………………………欲しい。
1DKのマンションに帰ってきて、まず思うことが、それか。
ため息をつく。
どうしようもない。
本当に、私は、どうしようもない。
「………………………はぁ………………」
ため息をつきながらドアの鍵をかけ、ドアガードを倒す。
一日中履いてくたくたのパンプスを綺麗に揃え、ファブリーズをかける。
幸いながら、10円玉はまだ入れなくても良さそうだ。
効果があるのかはわからないけれど。
猫の絵が描かれている、もこもこのスリッパを履きながら、またため息をつく。
本当は、猫か犬を飼いたい。
かわいいのを飼いたい。
でも、朝と夜と休みの日以外は部屋に閉じ込めることになると思うと、かわいそうで飼えない。
何かあったら責任負えない。
そもそも、このアパートはペット禁止だ。
再びため息をつきながら、コートを脱ぎ、キッチンから繋がる部屋のドアを開け、電気をつける。
本棚、机、パソコン、タブレット、ゴミ箱、姿見、ベッド。
生活感のあまり感じられない六畳一間。
テレビはない。どうせ見ない。
訪問が鬱陶しくなり、捨てた。
ちゃんとリサイクル券のコピーを送ったから、もうあの人は来ないだろう。
そう信じたい。
窓に近づくと、レースカーテンの向こうで電車の音が右から左へ走っていった。
カタタン、カタタン
カタタン
遠くで明滅する踏切の赤い光を感慨もなく眺め、
またなんとなく、ため息をついた。
遮光一級のカーテン。
お店で見た中では、一番の厚手のカーテン。
外の光を一切通さない、カーテン。
そのカーテンを閉めたら、少し気が楽になった。
私は、ダメな人間だ。
ダメな人間
………………なんだと思う。
多分。
きっと。
いや、間違いなく。
常人か狂人かだったら、おそらく狂人なんだろう。
きっと。
いやわからない。
でも、きっとそう。
だって
こんなにも
エアコンをつける。
設定温度は25℃、早く温かくなってほしい。
寒い。
寒いのは、嫌だ。
早く温かくなってほしい。
パンツスーツのジャケットを脱ぎ、ハンガーにかけ、ファブリーズをする。
仕方なく付けていたイヤリングとネックレスを雑に化粧箱に入れると、鏡に顔が映った。
ブスとは言わないだろうが、決して美人ではない顔。
最低限の化粧と、死んだ目。
前下がりのボブカットは、おかっぱ頭と揶揄されて久しい。
太縁の眼鏡の奥で、光のない目がこちらを見ている。
どうでもいい。
せめても、と口角を上げてみたが、
元気にはならなかった。
鏡から目を逸らし、ため息をつく。
早く温かくなってほしい。
着替えるか少し逡巡した後、ブラウスとズボンのままキッチンへと向かう。
部屋の中は、まだ寒い。
もう少し、温まってから服を脱ぎたい。
化粧は後で落とそう。
寒い。
スカートは嫌いだ。
足が寒いから。
多分そう。
そうであってほしい。
だから、私はパンツスーツが好きだ。
ズボンが好きだ。
ズボンなら足が見えることはない。
冷えることはない。
人の視線に悩んだりしなくていい。
気楽でいい。
それでいい。
それが、いい。
寒い。
早く温かくなってほしい。
寒い。
早く温かくなってほしい。
温かくなりたい
温かく、なりたい………
………………………………………
………………………欲しい………………
身体の奥が、
熱を孕んだかのように
じん、
と、疼いた。
炊飯器を開ける。
ふわりと湯気があがる。
ご飯は問題なく炊けていたようだ。
よかった。
日曜日に作り置きしていた肉野菜炒めのタッパーを冷蔵庫から取り出し、電子レンジに入れる。
昨日から変わり映えのしないメニューを見ながら、考える。
明日くらいはもう一品、何か買おうか。
お肉とか。
ロールケーキとか。
唐揚げ、とか。
チョコレート、とか。
お肉、とか。
お肉、とか。
お肉、とか。
