ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
荒木マユミから指定された落ち合い場所は、銀座八丁目にあるホテル、インペリアル・スカイエアの二十六階の一室だった。
都内に留まらず、マンホームにおいても第一等の繁華街である銀座で、ひときわ威容を誇る最高級ホテルの一つインペリアル・スカイエアは、シングルでも一泊、四桁クレジット、旧円換算にすると十数万はくだらない庶民にとっての高値の花だ。
吉本昌浩も以前に一度、仕事で利用したことがあったぐらいでプライベートで訪れるのは初めてである。
廊下の絨毯もくるぶしまで埋まるんじゃないかと思うほど――もちろんそんなことはないが――ふかふかで歩き心地が良く、それだけで特別な場所に来たのだと思わせる。
ちゃんと制服姿の人間のボーイに案内されるのも悪くないものだった。
部屋の前まで連れられると、ボーイがドアを恭しくノックした。
客室の扉にはインタホンもなければ電磁ロックもない、古式ゆかしい伝統的なスタイルを今も踏襲している。
「お客さま……」
ボーイがドア越しに呼びかけている。
ややあって室内から返事があると、
「ご面会の方がお見えです――」
続けた。
すぐにドアが開き、内側から荒木マユミが現れると吉本の姿を認め、ボーイに数枚の五クレジット硬貨を渡すと下がらせて、男を中へと招き入れた。
客室内はシングルとはいえども、並のホテルならスイートルームにできるくらいの広さがあって目をみはる。
壁一面に開けた窓からは首都高を眼下に、遠くミレニアムシティにまで続く林立するビルの群が望めるのだ。
「ずいぶん奢ったな、たかがチップのデータを開くだけで」
用心深い――と、言うべきところをぼやかしていた。
もとより吉本には事を荒立てるつもりなど毛頭なかったが、荒木マユミが警戒を解かないのも分からぬではないのだ。
実際、今の二人の間には違法薬物の取引や、身代金の受け渡しのような利害相反がある。話が落ち着くところに落ち着くまで気を抜けないのはお互いさまだった。
もっとも仮に吉本にその気――が、あったとしても、さすがにこの場で無理スジを通すのはいろいろな意味で難しいだろう。
当代一流の超高級ホテルのセキュリティは固い。
逆に言えば荒事は、プロならばともかく素人にはハードルが実に高いのだった。
「レインメーカーになるんだから、これくらいいいでしょ? これから毎日/\お金の雨が降ってくるようになるのよ、あの女の生き血を吸ってね」
女は悪い笑顔で言い放った。
よほど嬉しいのか瞼のぼてっとした細い目をさらに細くして口角を上げている。
「ボロボロになっても吸い尽くしてやるの、楽しみだわ。落ちぶれ果てて、そのうち場末の曖昧宿で誰でも見境なく客を取るようになったりしてね、そしたら吉本さんだって抱けるかもしれないわよ、あの女を」
「………」
吉本昌浩は仕事柄、身を落とした女を何人も知ってはいるが、実に哀れなものだった。アイドルとしての一瞬の輝きを放つのと引き換えに、全てを失っていく女たち。
それは東京だろうとブロードウェイ、ハリウッドだろうと変わらない。
若さゆえの愚かさを食い物にしようと、法の支配を受けない海千山千の魔物たちが、華やかな世界の裏側で跳梁跋扈するのがショービズの世界だ。
賞賛と栄光のスポットライトのすぐ足元に、暴力と薬物による陥穽があって獲物が落ちてくるのを大きく口を開けて待ち構えている。誘蛾灯に惹かれた子虫のように、眩しさに憧れて何も知らずにやってきた娘や小僧どもは簡単に罠にかかり、すぐに身動きが取れなくなるものだった。
そして運良く有力者の庇護を得られた一握りだけが生き残ることができ、それ以外には残酷な運命が待っている。
これが吉本が間近で見てきた現実なのだ。
瑞々しくはち切れそうだった肉体が、多くの欲望の前に消費されてあっという間に萎んでいくのを見るのは痛ましいものだ。
仮に自分がそのおこぼれに与っていたのだとしても。
ところが生き餌にされた当人たちは、さほどそれに頓着していないのがより一層、悲哀感があった。
もう後がないにもかかわらず、まだ何とかなると思っている。
そこがひとたび落ちたら最後、二度とは這い上がれることのできない蟻地獄であることを認められずに。
さすがにあのアリシア・フローレンスが、そこまで身を落とすことになるとは考えにくいが、荒木マユミがいったいどこまで本気なのか、裏事情に通じているはずの吉本にも十分に読み切れてはいないのだった。
