【推し】のアラサー 作:MEM推し
星野アクアマリンは転生者だ。
雨宮吾郎という産婦人科医だった前世を持ち、何者かに殺され、推していたアイドルの双子の子として転生するという摩訶不思議な経験をした。双子の妹も前世がある人間だというのだから驚きだ。
そんな彼の二度目の人生は順風満帆。子役としてデビューしていくつかの映像作品に出演し、子供服のモデルにもなり、世間的にも知られる子役となった。なにせ父親はわからないものの母親は一世を風靡しようとしているアイドル。彼女がセンターだからこそ成り立っているアイドルグループなんて言われるほどなのだからその美貌は推して知るべし。
そんな彼の最愛の母、星野アイは殺された。しかも前世で最後に自分を殺した男に。
アクアが転生する前に担当した患者が星野アイだった。彼女は素性を隠して東京から遠く離れた宮崎まで来て出産しようとしたところ、なぜかアイのフルネームを知るストーカーによって崖から落とされて死亡した。
アクアはそのことに危機感を持ったものの、彼は幼すぎた。いくら大人と同じ頭脳と精神を持っていようと、所属する事務所で貢献しようと、彼はまだ四歳。そんな四歳がセキュリティを強化しようとか、こいつは危ないから気を付けようなどと言っても信用されるものか。
同じ境遇の妹とできるだけ協力してアイを守ってきたつもりだった。新居なんて知る人間は社長夫妻と星野家だけで事務所の誰にも伝えていないというのに、そのストーカーは部屋を突き止め、ナイフで刺した。
そんなバカなことがあるのかと。
一流のセキュリティを誇る、とまでは言わないまでもそこそこ良い値段のする高級マンションだった。入館するにも手続きが必要で、簡単に侵入のできないようなマンションだった。
警察が調べているものの確たる証拠が出てこない。
何故か認証のあるエントランスの自動扉を平然と通過できて。
何故か花束なんて持っていたというのに住人の誰もが通報したり怪しまれることなく上層階である星野家の前まで到達し。
何故か血痕が付いているはずなのに現場から遠く離れた自宅まで逃げ切り、自殺したのだという。
アクアは何がなんだかわからなかった。
確かにドアチェーンを付け忘れたアイの不手際もあるだろう。相手を確認せずに扉を開けたのは問題だ。この頃はまだ怪しいセールスや不審者が家へやって来るという犯罪者の怖い思考回路や手段があまり浸透してなかったこともあるだろう。
ご近所づきあいも引っ越したばかりだから全然なく、家にやってくる人間が通販業者か知人しかいない交友関係だったということもあるだろう。
だが、何もかものピースが埋まったかのように完璧なタイミングと舞台を作り上げることなんて、そんな偶然があるだろうか。
何か一つでもズレていれば、アイは無事だった。だが現実としてアイは殺された。
葬式も済み、その際に殺したストーカーの男が元ファンだったとはいえアイの住所を特定できるような能力や立場があるわけではないということがわかった。捜査関係者の発表では自宅に入るアイの姿を偶然見付けて、犯行に及んだのだろうとのこと。
住んでいる場所も遠く、駅からも離れ、近くに事務所があるわけでもないのにどんな偶然があれば引っ越して一週間程度のたまたま外に出たタイミングで見付けることができるのか。
アクアとしてもそんな偶然で片付けられる話ではないと察していた。アイの周囲の人間がバラしたか、アイ自身がバラした情報を用いて住所を特定したというのはわかっている。だがその相手を特定できずにいた。
一番有力なのは自分たちの父親。名前も知らない、生物学上の父。アイとそういう関係になれるほどに近い人間であれば住所をアイに教えられてどうこうできた可能性はある。
あとは事務所関係者。同じB小町ですら怪しい。軋轢があるアイドルグループなんてよくある話だ。そしてグループの中でもアイは圧倒的だった。ドームライブまで行ったというのに、苺プロの業績の1・2トップがアイとアクアだった時点で察せるだろう。
