レズビアーカイブ 作:フレナハテス
湿った空気が身を包む。
頬や額からたれた雫が、顔を全体を伝っていって…落ちていくのを感じる。
羽織っているコートが、やけに重く感じる。ジャケットも、ブーツも、水を吸って気持ち悪い。
──デストロイヤー、問題無く動くかしら。
空転………よし、問題ない。よかった。
「夜間、かつ雨天下での待ち伏せ作戦……体調が心配になりますね。委員長、大丈夫ですか?」
眼鏡が雨粒で台無しになるせいか、珍しく眼鏡を外しているチナツが、心配そうに声をかけてくれた。
……私なんかより、他の皆を気にかけてほしい。
なんて言うと誤解を招きそうだから──
「私は大丈夫。それより、他の皆の体調を診てあげて。連日働き詰めで、きっと疲れてるから」
「ですがそれは委員長もっ…!」
……あぁ…そういえばそうかしら。
最後に寝たのがいつだか思い出せないわ──たしか、委員長室のソファで仮眠をとって…それっきりだったかしら。
………それが何日前の何時か、を思い出せないし、覚えていないのだけど──その寝起きも、マコトに叩き起こされて……
あぁ、頭が痛い。それどころじゃないのに。
「うん──ありがとう、チナツ。安心して、私は慣れてるから。だけど、隊の皆は今の環境にも連勤にも慣れていない。全員が作戦の一部だから、彼女達のケアはチナツにしかできない──だから、お願いね」
「──わかりました。委員長も、体調が優れなくなったら、無理せず即座に撤退を」
「わかった」
軽く会釈だけをして、チナツは人が最も多いポジションへと移動を始めた──これで、ここには私一人。
……慣れない、スナイピングポジションを務めている。本来ならイオリが就くはずだけど、別の現場で活躍中だから。
出力を調整すれば、デストロイヤーでも狙撃はできる。加えて、今いる場所からは、待ち伏せているターゲットがどういう動きをしようと──確実に対処できる。
だから、私が居る。
「……だけど…ずっと立ちっぱなしだと、流石に寒いわね──もう少し厚着してくるべきだったかしら」
『──聞こえますか、委員長』
頼れる行政官の声──ターゲットに動きがあったのかしら……それとも。
「ええ、聞こえているわ」
『ターゲットが包囲網の突破を始めました。攻撃をお願いします』
──どうやら、狙撃しなきゃいけないようね。
めんどくさいけど、仕方ない……そうしなきゃ、奴らはずっと引きこもって、もっとめんどくさくなるから──
「了解。アコ、敵の配置は?」
『委員長から見て──1時に金髪、2時にブロンド、12時に赤髪。包囲網は1分ほどで突破される予想です』
……人質のフウカと先生が居ない?それに、ハルナが見当たらない──嫌な予感がするわね。
「……まあいい。攻撃を開始する──アコ、人質2名と主犯を探しつつ、救急医学部に連絡を」
『やっています』
セーフティ解除──出力最大──空転開始──羽を広げ、重心を整え、反動に備えて……狙撃しやすい姿勢へ。
あとは引き金を引くだけ。
まずは、獅子堂イズミ──命中。
次に、鰐渕アカリ──命中。
最後、赤司ジュン──
『委員長!!主犯が人質2名を連れて車両で逃走中です!!そちらから目視できるかと!!!』
即座に建物の屋上から飛び上がり、周囲を見渡す──結局……プランAとB、どちらもやる羽目になったわね。
ジュンコ1人なら向こうで対処できるだろうし……めんどくさい事になる前に、先生とフウカを助けないと。
──見つけた。
給食部と書かれた、車両のボンネットへ急速降下し──着地。同時に、運転席のハルナへ銃口を向ける。
……着地の衝撃で車両と地面が壊れたけど、結果的に追い詰めることに成功した。
「黒舘ハルナ──投降し、人質を解放しなさい。貴方の仲間は全員無力化済みよ。もちろん、逃げ場は無いわ」
「ふふっ……ええ、お手上げ侍ですわ」
その後…先生とフウカの拘束を解いて、逆にハルナとジュンコを拘束し、イズミとアカリは救急医学部によって輸送される事になった──これで、美食研究会が引き起こした誘拐事件は解決した。
そうこうしているうちに雨は止んで……深夜の暗闇と、肌寒い空気だけが辺りに残っている。
