ARIA A SECRET SCHOOL DAYS 作:真夜中のミネルヴァ
本年もよろしくお願いいたします
26年最初のアップは
現代版のARIA A SECRET SCHOOL DAYSから
温和な日常系のお話になります
昨日上げてしまいたかったのですが
思いがけず長くなって校正が間に合わず
ということで・・・
ではスタート
八月も末、夏休みももう残り一週間を切って、まだまだ暑い日が続いてはいたものの北の空高くにはくっきりとした白い雲もたなびいて、秋の気配も寄せてきている。
アリシアは一人、教務棟二階にある講師室の自身のデスクに頬杖をついて、窓の外をぼんやりと眺めながら物憂げなため息をひとつ。
このところアテナは学会が近いこともあって、自室から大学のラボに直行していて講師室では晃と二人だけになることが多かった。
その晃も近頃は朝練と称して連日、早くからグラウンドに出て行き、もう十時近くになるというのにまだ戻ってきてはいない。
それもあってアリシアは、ゆったりとスペースをとった講師室の窓際の席でぽつんと孤独を感じている。
窓の外の植え込みの向こうには図書室のある中央棟の建物があって、書庫のある北側には窓がないためにタイル張りの壁が見えるばかり。中央棟から少し離れたところにある部室棟の二階建ての建物は、長期休暇中ということもあって生徒たちの姿もなく学園内は閑散としていた。
この時期、生徒の多くは宿題の仕上げに追われるなどしていて、一部を除くとわざわざ出校してくるものは稀なのだ。
またアリシアにしても、教師としては二学期用の教材の準備、受け持ちクラスの生徒の進路指導――殆どが持ち上がりで高等部へと進むが、中には他校の受験にチャレンジして都内の一流高への進学を考えているものも居る――や、その反対に成績不振者への手当てもしなければならず、来月初旬にはこうした事由を抱える一部生徒の父兄との面談も控えて、たとえ非常勤とはいえ担任教師を任された以上オブリゲーションを十全に果たすため、その資料の用意などもしておかなければならなかった。
加えて運動会やら学園祭と何かとイベントが重なる秋に向けての準備もあり、さらには自身の専門で読み込んでおかなければならない書籍類は常にデスクの端に積み上がっている状態だった。
いつもなら、そうした山積する仕事をスケジュール通りに粛々と手がけて処理していくところなのだが、今日はどうにも気持ちがのらずに、つい手を休めては茫っとなってしまう。
「……アキトさんの、バカ……」
そして、思わず口をつくのは恋人への恨み言。
というのも先月末、下田にある整備中の学園の臨海施設で、晃たちの前でアキトとの婚姻の誓いを果たした後、そこで迎えた二人だけの初夜――を過ごしてからというものずっと逢えずにいたからだった。
八月はアキトの誕生月でもあり、プレゼントまで用意していたのにそれすらも未だ渡せずにいて、自室のデスクの抽斗には16種類のリキテックスのアクリル絵の具――あまり使用頻度の高くない珍しい色合いのものばかりを選んで箱詰めにしたもの――のセットが大事そうに化粧紙に包装されてそのままになっていた。
ちょうど誕生日界隈が彼女の月のものと重なっていたこともあって、彼の方で気を利かせてくれたのかとも思ったのだが、その後もいっこうに連絡をくれずに、結局、あの後はただの一度も顔を合わせることなく夏休みが終わろうとしているのだった。
こんなにも長く放っておかれたら、辛抱強いアリシアでもさすがに気持ちが少しひねこびてきて、あれこれと思い煩うようにもなってしまう。
「……いくらアルバイトで忙しくても、電話する時間もないのかしら……」
アキトは夏の間はほぼ毎日、下宿先の食堂を手伝って生活費稼ぎをしているというが、
「……でも……灯里ちゃんたちとはデートしてるくせに……」
昨日、灯里からその話を聞かされて、夏休みの課題の追い込みだというので藍華の家に寄ってみんなで勉強会をしていたそうで、そこにはアキトも居たというのだ。
「あらあら、みんなエライわねぇ、うふふっ――」
いつものように笑顔で聞いてはいたものの夜ひとりになると、ベッドの上で何度も寝返りをうっては、夜泣きをする体を宥めるのに悶々としているのだった。
