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四限目の終了を報せるチャイムが鳴ると、すぐに廊下から賑やかな声が聞こえてくる。奈月は食堂に向かう生徒たちの流れに向かって歩き出した。背後からついてくる桜が申し訳ありませんと消沈した面持ちで言う。今日の弁当は張り切った桜が作ると言っていたのだが、失敗に続く失敗をしてしまって弁当には出来なかったのだ。
教室の扉を開けると生徒たちの声が急に大きく聞こえてくる。奈月は廊下を行く生徒たちに混ざりながら桜に笑みを向けた。
「失敗は誰でもありますから」
「いえ! あれだけ連続で失敗するなど、もっての他! ここは腹を切ってお詫びを!」
どこまでも真面目な顔で桜が声を張る。周囲の生徒たちが驚いたように桜を見るが、彼らはいつものことと慣れているのかすぐに桜から目を逸らす。奈月は困った顔をして隣を歩く桜を見た。
ここは清陵高校という。周辺の景色はすっかり秋の色に染まり、もうそろそろ冬の足音が聞こえてくる頃だ。一番の力を持っているのが生徒会という一風変わった学校には個性溢れる生徒が集っている。
「桜さん! もしかして、悩み事とかありませんか?」
覚悟を決めて頷き、奈月は桜の手を取って握りしめた。それまで悔しそうに唇を噛んで切腹するしかない、とか呟いていた桜が焦ったように目を見開く。奈月は生真面目な顔でずい、と桜に迫った。
「あっ、あの、姫様!?」
足を止めた桜と奈月を歩いていた生徒が不思議そうに見ては過ぎる。だが奈月はこの時、彼らの視線を全く気にしていなかった。いや、そもそも奈月も桜もここの学校ではやたらと目立つのだ。何故なら奈月も桜も飛びぬけて容姿が整っているのだ。奈月が可愛らしい顔立ちをしているなら、桜は紛れもない美人だ。だから二人は常日頃から周囲の視線を集めているのだが、自覚はない。
「最近の桜さん、絶対へんです! そわそわと落ち着かなかったり、ため息をついて沈み込んでいたり」
確信をこめて奈月はそう言った。すると桜が真っ赤になって慌てたように視線を逸らす。だがすぐに桜はそんなことはありません、と妙に力をこめて言った。それが余計に怪しい。
いつからか、桜は一人で何事かを考えているようだ。だが桜が余りにも沈んだ顔をしているので、奈月はこれまでずっと黙っていた。先ほどの授業中も桜は上の空で、教師に指名されても全く気付かず、呆れた教師が傍に寄って大声で桜を呼ぶと、何故か桜は素早く立ち上がって教師を煩いと一喝してしまった。よほど思い悩んでいるに違いない。教師を震撼させた桜の態度に奈月はそう思ったのだ。
「桜さん、もしかして、あの、えっと、その……」
もしかして桜は人に言えないような身体の悩みを抱えてしまったのではないか。そう考えた奈月は無意識に言いよどんだ。見た目には桜の身体は不調を訴えてはいない。が、病気ではなくても身体の調子が崩れることはある。奈月は自然と桜に更に一歩迫って目を潤ませた。
「あ、あの、ですね。何でもありません」
困ったような顔で桜が言う。
「ですけど……」
上目遣いに桜を見ながら奈月は心配顔になった。言いたくないものを無理に言わせることは出来ない。だがやっぱり心配は心配だ。何しろ桜は今朝もキッチンで酷く浮かない顔をしていたのだ。
「わたくしが浮かない顔をしているのは……そうだ! 姫様のお弁当箱を!」
唐突に桜が声を張り上げる。逆に手を握り締められて奈月は目をしばたたいた。弁当箱というのは、桜が握り潰したらしいあれだろうか。
「ですから、桜さんがそんな粗相をすることが、わたし、おかしいと思います」
淡々と言いながら奈月は内心で首を傾げた。そう言えば変な話だ。何故、あの時に潰れた弁当箱は三つあったのだろう。
「いえ! 姫様のお弁当を作るという感激のあまり! ついつい握り潰してしまったのです!」