ブゥゥン、とレンジの中で回るタッパーを無表情に見ていたら、背後から手が伸びてきた。
「おかえり、カナ」
ゆっくり後ろから抱きしめられる。
無表情の私をよそに、ぎゅぅ………っときつく抱きしめられる。
いつものこと。
私が好きな、抱きしめられ方。
いつもそう。
優しく包み込むような、でも、寂しがり屋の子どものような。
離れたくない、というのが、わかる、抱きしめ方。
呼吸が浅くなる。
そんな
「いつもお疲れ様」
抱きしめる力が弱まり、私はようやく息をする。
………………ただいま。
無感情な声で答えた。
タッパーはまだレンジの中で回っている。
「今日も頑張ったね」
よしよし、と、抱きしめられたまま頭を撫でられる。
それが嬉しかったのか、肩の力が抜ける。
心は死んでいても、身体は正直なのだろう。
それがいいことなのかは、わからないが。
「………………ふふ、カナ………………」
後ろから抱きしめたまま、彼が頬擦りをしてくる。
犬を飼ったら、こんな感じなんだろうか。
飼ったことがないから、わからない。
わからない。
けど多分、こんな感じなんだろう。
きっと。
「………………カナ………………」
彼が、左耳にキスをし、そのまま上に舐め上げる。
ピアスの穴は、怖くて開けられなかった。
その、穴のない耳たぶを舐め、優しく咥え、吸ってくる。
………ん………………
吐息が漏れる。
彼の左手は胸を触り、右手は、いつの間にか私の下腹部を触っていた。
壊れ物を扱うような、優しい手つき。
身体の中の一番弱いところを
知っているかのように
おへその下あたりを、撫でる。
ゆっくり、
ゆっくり………………
「………………カナ………………」
触れるか触れないかの
優しい手つきで
私の
肌を
ゆっくりと
なぞる
強く、弱く
強く、弱く
強く、
弱く………
「…………………………ん……………………」
ブゥゥン………………
蓋のないタッパーが、電子レンジの中で回っている。
肉と野菜が、互いに混じりあい、
オレンジ色の光の中で、回りながら、温められていく。
熱を与えられていく。
下腹部を触っていた彼の指が、
するりとズボンの中に入った。
おへそのすぐ下の、毛の生え際を優しくくすぐられる。
「………………………………」
あと数センチ
もう少し、指を下げれば、
触れてしまう。
だから、
意識してしまう。
そこを
「………………愛してるよ、カナ………」
耳元で囁かれ、再び生え際を優しくなでられる。
今度は、少しだけ、下側で。
彼の指が、私の肉を押す。
押されたまま、指が上下する。
毛の動きでわかる。
どこをどう触っているのか、
見えなくても、わかる。
「………………………っ………………」
焦らされる。
あとわずかなのに、
あとわずか、
もう少し、深く………
無意識に、下腹部に力を込めた。
無駄だとわかっていても
少しでも、腰を浮かせたくて。
彼の指が、深く、中へと、沈んでいく。
ゆっくりと、奥まで。
でも、
いつもあと少しという所で引き上げられる。
私の期待を、裏切るように。
何度も、手前で止まり、もてあそぶ。
何度も、
何度も、
何度も………
沈んでいく。
引き上げられる。
お願い
ほんの数ミリ
あとほんの少しだけ
ほんの少しだけ、
下の
沈んでいく。
引き上げられる。
沈んでいく。
引き上げられる。
焦らされたら、嫌でも意識してしまう。
指はゆっくりと近づいている。
ゆっくりと、下へ
一番、
敏感な、
あと少し、
もっと深く
もっと、深く………
奥まで………………
沈んでいく。
引き上げられる。
沈んでいく。
引き上げられる。
沈んで………………
そう、
そこ
触っ
「………………………………ぁ………」
チーン。
レンジの音を聞き、我に返る。
タッパーの温めは、終わったようだ。
いつの間にか、私の身体をまさぐっていた彼の手は消えてしまった。