そして、
「連絡ぐらいしてくれたっていいのに……」
愚痴をこぼしてから
「……逢いたいなぁ……アキトさんに……」
女の本音をひとりごちる。
恋を知ったアリシアには、もうそれ以前の静かな時代にはけして戻れずに、ひとたび火を点けられてしまった若い体は、恋人の仕草を思い出すとたちまち熱い情を孕んではちきれてしまいそうになっている。
そんな眠れぬ夜を過ごして迎えた日ということもあって、一人でいると気分は漂流してしまいがち、よからぬことを想っては胸を騒がせていた。
晃が戻ってきた時のアリシアは、まさにそんなもの思いに沈んでいた最中のことなのだった。
「あら、おかえりなさい、晃ちゃん……」
「おう、どうした? まだ不景気な顔してるのか」
「不景気? あたし、そんなおかしな顔してるのかしら……?」
指摘されると心配になって鏡で確かめたくなる。
理由は聞かなくても晃には想像がついていた。
アリシアがそんなふうになる時は、いつも恋人がらみのものだったからだ。
相手が教え子だったことにはさすがの晃も驚かされてはいたものの、柊アキトへの評価は概ね好意的なもので、アリシアの交際相手としてはまず合格点を与えていて、グランマ秋乃ともども騒がずに静かに見守ろうというところに落ち着いていた。
「いま、お茶を煎れるわね」
「いや、いい、今日はこの晃さまがコーヒーを淹れるから、おまえはそこで呆っとしてろよ」
「あたし、呆っとなんてしてないわよっ、うふふっ」
努めて笑顔になろうとするが、それも尻すぼみがちに。
「そうか、ならいいんだがな――」
その後はコーヒーのマグカップを傾けながらのあたりさわりのない会話となった。
互いが担当している科目の教室運営の話や、自身の研究のことなどについて。
ネオ・ヴェネチア学園の講師であるとともに都内の大学院に席を置く大学院生でもある彼女たちには、それぞれが抱えるテーマがあって効率的な時間の振り分けはとても大切なのだ。
限られた中で最大の効果をあげる――。
三人ともにそれが身についた習慣で、習い性となっていた。
それゆえに心ここに在らず、といった容子のアリシアは珍しく、当然、懸念して
「なぁ、アリシア……アイツとは上手くいってるのか?」
つい踏み込んだことを訊いてしまうのだった。
「うん――」
ちょっとバツの悪い顔をしてアリシアは頷く。
「晃ちゃん、あたし、そんなに変?」
「ああ……いや、そういうんじゃないけどな……」
否定と肯定の両方の返事をして、晃はもどかしげに頭を掻いた。
晃たち公認のお泊まりデートから戻ってきた時の、お土産を抱えて幸せいっぱいの表情に較べると明らかに違っていたからだ。
あの時のアリシアは、余程いいことでもあったように瞳が潤んだようになっていて夢みがちの色を湛えて、肌もツヤツヤ輝くばかりでいたのに、最近は沈んだ表情でいることが多くなっている。
「あまりムリするなよ」
「無理って――?!」
「おまえ、律儀だからさ……けっこう融通のきかないところもあるしな……どうせあれから連絡入れてないんだろ?」
「……連絡? 連絡ってどこに……?」
せめて誰に――と、返すべきをさらに暈してしまうところに、いまのアリシアの屈折ぶりがのぞいていた。
「アキトのヤツにきまってるだろ――」
「………」
「別に女の方から誘いをかけるってのはおかしなことじゃないんだぜ」
痛いところを突かれて、アリシアは言葉を飲み込んだ。
そうできればいいのにと幾度、考えたかしれなかったのだ。
けれどもそれが果たせずにいる。
それにはアリシアなりの理由があるのだった。
「ただ待ってばかりでいると、男の方は逆に重たく感じたりするものでもあってな、契りを結んでいるのなら尚更だ、もうアイツとは対等だろ、いつまでも待ちの姿勢を続けてるのはお互いに辛いし、言いたいこともいえないなんて、やっぱり良くはないな」
「……そう言えるのは、晃ちゃんたちがちゃんとしているからよ……」
アリシアは表情を固くする。
晃が知る、親友のアリシアが防戦をすると決めた時の容子に。
ただ、迷いがあるのも感じられるのだった。
アリシアは子供の頃からおとなしくて可愛い、大人のいうことには素直に従う良い子だった。
