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あの時発した言霊は無効化された訳ではなかったようだ。そう思いながら優一郎は周囲を見回した。随分と寂しい場所に見える。あるのはたんぼや畑、川。それにまばらに家が見えるだけだ。だがこの辺りにはあの影はないようだ。
「っと。バカが一匹いやがる」
そう言って和也がブレーキを踏んで車を停める。車を降りた和也が身を屈めて両腕に何かを抱える。それを見た優一郎は驚きに目を見張った。和也が抱えているのは血だらけになった桜だ。優一郎は慌てて車を降りて後部席のドアを開けた。和也が無造作に桜を後部席に放り込み、足でドアを閉める。
「命がけで入るバカがいるか? 普通」
運転席に戻った和也が呆れたように言う。助手席に座ってドアを閉めた優一郎はそっと桜の乗る後部席を振り返った。どうやら死んではいないらしい。桜の胸は微かにだが上下している。
和也が再び車を走らせ始める。優一郎は車の中を移動して後部席に近づいた。横たわる桜をそっと抱えて口づける。室内ミラーを覗いて和也が口笛を吹く。優一郎は唇を介して静かに桜に力を送り込んだ。
不意に桜がかっ、と目を開けて勢いよく身を起こす。その拍子に優一郎の額に桜の額が思い切りぶつかる。優一郎は痛みに呻いて額を押さえた。その隣で桜も同じように額を押さえて呻く。
「アホか、お前ら。なにやってんだ」
心底、呆れたような顔で和也が言う。
「桜さん。奈月さんの護衛は?」
痛みに顔をしかめながら優一郎はそう訊ねた。すると桜が額を押さえて目を見張る。
「はっ! 姫様! い、いえ、わたくしはその……あの阿呆の居所をですね」
ぼそぼそと桜が小声で言う。どうやら運転席に座っている和也のことを気にしているらしい。
「僕たちは、その水輝さんのところから逃亡してきたんだけど」
優一郎は困ったように笑ってみせた。すると前の席で和也が不服を漏らす。
「一緒にすんじゃねえ。オレは手引きをしただけだ」
きっぱりと言って和也が煙草を引っ張り出して唇に挟む。桜はうろんな目で和也を見ている。ミラー越しにその視線に気付いたのか、和也がああ、と笑う。
「てめえ、オレの後をつけやがったろう?」
嘲笑を浮かべて和也が言うと、桜が腰を上げて運転席に身を乗り出す。
「知っていてわたくしを振り落としたのですね!?」
声を荒らげる桜をちらりと見てから和也が声を上げて笑う。目を吊り上げた桜を優一郎はまあまあ、と後ろから押さえた。ぎりぎりと歯軋りをしながら桜が席に戻る。
「重森さんの判断は正解だと思う。あの屋敷に着いたら確実に殺されていただろうし」
「ですが」
不満そうに桜が顔をしかめる。すると煙草をふかしながら和也が笑った。
「どこぞの誰かが女に見とれてる間にな。ちょっとブレーキを踏んだだけだ。スピンしたがな」
「それは! あの子供が姫様にどことなく似て……!」
そこまで言った桜がはっとしたように目を見張ってそっぽを向く。声を上げて笑いながら和也が身体を揺する。こういうところを見ると、どうも和也が執事を務めているとは思えなくなる。
「水輝さんの居場所を掴んでどうするつもりだったの?」
優一郎の問いに桜が力強く頷く。
「決まっています。これ以上、姫様に害を為さないよう、先制攻撃を」
「無理だな」
桜の言葉を遮って和也が言う。車を囲む景色は少しずつ賑やかになっている。土だった道ももうアスファルトの敷かれたものへと変わっている。ちらりと景色を見やってから優一郎は桜を見た。
「自らの力量をきちんと把握したほうがいい。今の君では僕相手でも勝てないよ」
静かに告げた優一郎をもの言いたげに見つめて桜が唇を噛む。桜にしても判っているのだろう。だがそれならどうして水輝の居場所を突き止めようと考えたのだろう。
