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クーラーを引きずりながら白銀は深々とため息を吐いた。要は一足先に研究室に戻ってしまっている。それはあなたが持って帰りなさい、と命じられた白銀はたった一人で重いクーラーを運んでいた。
今日もまた失敗だった。要の機体を内部から冷却するこの機械は何分にも重く、そして運搬に酷く手間がかかるのだ。要が専用のトラックでも借りてくれればいいのだが、残念ながら要にはそんな気はなかったらしい。しかも今日は運悪く要の付き人である二人が不在だったため、白銀はこれを一人で運ぶ羽目になったのだ。
「……うわ。坂だ」
目の前に現れた坂を見上げて白銀は感慨のない声で呟いた。近頃やけに身体がだるい。それも当然だ。何しろ白銀は力の殆どを要に渡していて、自分の分もろくにとっていないのだ。
よいしょ、と自分にはっぱをかけて白銀は太いチューブ状のロープを肩にかけた。四角い機械を縛ったロープは二本延びていて、それぞれが両の肩に引っ掛けられるようになっているのだ。
一歩一歩着実に進む白銀の傍を車が勢いよく過ぎていく。車道を走る車を時折恨めしさを込めて眺めつつも、何とか白銀は坂の上まで機械を引っ張り上げることに成功した。全身で息をしながらとりあえず休憩する。遊歩道に入って苦しそうに息を吐く白銀を通行人が不思議そうな顔で見ては過ぎる。
そもそも、何で要はわざわざクーラーを使わなければならないような攻撃法を編み出すのだろう。いつもの通りでも十分に強いのだからいいではないか。そう言った白銀を鼻で笑って要は言い切った。更なる強さを得る為に、だっただろうか。要が胸を張って言い放ったことを思い出しながら白銀はその場にへたり込んだ。
「今日中に帰れるかな、俺……」
情けないものを感じながら白銀はそう呟いた。だが早く戻らなければ要にまた小言を食らう羽目になる。
自分が銀龍神と呼ばれる龍神の中でも強い部類に入る存在である、ということは要から聞いた。だがそれを聞いても白銀にはその意味がよく理解出来なかった。何しろ白銀はとある時期を境に完全に記憶がなくなってしまっているのだ。
だが要に惹かれたのは確かだ。うん、と頷いて白銀は何とかその場に立ち上がった。酷使されて悲鳴を上げつつある腕や足の筋肉を揉み解してからロープを肩にかけ直す。この重い機械は最初に動くまでにかなりの力が必要なのだ。白銀は歯を食いしばって懸命に機械を引っ張り続けた。やがて重たい音がして機械の下についた車輪が少しずつ動き始める。
「あら。こんなところでどうなさいましたか」
ふと、女性の声を聞きつけて白銀は慌てて目を上げた。一体、いつの間に近づいてきていたのか、二人の少女が目の前に立っている。急に止まれず慌てた声を上げた白銀より早く、少女の一人が機械に手を伸ばして素手で動きを止めてしまう。白銀は驚きに目を丸くして少女を見つめた。
機械を止めた少女の容姿はやたらと整っている。掛け値なしの美人というのはこういうのを言うのだろう。対するもう一人の少女は愛らしい顔立ちをしており、何故か小さな子供の手を引いている。
「あ、の、どちら様?」
白銀は汗を拭きながら二人の少女に訊ねた。もしかして要の関係者なのだろうか。
「吉良瀬奈月と申します」
「神崎桜です」
愛らしい少女の方が奈月という名で、美人の方が桜というらしい。白銀は慌てて二人に頭を下げた。
「ええと、俺は白銀といいます。よろしくお願いします」
慌てて自己紹介をした白銀はふと自分には苗字がないことに気付いて眉を寄せた。だが目の前の二人は特に何も感じなかったらしい。もしかして、と白銀は二人の少女を見つめた。
「ひょっとしてそっち関係の人? ですか?」
白銀が戸惑いをこめて訊ねると奈月に手を引かれていた子供がいきなり喋り始めた。
「随分と腑抜けになったものだな」
まるで大人のような口調で喋った子供を白銀は驚きをこめて見下ろした。幼いながらも子供の顔立ちは異様に整っている。長く髪を伸ばしているところを見ると少女だろうか。だが、女の子というにはやけにシャープな顔をしている気がする。
「翠さん!」
慌てたように奈月が子供を窘める。どうやらこの子供は翠という名前らしい。ふむ、と頷いた白銀を余所に今度は桜が言う。
