ギャグ的な感じでスタート……ですかね。
エロシーンはありません。
何故だを連発をする翠(外見は桜)
桜の制服に身を包み、桜の鞄を持ち、桜の髪留めをつけた翠が隣を歩いているのは不思議な気分だ。奈月は並んで歩く翠を時折ちらちらと見た。だが翠はいつもの通り無表情のまま歩いている。
ふと翠が足を止める。怪訝に思って奈月は首を傾げて立ち止まった。今日は時間があるから歩いて行こうと言い出したのは奈月だ。もしかして少し距離があるために翠は疲れてしまったのだろうか。奈月がそんな心配をし始めた頃、翠がぽつりと呟く。
「……やけに静かになったな」
呟きを聞き取って奈月は周辺を見回した。だが道路には車が行き来しているし、舗道を行く小学生の声もする。風は街路樹を揺らしているし、時折、遠くからクラクションの音もする。耳を澄ますと随分と色んな音が聞こえてきて、静かとはとても思えない。
「静か……ですか?」
首を傾げて奈月はもう一度辺りを見回した。すると翠が無言で奈月の左手をつかむ。驚きに目を丸くした奈月の手を引いて翠は再び歩き出した。つられて翠に並んで歩く奈月の頬が薄く染まる。桜とはいつも並んで登校してはいるが、こうして手を繋いで歩かないのだ。
「あの、み……桜さん!」
真っ赤になって奈月はまた周辺を見回した。唐突に声を張った奈月に驚いたのか、通りかかった小学生が不思議そうな顔をして過ぎる。奈月は慌てて口を鞄で覆ってからちらりと翠を見た。だが翠は平然とした顔で歩いている。奈月は顔を真っ赤にしたまま、仕方なく翠に合わせて歩いた。
学校に続くなだらかな坂道にさしかかる。そこで漸く翠は奈月の手を離した。ほっとしたのも束の間、今度は翠が腕を伸ばして奈月の肩を抱く。奈月は慌てて足を止めて赤い顔で翠を見た。少し首を傾げて翠がじっと奈月を見る。
「えっと、あの、みど……いえ、桜さん! なんでしょう!」
「いや。抱きつけば歩きにくかろうと思ってな」
慌てる奈月とは対照的に翠が平然とした顔で言う。どうやら翠はここで何となく奈月に抱きつきたくなり、それでは歩き難いので肩に手を回したらしい。確かに身長差を考えると肩に手を回されても別に歩き難くはない。
「でも、これだと、あの、その……」
恥ずかしさに真っ赤になって奈月は視線を彷徨わせた。もう周囲には生徒たちの姿もちらほら見えている。いつもは気にならない彼らの視線が妙に身に刺さる気がして奈月は余計に恥ずかしくなった。
「歩くのに支障はあるまい?」
しれっとした顔で言って翠がさっさと歩き出す。押される格好で奈月は歩き出した。余りに翠が当り前の態度でいるからなのか、それともそもそも近づく気はないのか、歩く生徒たちは二人を避けているように見える。
「それは、そうですけど!」
半泣きになりつつも奈月はやけくそな気分でそう答えた。そうだろう、と頷いて翠はじっと奈月を見つめる。その目はいつもの翠と同じく真っ直ぐに奈月を見つめているだけなのだが、造作が桜のために何故かそわそわとしてしまう。奈月は言葉に詰まって目を泳がせた。
「急ぎましょう!」
奈月は強い口調で言って早足で歩き出した。翠が律儀に奈月に歩調を合わせながら首を傾げる。
「始業までにはまだ時間があるのではないのか」
そう言って翠が小高い丘の上にある校舎を見上げる。二人の通う清陵高校はこの坂を昇った丘の上に位置しているのだ。
「遅刻したら駄目ですけど、早く着いたら駄目ってことはありませんからっ!」
そう言いきって奈月は早足で歩き続けた。しばし黙り込んでからおもむろに翠が口を開く。
「もしかして、奈月はわたしと歩くのが嫌なのか」
これまでと同じように平然とした顔で翠が言う。奈月は思わずぴたりと足を止めた。すると翠もやっぱり同じように立ち止まる。周辺を歩く生徒たちは遠巻きに奈月と翠を見つめて何事かを囁いている。一番近くにいた生徒のやっぱり、という囁き声を聞いて奈月は更に頬を赤くした。
「そんなことはありません! ですけど、その、あの、えっと」
泣きそうな顔で言う奈月を翠がじっと見つめる。翠だと判ってはいるのだが、その容姿からどうしても桜に見つめられている気分になる。奈月は恥ずかしさに俯きつつ、ゆっくりと歩き出した。
黄色くなった葉の茂る街路樹の植わった歩道を行くうちに周囲の目が気にならなくなる。学校に着く頃には奈月の赤くなった顔色も元に戻っていた。要するに慣れればいいのだ。そう自分に言い聞かせて奈月は力強く頷いた。翠は相変わらず平然とした顔で奈月の肩を抱いたままだ。
「あの、み……桜さん。もう着きましたから」
硝子張りの脱靴室で奈月はそう告げた。翠が周囲を見回してからじっと奈月を見つめる。普段は気にならないのだが、どうも翠は他の誰かと比べると反応が遅いようだ。賑やかな生徒たちの声が響く脱靴室で奈月は焦りつつも翠の答えを待った。
「む」