そして芸能界で関わった人たちの中でも、もしかしたら知る機会があったかもしれない。そう考えると犯人を絞り込めない。せめてストーカーとの通話履歴やメールのやり取りなどが見付かれば話は早いのだが、そんなものが出てくる雰囲気はなかった。
母親であり、推しだったアイが亡くなったことで妹のルビーは意気消沈。それこそ布団に包まって出てこれない日が続いた。
アクアは元大人として、気丈に振る舞った。殺人事件が起きた物件など居続けることはできない。だから引越しの準備をしている時のことだった。
アクアとルビーの養父となる、苺プロの社長の斎藤壱護が失踪した。
書き置きもあり、全てを捨てていなくなった男に妻のミヤコは愕然とした。会社のことも、家庭のことも全てほったらかしにしていなくなったこの状況に、ミヤコは腰が抜けていた。ミヤコが落とした書き置きをアクアは拾ってその中身を読んで、アクアは血の気が消えた。
社長がいなくなったことで会社の運営は破綻する。業務と肩書きなどの引き継ぎもなく、結婚しているミヤコと離婚することもなく残された社長夫人と子供が二人。
ミヤコが先日、「私たちの子になりませんか?」と誘ってくれたばかりだ。その言葉でどうにかルビーが立ち上がろうとしていた矢先のことだった。
これから苺プロも、星野家も路頭に迷いかねない。元々弱小事務所であり、ドームに行けたのもアイという個人が芸能人としてのステータスが高すぎたことが要因だ。その稼ぎ頭一人でどうにかしていたのに、その当人はいなくて業界へのアプローチをしていた敏腕社長は夜逃げ。
アクアがルビーを守れる手段は、限られていた。
「ミヤコさん。僕が稼ぐ。もっともっと、仕事を入れて」
「アクア、あなた……」
「幼稚園なんてどうでも良い。むしろ行かない方が子役に集中できる。役者に拘らなくて良いから、とにかく仕事をしないと」
苺プロとしては徐々にアイドル部門を縮小。それからミヤコでも手を出せそうなネット関連の配信者を育成する方向へ舵を取った。子役を増やすことなく子役部門は完全にアクアのためだけの部署で、アクアは映画にドラマ、子供用雑誌の写真モデルなどもこなしていく。
苺プロの社長が変わったことは業界でも知られ、規模もどんどん小さくなっていきテレビやドラマでその名前を聞くことは減っていった。アクアの名前だけが先走りし、所属する事務所の名前なんて世間から薄れていった。伝説的なアイドルがいたとしても、五年もすれば人々の記憶から薄れていく。
アクアは引越しとついでに幼稚園に入ることはなく子役として仕事があれば何でも受けた。元大人だったために現場受けはよくコミュニケーションが取れてわがままを言わない、泣かないというだけで現場の人間としてはかなり使いやすく、アクアもルビーの養育費を稼ぐために基本断らなかったために、子役星野アクアは芸能界で着実にキャリアアップしていった。
「早熟。お前は子役を辞めろ。金を稼ぐならもう十分だろ。お前が保たない」
「……何でそんなこと言うのさ?監督」
「言うに決まってんだろ⁉︎まだ九歳のガキが、殺人現場のシチュエーションで演技をするたびにこうやって吐いて体を壊してる!体だけじゃない、いつか精神もぶっ壊すぞ⁉︎」
五反田監督という、幼少期から付き合いのある人物の部屋で、ベッドを借りながら説教を受けていた。
監督にはルビーのためということを話して仕事を貰っている形だ。しかも今回のように現場で何かやっても監督に聞きたいことがあるからと直接家に帰らずこうして寄って、散々吐いているのだからアクアは監督に頭が上がらない。
アイが殺された現場を直接見て、人が死んでいく、熱を失っていくことをリアルに感じたアクアはそれがトラウマになっていた。全てを偽ってカメラの前では気丈なフリをし続けているが、五反田はそれがもう保たないと判断している。
