「はじめまして、『アリサ・イリーニチナ・アミエーラ』と申します。本日一二〇〇付けで、ロシア支部から、こちらの支部に配属になりました。よろしくお願いしまーす」
リンドウにサクヤ、ソーマとエリック、それにコウタ、アキ。
6人が雨宮ツバキに集められ、見知らぬ新型だという少女を紹介されたのは二月の半ばを過ぎた頃だった。
アリサ、とロシア系の名前を名乗った少女は名前通りロシア系の顔立ちをしたコーカソイドとして正統派の美人だった。赤いチェックの入ったキャスケット帽で抑えた明るい銀髪は長くふわっと広がり、目鼻立ちははっきりとしていて、それでいて少女らしい幼さを残している。ロシアの氷海のように落ち着いた色合いの碧眼は雪のように白い肌によく映えた。上半身は腹部から後背の空いた短いノースリーブジャケットが一枚であり、左腕にグローブとアームカバー。下半身は赤いチェックのスカートをサスペンダーで吊り下げ、黒タイツを大腿の半ばまで伸びるロングブーツにしまい込んでいる。一目でパンクデザインに凝った高級ブランドとわかる服装だった。覗く下乳からして生意気スケベなメスガキかな、とアキは思った。
そんなアリサは前髪の先をくるくると弄り回しながら、視線はあらぬところを向いて、どこか他人事のように自己紹介をした。礼を逸しているとも取れる、子ども染みた態度である。そのアリサに対しても、大興奮、といった心情が見てとれるコウタが鼻息荒く口を開いた。
「女の子ならいつでも大歓迎だよ!」
ここ数週間で女の色を知ったばかりのコウタは、むろん平時同様に歓迎の心を持っていたが、それ以上に可憐な新メンバーに対する下心が剥き出しだった。
「よく、そんな浮ついた考えでここまで生きながらえてきましたね……これが人類最前線と言われる極東の実態ですか」
「……へ?」
そんなコウタを見て、アリサは軽蔑の色を浮かべている。
「彼女は昨年ロシア支部に新型として配属され、既に実戦にて成果を収めている。神機使いとして言えばコウタやアキよりも先輩にあたる。むしろ、頭を下げて学ばせてもらうほうが正しいだろう」
「まじっすか……ええ……」
褒められたアリサはふふーん、と得意げである。
「特に、アキにとっては数少ない新型の先達だ。これを機に新型神機使いとしての技術交流に努めるように。アリサも、コイツをよろしく頼む」
「ロシア支部の恩人として名高い雨宮ツバキさんにそう言われたら断れませんね」
「恩人?なんの話?」
コウタ、そしてアキの新人二人は首を傾ける。しかしその他の面子は訳知り顔である。素直に疑問を口にしたコウタに、アリサは半目で呆れたように答える。
「自分の所属する支部の大先輩の活躍も知らないんですか。敬意に欠けますね、まったく……。今でこそロシア支部は精鋭と名高いですが、昔は連合軍が幅を利かせていて神機使いは肩身が狭かったんです。2065年の連合軍による欧州のアラガミを殲滅する作戦で、核兵器を利用する戦場の生贄としてロシアが選ばれてしまうくらいに。幸い、核兵器は使用されずに済みましたが……その時に役立たずの連合軍を有名無実化し、4桁にも迫るアラガミの大群をたった4人で殲滅したのが当時の雨宮ツバキさん、その弟の雨宮リンドウさん、初陣ながらも活躍したソーマ・シックザールさん、それと……世界最強のゴッドイーター『極東の魔弾』。彼ら4人のおかげでロシア支部は連合軍の統制から解放され、なにより無償で提供されたアラガミ素材によって大きく成長できました。だから、ロシア支部は今でも極東支部に頭が上がらないんですよ」
なんなら4人の活躍は今でも映像付きで語り草です。
そう語ったアリサの目は、憧れの人を見るようにツバキたち3人を巡った。
「へ~そんなことがあったんだ……。って、なんで俺たちに教えてくれないんすか!」
「……その程度は日常茶飯事だったからな、俺達には。それにその活躍をしたのは実質一人だ。この場にいないやつの話なんてしても仕方ないだろ」
暗に四桁近くのアラガミを倒したのはこの場にいないもう一人だと語るソーマ。
