これまでの話で出てきたキャラクターが登場しますが、説明はあんまりないです。
エロシーンはありません。
その後の紫 1
転移の間際に剣呑な声が聞こえた気がする。視界が開けて見慣れた屋敷の様子が見えたところで順は大きく息を吐いた。おかえりなさいませ、と行儀よく老執事が挨拶をする。順は執事に頷いてから水輝を抱え直した。隣にいる佑が不思議そうに周囲を見回す。
龍神の持つ力の一つに瞬間的に別の場所に移動する、転移と言われるものがある。順は転移先に木村の本邸と呼ばれる屋敷ではなく、海際の別邸に跳んだのだ。空間を越えて跳躍するため、実際に転移が終わるまでどこに出るか判らなかったのだろう。珍しそうにしている佑を見て順は苦笑した。
海際のこの別邸は結界に覆われている。建設そのものは早くに終了していたのだが、この結界を編むためには多少の時間を要した。実際にここで暮らせるようになったのはつい最近のことだ。この結界は他者からの攻撃だけではなく、探索などの力を完全に遮断する。
「オレの家よりは少し狭いけどね。まあまあの出来だと思うっしょ?」
庭には色んな花が咲き乱れている。中央には噴水も配されていて、季節を問わず鑑賞できるように整えられている。玄関は広々としており、敷き詰められた淡い色彩のじゅうたんは特注品だ。吹き抜けの天井は日差しが入るよう、ステンドグラスで埋め尽くされている。窓もやはり日がよく入るように大きく設計されていて、庭の様子を眺めることも出来る。
「あなたの家って趣味悪いと思っていたけれど、こちらはかなりマシね」
感心したように言った佑を見つめて順は苦笑した。
「そんなにシュミ悪いかなあ。いちお、デザインはプロに任せてるんだけどねえ」
説明しながら順は玄関の奥に進んだ。周囲を見回しつつ、佑がそれに続く。廊下を折れると裏庭に面した窓がある通路に出る。裏庭には表の庭とは違う花が咲いている。大きな窓は一見すると通路そのものが硝子張りで出来ているように思えるほど、外の様子がよく見える。驚いたように佑が立ち止まったのに合わせて順も足を止めた。暗くなり始めた海の様子が窓からよく見えるようになっているのだ。
「二階には露天風呂なんてのもあるよん」
窓に寄って外の景色に見入っていた佑にそう声をかけて順はまた歩き出した。慌てたように佑が順の後を追う。
「水輝さんが回復したら、一緒に入ろうかなあ」
「どーぞどーぞ。広いから泳いだりも出来るしね」
笑顔で頷いて順はとある部屋の前で足を止めた。代わりにノックしてくれるように頼むと佑は頷いて扉を軽く叩いた。すると中から返事がある。驚いた顔をする佑を余所に順は笑顔で言った。
「オレだよーん。開けてくれる?」
ほどなくドアが開いて一人の女性が顔を覗かせる。満面に笑みをたたえた女性の名は紫という。いらっしゃい、と笑顔で挨拶して紫は順と佑を部屋に迎え入れた。紫の淡い藤色の長い髪は今日は後ろで一つに束ねてある。
「紫さん、お久しぶりです」
にっこりと笑って佑が挨拶する。それを受けて紫も穏やかな笑みを浮かべた。
「何ヶ月ぶりかしら? 随分と久しく会っていなかった気がするけど」
紫の部屋はクリーム色のじゅうたんが敷かれ、家具等も同じ色で統一してある。内線で三人分の茶を用意してくれ、と頼んでから紫は慌てたように言った。
「あ、ごめんなさい。どうぞ座って」
順はさっさと部屋の奥に進んで大きなベッドに静かに水輝を下ろした。水輝はまだ苦しそうな息を吐いている。額に触れてみると随分と熱が高いことが判る。だがこれは病気ではない。無理をして抑えているものが外に出ようとして暴れているだけだ。優しく水輝の額にかかった髪を指で退けつつ、順はベッドに腰掛けた。紫に促されるままに佑はソファに腰を下ろしている。
「記憶、戻ってるのね。良かった、と喜んでいいのかどうかはわからないけれど」
呟くように言って佑が憂いを帯びた表情になる。すると紫はくすりと笑って首を傾げてみせた。首の後ろのところで留めていた髪を解いて指で梳く。
「大丈夫よ。今は落ち着いているから」
安心させるように言ってから紫はそういえば、と佑を見つめた。以前の紫から考えたら確かに随分と落ち着いてはいる。何しろ、記憶が戻ってすぐの紫は殆ど毎日を泣き暮らしていたのだ。
水輝が立城を散らした折、その器には紫の魂が残された。最初は立城と同じ事をしようとむきになっていて、紫は随分と失敗を重ねた。結局、水輝と結婚するに至ったが、その関係は上手くはいかなかった。子供を胎に宿すことも出来ないまま、紫は水輝から引き剥がされて順の許に送られたのだ。
水輝と離れた当初、紫の心は壊れていた。魔を生み出す媒体に紫を使っていたのは順自身だ。その際に紫と深く関わったのは、順が作り出した人工のハンターと呼ばれる存在だった。
ハンターとは龍神の持つ龍宝珠を糧として生きる者を指す。だが、今はもうハンターは殆ど現存しない。何故なら、ハンターと名のつく者の多くは魔に狩られてしまったのだ。
「そうだ。あなたのことはゆうちゃんと呼ばせてもらっていい?」
嬉しそうに顔をほころばせて紫が言う。まるで少女のような仕草で訊ねた紫をしばし見つめてから佑が苦笑のようなものを浮かべる。
「それじゃあ、わたしはママって呼んでいい?」
茶目っ気を出して訊ねた佑にまあ、と笑みかけてから紫は頷いた。紫はかつて、双子の弟との間に子供をもうけていたのだ。佑は紛れもなく紫の子供だ。
いやこれもまた判定が難しいんだよ……(独り言)
とりあえずこの段階では佑は紫の子供、ということになってます。