扉を開けると、中は兵舎だった。篝火に照らされた石造りの部屋の中、ベッドや調度品がいくつも並んでいる。人の気配はない。入ってきたエイナル達三人だけが、今そこにいる全員だ。
「アイツと何を話していたんだ?」
怪訝な表情を浮かべて、ハドバルが尋ねてくる。彼の頭に浮かんでいるのは、袂を分かったストームクロークの戦士、レイロフのことだろう。
「んー……ナンパ、かな?」
答えたのはリーリヤだ。ある意味では間違っていないのだが、正しくとも言い切れない答えだ。しかしハドバルは真面目に受け取ったらしく、「アイツめ……」と忌々しげに呟いている。
その時、ずんと地鳴りが響く。部屋の中が僅かに揺れて、三人ともが息を呑んだ。扉の向こうからドラゴンの雄叫びが聞こえる。あわや崩れるかとも思ったが、しばらくしてもそれ以上のことは起こらなかった。
「……このまま奴が去るまで、ここに籠ってるのは無理そうだな」
エイナルの一言に、二人も頷いた。
「外でも言ったが、いざという時に脱出するために、洞窟と繋げてある場所があったはずだ。そこに行こう。……だが、まずはここで準備を整えた方がいいな」
ハドバルがそう言うと、彼は右手を後ろ手に回し、腰の背側から短剣を引き抜いた。
「まずは縄を解こう。それから、二人は戦いの心得はあるか? こっから先、何が起こってもおかしくはないからな」
「俺は問題ない。渡りの戦士として、用心棒ぐらいはしてたからな」
「私も。剣と魔法なら少しは出来るから大丈夫」
両手を差し出したエイナルとリーリヤの拘束を、ハドバルは短剣の刃でそれぞれ切り落とした。それから辺りを見回す。
「よし、ならここに置いてある剣でも斧でも、ありがたく使わせてもらおう。予備の備えが置いてあるはずなんだが……」
「……なぁ、それって火事場どろ──」
半目になって言うエイナルを、ハドバルは手で制する。
「緊急時故に仕方なし、ってことさ。俺が許可するから、気にするな」
「そーだよ、ここに置いてったってあのドラゴンの下敷きになるだけだよ? 持ってって私達で有効活用した方がいいじゃん!」
彼の言葉に、リーリヤも同調……便乗した。金色の瞳が大きく見開かれて、爛々と輝いている。それをほんの少し呆れた目で見つつ、エイナルは「わかった」と頷いた。彼とて丸腰のままでいるつもりはなかった。
三人は手分けして、部屋の中をあちこち漁っていく。
各兵士に割り当てられたベッドには、収納箱も備え付けられており、それらを開いては中身を検めていく。取り出した品々を確認しては、使えそうなものを選び出した。
しばらくしてから、三人で集めたものを一箇所に集める。ベッドのシーツの上には、剣や傷薬、清潔な衣類が並べられた。
「これだけあれば充分だろう。後は向こうに立て掛けてある鎧も使ってくれていい」
ハドバルが顎をしゃくって部屋の隅を指し示す。そこには鎧立てが並べられていて、ちょうど二着分の革鎧が残されていた。
「それは良いけど……着替えってどこでするの?」
リーリヤが尋ねると、ハドバルは「え?」と目を丸くし、やがてその意図を悟って慌てふためく。
「あ、あぁ! そうだったな! もちろん、ちゃんと配慮はするとも!」
そう言うと、彼は部屋の奥にある扉を指差した。
「部屋の外を見張ってるよ。準備を終えたら呼んでくれ」
ハドバルがそのまま向かいの扉まで歩いていく。エイナルも自分の分の着替えを抱えて彼の後に続いた。
が、それをリーリヤが肩を掴んで止める。
「ちょっとちょっと、何処行くの」
「……何処って、ハドバルのとこだよ。俺までここで着替えるわけにもいかないだろ?」
「わざわざ向こう出てって着替えるの手間じゃない? こっちで着替えなよ」
あっけらかんと言うリーリヤに、エイナルは眉を潜める。先へ行こうとしていたハドバルも、足を止めて振り返った。
「……君らはそういう関係だったのか?」
「初対面だよ」
「そんな、私達さっきまでお互いの命を預け合った仲じゃない……!」
よよよ、と芝居がかった動作で泣き真似をするリーリヤ。それを尚もエイナルはジト目で見下ろし、ハドバルはその二人の様子を見て苦笑を浮かべる。
「まあ何でもいいさ。俺は向こうにいるから、終わったら呼んでくれよ。……言っておくが、ゆっくりしてる時間はないからな?」
