※この作品はR-18です。

Over World:愛欲楽土   作:ぬっ

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はじめて小説を書いたんですが、難しいですね。。


000_プロローグ

「はぁっ……んグッ……がぁっ……はぁっ……!」

 

 息が切れる。喉が灼けるように痛む。

 それでも、足を止める訳にはいかなかった。

 何度も転びそうになりながら、腕を突き出し、這うように進んだ。

 

 視界は霞み、心臓は痛みを伴うほど高鳴っていた。無理を通しているのだから当然だ。

 ──なのに、何故だろう。

 僕はこの痛みに、どこか興奮に似たトキメキを感じていた。

 

 ようやく辿り着いた円卓(ラウンドテーブル)。だが、そこに人影はない。

 サーバー終了時間が近い。皆、もう去ってしまったのだろうか。

 胸を掻き乱す焦燥感が、思考を渦巻かせる。

 やっぱり、なんで、あともう少し、これじゃあ、何の為に──。

 

 ふと、思い浮かぶ可能性。

 希望に縋るように、僕は巨大な扉の前に向かう。

 どうか、どうか、ここに。

 願うように、扉を押し開く──。

 

「え?」

「は?」

 

 ──そこには、女性の胸を揉みしだくモモンガさんがいた。

 

 

 * * *

 

 

 どうやら、ナザリックは異常事態を迎えていたようであった。

 

 とても、いや、非常に、はなはだしく、きわめて焦っているモモンガさんから話を聞くに、どうやら仮想世界が現実になってしまった可能性があるらしい。

 

 コンソールが出ず、チャットもGMコールも使えない。

 NPCたちはリ(・)ア(・)ル(・)に動き、言葉を発する。

 ……そして、さっき見たこと(乳揉み)。

 それは18禁行為にわざと抵触して、ここがゲームの世界かどうかを確かめるためだったらしい。へー。

 ちなみに揉まれていたのはアルベドだ。彼女は特に嫌がってなくて、むしろ熱烈に受け入れていた(ウェルカム)ようだけど。

 

 けど、まぁ、異変に気づいた直後のモモンガさんは冷静だった。

 執事のセバスに周辺地理の調査を指示し、プレアデスには侵入者への警戒を命じていた。

 話がひと通り終わった後、アルベド──何故か僕が来た事に不満気な様子だった──には、各階層守護者を集めるよう命じていた。

 さすがはモモンガさん。堂に行った支配者(オーバーロード)っぷりだ。こんな状況でもその判断力は、本当に頼りになる。

 

「で、でも、セイタンさん! まさか、来てくれていたなんて……!」

 

 態度を切り替えたモモンガさんが、顎(・)を(・)揺(・)ら(・)し(・)嬉しげに話す。

 その様子に、少しだけ胸が痛んだ。

 

 僕はここ数年、身体にまとわりつく鎖に縛られたかのような日々を過ごしていた。思うように動けず、ただ時間だけが淡々と過ぎていく。その空虚な日常の中で、何かを掴むことはできなかった。

 

 そんなある日、彼女がそっと一枚の紙を手渡してきた。彼女──僕を世話してくれる看護師だ。

「ユグドラシル、サービス終了するんですって」

 彼女の柔らかな声が耳に届く。その瞬間、僕の中で凍りついていたはずの何かが音を立てて砕けた。

 

 ──また、すべて奪われる。

 

 全身が冷たくなる感覚を覚えた。それが恐怖だったのか、あるいは別の感情だったのかはわからない。ただ、気づけば僕は病院を抜け出していた。

 何もかもが鈍っていたはずの身体。それでも、動かなければならなかった。衝動が、僕を突き動かしたのだ。

 

 モモンガさんからすれば、僕の行動は裏切りだったかもしれない。

 ──あんなに楽しくやってきたのに。皆で作り上げてきたのに。

 けれど、謝罪の言葉は違う気がした。

 

「いや、こちらこそ嬉しいよ。ありがとう、モモンガさん。……待ってくれていて」

 

