チュンチュン……。
小鳥の囀りが窓の外から聞こえてくる。
締め切ったカーテンの隙間からは、爽やかな朝の日差しも差し込んできた。
永遠にも思えた夜の帳は、既に上がってしまったらしい。
結局、一晩中絡み合っていたんだな。
全身に感じる気怠さを堪えつつ、ふうと小さく息を吐く。
情事でぼんやりとした頭を徐々に覚醒させながら、様々な汁や体液でシミだらけになったベッドを見下ろす。
「ふわぁ…………ふぅ……もう朝になってしまいましたね……♡」
そこには、汚れきったシーツの上で横になった妻が上品に欠伸をしながら微笑んでいた。
あれだけやりまくったというのに、僅かに顔に疲労の色が出ているくらいで、むしろ肌や髪はツヤツヤと輝きを増している。
ただの人間である俺とは違い、気怠さも感じてはいないらしい。
さすがは精力を糧に生きるサキュバス、精を啜れば啜るだけより活力が増すんだな。
徹夜で交わり続けてもピンピンしている、そんな強靭な身体をした妻の秘裂からは今、白濁色の精液がどろりと一筋垂れている。
いつもなら、全て体内に吸収してしまうためこんな光景は見られない。
夜通し精力を胎内に注ぎ続けたことで、遂に吸精限界を超えることに成功したのだ。
満腹になった妻がふふふと愉しげに笑う。
「本当に子袋がいっぱいになるまで注ぎこんでいただいて、ありがとうございます。あとはこの状態をキープするだけですね」
「ああ。でも流石に疲れたな……。少し休憩してもいいか?」
「ええ。再びお腹が寂しくなってきたらお伝えするので……その時はよろしくお願いしますね?」
そう言って妖艶に微笑む妻。
お義母さんの話だと、子宮を今日いっぱいまで精で満たしてやれば孕むんだったか。
気持ち良いのは大歓迎だが、もう出ないってくらい注いだのにまだ不足しているとは。
こりゃ、妻の願いを叶えるにはまだまだ先は長そうだな……。
ちゃんと無事に明日の朝日を拝めるんだろうか……。
仄かな期待と僅かな不安が入り混じった頭をそっと抱える。
その時、予想だにしない事態が起こった。
ガタン、と背後から何かが倒れるような物音がしたのだ。
慌てて振り返ってみると、そこにあるのは扉が閉ざされたクローゼット。
少しの間注意深く観察してみるが、それ以上何かが動く気配はない。
妻とのピロートークでふわふわと浮かれていた心が、一気に冷え込む心地がする。
今の音は、明らかに相当な重量がある物体が立てたものに思えた。
恐らくは、人間大ほどのサイズ感。
そんなもの、このクローゼットの中に仕舞った覚えはない。
おまけに、倒れるタイミングも妙だ。
情事の最中の振動がベッドや床を伝わって倒れたのなら、とっくの昔に倒れてなきゃおかしいだろう。
まさか、変質者……?
俺と妻が交合に夢中になっている隙に、こそこそとクローゼットの中に忍び込んで盗み見していたとか……?
可能性は限りなく薄いが、一笑に付すわけにもいかない。
俺の傍らには、一糸纏わぬ無防備な姿のサキュバス妻がいるのだ。
盗み見をするような性に飢えた男にとって、どんなに魅力的な獲物に見えるか想像もつかない。
無言で妻を背で庇える位置に動き、万が一の事態に備える。
両腕をすっと手前で構え、何かが飛び出してきたら即座に反撃できるよう準備する。
妻を怖がらせないように努めて平静を装っているが、何が起こるか分からない状況に、俺の内心は正直なところ戦々恐々としていた。
だが、俺の不安は平然とした妻の声に遮られることとなる。
「いまの音は……。ああそうです、『彼』のことをすっかり忘れておりました」
「彼?」
「ご安心ください、危険なことは何もありませんから。今から詳しく説明しますね」
そう言うと妻は、怪訝な顔をする俺に向かって座った。
いつもの無表情のまま、粛々と事態の説明を始める。
「先程の物音について説明するには、まず私が立てたプランについてお話をする必要があります」
「プラン……? それってもしかして……」
「はい。あなたの背徳的なご性癖を何とか改善するためのプランです。今回の事態にあたって、私はAからCまで3つのプランを用意していました」