最後に意味深な念押しを言い残してから、再びハドバルは奥の扉まで向かい、今度こそ出ていく。エイナルは深くため息を吐いた。
「……何の真似だよ」
「ん、別に? ハドバルさんには向こう側見張ってもらいたいから出てってもらったけど、エイナルだってさっさと着替えた方がいいでしょ? それだけ」
けろりとした顔でリーリヤが半目になったエイナルを見上げる。
「一応聞くけど、男女で一緒に着替えるってのはシロディールかブレトンの風習か?」
「まっさかぁ~! そんな慎みのないところじゃありませんことよ」
「お前俺のことからかってんのか?」
小馬鹿にしたように笑うリーリヤを見て、エイナルは思わず拳を固めた。それを、彼女は「まあまあ」と何食わぬ顔でなだめる。
「私だって気にしないわけじゃないよ。ちゃんと恥じらいの心を持つ乙女なのです。でもまあ、エイナルは信頼できそうだし、そんな人を追い出すのも悪いかなって」
リーリヤは言うと、ベッドの上の衣服を手に取る。鎧の下に着ることを想定した、簡素な麻服だ。彼女はそれを胸の前に抱えて、ビシリと指を差し向けた。
「というわけで! 私が着替えてる間は後ろを向いてもらいます」
「……言われなくてもそうするよ」
「お、素直だねぇ。そんなこと言って、こっそり見たりはしないの?」
「見られたいのか?」
「
「ボコボコって……」
そこまで言うならやっぱり外で着替えた方が良かったんじゃないか。エイナルはそう考えたが、これ以上問答していても埒が明かないと気づき、むっつりとした表情でリーリヤに背中を向ける。今もハドバルが準備を終えるのを待っているのだ。
さっさと着替えてしまおう、とエイナルが勢いよく服を脱ぐ。身にまとっていた襤褸の囚人服の下から、筋骨隆々の素肌が現れる。後ろからジッと見つめていたリーリヤが声を上げた。
「わあ、逞しい~! やっぱりノルドの人って凄いなぁ。背中までムキムキじゃんね」
「おい! そっちは覗くなって言ったくせに、ジロジロ見るなよ!」
エイナルが声を荒げる。少女の勝手気ままな言動で募った苛立ちを吐き出すように、強い語調で言い放った。
「あはは、ごめんごめん。あ、じゃあお返しにこっちもほんの少し見せようか?」
だが、とんでもない提案が返ってくる。着替えの服を取ろうとしたエイナルの手が止まった。
「……聞き違いか? 何を見せるって?」
「え、だから……下着姿を、ちょっとだけ」
自分で言ってて恥ずかしくなったのか、尻すぼみになる少女の声。
「やっぱり見られたいのか?」
「だーかーらー! お詫びのお返しだって! 見るなって言った私の方ががっつり見ちゃったんだから不義理でしょ! ほら、いいからこっち向けーっ!」
彼女自身、引っ込みがつかなくなって自棄になっている部分もあるのだろう。逆上したリーリヤがつかつかとエイナルの背中に早足で歩み寄り、その身体をグッと掴んで振り返らせた。
抵抗する間もなかった。少女の腕力は見た目から想像したよりも強く、エイナルはされるがままにくるりとその身を半回転させられた。
半裸姿の青年と、囚人服を未だ身に纏った少女が向き合う。
「そのまま、待機。いい?」
「お、おう」
頬に赤みが差した、強張る顔で少女はエイナルに言う。その勢いに押され、エイナルは頷いてしまう。
すると、少女はゆっくりと後ろへ下がった。充分に距離を開けてから、ボロボロのチュニックの裾を両手で掴み、深呼吸を一つしてから勢いよく引き上げる。
捲り上げられた布地の下から露わになるのは、真っ白な肌色だ。ほっそりと引き締まった白い腹部が、エイナルの目に映る。未だ下衣を穿く腰下から、徐々に外気に晒される臍上にかけての、綺麗な輪郭まではっきりと。
だがそれよりも目を惹くのは、黒地の下着に覆われた胸部だ。元々囚人服の上からでも存在感のあった膨らみは、実際目を見張るほどに豊満だった。肩回りや腰回りは華奢に収まっているというのに、それと不釣り合いに実った巨乳だった。
「ど、どうよ?」
襤褸服を脱ぎ終えたリーリヤが、恐る恐る問いかける。完全に思考を放棄していたエイナルは、その声でようやく気がついた。
だが、何と答えればいいのか。彼女と同じように褒めればいいのだろうか? そもそもどうしてこの状況になっているのかも、理解が追いついていない。
「えと、まあ、その…………いいと思う……?」
「何で疑問形なのッ!」