 彼が欲しいだろう言葉を贈った。こういう時でないと言えそうにない、少しクサい言葉だ。

 

 そうして、僕らは握手をした。

 彼の骨の指先は冷たく、現実離れした感触を残した。それでも、その握手は確かに暖かかった。

 

 

 * * *

 

 

 それから、僕たちは指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使い、六階層にある闘技場(アンフィテアトルム)へ向かった。

 モモンガさんは、NPCが自分たちに従ってくれるか不安な様子だった。階層守護者を闘技場に集めたのも、その確認のためらしい。

 心配しすぎのように思えるけれど、僕も少しだけ胸がざわついた。

 

 彼女は、僕をどう思うだろう?

 拒否なんてされたら、泣いてしまうかもしれない。

 

 そんな僕の思考を遮るように、視界の端で動きがあった。貴賓席から掛け声と共に飛び降りたのはアウラだった。

 彼女の動きには無駄がなく、その小柄な体が弾むように降り立つと、勢いよく両手でピースサインを作った。太陽のような、満面の笑みを浮かべたその姿は、無邪気な子犬のようで愛らしい。

 

 彼女がこちらに駆け寄る音が、なぜかやけに耳に残る。元気よくモモンガさんに挨拶をすると、すぐに僕のほうを振り向いた。

 その仕草も言葉も、別段特別なわけではないはずなのに、妙に細部まで目に留まる。

 

「セイタン様……! お戻りになられたんですね! 本当に良かったぁ!」

「ははっ……うん、戻ったよ。ありがとう」

 

 彼女が少し涙目になっているのを見て、思わず手を頭にやる。僕がここに戻ったことがそんなに嬉しいのだろうか──何とも言えない感覚が胸をよぎる。

 

 その時、モモンガさんがふと尋ねた。

 

「ああ、セイタンさんも我らと共にある。訪問の理由は、顔見せもあるのだが……ところでマーレはどこに?」

 

 アウラが振り返り、弟を呼ぶ。その声に応じて現れたマーレは、スカートを押さえながら貴賓席から飛び降りてきた。その姿は少女のようで、スカートの裾を慌てて直す仕草もどこかあざとい。

 

「す、すぐ向かいますう!」

 

 必死に走っているのだろうが、アウラと比べてあまりに遅い走りだ。アウラは、そんな姿に目を吊り上げていた。

 

「お、お待たせしました、モモンガ様……あ、セイタン様もお久しぶりですぅ!」

 

 彼もまた再会を喜んでくれているようだ。お久しぶり、とコチラも返す。

 モモンガさんが何度か頷き、満足気に話しかけると、敵の話になりマーレは怯えだした。

 そんな様子に彼女は不満だったようで、耳を引っ張られ説教を受けていた。仲は良いようだけど、姉弟で上下関係が明確なようだ。二人を作ったぶくぶく茶釜さんの影響かな?

 

 彼らのそんなやり取りを見ていると、自然と目が引き寄せられる。何故だろう、僕にそんな趣味でもあったのかな。ただ、二人がそこにいることが、なんだかやけに目に映る。

 NPCの時と違って、表情をくるくると変える姿に驚きがあったのは確かなんだけど……。

 

 思考に浸っていると、モモンガさんがギルド武器(スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を取り出していた。

 

「──今日来たのは訓練をしようと思ってな」

 

 だが、その前に始まったのはギルド武器の自慢だった。アウラとマーレは、瞳を煌めかせながらじっと見つめている。なんだか大好きなお父さんの趣味を教えてもらってるみたいだ。

 

 楽し気なモモンガさんに倣い、僕も自分の能力を確認する事にした。

 

 ところで僕は今、異業種ギルド(アインズ・ウール・ゴウン)に所属しながら、あり得ないほど“人間っぽい”姿をしている。

 黒い髪に白い肌、背中には六対の黒い翼。顔立ちは中性的で美しく、紅く光る妖しい眼が良いアクセントだと思う。

 種族は堕天使。そして僕の真の姿──特殊な進化を遂げた古き悪き蛇(シャイターン)は、グロテスクで恐ろしい見た目をしている。

 そう、僕は姿を自由に変えることができる。これは最終進化で得た種族的特殊能力の一つだ。

 まぁ、この状態だと弱くなるしスキルも制限されるから、メリットはあまりないんだけど……。

 

 でも悪いボスには複数の形態があるものじゃない?

