薄目を開けた優一郎は深く息を吸おうとして激しく咳き込んだ。まだ身体のあちこちが酷く痛む。どうやらさっきのは現実だったらしい。優一郎は痛む腹を押さえて身体を丸めた。
それにしても水輝はどうしてしまったのだろう。随分と様子の変わってしまった水輝のことを思い出して優一郎は眉間に皺を寄せた。考えを巡らせてはみるが、原因はよく判らない。
優一郎は目をゆっくりと開けて周囲を見た。どうやらまた檻の中に閉じ込められたらしい。寝かされているソファの周囲は黒い檻で囲まれている。天井や床までが檻で覆われている。優一郎はため息を吐いて何気なく正面を見た。そこで息を飲む。
檻の前には大きな鏡があった。檻に閉じ込められた優一郎がそこには映りこんでいる。そして優一郎はソファの背後に見覚えのある人物が立っていることに気付いた。慌てて身を起こそうとしたところで痛みに呻いてソファに沈む。
優一郎はソファに横たわったまま、鏡に映る白銀に呼びかけようとした。だが声を出すことが出来ない。白銀はぼんやりとした面持ちをしてソファの後ろに佇んでいる。
優一郎は懸命に痛みを堪え、鏡に映りこむ白銀に向かって手を振ってみた。だが白銀の目は確かに鏡を向いているのに、まるで反応しない。一体、どういうことだろう。そう考えてから優一郎はまじまじと鏡を見つめた。
鏡に映っていた白銀がゆらりと動く。優一郎は慌てて身体を起こして白銀を振り返った。そこで絶句して息を飲む。白銀が居ない。慌てて鏡を見た優一郎はそこにしっかりと白銀の姿が映っているのを見て取った。混乱しつつ、優一郎は頭を押さえてもう一度、振り返った。そこではたと気付く。檻の後ろ、ソファの背もたれ側にもよく見ると鏡が据えてあるのだ。
優一郎は檻を挟む二枚の鏡に意識を集中した。ひょっとしたら鏡を介して外に出られるかも知れない。だが優一郎の考えに反して、力は空しく檻の中で散った。その直後、硝子の砕けるような音がしてゆっくりと鏡の中の様子が変化する。最初は向かい合っているのに映っているのは鏡の一枚で映した光景だった。だがそれが合わせ鏡に早変わりする。鏡の中に向かい合った鏡の中の光景が映り、また反対側にも向かい合った鏡の光景が映る。優一郎は軽い眩暈を覚えて額を押さえた。
意識を研ぎ澄ませた優一郎の身体が淡い光を帯びる。それに伴って鏡の中に映る優一郎も光を纏った。柔らかかった光が少しずつ強さを増していく。優一郎は閉じていた目を開けて鏡をじっと見据えた。
ふわりと優一郎の纏う光から光が分離する。光の塊がゆらりと優一郎から離れ、檻をすり抜けて鏡に向かう。すると鏡がまばゆい光を帯びた。合わせている鏡に向かいの鏡の光が映りこむ。次々に鏡は光を増し、やがて目が開けていられないほどに強烈な光となった。鏡の間を行き来していた光が優一郎に向かって飛ぶ。避け損ねた優一郎は光に弾き飛ばされてソファに倒れこんだ。
力のある言葉で紡いだ優一郎の言霊により戻る筈だった力が、鏡の中を行き来する光に集いはじめる。まやかしのこの地を形成していた力は光の中に次々に吸い込まれていった。まるで言霊を何らかの方法で返されたような気がする。ひょっとしたら何かの力に変換されているのではないか、と考えたところで優一郎ははっと目を見張った。
光の行き来する鏡の間にふらりと白銀が割り込む。慌てて白銀を止めようと声をかけようとしたが、やはり優一郎の喉からは音は出ない。空しく息が素通りするだけだ。