「『極東の魔弾』ってこの第一部隊だったのかよ⁉すげー……!あ、でもさ、少し前まで凄まじい人気だったじゃん。けど、最近は全然活躍聞かないよね。アンタはなんか知ってる?」
聞かれたアキは即座に首を振った。『極東の魔弾』、その名前には聞き覚えがあるが、すでに褪せた記憶の中だった。
「アイツは現状ほぼ引退している。それこそ、アナグラが壊滅的な危機に陥ることでもなければ駆り出されることはないだろう。──さて、無駄話はこれくらいにしておけ。以後、アリサは第一部隊の面子と連携を調整しておくように」
「了解しました」
「リンドウ、資料等の引継ぎをするので私と来るように。その他のものは持ち場に戻れ、以上だ」
そうして解散となり、ツバキとリンドウは立ち去った。
「『極東の魔弾』の話、もっと聞きたかったんですけどね……」
そのためにロシア支部からの派遣に同意したので、と優秀な戦果を発揮していた新型神機使いが極東支部に移籍することになった裏側をアリサは語った。
「ん?アリサはホムラ目当てだったのかい?なら、今度予定を抑えておこうか。せっかくロシアから来てくれたんだ、ホムラも嫌とは言わないだろうさ。最近は忙しいみたいだけど、少し話をするくらいならなんでもないよ」
「……エリックって、もしかして『魔弾』と仲良いの?」
コウタの当然の疑問にエリックは頷く。
「ホムラはボク、というかボクとソーマの幼馴染だよ、かれこれ10年来のね。リンドウなんかはコウタとアキみたいな同期だし、ツバキさんに至っては恋人だ」
「ええええ⁉」
それにいちおう今も第一部隊に籍自体はおいてるからね。
なんでもないことのように驚くべき事実を羅列したエリックに、コウタたちは素直な気持ちを抑えることができなかった。
すげー、俺たち伝説の部隊にいるんじゃん……とコウタから漏れた言葉にこくこくと頷くアキだったが、アリサは一瞬目を見開いてからゆっくりと考え、それから口を開けた。
「……いえ、あの、やっぱりやめておきます。お忙しいでしょうし。それに、同じ支部にいるんです。そのうちすれ違うこともあるかもしれませんから」
それは明らかに遠慮した態度ではあったが、エリックは無理強いせず、
「そうかい。なら気が変わったらいつでもボクたちに言ってくれたまえ」
と、気障にウインクを返していた。
「……おし、それなら『魔弾』さんが気になるくらい活躍して見に来てもらおうぜ!そしたら文句ないよな?」
「……たしかに、それなら」
「よっしゃテンション上がってきたぁ!アリサも一緒に新人トリオでがんばろうぜ!」
「……勝手に決めないでくださいよ。まあ、その方針自体に異論はないですけど」
アキはアリサに両手でガッツポーズを示し、賛意を表した。
「え、あ、はい。よろしくお願いします……?」
無口な新型仲間に戸惑いつつも、愉快な新人2人に引っ張られてアリサは打ち解けていく。
そんな後輩たちを横目に、ソーマ・エリック・サクヤの3人は顔を見合わせて肩を竦ませた。
たぶん、呼ばれたらすぐ来るよ、その伝説……というのが先輩たち3人の予想だった。
アリサを交えた第一部隊はローテーションでチームを組んで連携を試していった。
戦績上は昨年からゴッドイーターのアリサに及ばないコウタとアキではあるが、しかし、人類最前線と呼ばれる極東支部は他の支部に比べても過酷な任務が多く、その分困難な任務に対する経験は豊富だ。それらのバランスが上手く噛みあい、アリサたち3人は伯仲した実力を示していた。
そこに伝説の部隊と評して過言ではない第一部隊を生き抜いてきた生え抜きの先輩陣による指導もあって、3人は急速に成長していった。特にアキとアリサの新型2人のダブルジョーカーとも言える自由度の高さは、他の部隊ではありえない強い安定感をもたらしていた。どんな危ない状況でも平然と戦うアキと、多様な状況への対応力を示すアリサ。その双璧が噛み合うことで、第一部隊は怒涛の勢いで戦績を上げていったのである。