結局、煮え切らない返事をしたエイナルの顔に、リーリヤは脱いだばかりの襤褸布を叩きつけた。
「ほら、さっさと後ろ向く! 早く着替えるよ!」
「何だったんだ……」
ぼやきながら、エイナルは再び背を向けて、頭にかぶった襤褸布を剥ぎ取る。リーリヤもそれを見てから、真っ赤に染まった頭を振って、青年と背中を向け合うように振り返った。
互いに着替えながら、ふとエイナルが問う。
「というか、この襤褸だって帝国軍に着替えさせられたモンだろ。そいつらには見られなかったのかよ」
「……見られた。思いッ切り」
唇を尖らせて、リーリヤが答える。声には怒りが滲んでいた。
「アイツら私を取り囲んで、身包み全部脱ぐように言ってきたの。流石に下着は許されたけど、ニヤニヤ見て来たし…………あ~! 段々ムカついてきた! やっぱりレイロフさんと一緒にあいつらギッタギタにすれば良かったかも!」
「ギッタギタって……」
着替えながら、エイナルはこっそりと微苦笑を浮かべる。リーリヤは感情の忙しない少女だ。ほんの少し苛立つところもあるが、それも一つの愛嬌というやつだろう。
つまるところ、青年は少女との会話を楽しく思っていた。
「なら、なんでハドバルの方についていくことにしたんだ? 迷いもせずに」
「え? んー……そりゃ私を捕まえた人達には嫌な思いさせられたけどさ、ハドバルさんが悪いわけじゃないし、乗り換える理由はないでしょ」
「あの場でレイロフともストームクロークの連中とも敵対したようなモンなのにか?」
「そーなんだよねえ……ちょっとの間とはいえ、同じ馬車に乗り合わせた人だし、あんま戦いたくはないかなぁ。……でもさ、それを言ったらハドバルさんなんて尚のことじゃない? 見た感じ、レイロフさんとは友達か何かだったっぽいし」
平服を着て、下衣を履き替えるリーリヤ。彼女の指摘には、エイナルにも心当たりがある。二人の間には、明らかに単なる敵対以上の確執があった。
「あの二人に何があって、どんな経緯で別々の立場になったかなんて知らないけど、レイロフさんと比べたらハドバルさんって結構繊細そうな人でしょ? 私達を巻き添えで処刑するってなった時なんか、凄く罪悪感持ってたみたいだし。
友達と絶交する羽目になって、ここでそんな私達にまで見捨てられるってなったら、絶対傷つくじゃん。そういうのは
「それがハドバルを選んだ理由か」
「そそ。……もしかしてエイナルはレイロフさんの方に行きたかったとか? だったらごめんね。あ、私着替え終わったけどそっちは?」
「……俺も終わった」
互いの着替えが終わったのを確認してから、二人は向き直る。エイナルもリーリヤも同様に、簡素な意匠の麻服だ。鎧下としての着用を想定しているためだろう、上下に分かれた長袖ながら、とても動きやすい。
「じゃあ、後は向こうの鎧だね」
「ああ。……それとなリーリヤ。俺はあの時どちらかを決められずに迷ってた。苦手なんだ、自分の意志で何かを選ぶって」
エイナルが口にしたのは、さっきの話の続きだ。
「だから、まあ……お前が代わりに言ってくれて、助かった」
「いいよ~……でも、そっか。エイナルって優柔不断なんだね」
「お恥ずかしいことにな」
「それなのに、私のことは助けてくれたんだ?」
にんまりとした顔でリーリヤがエイナルを覗き込むように見てくる。その目が、言葉が、青年の胸にそっと手を差し込んだかのようだった。
「あ、あれは……」
エイナルは口をつぐんでしまう。
阿鼻叫喚が渦巻く、燃え盛る砦の中で、エイナルはリーリヤに駆け寄った。自分の命よりも、彼女を助けることを優先した。彼女はそのことを言っているのだ。
だが、青年がしたことはそれだけではない。エイナルがリーリヤの下へ駆け出したのは、彼女が断頭台で首を斬られる寸前だった。
あの時、ドラゴンの襲撃でうやむやにこそなったが、そうでなければ、エイナルはリーリヤの処刑を止めようとしたのだ。果たされることはなかったが、その無謀、その愚行は、確かに彼自身が選んで示した意志だった。
どうしてそんなことをしたのか、なんて──
「……ほら、そんなことより早く準備を済ませちまおう。ハドバルが待ってる」
「あ、話を逸らすなぁー! ねえなんでなんでー⁈」
強引に話を打ち切り、エイナルはリーリヤから踵を返して鎧立ての方へと歩いていく。
装備を身に帯びて、準備を終えるまでのしばらく、彼女からの追及を無言で跳ね除け続けるのであった。
