※この作品はR-18です。

真剣で肉欲に溺れなさい!S 覇王ルート【完結】   作:寝坊助

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夫宣言、異論は認めない

 

 

 

 

 

 ———項羽。

 信を滅ぼし、西楚の覇王と号して、天下を劉邦と争った中国の大英雄である。

 そんな剛の者も、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得られず、次第に劣勢となって敗死した。

 しかし、記録された彼の軌跡を読んだ者は、誰もがこう思う事だろう———強い。武力は桁外れに高く、一騎打ちにおいては敵なし。

 苛烈を極めた戦国の世において、間違いなく個の武力は最強といっても過言ではない。

 

 その英雄が今、現代に蘇る……。

 

 

 

「あのバカ……」

 

 地平線の彼方へ消えていく流れ星を目にし、その正体に対して水城ユウは悪態を吐き捨てた。

 屋上で衝突した、二つの巨大な闘気。

 さながら大津波同士の激突は一瞬にして、そして一撃で決着がついた。

 敗れた片方が、アレだ。さながらロケットのように、もはや影さえも視認できなくなった軌跡の先端には、武神と呼ばれた女がいるのだろう。

 にわかには信じ難いが……覚醒した清楚に勝負を挑んで返り討ちにあったと見て間違いない。

 屋上に残った、覇王の気が全てを物語る。

 武神に匹敵しうる規格外な気と、彼女の悪癖であるスロースターターが、最悪な形で噛み合った結果だ。

 幾度も祖父に注意されても聞く耳を持たなかった、我がライバルの落ち度であると飲み込んで、ユウは屋上へ降り立った。

 

 ———………………喉が渇く。

 

 屋上という領域に足を踏み入れた瞬間から、全身の水分が抜け落ちたかのような乾燥に見舞われた。

 汗は一滴もかいていない。

 そんなことをする必要があったら、目の前の存在に集中しろと、肉体が本来の機能を後回しにしているのだろうか。

 瞬きを忘れた瞼によって、乾燥した眼球は一切の挙動も見逃さず彼女を網膜に捉え続ける。

 深く息を吸う。

 たった一言、彼女の名を呼ぶためだけに過剰なほどの酸素を肺に取り込んだ。

 そして……

 

「……清楚——————」

 

 友達で、クラスメイトで、護衛対象である彼女の名前……。今はもう違う名前なのかもしれないが、一筋の希望に縋るように呼びかける。

 ピクリと、その後ろ姿が小さく揺れた。

 空気を土砂の中と誤認させるほどの存在感がなければ、十人中十人か葉桜清楚であると答える背中が、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 

「おぉ、待ち侘びたぞユウ!記念すべき俺の覚醒だというのにどこへ行っていた?」

 

 まるで迷子の子供が親を見つけたような、無邪気な笑顔。

 精悍な顔立ちから、その野生身溢れる笑みは見るものによっては心奪われるほどに魅力的に感じるだろう。……しかし、それは彼女が葉桜清楚であるという前提がなければの話。

 

「本来ならば罰を与えてやるところだが……。しかし許そう。お前は特別だからな」

 

 感謝こそすれど、自分が上であるという絶対条件を信じて疑わない立ち振る舞い。

 自信に満ちた顔は、普段清楚が使っていなかった表情筋を稼働させて高笑いを上げる。

 

「まずは礼を言っておこうか、フッフフフ!よくぞ俺の封印を解いたな。俺が天下を取った日には、特等席で最高の景色を見せてやろう」

 

「天下を取る……。なんだそりゃ、世界征服か?」

 

「そうだ!世界征服だ!俺は覇王だからな!」

 

 高らかに宣言する様は、まるで清楚の面影を感じない。本当に同一人物なのか疑わしい。

 文学少女好きのファン達が目にすれば、卒倒するほどの変貌振りだ。の原因を作り出したのが他でもない、自分だと……。ユウは己が招いた失態を噛み締める。

 

「……清楚の……人格は、残っているのか?」

 

「俺は俺だ。清楚は俺、項羽は清楚。全ては一つ!俺は、長いこと心の片隅に封じられてきた……。漸く混じり合った。こういうと分かりやすいか?」

 

「俺が封印を解いちまったから……」

 

「ああ、我が夫として最上の働きだ。褒めて遣わす」

 

「責任もってお前を鎮め——————ん?」

 

 だが、過去を後悔したところて事態は好転しな………。なんて?

