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さあ、式場をお選びください! そう声高に言った桜がずらりと並べた結婚式場のパンフレットを前にして、奈月は困惑に顔を歪めた。朝から何事かと思えば、桜は両腕いっぱいに抱えたパンフレットを並べたのだ。
ベッドではまだ翠は眠っている。奈月は真っ赤な顔をしてベッドを振り返ってから目の前に正座する桜に目を戻した。
「……もしかして姫様。ウェディングドレスはお嫌いですか?」
それまでの明るい顔から一転し、桜の顔が翳る。
「いえ、白いドレスは大好きです」
奈月はそう答えて微かに笑った。ぎこちない奈月の笑い方を見た桜が心配そうな表情になる。だが今の奈月には桜を気遣うゆとりも余裕もなかった。
言われるままにウェディングドレスを身に着けた自分を想像した奈月は力なく首を振った。白く優しいカーブを描くドレスを身に着けた自分の横にどうしても水輝が立つ姿が思い浮かぶ。
「姫様。青龍王のことをお考えなのですか?」
テーブルに広げていたパンフレットを片付けながら桜がぽつりと呟く。その声に奈月は伏せていた顔を上げた。
「違います! わたし、考えていません。何か思ったらすべて水輝さんに繋がるから、考えたらいけないんですっ」
そうまくし立ててから奈月は顔を歪めて俯いた。そう、考えてはいけないのだ。なにも。自分にそう言い聞かせる。そんな奈月を桜が痛ましそうな目で見つめた。
まとめたパンフレットの角をテーブルで揃えながら桜が言う。
「それでは違う話を致しましょう」
パンフレットを机の端に乗せた桜が奈月に笑みかける。
「姫様はもっと肩の力を抜いてもいいのではないかと思うのです。もっと気楽に、ご自身を追い詰めることなく、穏やかに過ごされてもいいのではないかと」
そう言って桜がじっと奈月を見つめる。奈月はのろのろと顔を上げた。桜が気を遣ってくれている。それは判る。
「そうですね、穏やかに……」
奈月は空虚な笑みを浮かべた。桜がそんな奈月をじっと見つめてため息を吐く。
「目の前に居るわたくしが見えられませんか? わたくしは姫様が嬉しそうに笑ってくださるところがとても好きです。でも」
そこまで言って桜が俯く。
「もしかしたらわたくしは、姫様を好きと思うことで自分を正当化しているのかも知れません」
そう呟いて桜は自分の胸に手をあてがった。桜の中にはこれまで失われていた力が戻っている。全てではないが、その殆どの宝珠を桜は斎姫から取り戻したのだ。
「違いますっ! 桜さん、ごめんなさいっ! わたし、桜さんのこと好きです。桜さんにとても失礼な事をしているのはわかります! でも……」
慌ててそう言って奈月は顔を歪めた。堪えていたものがこみ上げて奈月の目に涙が浮かぶ。
「もしかしてそこははしゃぐところですか?」
真面目な顔をして桜が問う。だがすぐに桜は穏やかな笑みを浮かべて奈月を真っ直ぐに見つめた。
「姫様が青龍王のことしかお考えになられないのは判っています。姫様は青龍王の綺麗な部分ですから」
そう言って桜は静かに立ち上がり、奈月の横に回った。力なく座る奈月の手を桜が優しく取る。
「違います。わたしは綺麗なんかじゃありません。これだけ、たくさんのひとに迷惑をかけているのに、茜さんや、透さんや、龍宝珠界のみなさんに、本当に酷い事をしているのに、水輝さんにまた微笑んでもらう、それだけを夢見ているんですから」
奈月は涙の溜まった目で桜を見つめて言葉を紡いだ。するとなぜか桜が困ったように笑う。
「では、言い方を変えましょう。姫様は青龍王の純粋な部分です」
彼を好きだというその想いです。桜が囁きでそう続ける。奈月は何度か瞬きをして目許を拭った。
「想いの……結晶」
そう呟いて奈月ははっと目を見張った。桜が両手の中に大切そうに奈月の手を包み込む。
「好きだという想いに理由がありますか? 誰かの都合を考えますか? 想いは相手を好きだという単純な、ですが強いものです」
静かに言葉を継いでから桜は少し俯いた。
「だからわたしって、わがままなんですね」
そう言って奈月は微笑みを浮かべた。それまでの空虚な笑みの中にほんの少しだけ感情が戻る。桜は静かに顔を上げて奈月に微笑みを返した。
「普通、想いは目には見えません。目に映らないからこそ、想いは強力で……」
そこまで言って桜が難しい顔をして奈月を見る。しばし黙ってから桜は意を決したように頷いて言葉を継いだ。