五反田としてもアイが殺されて、苺事務所は小さくなり、ルビーを育てるお金がいることは知っている。だがこの五年でかなり稼いでいて子役星野アクアを知らない一般人の方が少ないというほど仕事をしているのだ。
それだけ容姿が整っていて金髪で、演技も見られるとなれば有名にもなる。そして現場が一緒だった俳優たちがアクアの現場での様子を褒めるためにまた口コミが広がって、と順調に彼の知名度が上がっていっている。
彼のギャラは、とうに子役として一世を風靡した有馬かなを超えている。向こうは子役としてはもう旬を過ぎており、ピーマン体操なるものが受けたために歌手路線へ変更したことでドラマなどで見ることが一気に減った。
子役として一番目立っているのが、アクアだ。
「言え、
その言葉に、アクアは目を丸くする。
それは誰にも言っていない。自分の心の内だけで決めたことだ。なのに五反田は言い当てた。
そんなボロが出るようなことは現場でもこの家でも一切零していなかった。あのストーカーの裏側にいた人物を探るなんてまだ子供としか思われていないアクアが口にしたところでどうにもならない。だから何か情報がないかとプロデューサーたちの会話には耳をそばだてているものの、アクア自信が口に出したことはない。
だというのに、五反田は、アクアの胸倉を掴みながら見事に言い当てたのだ。
「何で……?」
「何で?テメエの必死さを見てりゃわかんだろ!お前がいくら早熟だからって、アイとどんな関係だったって!お前の必死さはただ金を稼ぐための行動じゃない。ガキが金を稼ぐには芸能界しかないだろうが、お前はずっと、誰かを探してるじゃねえか!上の人間に媚を売って、そいつらの言葉を一字一句聞き逃そうとしない!アイの話題が出たらそれとなく食い付く!俺も何でかアイに気に入られたのか、お前ら宛のDVDだって預かってる!ただのアイドルがお前らにそんなもんを預けるか?お前が本当にあの女社長の子供なら、星野なんて偽名を言うわけもないだろ。……絶対に口を割らないのは褒めてやる。だが経歴とか嘘で塗りたくって、いつかは本当の自分を見失うぞ?お前じゃない、『芸能人の星野アクア』を演じるようになる。アクアマリンって個人がどんな人物かわからなくなるんだ。そんな空っぽの人間を、俺は撮りたいとは思えねえ」
それが五反田の監督としての信念だった。アクアには役者としての才能がある。記憶力に感情表現にコミュニケーション能力。ルックスも悪くなく、これから順調にステップアップしていけば誰もが知る俳優になるだろう。
だがそんな夢幻と、自分の撮る映画のために起用したいなんていう完全な我欲のために子供が無理をし続けることを受け入れられるほど大人として腐っていなかっただけのこと。
言われたアクアは内容を自分の中で反芻させる。
アイが殺された。
斎藤壱護が失踪した。
殺人事件の裏で糸を引く人間がまだ生きており、妹が狙われるかもしれない。
それらのせいでずっと意識を張り巡らせていたアクアは目を真っ黒にしながら、絶対にボロを出さない天才子役であり家族に理解のある兄の仮面を被っていた。
家族だけは笑顔で過ごして欲しくて。
黒幕がいるならその人物から二人のことを守りたくて。
物理的に守るための資金が必要だから、黒幕がまだ残っているかもしれない危険な芸能界へ一人で身を窶した。
そんな、継ぎ接ぎでもない
前世が愛もわからないただの田舎の医者だった人間に誰もを騙す仮面なんて付け続けることはできず。
目の光沢に白が戻ったところで弱々しく笑って、五反田へ手を伸ばした。
「監督。悪かった。僕の負けだ。だから、DVDを見せてくれ」
「だからが前の言葉と繋がらねーぞ?早熟。アレは十五歳になったら渡せって頼まれてる。故人の遺志は尊重されるべきじゃねえか?」
「あのDVDに復讐の答えがあるかもしれない。アイが……
「…………ちょっと待ってろ」