 全ての責任は自分にあると理解し…………。夫って言った今?

 全力を持って清楚の暴走を止め…………。おっと、って……夫婦の夫だよな?

 実力差は理解しているが……………………うん?……………………………ちょッ、今なんて?

 

 …………何かがおかしい。

 これから決死の激闘に身を乗り出す雰囲気に、なにやら不純物が混じっていたような気がした。

 闘志と困惑が縺れ合う。

 戦場では決して出てくる事のない単語。

 ましてや、暴虐という言葉が人の形を成した覇王の口から絶対に出てこないであろう、女々しい一言が、極限まで高められた闘気を霧散させた。

 刀を握る手から握力が消え、鋭い双眸は点になり、張り詰めた筋肉が弛緩し、水城ユウは敵を前にして初めて呆然と立ち尽くした。

 そんな彼の変化を前にしても、覇王の唯我独尊は一寸もブレる事はない。

 

「さぁ!三千世界へ乗り出すぞ!俺についてこい!この覇王の一番近くで、頂の景色を見せてやろう!」

 

 伴侶としてな!!!

 

 …………いや、待て待て待て待て。

 

「伴侶って何だ!!!???」

 

 戦意が削がれるなんてものじゃない。

 予想だにしなかったキーワードを耳にしたたことで、ユウは咄嗟に声を荒げた。

 混乱する思考に脳が追い付かない。何?何?何?と頭の中でクエスチョンが回り続けている。

 夫?伴侶?どゆこと!?

 しかし、そんな混乱を他所に項羽は続ける。自分の言葉にまるで一切の疑問も抱かずに……。

 

「言った通りだ。お前はこの俺、項羽の夫として共に世界を支配するのだとな!」

 

「スケールのデカさと意味不明さで渋滞起きてんだけどぉ⁉︎伴侶って何だ?ケッコン?俺と、お前が?……頼むッ!戦うのは一旦置いといて詳しい説明をくれ!必要最低限納得できるレベルで!」

 

 項羽を覚醒させてしまった後悔も。

 清楚の心配も。

 暴走を止めようとする意思も。

 その全てを置き去りにして、狼狽と混乱がたった一人の青年を支配する。敵である項羽に説明を求めるほどに、かつてない錯乱に襲われていた。

 だがしかし。

 項羽の目は、そんなユウを不思議そうに見つめていた。上から目線のギラついた瞳に、呆れの色が混じり合う。

 

「やれやれ、清楚の中で見ていたが……。ここまで唐変木だとは、清楚と川神百代の苦労も理解できるな」

 

「清楚と、百代……?二人が何の関係があるんだ」

 

「つまりこういうことだ」

 

 刹那、項羽の姿がブレる。膨大な闘気を垂れ流す存在が、影のみを残して視界から姿を消す。

 それが、ただ単純に超スピードで肉薄したと理解したのは、飢えた双眸が視界いっぱいに広がったのと同時だった。

 不覚の二文字が思考を満たす。困惑による精神の乱れが、相手の先手を許してしまった。

 抜刀も、この距離では近過ぎて刃を当てられない。対応が間に合わず、項羽の顔がユウの目前にまで迫る。

 ギラつく眼光は、獲物を捉える獣の眼差しそのもの。瞳孔が一際大きく膨張して———ちゅ。

 柔らかいものが、唇に触れた。

 今も感じられる肌を突き刺すような闘志とは裏腹に、生暖かく湿った感触。舌先に触れた甘い味に剣士は、時が止まってしまったかのように硬直した。

 発生した感覚の正体を脳内が理解し切る前に、西楚の覇王による容赦ない蹂躙が開始された。

 

「あぁ、んむ、じゅる、じゅぶ、んちゅ、ちゅる、じゅるるう……❤️んぶ、ぁむ、ぢゅぶッ❤️じゅるルルル……じゅぶんッぶう!んぢちゅ、じゅる、じゆるれるお❤️」

 

 強固に閉じられた上唇と下唇の間に、舌先が強引に割り込む。

 ぢゅるり……❤️

 くちゅ……❤️

 くちゅ、ぐちゃ……!