 特に、恐ろしい姿に変身するのなら、変身前は美しい方がいい。

 ギャップ(ロマン)は大事だ。

 

 この種族特性には他にも目を見張るものがある。魅了(チャーム)をはじめとする精神系魔法の常時発動型特殊技術(パッシブスキル)化と大幅な強化だ。デミウルゴスの「支配の呪言」よりずっと強力だ。

 これに、禁断の果実(フルーツ・オブ・エデン)や義人の苦難(ザ・サファリング)といったスキルもあるが、その効果は凶悪極まりない。生きている限り、この力から逃れることはできない──多分。

 

 さて、今この力がどこまで使えるのか試してみることにした。

 まずは悪魔を二体召喚する。

 どちらもそ(・)れ(・)な(・)り(・)に精神(こころ)があるようなので、好きに操ってみる。召喚された存在は通常、召喚者に従うものだが、観察するとそれ以上の動きを見せているようだ。

 

 さらにアレコレ試すうちに、どうも彼らの精神に負荷をかけすぎてしまったらしい。限界を超えた結果、混乱しておかしな行動を取り始めた。

 ……うーん、さすがに悪いことをした気がする。

 ちょっとだけ申し訳なくなったので、帰還で返してあげた。

 ──まぁ、大丈夫か。僕の力は変わらず、僕に従っている。

 

「セイタンさん、ちょっといいですか?」

 

 能力を確認していた僕に、モモンガさんが相談を持ちかけてきた。

 アウラとマーレは召喚された根源の火精霊(プライマル・ファイヤーエレメンタル)に夢中のようだ。

 少し離れた場所から二人を眺めつつ、アイテムの在庫状況やスキルの使用感について意見を交わす。

 さらに、セバスから聞いた話によれば、周囲の地形は馴染み深い沼地ではなく、一面の草原が広がっているという。

 どうやらナザリックごと、異世界に転移してしまった可能性が高い。

 

「これから……どうします?」

 モモンガさんがそう尋ねる。その声には、微かな迷いが感じられた。

 多分、元の世界に戻れる可能性だってある。けれど、今は共通の行動方針を決めるべき時だ。

 

 思うところはあった。けど、意識が浮ついてどうにも現実感がない。

 おそらく、異なる世界にいるのは確実だと思う……。

 よしんば戻れるとして、あんな世界(現実)が必要なのだろうか?

 

 モモンガさん自身も迷いを抱えているのだろう。

 僕は、わざと歯を剥き出しにして、ニヤリと笑った。

 

「まだこの世界がどんなところか分からないけど……僕はワクワクしてきたよ」

 

 ひとまず、当面の方針は戦力の確認と情報収集に落ち着いた。

 この世界がどれほど楽しいかも分からないし、まだ何が潜んでいるかも不明だ。

 ユグドラシルでも僕たち以上に強力な存在が数多くいた。同じようにこの世界に転移してきていてもおかしくはない。

 しばらくは警戒が必要だ。──はぁ。

 

 

 * * *

 

 

 気づけば、根源の火精霊(プライマル・ファイヤーエレメンタル)との戦いは終わり、モモンガさんがアウラとマーレを労っていた。

 無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)で水を注ぎ、彼らに飲ませてあげている。

 その様子を眺めながら、ふと思い出した。僕も喉が乾いている。

 

 グラスを取り出す。そのデザインは堕天使らしく禍々しい意匠だ。へへ。

 そこに水を注ぎ、一口飲む。

 

 ──美味しい!