「他人が他人に向ける想いがもしも目に見える形になっていたら……あの……多分……うっとうしいです」
そう言われて奈月は何度か瞬きをした。桜が顔をしかめてため息をつく。
「想いがうっとうしく見えるものだなんて、考えたこともありませんでした」
わたし、ずっとまわりのひとを不快にさせてきたんですね。奈月は考えを巡らせながらそう答えた。これまで何となく自分は周囲の色んな人を不快にさせているような気はしていた。紫がいい例だ。紫は水輝の傍にいた奈月の事を消したいとまで思っていたと本人が言っていた。奈月はだがそれは、自分が相手のことを理解出来ないから起こることだとばかり思っていたのだ。
「青龍王は想いを向けられる当人ですし……姫様のことを好いているようですから、いいのでしょう。ですが、考えてみてください。人の『好きだ』という想いが例えば目に見える……そうですね。文字の形をしていたらどうでしょう」
そう言われて奈月は頭の中にその光景を思い浮かべてみた。誰かが誰かを好きだと想う気持ちが大きな文字になり、想いを寄せた相手にふらふらと飛んでいく。それが当り前の光景だったら。
「片想いってできなくなってしまいますね」
「ええ、出来ませんね」
神妙な面持ちで桜が頷く。奈月は更に、想いを寄せた相手に文字が懐いているところまで想像した。その光景が日常的なものだったら。
「楽しいと思います」
周りに好きだという文字が飛び交う様を想像して、奈月はにこにこと笑った。すると桜が訝るような顔をする。
「そ、そうでしょうか?」
そう言ってから桜はえへん、と咳払いをした。
「話が少し逸れましたね。とにかくですね。姫様はその『想い』なのだと……あっ、わたくしは姫様を好きですからね!?」
途中で急に強い口調になって桜が言う。
「あの、桜さん、わたし、わからないことがあるんです」
桜の決死の告白を無意識に流して奈月はそう問い掛けた。はう、と桜が弱々しく呟いてから、にっこりと笑みを浮かべて何でしょうと言う。そんな桜の額に冷や汗が浮かんでいたが、奈月はそのことにもまったく気付かなかった。
「あの、わたしが水輝さんの一部だとしたら、わたしが分かたれる前の水輝さんは、えっと、その、自分の事が好きな人、だったんですか?」
真っ赤な顔をして奈月は訊ねた。すると桜が面食らったような顔になる。だがすぐに桜は慌てたように首を振った。
「いえ、そんなことは全く!」
反射的にだったのだろうか。そう答えてから桜がはっとしたように手で口を覆う。
「えっと、それなら、どうすれば……」
話の辻褄を頭の中で合わせられなくなった奈月は悩んだ。桜が口を手で覆ったまま、ちらちらと奈月を見る。やがて桜はため息を吐いて諦めたような顔をして口から手を外した。
「かつて青龍王は別の名で呼ばれていました。その頃の青龍王が好いていたのが『水輝』という名の龍神だったのです」
言いにくそうに桜が言う。それを聞いた奈月はさらに混乱した。
「青龍王は水輝さんであって、水輝さんでない?」
「その頃の青龍王の名は紫翠龍といいます。って、は!」
声を上げて桜が慌てたように飛びのく。奈月は困惑しつつも桜が驚愕の目で見ている方を見た。
いつの間にかベッドに翠が身を起こしている。翠は珍しく鋭い目をして桜を睨んでいた。
「……何の話をしている」
抑揚のない平坦な声で言って翠がベッドを降りる。中腰になっていた桜は慌てたように奈月と翠と間に割って入った。
「翠さん、おはようございます」
いつものように奈月は翠に挨拶をした。む、と呟いた翠がテーブルにつく。桜はそんな翠と奈月を恐る恐るに伺い、じりじりと動いた。奈月の向かいに座る翠の隣に桜が腰を下ろす。
「桜さん、あの……」
どうしたんですか? そう訊ねて奈月は首を傾げた。桜は全身を強張らせて正座している。
「いっ、いえ! なにも! なにもありませ」
「この愚か者は、己の欲望に従っているだけだ。奈月が気にすることはない」
桜の言葉を遮り、淡々と言って翠がテーブルの下にあった新聞を手に取る。奈月は困惑の顔で桜と翠とを見比べた。
「桜さん、あの、わたしも桜さんのこと、好きですから」
にっこりと笑って奈月が言うと、桜がはうっ、と声を漏らしてその場によろける。よろける寸前、桜の顔は緩んでいた。翠がそんな桜を素早く足でどつく。馬鹿め、と呟いていたのを奈月は聞き逃さなかった。
今の桜はかなり迂闊なので翠はかなり苛々しています。
そうは見えないですが。