何だか猛烈に嫌な予感がしてきた。
俺の妻は、普段は真面目で控え目なのだが実は結構天然なところがあるのだ。
涼しい顔をして、こっちが啞然とするような行動に出ることも過去にあった。
その妻が立てたプランか……。
こりゃ、どんな劇物が出てきても不思議じゃないぞ。
「プランAとプランBについては既にご経験されましたね。Aは言葉だけ、Bは身体も交えてあなたの嫉妬と絶望を煽るという策です。今回はそれまでに解決いたしましたが、もし叶わなかった場合には……」
妻がちらりとクローゼットに一瞥を送る。
「プランCとして、私と初体験を交わした例の方がそこのクローゼットに潜んでいることをお伝えし、彼にこっそり見られながらの背徳えっちをする予定だったのです」
「はあ!?」
妻の言葉で、ある意味ではただの変質者がいるより恐ろしいシチュエーションにいることが判明した。
聞いてる限りではテクニックも性格もダメで魅力ゼロだったあの男が、この薄い扉を隔てた先に昨日からずっと潜んでいたというのだ。
しかも、恐らくは妻の手引きで。
妻よ、お前は俺に危機意識がないと言ったが、その言葉そっくりそのまま返すぞ。
自分がどんなに男を魅了する存在なのか、少しは自覚してくれ。
交合中のお前が魅せている、艶やかな喘ぎ声や妖しくくねる肢体を前にして、正気でいられる男がいるはずがないのだから。
もし相手がその気になったら、情事中に無防備な俺をノックアウトしてお前を手籠めにしていたかもしれないんだぞ……。
例の男がそんな最低の行為に及ぶような卑劣漢でなかったことには安心したが、これからどうすればいいんだ……?
この寝室は今、妻が発した妖しげな香りや魔術で溢れかえっている。
行動にさえ移さなかったものの、例の男もそれに充てられて大いに劣情を煽られた状態になっているだろう。
何とか刺激しないように応対して、どうするか話し合わなくては……。
いざとなれば、妻と2人がかりで制圧するという手もあるかもしれないが、こっちは数で勝っているとはいえ丸腰、しかも今は肉体的にだいぶ疲労している……。
上手くいくか不安だな、大丈夫か……?
何とか穏便に話をつけようと俺が頭を悩ませている、その時だった。
様々な不安が胸中に入り乱れて固まっている俺をよそに、妻が驚きの行動に出る。
「そろそろ頃合いでしょう。種明かしとして彼に出てきてもらいましょうか」
「…………は?」
妻は下着すら纏わない裸体のまま、軽やかに床へと降り立つ。
すたすたとそのまま寝室を歩き、何の躊躇もなくあっさりと扉を開く。
その一連の動作は余りに堂々としていて、止める間もなかった。
「ちょっ………っ!? おい!!」
俺が思わず声を荒げた理由は、妻の余りの無警戒っぷりを咎めただけではない。
がらりと扉が開け放たれた瞬間、クローゼットの中から肌色の人影が倒れ込んできたのだ。
静止する間もなく、妻に覆いかぶさる。
奴にしてみれば、半日もの間ずっと垣間見るしか無かった極上の女の裸体が、無防備にすぐ目の前まで近づいてきたと感じるだろう。
しかも、かつて抱いたことがある淫魔の魔性の裸体が。
そんな絶好の状況と、この部屋の空気に充てられた相乗効果で、ついに理性が抑えられなくなったのかもしれない。
そう考えれば、奴がこんな行動に出たことも少しは理解できる。
だが……。
「おいお前! 妻から離れろ!!」
だが、そんなことを許せるわけがない。
急ぎ間に割って入るべく、ベッドを飛び降りて奴に掴みかかった。
事ここに至っては、紳士的な解決はもはや望めないだろう。
腕っぷしに自信はないが、多少痛い目をみるくらいは覚悟してもらうぞ……!
「……あれ?」
しかし、そいつの腕を掴んだ俺の頭に広がったのは圧倒的な違和感だった。
はて、人の体温とはこんなにぬるかったか……?
人肌はこんなにもヌメヌメとしていたか……?
それだけでも十分に変だが、決定的におかしいのは掴んだ相手の腕から何の力も感じないこと。
何で、こいつ自立できてないんだ……?
