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「奈月さんの事は嫌いじゃないわ。とても愛らしい方だし」
でも。そう呟いて佑は俯いた。自然と手がドアノブにかかる。開いたドアの間から顔を覗かせた順はやっぱり笑ってなどいなかった。
「オレは好きか嫌いかを訊いてる訳じゃないよ。って、入っていいの?」
そう言って首を傾げた順が苦笑のようなものを浮かべる。佑は慌てて順に道を譲った。水輝を抱えたまま部屋に入った順が当り前の顔で佑の傍を通り過ぎる。
「危険な感じがするわ。水輝さんに弊害をもたらしているのは彼女かもしれないと思ったこともあるわ」
もしかしたら嫉妬かもしれないけれど。そう続けて苦笑し、佑は静かに部屋のドアを閉めた。順が振り返って目で佑を呼ぶ。不思議に思った佑は順の傍に寄った。大きな机に放り出していた携帯電話が光を点滅させている。どうやら誰かがメールを送信してきたようだ。
「前はキミ、紫ちゃんをちゃんと排除したじゃん。姫君は?」
だらしない笑みを浮かべて順がのんびりという。携帯電話を操作しながら佑は困ったような顔をした。画面に表示されたメールを見て軽く目を見張る。送信してきたのは桜だ。どうやらこれから大学を回るらしい。帰りは遅くなる、と愛想のない文章が綴られている。
「紫さんを排除する算段を付けたのはわたしじゃないわ」
「じゃ、キミは紫ちゃんが今でも水輝ちゃんの傍にいた方がよかった?」
携帯電話から顔を上げた佑に顔を寄せて順が囁くように言う。佑は反射的に顔を背けて順から離れた。机に腰掛けた順がおやおやと苦笑する。
「彼女のあの判断は的確だったと思ってる。自らの身の処し方も見事だったわ」
渚さんが掬いあげてしまったけど。かつて自分の中に居た一人の少女のことを思い出して佑は胸に手をあてがった。その少女の名は祐という。優一郎を抱きにかかった水輝が、優一郎の性を女性に強引に変化させた際につけた名前がそれだ。
龍神に限らず、生きる者には本来の名前というものがある。水輝は優一郎の名を読み違えてしまったのだ。そして祐と名付けられた少女は人格を持って独立してしまった。祐は水輝の傍にいた紫という女性を排除すべく行動し、その後に消えてしまおうとしていた。
ところがこの時に祐を助けたのが渚という女性だ。渚はかつて水輝と姉弟として育った経緯がある。今では金龍神として立っている渚が水輝が手放してしまった祐を拾い上げたのだ。
「じゃ、姫君は?」
水輝を大事に膝に抱えて順が笑う。祐はちらりと順を見て唇を噛んだ。
「わたし、疑ってるの。彼女を主龍神に仕立てあげた黒幕が居るんじゃないかって」
「へえ?」
主龍神とは龍神を統べる者を意味する。奈月はいま、その主龍神の座についているのだ。だが元々は奈月は龍神ですらなかった。奈月はとある少女の身代わりに作られた機械仕掛けの人形だったのだ。
だがその人形の作成に関わっていたのが立城だった。結果的に奈月は水輝のものとなり、今に至る。
「座格は変動するもんだからねぇ」
のんびりと言って順が机から滑り降りる。静かに部屋を横切った順は水輝をそっとベッドに下ろした。すぐに部屋を出て行かないところを見ると、佑との話に興味が湧いたのだろう。順は取りとめのない不思議な行動をとるが、唯一、自分が楽しいと感じることにしか興味を抱かないという点は共通している。
「おじさまじゃないわよ。おじさまはそもそも夜に導くつもりさえ無かったから。おじさまは多輝くんを天に上げるつもりだったのよ」
主龍神は一時的に不在となった。立城はかつて多輝を主龍神に据えるために行動をしていた。が、多輝と優一郎の間には立城にすら判らなかった深い因縁があった。結局、多輝は天には上がらず、別の存在が主龍神に据えられた。
「ま、カレはねえ。水輝ちゃんから離れるつもりすらさらさらなかっただろうからねぇ」
軽く笑いながら順がベッドに腰掛ける。それで、と促されて佑は頷いた。
