※この作品はR-18です。

こんなに晴れた素敵な日には先輩の首を絞めたい   作:馬門戒明/輪島ライ

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第4話 尊敬できる先輩

 彼ほど第一印象と今の印象が乖離している相手も中々見つからないだろう。

 

 

「みんな今日は総診のオリエンテーションにご参加頂きありがとうございます。1年目は桜木先生、解川先生、西川先生、日比谷先生、物部先生の5人だね。それで2年目は……誰だったかなぁ?」

「先生、今更それはないでしょう! どうも2年目研修医の嶋田(しまだ)興大(こうだい)です。今日から4週間どうぞよろしくお願いします」

 

 2か月間の麻酔科研修が終わり、初めての内科研修となる総合診療科研修のオリエンテーションで彼は恐縮した様子でそう言った。

 

 総合診療科は厚生労働省が定めた必修科には含まれていないけど畿内医大病院では全研修医が1年目に1か月だけ必ずローテーションする決まりになっていて、嶋田先生がここにいるということは必然的に総合診療科を2回ローテーションしているという意味になる。

 

 

「嶋田君は産婦人科志望だけど学生時代からやたら総診を気に入ってくれててね。今年も産婦人科や病理診断科と並行して2回ローテーションしてくれることになってます。皆さん大船に乗ったつもりでこの巨体に付いていってください!」

「はははははは、私のBMIは53万です。このネタもう通じるかなあ?」

 

 オリエンテーションを担当する総合診療科助教の澤田先生の軽いノリに合わせて冗談を言った嶋田先生に、私も物部君もその場で吹き出してしまっていた。

 

 

 総合診療科研修はとても忙しかった。朝は8時に出勤して毎日のカンファや週2回の教授回診、各種のレクチャーで退勤は19時を回ることもしばしばあった。

 

 総合診療科の医師は教授や医長の先生を除いて2つの班に分けられていて、私と桜木君と解川さんはA班、西川さんと物部君と嶋田先生はB班の配属になった。

 

 入院患者さんは病態が複雑な人ばかりで、週に1~2回ある外来研修ではいきなり研修医1人で患者さんの問診と身体診察を全てさせられて、ローテーションの終わり頃には担当した症例のスライド発表もあった。

 

 私自身はあまり内科向きではないので総合診療科の病棟業務はそこまで楽しくなかったけど、様々な診療科とやり取りをしながら鑑別疾患を絞り込んでいく総合診療科の仕事には確かに一つの大きな魅力があると感じた。

 

 

「大高さん、今日は調子いかがですか! 大高さん」

「ん……せんせい……」

 

 毎週火曜と金曜にある教授回診では、研修医は担当患者にまず自分から話しかけて教授による診察の同意を取ることになっている。

 

 嶋田先生はその時子宮内感染症で入院している100歳のおばあさんを担当していて、老衰のため普段はいつもうとうととしている大高さんに笑顔で声をかけていた。

 

 単に声をかけるだけでは反応しない大高さんに嶋田先生は肥満した身体で床にしゃがんで相手の肩をポンポンと叩きながら耳元で語りかけ、大高さんは弱った目を開けると嶋田先生の存在に気づいて笑顔を浮かべた。

 

 

「今日もみんなで来ましたよ、今から田中先生が診察をしてくださいますからね。お昼ご飯は食べられましたか?」

「ええ、ええ……どうもありがとうございます……」

「嶋田君の気遣いはいつも素晴らしいねえ、では今日も聴診をさせて頂きましょう。学生の皆さん、大高さんの聴診で何が聞こえるか一緒に考えてみましょう!」

 

 研修医の後方にぞろぞろと付いてきている10人の医学生に、総合診療科教授の田中(たなか)源弥(げんや)先生は個々人の聴診器を取り出すよう促した。

 

 大高さんは高度の大動脈弁狭窄症があるものの100歳という高齢のため既に治療適応はなく、入院中は循環器内科にコンサルトの上で経過観察を行いながら学生相手には聴診のいい見本となって頂いていた。

 

 私もここまで著明な大動脈駆出性雑音を直接聞いたのは大高さんの聴診が初めてで、以前嶋田先生からノーヒントで聴診音を当ててみようと言われた時はすぐに答えが思い浮かばなかった。

 

 

 嶋田先生は聡明でもかっこよくもないけど医療に対しては本当に真面目な人で、まだ2年目研修医になったばかりなのに1年目の私たちにも身体診察のやり方や電子カルテの操作法について熱心に教えてくれた。

 

 指導医の先生方の計らいで医局でピザパーティーを開いて貰った時は嶋田先生はチーズが沢山載ったピザを美味しそうに食べていて、外来研修で遅刻した解川さんには残しておいた一番美味しいピザをレンジで温めて差し出していた。