頭に大量の疑問符を浮かべる俺をよそに、ふうっとため息をつきながら妻がそいつを持ち上げた。
伏せられた顔がようやく見えるようになり、どんな男か確認してやろうと横から覗き込んだ俺は絶句する。
「やれやれ……やはりフレームが入っていないので倒れてしまいましたか。お姉さま方に、もっと質の良いものに買い替えるよう進言しましょうか」
そこにいたのは、男性を模したラブドールだった。
頭部の造形は精悍な顔付きで、格好良すぎるがどことなく俺に似ている。
股間には使用者を愉しませるための立派なディルドが生えているが、だいぶ年季が入っているのか所々ボロボロになっている。
鼻腔を刺すような芳香がしてふんふんと鼻を鳴らすと、それが目の前から漂うシリコン特有の匂いであることが分かった。
そんな等身大の人形が、物言わぬ姿で妻の腕に抱えられている。
まさかの事態に完全に言葉を失っている俺に妻はちらりと視線を送り、口元に微かな笑みを浮かべる。
「さて、昨日はあなたの心を煽るために、色々とショッキングなお話を致しましたね。大変悲痛なお顔をされていた様から、あなたのお辛さが感じられて私も少々胸が痛みましたが……」
ごとりと重たい人形を床に置き、再び妻はこちらに向き直る。
すっと佇まいを正し、穏やかな表情で俺の瞳を見据えた。
「ご安心くださいませ、これが真相だったのです。私の操は、正真正銘あなたに貰っていただきましたよ♡」
「えっ…………は…………?」
「おやまあ。無理もないですが、随分と混乱されているご様子。何か訊きたいことがお有りでしたら、遠慮なく仰ってくださいね?」
「…………」
当初はあまりの衝撃で頭が真っ白になっていたが、段々と落ち着いてくると数々の疑問が浮かんできた。
涼しい顔で俺を待つ妻に対して、問いただしたいことを全部ぶつける。
「じゃあ……金で確保したと言ってたのは……つまり……」
「そのままの意味です。元々は独り身であられた頃のお母さまが、ご自身を慰める為に購入された物なので」
「少し遊んだだけって言ってたのは!?」
「大人の玩具ですもの。遊ぶという表現が妥当でしょう」
「無理やり整形させたって……」
「この人形には、頭部をすげ替えて自分好みの容姿に調整できる機構があるのです。私の理想は勿論あなたですよ」
「……それじゃあ、口の中で暴発された精力が不味かったという話はなんだ? 射精するラブドールなんて聞いたことないぞ」
「ああ。それはですね、サキュバス向けに開発された特注の機能が付いているのです。下腹部に付いているこの模擬ペニスに刺激を与えると、先端から疑似精液が飛び出す仕組みになっておりまして」
ほらこのように、と言いながら妻がぴんとディルドを弾くと、どろりと白く濁った液体が先端から出てくる。
舐めてみますかと促されるまま口にしてみると、豆乳のような味が口内に広がった。
その淡白な風味を感じながら昨日の妻の話をよくよく考えてみれば、違和感を感じる内容ばかりだった。
そもそも、本当に不貞を働いたのならあまりに語り口が軽すぎた。
貞操を重んじるサキュバスが、あんな冗談めいた口ぶりで自身の背信行為を話すわけがない。
整形の強要や容赦ないダメ出しといった、穏和な妻らしからぬ発言の数々も、人形相手だと思えば深く納得できる。
地蔵みたいなマグロ野郎だと言っていたのも何てことはない、本当に地蔵みたいなものだったというわけだ。
真実ではないが、嘘とも言い難い。
ミスリードを誘う妻の話術に、俺は完全に踊らさせていたんだな。
「じゃあ、3日間時間をくれって言ってたのも……」
「ええ。この人形を実家から送っていただく時間が必要だったからです。今はお相手がいらっしゃらないお姉さま方の共有物となっているので」
「ははは……」
全て分かってしまえば、とんだ茶番劇。
事の始まりは、不貞行為に及ぶ仮想の人妻サキュバスと自分の妻との対比で昂奮を覚えてしまう、という業が深すぎる俺の性的嗜好がバレてしまった時にまで遡る。
この悪しき性癖を何とか矯正できないかと考えた妻が至ったのが、自分も不貞行為に及んだことがあると嘘の告白をする策だった。
しかし実際のところは、その身体に受け入れたことがある男は俺だけ。
生半可な作り話ではディテールに粗が出て、容易に見破られてしまうと悩んでいた時に思い出したのが、かつて性欲のはけ口にしていたラブドールだったというわけだ。
今思えば、この計画を言い出した時の妻は酷く赤面していた。
あれは自らの不貞を恥じていたわけではなく、自慰行為の告白という考えるのも憚られる話を、愛する夫のために打ち明けることを決心したが故の恥じらいだったのだろう。
俺だって、自分のオナニー体験を赤裸々に話せと言われたら御免被るもんな。
