「え、温泉?」
「そうだよ。お休みに、お父さんがみんなで行こうって」
それは今度の連休を利用して、温泉旅館で羽を伸ばそうという高町士郎による計画であった。もちろんそのメンバーの中には少年も含まれている。自宅でなのはが持ってきた桃子手作りのサンドウィッチで朝食をとりながら廣明は話を聞いている。珍しくユーノも人間の姿に戻っており、リラックスしている様子であった。
「へえ、楽しみだな。にしても、ほんとに桃子さんは料理上手だなあ」
「あ、そのタマゴサンド、わたしもお手伝いしたんだよ」
どれどれ、と廣明が味見をする。ほどよく崩された卵の食感がよく、味付けのマヨネーズも調度いい具合になっている。
「うん。美味しいよ、なのは」
「えへへー。ユーノくんもサンちゃんも食べてね」
嬉しそうに、なのはが皿に取り分ける。桂木家の朝は、本日ひときわにぎやかであった。
そして当日。士郎の運転する車に乗り込み、アリサたちと一緒に温泉へ出発する。つぎに来る時には、1人で退屈をしているであろうはやても誘ってやろうと廣明は膝上に乗るなのはの頭を撫でながら思っていた。
◇◆◇
「廣明、お前も行ってこい」
宿の部屋に荷物を置いて、恭也は休憩をしている。士郎と桃子は2人で近くに散歩をしにいっていた。
「それじゃ、お先に」
なのはたちに少し遅れて廣明も合流する。大浴場の入口に着くと、そこには男女に分かれた暖簾がかけられていた。
「30分くらいしたらここで集合ね。あんたも一緒に来るのよ?」
「はいはい、わかりましたよ」
風呂のあとに旅館の中を見て回ろうというアリサの提案を了承して、廣明も男湯へ向かう。その肩へ、逃げるようにユーノが飛び乗った。
『さすがに、これはまずいような気がするので……』
『確かに、逆に気疲れしそうだな』
いくら動物の姿をしているとっても、同年代の美少女とスタイルのいい忍と美由希の裸はユーノにとって刺激が強すぎるものであった。渡りに船ということで、彼は廣明に助けを求めた。
「きれいにしてあげてくださいね」
すずかにそんなエールを貰いながら、手を振りその場をあとにする。
「ユーノも人間に戻ったらいいんじゃないか」
幸いまだ利用客も少なく、脱衣所には誰もいない。念のために手洗いに隠れて変身を解除し、ユーノは久しぶりに元の姿で入浴することができた。
「これだけ広いと、開放感がありますよね」
「ああ。温度もいい感じだな」
2人の声が大浴場の中で反響している。いまこの瞬間だけは責任感の強い少年もジュエルシードのことから解放されている。自分より年若いユーノであるが、その内面ではどれほどの気苦労を重ねているのだろうと廣明はユーノの顔を見て思う。
(まあ、本人はそれが当たり前だと思っているだけかもしれないな)
「ユーノ、背中洗ってやるよ」
湯から出て、廣明は洗い場にいく。ユーノは驚きながらも、その端正な顔に笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。……そういえば、ライジングサンはどうしたんですか?」
「なに?」
そう言われて廣明は左の手首を見るが、ライジングサンがない。大浴場の入口についた時にはちゃんとあったはずなのだが、影も形もなかった。彼はあわてて念話を飛ばす。
『なのは、そっちにサンが来ていないか?』
『え、サンちゃんなら一緒にお風呂入ってるよ。お兄ちゃん、知らなかったの?』
案の定、ライジングサンは女湯にいたようである。大胆不敵というか、彼女は密かになのはたちの後ろから浴場へ潜入したらしい。怒るのも馬鹿らしくて、廣明は注意だけ彼女に与える。
『迷惑はかけないように、以上』
『了解です!』
念話でもサンの楽しそうな感情は彼に伝わってくる。触れ合う機会のないアリサやすずかとも、ここならば怪しまれることなく話すことができる。彼女の行動力には、廣明も苦笑せざるを得なかった。
温泉を満喫し、フェレットに変身し直したユーノを頭に乗せて廣明は男湯から出る。なのはたちがまだだったので、彼は飲み物を買って時間をつぶしていた。数分後に出てきた浴衣姿の少女たちの輪には、新たに1人加わってしまっている。廣明がその少女、サンの顔をあえてなにも言わずにじっと見ていると、彼女はたまらず下を向いてしまう。
「廣明さん、どうかされましたか?」
「お風呂で知り合ったのよ。せっかくだから誘ったの」
どうやらなのはも上手く振舞ったようで、すっかりサンは少女たちの中に溶け込んでいた。