「てめえが行った所で態よく利用されて殺されるだけだな。そこのぼうずが殺されなかったのは、そうするとヤバい事情があっただけだろ」
そう言って和也がちらりと振り返る。
「以前から思っていたけど、君は甘すぎる。奈月さんに対する態度もそうだけど、自分に対してもね」
じっと桜を見つめて優一郎はおもむろにそう言った。桜はかたく唇を引き結んで顔を強張らせている。しばしの後、桜が申し訳ありません、と呟くように詫びる。
「ま、死にたけりゃ下ろしてやんぞ? 境目越えたら入れねえしな」
のんびりと煙草をふかしながら和也が笑う。どうやら和也は桜の生き死ににはさして興味はないらしい。
「水輝さんは、奈月さんを討って食らうつもりだ」
優一郎が告げると桜がはっとしたように目を見張る。だがいつものように元気よく噛みついてこない。血に塗れたスカートをぎゅっと握りしめて桜が身を強張らせる。それを見つめて優一郎は目を細めた。
「どんな理由があるのかは知らないけれど、自らの力を縛った状態で、対処できる状況では決して無いと思う」
「おいおい。その嬢ちゃんの力戻すなよ。涎垂らしたヤツが襲い掛かってくるぞ」
呆れたような声で言いながら和也がハンドルを切る。ゆっくりとカーブを切った車は川沿いの道を行き始めた。
「それは水輝さんよりも危険な存在ですか? まさか……」
はっと目を見張って優一郎は桜を見つめた。桜はいつの間にか俯いて肩を震わせている。
「キレたヤツの相手は誰にも出来んだろ。ま、てめえらがヒメを護れるかどーかにかかってるがな」
無責任に笑いながら和也が振り返る。またすぐに正面に目を戻して和也は呑気に歌を歌い始めた。どこか調子の外れたその歌は知らない筈なのにやけに懐かしい気がする。
「桜さん。後でゆっくり話をしましょう」
にっこりと桜に笑いかけてから優一郎は助手席に戻った。落ち込んでいるのか、考えているのかは判らないが、いまの桜ときちんと話が出来るとも思えない。
やがて川沿いの道を抜けて車は点々と外灯の立つ整備された道を行き始めた。似たような何もない辺鄙なところなのに、先ほどまでとは何故かがらりと印象が違って見える。
「それから、重森さん。あなたはいったい?」
「何のお話でしょう?」
咥え煙草のまま、和也がにやにやと笑って言う。だが鋭い目つきや意地の悪そうな笑みだけはさっきまでと変わりない。優一郎は片方の眉を上げてじっと和也を見つめた。
「先ほどの鎌は、茜さんが使われていたもののはずです。どうして、あなたが?」
「ヤツがオレのペットだからだな」
きっぱりと言い切って和也が笑う。それから和也はにやりと笑って指を一本立ててみせた。
「オレの趣味はペット苛めだ」
車が高速道路のインターチェンジを抜ける。少しずつ速度を上げた車は他の車の流れに乗って走り出した。
「あの鎌は誰にでも使えるものではありません」
僕は話をしたことがあるんですよ。そう言って優一郎はにっこりと笑った。そんな優一郎を横目に見た和也が楽しそうに笑う。
「ああ、あの時は随分と世話になったらしいな」
長く伸びた灰を灰皿に落としてから唇に挟み直す。そんな和也の動きを優一郎は目で追った。
「今日は助けていただいて、本当に有難うございました」
うん、と頷いてから優一郎はそう言った。和也が笑いながら手を伸ばし、乱暴に優一郎の頭をつかむ。撫でるというより押さえつけられるような格好で髪を乱された優一郎は思わず首を竦めた。
「ペット苛めの一環だ。オレにとってはてめえらの生き死にはオマケみてえなもんだな」
笑いながら和也が優一郎の頭から手を離す。優一郎はさりげなく乱れた髪を指で整えながら苦笑した。
桜はいつも残念w