週末の夕暮れ。いつもの帰りの電車で、いつものようにポケットからスマホを取り出した。
特に通知がないことを確認してから、トークアプリを立ち上げる。がたん、と揺れる足元。ドアに右手をつき、ちょっと前のめりになったまま、片手で操作を続けた。
『聞いてなかったけど、明日どうすんの』
履歴を遡れば、とても彼氏彼女とは思えないやり取りが延々と残されている。あそこのカレー美味しかったから、テイクアウトしてきて。そろそろなくなりそうだから、シャンプー買っておいて。それに対し、オレが淡々と返事をしているだけの流れ。あとは、宿泊予定の確認がところどころ並んでいるだけ。いい加減、民泊かなにかの連絡用チャットかと思えてくるんだが。
『今週は、虹夏のウチで泊まる。これでも私、結構忙しいので』
かすかな振動が、手のひらに返信があることを知らせてくる。
ほんっとーに、つれない女だ。いっそのこと既読スルーを決め込んでもよかったのだが、律儀に文章を入力してしまうおのれの性分が恨めしい。
『本日はご連絡ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております』
定型文をさばさばと作成し、送信ボタンを素早く押す。
宿泊はキャンセル。自動的に、仮組みしておいた予定はすべてバラシとなる。といっても、山田ちゃんが泊まりにきたところで、家にいる人間がふたりに増えるだけのようなものなのだが。
『なに。もしかして、すねてる?』
『そんなわけない。オレは予定の確認したかっただけだし』
『その反応、絶対すねてるよね。わかった、ちょっと待って』
やつめ、画面の向こう側で絶対ニヤニヤしていやがる。
大人げない返しをした自覚があるだけに、いろいろと突き刺すものがある。正直、恥ずかしくて死にそうだ。これが電車の中じゃなかったら、絶対どこかに頭をぶつけている。そのくらい、もぞもぞとするような感覚が全身を駆け巡っていた。
一分、二分。『ちょっと待って』という返事があってから、時間の進みが妙に遅く思えてくる。なんだ、いったいなにを企んでいる。動悸がおさまらない。吊り革に片手でぶらさがりながら、オレはスマホの画面を凝視し続けた。
再びの振動。少しの読み込みを挟んで、山田ちゃんから画像が送られてくる。
全体的に真っ黒で、いまいち認識が追いつかない。タップでイメージを拡大し、画面を軽く遠ざけた。
「ン……、うげっ……!?」
先ほどまでとは違う意味の恥ずかしさで、全身が焼かれそうになる。一瞬の判断で画像を小さくし、スマホ自体を死角に移動させた。
黒いなにかとは、すなわち山田ちゃんの足全体を包むタイツだった。もう一度、詳細をちらりと確認。むっちり太ももは言うまでもなく、秘密の三角地帯までもが写真にはバッチリ収められていた。しかもどうやら、本日の下着は紺色らしい。
どこにいるのか知らないけど、わざわざスカートをたくし上げてまで、こんないかがわしい自撮りを送りつけてくるなんて。
あの女、間違いなくオレで遊んでいる。公共の場で開くことまで想定しているとなれば、これほど恐ろしいことはない。いや、それにしても。
「やっ、普通に興奮するんだけど……」
変質者として通報されないように、ほかの乗客の目を盗んで深呼吸をする。ズボンの中のモノはすでに半勃ち。総合的に評価して、これはエロすぎる。
乾いた砂漠に出現したオアシス。民泊の連絡用チャットが、性欲丸出しの出会い系に早変わりだ。
『今度会うとき、保存してるかどうかチェックするから。もししてたら、一万円いただきます。あと、使ってくれてもいいけど射精は有料で。それでは、グッドラック』
親指を立てた山田ちゃんのドヤ顔が、脳裏に大きく映し出される。
こ、こいつ。男の性欲を逆撫でするような行為をしておきながら、なんて卑劣な提案を……。