「奈月さんは、水輝さんの巫女だったはずなのよ。おじさまの言い方を借りれば、リミッターね。おじさまはそれ以上の役割を彼女に設定したわけではないわ」
「そ、だねぇ。巫女かあ」
そう言って順は天井を仰いだ。そこでころりと表情を変えてだらしない笑みを浮かべて煙草を引っ張り出す。吸っていい? と訊きながら煙草を咥えた順に苦笑して頷き、佑は机にあった灰皿を手渡した。
「本来ね。龍神に巫女は必要なかった筈なんだよ」
灰皿を受け取りながら急に真面目な顔で順が言う。驚きに目を見張った佑から目を離し、順は指を鳴らして小さな炎を生み出した。ゆらゆらと指先で揺れる炎に煙草の先を近づける。煙草に火が移ると順はぱっと手を開いて炎を消した。
「こー……昼と夜がかわりばんこにくるわけだね、この世界は」
両手の指を交差させて順が言う。唇の端に挟んだ煙草が揺れるのを佑はぼんやりと見つめた。
「巫女ってのは夜に祈るもの、つまりは夜の時代にしか必要ないものなわけね」
人好きのする笑みを覗かせて順が言う。佑は何となく順の前に佇んだままで頷いた。
「だから巫女としての機能は夜の時代が来た時の保険だったのね。基本的には水輝さんを安定させるための、システムよ。あれは」
自分の考えを確認しながら佑は静かに語った。すると順がそだねぇ、と間延びした声で同意する。
「姫君は魔法なんて覚えちゃうしねえ」
あれは反則だよね、と苦笑した順は美味そうに煙草をくゆらせている。のんびりとした順の態度を見ていると、一体どこからどこまでを知っているのだろうという気になる。佑は勧められるままに順の隣に腰掛けた。ちらりと振り返るとベッドに横たえられた水輝が苦しそうな息をついているのが見える。
「翠。奈月さんを変えたのはあの子よ」
そっと水輝の額に浮かんだ汗を拭いながら佑は呟くように言った。へー、と笑って順がなおざりな拍手をする。
「ま、事実変わってきてるよねぇ。翠サンの姫君に対する執着のスゴイこと」
何を思い出しているのか、順が楽しそうに笑う。ハンカチで水輝の汗を拭ってから佑はベッドに腰掛け直した。
「おじさまの、水輝さんに対する執着に比べたらたいしたことないわ」
そう告げて佑は嗤いを浮かべた。横目に佑を見た順がおっ、と嬉しそうな声を上げる。確かにね、と呟いて順はするりと手を伸ばして佑の下腹部を撫でた。
「あんま、悪さばっかしてると協力したげないもーん」
順が身を屈めて佑の下腹部に向かってぼやきのように言う。
「光の標」
「んあ?」
佑の呟きを聞き取ったのか順が不思議そうな顔をして身を起こす。だがすぐに順は困ったような顔でがりがりと頭をかいた。指に挟んでいた煙草を唇に戻して知らん顔をする。佑は横目に順を見ながら咳払いをした。
「やっと、判ったわ。わたしもおじさまの保険のひとつだったのよ。予備の巫女。夜の時代になったにも関わらず、奈月さんが巫女として機能しなかった時に現れる標。それがわたしなのね」
「はっ! 大変だ水輝ちゃんが!」
思い切り棒読みのせりふを吐いて順が慌ただしく振り返る。ぐは、という嫌な声を漏らして水輝が苦しみに顔を歪ませる。だが見間違いでなければ、順が水輝の腹にこぶしを叩き込んだのではないだろうか。
「やや、大変だ! これは早急に水輝ちゃんを治さなきゃね!」
口早に言って順が水輝を抱え上げる。
「そ、そうね、早く治療しないと」
すっかり棒読みのせりふを口にして佑が頷く。
「これはアレだね! 優一郎くんも来た方がいいね! そうに違いない!」
やっぱり棒読みのせりふを口に乗せつつ順がちらちらとドアの方を見る。その額には何故か冷や汗のようなものが浮かんでいる気がした。
「わたしじゃなくて?」
順の演技に付き合うのも忘れて佑は真顔で問い掛けた。順が焦ったようにドアから目を離して小声で言う。
「いや、オレはほら、キミのことは優一郎くんって呼ぶことにしてるだけ……ひい! 早く行こう、早く!」
悲鳴のようなものを上げて順が立ち上がる。釈然としないものを感じつつも佑は順にならって立ち上がった。
最後の最後で何かの気配を感じた順がものすごく慌ててますw