普通に見れば性格は温和で協調性もあり、年の割には大人びて映ることもあって、晃やアテナと同い年でありながら周囲からは三人娘の長姉として扱われることも少なくなかったのだ。
たしかにそういう面もある。
しかし人の個性は多面体だ。けして一面だけで測れるものではなかった。
きっとアリシアにも自身のそうした役回りへの自覚があったのだろう、努めてそのようにあろうとしていたこともあり、それもあって自己抑制的な性格は自然に涵養されていったのだろうと思う。
しかし、間近に接していてわかるアリシアは、自分一人では人見知りで引っ込み思案、少し頑ななところのある、ある意味いちばん不器用な性格をしていた。
奥ゆかしいといえば聞こえがいいが、自己評価の低さも目に余るほど。
アキトが自分やアテナ、グランマからも評価されたポイントは、こうしたアリシアの弱みをしっかりと分かっているところも含まれていた。
ただ綺麗なだけの年上の恋人に憧れてというのではなく、アリシアに不足していた部分を補おうとしているのが窺えたからでもある。
どうかするとアキトの方が年上に感じる時があるほど、互いを補完し合っている――それがゆえに、確かに法的にも倫理的にも危うい関係ではあるが黙って見守ろうという運びになったのだった。
「おまえたちだってちゃんとしてるだろっ、アイツはオレさまの目から見てもナカナカなヤツだぞ、おまえが惚れたのも頷けるくらいにはな」
「晃ちゃんにはわからないわっ……だって、あの子は……」
「おまえの教え子だよな……だけど、それがどうしたっていうんだよ、グランマも認めた相手だぞっ、おまえの方がアイツをいつまでも子供扱いしているんじゃないのか?」
「………」
「愛し合ってれば年の差も立場も関係ない、ただの男と女、それだけだ。そのことはおまえも、もうよく判ってるはずだと思っていたんだがな」
「……そんなこと……あたしだって、わかってるわ……」
「じゃあ、どうして……お昼ご飯、少し多めに作っちゃったから食べに来ないって誘ってやらないんだ? そう言われればアイツは喜んでやってくるだろ」
「そんなに簡単に言わないでっ、だってウチは晃ちゃんたちみたいにひとり暮らしじゃないんだから」
「灯里なら、ウチであずかってやってもいいぜっ」
「冗談じゃないっ! あの子にそんなひどいこと――」
「オレの部屋に来るってのが、そんなにひどいことなのかよ」
晃は判っていて話をわざとまぜっ返した。
「ちがうのっ、ちがうわっ、そうじゃなくて……もう……晃ちゃんは……」
アリシアはマグカップに口をつけようとして、空になっているとわかると、髪をかきあげながらの物憂げな仕草でデスクの上においた。
白い横顔は同性から見ても、目を奪われる美しさで、
「コーヒー、おかわり要るか?」
晃は優しい目になってアリシアに持ちかけるのだった。
「うん……おねがいするわ……晃ちゃんの淹れてくれたコーヒー、いつでもとっても美味しいから」
「そっか……」
フィルターを取り替えて、マンデリンとモカを独自の比率でブレンドした晃スペシャルのコーヒー豆を、二人分にしては贅沢といえるほどふんだんに盛る。
「実はな、あの後、灯里のヤツとじっくり話をする機会があってな……」
作業をしながら晃は背を向けたままで語りかけるのだった。
「灯里ちゃんと……?」
「ああ、おまえ、こないだ、アキトを灯里から略奪したって言ってただろ? それでホントのところどう思ってるのかオレなりに灯里に訊いて確かめたんだ」
「………」
晃が手にしたスワンネックケトルからお湯を丁寧に注ぎ入れると、いちだんと香ばしい良い薫りが室内に拡がっていくのだった。
「すごくショックだったって言ってたよ」
「……そう……やっぱり……」
アリシアも憂いにさらに表情を翳らせる。
「誰よりもだいじな憧れのアリシアさんがアキトくんに取られちゃったからって、言ってな」
「――!?――」
サーバーからアリシアのマグカップにコーヒーを注ぎ入れながら、
「それがアイツにとってのなによりのショックだったみたいだな」
「………」
