マルギッテ・エーベルバッハは軍人である。
誇り高きドイツ軍人として、敬愛するフリードリヒ中将の元であらゆる任務を遂行してきた。
戦火を駆け抜け、付いたあだ名は猟犬。
炎のような真紅の髪を揺らし、鋭い眼光は敵を逃さず、その鍛え抜かれた肉体で狩る姿はまさに獣。
血を求め、自他共に厳しい姿勢は軍人の鏡といえよう。そんな彼女は現在、重要な任務の真っ最中であった。
それは上司であるフランク・フリードリヒの愛娘であり、マルギッテとしても妹同然の少女クリスティアーネ・フリードリヒの近況報告である。
何せ、フランクという男は生粋の親バカ。
遠い異国に留学している娘に変な虫が付かないか、という父親なら一度は体験する悩み。
それだけなら微笑ましいのだが、何せ彼は国さえ動かせるほどの優秀な軍人。それこそ娘の為なら領域侵犯とか平然とやってしまうくらいの。
そこで派遣されたマルギッテが、月一毎に愛娘が順風満帆に過ごしているか、報告を提出するというもの。
どこで何がきっかけで、クリスに危険の及ぶ芽が出るかわからない。その懸念はマルギッテも同じ。
故に、報告内容は対象周辺なだけでなく、川神で起きた出来事までも該当される。
特にこの季節に入ってから、武士道プランなどという計画が始動し、過去の偉人のクローン達が世界を震撼させた。
これにはお嬢様とは関係があろうがなかろうが、祖国への利のために報告資料も厚くなるというもの。
そして、彼に対しても……。
「ふむ、日本の孤島で起きた大きな戦闘……。これが三人の人間が引き起こしたものだというのかね、マルギッテ」
「ハッ。実際に目にしてはいませんが、この三人ならば可能と私は思っております」
川神商店街———とあるレストラン。
休暇を貰い……。というか、強引にもぎ取ってきたフランクは、クリス、マルギッテの二人と食事を取っていた。
親孝行と同時に、近況報告も兼ねて。
提出された資料には、最近の中で一番大きなニュースとなった覇王覚醒事件の詳細が事細かく書き記されてある。
綴られた文字が表すもの全てが、人の範疇を超えている。あまりにも信じ難く、思案するフランクの眉間には深い皺が寄っていた。
武神、川神百代とそのライバルである水城ユウが、件の台風の目である覇王・項羽の暴走を止めたという大事件。
事態は無事終結の形に着地したが、島一つが地図から消えたなどと……。近代兵器を使用したとしか思えない破壊跡は、改めて侍という存在の凄まじさを実感させられる。
「まさに次元が違う、と言うべきでしょうか。両者は一跳で大陸を跨ぐような実力者ですので……」
「マルさん、それは仕方ない。自分も気のぶつかり合いに麻痺して動けなかった。できたのは、破壊された屋上を見ることだけだった……」
「何にせよ、二人が無事でよかった」
父にとっては、この一言が全てだった。
満足そうに頷き、背もたれに体重を寄せる。
それにしても……と、フランクの目は資料に記載されているある青年の項目に移動した。
「彼について、随分とこと細かいな……」
今回の件で活躍した片割れ、水城ユウ。
彼に関する記載がやけに多いのである。それこそ、メインの項羽についてよりも。
これについては今回に限った話ではない。川神大戦後に行われた決闘、その日から報告書の量が増えたのは気のせいではない。
そんなにも娘に仇をなす存在なのか?と問われればそうではない。寧ろ逆だ。
長年の研鑽の上に成り立つ実力に、邁進を続ける姿はまさに憧れの中にいる侍そのもの。
クリスだけでなく、マルギッテも彼を好意的な目を向けていた。決闘をきっかけに親睦を深め、共に鍛錬や試合をすることも多いと聞く。
プライドの高い彼女にしては珍しいことだ。特に異性に対しては、よっぽどの相手でなければ高圧的な態度がデフォルトであるというのに。
現に今も……
「そもそもあの時のユウの状況判断は悪手です。百代を屠った相手となれば、苦戦は必至。刀を借りにく余裕があるのなら、信頼できる戦力を何名か連れていくべきだったのです。それを言及したら、すまん……。の一言だけとは!実力に差があるのは認めますが、それでもサポートぐらいは可能です!少しは頼ってくれてもいいものを……。それ以外にも!」
「うんうん。マルさんはユウ先輩に頼って欲しかったんだな〜」
「ライバルと書いて、戦友ですから」
