ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
深更、晃からの急な電話によって自分を取り巻く悩ましい現状を知ったアリシアは、その後は眠れぬ一夜を過ごすことになっていた。
既に大学から配布されていたVRゴーグルをつけて問題のファイルにアクセスすると、そこには肌も露わな自分が居て、仮想空間の上で対峙することになったからだ。
その様子から、つい二週間ほど前に広場で子供たちにチョコレートを配った時のものだと気づいたが、身につけていたものを透過する盗撮というものが、想像していた以上に緻密で詳細であることには強いショックを受けていた。
自分でも知らなかった自身の肌や体の造りについて、多くの他人の目に晒されていることへの抵抗感と拒否感はやはり女性ならではのもので、云い知れぬ不安と恐れから、お布団の中に丸くなって悶々としたまま朝を迎えてしまっている。
もうこのままお家の外には出たくない――。
そんなふうに思い詰めた彼女を救ったのは、やっぱり最愛の恋人の声なのだった。
早暁の電話、それがアキトからのものだと気がついたのは、緊急時の連絡手段としてのコールサインがあったからだ。
ベルが一度、切れて、ベルが二度、そしてまた切れて、三度目にベルが三度鳴って、アリシアは受話器を手に取った。
#……アリシアさん、朝早くにごめんなさい……#
「大丈夫よ、もう起きていたから……早いわね、なぁに?」
アキトも早朝に寮を抜け出して、駅の公衆電話からかけているという。
細かいことを言わなくても、互いを思う気持ちはすぐに伝わるのだった。
彼がどうして電話をしてきたのか、自分にはどれほどそれが嬉しかったか。
初めアリシアは平静を装っていたが、やっぱり彼の声を聞いているうちに心が乱れて、つい本音が溢れてしまう。
「逢いたい……アキトさんに……」
#わかりました、じゃあ今夜#
「いいんですか?」
#ボクだってキミに逢いたいから――#
「ううん、やっぱり今はダメよ……ごめんなさい、わがままを言ってあなたを困らせて……でも嬉しかったわ、あなたの声が聞けて……」
突然のこの事態を受けて、また鵜の目鷹の目で待ち構えている人々の目をかいくぐるのは、普段のデートとは比較にならないくらいハードルが高いのだった。
いまこうして電話をするだけでも、アキトにとって冒険であるのに違いない。
「心配しないで、あたしは大丈夫ですから」
#ええ、その通りです。何も心配することはありませんよ#
アキトも映像を確かめたそうで、全てを知った上で、彼が大丈夫、というのならきっとそうなのだとアリシアも信じることができるのだった。
#だってキミは、ボクだけのもの、ボクだけのアリシアさんなんですから#
「うん、そうね、そうよね……でもアキトさんも忘れないでくださいね、あなたもあたしだけのものだっていうこと」
#え、なんて厚かましいことを、もうボクを独占するつもりですか?#
そんな酷いことを言うのだが、本気ではないのが声のトーンでわかるのだった。
だからアリシアもそれに合わせて
「ええそうよ、覚悟してくださいね、うふふっ」
ほんの僅かの間のやりとりだったが、心をリセットするには十分だった。
アキトからは今後、注意すべきことを幾つか指摘されて、具体的な指示をされると自然に気持ちも切り替わって落ち着いてくる。
こうしたところにもアキトの細やかな思いやりを感じて、たとえ離れていても彼がいつでも自分を守ろうとしてくれているのに胸を熱くするのだった。
#キミは大丈夫ですから……だから何も心配しないで、安心していつも通りに過ごされてください#
「うん、わかったわ」
アリシアは受話器を置いた時には、クスリ、と笑顔になれるほどいつもの自分を取り戻していた。
ただ、さすがに今朝はご近所さんと顔を合わせるのが憚られて、なるべくひと目につかないようにすぐに身支度を始めると、自室のアパートを出て、職場であるアリア・カンパニーへと向かったのだ。
午前六時を回り、既に街は上る朝日に照らされて目覚め始めていたが、幸いまだ表通りにも人影はなく、誰にも見咎められることなく会社の通用口のドアの鍵を開ける。
灯里が休んでいることを気遣いつつ、足音を忍ばせて、音を立てないようにして更衣室に入ると、自身のロッカーを開いて制服に着替えた。
が――。
更衣室のドアを開けると、オフィスではパジャマ姿のままの灯里が心配そうな顔で立っていた。
「あら、起こしてしまったかしら、ごめんなさい灯里ちゃん」
「いえ、もう目が覚めていたので……おはようございますアリシアさん……」
灯里の様子から、少女も既に今のアリシアが抱えるトラブルに気づいていることを感じて、アリシアはちょっと困った顔になりながら笑顔を送るのだった。