 生々しい音が脳内で木霊する。

 人の性交でもここまで卑猥な音は出まい。

 項羽の舌は口内に侵入すると、内部の舌を探り当てて絡みつく。まるで蛇のように巻き付きながら、唾液を塗りたくっていく。

 それは、まさに侵略だった。敵軍の城を攻め落とす、圧倒的な対城の舌使い。

 

「んふぅ……❤️んじゅる……じゅぷ、れろぉ❤️ちゅるるるるる〜〜〜!❤️」

 

 ねっとりと絡ませていた舌は、やがて卑猥な音を伴いながら口内全体を染め上げるにかかる。歯茎をなぞり、頬の裏側を舐め回し、舌先を甘噛みし、そして舌先同士を擦り合わせて快楽に耽溺させる。

 その全てを同時に行うのだから堪らない。

 人の意識を刈り取るほどの舌技の快楽に、性的な耐性の持たない童貞は為す術もない。

 濃い唾液に満たされていく度に、脳髄が甘く痺れていくのを感じる。

 しかしそれも束の間。

 このままではマズい、戻ってこられなくなる。そう本能が悟った瞬間、麻痺する肉体に無理矢理気を流し、侵略者を引き離した。

 吸い付いた二人の唇が離れる。

 ツゥー……と唾液の橋が架かり、それが切れると同時に、項羽は満足そうに呟いた。

 

「くふ……!悪くないな」

 

「……ハァ……!ハァ……!」

 

 激しい呼吸を繰り返す。

 ディープキスによる侵略行為は、呼吸する暇さえも与えてくれず、肺は酸素を求めていた。

 まるで何時間もの間水中にいたかのようだった。空気というもののありがたみを理解し、ようやく解放されたユウは、顔色に焦燥を滲ませて後方に飛び退く。

 油断していたとは言え、まさかあの項羽がこんな攻勢を仕掛けてくるとは思いもしなかった。

 間一髪。快楽に沈みかけながらも、ユウは我を取り戻した。が……遅過ぎた。

 

「これでもまだ分からないと言うのならば、流石にお前の正気を疑うぞ」

 

 朦朧とした視界の中で、ペロリッと唇に付着した唾液を舐め取る項羽の顔が見えた。

 いやらしく口角を上げ、熱を帯びた吐息を漏らす美貌は、それでもなお美しさを損なってはいない。

 妖艶というには余りに暴力的で、しかし官能的と呼ぶには余りに可憐な姿。

 今の彼女を形容する最も適切な言葉だった。

 

「分からないもなにも……!」

 

 ユウは今自分の正気というものを疑っていた。

 立て続けに起こった異常事態。異常と片付けるには不理解を極める混沌という荒波に、鳴り止まぬ脳の警鐘が喧しい。

 やばい、このままだと壊れる……。情報量の多さに、脳が理解を拒んでショートしそうだ。

 

「お前に恋慕していた、と言えば分かるか?」

 

「ちょ、ちょっと待てよ……?その話が本当なら……。も、百代のちょっかいは……⁉︎」

 

「あいつなりのアピールだな。しかしまぁ、お前には悪戯程度にしか思われていなかったらしい」

 

 恋慕……だと?あの百代が……?いやしかし待て、仮に百代がそのつもりで俺にちょっかいをかけていたのだとして……。

 記憶を辿れば、百代の様子が変わったのは三年前。その時から、よく身を寄せたり、布団に潜り込んだりと、何かと甘えてくる回数が多くなった。

 その全てが悪戯ではなく、恋慕の裏返しとしてみれば……。

 顔が熱を帯びていく。

 全身の血液が沸騰する。身体中の熱が、顔面に集まっていくような感覚……。

 この胸を膨らませていく、羞恥という感情が突き破らんとする勢いで、これまでの百代との記憶を呼び覚ました。

 三年間勘違いしていた自分が、酷く道化に見えて仕方がない。

 そんな愛する男の姿を見て、項羽はクスリと笑みを漏らした。それが、ユウにもう一つの疑念を浮上させた。

 

