ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
吉本昌浩が中空に浮かび出たイメージコンソールに数字を入れると、たちまちチップデータの解凍が始まり、わずか一呼吸の間で解凍終了のサインがコンソールに現れた。
「えっ!? たった四桁の暗証番号だったのぉ??? なぁーんだ、パスワードスティーラーかけてみるんだった。あたし、用心深い吉本さんのことだから、てっきりパスは生体情報かなんかにでもしてると思ってたのに」
傍でそれを見ていたマユミが呆れ顔をしていた。
「たかがチップデータごときにそこまでするかよ。普通の人間は鍵がかかってると大抵、そこで無理してまでこじ開けようとはしなくなるものなのサ。それにだいたいなぁ生体情報は失われる場合を考えるとかえってヤバイだろ、俺は使わないね。クズどもに指をチョン切られるのはゴメンだし、それに遺伝子情報なんてそうそう外に流せるもんかよ。遺伝距離がものすごーく近かったとかで遥か海の彼方からある日突然“オジサンっ”なんて、見たこともなければ聞いたこともない小僧がやってくるリスクを考えるとな」
「ふーん……まぁいいわ、じゃあサーバーに送るから」
「えっ!? もう送るのかっ!」
慌てる男を横目にマユミはコンソールのリターンキーをさっさと押してデータの送信を始める。百ゼタバイトを超える巨大な画像データが、一瞬の後にはここではないどこかのサーバーに送られていた。
「おい、いいのかよ? 中身を見ずに送っちまって」
「だって、そんなのどうせチップの中身と同じものなんだからいいでしょ、チップなら吉本さんにお返しするわ」
女はホロヴィの端末にセットしてあったチップを取り出すと吉本に手渡した。
「いいのか? 貴重なバックアップだろ」
「だってもう、その必要もないから――」
「――?――」
女は、してやったりのイヤな笑顔をしていた。それで自分がまたしても遅れをとったのかと吉本は頬を引き攣らせるが、
「そんな顔しないでよ、あたし、約束をとり違えたりなんかしないわ」
「いったい、ナニを……した……?」
「大したことじゃないわ……ただ多くの図書館でもやってることをやっただけ……」
「……??……」
「データを量子化して拡散させたの――」
「オマエっ、あれをデブリにしたのかよっ!」
データの公開を猶予する、という約束が早速、反故にされていたと分かって男は気色ばむ。
だが、女に詫びる様子はない。
「デブリ? あら、そんなひと聞きのワルいこと言わないで。だってあのアリシア・フローレンスって女は女性美の到達点でしょ、人類史上最も美しい女ってことだから。ホモ・サピエンスという知的種族が数十万年を費やして長い歴史の末にようやくたどりついた、自らの美しさに対して神々へ向けて発せられた誇らしく高らかな回答、ヒトが産み出した至高の美術、芸術品。つまりはそれって
マユミはキモチのワルい猫撫で声になって、身を揉みながら宣言する。
「………」
データを量子化するというのは、もちろん物理学で扱われる量子とは異なる。
ネットワークにアクセスする全てのデバイスを途方もなく巨大な記憶メディアとして扱えるようにするもので、すでに一部の図書館などでは公共性のある情報、一般文献やアーカイブデータなどを、劣化して管理が困難な固体メディアではなくネットワーク全体に拡散保存を始めていて、そのことを指していた。
このようにすると、図書館側はただ文献のリストを保持していれば良く、閲覧をしたい場合はリストをワンクリックするだけで拡散されていたデータが直ちに収縮して再現されるという仕組みである。
この拡散保存形式を、その性状の類似から量子化と呼んでいるのだ。
量子化されたデータの形状はウイルスに似ているが増殖、改変をせず自己修復のみを行う点で異なり、その利用に関する法整備も整えられて、二十四世紀に入ってからは“秘匿性のない”情報はこうした形にして保存するように少しずつ変わっていたのである。
データの毀損、消失の不安から解放される大変都合のいい保存法ではあった。
しかし――。
物事には良い面に対しては大抵、負の側面もあるもので、これを悪用、愚用する者が現れたのだ。
要するにどうでもいい情報まで量子化しようとしだしたのである。
そもそも企業がCM等で利用することは禁止されており、違反した場合はペナルティを課せされていたが、愚か者が突拍子もない使い方をするところまでは政府は想定しておらず、暇な個人が碌でもない情報を拡散させるようになるとは考えてもいなかったのだった。
愛犬との散歩、昨夜のディナー、お気に入りのアニメ……果ては男女の交歓シーンなど、全く公共性を持たないゴミ情報が染み出し始め、これをデブリデータと呼んで密かに対策が求められていたところだったのだ。
尤も、SNSでの個人の情報発信の惨状を鑑みれば、こうした事態に陥るのは容易に想像ができた筈で、
むしろ、そんなことも考えずに量子化に安易にゴーサイン出しちまったのかよ!
