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「わたしのせいなんですね……。わたしが至らないから……」
呟く奈月の声は涙に揺れていた。震える喉で懸命に言葉を紡ごうとする奈月を翠が強く抱きしめる。奈月はそれだけが頼りという風に翠を強く抱き返した。
「そうです。あなたのせいです。で、どう責任をとっていただけるのでしょうか?」
黙っている学の横で文が嗤いを浮かべて言う。奈月は泣くのを必死で堪えながら震え始めた。
「……わたしが、水輝さんを止めます」
奈月は涙の浮かんだ目で部屋の入り口近くに立つ二人を見上げた。学が痛ましいものを見る目で奈月を見つめる。
「もう、遅いのよ」
静かに呟いた学が疲れたような顔をして微かに笑う。その笑みはとても哀しそうに見えた。
「そうです。もう遅いんです。姫君、あなた、話し合いで解決しようなんて甘いことを考えてらっしゃったりしませんでしたよね?」
文にそう言われて奈月はぎくりと身体を竦めた。
「言ったからには責任取って学さまを護ってくださいね。青龍王と刺し違えてでも」
刺し違えてでも。奈月は文に言われたことを胸の中で繰り返して真っ青になった。それは水輝を殺してでも止めろという意味だ。
「無理です……そんなこと」
考えるのも怖くて奈月は弱々しく頭を振った。水輝に殺されるのは一向に構わない。だが、逆は考えたこともないし、考えたくない。どうして水輝に攻撃出来るというのだろう。そもそも奈月はこれまでに誰かを傷つけようと思ったことは一度もないのだ。
そこまで考えて奈月は目を見張った。傷つけようと考えたことはない。だが奈月が無意識に傷つけてしまった者はいる。かつて紫が必死の面持ちで奈月を罵った時のことを思い出す。あの時の紫は確かに闇に囚われて心が壊れてしまっていた。だが正気を取り戻した後、紫は奈月に言ったのだ。わたしはあれで幸せだったのに、と。
よかれと思ってしたことが誰かを傷つける。奈月はその時のことを思い出して顔を歪めた。
「それでは、さっき言ったことは嘘だったのですか? させませんって仰いましたよね?」
黙りこんだ奈月をどう思ったのか、嗤いを浮かべて文が言葉を継ぐ。堪えきれなくなった奈月の目からは涙が伝い落ちた。
「涙で解決するなら簡単ですね。でも今の青龍王には泣き落としは通用しませんよ?」
「……黙って聞いていれば……ごちゃごちゃと……煩いですね」
ごく小さな声の呟きを聞き取って奈月ははっと目を見張った。床に裸で横たわっていた桜が震える腕を床についてのろのろと身体を起こす。
「それはこっちの台詞です。あなたが傍についていながら。見損ないました」
文が腕組みをして桜を睨みつける。桜はゆらりと起き上がって歩き出した。奈月をまるで庇うように二人の前に出る。
「わたくしは少々お昼寝をしていただけです。あなたに四の五の言われる筋合いはありませんね」
文と同じように腕組みをして桜がつん、と横を向く。
「違います。姫君と話して、あなたが姫君をただ甘やかしていたことが、はっきりと判りましたから。わたし、これでもあなたの事は信頼していたんですよ」
そう言って嗤った文を今度は桜が鼻で笑い飛ばす。
「はっ。笑止! ですね。何ゆえ、あなたごときに姫様にけちをつけられなければならないのですか? たかが己が身、ご自分でお守りになってはいかがです?」
あくまでも強気の姿勢で桜が言い放つ。すると文の表情がほんの僅かに崩れた。だがまたすぐに文が嗤いを浮かべる。
「守ることができたなら、頼ったりしません。事ここに至って、私が学さまにとって足手まといにしかならない事くらい判っています」
文が悔しそうに唇を噛みしめる。それを見た桜は慰める言葉をかけるどころか、笑い飛ばしてみせた。
「さっきのは頼る者の態度でないのではありませんか? 頼む、というのは普通は頭を下げてお願いすることでしょう? しかも何ですか? 青龍王と刺し違えろ?」
ずらずらと言ってから桜ははっ、と乾いた声で笑った。
「何故、わざわざ姫様があの阿呆の青龍王の相手をしなければならないのですか。阿呆で甲斐性なしの青龍王の相手は他の者で十分でしょう」
きっぱりと言い切って桜が胸を張る。
「本当に、事態の深刻さを理解していないのですね」