そんなある日のこと。
「お……今日は新型2人とお仕事だな。足を引っ張らないように気を付けるんで、よろしく頼むわ」
遜った物言いであるが、アキは極東支部内の噂で既に知っていた。
目の前の青年こそ、極東支部現役最強のゴッドイーター。配属以来10年間戦い続けてきた人類トップクラスの神機使いだと。
「旧型は旧型なりの仕事をしていただければいいと思います」
だからこそ、その発言には一瞬凍り付いた。
──初対面から知っていたことだが、アリサは気位が高い。いっそ傲岸といっていいほど生意気な態度ではあるが、それは自身の能力の高さへの信頼や出自に由来するのだろう、とアキは見当をつけていた。
アリサは優秀である。
新型神機使いとして新人としては破格の能力を持ち、過酷な極東でも難なく適応して見せた実力を備えている。そのうえ書類や事務作業での実務能力も高い。既にアキは実戦後のレポートなどはアリサに頼り切っている。座学にも秀でており、榊博士のアラガミ講座でも知識の豊富さ、呑み込みの早さ、発想力など非凡な面を次々と示していた。加えて本人自身が見惚れるほどのロシア美人と非の打ちどころのない少女である。また、全身がロシアの高級ブランドの特注品と出自の高さを誇示しており、おそらくはロシアでも有数の富裕層出身、貴族出身ではないかと噂されていた。それらを加味すれば、アリサの高慢さには頷けるものがあった。
しかし、その態度が極東支部内で大きな軋轢を生んでいた。
極東支部所属のゴッドイーターの大半は富裕層ではなく外部居住区出身である。富裕層であるアリサとは基本的に相いれず、また極東民は礼儀といった面を重視する。アリサの態度を鼻もちならないものと捉えるのが大半だった。周囲の感じる不快に頓着することもなく、優秀さから来る独善に走る行動も多く、尊敬している人の多い第一部隊以外では見下した態度で指示することも多い。
アリサと極東支部部隊員の不和は既に危険なところまで高まりつつあるのが現状だった。
アキにはわかる。
コミュニケーション能力に不足のある、まだ人間関係初心者であるアキにもわかる。
アリサのリンドウへの発言は、当てつけや嫌味でもなく、ただの率直な意見なのだ。
そして、だからこそ問題は根深くまた解決の難しいものだ、と。
「はっは、ま、せいぜい期待に沿えるように頑張ってみるさ」
そんな問題発言を鷹揚に流したリンドウの大人な対応に、ほっと息を落ち着ける。
が、アリサに近づき肩をポンと叩いた──その手がパシンと振り払われたことに、アキは再度凍り付いた。
「やめてください、セクハラですよ。リンドウさんも査問にかけられたいんですか?……まったく、極東なんて性欲に盛ったサルばかりじゃないですか」
非常に不機嫌そうな様子を見せたアリサ。ただ、アキの客観的な視点では、ひいき目に見ても同じ部隊員あるいは上官と部下のスキンシップ程度だった。それに対する言葉がセクハラにサル、である。アキの短いゴッドイーター生活でも、上官に見せていい態度ではないことはすぐにわかった。流石に一線を越えた、と察して2人の間に割って入る。
「あーあ……ずいぶんと嫌われたもんだなー。……冗談だ。わかってる、お前もそんな慌てた顔しなくても大事にはしねぇよ」
リンドウも察した顔である。特別懐が深いというよりも何か事情があるんだろうと理解し、アキは胸を撫で下した。
「…………」
振り返ったアリサは、何が悪いんだとばかりに唇を尖らせ不機嫌そうな顔で毛先を弄り回していた。
「あー、よしアリサ。5分やる、それまでここで待機して少し頭を冷やせ」
「はぁ?そんな必要ありませんけど。私は冷静です、頭が茹だっているのはリンドウさんのほうでは?」
「いいな、これは”上官”命令だ。従えないのであれば、俺の方も流石に上に告げ口するしかなくなる」
「…………」
上官、の言葉に込められたイントネーションに、本気を察したアリサが黙った。
「まあ、まずは動物の形をした雲を探してみろ。これは俺も『魔弾』のホムラもお墨付きの手段だ、落ち着くぞ」