「灯里のヤツがいちばん驚いたのは、おまえが恋をしたことだったんだ……誰か他の男のものになってしまうのがいちばんショックだったらしい。灯里にとっておまえは、きっとこのうえなく大切な実の姉みたいなものだったんだろうから」
「あたしにとっても灯里ちゃんは特別な子よ……本当の妹だと思っているわ……」
「ああ、そうだな……だから妹としちゃあ姉のことが気がかりなわけだ……それが自分の知ってるクラスメートの男子に寝取られたとなるとよけいにな」
「寝取られた? 寝取られただなんて……」
「でもな、それもあいつ流に言うと、これってとっても嬉しい奇跡ですっ――て、ことになるらしい」
灯里の声音と仕草を真似て言う。
その絶妙な似ていなさ加減に、アリシアは思わず口にしかけたコーヒーを吹き出しそうになってしまうのだった。
「でも……アイツがアキトのヤツを好きだったのも本当みたいだな……」
「うん……」
晃の言葉をしっかり受け止めようと、アリシアは意識して大きく頷いた。
アキトのそばにいれば、気になる異性になるのは当然だと思う。
一見、目立たない雰囲気であることが、寧ろ女の目には好ましく映るからだった。知れば知るほど意外な発見があって、もっともっと、といっそう知りたくなる。
そして気がついたときにはすっかり心を奪われてしまっていた。
「ただ、まだ恋愛感情とまでは行ってなかったみたいだな。だいたい、十三、四の女子じゃ、恋がなんなのかさえ良くわかってはいないだろう? オレらだってそうだったからな……」
振り返ると、たしかに灯里ぐらいの年の頃は男の子がそばに居なかったこともあって気にしたことすらなかったように思う。
なんといっても晃が男の子以上に男の子らしくて、友愛と恋愛に違いがあることさえ思いもつかなかった。
一緒に居たい、と思うことの先にある、男女間の特別ないとなみについてアリシアが知ったのは、実際にアキトと褥を共にしてからのことだったのだ。
それまでは知識としてはあっても他人事、絵空事。物語の中のできごとのように現実味がなくて、自分とは無縁の出来事なのだった。
「たしかにアキトがおまえに恋してるとわかった時には、灯里もほんの少しだけ胸がチクンとなったことがあって、もしかしたらこれがジェラシーなのかもしれないとは思ったそうだ。それで自分もアキトに恋をしかけていたんだってことに気づいたらしい」
「……そう……」
「だから余計に嬉しくなったんだってさ」
そのことは灯里から以前にも聞かされたことがあって、アリシアにもたしかに覚えがあるのだが、灯里の、だから――以下の飛躍は振れ幅が大き過ぎて頭が追いつかないのだった。
「このあたり、灯里らしいといえば灯里らしいよな。あいつが見ていたのはあくまでもおまえだったんだよ、アリシア」
「……それは、感じているけれど……でも……それとこれとは、やっぱり違うから……」
アリシアは、女が男の子を好きになるのと、同性を好きになるのは違うと思う。
「あいつはこうも言ってたな……アリシアさんのお相手には、アキトさん以外の男の人は絶対にイヤですって」
今度は晃は無理に灯里の真似をせずに伝えた。
「自分が大好きなひと同士が愛し合うなんて、こんなにステキな奇跡はないからって言ってな」
「そう……あの子、晃ちゃんにも、そう言ったのね……」
「知ってたのか?」
「うん……でも、あたしのことを思って無理してそう言ってくれたんだと思ってたから……」
「おまえらしくないなぁ、妙に勘繰ったりせずに、すなおに聞いてやればいいのに」
「だって……こういうことは……」
男女の機微はとても複雑で、とりわけ女が抱える気持ちにはいろんなものがあるのだった。
だから簡単に割り切れるものでもないと思う。
「変な男の人にアリシアさんが取られでもしたら、それこそ大変だったって、でもアキトなら安心して任せられるから、なんてことも言ってたぜ。やさしくてとっても思いやりのある人だから、きっとどこまでもアリシアさんのことを大切にしてくれるはずだってさ。だから良かったってな」
「でも灯里ちゃん……そう言っていても、本当はとっても傷ついていて、今でも辛い思いを抱えているのかもしれないから……」
ナイナイと云うように、晃が手を左右に振る。
「おいアリシア、あいつがこの晃さまの前で、自分を偽ったりできるとでも思うのか?」