 

 

 嶋田先生は普段からこういうとても思いやりのある人で、私は研修医生活3か月目でこんなに尊敬できる先輩に出会えたことをささやかに喜んでいた。

 

 あの日が来るまでは。

 

 

「いやー、今月は本当にお世話になりました嶋田先輩。今月は緊急入院も多かったらしいですし先輩がいなかったら本当に大変でしたよ」

「ははははは、僕はそんな大したことはしてないよ。総診だって当直が苦手だから選んだって面も大きいんだ」

「でも先輩総診のお仕事大好きじゃないですか。私なんて上の先生に退院時サマリーの書き方がなってないって怒られて泣いてたのに」

 

 総合診療科研修が終わった次の週に専攻医の先生が打ち上げ飲み会を開いてくれて、私はそこで嶋田先生の右斜め向かいに座っていた。

 

 今月はいつも後輩を助けてくれた嶋田先輩を5人の1年目研修医で囲むように座って話していて、チェーン居酒屋の名物の唐揚げをつまみながらみんなで楽しくお酒を飲んでいた。

 

 嶋田先輩はローテーション中に僕のことは嶋田先生や嶋田さんではなく嶋田先輩と呼んで欲しいと1年目に話していて、特に断る意味もないのでみんな彼のことは先輩と呼んでいた。

 

 

 私はローテーション期間中直接話すことはあまりなかったので先ほどから黙っていたけど、別の班でも先輩とよく話していた桜木君や退院時サマリーの書き方について先輩から熱心に教えて貰っていた西川さんは喜んで先輩にお礼を言っていた。

 

 私も今日は何か質問しようかなと思って、もう少し宴会が盛り上がった所で嶋田先輩にある質問をぶつけてみた。

 

 

「そういえば先輩って彼女さんはいないって仰ってましたけど、大学の同期とか研修医仲間で誰か気になる人はいないんですか?」

「日比谷先生、その質問はクリティカルだね。僕もそりゃ気になる子ぐらいはいるけど、正直知り合い同士で付き合うのには抵抗があるんだ。いざ揉めた時に周囲が気まずいでしょ?」

「嶋田先輩意外と保守的なんですね。俺も奥さんは学外の人だったので気持ちは分かります」

 

 先輩は以前29歳彼女いない歴イコール年齢と自虐していたのでどんな反応が返ってくるのかなと思って恋バナをぶつけると、意外とまともな答えが返ってきたことに私は少し驚いていた。

 

 大学生の頃からBMIが33もあるという嶋田先輩はモテる男とは程遠いけど、負け惜しみと思わせずに彼女がいない理由を説明したのは上手だと思った。

 

 私と同じような感想を抱いたらしい物部君の言葉に、嶋田先輩はなぜかにやりと笑みを浮かべた。

 

 

「まあ、僕はそもそも彼女欲しいと思ってないからね。他の所で十分満足してるから」

「ええー、となるとアニメとか漫画ですか? 私も割とオタクなんですけど、嶋田先生ってサブカル好きそう!」

 

 高校生の頃は漫研に入っていたという西川さんはオタク仲間を見つけたと思ってか嶋田先輩にある意味失礼な質問をぶつけて、

 

 

「いや……お店に行くんだ。ここから京都駅を経由して滋賀県に行けばいくらでもあるからね。比叡山坂本駅って言えばその筋では有名だよ」

 

 返ってきた次なる答えに、私の表情から笑顔は消えた。

 

 JRの比叡山坂本駅が滋賀県の有名な風俗街である雄琴温泉の最寄り駅であるということは、私の母校である湖南医科大学の出身者なら誰でも噂で聞いていた。

 

 

「なっ、先輩風俗行くんですか!? つまりは童貞ではないと!?」

「しーっ、あんまり大きな声で言うもんじゃないよ。僕も酔ってるから言っちゃうけど、この前相手してくれた子は最高だったね。顔もスタイルも抜群で、何でこの子女優さんにならないんだろうって思っちゃったぐらい」

「あらーっ、私先輩の意外な一面を見ちゃったかも! あの、ああいうお店って1回いくらぐらいするんですか!?」

「ピンキリだけど僕がよく行く所は3万円だね。追加コースはプラス5千円です。追加の意味は各自調べてください」

 

 完全に酔っ払っている桜木君とこういう話題に耐性があるらしい西川さんは笑いながら質問を重ねていたけど、私はもはや先輩の顔をまともに見られなかったし解川さんは完全に軽蔑の目を先輩に向けていて、物部君だけが一人どちらにも同調できず気まずい表情を浮かべていた。

 

 

 嶋田先輩はお医者さんとしては優秀だけど、個人としては絶対に仲良くしたくない相手だという私の印象はこの時点で固まっていた。

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