「…………そうですか」
「よし。それじゃあ5分経ったらこっちに合流してくれ、いいな」
「…………なんで私が、そんなこと……」
アリサは文句言いたげではあったが、流石にこれ以上表立って抗弁するつもりはないらしかった。
「よし、先に行くぞ」
促されたアキはアリサを心配そうに見つめて、それからリンドウの後を追った。
「あいつのことなんだがな……察しているようだが、ロシアでもあの調子だったらしい。向こうでは任務中に『不慮の事故』が起こる計画まででていたそうだ」
不慮の事故、に計画性はない。つまりそれは、そういうことで。
「極東に来たのはこっちの支部長の要請……昔の貸し借りの清算と、本人の希望があった。だが、一番の要因は数少ない新型がこのまま潰れることを危惧したロシア支部からの要望だとさ。まあ、あれだけ出来たお嬢ちゃんでも15歳だ、あんな風になるのもわからなくはない、というかそういうもんだろ?コウタやお前さんだって、少なからずそういう部分はあるもんだ」
もちろん、昔の俺や、他のヤツらもな。
「──ただ、極東には”人並み以上にできる”くらいじゃ届かない人間がいた。だから誰も増長したままではいられなかった、それだけの違いなんだが……」
それは……例の『極東の魔弾』の話だろうか、と思った。
部隊の生還率が9割を超える、10年のキャリアを持つ不撓のゴッドイーター。
それが雨宮リンドウという神機使いだ。
──そんなリンドウを抑えて『世界最強』に至った神機使いが目の前にいたら、アリサはどう思っただろうか。
「あの様子じゃゴッドイーター特有の『体調不良』にも共感ができないのかもな……それは新型の問題点とも言えるが……それでも、お前さんがさっきアリサをかばっているのを見て、俺はなんつーか……安心した。たぶん、お前らなら大丈夫だろ。まあ、同じ新型のよしみだ。あの子の力になってやれ、いいな?」
聞くまでもないか、とアリサの時と同じようにアキの肩に置いた手をリンドウはすぐに下した。
言われるまでもない。
アリサは既にアキにとって仲間で、頼りになる友人だった。コウタがかつて自分にそうしたように、今度はアキが手助けする番になっただけだ。
「うっし、じゃあ行くか!」
討伐対象のアラガミを捕捉したリンドウが戦闘態勢に入る。アキもまた、一時的にアリサへの心配を片隅に追いやった。……戦場で頭においていいのは、4つの至上命令だけ。
──霊代アキはゴッドイーターとして、ゆるぎない成長を遂げつつあった。
一方でアリサの問題は悪化していった。
根本的に周囲への共感と配慮とに欠けていることが原因であったが、当の本人にそれを改める気はない。
どう考えても自分が正しい。
そう考えている以上当然の成り行きで、能力を考えればそれも合理的には正しいと言えるのが厄介だった。
外部居住区においてアラガミがアナグラを囲う外壁を突破した事態に出動したアリサは、防衛班の指示に従わず住民の避難ではなくアラガミの討伐を優先した。幸いにして住民に被害は発生しなかったものの、一歩間違えれば住民を巻き添えに戦闘が発生したり、パニックが発生し大事故につながる恐れがあった。アナグラに関する防衛は専門の役割を持つベテランである防衛班に従うのが最善である。そして今回の事態に際して防衛班は住民の避難が最優先と判断した。
しかし、アリサはそれよりもアラガミを倒した方が早い、と考えた。自分がアラガミを倒した方が問題解決に効率的と判断したのである。そして結果を見ればそれは事実だった。
判断も結果も正しかった。
ただ、その行動は住民の避難が完了してからでも十分間に合った。そして非難が完了すればパニックや巻き添えが起こる可能性を無くすことができた。危険の多い外部居住区出身の多い防衛班は、何よりも犠牲者を出さないことを最優先に考える。