と、憤る向きもあり、連邦政府は今更ながら量子化の規制に乗り出していた。
今はまだデータの改変自体にコストがかかるために、デブリデータ問題は極めて限定的でネットワークへの負荷は無視できるレベルではあったが、このまま放置すれば早晩無視できない事態に立ち至るのは避けられず、当面は許認可制とするべく制度の見直しに向けて動き出していた最中の、この出来事だったのである。
マユミは、まさにその曰く付きの最新技術を用いてデータのアップロードをしたというのだ。
「たしか、あれは大した金がかかるんだったよな?」
「まぁね、データ量が量だけに、そりゃかかったわよ。でも先行投資だと思えば仕方ないわ。代わりに見返りはたっぷりあるから、そっちはあたしのオゴりにしといたげる」
「………」
マユミによると、チップデータはまず予め契約をしていた専用のサーバーに送られた上で、そこで量子化されてネットワークへと“解放”されていた。
こうなるともう拡散されたデータには誰の手も及ばずに、誰でもどこからでも、どんなデバイスからでもアクセスできるようになる。
ただし、マユミはデータの量子化をする際に一つ簡単な仕掛けをしていて、閲覧時間で縛りをかけたというのだ。
タイムリミットをかけてその間だけ情報が収縮するようになっていた。
「……固有デバイスからのアクセスは、最初の一回目だけは三十秒まで無課金で、あとは十分ごとに一クレジットを要求するようにしてあるの。そして送られてきたお金は秘密のサーバーをいくつも経由させて、最終的には秘密の銀行口座へと送金されて、最後に正確にフィフティフィフティで、あたしと吉本さんのそれぞれの極秘の口座に送られるというわけ」
女は得意げにしていた。
「どう、何か問題でも?」
「いや……」
聞く限りは特に懸念するべき点はないようだった。
だが、どうにも落ち着かない。胸が騒ぐ。
「コイツはオマエひとりのシゴトじゃないよな? オマエにしちゃ手際が良すぎる。バックに誰がついた?」
「それも今はナイショ、知らない方がいいことだってあるでしょ?」
「ヌカせ――」
「でもひとつ教えておくわ。このあたしがネオ・ヴェネチアに居て、アリシアの盗撮をしようとあの女の周辺を嗅ぎ回っていた時、いろんなことがあったのよ……アリシアの周りに居るのが味方ばかりじゃないってこともハッキリしたし、計画を練る時間だってたっぷりとあった……あたしは、あの女を潰せるっていうならなんだって大歓迎よ」
「フン、食えないヤツだぜ、アリシアも碌でもないオンナから目をつけられたもんだな、かわいそうに」
「そのおかげで、あの女を素っ裸に剥くことができたんだから、吉本さんには感謝して欲しいもんだわ。おまけに大金だって手に入るし」
「で、どうすりゃいい? 映像の確認と入金の確認の両方をしておきたいんだが」
「そうね……まずは吉本さんはスマホでアリシア・フローレンスって検索してみて。あたしは自分のスマホから口座の方をチェックするから」
「アリシア・フローレンスって入れるだけでいいのか?」
「そう、それが拡散したデータを収縮させるおまじない。誰でもすぐに検索できるように、いちばんわかりやすくて簡単なものにしておいたのよ。多分、まだ今はトップヒットしないと思うけど、アリシア・フローレンスのヌードホログラムってラインが検索上位にはきっと出てくるはず」
男は自分のカードスマホからイメージコンソールを展開すると、太く短い指をコチョコチョとやってキー入力をする。
「おお、あったあった、えーと、七、八番目くらいにあるっ」
「まぁそのうちにはトップヒットになると思うけど、で、どうする? スマホのちっちゃい3Dで見るの? せっかくだからホロヴィにして等身大サイズにしたもので見てみない?」
「そうだな、そっちの方がいいよな、わかった、任せる」
つい今し方までむずかっていた男の顔も、今は期待に色めき、そして喜色満面といえるものに変わっていた。
マユミの誘いに従って、自分のスマホデータを4Dヴィジュアライザーにアクセスさせる。
「わーっ、スッゴイ、見てみてっ! 吉本さんっ、こっちの口座のデータっ、ものすごい勢いで課金されてるわよっ!」
「ホントか!」