念を押されてアリシアの頬に、どこかさぐりさぐりの寂しげな微笑みが作られていく。
「これで納得したか? 灯里もアキトのことをおまえの相手として花丸の合格点をつけたってことを」
寄り切られるままにアリシアはこっくりする。
「みんなおまえのことを心配して、応援してるんだから、おまえはおまえでちゃんと幸せになればいいんだよ……おまえが辛気臭い顔してると、こっちの気分までもり下がっちまう」
「あたし、そんな辛気臭い顔なんてしていたかしら」
「ああ、笑顔がトレードマークのはずのおまえが、横でため息ばっかり吐かれてりゃ、そりゃかなわないぜ。俺がここんところ朝練に時間をとってるのは、おまえと二人っきりの部屋でしんみりしてると、こっちまで気が乗らなくなって調子が狂ってくるからなんだよ、憂さ晴らしでもしておかないと仕事にならないだろ、まったく傍迷惑なヤツだ」
「ごめんなさい……あたし、全然、気がついてなくて……」
「おまえは昔から他人には良く気を使うくせに、自分のことは見えていないんだよな」
「………」
「笑顔でいる時がいちばん空気を良くして、まわりを安心させるんだが……」
晃は手を伸ばすとアリシアの頬に触れると、笑顔を促すように軽く頬をつねった。
「じゃあ、いいな?」
「いいってなにが?」
「“わたし”はこれからアキトくんに電話をして、アリシアが逢いたがってるからデートしてやれって言ってやるつもりだ」
「ちょっ、ちょっと待って晃ちゃんっ! 余計なことしないでっ」
「灯里にも電話をしておかないとな……アリシアがデートするから、その間は外に出てろって」
晃はさっそくジャージのポケットから携帯を取り出すと、二つ折りを開き、登録されていた電話帳の中から柊アキトを探し出した。
壁の時計を見ながらボタンをタップしようとする。
アリシアはその手を必死に押し留めた。
「待って、本当に待って、後生だからっ」
「後生だからって大袈裟だな、おまえがアキトに電話しないのは着歴が残るからだろ? もしも周りに誰か居た時に言い訳に困るとか、そんなことまで考えて尻込みしてるんだろうから、俺さまが代わりにやってやろうって言ってるんじゃないか。この俺からなら誰も、“可哀想に使いっ走りにされてる”ぐらいにしか思わないだろうからな」
確かにそれも理由の一つではあった。
けれども、連絡をとれないのにはもっと本質的な事情が別にあるのだ。
「いくら元気な厨房でも、こんな時間からマスなんてかいてないだろうし――」
「晃ちゃんっ!」
アリシアの抵抗をよそに、晃は無造作に発信ボタンを押してしまう。
コールサインが二度、三度、固唾をのむアリシアの耳に、すぐに通話口から聞こえる愛しい声が届いた。
「柊アキトか?」
#あ、これは晃先生っ、どうもしばらくです。珍しいですね、何かボクに御用でしょうか?#
「今、大丈夫か? まわりに誰か居たりするか?」
#いいえ、自室にひとりですから。もう少ししたら藍華ちゃんたちが来ますけど#
「来るって、おまえの部屋に来るってのか?」
その話にはアリシアも耳をそばだてる。
アキトの部屋にはまだ自分ですら入ったことがなかったからだった。
それなのに、そこに美しい少女がやってくると聞けば、恋人――としては、ただ聞き流すことはできなかったのだ。
#いえ、市立図書館の自習室でいっしょに勉強をする約束をしているので、首輪をつけられて連れ出されるだけですけど……さすがにボクの部屋は狭くて、女子が三人も入ると座る場所がなくなって、とても勉強するどころの話にはなりませんので#
「そうか、要するに女子たちの番犬役ってことだな」
#そんなところみたいですね。オオカミさんたち用のデコイって言われないだけ、まだマシだと思ってますが#
「ハッハッハッ、相変わらずよく口が回るヤツだな」
#あの、先生、それでボクになにか……?#
「うん、そうだな……実はな、アリシアのヤツがおまえに逢いたくて、逢いたくてたまらないらしくてな」
「あたし、そんなこと言ってないわっ!」
予想外の暴露をされてアリシアは慌てて割って入る。
ただ「ちがうのか?」と詰め寄られ、アキトに聞こえると思うとキッパリ否定するわけにもいかずに口篭ってしまう。