五反田が持ってきたDVDを二枚とも、アクアは目を通す。
その内容を見て、本当に最小限の情報を見て。
アクアは復讐という工場は使わなくなった。
そこにあったのはただの恋の行き違い。
そして愚かな若い男女がいただけの話。
復讐はしないが、襲われる可能性は十分に残っていたので結局子役は続けることにする。
アクアは結局、アイの周辺にいた人物をミヤコ以外信用していない狭量な人間だった。B小町も壱護も、今やいなくなった人間がいきなり彼らの前に現れてにこやかに接してきたら怪しいことこの上ない。B小町は苺プロのいざこざがあったために仕方がない部分もあるが、彼女たちはアイが死んだ後に綺麗サッパリアクアたちと関わることはなかった。
B小町というグループはアイと壱護があってこそのものだった。その二人がいなくなった途端に瓦解したアイドルグループであり、アイドル以外の職で芸能界に生き残ろうとしても時代に取り残されただけの少女たちだ。いなくなった二人にも悪い部分が多様にあったのだろうが、その後にどうにもできなかったのは彼女たちの実力不足。
アイがいなくなって切れる関係性だったのなら、斎藤夫妻の息子という立場であっても関わることはもうないだろう。
家に帰ると、ルビーが首を傾げてまじまじとアクアの顔を覗き込んできた。
「あれ?お兄ちゃん、なんか雰囲気変わった?」
「監督に怒られた。もっと自分を出せって」
「へ〜。あの監督もお兄ちゃんに怒るんだ。珍しいね」
「風呂はまだできてないよな?シャワー浴びて寝る。ご飯はもう食べたか?」
「お兄ちゃんが要らないって言うから一人で寂しく食べてましたよーだ」
「……ごめん。明日は夕飯、一緒に食べられるから」
アクアがルビーの知る限り一番真摯に謝ってきたことでルビーは本当にどうかしたのだろうかと兄のことを疑ってしまう。
DVDを二つ見た上に、そもそも朝から撮影が入っていて、その上で吐いたアクアは割と限界だった。ルビーの変わった顔なんて気にせず一人でシャワーを浴びに行った。
「……変なお兄ちゃん。でも、『ごめん』、かあ。なんでかな、せんせみたいだった。男の人って謝ろうとすると、あんなくしゃっとした笑顔になるのかな?」
ルビーのつぶやきは浴室のアクアには届かない。
次の日、アクアがミヤコのことを「母さん」と呼んだことでルビーは地球がひっくり返ったくらいの衝撃を受け、通学路で問い詰めることにした。言われた本人もあまりの出来事に夢かと思ったのか、自分の頬を抓っていたほど。
「お兄ちゃん、どう言うこと?ミヤコさんをお母さんって」
「今の続柄は母親だ。それに幼少期から僕たちはミヤコさんにお世話になりっぱなしだ。家事も仕事も、頼りすぎてる。そんな女性を母親と呼んで何がおかしいんだ?別にアイのことを忘れたわけでもない。僕たちには二人の母親がいる。それだけのことだ。ルビーは別に受け入れなくていい。自分で考えて決めるんだ。アイはアイで、ミヤコさんはミヤコさんだ。関係性を変えたくなければ今のままでいい」
「……考えておく」
ルビーは結局、数度であるがミヤコのことを「お母さん」と呼ぶことにした。その時にはアクアと一緒になってミヤコに抱き締められた。それどころかミヤコも泣いてしまい収集をつけるのが大変だった。
不甲斐ないお母さんで御免なさいとか。家事とか任せたり、二人任せなことが多くて、とか。最後は言葉にならないような泣き声であやすのにかなり時間がかかった。
だがそのおかげでどこか一線あった距離が近くなったような感じがした。
アクアはそれから子役を続けて、何度か有名になる話題作に出させていただいた。その日もとあるネットドラマの撮影だったのだが、ロケ地ではなくとあるスタジオのセットでの撮影だった。グリーンバックを用意して必要なものだけを置いてさう営して後から風景を合わせる撮影方法だ。