 

 思わず一気にグラスを煽った。あっちの世界ではこんなに純粋で美味しい水を飲んだことはなかった。

 水ひとつでこれほどの感動を覚えるのなら、次に食事を取ったらどうなるんだろう?

 楽しみが広がり、気分が高揚していくのを感じた。

 

「……モモンガ様って、もっと怖い方だと思っていました」

 

 ボソリと呟かれた声が耳に届いた。

 

「モモンガさんはいつだって優しいよ。誰よりも君たちを大切に想っている」

 

 その言葉は、自然と口をついて出た。彼らがあまりにも幼く、まるで両親の愛情に飢えた子供のようだったから。

 僕は二人の頭に手を伸ばして撫でる。驚いたように目をぱちくりさせた二人だったが、すぐにその手を受け入れてくれた。さらさらと滑らかな髪の感触が心地よく、えへへと喜ぶ姿につい撫で回してしまった。

 

「……そうだな。私はいつだってお前たちのことを考えている」

 

 モモンガさんが鷹揚に頷く。

 そうだぜ。モモンガさんほどナザリックのことを考えている人はいないだろ。

 

 そう思っていると、突然シャルティアが転移門(ゲート)を使って現れた。

 ……あれ? ナザリック内では転移が阻害されていたはずだけど。

 

 疑問を抱く間もなく、シャルティアはすぐにアウラと喧嘩を始める。かと思えば、一転してモモンガさんに抱きついていた。そうか、彼女は死体が大好き(ネクロフィリア)だったっけ。モモンガさんの姿(しゃれこうべ)にはたまらない魅力があるのだろう。

 ペロロンチーノさんが彼女について熱く語っていたのを思い出す。彼とはよく互いに作ったNPCの自慢をし合っていた。その懐かしさが胸の奥からこぼれ出てくる。

 

 そんなシャルティアを見て、アウラがますます怒り出した。そのやりとりは、まるで姉弟の喧嘩のようで。ぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんが軽口を叩き合っていた頃を思い出す。きっとモモンガさんも同じことを考えているんだろう。

 

 その後、コキュートス、デミウルゴス、アルベドが次々と姿を現した。

 ──ちなみに、今回呼ばれなかった恐怖公は、正直僕も苦手だ──。

 

 彼らは順番に跪き、僕とモモンガさんに忠誠を誓い始める。

 

 アルベドが発した「忠誠の儀」とは、彼女たちの揺るぎない忠誠心と決意を表明する儀式だった。その眩いほどの想いが、モモンガさんの不安を拭い去り、彼の心に歓喜をもたらしたようだ。

 

 僕も同じように感動していた。なんて愛らしい子供たちだろう。

 心が浮き立つようで、彼らと共に理想の楽土を作り上げたい──そんな気持ちが湧いてきた。

 

 モモンガさんは守護者たちを見渡し、ナザリック全体の異常事態について報告を求めた。途中、周囲の偵察を行っていたセバスも合流し、状況を改めて確認する。

 

 ゲームの世界(ユグドラシル)とは違う世界ということが再確認されていく。

 モモンガさんと視線が合う。彼は、この状況の謎に頭を悩ませているようだった。

 それでも、すぐに指令を出し、警備体制を固める。

 

 まぁこのあたりは、相談を受けた際に二人で決めておいたことでもある。

 しかし、アルベドがこんなに優秀だったなんて思わなかった。NPCの時は、こんな風に自分で考えて動かなかったからなあ。 

 

「──私はマーレと話しているのだ」

 

 ナザリック隠蔽のために壁を汚すという提案に反発するアルベドを、モモンガさんは冷たく制した。その声の鋭さに、場の空気が一瞬で凍りつく。

 驚いた。普段は温厚で周囲に気を配る人が、こんな声を出すとは。

 ……もしかして、モモンガさんもテンパっているのかな?