「じゃ、じゃあ清楚のアレも……ッ!いや待て、あり得ない!あいつとは会ってまだ一月程度だぞ⁉︎」

 

「お前は自分がどれだけ雄として優秀か理解すべきだ。それと、清楚が読んでいた恋愛小説にはこんな一文があったな。確か———人を好きになるのに、時間なんて必要ない……。だったか?」

 

 まぁ、お前に思いを寄せているのは俺と清楚と百代だけではないがな……。と付け足すものの、ほぼ後半からはユウの耳に届いていなかった。

 

「そ、そんなバカな……」

 

 しかし、二人の不可解なら行動に恋愛という二文字を付け足せば、全ての答えが導き出される。

 パズルの最後のピースがハマったかのような解放感と、己のあまりの鈍感さのダブルパンチ。

 解消と自己嫌悪に打ちのめされる。

 あの日、あの時、あの場所で……。二人が俺のことをそんなふうに想っていたなんて……。

 今日だけで、何度脳の回路が焼き切れそうになったことか。これ以上は本気で処理落ちするぞと危惧した通り、その両膝はパタリと床に崩れた。

 

「いかん、パンク寸前だ。百代との試合より疲弊しているな……。お〜い、しっかりしろ」

 

 項羽は蹲るユウを揺さぶる。

 しかし、一向に反応する気配がない。

 どうしたものかと頭をガシガシとかいていると、彼女の耳に聞き慣れた老婆の声が届いた。

 

『聞こえるか?清楚……。いや、項羽』

 

「おお!その声はマープルか!?」

 

 それは、自分らクローンを生み出した保護者の声。肉声ではなく、学園のスピーカーから流れる音声だった。

 

『目覚めちまったようだね。一度帰っておいで』

 

「帰る?必要ない。俺は目覚めたばかりだからな、元気でいっぱいなのだぞ?見ていろマープル。今日中に日本を落とす!」

 

『バカなことを言ってんじゃないよ。いいから帰ってきな!二度は言わせないよ!』

 

「やれやれ、束縛の厳しい親だな。……そこまで帰らせて、俺をどうしようというのだ」

 

『これからの育成カリキュラムを考えるのさ。勉強は引き続きやってもらうよ』

 

「断る。清楚の中でずっと見てきたが、もうお前の指図はうんざりだ……。俺は俺の覇道を歩む」

 

『こりゃあ、話が通じそうにないね。鼻っ柱を折る必要がありそうだ……。水城ボーイ、そこにいるんだろ?』

 

 スピーカーのみのため、項羽周辺の状況は確認できない。しかし、この場に水城ユウがいる事を確信した上で、マープルは自分が指名した清楚の護衛に語りかけた。

 

『自主性を重んじて放任していたが、まさか本当に封印を解いちまうとは……。こうなっちまった以上は仕方ないね。今から川神中の全戦力を項羽に投入する。そいつらが集結するまでの間、項羽の足止めを頼むよ。報酬は護衛の倍だ。腹括りな』

 

「もう括ってる……‼︎」

 

 スピーカーから流れる老婆の声を、ユウも耳にしていた。

 腹から捻り出した声に、そして———ガツンッ!コンクリートの砕ける音が、屋上に響いた。

 赤い体液の付着した破片が散乱する。

 ユウが己の額を、屋上の床に打ち付けたのだ。その中心には、大きなクレーターが出来上がっている。

 ゆっくりと、清楚の護衛が立ち上がる。

 さっきまで膝を付き、打ちのめされていたとは思えないほど、その立ち姿には力強さがあった。

 ショックで強引に混雑していた頭の中をクリアにしたのだ。昇った血を流すことにより強制的に冴えさせて、思考をリセットした。

 百代、清楚、項羽……。色々と解消しなければならないことは山積みだが、今は全部忘れる。

 雑念を消し去り真っ白になった思考に、“戦”という一文字を刻み込んだ。

 

「足止め?冗談ッ……。勝つ気でやりますよ。じゃなきゃ最悪、俺の人生が終わる……‼︎」

 

『人生が終わる?どういう意味だいそりゃ、項羽に何を言———』

 