#先生っ、そこにいらっしゃるんですかっ?#
この、先生――という呼びかけは、自身に向けられたものだとアリシアにもわかるのだった。
「ああ、居るよ、いま代わるから――」
晃はわけ知り顔でニヤリとすると、アリシアに携帯を手渡した。
「……あたしよ、アキトさん……ひさしぶりね……」
#先生……#
そう言ったきり、そのまま二人はしばし無言だった。
だが、たとえ言葉にはならなくても、たくさんの気持ちが行き交っているのは、傍にいる晃にも感じられるのだった。
そんなに思い合ってるのならさっさとデートでも何でもしてしまえばいいものを、と焦ったく思うのだが、そうできないところがアリシアらしく、またアキトらしいともいえて微笑ましく映る。
「……ったく、いつまでそうやってるつもりだよ……中学生かよって実際、アキトはそうだったな……だが、おまえまで一緒になっててどうするんだ、さっさとデートの約束でもしてろよ、電話代、あとで請求書まわすぞっアリシアっ」
晃にせっつかれて、
「アキトさん……」
やっと口をついて紡がれた言葉は恋人の名前だけ。
#先生……逢いたいです……逢いたい……#
「あたしもっ――」
どうして連絡してくれなかったのよ、と詰りたかったが、それよりもなにより彼の声が聞けたのが嬉しかった。
「あなたに、まだバースデープレゼント、渡してなかったから……」
#プレゼントならもういっぱい戴いてますから、でも新しいのを戴けるのでしたらもちろん喜んで頂戴いたしますっ#
暗に肌着を求められているのだと察して、たちまちアリシアの顔が耳まで紅く染まるのだった。
「だからそういうのじゃないのっ、もうアキトさんったら」
すぐ隣に晃がいるのを忘れて思わず、二人だけで居る時のように声に蜜をのせてしまい、ハっとなって背を向ける。
「アリシアはな、おまえに逢いたいんだから、逢ってやれよ」
アリシアの手にした携帯に横から晃が口を挟んだ。
#もちろんです、でもボク、どうしたら……#
「午後、おまえはあいつらと別れてアリシアのアパートに行ってやれ、コイツも今から早退させて、灯里にはわたしから連絡して、ゆっくり帰るように伝えておくから」
たとえ男子とはいえ、中学生が下宿先に無断で外泊をするわけにもいかず、デートをするとなればせいぜい日のある間、ということもあっての晃なりの配慮だった。
「晃ちゃん、勝手に話をすすめないでっ、ごめんなさい、アキトさんの都合も考えずにっ」
#ほんとうに伺ってもいいんですかっ?#
「え?……うん……いいわ……いいけど……」
晃がしてやったりとばかりの笑顔でいて、逆にアリシアは嬉しさ反面、戸惑いもないまぜの当惑顔をしている。
#では何時にお伺いすればいいですか?#
「早ければ早いほど、一緒にいられる時間が長くなるぞっ」
煽る晃とアキトの間でどんどん話がまとまっていって、今日の午後一時過ぎに、ということになってしまうのだった。
#いいんですか? 先生はそれで……#
「ええ……待ってるわ……」
電話を切ってから、
「晃ちゃんは強引なんだから……」
不満が半分、感謝が半分、アリシアはちょっとむくれ顔になって、それから仕方なく微笑む。
アキトに逢えると思うと、抑えようとしても心が自然に弾んでしまうのだった。
「ホラ、簡単だろ? 案ずるよりも産むが易しってな、ウジウジしてないで、さっさとおまえからデートに誘えばいいんだよ」
「そんなこと……」
「今みたいなやり方をしておけば、いつでも逢えるだろ、それでいいじゃないか」
「そうはいかないわ……」
「だから教師と生徒ってことはもう忘れろって……年齢差のこともな……ただ相手がミドルティーンってことは忘れるなよ……他人目につくのはまずいからな、ただでさえおまえは目立つから」
「うん……わかってる……でも……」
「まだ何かあるのか? 灯里のことももういいだろ?」
「うん……」
アリシアはまだ屈折を抱えた容子で、
「他にも何か、気になることでもあるのか?」
「ううん、なんでもないわ……」
「それはなんでもないって顔じゃないな……」
「本当になんでもないの……」
「じゃあ次からは俺の携帯、使ってもいいから、あいつと連絡を取るようにするといい」
「………」