不意に白銀が光に向かって腕を広げる。ゆらりと上げられた白銀の手に光の動きは止められた。その途端に眩しいほどに輝いていた鏡面が嘘のように静まり返る。白銀は受け止めた光を大事そうに両手の中に包み込んだ。大きかった光が白銀の手の間で少しずつ小さくなっていく。白銀は何事かを呟きながらふらりと優一郎を振り返った。
龍神でなかったらきっと光に目が潰れていたに違いない。そう思いながら優一郎はソファを降りて白銀に近づいた。白銀はだがぼんやりとした面持ちをしているだけで、優一郎が動いたことも気にしていないように見える。優一郎は耳を澄まして白銀の呟きを聞き取ろうとした。
ちがう。ちがう。
白銀はどこかを見つめてそう呟いていた。優一郎は首を傾げつつ、今度は白銀が大事そうに両手に包んでいる光を見た。よく見ようと優一郎が目を凝らしたところで白銀がくるりと踵を返す。
白銀はぼんやりとした目で鏡を見つめていた。優一郎は白銀が見つめている正面の鏡を見た。だが鏡に映っているのは、向かい合わせになった鏡の中の光景だ。だが奇妙なことに白銀の姿は鏡には一人しか映っていない。正面の鏡に白銀の姿が映し出されているだけだ。
いた。
ぽつりと呟いた白銀が左手を鏡に向ける。優一郎は無意識に息を潜めて白銀の様子を見守っていた。白銀が鏡に手を触れる。すると白銀の手は鏡の中にゆっくりと飲み込まれていった。手から腕、肩、足。やがて白銀は完全に鏡に映る景色の中に飲み込まれてしまう。優一郎は慌てて前と後ろの鏡を確認した。溶け込むように鏡の中に入ってしまった白銀が、ゆっくりと歩いていく後姿だけが見える。優一郎は距離感を乱されて再び眩暈を覚えてソファに座り込んだ。
少しずつ白銀の姿が鏡の中で遠く小さくなっていく。優一郎は懸命に眩暈を堪えて伏せていた顔を上げた。やがて白銀が鏡の中で立ち止まる。じっとソファに腰掛ける優一郎を見下ろす白銀の姿はやけに小さい。映っている筈の優一郎の姿ですら小さすぎてよく見えないほどだ。
白銀が手を伸ばして優一郎の腕をつかんで引き起こす。そこで鏡を見ていた優一郎はぎょっとした。慌てて自分の座るソファを見るが、そこには誰もいない。急いで鏡に目を戻した優一郎は驚きに息を飲んだ。白銀が今度は鏡の外に向かって歩き始める。次第に白銀の姿が近づいてくると、手を引かれているのが髪の長い少女だというのが見えてくる。
鏡から白銀の姿がはみ出す。鏡を抜けた白銀に手を引かれて現れたのは佑だった。白銀が大切そうに持っていた光を佑に差し出す。優一郎は唖然としてその光景を凝視した。
佑は無表情だった。感情らしいものが一切浮かんでいない顔で白銀の差し出した光を受け取る。すると佑の身体はまばゆい光を帯びた。その光の強さに思わず目を閉じた優一郎は恐る恐るで瞼をゆっくりと上げた。光が段々と薄くなっていく。
光が静まった後、佑の髪は虹のように七色に光り輝いていた。上向いて目を閉じていた佑がゆっくりと瞼を上げ、間近に立つ白銀を見止めて驚いたように目を見張る。白銀は静かに佑を引き寄せて黙って唇を塞いだ。優一郎は口づけを交わす二人を見つめて複雑な表情になった。
佑が目を吊り上げて乱暴に白銀を振り解く。その後、佑は大きく息を吸った。
「きゃあああああああああああああああああ」
叫びを上げた佑から放たれた光が無尽蔵に部屋中を駆け回る。部屋にあったあらゆるものをなぎ倒した光が檻の中に飛び込む。身構える間もなく、優一郎は光に巻き込まれて昏倒した。
最後に佑の感情が爆発しました。
巻き込まれた優一郎、お気の毒様ですw