 スピーカーはそれ以上、マープルの声を届けることはなかった。横薙ぎに振り払われた拳圧が、拡声器だったものを物言わぬ鉄屑へと変えたのだから。

 余計な野次は消えた……。項羽の名を冠する乙女は満足気に鼻を鳴らし、我が夫と見定めた剣士へと向き直る。

 

「夫婦の蜜月に水を刺すのは無粋だぞ、マープル。さて、これで二人きりだな……」

 

 熱の籠った声。

 言葉だけならば、そう言う雰囲気として見ることができる二人きりの男女。しかし男は刀を構えて、女はそれを迎え撃つという構図。なにより、両者の間合いで生じる気の衝突が、この先の未来は戦しかないことを予見させていた。

 

「ハッ、そう熱い視線を向けるな。武者震いが止まらん。そうさな……。天下を取るよりも先に、優先すべき事があった」

 

 項羽が構える。

 彼女にとって、これから行うのは戦いなだけでなく、別の大きな意味を持っていた。自分が惚れた男は、言われてはいそうですかと受け入れるほどに、聞き分けがよくない。

 そう簡単に手に入れられるものならば、武神もあそこまで苦労しなかったことだろう。

 水城ユウとの最も効果的な対話は、戦場の中でしかない。項羽は清楚の中で、それを見続けてきたのだから。

 

「さぁ、血と肉を湧き上がらせて……語ろうか!」

 

 愛という名の肉体言語を持ってして、万力を拳に込めて覇王は夫と見定めた男へと迫る。

 その勢いはまさに人が空を飛ぶが如くであり、鬼が鉄槌を振り下ろすに等しい。

 先程よりも倍のスピードに加え、曲がりなりにも武神を地平線の彼方まで殴り飛ばした膂力。

 並の武人……。壁越えでさえ、直撃すれば戦闘不能は免れない。今度は攻撃という意志を込めて振るわれるソレを、ユウは——————

 

「なに…………?」

 

 刹那、水城ユウの姿がブレた。刀を構え、突き刺すような剣気を向けていた存在が、影のみを残して視界から姿を消す。

 それが、ただ単純に超スピードで回避したと理解したのは、胴体に鋭利な激痛が走ったのと同時だった。

 迫り来る激鉄を刃の切っ先で押し出し、受け流し、軌道を逸らす。真っ向から武神と斬り合った時とは打って変わって、彼女の柔肌には傷の一つもつけずに収める。

 すかさず流れるように放たれた剣閃が、そのまま反撃となって項羽へと襲い掛かった。

 銀光に付着した赤い液体が、美しい弧を描く。それは紛れもなく、切り裂かれた項羽の血だ。

 

「ちゃんと手入れして返さねぇとな」

 

 背後からの冷たい声。怒る武神を前にしても感じることはなかった、背筋に巡る鳥肌という名の戦慄を実感する。

 振り返ると、赤く染まった刃を指でなぞる己が身を斬り裂いた剣士の後ろ姿があった。血払いするように一度刀を振るうと、何事もなかったかのように再び構えを取った。

 斬った……。この男は斬った。躊躇なく女の肌を、その真剣で斬り裂いたのだ。

 そこに、戸惑いや後悔もまるでない。

 

「さっき聞いただろ?川神の全戦力……。川神院と九鬼家がこっちに向かってる。医療技術に関しちゃ、これ以上なく安心だ」

 

 清楚の身体で申し訳ないが、多少悲惨なことになったとしても、なんとかしてくれるだろう……。後でご本人に全力で土下座するとして。

 それに……。

 

「躊躇も加減も、覇王相手には命取りだ」

 

 西楚の覇王を相手取るのに、手加減や遠慮など不要。というか、それで倒せるなら苦労しないし……。

 カチャリ……と無機質な音と共に刀を構え直す水城ユウを見て、ニィ……斬られた女の頬が吊り上がる。

 妻の肌を切るとは!などという怒りは一切ない。あるのはただ、喜悦のみ。

 惚れた男の揺るぎない在り方に、彼女は歓喜していた。例え相手がなんであろうとも、全力で斬る、挑む、立ち向かう。それが女でも、友達であろうとも、例外というものはない。