女は魔物だ――。
改めて思う。
彼が知りうる限り、女にとって最大の敵、障害となるのは、いつでも同性からの嫉妬と憎悪だった。
小綺麗な顔をしていても肚の中では何を考えているか分からない。
「どうしたの? 珍しくむずかしい顔してるじゃない、吉本さん」
「いや、べつに何でもない……」
マユミは地べたを這う底辺記者稼業のソレで、普段は身なりにさして頓着ない薄汚れた格好をしていたが、今日は着ているものにもそれなりに金を使っているらしくオシャレをしているようだった。化粧もして髪も綺麗にセットしている。
だからといって女の価値が上がるわけではないのは、そもそもの土台に多くの問題を抱えている所為にちがいない。
「ぼんやり突っ立ってないで座ってよ、いま用意するから」
「チップはあるんだろうな?」
「持ってきているにキマッテルでしょっ、今日はそのためにこの部屋をとったんだから。でも慌てないで。それより仕事の前に何か飲む? 今日はあたしが奢るわよ」
「景気がいいのは結構だが、取らぬ狸の皮算用にならないようにな」
相手の周到さを慮ると、チップが手元にはあっても、もう容易に手出しができないようにされているであろうことは窺える。
「それは吉本さん次第。取引がちゃんと済めば、お互い、一生リッチな暮らしが楽しめるはずよ。この部屋どころか一年中スイートルームで暮らすことだってできるくらいの」
「………」
マユミはルームサービスに上物のシャンペンをオーダーしている。
「で、俺は何をするんだ?」
「データの解凍パスを教えて――」
「その前に聞かせてくれないか?」
「いいわよ、なんでも聞いて。ただし、ここからチップを持ち出そうっていうなら、もう無理よ。ホロヴィに挿入済みだから」
「ホロヴィっ?!」
「この部屋全体がホロヴィになっているのよ……判らなかった?」
吉本は室内を見回してから、広々として見えた部屋が、実際は投影された映像だったことに気がついた。
「なるほどね……そういうことか……」
「“部屋の模様替えして、湖のほとりのコテージ風に――”」
マユミが声にすると、それはさながら魔法の詠唱のようになって、室内は調度の配置はそのままに、たちまち山奥にあるコテージの室内風に変化するのだった。部屋もグッと狭くなって――恐らくこれが本来のシングルルームのスペースなのだろうと思われた――木枠の窓の外には青々とした水を湛えた湖が見えるようになる。
「ホロヴィが使える部屋って都内にいくつもなかったのよ。それでウチからいちばん近いのがここだったから、それで千五百クレジットはさすがにお高かったけど利用することにしたの。ついでに吉本さんが来るまで時間があったから、オプションで心と身体のメンテのサービスもしっかりやってもらったりしてたわ。こっちも八百クレジット以上もしたんだけど、その甲斐はあったみたい。そしたらね、膵臓に悪性の腫瘍があったみたいだったのよ。あと一週間、発見が遅れていたら投薬治療になって二千クレジットはかかるところだったって。けど幸い発見が早かったからボディスキャナーでお手軽に綺麗にしてもらうことができたってわけ。それを考えたらちっともお高くはないでしょ? おかげで今のあたしは健康そのものよ。お酒も捗りそうだわ」
備え付けのホロヴィ――4Dヴィジュアライザー――は当然のことながら宿泊客専用だった。操作できるのはこの部屋の利用者に限られる。最高級ホテルであるだけに、素人にこのセキュリティを破るのは、これも非常に難しい。
要するに、吉本にはマユミの手の中にあるチップをどうにかする手段はないのだった。
「ずいぶん用意がいいな……」
「そんなの当たり前でしょ、莫大なお金がかかっているんだから――」
「莫大な金? おまえ、そのデータを誰に売りつけるつもりなんだ?」
「だから初めに言ったでしょ、あたしは誰かに売るつもりなんかないって」
吉本は、マユミの第一の目的がアリシア・フローレンスを潰すことにあったのを思い出していた。
彼女にとっては憎い美女の痴態、恥部をなるべく多くの人の目に触れさせるのが第一で、金は二の次なのだ。
「本当にそれでいいのか?」
「いいにキマッテルでしょ、それにあたしのやり方のほうがよっぽどお金になるはずよ」
マユミの説明では、彼女の計画とはアリシアの全裸画像データの全てをネット上に置き、視聴に関して逐次課金するというものだった。