改めてよく人形を観察してみればその全身は中々にボロボロで、長年にわたってサキュバス達の性欲を受け止めてきた苦労が偲ばれた。
口元に注目してみると、半開きになっている口腔から覗いている作り物の舌が、短く途切れてぶらぶらと揺れている。
噛み千切ったってジョークじゃなかったんかい。
「このラブドール、何かやけにボロボロだけど何があったんだ?」
それは何気なく口に出た疑問だったが、妻は気まずそうに黙りこんでしまう。
暫くもじもじと躊躇った後に、ゆっくりと重い口を開いた。
「その……幻滅しないでくださいね……? 私達サキュバスは、人形を相手にした疑似行為だとしても、口付けや性交をしているとどうしても本能を刺激されてしまうのです。つまり、今自分は最愛の方と幸せにまぐわっていると、脳が勝手に勘違いをしてしまうのですね」
「なるほど」
「ですが、それは愛する方の舌やおちんちんではなく紛い物。当然満足できるわけがありません。そのギャップが募りに募ると淫欲が暴走してしまい、少々嗜虐的というか……何と言いますか……暴力的になってしまうのです……。そして、そのはけ口は悦楽を与えてくれない人形に向ける他なくて……」
「ああそういや、全然気持ち良くないって言ってたもんな。つまりオナニーしながらボコボコにしてたと」
「お、お姉さま方の付けられた傷もあります……! 多少は……!」
気色ばんでフォローになってないフォローを必死にする妻。
内心爆笑するが、そりゃあ仕方ないな。
サキュバスの悦楽については、痛いくらいに体験してるし。
あの感覚が味わえると身体が期待しているのに、全然気持ち良くなれなかったらイライラしても仕方ないだろう。
それに、暴走中の言動についても気になるな。
何だか、今後弄れるネタが増えそうな予感がする。
妻の性格からして、物言わぬラブドールを相手に言葉責めみたいなこともしてたんじゃないだろうか。
「暴走してた時は、どんなことを言ってたんだ?」
「私の沽券に関わるので黙秘させていただきます」
「教えてくれ」
「…………その……『もっと腰を使いなさい、それでも性具ですか』とか……。『はあ……不味いです、不味すぎます。鼠の餌にも劣る風味です』とか……」
「ぶぶっ!」
「笑わないでください!」
紅が差した顔でむくれる。
このクールな妻がラブドール相手に理不尽な罵倒をしながら腰を必死に振る姿を想像すると、笑えてきた。
結局のところ、妻は種族由来の性衝動に犯されても他の男に靡くことなく、この代替品で憂さ晴らししながら耐え続けてくれていたということだ。
なんだ……本当は、他の男と関係を持ってたわけじゃ無かったのか……。
妻の過去を受け入れる覚悟はしていたが、やっぱり心の奥底では微かな落胆があったらしい。
事の真相に安堵した俺は、全身の力が抜けてよろよろと座り込んでしまった。
あんなに堂々と気にしないって言ったのに情けないな……。
「あ、あなた……? どうされましたか……?」
「いや……お前の初体験が誰かに奪われたわけじゃなかったと安心して……。器が小さい夫でごめんな……」
「当たり前です。あなた以外の男性に私が身体を許すとお思いで?」
「し、白々しい……! よく言うわ、あんな淫猥な雰囲気で話していたくせに!」
「むっ。そもそも、あなたがあんな倒錯したご性癖でなければ、私がこんな恥を晒す必要もなく全て丸く収まりましたのに」
うっ……確かにそれを言われては弱いな。
それに妻がこの人形で自分を慰めざるを得なくなったのも、元はと言えば俺がとっととあの家から逃げる決心がつかなかったせいだし……。
もしかして、俺が全ての元凶か……?
「その……ごめんな。変な性癖を持ってしまって。あと、こんな人形で長い間我慢させてしまって」
「いえいえ……そんな事……ふふふ……!」
妻が感極まったかのようにぎゅうと抱き着いてくる。
ふにゅと柔らかい乳房が胸板で潰れ、思わず変な声を上げそうになる。
白魚のように細い指が、股間の陰茎をさらりと撫でた。
「気にされているようでしたら、こちらでお返ししてくださいませ。折りよく、そろそろナカが切なくなってまいりましたので……♡」
「……上等だ」
熱い情欲が再燃し始めた瞳を向ける妻。
その軽い身体をそっと押し倒し、股座の秘裂に手を添える。
もう既に精を食べ切ったのか、そこを湿らしているのは妻の蜜液だけだった。
「これで憂いは何もなくなったし、思う存分お前を抱けるな。絶対孕ませてやるから覚悟しとけよ……!」
「ええ……♡ 愉しみにしてますよ……♡」
妖艶に笑う妻の秘裂に、再勃起した肉棒を押し当てる。
俺達の長い1日は、まだまだ始まったばかりだった。