 一本筋の通った武士道を掲げる生き様に、百代は、清楚は、項羽は惚れたのだから。

 

「ああ、やはりいい……。川神に来て最初に出会ったのが、お前で良かった」

 

 その声音はどこか弾んでいた。

 まるで恋する乙女のように……。ほんの一瞬だけトロンと、その瞳が恋慕に光る。

 だがすぐに、獰猛な光に塗り潰されることとなる。最初の一太刀で把握した一つの事実に、胸中に熱き闘志の炎を灯る。

 

「流石は我が夫だな。素手では難しい」

 

 総合力は百代が上だが、ところどころのパラメーターはユウの方が優っている。と見た方がいい。

 なんといっても、その速攻だろう。

 速く、鋭く、的確に。初激から繰り出される全力の一撃は、さながら死神の鎌のように意識を刈り取ってくる。

 尻上がりにエンジンを上げていく百代とは真逆のファイター。戦場での立ち回りに関しては、確実に武神を上回る。

 この戦闘技能は単純なスペックや数値として測れるものでなければ、ましてや才能として備わっているものでもない。

 繰り返し行われてきた格上との戦闘……。長年に亘り少しずつ、少しずつ研磨がけをするように完成されてきたものだ。

 これに関しては、覚醒したばかりの覇王ですら持ち得ないもの。

 相手がただの敵なら屈辱だが、夫なら話は別だ。

 流石は俺が惚れた男であると、この肌身に刻まれた痛みがただただ誇らしい。

 更に強く、熱く重なるべく、項羽は得物の要求を命ずるのだった。

 

「スイッ!」

 

 街全体に響き渡るような、とても大きな声。その呼び掛けに応じて、ある方向から轟音が鳴り響いた。

 放たれた方角は、確か学園の駐輪場。そこから、エンジン音らしきものがこちらへ向かってくる。

 屋上に出現した、巨大な影……。躍り出たそれは自転車などではなく、大型の化け物バイクだった。

 

「これぞ、俺のスイスイ号の真の姿だ!」

 

『水城様。このような場ではありますが、改めてよろしくお願いします』

 

「もう驚かねぇぞ俺……」

 

 スイスイ号と呼ばれた大型バイク。主人の元へ馳せ参じたそれを見て、ユウは呆れを漏らした。

 クローンといい、風間ファミリーのロボットといい……。九鬼のテクノロジーにはなんでもありなのだと、驚いたところで体力の無駄だ。

 なにより、今日はこれ以上の驚愕に見舞われ続けた。今更、自転車がバイクに変形したところでもう動じない。

 

「俺の覚醒に伴い、お前も目覚めたようだな」

 

『ハイ。武器をご所望ですか?』

 

「うむ、呂布の武器で行く。方天画戟を出せッ」

 

 そうしている間に、バイク型スイスイ号の側面が開く。どこに内包されてあったのか、そこから独特な装飾と刃紋が施された戟が飛び出した。

 

 方天画戟———。三国志最強の武将、呂布が使っていたとされる武器……。項羽は戟の柄を掴むと、それを軽々と振り回した。

 慣らし運転というべきか。その一振りは、風を切り裂くように鋭く、そして重い。

 目にしたユウの額から、重い汗が流れ落ちた。

 ただ振り回していた力が、一点に集中される。

 出鱈目に吹き荒れるしかなかった奔流が、正しい使い方という流れを覚えて、その脅威力は何倍にも膨れ上がった。

 それに、今披露されている武器捌き……。目覚めたばかりだというのに使い熟している。

 さっきの項羽とはまるで別次元として見るべきだ。そう思考を切り替えた、次の瞬間———。強烈なプレッシャーが全身を刺し貫いた。

 覇王の内なる獣が牙を剥く。

 目の前の敵を打ち倒そうと咆哮する。

 ゾクリと悪寒が走り、刀を前に突き出した。

 間に合った防御の上に、衝撃が叩きつけられる。目視し切れぬ超速の斬撃を受け止めたものの、防がれたところで勢いは止まらない。寧ろ、ここからが本番だと言わんばかりに攻め立てる。