ふんすっ、と鼻を鳴らして、その豊かな胸を張る姿勢は彼に対する信頼以上に、もっと大きなものを感じられた。
クリスは気づいていないが、フランクはある確信を持つのだった。
(そうか、彼女にも春がきたか……)
そうと決まれば仕事の話はこれで終わりにして、家族の団欒を楽しむのだった。
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「マルさーん!お父様ー!おやすみなさい!」
夜になった。
時刻は既に子供が出歩く時間ではなくなり、島津寮へ帰っていく愛娘を二人は見送る。
後は今後の予定を軽く擦り合わせをして、上司の帰りを見送れば一日は終わる。
しかし、
「してマルギッテ、君に一つ話があるのだが……」
「ハッ、何でしょう」
姿勢を正し、次の命令を待つ少佐。クリスの前で見せた従者であり姉のような姿は、彼女の帰宅と同時に消えてなくなっている。
一人のマルギッテではなく、一人の軍人としての姿への切り替えの速さは、見事という他ない。
だが、これから行うのは任務ではなく、世間話の延長線のようなものだ。と言っても、その言葉には朗らかな様子はなく、どこか真剣味を帯びているように感じた。
「そこまで畏まらなくていい。ただの世間話だ……。君は、水城ユウという青年に好意を抱いているのかね?」
「こう……ぃ?」
思わず言葉が詰まる。
中将の言う青年、水城ユウとは他でもない。
項羽の事件を納めた立役者の片割れ、報告資料にもびっしりと書き記された、先ほどの団欒でもよく口にしていた、彼のことだ。
それを理解した瞬間、マルギッテの露出した片目が見開き、次第に大きく震え出す。その時には既に、精悍な顔は真紅の髪と同様に赤く染まっていた。
「なッ……⁉︎ぃ、いきなりなにを!」
「いやなに。君の水城ユウに対する見方が気になってね。別に怠慢と罰するつもりはないよ。私もそういう時期があった」
うんうんと、感慨深く頷くフランク。今のマルギッテに、当時の自分を投影しどこか遠い目をして、語る。
クリスもそうだが、マルギッテも娘同然に深い信頼と愛情を注いでいる。そんな彼女が恋をしたとあっては、やはり思うところがあるのだろう。
それは上司と部下としてではなく、一人の近しい人間としての言葉だ。
「直接会ったことはないが、川神大戦の映像は見た。なかなか一本筋の通った男じゃないか。クリスからも好印象であるし、私は大いに構わんよ」
「いやッ、そういうことではなく!私は別にユウとは、そういう関係では……!」
「まぁ、若いんだからすぐに結果を焦らなくていい。現場判断は冷静にな。だが、チャンスと思えば直ぐにモノにするべきだ。応援しているよ」
そう言って、はっはっはっは!と笑いながらフランクは去っていった。
完全に部下が恋をしていると確信して、その勢いに彼女は何も言い返せずにいた。
子もそうなら、親も親だ。
良くも悪くも意志が強い。自分がこうだと思ったなら、これが正しいと決めつけてしまう悪癖がある。
何もこんな話題で発揮しなくても……。マルギッテは紅潮してしまった顔を俯かせ、心臓の鼓動が収まるのを待つ他ないのだった。
恋?恋だと!?私があの男に⁉︎
敬愛する中将の言葉を否定するつもりはないが、やはりこの場においては困惑が勝る。
確かに水城ユウが魅力的なのは事実だ。実力はさることながら、一人の男としても申し分なく、高い評価を押している。
腕っぷしだけではない。文武両道を絵に描いたような、学力の成績も高い位置を維持している。
東は男よりも女が強いというジンクスを打ち破る生き様は、多くの女性を虜にしていることだろう。
その中に、自分も加わっているというのか?
「ち、違う!私はただ、武人として認めているだけであって!そのような浮ついた恋など……⁉︎」
軍人という道を選んだ時から、女だの男だのという性差という概念は捨て去った……筈だ。
水城ユウは、自分がよりさらなる強さを得るため必要と判断したライバルに過ぎない……筈だ。
そう。切磋琢磨し、互いを高め合う関係なのだ。共に血と汗を流し、時に戦場で背中を預け合い、栄養補給として食事をし、たまには二人で手を繋いで街を歩いたり、鍛錬の後には一緒の湯に浸かり、共にベッドの上で待て待て待て待て待て待て待て待て待て、違うッ!!!