対してアリサは事態への最速での対処を優先した。外部居住区にはアリサの知り合いも身内もいない。富裕層で育ったアリサに、外部居住区への共感など微塵もない。せいぜいがフェンリルの温情にすがる寄生虫くらいの感覚である。だから過程に対して思いを巡らすことなく、そこに生きる住民やそれを大切にする同僚への配慮もなく、また独善から指揮系統を無視した行動を起こすことができてしまった。
そういった問題行動が誰に対しても行われるのである。
そしてリンドウへの態度のように基本的に常に態度が悪く、口が過ぎていて、それが特に男性神機使いの勘にさわることになった。『あのメスガキ、いつかわからせてやる……』といった風情に。
順当と言えば順当にアリサは極東内部で信頼を失い、居場所を失くしていった。
コウタとアキはそんなアリサのフォローに奔走したが、焼け石に水という表現が適切だった。むしろ、アリサの独善的態度を支持していると捉えられてしまうことさえあった。実力そのものは確かで、主な任務が討伐班でのものであったためロシア支部ほど深刻な事態には陥っていなかったが、それも時間の問題と言えた。
こうしてアリサへの嫌悪は際限なく高まっていった。
──それこそ、アリサが不審な事件に巻き込まれたら、誰もが彼女を犯人だと決めつけてしまう程度に。
三月。
その日は寒い朝から始まった。冬の空は雲一つなく晴れやかで、蒼穹の中天には沈み損ねた白月が浮かんでいた。
「これは、いよいよキナ臭くなってきたな」
贖罪の街を警戒しながら歩くのは第一部隊隊長、雨宮リンドウ。
そしてアリサ・イリーニチナ・アミエーラの2人だった。
討伐任務に赴いた2人の足取りは重い。
それはアラガミが跋扈しているからではなく、むしろいなさすぎたことが理由だった。
アナグラを離れた各地のアラガミの討伐は、偵察班による徹底的な調査をもとに任務となる。どこにどんなアラガミがいて、どのアラガミを倒すのか。それらが明確に指示されているのである。
にもかかわらず、2人のいる贖罪の街にはアラガミが一匹も見当たらなかった。不測の事態が起きている。それはアラガミによるものか……それとも。
「…………」
アリサの表情は暗い。ここ数日に受けた陰口や直接的なハラスメントに耐えかねた結果だ。一線を越えることはなかったが、下卑た顔で自分の後をつける不審な男たちの影もあり、気が抜けない日々が続いていた。……悩みは根深く、アリサは任務中でさえ自問を止めることができなかった。
なぜ。
なぜ、自分はロシアでの日々と同じことを繰り返しているのだろう。
ロシアでは、貴族家出身という自分の出自を知られていることが周囲との軋轢を作り出したのだ、と思った。
だから仕方ない。
それでも、違う土地であれば。
最前線だという極東なら、実力主義で自分のことを見てくれるかもしれない。
そんな逃避に似た希望が極東にあったのも確かだった。
しかし、そんな夢を見た極東も、実際には性欲が抑えられないとうそぶくサルの巣窟でしかなく──旧型特有の理性を蒸発させる過度な性衝動が新型にはなく、また性知識に乏しい貴族家内では一般的な性的価値観を築くことができなかったために、潔癖に育ったアリサは他者の性欲を汚らわしいものと捉え、特有の『体調不良』とは淫欲に耽ることを正当化するための欺瞞としか捉えていなかった──そのうえ実力と結果を見せつけても正しく評価することのできない無能の集まりだった。
精鋭である第一部隊のみはアリサに擁護的で、その関係は心地よいものであったが、それ以外の極東のすべてがアリサには煩わしいものとしか思えなくなっていた。
アリサは合理的な思考の持ち主だ。
それ故に効率的に成長し、効果的にアラガミを倒すことができる。
そして合理的な思考はアリサ自身にも向けられる。
一度目は初期条件の悪さ、環境の悪さだと考えることができた。
しかし二度目は?
条件も環境も違う場所で、同じことが繰り返されたとしたら、それでも”誰か”が悪いのだろうか。ならばいったい誰が悪いというのか。
コウタやリンドウのような性欲に滾った男たち?
効率を理解できない防衛班?
口さがない極東の女たち?
