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「時間は常に前に動いている。世界を作るのは今を生きる者たちだ」
そう言ってから翠は立ち上がった。天井を見上げた翠が手を掲げる。するとその場に鮮やかな翠色の光が現れた。天井から床に突き抜けるように走った光が部屋の中に溜まり、やがて人の形になる。翠色の剣を肩に担ぎ、シャツに下着一枚の格好で現れたのは順だった。全身で荒い息を吐いていた順がおもむろに手を上げてだらしない笑みを浮かべる。
「やっほ、優一郎くん」
「茜さん! 無事だったんですか!」
よかった。そう呟いて優一郎は順を見つめた。順の肩には大きな剣が担がれている。順はその剣を下ろして宝珠の形へと戻した。深く息を吐きながら順は宝珠を自分の胸にあてがった。
「ま、元気まではいかないけど、生きてるってトコかな」
軽い口調で返事をして、順が鋭い息を吐いて身を折る。順は握っていた翠色の宝珠を胸に強引に押し込んでから身を起こした。
優一郎は順に駆け寄って口づけしようとした。だが逡巡して、結局頬に軽く口づけする。順は困ったように笑って優一郎が唇で触れた頬を指で押さえた。
「やだなあ、優一郎くん、やる気満々? オレはいつでも大歓迎よん」
へらへらと笑いながらも順は大切そうに頬を押さえている。相変わらずだな、と翠が呟く。
「違います!」
慌てて優一郎はそう言った。またまたあ、と笑って順が優一郎の肩を腕に抱く。
「むきになっちゃうトコが、ア・ヤ・シ・イ・な」
嬉しそうに言いながら順が優一郎の頭を撫でる。
「もう、茜さんってば」
ため息混じりに言って優一郎は苦笑した。そんな優一郎に順がじゃれつく。優一郎はしばしされるがままにあちこちを順に撫でられてから、ふと我に返った。
「茜さん、姉さんは?」
順が優一郎をそっと離してんー、と首を傾げる。
「そいちろパパのトコ、置いてきちゃった。それよりさあ」
そう言って順がおもむろに振り返る。順は嫌そうに顔をしかめて一人離れていた奈月を見た。順の視線を受けた奈月がびくんと身体を竦める。
「何でまだいんのよ? ああ?」
それまでの軽薄な態度から一変し、順は剣呑に言った。
「茜さん、あの、わたし……」
怯えと後悔の滲んだ顔で奈月が言葉を詰まらせる。順は一歩、奈月に近づいて斜めに構えた。腕組みをしてぎらりと奈月を睨みつける。
「ろくすっぽ役に立たない姫君がそんなに大事かね?」
低くどすの利いた声で言ってから順がゆらりと振り返る。優一郎は黙したままじっと翠を見つめた。翠は難しい顔をして無言を通している。その間にも順は苛々と組み合わせた腕を指先で叩いた。
「大体さあ。何でカノジョを後生大事に護ってんのさ? わっけわかんねえ」
呆れたように言った順に、それまで黙していた翠が言う。
「貴様、奈月に惚れているのか?」
抑揚のない声で言われた順が一瞬、ぴたりと動きを止めてから目を吊り上げる。
「じょおっだんじゃない! 何でオレがあんなウザいものに惚れると思うのさ!? バカなこと言わないでよ、もう!」
一気にまくし立ててから順がふん、とそっぽを向く。優一郎は部屋の隅ですっかり萎縮している奈月と、難しい顔をしている翠、それから憤慨中の順を見た。
「茜さん、代案があるなら教えていただければ」
真面目な顔で優一郎は訊ねた。すると順の顔から険がすうっと消える。
「やだなあ。優一郎くんに言われちゃねぇ。オレもマジで考えない訳にはいかないよねー」
またいつものようにへらへらと笑って順が言う。だが順はすぐに困ったような顔をして天井を仰いだ。
「学チャンにも別に思い入れないしー、多輝チャンも別にどーでもいいけどぉ、優一郎くんとか透くんが襲われるのはヤなんだよねー」
つらつらと言って順が顔を戻す。
「僕は、どんなことがあっても、最低限、多輝だけは護ります」
そう言って優一郎は嗤った。すると順がうん、と頷く。
「まあ、そっちはそっちでガムバレ。……でねぇ。結局、解決しなきゃなんないことはなんなのさ? そもそもカレ、まだ仕掛けてくるつもりかね? それともナニ? 龍宝珠界の住人をもどそーとか考えてる?」
優一郎の言ったことを滑らかに流した後、順は矢継ぎ早に疑問を口にした。
「手品では無いのですから、消えてしまったところに、一気に復活させたりしたら、大混乱になると思います。復活可能だとしても、計画をきちんと練って、行う必要があるでしょう」
「よーするに、龍宝珠界の件を検討してる最中? それってねえ、ほっぽっちゃってもダイジョブだと思うよ」
真面目な顔で言った優一郎に順が軽く答える。優一郎は何度か瞬きをして順を凝視した。
「あっ、守護神は無事だから、彼らの努力でなんとかなる問題だということですか?」
期待をこめてそう言った優一郎を少しの間見つめ、順はえへんと咳払いをして部屋の中央に移動した。そこで何故か順が両手を胸の前に組み合わせてしなを作る。
「ノラえもぉんー。ボク、どぉしても赤い色のほーじゅが欲しいんだよぉー。でないとみんなにいじめられるんだよぉ。なんとかしてよ、ノラえもぉぉん」
変な声色を作ってそう言ってから順がポケットに手を入れる仕草をする。手の動いた位置的に、それは架空の白衣のポケットではないだろうか。
「ぱぱらぱっぱぱー! なまえぺーん!」
そう言いながら順が右手を鉛筆かなにかを握る形にして天井に突き上げる。そのままの姿勢でしばしじっとしてから、順はへらへらと笑った。
「……って、やってたよ? そいちろパパが」
「相変わらず無茶な」
優一郎は順の言わんとしていることを完全に理解して、思わず苦笑した。翠がやれやれと疲れた息を吐く。一人、訳がわからないのか、奈月が困惑した顔をして三人を見つめている。
「でね? そっちの問題は、そいちろパパにお任せしちゃってもいいと思うんだよ。ま、今度お礼しなきゃだけどさ」
そう言いながら順が呑気に笑う。
「問題は、立城さんたちですね。僕は、今は亡き二人に操られているのだと思っていました。今から考えてみれば、あまりにも甘い予測だったと思います」
笑みを納めて優一郎はそう告げた。確かに龍宝珠界の問題は総一郎になら任せておいても問題はないだろう。総一郎はいつも無茶を可能にするのだ。順の言っていることにも嘘はなさそうだ。
だが問題は立城と水輝だ。桜をさらったことから考えても、二人が動きを止める可能性は低い。
総一郎の行動って、ある種の猫型ロボットに近いというか?
けっこうとんでもないと思ってます……。