ガチャリ、と音を立てて扉が開けられる。
兵舎の扉の向こうは細長い廊下だ。その入り口側で、奥から誰か来やしまいかと見張っていたハドバルは、背後の音に気づいて振り返った。
「ようやく来たか」
扉から出てきたのは、革鎧に身を包んだエイナルとリーリヤだ。帝国軍で支給されている、北方式の装備。それを帯びる二人の腰の左手側にはそれぞれ、ハドバルと同じ量産型の鉄剣が携えられている。加えて、リーリヤの方は右手側に短剣も佩いていた。
両者の鎧姿を眺めまわしたハドバルは、満足そうに頷く。
「問題なさそうだな?」
「そんなことないよー。私の鎧、これちょっとぶかぶかしてるし」
「はははっ! 男物だったからな、しょうがない。砦を出るまでの辛抱だと思ってくれ。……エイナルの方はどうだ?」
「俺は大丈夫だ。鎧のサイズも問題ない。が……」
話を振られたエイナルは、チラリとハドバルの後ろを見る。後ろというよりも、その背に負った弓の方だ。
「差し支えなければ、そっちの弓と矢、ちょっと借りられないか? 剣は苦手じゃないんだが、出来れば弓を使う方がいい」
「ん、そういうことか。構わないぞ。そんなに大したことのない、安物の支給品だがな」
エイナルの提案を、ハドバルはいともたやすく快諾した。矢筒の帯を外し、弓と一緒に差し出す。
「悪いな。後で必ず返す」
「気にするな。俺は俺で弓が苦手でね。使える奴に使ってもらった方がいいだろう。……とはいえだ。俺達の目的はあくまで脱出。ストームクロークも紛れ込んでるだろうが、無駄な戦いは避けた方がいい」
ハドバルはそう言うと、踵を返して通路の奥へと歩き出した。エイナルとリーリヤもその後ろへ続く。
突き当たりには角があり、そこを曲がった先には広間があった。通路との境は木製の格子で区切られており、それを操作するための仕掛けが近くの壁に取り付けられていた。ハドバルはそこに近づこうとして、ピタリと止まる。
「どうした、ハド──」
足早に近づこうとしたエイナルへ、ハドバルは『止まれ』と言わんばかりに手の平を向けた。それを見てリーリヤと共に足を止めると、通路に静寂が満ちる。その中で、奥の広間から声が聞こえてきた。
「ぐずぐずするな! あのドラゴンに砦を潰されるかもしれないぞ!」
「ちょっと待ってよ……外であれだけ走り回ったでしょ……」
「こんなところで留まってたら、いずれ帝国軍に囲まれちまうぜ」
男の声が二つに、女の声が一つ。会話から察するに、恐らくはストームクロークの連中だろう。エイナルとリーリヤは息を潜めながら、忍び足でハドバルの近くへ寄る。
「……聞こえただろう、奴らだ。説得すれば協力できるかもしれない」
「大丈夫ー? あの人達めっちゃピリピリしてるみたいだけど」
「俺は帝国軍だが、同じノルドだ。それで多少は押し留まってくれるだろう」
自信ありげにハドバルは言う。果たしてそう上手く事が運ぶだろうか。そんな不安が二人の脳裏をよぎった。
ハドバルは通路の出口の壁に設けられた鎖の仕掛けを引っ張って、閉じられていた格子を開く。その音に気づいたのか、広間の空気に緊張が走った。彼は相手を刺激しないよう、ゆっくりと足を踏み出して部屋に入る。
一方、エイナルとリーリヤは部屋に踏み込まず、ストームクローク達に姿を見られないよう、陰に隠れていた。青年は背中の矢筒から矢を引き抜いており、少女も長剣の柄に手をかけている。ストームクロークの前に出てきたのは、無防備なハドバル一人だけだ。
「帝国兵……!」
入り口から一〇歩分は離れた距離に、ストームクロークの三人はいた。彼らはハドバルの鎧姿を見るや否や、武器を手に取る。
男の一人は身の丈ほどの刃渡りがある大剣を背中から抜き、もう一人は腰に携えた二振りの手斧を構える。女の戦士は剣と円盾をそれぞれの手に握りしめていた。
対して、ハドバルは剣を納めたままだ。餓えた獣のように血走った目をしている、三人の前で。
「待ってくれ。争いに来たわけじゃない、俺達は──」
「死ねぇッ! 帝国の狗がアァ!」
処刑の憂き目に遭い、ドラゴンの脅威から命からがら逃げ延びて、冷静さを失っていた彼らにハドバルの声は届かない。双斧を握り締めたストームクロークの男が、飛び掛かる狼のように彼の下へ
駆け出した。
その時、二つの影が広間の入り口から飛び出てきた。