではないか」
ノスリの言う通り、本物のアンジュはこの城で床に伏している。
「偽物を立てたのであろう。予想はしていたが、動きが早いな。それに、手際があまりにも強引ときた。何を考えているのやら」
「姫殿下の偽物だと……!? なんと不遜な!!」
現人神たる帝の身代を偽るなど、帝への忠心篤いこの國の民ではまず思い至らない。ヤマト史上類の無い大罪と言えるだろう。
そしておそらく首謀者は、摂政に収まったライコウだろう。一度しか会ったことの無い相手だが、奴ならばやりかねないと思えてしまうから不思議だ。
「コイツぁ、ちょいとまずい流れじゃない?」
「然り。今からこちらが正当な後継者だと名乗りを上げたところで、『どちらが本物か』という疑念を拭い去ることは難しい」
朝廷側の勢力は、帝都ならびに北東のアシワラを含む現体制を支持する國々。それだけでヤマト全土の半分を占める。
対してこちらは、辺境の小国エンナカムイ。自領の兵をいくら兵を募ろうと、数では到底勝ち目がない。
せめて、動向を伺っている残り半数の國々に働きかけられれば……と考えていた矢先の報せだ。
各地への援助要請すら行き届かぬ段階で、先手を打たれたのはかなり痛い。
「兄上は……この先、何が起きると思いますか?」
キウルの問いに、喉の奥で苦い唾を飲み込んだ。
決まっている。
一つの國に、頂点は二つも必要ない。
「まずは、帝都から布告が届こうな……姫殿下、いや、帝の名を騙る逆賊め、と」
最大の問題は、こちらのアンジュが本物であると、即座に証明する手立てがないことだ。
例えば、アンジュ自らが表舞台に立ち、本物の彼女を知る諸侯を直接説得できれば対抗手段となり得るかもしれない。
だが、今の彼女の容体ではそれも叶わない。
逆賊認定を跳ね除けることはかなわず、いずれ軍が差し向けられるだろう。
この電撃的な即位も、そこまで読んで急いだに違いない。
「こうしてはおれんッ!!」
すると、血気にはやったノスリが勢いよく立ち上がった。
「待て、ノスリ殿。何をなされるつもりか」
嫌な予感が頭をよぎり、反射的に彼女を引き止める。
「決まっている! 姫殿下を騙る奸智の輩の元へ乗り込み、その企みを白日の下に晒してやるのだ! 向こうが偽者と知れ渡れば、諸国の皇たちもこぞってこちらの味方をしてくれるに違いない。フフン、我ながらなかなかの名案だろう?」
真贋を暴き、味方を増やす。確かに道理に適っている。義賊として生きてきた彼女らしい、潔い案と言えよう。だが、
「さすがに危険すぎる。何より、仮に首尾よく偽物を暴けたとて、それは帝都に再度混乱を招くことになろう」
「帝都の民は、困惑しつつも偽の姫殿下を受け入れつつあるようでした。彼女によって当座の紛糾が収まったことが大きいのでしょう。もし今、その均衡が崩れたりしたら……」
某の言葉をキウルが引継ぎ、それに首肯する。
大衆に恐慌が広がれば、民に無用な被害が出る。将来の展望もなく、徒に民心を乱すのは悪手だ。
「む、むぅう……ならば、どうすればよいのだ!」
ノスリの焦りは理解できる。
このまま偽のアンジュの下でヤマトが安寧を取り戻してしまえば、本物のアンジュは國を乱す火種でしかなくなる。そうなれば、我々に味方する者など誰もいなくなるだろう。
つまる所、決起するにあたり、タイムリミットを突き付けられたワケだ。
尻に火をつけられた気分というのは、何時だって良い物じゃない。だが、
「某たちのすべき事は変わらぬ。正統なる後継者である姫殿下へ忠義を尽くし、来たる戦いに向け備えるのみである」
オシュトルらしく、自信を以て堂々と忠道を説く。
具体性に欠くことは重々承知。しかし、某が弱気を見せれば、結束は内側から瓦解し、離反者を招いてしまう。
こちらの正当性を前面に出し、逆賊を討つべく諸國をまとめ上げるのが理想だったが、きづけば現実はその真逆。
戦わずして相手を窮状へと追い込む、このデコイらしからぬ情報戦。なんて面倒な相手なのだろうか。
「……敵は國一番の智慧者、か。頭が痛いな」
またひとつ積み重なった懸念に胃を焼かれながら、光明の見えない論議は続いていく。
改めて要素を列挙してみると、まるで勝ち目が無い。
真人計画:人類がタタリ化する前に研究されていた、地上に出られないほど弱体化した人類の肉体を強化し適応させる計画。明言されている被験者は帝(兄貴)、ハク(本名不詳)。結果として、二人はタタリ化を逃れている。大いなる父・ハクは改造人間である。
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