「よ、よろしくお願いします……」
ぎこちなく廣明に礼をするサン。彼は笑ってしまいそうになるのをこらえ、彼女の肩をぽんぽんと2回叩いた。
それからは旅館を探索し、5人は中庭に面した廊下でどこに行くのかを話しながら歩いていた。その彼らに向かってくるように、廊下の反対側からやって来る女性がいる。
女性は山吹色の派手な長髪を腰まで伸ばし、浴衣の胸元をはだけさせている。豊満な谷間が惜しみなく強調されており、男の視線を釘付けにして離さないものがあった。
『むー、お兄ちゃんもおっきいのがいいんだね』
『主さま、凝視しすぎて捕まらないようにしてくださいよ?』
なのはとサン、2人の念話によって突っ込みを廣明は入れられる。
『……あらあら、よろしくやってるようだねえ。なんならこのまま、こっちの邪魔をしないでもらえるかい。もちろん、ちょっかいをかけてくるのなら容赦はしないけどね』
女がすれ違う瞬間、廣明たちに念話を割り込ませた。はっとして廣明が後ろを振り向いたが、すでにその姿は曲がり角に消えてしまっていた。
『もしかしたら、この前の女の子も来ているのかもしれません』
ユーノの分析に、廣明となのははそれぞれの思いを廻らせる。もしあの少女とシャイニングルナのマスターになんらかのつながりがあれば、そろそろもう一度仕掛けてきてもおかしくない頃である。現状では、例の鎧くらいしかほとんど手がかりがないのだから動きようがない。
『なのは……』
『うん。今度はきっと理由を聞いてみるよ』
◇◆◇
その夜、遊び疲れたアリサとすずかはすでにぐっすりと夢の中にあった。なのはだけが、ジュエルシードが発動するかもしれないという緊張感で眠れずにいる。
「どうした、眠れないのか?」
部屋から出てきたなのはの姿を見て、恭也が彼女の頭を優しくなでる。
「暗いけど、散歩でもするか」
窓辺から外を覗いていた廣明がなのはの方に首を曲げる。動きやすいように2人は浴衣から普段着へと着替え、靴を履いた。
「それじゃあちょっと、行ってきます」
「ああ、気をつけてな」
酒盛りをしている士郎たちに見送られて、2人は部屋を出た。なのはの小さな手が、廣明の左手をつかむ。指を絡ませあい、俗に言う恋人つなぎをする。
「これって、デートしてるみたいだね」
『なんだかわたし、お邪魔しちゃってるみたいですね』
『ぼくもそんな気になってきますよ……』
2人の間で腕輪の宝玉が光り、存在を主張する。念話の声は、若干拗ねてしまっているようにも聞こえる。なのはの肩に乗るユーノも、生温かい視線を送っている。
「あはは……、ごめんね?」
彼女はそう言いながらも、緩めることなくしっかりと手をつないでいた。
ジュエルシードのことを気にしなければ、ほんとうに美しい夜空が広がっている。そして、あの少女も来ているのならば、どこかで同じように空を見上げているのだろうかとなのはは思う。
『なのは、ジュエルシードだよ』
ユーノが反応を察知したのは旅館を出て、その近くの森をのんびりと歩いていた時であった。2人が走り出すと同時に光が放出され、身体を守るバリアジャケットが構築される。
反応があった場所に到着すると、月に照らされて橋の上に浮かぶ影が2つ。金髪の少女と、もう1人は廊下ですれ違ったあの女性だった。
「そのジュエルシードを、どうするつもりだ!」
少女の手には、封印を終えた宝石が収められている。それを見たユーノは、珍しく声を荒げた。その質問に、金髪の少女の足元に控えるようにしていた女性の目が光る。
「あんたたちに教えるわけなんてないねえ。それに邪魔をするなって警告してあげたこと、もう忘れたのかい?」
女性の身体が変化をしはじめる。長かった髪がさらに伸び、手が人間のものから変わっていく。その身体は人の形をなさず、犬か狼かわからないが、大きな獣の姿となった。
「あの方は使い魔のようです、主さま」
主の魔力から生み出される生命体、それが女性の正体であった。直後、その鋭い爪が廣明たちに襲い掛かる。
それはユーノが地面に降り立って防御結界を発生させたため、2人に届くことはなかった。さらに彼はすぐさま、つぎの魔法の準備を始め術を展開させた。魔法が発動すると、一瞬のうちに2匹の姿はどこかへ消えてしまっていた。
「いい使い魔を持っている」
「ユーノくんは使い魔じゃない。わたしの大切な友達だよ」
あのフェレットがれっきとした人間であることを知っているなのはからすれば至極普通の返答ではあるが、対面している少女がそれを知る由はない。少しむっとした表情で、金髪の少女が口を開く。