短く呟いた翠が奈月の肩から手を離す。奈月はほっと息を吐いて上履きに履き替えた。翠も桜の名前の打たれた下駄箱から上履きを出し、履き替える。それから歩き出そうとした奈月はまた肩にぬくもりを感じて慌てて目を上げた。翠が当然の顔をして奈月の肩を抱いて校舎の中に向かって歩き出す。
「あ、あの……。いえ、やっぱりいいです」
翠に何事かを言いかけて奈月は諦めて首を横に振った。歩く奈月と翠を周囲にいた生徒たちが驚きの目で避ける。談笑していた生徒たちが次々に黙り込む様子に奈月は恥ずかしくなって俯いた。翠はだが特に周囲の反応は気にならないのか、奈月の肩を抱いたまま階段を昇る。
脱靴室から一番近い螺旋階段は硝子窓に覆われている。階段からは中庭の様子が見えるようになっているのだ。奈月は視線のやり場をなくして窓から何度か中庭をうかがった。今日はよく晴れているからか、庭の周りに設えられたベンチに座ってのんびりとしている生徒の姿が見える。
廊下を過ぎ、教室に入った瞬間、奈月は消え入りたいような恥ずかしさを覚えた。それまで賑やかに話をしていたクラスメイトたちが一様に黙り、奈月と翠に注目する。そんな生徒たちの間を翠は平然と奈月を連れて歩いた。
「席はどこだ」
教室の真ん中まで歩んだ翠がぼそりと言う。奈月は慌てて顔を上げて窓際の一番後ろの席を指差した。翠がおうように頷いて奈月の示した席に向かう。桜の席は奈月の一つ前だ。奈月は小声でそのことを翠に伝えた。すると翠が奈月の席の横で足を止める。
教室が静まり返っているため、隣近所から他のクラスの生徒たちの話し声が聞こえる。奈月は恥ずかしさで真っ赤になったまま自分の席についた。しばし傍に立っていた翠が鞄を奈月の前の机に乗せ、そのまま机を抱える。何事かと目を見張った奈月が見守る中、翠はさっさと奈月の隣に桜の椅子と机を移動させてしまった。奈月の隣は今は空席になっていて、そこに翠が机と椅子を据える。
「あの! み……桜さんっ、勝手に席を動かしたりしてはいけません!」
「何故だ」
当然の顔で翠が奈月に問い掛ける。それを境に教室の中にはクラスメイトたちの囁き声が満ちた。どの生徒の目も興味深そうに奈月と翠を見つめている。
「みんなが好きな場所に席を動かして良いなら、混乱してしまいます!」
「むう」
椅子を引きかけていた翠が難しい顔で呟く。しばしそのまま黙ってから翠はふと顔を上げて周囲を見回した。囁きあっていた生徒たちがびくりとして慌てて翠から目を逸らす。
「わたしはここに座ってはいけないのか?」
少し声を張って翠はクラスメイトたちを見回した。するとまるで申し合わせたようにクラスメイトたちが首をぶんぶんと横に振る。翠はそんなクラスメイトたちの反応に頷いてからじっと奈月を見下ろした。
「それは……今は、その席は空いてますから、問題ありませんけど……」
そう言いながら奈月は隣に据えられた机を見つめた。以前、奈月の横にはとある生徒が座っていた。数ヶ月ほどで姿を消した生徒の名は蘇芳克人。年齢に比べてずっと幼い容姿をしていた克人のことを思い出した奈月の表情はかげりを帯びた。
不意に視界が暗くなる。奈月は驚きに目を見張った。いきなり翠が奈月に抱きついたのだ。それまでひそひそと囁きあっていたクラスメイトたちが一斉に感嘆の声を上げる。
「あっ、あっ、あのっ!」
翠を解くことも出来ず、奈月は椅子に座ったまま硬直した。クラスメイトたちの中には拍手をしている者もある。だがそんなクラスメイトたちの反応が気に出来ないほど、奈月は焦っていた。腕にしっかりと抱きしめた翠が身を屈めて奈月の髪に口づけをする。奈月は慌てて自由になる両腕を振り回した。
「駄目ですっ!」
「何故だ?」
そう呟いて翠が顔を上げる。漸く解放された奈月は真っ赤になった頬を手に包んで翠を見上げた。翠はまるで何事もなかったかのように奈月の傍に突っ立っている。奈月が翠にどうすべきか注意しようとしていたところで不意に教室の前の扉が開いた。
「おらー。席につけー。静かに……」
そう言いながら入ってきた年若い男性教諭が驚いたような顔で教室の中を見回す。それまでばらばらに好き勝手な場所にいたクラスメイトたちが無言で自分の席につく。男性教諭はいそいそと教室の扉を閉めて突っ立っている翠を見た。
「あー……神崎。とりあえず席につけ」
「何故だ」
それまでとまったく同じ調子で翠が担任に言い返す。困った顔をする担任が更に注意する前に奈月は慌てて翠の腕を引いた。がくん、と傾いた翠の身体を強く押して無理やりに椅子に座らせる。
「とにかく、座ってわたしのするようにしててください」
何かを探るような目で男性教諭が見ているのを気にしつつ、奈月は小声で翠に言った。翠がじっと奈月を見つめ、しばし黙してから頷く。奈月はこれから一体、どうなるのだろうと不安を胸に抱えながら深くため息を吐いた。
そもそも翠を説得するとか無駄です……。
存在の時間軸が変なので。