思わず歯ぎしりしてしまうような有料オプションだった。ただの画像一枚で、今夜自分を慰めるのか。それとも、溜めに溜めた一撃を不埒な女の肉体にぶちまけるのか。
激しく葛藤の渦巻く中、オレは数駅乗り過ごした。
♪
そんなやり取りがあっての休日の朝。山田ちゃんがくることもないので、本気でぼんやりしているだけの一日になりそうだ。
有料オプションつきの画像は、どうにか見るだけにとどめていた。ほんとうに偉いぞ、オレ。かたくなったアレを数回しごいたような気もするけど、あれはきっと夢。射精なんてしちゃいないし、法外な料金を請求されるいわれはないはずだ。うん、絶対にない。
ローテブルに置いたスマホが着信を告げる。
「あれ、山田ちゃん?」
朝の九時。無駄に精神が昂っていたせいで、今日は休みなのに珍しく早起きだ。
トークアプリを立ち上げると、さっそくあの自撮りが視界に飛び込む。眼福、眼福。しばらく眺めてから、用件に目を通す。
『お兄さん。いま、勃起させてるよね。で、結局何回抜いたの』
『めちゃくちゃ忙しいから、しばらく連絡しないで。それに、抜くとか抜かないとかなんのこと』
胃に汗をかいたような気分だった。
まさか、山田ちゃんの手のひらのうえで転がされる日がくるとは。これまで散々タカられてはきているが、この状態は非常によくないぞ、オレ。
着信。今度は、電話をかけてきたようだった。仕方なく、一旦置いたスマホを持ち上げる。無視できない性格を見透かされているようで、なんだか悔しい。
「現在、電話にでることができません」
「でてるじゃん。ん、おはよ」
「……はい、おはようございます」
山田ちゃんに促されての朝の挨拶。育ちがいいだけあって、このあたりはしっかりしているようだった。
「ノート、忘れたからもってきて。曲のこととか、いろいろと書いてあるやつ。虹夏が知らないっていうから、お兄さんのところにあるのは間違いない」
「自分の家は」
「そんな大事なもの、家で失くすわけない。置く場所とか、いつも同じにしてるから」
他人の家で失くすのはいいのかよ、というツッコミはどうにか飲み込んだ。これだけ自信満々に言うのだから、ウチのどこかに忘れ去られているのだろう。
そもそも、丸々一週間姿を見てなかったんなら早めに気づけよ。
「見つけたら連絡する。場所、スターリーでいいの?」
「はい。なるはやでお願いします。あと、警察呼ばれたくないから、おちんちんは小さくしてくること」
スマホの画面を見つめ、無言で会話終了のボタンを押す。
ため息を吐きながら、オレは山田大先生の作曲ノートを捜索することにした。生活していることの多いベッドの周辺。それから、紛れ込んでいないか本棚の中身を一応チェック。ない、どこにもない。自分に落ち度はないはずなのに、どうしてこんなにもソワソワしてしまうのか。
窮地に立たされたオレは、タンスをひと通り開けていくことにした。服。服。でてくるのは、当然だが服ばかり。次第に山田ちゃんの私物が出てくるようになって、それから。
「は? さっぱり見つからないと思ったら、なんでこんなところに」
普段まず開けることのない一段。なぜなら、そこには山田ちゃんの下着が収納されているからで。
黒と紺のいる中に、時々混じる白。色気を感じさせる下着に囲まれたノートが、羨ましく思えてくる。そして、それをちょっと興奮気味に撮影するオレ。ここが誰もいない自宅で、ほんとうによかった。
『さすがに引いた。そこまでして、私のパンツを見たかったとは』
『わかった。オレの尊厳のためにも、ノートはこのまま封印させてもらう。じゃあな、山田ちゃん』
『活動の成果を人質に取るとは卑怯な。正々堂々、決着はスターリーでつけよう。でないと、家までベース担いでいってぽむってする』
なに、ぽむって。
フローラルな香り漂う聖域から、埋もれたノートを引き抜く。慌ただしく身だしなみを整え、オレは一路あのライブハウスに向かって駆け出した。