そこへアクアは一人で来ていた。苺プロはかなりの弱小事務所。しかも最近はネット配信者を主にしているためにマネージャーもそこまで多くない。そんな関係でアクアは一人で現場にタクシーで来ていた。現場に着いたらアクアは名刺を配りまくる。マネージャーがいない分、自分を売り込むのに入念がなかった。
見たことがある人には挨拶だけで済ませて、スタッフにも配っていると、そこには場違いな少女が一人いた。
撮影現場だというのに明らかに十代中盤にしか見えない少女だ。黒髪を首が隠れる程度に隠して、スタッフ用の帽子を被っている。年齢的にはまだ働ける年齢ではないだろうとアクアは訝しんだが、いつも通り名刺を渡すことにした。
「えっと、すみません。本日
「……えっと、私?」
「はい。初めて会う方でしたので。スタイリストさん、でしょうか?」
「スタイリストっ⁉︎ち、ちがっ……!そんなご大層な人間じゃなくて……って、アクア君⁉︎出演者表には書いてあったけど!」
名刺を渡そうとしたらワタワタと手を胸の前で振り始めた少女。その慌てようは年齢相応らしいとアクアは考えていた。職業体験だとしても、ドラマの撮影に学生を入れるだろうか。アルバイトとは思えず、可愛らしい見た目だったためにどこかの事務所に所属している新人で、現場を知るために駆り出されているのかもしれないとアクアは当たりをつけた。
将来的に共演することもあるかもしれないし、もしかしたらスタッフの新人かもしれない。なんにせよコネのためにも名刺を渡さないという選択肢はなかった。
だがそこで顔馴染みのADの男性が近付いてきて、ああ、と対応をしてくれた。
「ごめんアクア君。彼女、社員じゃなくてアルバイトでね。守秘義務とかそういうので名刺を受け取れないんだ。悪用されるかもしれないし」
「アルバイトですか?」
どこかの事務所のツテ、とかではないらしい。そしてネットドラマとはいえそんなにこの業界は人手不足に陥っていたのかと思っていたが、そういうことではないらしい。
「彼女にも事情があってね。ほら、挨拶」
「小道具スタッフとして入っています、
「僕たちはスタッフ。役者さんに過度に介入しない。ごめんね、アクア君」
「いえ、僕もB小町のファン
「歳下の子に気を遣わせない。撮影前に悪かったね」
「ご、ごめんなさい、アクア君……」
ADに軽くバインダーで頭を叩かれた室田と名乗る少女はアクアに深々と頭を下げた後、作業に戻っていった。他のスタッフさんに頼まれて小道具や机などを用意しているらしい。
アクアは純粋に気になったのでADに聞いてみる。
「あの、室田さんって学生ですよね?なんでアルバイトを?」
「個人的な理由だから諸事情は話せないけど、危ない子だってわかったからこっちで無理に働かせてる。あと、アクア君は勘違いしているかもしれないけど彼女、十八歳だよ?」
「……えっ⁉︎高校入り立てとかじゃなくてですか?」
「やっぱりそう見えるよなあ。あの見た目でガールズバーで働いてた時は雇う側もどういう神経してるんだかって闇を見た気分だったぞ……。そもそも未成年がそんなところで働くなっての。いくらお金がないからって……。おっと、ごめんアクア君。今のはおじさんのただの独り言だ。忘れてくれると嬉しい」
「僕は台本を読んでたので新人スタッフさんの事情なんて聞いてませんよ」
「……本当にアクア君は大人びてるなあ。だから現場でも重宝されるんだろうけどね」
撮影はなんてことなく終わる。ホラーの60分ドラマで、この世とは思えない異世界に一人で迷い込んだ子供が散々に逃げ回って怪異に追われて、そこで数年過ごした後どうにか現実世界に帰ってきて、高校生怪異バスターとして活躍するという話だ。
原作もあったのでアクアは読み込んで、今回のドラマに望んだ。幼少期役だがちょくちょく回想シーンも作るということでもう決まっているシーンはいくつも撮った。どこまで使われるかは不明だが、アクアは用意されていないおどろおどろしい怪異を本気で怖がり、全てを滅することを決意する少年役を演じ切った。