 戟と刀がぶつかり合う度、大気を震わせる衝撃と轟音。一振りする度に巻き起こる剣風は、まるで嵐のイメージをこの身で思い知らされた。

 なんて奴だ、この威力……!疾くて強い、シンプルなだけに一撃一撃が、必殺技並みの破壊力が備わっている。

 当たれば肉片になるどころか、骨まで粉々だ。

 似通ったスタイルで戦う水城ユウだからこそ、そのキチガイっぷりがよく分からせられる。防御は完璧に成功したというのに、全身の体力がごっそりと抜け落ちていく。

 受けに回るのはまずい。これでは、金槌に打たれるだけの釘だ。リスクを覚悟で攻勢に転じるべきと判断し、そのための一歩を踏み込む。

 

「ヌェい!!!」

 

 近づかせまいと遮ようとする横薙ぎの大振りを掻い潜る。完全には避けきれず、ほんの少し余波を受けただけで肩が大きく裂けた。

 しかし、これでいい。直撃を喰らわせられるチャンスを得られるのなら、安い買い物をしたと受け入れる。

 狙うは、既に負傷している腹部。

 傷を負った箇所に更に攻撃を叩き込めば、いかに覇王とて蝕むダメージは計り知れないだろう。

 その一点に狙いを絞った、渾身の突き技。ガラ空きとなった腹部に、再び渾身の一撃を見舞った。

 

 ガギンッ!

 

「ッ!!!?」

 

 その斬撃が、再び鮮血の花弁を散らせることはなかった。確かに刃は肌に触れている、なのにそこから更に先へと振り抜くことができない。

 人というよりと、山に剣が突き刺さったかのように、微動だにしてくれない。

 

「気の集中か……。成る程、これでお前達は攻撃と防御を使い分けているというわけか」

 

 ———学習しやがったのかッ、この数分で!?

 

 生命の源である気の流れを自在に操って、それを攻防に使い分けて、時に気弾や術の発動に用いる。例外はあれど、これが基本的な武道家の戦い方だ。

 ユウも百代も、普段息をするように使用しているが、どのような天才であろうとも、気を扱えるまで相応の鍛錬が必要となる。……だが、そんな常識も覇王の前では意味をなさない。

 

 当然のことだが、項羽が誰かに師事を受けたことはない。だがしかし、この驚異的な成長速度にユウは覚えがあった。

 昔、鉄心に教わったことがある。多様な武道家の長い歴史の中で存在する類稀なる才能————見稽古。

 一度見ただけであらゆる技を会得する能力。研鑽や努力を嘲笑うかのような、そんな御伽話みたいな才能でなければ説明がつかない。

 

 封印されていた状態でも、清楚と視覚を共有していたのだとしたら……。

 

 彼女の前で行った百代との試合を、項羽が観察していたのだとしたら……。

 

「気はただぶつけるだけにあらず、使い方があるのだな……。ふむ、指南役褒めて遣わす」

 

 更にこの戦いで、実際にユウからの剣技をその身で受けたことにより、実感したのだろう。

 世界を震撼させる程の桁外れの力を、どのように使えばいいのか……。覇王は理解を深めた。

 

「では、次は“攻”の気を使ってみようか……‼︎」

 

 戦闘での経験から、より効率良く己が力を使いこなせる。項羽はそう結論付けると、発動させる気の流れを変えた。

 先刻とは桁違いのパワーを宿した戟を握る手に力を込める。そうして放たれる一撃を、ユウは刃を構えて受けた。

 ……だが、その防御に意味などなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嵐は過ぎ去り、静寂の流れる屋上。

 

 崩壊したそこには、破壊跡と……床に突き刺さった刀のみが残されていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








Q.覚醒したばかりの項羽がなんでこんなにキスが上手いんですか?

A.項羽は清楚と感覚を共有しています。
 最近、文学少女は小説以外の本も読み始めたらしく、要するにソレです。



調子に乗って原作より項羽を強くしちゃった
……ンだよ、見稽古って

まぁいいよね!恐らくこれが最後の戦闘だから、いくらでも盛っても!

え?戦闘がないならこの先はナニを書くのかって?
言わせんな恥ずかしい❤️



アンケートの結果がぶっちぎりでしたので、今作では修羅場は無しとします


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