誰もいないキッチンが、急に肌寒く感じる。
………………深くため息をつく。
最近は、ため息ばかり出る。
嫌になる。
何かいいこと、ないかな。
タッパーをレンジから取り出し、お皿へと盛り付け、お箸と共に机に持っていく。
左手にほのかな熱を感じながら、部屋着を探す。
ベッドの上に、乱雑に脱いだトレーナーとジャージ。
朝はいつも忙しい。
起きられないから。
ずっとベッドにいたいから。
ずっと暖かいベッドの中にいたいから。
机にお皿と箸を置いて、壁にかかったデジタル温度計を見る。
24℃、52%。
部屋の温度は十分だ。
少し乾燥しているみたい。
壁についたリモコンを押し、エアコンを22℃まで下げ
加湿器をつけたあと、私はブラウスのボタンを一つずつ外した。
カタタン、カタタン
どこか遠くで、電車の音が聞こえる。
厚手のカーテンの向こうには、何も見えない。
「明日もまた、会社、か」
脱いだブラウスとズボンをそれぞれハンガーにかけ、それらにもファブリーズをかけながら、またため息をついた。
トレーナーにジャージ。気楽でいい。
今は何も考えたくない。
今は何も考えたくない。
寒い。
ただ
身体の奥だけが
じわりと
冷めない熱を持っている
炊飯器を床に置き、机を引き寄せ、ベッドに座る。
カーペットがあっても、今の時期は床に直接座るのは、さすがに嫌だ。
スマホをバックから取り出し、何の気なしに、左手を太腿にはさむ。
寒い。
そう、手が寒いから。
ここが一番温かいから。
かじかんでもいない手を、太腿ではさむ。
寒いから、と言い訳して、
そのまま、一番温かいところを手のひらでそっと包んだ。
温かい。
ほんのりと温かい。
「………………………………」
スマホを机に置き、右手を左手に重ね合わせる。
寒いから。
指先を温めるだけ。
そう、
温めるだけ。
少し、温める、だけ………………
左手の中指を
わずかに曲げると
布越しに
一番熱を持った所に
触れた。
………………先程の妄想の続きが、ゆっくりと鎌首をもたげてくる。
わずか2枚の布が、最後の理性を保っている。
いっそ直接触りたい。
理性と感情は喧嘩中だ。
私にはどうしようもない。
寒い。
触りたい。
寒い。
ご飯食べないと。
寒い。
身体は熱を帯びている。
寒い。
お風呂もまだだ。
寒い。
指先に意識が集中する。
寒い。
肉野菜炒めから、湯気が上っている。
寒い。
下腹部に力が入る。
寒い。
締め付けられ、手がそこに密着する。
寒い。
柔らかい。
息が深くなる。
温かい。
この熱を、どうにかしたい。
寒いのは、嫌い。
温かい。
欲しい。
温かい。
欲しい。
触りたい。
欲しい。
欲しい。
欲しい。
欲しい。
欲しい
………………………………
………………目をつぶり、
奥歯を強く噛みしめ、
全身に力を込め、
………………………
なんとか、
大きなため息をついた。
私は知っている。
冷たくなった肉野菜炒めは、美味しくない。
昨日あれだけ失敗したのに、もう忘れたのか。
先にご飯を、食べないと、
いけない。
身体中の力が、一気に抜ける。
何回か深呼吸をし、
必死に心と身体を落ち着かせて、
名残惜しそうに、左手と、右手をゆっくりと抜いた。
………理性よ、おめでとう
今日は君の勝ちだ。
願わくば、
いつもそうあってほしい
ゆっくりと冷えていく手のひらの熱を感じながら、冷めた目でそこを見る。
今まで触れていた、そこを。
心は死んでいても、身体は正直なのだろう。
それがいいことだとは、決して思わないが。
カタタン、カタタン
厚手のカーテンの向こうから聞こえる電車の音を聞いて、ゆっくり顔を上げる。
「………………はぁ」
下腹部にじんわりとした熱を感じつつ、どうしようもないこの劣情に失望しながら、私は炊飯器の蓋を開けた。