「……っは⁉︎」
慌ててかぶを振り、今しがた思い浮かんべた妄想を掻き消す。
「いかん、中将の言葉で意識してしまっている」
これは、精神的未熟による心の乱れだ。軍人として武人として、あってはならない隙を生み出してしまう。
これをどうにかするためには、やはり鍛錬あるのみ。聞けば、川神院には精神修行というものがあるらしい。
丁度いいことに、ユウもその門下生だ。彼に頼んで、一緒の静かな部屋でゆったりと心を———
「ちぃぃぃぃぃがぁぁぁぁぁゔぅぅぅぅぅ〜〜!」
壁にもたれ掛かり、激しく頭をぶつける。それはもうまるで除夜の鐘の如く、煩悩を強引にかき消そうと試みる。
違うのだ。自分は別にそんな浮ついた恋などしていない。
確かにユウのことは認めているが、それは武人としてであって、異性としてではない!断じて!断じて‼︎ しかし、そう思えば思うほど意識してしまうのは何故だ?まさか、本当に自分はあの男に好意を寄せているというのか?いやいやまさかそんな馬鹿な。
ああ、ダメだ。この流れはダメだ。
完全にハマってしまっている。
何を考えても、想像の中にあの男が現れる。
もはや呪いなのではないかと勘繰るほどに、思考が水城ユウ一色に染まりきっていた。
「ッ……これは」
ふと、そんな片側の視界にある光が差し込む。
夜の街を一際照らす電気屋。そのサンプルとして置かれているテレビに、あるニュースが映し出されていた。
画面の隅に映るテロップには、 《覇王の暴走!武神とその好敵手が見事鎮静!》と書かれていた。
あの騒動を題材としたパブリシティが行われているようだ。
その内容には、項羽を鎮めた立役者である川神百代と水城ユウの画面を出して、コメンテーターがああだこうだと意見を述べている。
よくある難癖を付け足した議論。かなり言いたい放題だが、別段気にするようなものではないと興味を失う。
だが、こう言った意味のないニュースを間に受ける存在は、どこの国にいてもいるものだ。
「二人がかりで止めたってなってるけどさ、実際は水城ユウは役に立たなかったってよ」
「それ知ってる。無人島から保護した時には、あいつだけグロッキーになってたんだろ?」
「ほぼ川神百代の功績だよな〜。それなのに一緒くたに立役者にされて、セッコいやつだぜ」
マルギッテの片目が鋭く細まる。
同じようにニュースを見ていた若者が複数人、水城ユウのことをケラケラと品のない嘲笑で馬鹿にしていた。
誰も彼もが、全くもって根拠のない戯言だ。
彼らの言っている事は真実から程遠い。
そもそも、あの戦場に立ち入ること自体が自殺に等しい。自分ら武人ですら気の衝突に暫く麻痺していたのだ、一般人が割って入ったならばどうなるか……。無惨な挽肉が出来上がるに決まっている。
心底遺憾だが、プライドの高いマルギッテもレベルが違うと理解していた。
それをまるで不甲斐ないとこき下ろすメディアには、心底嫌悪を抱かせられる。そして何より、その話題を肴にして笑い合う若者達には侮蔑を禁じ得なかった。
無知で非力な分際で、知ったかぶりで彼に評価を下すなど言語道断。
その道化の対価は高くつくぞ——— 猟犬は唸り声を上げて若者達に近づく。
「選びなさい」
「あ?」
その態度はなんだ。その偉そうな口振りはなんだと、マルギッテは鋭い視線を向ける。それだけで周囲の人間は圧され、足を竦ませた。
軍人たるマルギッテから漂うオーラに畏怖を抱きながら、男達は一歩背後へ下がる。
「今すぐにその口を閉じて消えるか、狩られるか」
「な、何だよお前……。いきなり」
「消えるか、狩られるか……。選びなさい」
「ひぃ⁉︎」
まるで猛獣が目の前にいるかのようにな、女とは思えない圧に負け、男達はその場を離れていく。
本当に彼と同じ性別なのか?と疑いたくなるほどに、一目散に逃げていく微生物にはなんの魅力も感じない。
ふんと鼻息を鳴らすと、舌打ちと共に吐きすてる。
「Hasen……これは食うに値しない」
いや、あれは野うさぎ以下だ。あんな雑魚を喰らったところで、腹の足しにもなりはしない。
昔、生物学の授業で聞いた言葉を思い出す。
狩りとは生きるための行為。決して、感情や遊び半分で行うモノではない。
全くその通り。あんなものを追いかけたとしても、自分の実力が上がるわけでもない。時間の無駄なのだ。
痩せ細った野うさぎより、肉の乗った猛獣の方がよっぽど栄養がある。
そう、彼がいつも強者に挑むように。
「ッ…………」
今の連中を見ればとてもよくわかる。水城ユウと交わしていた時間が、がどれだけ有意義なものであるかを。
その思い出に、胸を高鳴らせている自分がいることを。
もし、もしこれが本当に恋だとするからば……。私はいったいどうすればいいのだろうか?
この身は祖国への忠誠に捧げたもののはず。それを、国ではない一人の男に委ねると言うのだろうか。
訓練に次ぐ訓練、戦闘に次ぐ戦闘の日々。
恋愛など腑抜けの象徴として捨て去ってきたために、どのような選択肢が正しいの分かりかねない。
状況判断は冷静に、と言われたが……。経験したことのない真っさらな知識で、この戦場をどう切り抜ければいいのか。
その答えを持っている者が、烈火の如き瞳に映り込んだ。
深夜とも言うべき時間帯。
時刻は既に子供が出歩く時間ではなくなった、大人が闊歩する夜の街に一人の男子生徒と……。二人の女子生徒。
その名を、マルギッテは呟いた。
「ユウ……?」