アリシアの煮え切らない容子に、晃は肩で大きくため息を吐くと
「イヤなのか?」
確かめた。
アリシアはこっくり頷く。
「どうして?」
「だって……女のあたしからデートしたいって言うのは……」
「今もそうだったろ? 何がまずいんだ?」
「晃ちゃんがいたから……それで仕方なく……」
「仕方なくだ? どういうことだ?」
アリシアを案じた上で晃なりに気を利かせたつもりでいたのが、仕方なく、とやられるとちょっと心外な気もしてくる。
「晃ちゃんは、アキトさんのこと、知らないから……」
アリシアはとても言いにくそうにしていて、かえって晃は訝しんだ。
「ホントは悪いヤツで、付き合いたくないとか、まさかとは思うが、弱みでもにぎられて脅されているとかしてるのか?」
「ちがうっ、ちがうわっ、そんなんじゃないの……ただ……」
「ただ――?」
問い詰められたアリシアは、一度、大きく息を吸って吐くと
「あの子……とっても要求が多いの……」
疲れた容子になって告白する。
「要求が多い? なにかされるのか?」
「………」
アリシアは真っ赤になって俯くばかり。
「あいつ、ガキのくせに何をしてくるんだ?」
「……そんなこと……そんなこと、恥ずかしくてとても言えないっ」
クンニリングスやアニリングスは女の側からすると交わりよりもさらに心理的にも負担のある秘め事、禁忌の印象の強いアブノーマルなセックスで、それを教え子を相手にというのは、二重の意味で則を超えている気がするのだった。
「おまえ……」
アリシアが身を揉むようにして恥じらう姿から、想像するしかなかったが、アリシアのように身持ちのいい女がこんなふうになるのには、それなりの理由があるに違いないと思う。
「忘れて、晃ちゃん、今のこと……」
「イヤなこと、するのか?」
「………」
「イヤならイヤだって、はっきり言ってやらないと、男はつけあがる一方だぞ……おまえが言えないなら俺が伝えてもいい……」
さすがにそれはプライバシーに立ち入り過ぎだと思うが、いよいよとなったら自分以外にその役目を果たせるものはいないとも思う。
「ちがうの……そうじゃないわ……本当にそうじゃないから……」
アリシアは自分自身に言い聞かせるように訴えていた。
「ホントにいいのか? 大丈夫なんだな?」
「うん……それは本当よ……アキトさんがすごくやさしい人で、あたしをとても大切にしてくれるのは……本当のことだから……」
「そうか……」
「でも、どんなに愛していても……女の子の口からは言えないことってあるでしょ? 晃ちゃんにだって……」
この問いかけには晃も同意できるものがあって、彼女も白い頬をうっすら朱に染めている。
「だから……あたしからデートしたいっていうのは……やっぱり……」
ようやくアリシアが躊躇う理由が窺えて、
「そうか……そうかもしれないな……」
律儀であることとは無関係に、女であることの生きづらさというものは晃の胸にも落ちるのだった。
ましてアリシアの場合は相手は十五歳の教え子だ。
ハードルが上がっているのだとしたら、それはそれでよくわかる。
「わかった……じゃあ、アイツには俺から、もっとアリシアをデートに誘うように言っておいてやるよ」
「やめて、そんなことしないでっ……晃ちゃん……気持ちは嬉しいけど……でも、あたしたちは……あたしたちのペースで……ゆっくり……進んでいければいいとおもうから……」
「そうか……それもそうだな……余計なことをして悪かった……」
晃が謝って頭を下げると、アリシアは首を横に振り
「嬉しかった……だって晃ちゃんのおかげで、今日これからアキトさんと逢えるんだもん……ありがとう、晃ちゃん」
微笑みかける顔は、翳りが含まれてはいても温和で玲瓏ないつものアリシアのものなのだった。
アリシアとアキトの電話口のシーンを描きながら頭の中を
見えない気持ち信じてしまいそう――の旋律がしきりに流れていて
GARNET CROWのcall my name
を思い出していました
エンディングにでてくるエンジェル・ユーゴーのサイキックポーズがとにかくキュートでカッコよくて
アリシアさんは実はユーゴー・ギルバートのイメージと重なっていたので押しキャラになったというのが懐かしい思い出です