右手だけを奈月の手から離し、桜はこぶしの形に握りしめた。くっ、と唇を噛んで辛そうな顔をする桜を宥めるため、奈月は大丈夫だからという意味をこめて桜の左手をぽんぽんと叩いた。
「桜さん、あのごめんなさい、ここではお話できませんよね?」
何気なく周辺を見て奈月は焦った声で言った。いつの間にか人だかりが出来、その手前には呆れたような顔をした斎姫が立っている。吉良瀬斎姫という名の彼女は清陵高校の生徒会長をつとめているのだ。
「奈月さん。もしよかったら、生徒会室を貸しましょうか?」
一歩、二人の前に進み出た斎姫がにこやかな笑みをたたえて言う。だがその笑みはどことなくぎこちない。奈月は桜と斎姫とを見比べて困った顔になった。だが桜はずい、と斎姫の前に進み出て背中に奈月を庇う格好になる。
「出ましたね。犬」
ぴしゃりと桜が言い切ると周辺にいた生徒からどよめきの声が上がった。面と向かって犬呼ばわりされた斎姫がにっこりと笑う。
「桜さん。他人を貶める言葉は自分自身に返ってくるものよ。心しておいたほうがいいわ」
「犬を犬と呼んで何が悪いのですか」
笑みを浮かべて言った斎姫に向かって桜がしれっとした顔で言い返す。するとどよめきはいっそう強くなった。斎姫も生徒の中に混ざると相当に見目が整って見える。だが同じ美人でも桜のような鋭いイメージはない。そんな二人が火花を散らしているのが楽しいのだろう。周囲の生徒たちは興味深そうな顔で二人の様子を見守っている。
「犬、ということは主人に忠実と、そういう意味で言っているのかしら?」
「それ以外のどんな意味がありますか」
つん、と横を向いて桜が吐き捨てる。すると斎姫はしばし顎に手を当てて考えるような顔をしてから微笑を浮かべた。
「でしたら、誉め言葉として受け取っておくわ。それでは奈月さん、桜さん、いらっしゃい。昼食も用意してあるわ」
そう言って斎姫が踵を返す。奈月が促す前に桜が参りましょう姫様、と一礼してみせる。奈月は多少、気恥ずかしいものを感じつつも桜に頷いて斎姫に従った。残念そうな声を上げた生徒たちがばらけていく。ちらりと背後をうかがってから奈月は隣を歩く桜の制服の袖を軽く引いた。
「何ですか? 姫様」
先ほど、斎姫に犬と言い放った時とは全く違う、優しい笑みを浮かべて桜が問う。
「桜さん。わたし、桜さんがとっても優しい方だって知っています。でも……」
近頃思うのだ。桜の優しさは自分にのみ向けられているのではないか。他の誰かに接する時の桜は不必要なくらいに攻撃的なのだ。桜が他の誰かに誤解を受けるのは奈月にとって寂しいことだった。
「は……。言葉が少々過ぎましたか?」
困ったような顔をして桜が先を行く斎姫を見る。ですが犬は犬ですし。そう呟いて桜が首を捻る。
「そうよ。犬は犬で構わないわ。でも、口に出してしまえば噂の種になる。たかが人とあなたは侮っているかもしれないけれど」
廊下を曲がり、周囲に生徒が殆どいなくなったところで斎姫が振り返る。奈月は何とか桜に判って貰おうと言いかけていた言葉を飲み込んで俯いた。ふん、と鼻で笑った桜が胸を張る。
「噂がいかほどのものですか。どうせあなたは程なくご卒業でしょう?」
今はもう、三年生はあまり学校には出てこない。だが斎姫は生徒会業務がある故にこうして毎日学校に姿を見せているのだ。進学する大学は既に決まっているという。奈月ははらはらしながら桜と斎姫とを見比べた。廊下を再び折れて階段を上がり始めたところで斎姫がちらりと振り返る。
「世界は龍神だけで成り立っているわけではないのよ」
「わたくしの世界は姫様だけです」
龍神も人もそれ以外も関係ない。そう言いたげに桜がきっぱりと言い返す。四階にたどり着いて生徒会室のドアを開いた斎姫がくすりと笑う。促されるままに部屋に入った奈月は急に立ち止まった桜の背に顔をぶつけてしまった。
ここまで続いている話を読んでいない方には何のことか全く判らない、という状態になっているかと思います。
もし良かったら過去作も読んで頂ければありがたいです<(_ _)>