 

「まぁ、壁くらいなら良いんじゃあないかな? 今は緊急事態だしね」

 

 場の雰囲気を和らげるため、僕も口を挟んだ。フォローというわけではないけれど。

 

 その後、モモンガさんとマーレの打ち合わせは無事にまとまり、方針が決定した。

 

 最後に気になっていたことを尋ねてみると、僕たちは恐ろしく高評価だった。特に、シャルティアとアルベドのモモンガさんへの愛情はすさまじいものがあった。

 

 そんな熱量に少し戸惑っているのか、モモンガさんはその場を離れたそうにしていた。ふと、最後に思ったことを彼に伝えておくことにした。

 

「分かっていると思うけど、アインズ・ウール・ゴウンのギ……支配者はモモンガさんだ。僕は彼の友人ではあるけど、立場は彼が上だよ。もし、指揮が重なることがあった場合は、必ずモモンガさんを優先してくれ。船頭は二人もいらないからね」

 

『はっ! かしこまりました!』

 

 守護者たちの揃った返答が響き渡る中、モモンガさんは軽く頷き、その場を後にした。

 

 

 * * *

 

 

 それから、僕らは転移した。

 モモンガさんはひどく疲れている様子だった。支配者モードで振る舞うのはやっぱり大変なのだろう。元々は普通のサラリーマンだ。それでも忠義に応えようと頑張っている姿を見ると、彼らのことを本当に可愛いと思っているんだろうな。

 

「あいつら……本気(マジ)ですよ……! 好感度高すぎません……!?」

「すごいよねぇ。NPCは皆そうなのかなぁ……。途中、怒られたアルベドなんて固まってたし」

「あれは……注意するつもりが、つい強く言い過ぎちゃって……」

「あ、やっぱ言い過ぎちゃったんだ。でもアルベドは相変わらずモモンガさんLOVEみたいだったよ?」

「そ、それは……その……」

 

 モモンガさんが言いにくそうに話した内容に、僕は思わず吹き出してしまった。どうやら彼女の「設定」を書き加えたのは、ユグドラシルのサービス終了直前、つい出来心でやってしまったらしい。

 

「いやいや、やっちゃったねぇ!」

「そ、そんなに笑わないでくださいよぉ!」

「でもさぁ、タブラさんも許してくれるんじゃない? 『ビッチ』なんて設定よりはずっとマシでしょ?」

「うっ……そりゃビッチなんてひどいとは思いましたけど……!」

 

 いかつい髑髏の顔でしょんぼりしている様子がなんだか可愛くて、また笑いがこみ上げてきた。

 

「他人事だと思って……はぁ。このままじゃタブラさんに顔向けできませんよ……」

「ははっ、それじゃあ僕は彼女に会いに行こうかな。守護者達は裏切らないし、忠誠心も十分確認できた。当面の方針も固まったし、彼女がどう変わったのか、この目で見たい」

「あ、それならセイタンさんの個室に向かってください。配置場所に迷っちゃって……結局個室に置いちゃったんです」

「了解、ありがとう! じゃあ、何かあったら伝言(メッセージ)で」

「はい。それではまた……はぁ」

 

 しょんぼりモモンガさんに別れを告げ、部屋の前に転移する。

 ドアの前に立つと緊張が走った。守護者達の前では平気だったのに、自分が作ったNPCだと思うと特別な感情が湧き上がってくる。思わず苦笑しながら、自分に言い聞かせる──あれこれ考えても仕方ない。

 

 意を決して、部屋の中へ足を踏み入れた。

 

 部屋の中にいたのは、大柄の女性。

 僕に対し、静かに跪き、深く頭を垂れている。

 

 アルベドあたりから僕の帰還を聞きつけ、待ち受けていたのだろうか。

 

「……セイタン様。久方ぶりでございます。ご帰還を……心よりお待ち申し上げておりました……」

 

 彼女の言葉は淡々としているが、その声音には確かな感情が滲んでいる。

 