「それで、どうするの」
「どうしてジュエルシードが必要なのか、聞かせて?」
少女がどんな理由でジュエルシードを探しているのか、それがわかれば争う必要がなくなるかもしれない。それに、自分たちと同じように危険だから回収しているのならば、協力することだってできる。なのはは、そんな希望を胸に抱いていた。
「わたしはとにかく、ロストロギアの欠片を集めるだけ。ジュエルシードは誰にも譲る気はない。だからあなたが目的を同じとするなら、敵どうしになる」
なのはの希望は、あっさりと打ち砕かれた。彼女はそれでもなお食い下がって話し合いで解決することを試みるが、少女の強硬な姿勢を崩すことにはならなかった。
2人の少女が言葉をぶつけている間、廣明はずっとまとわりつくような嫌な雰囲気を身体に感じていた。なのはの説得が失敗に終わったと同時に、水面に写った影が揺れるように目の前の空間が異変をきたす。
「来ます!」
「ああ。久しぶりだな、鎧野郎」
上空で戦うなのはも気がかりではあるが、いまはそちらに力を割く余裕がない。空間から再び現れた鎧に、廣明は意識を集中させている。
「サン。こいつの中は空っぽなんだよな?」
「はい、生体反応なし。魔力で操られている人形のようなものです」
廣明が鎧に向けて一歩踏み出した。これに勝ったところでどうにかなるというわけではないのだろうが、ただの人形にやられたままではシャイニングルナを助けることなど夢のまた夢である。
中途半端な遠距離魔法が防がれてしまうのは、前回経験済みなことだ。
『近距離から一発で倒す。防御は任せた』
『現在の主さまなら大丈夫です。いきましょう!』
相手の様子をうかがいつつ、廣明は距離を詰めていく。その間20メートルほど。ゆっくりと近づきながら、鎧の防御を貫けるような攻撃魔法を選択する。遅い回転を開始したタービンが、低い唸り声をあげている。意識を左腕に集中させ、魔力を高めていく。
鎧が手を彼に向けてかざし、魔力を何度も放つ。その攻撃をサンが発動させるプロテクションで遮断し、にじり寄る。
「魔力充填、完了いたしました」
「なら、決めるぞ」
すでに、前回完璧にやられたという悪い思考は吹き飛んでいる。強い想いに反応して、篭手の内部で魔力を圧縮するタービンが限界の速さで回る。
廣明が瞬間的に鎧に肉迫した。彼の動きに対応して、鎧は防御魔法を展開する。右足から踏み込み、廣明はそれごと貫通するイメージで左腕を振りぬく。
攻撃と防御、それぞれの魔法は数瞬だけせめぎ合い、光を散らす。
「バーニングスピア、ぶっ飛べ!」
篭手を覆うよう、螺旋を描いて黒色の魔力が顕在している。防御魔法を割った左腕は鎧の腹部に命中し、わずかだがその身体にめり込んだ。そして、圧縮されていた魔力がゼロ距離で開放される。
放出された砲撃のような魔力は鎧を吹き飛ばし、機能を停止させた。廣明は近づいて鎧を探ろうとしたが、一足速く転移によって回収されてしまった。
「ちっ、なかなか本人は出てきてくれないもんだな」
「主さま、それよりもなのはさんが!」
サンの声に廣明が上空を見上げると、首元に鎌状のデバイスを突きつけられたなのはがいた。魔導師としての実力の差は、はっきりとしている。それ以上の戦闘が不可能と判断したレイジングハートは、ジュエルシードを1つ排出する。金髪の少女はそれを受け取ると、なのはから離れた。
「帰ろう、アルフ」
ユーノと交戦していた使い魔・アルフは、少女がそう言うとあっさりと戦闘を終了させた。
「待ってくれ! シャイニングルナっていうデバイス、聞いたことはないか?」
「いえ、そんなデバイスは知らない」
なにか居場所のヒントでもつかめるかもしれない。そう思っていた廣明はうなだれる。少女は人型になったアルフと共に、その場を引き上げようとする。
「名前、あなたの名前は!」
「フェイト、フェイト・テスタロッサ。もう、わたしたちの前に現れないで。もしつぎがあったら、今度は止められないかもしれない」
なのはが自分の名前も少女に教えようとしたが、その口が開かれる前にフェイトと名乗った少女は森の向こうへと消えてしまった。
残念そうな面持ちのなのはの肩を、廣明が抱く。
「フェイト、っていうんだなあの子」
「うん、すごく強かった。でも、あんなこと言ってたけどフェイトちゃん、きっと優しいんだよ」
レイジングハートを握るなのはの手に、ぎゅっと力が入る。その視線は、フェイトが去っていった方向をじっと見つめていた――。