「いつも迷惑かけるわね、セナ」
「いえ、死た…患者が増える分には問題ありません。そちらこそ…ゲヘナの治安維持、お疲れさまです」
「ありがとう…じゃあ、2人をお願い。治療したら、風紀委員会本部の地下牢に送っておいてくれると助かる」
「了解。では、私はこれで」
セナとの会話は楽ね…皆が彼女のように大人しければ、最近みたいな長丁場の現場は少なくなるのだけれど──いや、ゲヘナ学園にそれを期待するだけ無駄ね。
「あぁ………部の車が……」
「──すまない、フウカ。壊してしまって…」
「あぁいえ、ヒナ委員長のせいじゃないですよ……それに──もう、慣れちゃいましたから………」
とは言うけれど……大きい溜め息と、悲壮感漂う彼女の表情は…見るに堪えない──あぁ、そうだ。
「愛清フウカ──
「えっ……良いんですか??!」
ま、眩しい笑顔──良かった。これで喜んでくれるなら、アコかチナツに書いてもらおう…都合悪そうなら、私が書けばいいし。
「ええ、風紀委員会からのお詫びだと思ってくれれば、それでいいから。万魔殿は風紀委員会からの書類以外は、ちゃんと対応すると思うから」
「あ、あ、あ、ありがとうございます!!このご恩は一生忘れません!!!」
「いや、補填だから…お返しは要らないから」
幸いにも荷台に積まれていたスクーターが無事だったためか、フウカはそれに乗ってそのまま帰って行った。何度も振り返ってはお辞儀をされた。
「……ふぅ。これで一段落かしら──」
「ヒーナちゃんっ♡」
「はひぃぁッッッ??!!!」
せ、せせせせ先生の声がッ…とととっ突然──み、耳元からっ……!!?フウカが見えなくなって、落ち着いたところでの不意打ち……もうっ。
「せっ、先生っ……やめてよ、もう…」
「えへへー。驚くヒナが見たっくて」
無邪気に笑う先生は、さっきまで監禁されていたのが嘘だったかのように振る舞う──いや、先生の事だから…どうせフウカやハルナ達との会話で、
「先生も物好きね……それより、なんでフウカと一緒に、美食研究会に誘拐されてたの?」
「あぁ、それ?フウカと料理の練習してたら……"おふたりには、真の料理というものを教えて差し上げますわ!!"なんて言われて──いっしょに拐われちゃった。てへ」
「てへ、じゃないわよ…もう」
あぁ……なんだか、幸せだな。
先生と話してる時だけじゃない…この、至って普通の会話をしてる時──ひとりじゃない、と思えるからかな…すごく、落ち着く。
『ヒナ委員長、聞こえますか?』
「アコ──どうしたの、また事件?」
『いえ、全部隊撤収完了の連絡です。同時に、ようやく通報も事件も全て収まりました』
────……ほっ…長かったぁー………
「──ふぅ。お疲れさま、アコ。貴方も休んで」
『はい!迎えに行きますね!!』
「ちょっとアコ、話聞いて──」
──切られた…はぁ、ああなったアコは止まらないからなぁ……もう言葉に甘えて待つしかないか………
「ん?アコちゃんがどうしたの?」
「あ、えっと…先生は、このあと用事ある?」
質問を質問で返しちゃったけれど──先生は何やら考える素振りを見せた後…何かを企んだかのような顔を見せて……
「ううん、シャーレに帰るつもりだけど」
「じゃあ…アコに送らせようか?もうこんな時間だし、電車も動いてないでしょう?」
「あぁ、うん…そこは大丈夫!明日当番の子がなんとかできそうだから、連絡してみるよ〜」
かわされてる──意地でも私を頼らない気だ。
先生がそうしたいなら良いけど……
私は、先生の力になりたい。
「……顔に出てるよ、ヒナ」
「えっ──」
「そんなに力になりたいなら…こうだ〜!!」
先生がそう叫んだ瞬間……先生の両腕が、
「ッッッ──?!!」
同時に…背後──後ろ髪に異物感を感じる──私が知ってる先生なら……この後…ッッッ!!!!
「やめて先生っ!!!ずっとお風呂入ってないからッッ!!!雨が乾いた臭いでくさいから!!やめて!!!!嗅がないで!!!!!」
「スゥゥゥゥゥ…ハァァァァァーーー……スーハースーハースーハースーハースハスハスハスハスハスハスハ──」
このッ…!!私の胸を揉みながらっ……!!!
あぁっ……もうッッ!!!!!
