翠は奈月が好きなのでずっとべったりですw
エロシーンはありません。
「メープルシロップが好きだ」
きっぱりと言って翠がじっと奈月を見つめる。くすりと笑みを漏らして奈月は頷いた。
「わかりました」
その答えに納得したのか、翠がおうように頷く。奈月は片腕に抱えていた翠の服を入れた籠を持ち、部屋を出た。途中ですれ違ったメイドに籠を託してから調理場に向かう。
案の定、調理場には人はいなかった。どうやらもう使用人の食事は出来ているらしい。一台の調理台に近づいたところで翠が奈月の手を離す。奈月は翠のために壁に立てかけてあった椅子を一脚ほど取り上げ、台の傍に据えた。翠が身軽に椅子に飛び乗る。
「メロン、バナナ、苺、林檎」
椅子に膝立ちになった翠が何もない台を指差しながらゆっくりと言う。すると翠の言葉に合わせるように台の上には果物が一つずつ現れた。並んだ果物をじっと見つめてから翠が奈月を見る。ボウルや泡だて器などを準備していた奈月はにっこりと笑ってみせた。
「カットしますね」
どうやらこれをパンケーキに添えろという意味らしい。そう理解して奈月は果物を流水ですすいだ。道具を洗い終えたところでまな板の上にマスクメロンを乗せて手ごろなサイズにカットする。続いて林檎とバナナも切ってから奈月は冷蔵庫から取り出したレモンを絞った。あくが出ないよう、切った林檎とバナナにレモン果汁をふりかける。
カットした果物を冷蔵庫にいったんしまいこんでから奈月はパンケーキを作り始めた。翠はじっと台に張り付いて奈月の手元を見ているだけだ。表情が乏しい翠の顔がどことなく嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
ふと、翠が奈月の手元から目を上げる。
「……奈月」
静かな声で呼ばれて奈月は笑顔で翠を見つめた。小麦粉や砂糖、卵や牛乳を混ぜていた手が自然と止まる。
「翠さん、何かしら?」
「いまは楽しいか?」
いつもと変わらない淡々とした口調で翠が問う。奈月は翠を真っ直ぐに見つめて笑みを消した。翠色の美しい眼差しに見つめられると何故か落ち着かない気分になる。
「翠さんとこうしているのは楽しいです」
無意識のうちに翳りのある微笑みを浮かべた奈月を翠がじっと見る。しばし黙した後、翠はおもむろに口を開いた。
「まやかしは、滅ぶべきだと思うか?」
いつだったか、翠は同じ質問を奈月にしたことがある。奈月は一度、手元に目を落としてから翠を見つめ返した。翠色の双眸にはどんな感情も浮かんでいないように見える。そこにあるのはただ、静謐だけだ。
「今のわたしは、この世にまやかしなど存在しないと思っています」
あの時とは違う答えを奈月は自然と口にした。あの時は自分自身もまやかしの一つだと考えていた。
「もし、まやかしが存在するなら、何が本物で、何がまやかしか、誰が判断するのでしょう?」
「お前だ」
翠が迷いもなく即答する。それから翠は視線を少し下げ、奈月の抱えるボウルを指差してみせた。
「お前がまやかしと感じるなら、その粉も、卵も、ミルクも全てまやかしとなる」
淡々と告げてまた翠が目を上げる。髪の色とお揃いの翠色の目で真っ直ぐに奈月を見上げ、翠は唇を引き結んだ。別に翠の表情は先ほどと変わりないのに、何故か今は泣きそうに見える。
「もし、もしも、この世にまやかしが存在するなら、それはわたしです」
にっこりと笑って言ってから奈月は止めていた手を再び動かし始めた。白い粉と黄色の卵、牛乳や砂糖が泡だて器を動かすたびに混ざっていく。翠はしばし黙って奈月を見つめてから、やがてため息のようなものを吐いた。
「……もう、お前はこの世界を好きだとは言ってくれないのだな」
ぽつりと呟いてから、翠は身軽に椅子を飛び降りた。台を挟んで向かい合わせに立っていた奈月に近づいてぴったりと抱きつく。奈月はいつもと変わらず抱きついてくる翠を静かに見下ろした。
「好きです。大好きだから! わたしでいいのか不安になるんです」
声を絞って言った奈月の目に自然と涙が浮かぶ。ずっと考えないようにしていたことが心を覆い尽くしてしまいそうになる。本当にこれでいいのだろうか。何度もそう思っては、考えないようにしてきた。
懸命に涙を堪える奈月を翠がじっと見上げ、やがて腕を解く。それから翠は黙って奈月から離れた。元の椅子に戻って腰掛ける。背の低い翠の首から上だけが台からのぞく。翠は台に手をかけて背筋を伸ばして奈月を見上げた。
「すまない」
ごく小さな声で詫びてから翠は奈月からそっと目を逸らした。奈月は目許に浮かんでいた涙を指で拭って何度か瞬きをした。翠が謝罪の言葉を口にしたのは初めてではないだろうか。
「いいえ、わたしこそ、泣いちゃって、ごめんなさい」
「いや、それは仕方がないことだ。無理を押し付けているわたしに責任がある」
きっぱりと言い切って翠は奈月と同じように頭を下げてみせた。それから静かに視線を遠くに向ける。横を向いた翠はここではない、全く別の場所を見ている気がする。
「わたし、水輝さんの足手まといになりたくなかっただけなんです。だから、魔法を勉強して、さまざまなことを受け入れて……」
これまでのことが鮮やかに奈月の脳裏に蘇る。出会った頃の水輝は龍神としての記憶を全てなくしていた。身代わりに作られた奈月を初めて欲しいと言ってくれた相手でもあった。誰かの代わりではなく、奈月であればそれでいいと言ってくれたあの時から、奈月は水輝しか見えなくなった。
翠の質問やそれに対する答えは、後々ヤバいことになったりします……(汗)