「構わないではありませんか、姫様。事実なのですから」
一点の容赦もない言葉を吐き出して桜が頷く。白銀は複雑な気分で三人を順繰りに眺めてみた。
「桜さんも……」
困ったように呟いて奈月がため息を吐く。少なくとも桜と翠だけは自分の過去を知っているらしい。三人の会話から白銀はそう判断した。
「それで? あなたはこんなところで一体何をしているのですか」
奈月に窘められて少しは堪えるところがあったのか、先ほどまでよりは棘の少ない声で桜が問う。ああ、と頷いて白銀は振り返った。大きなクーラーを軽く叩いて苦笑する。
「これを運んでいる最中でして」
せめて今日中には要のいる所に戻らなければならない。白銀はそう説明をした。
「ここから、清陵大学まで? そんな大きな物を手で押して戻られるのですか!?」
驚きの顔をして奈月が言えば、その隣にいた桜が笑いを浮かべる。
「それはそれは。さぞ大変でしょうが頑張ってください。……参りましょう、姫様」
当然の顔で桜が先を促す。はあ、と曖昧に笑ってから白銀はそれじゃあ、と会釈をした。大学の研究室までは距離があるが、歩いて行けない訳ではない。
「あの、どうして転移されないんですか? 力を使うのがだめなら、車を頼むとか?」
桜の言葉を無視して奈月が真剣な顔で言う。はあ、と苦笑して白銀は頭をかいた。
「俺の力って要に渡してあるから使えないし、車を頼むにしても金持ってないから」
情けない気分に陥りつつも白銀は正直に説明をした。呆れたような顔で桜がため息を吐く。呆れられても当然なのかも知れない。白銀は桜に言い訳する気にもならず、曖昧に笑ってみせた。
白銀の持つ龍宝珠の中でも、特に銀龍神の力を示す銀宝珠は要が所有している。別に奪われたという訳ではない。元々、記憶をなくした白銀の宝珠は散り散りになっていて、その中の銀宝珠をたまたま要が持っているだけなのだ。そして白銀も今さらそれを取り戻そうという気がないだけの話だ。
「だって、今も、溢れるほどの力を持ってらっしゃるのに……?」
不思議そうな顔で奈月が首を傾げる。はは、と力なく笑って白銀は頭をかいた。
「これは要のだから、俺が使う訳にはいかないんすよ」
もしも要に何らかのアクシデントがあった場合、使えるならこの力を使えばいい。何しろ白銀には力をまともに使う技術がないのだ。
「それほどの力を、一時で使いこなせる方がいらっしゃるのですか?」
驚きの顔で奈月が言う。白銀は困った顔で頭をかいた。どうも言われている意味が今ひとつ判らない。きっと奈月の目には力が見えるのだろうが、白銀には自分がどれだけの力を内包しているかが判らないのだ。
「いやまあ、判んないすけど」
「恋は盲目」
ぼそりと翠が訳の判らないことを言う。訝りをこめて白銀が見つめると翠は大きな息をついてやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。桜は桜で呆れた顔をすることにも飽きたのか、一人で余所を向いて携帯電話をいじっている。
「わかりました。白銀さんは要さんをとても愛してらっしゃるんですね!」
納得顔で奈月が力強く頷く。はあ、と曖昧に頷いてから白銀は頭をかいてみせた。どうも調子が狂う。多分、会話のテンポがずれているのだ。
「まあ、要のことは好きですけど」
それじゃ、と頭を下げて白銀はロープを引き始めた。力をこめて懸命に引くと何とか機械が動き始める。だが急にそこで肩にかかっていた負担が妙に軽くなる。驚いて振り返った白銀は、いつの間にか機械の上に翠が腰掛けているのを見て仰天した。
「折角だからわたしが一緒に行ってやろう。異存はあるまい?」
どこまでもえらそうな喋り方で翠が言う。白銀は滑ってきた機械を慌てて両手で押さえた。何故か軽く押さえるだけで機械の動きがぴたりと止まる。
「それでは、わたしもご一緒します」
ひょっこりと機械の上から奈月が顔を覗かせる。驚きに絶句した白銀の視界には桜の顔も見えた。
「仕方がありませんね。それではわたくしもお供させて頂きます」
「あのぉ」
困惑した顔で白銀は三人を見上げた。よくは判らないが三人がこの機械を軽くしてくれているようだ。そのことに気付いて白銀は三人にありがとうと礼を言った。
翠は何だかんだ言っても奈月に甘いのですw