失望した面持ちで文が言う。すると桜は肩を竦めて言い返した。
「そうかも知れませんね。たかが一介の使い魔のわたくしには事態の全容は判らないのでしょう。青龍王がこれまでとは違うということくらいしか、わたくしには判りません」
何しろ、白銀を刺したほどですから。きっぱりと言い切った桜の背を見つめていた奈月は目を見張って息を飲んだ。
「白銀さんって、あの、白銀さんですか? 白銀さんを、水輝さんが?」
「ちょおっと、待て! 今の話は本当か!?」
奈月の叫びに透の叫びが重なる。足音を立てて部屋に駆け込んできた透が全身で息をしながら鋭い目で部屋の中にいる者たちを見回す。
「淫魔王。あんた、次に殺されるのは自分の番だって言ってたよな? つーことは、既に殺された奴が居るって、そういう事か?」
「白銀クンよ」
それまで黙っていた学が深刻な表情で言う。奈月は真っ青になって慌てて立ち上がった。抱きついていた翠が奈月につられて立ち上がる。
「水輝さんに会ってきますっ、会って聞いてきます!」
そう叫んで奈月は転移術を使って移動しようとした。だが何故か転移の術が発動しない。奈月は救いを求めて抱きついている翠を見下ろした。だが翠はじっと奈月を見つめて黙って首を横に振る。
「転移できねー場所にいるみたいだな、しかし」
白銀の野郎がやられちまうなんて。苦しみの表情で透が呟く。奈月は顔を覆って泣き出した。
「赤龍王は今回の件はご存知ないのですか?」
眉を寄せて桜が言う。すると透はしかめ面をして何かを取り出した。透が突き出した手には一枚の紙が握られている。
失恋の旅にでます
マジックで殴り書きされたそれを見て奈月はしゃくりあげた。
「あんの、バカオヤジっ!!」
力いっぱい叫んで透が紙を丸めて床に叩きつける。よほど怒っているのか、丸めた紙は床に叩きつけられた瞬間に涼しい音を立てて凍りついた。
「あのヒトもねぇ……」
力なく首を横に振って学がため息を吐く。
「優一郎はどうなってるんだ? あいつは、確かあのアホと一緒に居たんだろう? まさか……」
そこまで言った透の顔色がどんどん悪くなる。だが今の水輝のいる場所がどこなのか判らない。どうやら水輝は龍神の持つ探知能力では探せない場所にいるらしい。桜に水輝の動きが判ったのは、どうやら持ち主不在の宝珠を埋め込まれていたからのようだ。だがその宝珠も今はもう影も形もなくなっている。部屋にいた皆は口々にそう話した。
「そういえば」
やっと裸だったことに気付いた桜は、透から強引に奪った白衣を着ている。
「何ゆえ、淫魔王は白銀の件をご存知なのですか」
桜が怪訝そうな顔をして問う。奈月はこの頃には涙を拭いて、どうにか泣き止むことが出来ていた。だがまだ目は赤い。その目で奈月はじっと学を見た。
「え、だってアタシ、淫魔の王だもの」
話しているうちに学の顔にはいつもの人懐こい笑みが浮かぶようになっていた。微笑みを浮かべて言った学を見つめ、奈月は何度か瞬きをした。
「トチ狂ったこと始めてても、やるこたぁ、やってるってワケか?」
呆れたような顔で言って透が鼻で笑う。そうねぇ、と呟いてから学はあっ、と声を上げた。
「でも、セックスすれば判るって訳じゃないのよ。すんごーく、激しい、濃いセックスしてくんなきゃ、判らないの」
さらりと言って学が頷く。その横では文も神妙な顔をして頷いている。
「んで、あのアホのお相手してるのはだれなんだよ。ヘタレモグラか?」
「ううん。判ったのは、白銀クンの時だけ」
透の問いかけに学がまた涼しい顔で答える。その瞬間、透はもの凄く嫌そうな顔をした。続いて桜がうんざりした顔になり、奈月は何故か恥ずかしさに居たたまれなくなって下を向いた。
「あのさあ、もしかして、俺らのも筒抜けなわけ?」
頭をかきながら透が言う。学がああ、と微笑んで頷く。
「この間のアナタと桜チャンとのセックスは凄かったわよねぇ。でも、あそこまでしない方がいいとおも」
「そっ、そんなことよりもですね! さっさと学校の地下に移動しませんと! ああ、いけない! 大変です! 時間がありませんね! さっさと行きましょう!」
学の言葉を遮る格好で桜が声を張り上げて奈月の手をつかむ。奈月は訳が判らないままに桜に何度か頷いてみせた。
この辺りは収まりが悪くて、長めで切ってます。
桜が復活しました。