一クレジットで十分間という安価な設定にしておけば連邦、公国に限らず、太陽系圏内に暮らす百八十億の民が、スマホひとつでいつでも、どこでも、誰でも気楽に見られるようになる。そのようにするのだ、と。
「……子供から大人、年寄りに至るまで、年がら年中、いたるところで、あの女の身体の隅々にまで好奇の目が注がれることになるのよ、どう、面白いでしょ? あたしならきっと恥ずかしくてアタマがおかしくなっちゃうわね」
「………」
「そしてあたしたちにはお金のシャワーが降り注ぐ……どのくらいになるかしら? 年に百万? まさか。仮に年間で一千人に一人の割合でアクセスがあったとして二千万、でもあのアリシアよ、実際にはその何百、何千倍になるかもわからない。想像もつかないくらいのお金になるはず。吉本さん、お金、大好きでしょ? さあ、わかったら早く解凍のパスを教えて」
「そんなことして国がおとなしくしてるとでも思うのか? すぐにサイトは閉鎖されて俺たちも捕まって終わりだ」
「あたし、そんなことも判らないおバカに見える? だからそうならないための仕掛けをしてるんじゃない」
「仕掛け?」
「サーバーは連邦にも公国にも属さない、司法権の及ばない場所に置いてあるの――」
「どこだ? コロニー・バールか?」
「それは今は内緒、時期が来たら教えるわ。あたしの仲間がそこでデータが送られてくるのを待ってるのよ。差し当たっては、吉本さんの送金口座をきめておかないとね。せっかくの大金が滞っちゃうから。あるんでしょ? 秘密口座の一つや二つ」
当局の目も手も届かない場所に置かれたサーバーからの配信と、極秘口座による入金。
話だけ聞くと簡単には足がつきそうになく、上手くいくようにも思える。
だが、どうにも胸に蟠るものがあるのだった。はっきりとしないが、大きな見落としがあるような……。
美味い話ほど、腹を空かせたダボハゼのように飛びつくのは厳禁。詐欺師の口上に乗せられた挙句、泣きをみたバカどもをどれほど見てきたことか。
その上で、この話は美味しすぎた。
確かに、貴重な情報は特許や著作権で少数が独占するのではなく、逆に公開することで利用権を広く募る方が得られる利益が大きくなる場合も少なくない。マユミのやり方にも一理あった。
しかし――。
何か、見落としがあるような……言葉にならない不安感が燻っている。
業界の表裏を見てきたキズ持ちならではの勘というか、生存本能が肌をチリチリとさせていて落ち着かないのだ。
「まずはデータを解凍しましょう。その上で、まだ心配なことがあるなら、吉本さんが納得できるまでデータの公開は待つことにする。それでどう? そもそもあたしたち、まだデータだって見ていないのよ、まずは“あたし”が撮ってきた画像の確認が先じゃない? 吉本さんだって見たいでしょ? アリシア・フローレンスのハードコアなフルヌード……あの女、もうお尻の穴もしっかり開発済みで、だらしなく口を開けて汚物を垂れ流しにしてたりして……そしたら吉本さんだって幻滅よね? ああおっかしいっ」
アリシア・フローレンスのフルヌード――。
男であれば、誰しもこの言葉には抗えない。
人類で最も美しいと言われる女の肉体の全てが画像データ化されているのだ。
それが手元にあって、どうして見ずにいられようか。
やがて公開された暁には、ほとんど全てのオスたちが、涎を垂らして凝視することになる、あのこよなく美しい女の、肌、恥部、陰部。
吉本は女の誘いに乗るしかなかった。
「わかった、データの解凍をしよう……」
「あら、秘密口座に送金ができるかどうかのチェックを先にしておかなくてもいいの? そこまであたしを信じちゃっても大丈夫? だって解凍パスって、今の吉本さんにとって唯一のカードじゃない? それを差し出しちゃったら素っ裸同然になるんだけど」
マユミの指摘は至極尤もだった。目の前の誘惑にうっかり忘れてしまうところだったと、男は自身の甘さに舌打ちする。
「もちろん、そっちが先にきまってるだろっ!」
苛立ち紛れに吐き捨てた。
「じゃあ、キマリね」
女は再び、嫌な顔をして笑った。
吉本は、自分がマユミの手の中にいることの居心地の悪さに頬をキリリとさせながら、カードホルダーの中からスマートフォンを取り出すと、女が指定する口座にアクセス権があることを確認するのだった。
先週は時間が取れずに一週間スキップしての投稿再開になります
今節からは予定通り、荒木マユミと吉本昌浩の悪巧みのお話です
解凍画像については次回に
明日、描けるかどうかになりますが……