第10章【遥かなる地下世界】の少し前。
「どうして……?」
胎児モニターに心拍反応がない。
前回の診断までは問題なく成長していたのに。
「絶望したのだろうな」
ベッドに横たわったウーシアさんが目を閉じたまま呟いた。
「……絶望、ですか?」
「子供は生まれることを本能的に恐れるそうだ。安全な母胎から切り離されることに不安と恐怖があるらしい」
「詳しいんですね」
「我も母親になるにあたり色々と調べたのだよ。そういう説もあるという話だ」
彼女はそう言いながら下腹を撫でた。
まるで生まれてこれなかった赤子を撫でるように。
「我々サンドリヨンは人とスパイラルの中間の存在だ。その子もまた同じだろう」
理屈としては確かにそうだ。
ましてやサンドリヨンと人との間の子供でもある。
「君の専門分野だろう。まだどちらでもない不安定な存在が心を絶望に冒されたらどうなる?」
「スパイラルに、なる……」
「そういうことだ」
ふぅ、と溜め息をついて彼女が続ける。
「生まれる前にスパイラル化したせいで不活性なのか、スパイラルとして生まれてくるだけの力さえ持てなかったのかはわからないがね」
「……残念です」
ウーシアさんでもこうなったのなら、もし私が身籠っても――
「イーロンの子供を産めないことが、か」
心の底を見透かしたような低い声。
足元が崩れていくような不安感。
「心配しなくてもあの男は喜ぶさ。力こそ弱くてもこの子は『ラストレガリア』だ。むしろ良く産んでくれたと言うだろう」
「ウーシアさんは、それでいいんですか」
「君がそれを聞くのか?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべて彼女は笑った。
「我はイーロンと同じ真理の探求者だよ。いいも悪いもない、使えるものは何でも利用するだけだ」
「ウーシアの処置はおわったか?」
「はい、先生。今は安静にしていらっしゃいます」
「そうか。生まれた『レガリア』はどこにある?」
「こちらです」
病室に目もくれず、まっすぐ研究室に入ると先生はウーシアさんの子供を手に取った。
掌に乗るくらいの、小さな碧色の結晶。
どこかオタマジャクシのような形にも見える。
「ふむ、こんなものか」
つまらなそうにつまみ上げると、先生はそれを実験用スパイラルの檻に放り込んだ。
「え?!」
パチ、と静電気が放電するような音をたててスパイラルが姿を消す。
檻の中には割れた結晶が転がっている。
「やはり欲望を持つ前の魂では『ラストレガリア』にはなれんか。これならまだ母体の方が執着心のぶん可能性は高そうだ」
先生がこっちを見た。
「私はまだ……」
「勘違いするな。サンドリヨンの仔のデータならもう十分に足りている」
周囲に聞こえないように声をひそめて先生が囁く。
「ネズミが嗅ぎ回っている。いずれここも突き止められるだろう。お前は機密文書をまとめて隠れ家に行け」
ノイズ本部はピリオドに見つからないよう偽装されている。
それが突き止められたのなら、相手はゲーゼルシャフトの人間だろうか。
「先生はどうするんですか?」
「私はまだここに用がある」
「ウーシアさんは……」
「ウーシアはどうせゲーゼルシャフトから離れられん。気にするな」
それは分かってる。
でも、今の弱った彼女を放っておくわけには……
「カルマ」
「……わかり、ました」
「それでいい」
私がウーシアさんを見たのは、それが最後だった。