「あたしは大丈夫よ、灯里ちゃん……」
「でも……あんな酷いことを誰が……どうしてアリシアさんばっかり……」
少女はつぶらな瞳を涙で潤ませている。
「ありがとう、でも本当に大丈夫なの、だから心配しないで……」
灯里には、もしもアリシアが本当に言葉どおりにそう感じているのなら、通りに誰も居ない早朝に出勤するとも思えなかった。
アリシアほどの人が、ひと目を忍ばなければならないのはよほどのことだと思う。
そして今は確かによほどのことなのだ。
一方、アリシアはこうした灯里の懸念に応えて、
「また母からお小言の電話をもらう前に、会社に逃げてきちゃった、うふふっ」
差し障りのない理由を伝えることで、互いが折り合いの取れる距離を探している。
「灯里ちゃんはまだ早いから休んでいて、あたしは午後の理事会用の資料作りがあるから、午前中に入っている予約のお客さまのお仕事の前に片付けておきたいの」
「アリシアさん……今日はお休みになった方がいいんじゃないですか?」
「どうして?」
「だって……」
言いにくいことがある様子で灯里の口は重く、少女の思いを察しているアリシアは、彼女を納得させるにはもう少しだけ今の気持ちを伝える必要があるのを感じて、相手にきちんと正対することにした。
「……きっと以前の私なら、自分が他の人から性的な関心を向けられているとわかったら、とても混乱したと思うわ……セックスは女の子にとってデリケートな問題だから……」
アリシアの優美な唇から、セックス――という生々しい響きの言葉が紡がれることにドキッとさせられながら、少女はまんじりとして美しい姉の顔を見つめた。
シャッターを開いていないオフィス内は、まだ照明をつけていないために薄暗かったが、お互いの表情を読み取るには十分なくらいの明るさがあるのだった。
今のアリシアは、出会ったばかりの頃とは違って、その言葉遣いからも、もう自分たちとは別の成熟した一人の大人の女性になっていることを強く感じさせられている。
身に纏う雰囲気にも、無垢な少女時代とは異なるゆとりのようなものがあった。
「灯里ちゃんの心配はわかるけれど……」
アリシアは自分の身を守ろうとするように両腕を胸に寄せると、
「でも……今の私は……もうあたし一人じゃないから……この体も……」
自分自身にも言い聞かせるように、キッパリと宣言する。
「アキトさん……ですか?」
こっくりと深く頷いたアリシアに少女がかすかな痛みを覚えるのは、きっとアリシアと自分との間にもうアキトがいるからだろうと思う。
憧れて、どこまでも敬愛するこの美しい女性が、自分の手の届かないところへ去っていってしまうような切なさ。
たとえ仕方のないことでも、今のままが永遠に続けばいいと思ってしまうのだ。
「彼が大丈夫って言ってたから、だから、もう平気よ」
「お話し、されたんですね」
「うん……いまさっき電話があったの……」
「そうだったんですか……」
「彼だけじゃないわ、あたしには灯里ちゃんがいるし、みんながいる……だから、何も心配してなんかいないわ、大丈夫よ」
「アリシアさん……」
少女は一歩前に踏み出すと、勇気を出してアリシアの胸に縋った。
「あらあら、どうしたの灯里ちゃん……」
「あたし、どうしたらいいんでしょう……アリシアさんのお役に立つには……あたしもお役に立ちたいです……」
「いつも通りにしていてくれれば、それで十分よ……」
「いつも通り……!?」
「ええ、あたしはいつもの灯里ちゃんがいちばん好き、大好きっ……いつも通りの素直な灯里ちゃんがいちばん素敵だと思うわ……だから灯里ちゃんはいつも通りにお仕事をして、いつも通りにおしゃべりをして……それがいちばん嬉しいわ」
「………」
「あたしのことを案じてくれてありがとう、すごく嬉しかった……でももう大丈夫、灯里ちゃんからいっぱい元気をもらったから」
「そんな……あたしなんて……」
「灯里ちゃんはあたしの大事なお友達、本当の妹みたいに愛しい大切な人よ……」
「アリシアさん……」
「さぁ、機嫌をなおして、もし、もう起きるのなら着替えていらっしゃい、お茶の用意をするわ」
「それならあたしが――」
「それをいうのはちゃんと顔を洗って着替えてからよ、うふふっ、あたし、まだ朝ごはんを食べていないの。お腹ぺこぺこ。だからもし良ければ、朝食をご一緒していただけますか?」
「ハイ、よろこんでっ」
階段を駆け上がっていく美少女の後ろ姿を見送りながら、アリシアの頬にもいつも通りの微笑みが戻っているのだった。
短いですが、直後のアリシアサイドのお話になります
kurou1224さま、ライスブックさま
お気に入りに加えていただき、ありがとうございます
遅くなりましたが、この場で御礼申し上げます