なお、その演技が迫真すぎて青年期を担当する男性俳優にこれの大人をやるの?と引かれてしまったという裏話がある。アクアが少年期の役で出るとたまにあることだ。難しい役の少年期をこなせるような子役がアクアしかいないのでしょうがない事情もあった。
その帰り道。アクアはタクシーを呼ぶ地下駐車場までの付き添いとして年齢が近いということもあって室田と一緒に歩いていた。アクアは一人でも問題なく帰れるのだが、帰る時はタクシー乗り場までスタッフさんが送ってくれるのがいつものことだった。
「アクア君、本当に凄いね!怪異はCGで用意するから現場になかったのに、本当に怖いものに追われてるような演技だったもん!」
「僕にだって怖いものはありますよ。それをイメージしながら演じただけで」
「天才子役って呼ばれるだけのことはあるよね。お姉さんびっくりしちゃった」
室田は砕けた口調で話す。アクアが二人の時はそれでいいと許可したからだ。
アクアの怖いものは主にストーカー。そして家族の存在を奪うような、事件の裏で糸を引いていそうな人物。それをイメージしたために恐怖に怯えた演技はかなりのものだった。
なにせ本当に命の危険性があったのだから。
アクアは彼女にもう会うこともないかもしれないと思って、彼女に働いている理由を聞きたかった。未成年がガールズバーで働こうと考えるほどお金に切迫しているのならよっぽどの事情ではないかと。
もしかしたら自分と同じ境遇なのかもしれないと考えるほど。
「あの、室田さん。B小町のファンだったり、この業界で働いているってことはアイドルや俳優志望だったってことですか?」
「うーん、アイドルの方だね。オーディションとかも受けたんだけどさ、全然ダメで。苺プロも受けようと思ったんだけど募集もないまま例の事件があって。去年ちょっと事情が変わってアイドルは目指せなくなっちゃったからADさんのご厚意で働かせてもらえてるんだ〜」
上京して来ているのかは知らないが、確実に経済的な事情だろう。
アクアから見ても室田の容姿は十分アイドルとしてやっていけそうだった。地下アイドルだったらスカウトされるくらいだ。だが彼女は地下アイドルは選ばずに夢を諦めて、こうしてアルバイトでどうにか食い繋ごうとしている。それも未成年なのにお酒を提供するようなガールズバーで働こうとまでしてお金に困っている。
今日は平日だ。つまり高校にも大学にも行っていないのだろう。今がどういう状況かわからないが、もう一つのアルバイトを紹介することくらいはできそうだった。
アクアはさっき渡せなかった名刺をもう一度出して、室田の手を取ってしっかりと握り込ませた。
「僕からのプレゼント。もし興味があったら電話をかけて。アイドル部門はなくなっちゃったけど、今は人手が足りてないって母さんが言ってた。だからマネージャーでも嬉しいし、興味があったら配信者になっても良い。アイドル志望なら歌ってみたとか踊ってみたっていう方法もあるから人気が出やすいよ」
「え?え?」
「子供の気まぐれだよ」
アクアがそんなことをしたのは彼女が前世で救えなかった一人の少女と少しだけ被って見えたから。さりなのように孤独だったわけでも、病気になったわけでもない。ただアイドルを目指していたのに諦めてしまった、それくらいの共通点しかないのに。
要らないおせっかいだとしても、アクアはその名刺を渡すことを辞めなかった。さりなのように体が動かせないというわけでもない。彼女にはまだ未来がある。アイドルとは違っても、まだ芸能界へその意志を向けているのであれば。
(全く。酷い感傷だ。こんな僕を見たらまた君は「せんせの女たらし!」って怒るかな。さりなちゃん……)
タクシーに乗りながらそんなことを思ったアクア。
室田が何を選択するかは彼女次第。
それほど時を置かず、事務所へ一本の電話が鳴り響いた。