そうであるなら、なぜ第一部隊は違うのか。
支部長に託されたからか?アリサに特別待遇をしろと命令でもされたのか?
……一瞬、自分がどうしようもなく聞き分けの悪い子どもとして田舎の親戚に預けられた子ども……にでもなっているような気がして、ぎゅっと目を瞑った。
気持ちが沈んでいく。
アリサの胸の内に、ふわっと嫌な感触が湧いた。
自分が世界から遠ざかっていくような、現実から現実味が無くなって夢を見ているような。
そんな感覚がして。
「どうかしたか?」
リンドウの問いかけに意識が現状に戻る。
「い、いえ、問題ありません。側面、後方共にクリアです」
慌てて口にした答えではあったが、自問自答しつつも注意そのものは周辺に向けられていたからこそきちんと答えることができた。片手間に索敵ができる程に、アリサは優秀だった。
そんなアリサに違和感を覚えつつも、リンドウは瞑目し判断を下した。
「そうか……進むぞ」
──そうして、アリサはまたも答えの出せない思索に没頭していく。
一方、2人を除いた第一部隊の面々は2手に分かれて任務の討伐対象である大型アラガミ、ヴァジュラを捜索中だった。
その途中、廃墟となった教会の前で、思いも寄らぬ相手と遭遇した。
「何?」
普段、冷静沈着なソーマの思考が止まるほどのおかしさ。
「お前ら?」
それは別任務に出立したはずのリンドウとアリサだった。
「あれ?リンドウさん、何でここに⁉」
「どうして同一区画に2つのチームが……どういうこと?」
お互い、いるはずのない相手。
同じ区画に別々の任務を与えられた部隊同士が派遣されることはあり得ない。それは同士討ちや作戦に無いアラガミへの戦闘などで不意を打たれることのないよう、任務受諾時点で選り分けられる不文律である。
前提として、そもそも目的地が異なっていたはずである。それを確認してお互い出立した。にもかかわらず第一部隊は贖罪の街に集合する結果となっている。明らかにフェンリル側の失態による不測の事態だった。即座に状況を判断したソーマがアナグラに連絡を取るも、
「……チッ、繋がらねぇ。何がどうなってやがる」
繋がらない。どう考えても異常事態だった。
「考えるのは後にしよう。さっさと仕事を終わらせて帰るぞ。俺たちは中を確認、お前たちは外を警戒。いいな」
隊長としてリンドウが指揮を執った。妥当な判断に、不穏な状況を共有した部隊員全員が一丸となって指示通りに動き始める。
ソーマたちが出入り口を守るように警戒し、リンドウとアリサは慎重に教会の中へ足を踏み入れていく。
(あれは……タバコ?)
その隅、瓦礫が小さな山となっているスポットに煙草の吸殻が落ちているのがアリサの目に映った。特有のヤニ臭さが残っていて、吸い終えてからそれほど時間が経過していないように思える。
「──チッ。そういうことか」
途端、何かに気付いたように舌打ちをしたリンドウに、アリサは目を向けた。
その直後、教会の二階、割れたガラスの隙間から一匹のアラガミが踊り出た。
彫刻の女のような頭部、獣の四肢、青く冷気を漂わせるマント。
ヴァジュラの特徴を備えながら何かが決定的に違うその姿に、新種だとリンドウの長年の経験が即座に答えを出す。
「下がれ‼後方支援……いや、お前は一度外に脱出してソーマたちに状況を報告しろ!」
同時、新種のヴァジュラがリンドウへと襲い掛かる。
咄嗟にリンドウは躱し、アリサから意識を逸らさせるように反撃に移る。
「──ッ」
──しかし、アリサは。
新種はこれまでの経験にない行動を起こすことが多い。
有効範囲の広い未知の攻撃を繰り広げられた場合、アリサをかばいきれない可能性がある。
そのためにリンドウはアリサを安全な仲間のところへ向かわせたかった。巻き込まないためにもそうするのが
「──…………」
──だが、アリサは。
自問自答と他者への不信、何よりも疑念の渦に囚われていたアリサには。
その言葉は『役立たず』だから逃げろ、と。
そう聞こえてしまった。
誰からも排斥されていようと、嫌われていようと、結局女でしかないと見下されていようと。
それでも、培った実力と積み上げた結果だけが、どんなときにも裏切らないアリサの精神的支柱だった。
──それすら無くなってしまったら、私はどうすればいい?