「まだデータを拡散して、三十分も経っていないっていうのにっ、ナニコレっ、もう三万クレジットを超えてるじゃないっ! 目にも止まらないスピードでカウンターが回り続けてるわっ。これなら明日の朝には間違いなく軽く百万クレジットは超えてるわねっ、恐るべしっ、アリシア・フローレンス!」
「そうかっ、やったかっ、ハッハッハッハ、よしっ、俺たちも拝ませてもらうとするかっ、美の女神さまのフルヌードをっ」
男がパネルのリターンキーを押すと、すぐに3D映像となった等身大の全裸のアリシアが二人の目の前に現れるのだった。
男は、しばし目を奪われて言葉を失う。
「……スゲェな……これが、この世でいちばん美しい女の体か……」
アリシアの立体映像はチョコレートの屋台の前に居る時に盗撮されたものなのだろう、二人の居る側には背を向けていたが、背中を流れる長い金髪に、ミルクのように染みひとつない白い肌が眩しかった。ほっそりとしていながらもメリハリのあるボディラインは、スレンダーだがしっとりとした肌のなめらかさと肉の柔らかさを伝えている。
伸びやかな両腕、両脚のプロポーションも、思わずため息が溢れるほど美しい曲線を描いているのだ。
そして、ふっくらと豊かに張った尻肉の膨らみと、その双丘の合間に深く描かれた神秘の谷間。
欲塗れイロ塗れの汚れ仕事にどっぷりと浸かってきたキャリアに相応しく、およそ高潔さとも美麗さとも無縁な形をした中年男は、自分とは対照的に完璧な美女のその部分を後でめいっぱい拡大してしっかり観察することを想像してイヤラしく頬をゆるめていた。
そしてあの神聖にして甘美な湿地帯を思う存分ねぶられるものなら死んでもいいとさえ思うのだった。
いい年をして、自分がまるでヤリたい盛りの思春期のガキみたいにズボンの前をいきり立たせているのだが、これだけの眼福、艶福を前に、何もなければそりゃ病気だと思う。
「男って単純ね、もう目がハートマークになってる」
「よけいなおせわだ………しかし、これがもう誰かに抱かれてるんだとしたら、ソイツ、ぶっ殺してやりてぇよなぁ……」
ため息とともに呪詛の言葉が紡がれている。
単独会見をした彼女の、高い知性と教養を感じさせる語り口、慎ましく高潔な精神性を見ずにはいられない仕草と物腰には、誰もが感動し、そして特別な思いを抱いていたのだ。
それを目撃した上で、服の下にかくも見事な肉体を秘めているのだと知ったら、男なら悶絶せずにはいられないだろう。
「きっと、吉本さんと同じことを思ってる男が、今この瞬間にも大量に発生し続けているんでしょうね」
と、マユミが言ってる最中にアリシアの映像は突然消えて、ただのコテージの屋内が見えるだけに変わる。
「ハイ、三十秒経過――」
マユミの宣告に、
「次の画像にするぞ――」
とびっきりのご馳走を奪われて、男はムッとした顔で応じる。
「では、一クレジットの課金をしてください――」
言われた吉本は、忙しなく自身の口座から百クレジットを送金するのだった。
どうせすぐにその半分が戻ってくるのだから、と考えて。
手元のチップをホロヴィに差し込んで映すことも可能だったが、今はその操作に手間取る時間さえも煩わしかった。すぐにも映像をもっと真剣に仔細に熱を入れて確かめずにはいられなかったからだ。
「ご入金、ありがとうございます……って言ってもこの速度(口座の入金表示の回転)ならわからないけどね」
男はまた検索画面に戻り、アリシア・フローレンスと入力する。すると、どれほどアクセスが集中しているものか、もう既にアリシア・フローレンスのヌードホログラムはトップヒットになっているのだった。
ボルケーンさま、感想をいただきありがとうございました。
反応があるというのが、これほど嬉しいものだとは思ってもおりませんでした。
これが読者の毒というやつなのでしょうか、読み手からのダイレクトな反射を受けると、書く側として
身を削ってでも書かなくては、と思うようになり
結果、本日もPCに向かうこととなったわけで……
ご期待通りのものが描けるかどうかは分かりませんが、お尻を叩いてキーボードを叩きます。
それから、お気に入りにそっと加えていただいた方、ありがとうございます。
拙いものですが、これからもよろしくお願いいたします。