「アジーちゃん……僕もまた君に会えて嬉しいよ。ほら、立ち上がって顔を見せて」

 

 僕の声を聞き、彼女はすっと立ち上がった。

 僕の身長(堕天使の姿)は150cm半ば、彼女は190cmを超える。そのため顔を見るには、少し見上げる形になる。

 

 アジー・アシズ。僕が丹念に作り上げたNPC。

 薄い蜂蜜色の髪に褐色の肌、赤い瞳が知性を宿した美しい顔立ちを引き立てている。側頭部から後ろへと円を描くように生えた山羊の角と、黒い羽を持つ姿は、明らかに人間のものではない。

 

 その冷ややかな表情が、彼女をさらに神秘的で美しい存在に見せている。

 

「……お変わりなく、美しいお姿です……」

 アジーはわずかに視線を逸らしながら、静かにそう呟いた。

 ああ、なんて可愛いのだろう。

 

「やっぱりアジーちゃんは最っ高だっ。僕の想像なんかとっくに超えてるっ……!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、彼女の表情がわずかに揺らぐ。目元が滲み、やがて一粒の涙が頬を伝い落ちた。

 

「……光栄です。セイタン様の御姿こそ、完璧です……有象無象にはたどり着けぬ極地……です」

 

 その声音は冷静を装っているものの、言葉の端々に感情が溢れている。

 僕は思わず微笑んだ。

 

「うわぁー、アジーちゃんに褒め殺しされちゃうー、たすけてぇ」

 

 冗談めかした僕の言葉に、彼女はほんの僅か、唇を吊り上げたように見えた。それは確かに、彼女なりの微笑みだった。

 

 前に進み、彼女を抱きしめる。僕は身長が低いから、彼女の胸に顔を埋めるようで、まったく様にならないけれど。

 

「大好きだよ。これからはずっと一緒にいようね」

 

 彼女は一瞬驚いた様子だったが、すぐに僕の背中に手を回して抱き返してくれた。

 

「はい……! 永久に……この世の終わりまで、お供致します」

 

 その声は、歓喜そのものだった。

 僕は嬉しくなって、彼女の胸を頭でグリグリと押しつける。

 

「あっ……♡ セイタン様っ……♡」

 

 漏れた甘い声に導かれるように、ベッドへと倒れた。

 唇を塞ぎ舌を滑らせる。温かな体温と幸福な悦楽を感じる。

 

 ──これは、現実なのだろうか?

 

 僕の数年間は、突如舞い降りたこの不可思議によって粉々に砕かれた。

 ゲームではなく現実だと、目に、耳に、そしてこ(・)の(・)感(・)触(・)で訴えかけている。

 頭の中が混ぜ合わせられていく。

 

 だが、本当に異世界なのだろうか。

 まだどこかで、機器の故障や夢の中にいるのではないかと疑う気持ちが残っていた。

 それでももし、僕たちが本当にこの世界に異形として存在しているのだとしたら──僕は本物の怪物になれるかもしれない。

 人類の敵対者、悪魔の王。黙示録の獣。

 

 その想像に身体が震えた。胸が高鳴り、首筋を汗が伝う。

「悪魔と踊れば悪魔となる」──ならば、堕天使(悪魔)の体を得た僕はどうなる?

 

 衝動のまま、彼女の首筋に顔を埋めた。柔らかな肌が熱を持ち、甘い香りが僕を誘う。

 僕は静かに歯を立てる。彼女が僅かに喘ぐ声を聞きながら、その痕を舐めた。

 その血の美味に、興奮に、頭がぐずぐずに煮詰まれてゆく。

 

 僕は獣となる。彼女(アジー)は僕が作った、僕だけの愛玩なのだ!

 ドロドロの蜂蜜のような欲望が全身に注がれる。

 閉じ込められていた生が新たに産声を上げる。

 

 

 ありがとう、世界。ありがとう、ユグドラシル。

 そして、さようなら。

 

 




アジーちゃんのイメージ画像です。


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