──何を支えに生きていけばいい?
そのちっぽけな自尊心が、『戦え』と。
戦って、勝って、己の価値を証明しろ、と囁く。
だからこそ、アリサは逃げ出さない。
──だが、自分自身に対しても疑惑の目を向けてしまったアリサは。
『特別待遇』に守られてきた自分には。
本当は、できることなんて何も無いんじゃない?
だから、『逃げてしまえ』と。
逃げて、答えを持っている誰かに任せればいい。
──結局、自分にできることなんて、他の人にもできることでしかないのだから。
『戦え』
『逃げてしまえ』
『戦え』
『逃げてしまえ』
『戦え』
『逃げてしまえ』
「アリサぁ!どうしたあ!」
巡々に繰り返される闘争・逃走反応。パニックになったアリサの脳裏にはその二択しか残らず、その認識にはもはや、リンドウも新種も仲間たちも存在していなかった。
戦おうと踏み出した足が、逃げようとした足に変わる。その繰り返しで一歩も動けないままに戦局は進み、アリサを庇い続けたリンドウが徐々に不利になる展開が続いていく。
「……はっ……はっ……はっ……はっ……」
呼吸は荒くなっていく。
思考は混濁していく。
「──くっ、この」
ついにアラガミとリンドウの均衡が崩れ、リンドウが吹き飛ばされて態勢を崩してしまう。
すかさず隙をついた新種が、尖った氷塊の矛先を棒立ちのアリサに向け、撃ち放った。
「──え」
「馬鹿野郎!アリサ!」
神機を放ったリンドウが咄嗟に駆け寄り、アリサを突き飛ばす。ふらふらのアリサは踏ん張りなどなく、勢いのままに教会の広間から退避することになり、尻もちをついた。
──パァン、パァン。
その瞬間、アリサはそんな遠い銃声を聞いた……気がした。
その視界に、ゆっくりと、情景が刻まれていく。
氷塊が迫りくる。
アリサに当たるはずだったその軌道には、突き飛ばしたことでリンドウが代わりに立っていて。
同時に、なぜか轟、轟、と轟音を立てて天井が突如崩れ始める。
落ちてくる瓦礫、そして氷塊が迫り、しかしアリサの身代わりになったことで動けない身一つのリンドウは──なぜか笑っていて。
──そして、落ちてきた瓦礫によってリンドウとアリサは別たれ、土煙と崩れた天井によって完全に姿も見えなくなってしまった。
◇
「私じゃない私じゃない私じゃない、私のせいじゃない……私のせいじゃ……わたしの、せい……」
『命令だ!アリサを連れて、アナグラに戻れ』
『わりいが、俺はちょっとこいつらの相手して帰るわ。……配給ビール、とっておいてくれよ』
◇
瓦礫の向こうに一人取り残されたリンドウの命令を受けて、第一部隊の全員が撤退していった。サクヤは最後まで抵抗していたがコウタによって強引に連れ出され、呆然自失していたアリサにはアキが肩を貸した。その撤退をアラガミたちが追い、やがて教会には静けさが戻っていった。
その内部で倒れ伏していたのは……新種のヴァジュラ。
その傍らでリンドウは座り込み、気怠そうに煙草の煙を燻らせる。
「行ったか……」
──教会の二階から新たなアラガミが侵入する。
それはヴァジュラを黒くしたような、邪悪な壮年の男の彫像を頭部にした異質なアラガミだった。額にはそれと見てわかる銃創──弾痕が残っている。
「はあ……ちょっとぐらい休憩させてくれよ……。身体が持たないぜ……」
煙草の煙は途切れなく。
フィルターまでの距離はまだまだ健在だった。
愚痴と共に最後に一口深く吸い込むと、ゆっくり吐き出し、残りを雑に投げ捨てた。
立ち上がり、咆哮を上げる新たな新種へと向かっていく。
その背には──神をも砕く大狼の面が、金色に輝いていた。