「やめてっ…て──言ってるでしょッ!!!」
思わず反射的に、デストロイヤーの銃床で腹を軽く叩く──すると、先生は大砲でも食らったかのように地面にうずくまった。
「ぐえ──お゛っ…お゛ふッ……あっ、雨上がりの…日向の匂い………ごへぁ……」
血反吐を吐いてるわけじゃない──なら大丈夫。それくらいの痛みは受けてもらわないと気が済まない。
……でも、そこまでされると…ちょっと──もやもやする…私なんかじゃ、力不足なのかな。
そう思っていると──遠くから車のエンジン音がして……振り返ってみると、アコが乗っている迎えの車だった。
「委員長、お待たせしました!お迎えにあがりまし──って、先生??まだ現場に居たんですか?!!」
「あ…アコちゃん……や、やっほ〜…☆わ、私……死にそ〜☆」
「……おおかた、委員長にセクハラでもしたんでしょう?そうなって当然です。羨ましい」
「あ、アコ……?」
お腹を押さえて、情けなく悶絶している先生が、気絶したのを確認して──アコは私の手を取って、真っ直ぐに見つめてきた。
「え…えっと……アコ?」
「委員長──たった今から、おやすみまで……私がサポートしてもよろしいでしょうか?」
「──は?」
……突然言われたことの意味がわかっていない──わかっているのは…アコの手が震えてる事から、相当緊張して提案している、ということ……
「それ──って………」
「委員長…最後に寝た日、覚えていますか?」
「──えっと」
「覚えていませんよね。10日前です。以降、簡単な数十分程度の仮眠しか取れていません」
「………そ、そんなに起きてないから──」
「いいえ。私が委員長の事で間違える事はありません。服、靴、下着のサイズからスリーサイズ、終焉:デストロイヤーの点検周期、私服、パジャマ、勤務スケジュールまで──あらゆる委員長を知り尽くしている私が、委員長の生活リズムを把握していない訳がありません」
え…あ、アコに……下着はまだセーフ──じゃないけど──だとして、スリーサイズまで…知られてるの?!!
せ、先生よりヤバいかも…しれない……!!
「その…あ、アコ……もし…貴方のサポートを、私が断ったら……どうするつもりなの?」
……アコの表情が、だんだん暗いものになっていく──待って、そんな顔の貴方が見たいわけじゃない…言葉を間違えた?でも、何をされるのかわからない以上──
「……私は…委員長を──皆が寝てる間も戦ったり、あのバカタヌキ共にうざ絡みされたり、誰かの代わりを平然と務めたり──そんな委員長を…めちゃくちゃになるまで甘やかしたいんですよ!!」
「アコ…ちょっと……!?深夜テンションが過ぎるわ──落ち着いて……!!」
「いいえ!!!いくら委員長でもできない相談です!!!私がどれくらい苦しんでいたか、わかりますか?!ええわからなくて結構です!!委員長は私の事を気持ち悪い女と思って頂いて構いません!!!ご褒美なので!!!!」
すごい剣幕で話してきた──いや、これは…アコもアコで、壊れてる気がするわ……たぶん、私ほどではなくても、あんまり寝てない──顔が近くまで来てわかったけど、すごく目のクマがひどい……たぶん、私はもっと酷いのかもしれない。
「……す、すみません…委員長──部屋まで送って帰りますね…調子に乗ってすみません」
握っていた手を離し、目元を前髪で隠したアコは──そのまま車の運転席へと乗り、エンジンを掛け直した。
……天雨アコ。
自意識過剰な時もあって、それに伴う思い込みも激しくて、余計な事もしたりするけれど……大切な──私なんかを慕ってくれる……仲間。
あんな、自信がなさそうなアコ……何度か見たことが──いや…無いかもしれない。
「………ねむ」
急に──眠気が………これは、確かに……アコは私の事を、よく…知ってくれている──かも。助手席へと…ゆっくり歩き、ドアを開き……座る。
「──委員長、そこは助手席ですよ?」
「……サポートしてくれるんじゃなかったの?いつもの風紀委員会の仕事みたく、私の…おやすみまで」
……なにも、そこまで驚いた顔しなくても。はぁ…やっぱり、こういうところは──ちょっと呆れるわね。
そこが可愛いところ、と言えばそうなのかも。
「あ、あの……良いんですか?」
「安全運転でお願いね。飛ばしすぎないで」
「っ…!は、はいッ!!ヒナ委員長!!!」
車が走り出す。景色が動き出す。
そして、今になって──抑えていたはずの眠気が襲いかかってきた………アコ…意外と……運転が…上手い──